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2012年

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2012/12/31 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月31日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月31日
真に徹して生きる

 人生はしばしば申すように、
二度と再び繰り返し得ないものであります。
したがってまた死・生の悟りと言っても、
結局はこの許された地上の生活を、
真に徹して生きるということの外ないでしょう。

・ 
森先生の言われる、
「人生二度なし」ですよね。
坂村親民先生の、
「 二度とない人生だから」
という詩を思い出しました。
以前にも書きましたが、
何度でも登場します。
これからも・・・。
2012年最後の“つぶやきメール”は、
“おしゃべりメール”に勝手ながら変更させていただきます。
   ・
「 二度とない人生だから」
  二度とない人生だから
   一輪の花にも
   無限の愛を
   そそいでゆこう
   一羽の鳥の声にも
   無心の耳を
   かたむけてゆこう
   ・
  二度とない人生だから
   一匹のこおろぎでも
   ふみころさないように
   こころしてゆこう
   どんなにか
   よろこぶことだろう
   ・
  二度とない人生だから
   一ぺんでも多く
   便りをしよう
   返事は必ず
   書くことにしよう
   ・
 二度とない人生だから
  まず一番身近な者たちに
  できるだけのことをしよう
  貧しいけれど
  こころ豊かに接してゆこう
   ・
 二度とない人生だから
  つゆくさのつゆにも
  めぐりあいのふしぎを思い
  足をとどめてみつめてゆこう
   ・
  二度とない人生だから
   のぼる日しずむ日
   まるい日かけてゆく月
   四季をそれぞれの
   星々の光にふれて
   わがこころを
   あらいきよめてゆこう
   ・
  二度ない人生だから
   戦争のない世の
   実現に努力し
   そういう詩を
   一編でも多く
   作ってゆこう
   わたしが死んだら
   あとをついでくれる
   若い人のために
   この大願を
   書きつづけてゆこう
   ・
いい詩ですよね、心が洗われます。
 2004年2月1日、
“詩国”発刊500号記念
「全国朴の大会」へ参加させていただきました。
森先生の御子息も参加されており、
その時の資料は、
身の回りの環境整備を進めも、
手元に置き続ける宝物一つです。
その時に頂いた“詩国創刊号”のコピー、
なんと創刊は50年前の昭和37年7月13日です。
その中から一つ紹介させてください。
   ・
「痩せた布袋」
  痩せた布袋なんて
  こっけいで
  ものわらいで
  売り絵にもならないだろう
   ・
  だがこのよろこびに
  けちをつけないでくれ
  まねごとでもいいから
  わたしがやろうとしていることを
  だまって見ていてくれ
  弱いわたしにだって
  筋金は通ろうから
  せめてこのねがいだけでも
  まじめにきいてくれ
   ・
53歳の真民先生の念を感じる詩です。
・・・51歳の私はまだまだこれから、
ひと仕事も、
ふた仕事も頑張らなくてはなりませんね。
最後の“詩国”となった500号からも紹介させてください。
   ・
「妻に」
  詩を作るため
 妻にどんなに苦労をかけたか
 何一つ不平も不満も言わず
 連れ添うてきた妻に
 すまなかった
 すまなかったと
 頭をさげよう
 『詩国』五百号は
 自分のカで続いたのでなく
 いちばん身近な妻の
 苦労を忘れてはならぬ
   ・
私もいつの日か一夢かなえ、
妻に贈りたい詩ですね。
 たった今気づいた新事実があります。
“詩国”500号で終刊の後、
“鳩寿”が創刊され、
手元にある14号まで発刊されたと思い込んでいました。
が、
なんと15号まで発刊されていたのでした。・・・悲、悲、悲。
なぜないのだろう???無くしちゃったのかな。
 そういえば、
真民先生の小伝記ビデオと、
詩国”500号記念講話のビデオがあったな、
お正月番組に飽きたら数年ぶりに見てみようかな?
「ばち当たりめ」って叱られるかな、、
・・・寛大な真民先生だからそれでも許していただけることでしょう。
   ・
今年の最後に、
   ・
「悟り」
 悟りとは
 自分の花を
 咲かせることだ
 どんな小さい
 花でもいい
 誰のものでもない
 独自の花を
 咲かせることだ
   ・
よしゃ~、
2013年もがんばるぞー。
   ・
ところで、
・・・どなたか、
“鳩寿”15号を分けていただけませんでしょうか。
これは2012年最後の本気のお願いです。

☆☆★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 広島ガス高田販売株式会社
                住吉 峰男
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2012/12/31 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月30日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月30日
一歩を積み重ねる

 私自身が、
諸君らくらいの年配から、
今日四十を超えるまでの自分の歩みを回想してみますと、
たびたびの危いところを、
よくもマア大過なく通って来られたものだと思うほどです。
人間の一生は、
決して容易ではありません。
しかもそれは、
一歩々々のたゆまざる歩みによって、
しだいに開けていくものであって、
いかに優れた英俊の資といえども、
弱年にして人生を通観するということは不可能と言ってよいでしょう。


50歳を超えた現在では、
本当によくわかるお話です。
・・・が、
振り返れる年齢になって初めてわかること、
若いころはわかっていないどころか、
わかった気になり反発すらしてました。
森先生の言われる通り、
“弱年にして人生を通観するということは不可能”
なのですね。
「それなりに経験をした後に思い知ってください」
ってことですか。 

2012/12/29 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月29日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月29日
すべては因縁

 世の中のことは、
すべてが因縁でありまして、
諸君らがこの学校に入学したということ、
また私がこの学校に職を奉じたということ、
さらにまた今後一年間を、
諸君らと共に過ごすようになったということなど、
そのいずれもがすべては因縁であって、
深く考えれば、
自分のカで得たことは何一つとしてないのです。
かく考えて来ますとお互いにこの因縁の持つ無限の意味をよく考えて、
深くこれを生かさなければならぬと思うのです。


「この世の中に偶然はない、全ては必然」
これまで何度もつぶやきメールに登場しています。
この言葉にずいぶん救われました。
楽しい事、
辛く苦しい事、
そしてものすご~く辛く苦しい事。
全て私に新たな知識や知恵の引き出しを増やすために、
必然の神様が与えてくれたことなのです。
これからも必然の神様に、
色んな体験させていただけるのでしょう。
・・・本音では・・・怖い。・・・逃げないと決めてますけど。 

2012/12/28 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月28日
永遠を思う

 人は夜空を仰ぐ時、
初めて深く永遠を思うものです。
同時に永遠を思うとき、
人は翻ってゆかり深き人々の上を思うものであります。


人間は、
はるかなるかなた、
はるかなる未来を創造するとき、
まったく逆の、
身近な人に感謝することができる。
・・・という意味でしょうか。
「身近な人に感謝の念が薄い人は、
 大きな成功はできませんよ」
ってことだと思います。
・・・私はそう解釈しました。
両親がいるから私はこの世に奇跡的に存在します。
「私には親はいない」
と言う人もいるでしょうが、
両親を見たことのない人にも必ず生みの両親がいます。
奇跡の自分をこの世の中に送り出してくれた両親です。
“感謝”以外の何ものでもありませんよね。
・・・人生の折り返しを過ぎてから少しずつ感じています。

2012/12/27 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月27日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月27日
置土産

 今諸君らの生活が、
真に深く、
かつ内面的に大きかったならば、
諸君らの精神は、
必ずや後に来る人々のために、
一種の置土産となることでしょう。
さらにまた、
私共のように教職にある者としては、
その精神は、
仮にその学校を去る時がありましても、
もしその生活が真実であったならば、
必ずや後に多少の余韻が残るようでなくてはなりますまい。


偉人の置土産って本当にすごいですよね。
毎度、毎度ではありますが、
私は、藤沢さんの置土産は宝物ですね。
「松明は自分の手で」は、
私の座右の銘です。
・・・つい先日も書きましたね。
そうそう、
ドラッカーの本を読んだ時、
チョー驚きだったのです。
何十年も前に書かれた本が、
現代にも通用する・・・どころか、
予言者かと思うくらいマッチしているのです。
っていうか、
ベースになる考え方、
“成功の道”
はどの時代も変わらないということですよね。

2012/12/26 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月26日
一生を真実に生きる

 世の中が正直だということは、
この一生を真実に生きてみたら、
おのずと分かることだと思います。
それが正直と思えないというのは、
結局そこに自分の自惚(うぬぼ)れ根性がひそんでいるせいです。
同時にこの点がほんとうに分かると、
人間も迷いがなくなりましょう。


10年くらい前でしたっけ?
ホリエモンが、
“近鉄バッファローズを買収する”
って雄たけびをあげていたのは・・・。
若者が熱狂してましたよね。
私もそうですが、
真実で生きていなかった若かりし頃なら、
彼がヒーローに見えていたことでしょう。
今がは非の打ちどころもないくらい真実にいきています。
とはとても言えませんが・・・。
森先生に見事に見透かされていますよね。
 

2012/12/25 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月25日
人生の道を真実に歩む

 とにかく諸君 ‼
人生の道は深くして、
その味わいは実に窮(きわま)りないのです。
希(ねが)わくば諸君 ‼
この二度とない人生を、
できるだけ真実に歩まれることを切望して己まないしだいです。


若いころは、
成功者というのは、
まじめに生きることではなく、
うまく生きることだと勘違いしていました。
経験とともにわかってきました。
空手道場
修武館、道場訓の最初の一節
“正義の道を守ること”
子供のころはあまり気にせず、
口先で唱えていたが、
年齢とともに重みが増してきました。

2012/12/24 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月24日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月24日
私の楽しみ

 私の楽しみは諸君らが本当に生命がけになったら、
一生かかってどれくらいの人間になれるかということです。
つまり人間、
大学や専門学校などを出なくても、
その人の覚悟と勉強しだいでは、
どれほどの人間になれるものか、
その生きた証拠が見たいのです。


本田さんは小学校卒。
松下さんは小学校4年の時に大阪に丁稚奉公。
森先生の言われるように、
学歴ではないですね。
無いよりあった方がよいに間違いはないでしょうが。
そうそう、
昨日のメールに追加です。
「ホンダをつくったもう一人の創業者―受け継がれる藤沢武夫の教え」( 大河 滋)
この本も超おすすめです。  

2012/12/23 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月23日
故人に尽くす一つの途

 (故人に尽くす一つの途は)故人の書き残したもの、
並びに生前故人と親しかった人々の、
故人に対する思い出などを書き集めて、
それを何らかの形で印刷して、
故人の生前を知っている人々の間に頒(わか)つということであります。


木野親之先生の「松下幸之助 叱られ問答」
がまず頭に浮かびました。
本当に良い本です、
おすすめします。
もう一冊、
「本田宗一郎に一番しかられた男の本田語録」(岩倉信弥著)
もおすすめです。
さらにもう一冊思いだしました。
「ホンダの原点―脇役に徹した藤沢武夫の経営学」 (山本 治著)
私の最も大好きな経営者藤沢氏の本です。
その他ホンダものでは、
「ホンダ神話」、ⅠとⅡが良かったですね。
私の座右の銘、
“松明(たいまつ)は自分の手で”は、
藤沢武夫氏著書のタイトルです。

2012/12/22 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月22日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月22日
肉体が滅びても

 一人の偉大な教師の存在によって、
二十年、三十年、否、時には四、五十年の後に、
その地方が根本から立ち直って、
そこに新たなる民風が起こるというのでなければならぬでしょう。
その時、
その種子をまき苗を育てた教育者の肉体は、
すでにこの地上にはないでしょう。
しかもその精神は、
脈々としてその地方の中心人物たちの心の底深く根を下ろして、
その地方の改革の根本動力として働くのであります。


いいですねー。
私の中では“ホンダ”がまさしくそれ。
まさに“脈々”を感じます。
夢を追う本田宗一郎氏と、
その夢を実現させるべく、
支え続けた藤沢武夫氏が作り、
育てた会社です。
ジェット機も来年から引き渡すそうです。
NSXは再来年?。
PHVアコードは・・・日本で発売になるのでしょうか。
私のハイブリッドシビックは、

17万キロ超えて、
メインバッテリー載せ替えちゃいました。
「PHVアコード日本でも出してー」
って、ホンダまでは届きませんよね。
 

2012/12/21 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月21日
安んじてこの世を去る

 このの世ににある間は、
自分の全力を挙げてこの世の務めを尽くす。
これやがて、
安んじてこの世を去る唯一の秘訣でありましよう。
いざという時に心残りのない道、
これ真に安んじて死に得る唯一の道であります。


最近少しですが、
分かってきたように思います。
この世に未練を残さないためには、
「全力を挙げて、
 できることは絶対やり残さない」
もちらん、
今の力を100%出し切っても、
できないものは仕方ない。
開き直りも必要だと思うのです。
「死んだら楽になるので、
 それまでは頑張ろう」
たぶん残りの人生は、
これまでの1/2未満である自覚から、
そう考えられるようになったのでしょうね。

2012/12/20 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月20日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月20日
偉人の背景を知る

 私達は、
優れた方々に接する機会のあった場合には、
その完成された老境の美を見逃さないように注意すると共に、
ヌそこまで到達せられた生涯の惨苦(さんく)に充ちた歩みにまで、
思い至るようでなければならぬでしょう。
というのも、
古来人生の惨苦をへずして偉大になった一人の人間も、
かつてなかったことに想い至らないで、
ただ「偉い偉い」というだけでは、
真に偉人を敬仰(けいぎょう)するるゆえんではないでしょう。

惨苦(さんく)=いたましい苦しみ。ひどい苦労。
敬仰(けいぎょう)=うやまい、あおぐこと


「修身教授録 一日一言」
に何度も登場した、
“伝記を読みなさい”
なぜ?の解説ですね。
背景の中に、
心構えや立ち振る舞い、
考え方などなどのヒントが満載ですものね。 

2012/12/19 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月19日
老年になって読む伝記

 伝記は何人(なんぴと)にとっても必要であり、
またいかなる年齢の人も読むべきであって、
例えばもはや老年になって、
ほとんどなすべきことのないような人でも、
偉人はその晩年をどのように過ごしたかということを知る意味で、
伝記は決して無意味ではないわけです。
否、臨終の近付いたような場合すら、
かつての日読んだ偉人の臨終の模様を想い浮かべることによって、
人生の最期における人間的態度を教えられる最も力強い教えとなることでしょう。


“人生の最期における人間的態度を教えられる最も力強い教え”
と森先生は書かれています。
「晩年」についてはまだピンと来ていないところがありますが、
“これからの数年をどう過ごせばよいか”
ということについてはヒント満載です。
人生はこれから数年の積み重ねと考えれば、
伝記が、
「人生の最期における人間的態度を教え」
につながっていくのでしょうね。

2012/12/18 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月18日
無礼講

 人間の地金(じがね)は、
お酒の席でよく分かるものです。
いい年をしながら、
宴会を無礼講だなどと考え違いをして、
勝手のいい放題をしているようでは、
人間も一生淫浮かばれんですネ。


「酒を飲んでも酒に飲まれるな」
真に偉い人というのは、
酒の席できちんと人を見ています。
一番に酒に飲まれるようでは論外。
・・・失敗を重ねてきたから分かってきたのです。 

2012/12/17 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月17日

修身教授録

    一日一言

   (致知出版)

        森  信三著

        藤尾秀昭編

 1217

人を知る

 我々凡人には、

いかに優れた方でも、

まず十年くらい私淑(ししゅく)しないことには、

その方の真のお偉さを知ることはできないようです。

その人を真に知るとは、

その方の現在わが国における位置を知るのみならず、

さらに一歩すすめて、

その方の歴史的位置を知ることです。

ここまで来なければ、

真にその人を知ったとは言えないでしょう。

 

私淑(ししゅく)=直接に教えは受けないが、

           ひそかにその人を師と考えて尊敬し、

           模範として学ぶこと

藤沢武夫

本田宗一郎

松下幸之助

偉大なる経営者として尊敬する故人です。

本の中から多くのヒントをいただきました。

松下さん関連の出版物は数が多すぎ、

私の知らない本がたくさんあることでしょう。

藤沢さん、本田さんの本はほぼ読んだでしょうか。・・・たぶん。

20年以上私淑はしておりますが、

「真にその人を知った」

なんて口が裂けても言えません。

もっともっと知りたいとは思っています。

そういえばずいぶん以前のお話ですが、

ホンダOB氏のHPからメールを送り、

「藤沢さんのことをもっと知りたいのです」

送信したところ、

「私は技術畑でしたので本田さんはよく知っていますが、

 藤沢さんのことはよく知らないのです」

とメールをいただきました。

 

2012/12/15 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月16日
偉大なる教育者

 真に教育者の名に値するような人々は、
超凡の大志を抱きながら、
色々と世間的な事情によって、
それを実現するによしない立場に立たされた人傑が、
現実的にはそれを断念すると共に、
どうしても自分の志を、
門弟子を通して達成せしめずにはおかぬ、
という一大願を起こすところに、
初めて生まれるもののようです。
 孔子しかり、プラトンしかり、
わが松陰先生またしかりです。

超凡 (ちょうぼん)=ずば抜けた


一代では達成できない
壮大な夢。
もちろん寝てみる夢ではありません。
まさに超凡の大志です。
何世代かをかけ、
近づいていくのですね。
“経営”という意味では、
ホンダの藤沢武夫元副社長を敬っていますが、
“壮大な夢”という意味では、
本田宗一郎氏が一番に頭に浮かびます。

2012/12/15 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月15日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月15日
真の一道

 真の一道が開かれるのは、
かくして起ち上がった自己の内なる醜い我見をえぐり出して、
かくして浄(きよ)められた自己の全心身を、
己がつとめに対して、
投げ込み捧げ切るところ、
そこに初めて開かれてくるのであります。


“現在は浄い”とは言えませんが、
若いころは、
“自分こそ正しい”と思っていました。
世間知らずもいいところですが、
そんなことすらわからなかったのです。
“今は、ましになった”くらいのところでしょう。
経営の師を追い修行を続けています。

2012/12/14 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月14日
一筋の道

 自己の一切を捧げ、
己れを尽くし切るところ、
そこにおのずから一筋の道が開かれてくるわけです。


いつも頭に浮かぶのが、
ハガキ道の坂田先生です。
ハガキを書くという、
ごくごく平凡なことを、
誰もできないくらい非凡に続けることで、
ハガキ道という新しい“道”を開かれました。
「平凡なことを非凡に行う」
惰性は力とはいいませんね、
継続は力です。
 

2012/12/13 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月13日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月13日
山巓に立って分かること

 人間は、
どの下り道をとるかということは、
山巓(さんてん)に立って初めて分かるものです。
諸君らに、
私のこの言葉が何を意味するか分かりますか。
むろん今は分からんでしようが、
もし諸君らにして、
今後二十年精進を怠らなかっちたら、
必ずや分かる時が来ましょう。


学生に、
“今後二十年精進を怠らなかったら”
と森先生は言われています。
ここでも人生キーワド、
“40歳”違う表現で登場しました。
精進を怠らず40歳で“山巓”です。
山巓に到達していないにもかかわらず、
わかった風の人の多いことか。
・・・・って私のことか。

2012/12/12 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月12日
平常心是道

 要するに平生が大事なのです。
このことを昔の人は、
「平常心是道(へいじょうしんこれどう)」と申しています。
ゆまり、
剣を持ったり、
坐禅をしている間だけが修業ではなくて、
むしろ真の修業は、
竹刀を捨て坐禅を解いてから始まるというわけです。
人間もこの辺の趣が分かり出して初めて、
道に入るのです。


勉強している間は、
“仮説”を立てているのですね。
実践に移して初めて修行。
“検証”となるわけですね。
よくわかるお話です。

2012/12/11 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月11日
楽天知命

 いゃしくもわが身の上に起こる事柄は、
そのすべてが、
この私にとって絶対必然であると共に、
最善なはずだ。
 それ故我々は、
それに対して一切これを拒まず、
一切これを却(しりぞ)けず、
素直にその一切を受け入れて、
そこに隠されている神の意志を読み取らねばならぬわけです。
したがってそれはまた、
自己に与えられた全運命を感謝して受け取って、
天を恨まず人を咎めず、
否、
恨んだり咎めないぱばかりか、
楽天知命、
すなわち天命を信ずるが故に、
天命を楽しむという境涯です。


私の場合、
天命を楽しむという境地には程遠いですね。
感謝が足りていないのでしょう。
しかし、
「不必要な体験はない。
 必要な時、必ず必要な人と出会う」
この言葉には何度も救われました。
苦しいとき、
この言葉を心の中で何度も何度も繰り返し、
今体験しているこの苦しみが、
自分にとってどう必要なのかを問い続けました。
これからも
私を救い続けてくれる言葉だと思います。 

2012/12/10 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月10日
生命の奇跡

 そもそも私達が、
こここに人間として、
この世に生命をうけることのできたということは、
決して私達の努力や計らいによるものではないわけです。
すなわち私達は、
自分の努力の報いとして、
ここに万物の霊長たる人問としての生命をうけたわけではないのです。


あくまでも個人的な仮説です。
地球上のすべての物質の量は、
分子レベルでは一定ではないかと思っています。
たとえば、人間増えれば植物や動物が減る。
私たちが成長するために、
植物や動物の分子を形を変えて吸収している。
・・・こんなことを考えています。
・・・・・・変な人ですね。

2012/12/09 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月9日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月9日
生命を慈しむ

 私達が、
自分の生命に対して、
真に深い愛惜の念を持ち得ないのは、
自分の周囲に無数の人々の生死を見ていながら、
しかもそれをわが身の上に思い返さないからです。
さらに一歩をすすめて申せば、
わが身が人問として生をこの世にうけたことに対して、
真の感謝の念を持たないからでしょう。


“奇跡に感謝”
一度の射精での精子の数は1億から4億。
一生のうちでの精子の数なんて計算できません。
排卵は月に一度。
一生のうちには400から500.
私という人間が生まれる確率は、
・・・“奇跡”以外の何ものでもない。
そんなこと知るまでは、
生を受けたことに“感謝”なんて考えてもみませんでした。
 

2012/12/08 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月8日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月8日
一日が一生になる

 今日という一日を、
真に充実して生きるところに、
やがてまた一生そのものを充実して生きる秘訣がある。
・・・・・・結局は一日一日の移りゆきの外ないわけです。


“10年”
過ぎ去ればあっという間。
これから10年を考えると実に遠い。
が、
日々を充実して送っていくと、
「もう10年たっちゃったの」
これが私の実感です。
森先生の言われるように、
“結局は一日一日の移りゆきの外ないわけです”
・・・ですね。

2012/12/07 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月7日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月7日
道理を知る

 人間は読読書によって物事の道理を知らないと、
真のカは出にくいものです。
そもそも道理というものは、
ひとりその事のみでなく、
外の事柄にも通じるものです。


森先生の文章には、
“読書”という言葉がよく出てきます。
研修で得た道理ではなく、
あえて、
「読書で得た道理」
というのが大きなポイントなのでしょう。
文章中の“外の事柄”については、
松下さんも、
「大自然(自然の摂理)から経営を学んだ」
と言われています。
道理がその事のみでなく、
“外の事柄”にも通じることを実践で島示されています。

2012/12/06 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月6日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月6日
生活の鍛錬

 このようなことは、
またわれわれ人問の世界についても言えるようであります。
即ち一人の優れた人格とぴうものは、
決して生やさしいことでできるものではありません。
その人が、
現実生活においてなめた苦悩の一つひとつが、
その人を鍛えて、
その人から生なところを削りとっていくわけです。
すなわち生活の鍛錬が、
その人からすべての甘さを削り取っていくわけです。


人間は必要な時に必要な体験をする。
また、
人間は必要な時必要な人と出会う。
と言われます。
本当のことか根も葉もないことか、
一切責任を持ちませんが、
私は信じることにしました。
それからは、
どんなにつらい状況に追い込まれても、
「自分の成長にとって必要な体験をしているのだ」と、
言い聞かせることができています。
むちゃくちゃ逃げ出したい、
ここからいなくなってしまいたいと、
考えたことも何度もありますが、
今もここにいます。
これからも。

2012/12/05 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月5日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月5日
風雪の鍛錬

 私は老木を見ていますと、
その枝の一つひとつが、
いかに多くの風雪にたえて来たかということを、
しみじみと感ぜしめられるのであります。
いやしくも老木といわれる以上は、
ただ木が大きいというだけではなくて、
そこに一種言いがたい気品とも言うべき趣がなくてはなりません。
そしてその趣は、
風雪によって鍛えられて、
いわばその生なところがことごとく削りとられて、
残すところがなくなったものであります。
それ故植物でありながら、
永年の風雪の鍛錬によって、
そこには一種精神的ともいうべき気品が現れて来るのです。


思いだしました。
結婚前にデートした日御碕。
あそこの松は、
まさに風雪に耐えた松ですね。
日本海の強い潮風、
そして雪があの枝を鍛えたのですね。
人間も鍛えられないとヒョロヒョロと成長してしまうのですね。
・・・さらに思い出しました。
サザエのつぼ焼き食べて、
貝殻の指輪をプレゼントしました。
もちろん典子さんへ。

2012/12/04 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月4日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月4日
老木の味わい

 私は老木を見ることが好きであります。
鬱然(うつぜん)たる老木の姿に接する毎に私は、
そこに完成せられた人間の内面的な消息を、
まざまざと形の上に見る思いがするわけです。
同時にまた、
自分も年老いたならば、
あの老木の持つような味わいを、
多少なりともわが身の上に得られるようでありたいと思うのです。


「念ずれば花ひらく」の故、坂村真民先生が、
まさに老木の味わい代表ではないでしょうか。
2004年に愛媛で行われた、
「詩国発刊500号記念全国朴の大会」、
たぶん先生の最後の講演だと思います。
私も参加し感動をいただきました。
坂村親民記念館が、
今年の3月21日にオープンしたそうです。
没後も“屋久杉”のように、
多くの人を見守りつで化ておられるのですね。
・・・真民先生の詩に曲をつけてCDにされている、
眞柄征侑(まがらせいゆう)さんの歌を聞きたくなりました。

2012/12/03 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月3日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月3日
単純なものだからこそ

 植物というものは、
動物、とくに人間から見れば、
生命の最も低い発現段階といつてよいでしょう。
すなわち、
宇宙の大生命は、
植物としては、
その最も単純な姿を示すわけです。
が同時にまたすべて単純なものは、
つねに自己の全体の姿をはっきりと現すと言えましょう。


15年前、
ふみさんが飾ってくれたのかな?
水栽培のスイセンが、
窓辺に置いてありました。
普段土の上に見えている、
花や葉っぱなどの華やかな部分よりも、
根のボリュームに驚かされました。
植物だけでなく、
人間も同じですね。
人から見えないところでどう成長するかだと知りました。

2012/12/02 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月2日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月2日
一人間的威力を鍛錬する

 真の修養養とは、
人間的威力を鍛錬することです。
無力なお人よしになることは、
大よそ天地隔たることと言ってよいのです。
つまり真の内面的な自己を築くことです。
その人の前では、
おのずから襟を正さずにはいられないというような人間になることです。


空手の師、河野正義師
尺八の師、武田摂山師
経営の師、小山昇師
わたくしは、師の前では完全に襟を正しています。

2012/12/01 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著12月1日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 12月1日
天真

 人間という物は、
その人が偉くなるほど、
次第に自分の愚かさに気付くと共に、
他の人の真価がしだいに分かってくるものであります。
そして人間各自、
その心の底には、
それぞれ一箇の「天真」を宿していることが分かってくるのであります。


なるほど、
本当に偉い人というのは、
使命の書かれている、
持って生まれた自分の封筒を開封するだけでなく、
仲間の持って生まれた封筒までが見えるようになるのですね。
「実るほど首を垂れる稲穂かな」
というのは、
まだまだ道半ばの修行中の人なのかもしれませんね。 
・・・深いですね。

2012/11/29 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月30日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月30日
死に際は修養の結晶

 人間も死に際が悪いと、
その人の一生を台無しにしますが、
しかし死に際のいかんは、
その人の生涯を貫く心の修養の結晶であり、
その結実と言ってよいでしょう。
それ故お互い人間は、
平素から常に最後の場合の覚悟を固めて置かなければならぬと思うのです。


そうですね。
“人間はいかに送られるか”
のテーマに向かって、
修行の人生を歩んでいると言えるのですね。
私の大好きな経営者にひとり、
本田宗一郎氏は、
1991年8月5日に亡くなりました。
本田氏の、
「車屋の俺が、葬式を出して
       大渋滞を起こしては申し訳ない」
との意思で、
全国六か所で「お礼の会」という形をとったそうです。
本田氏の写真の横には、
「皆様のおかげで、幸せな人生でした 
        どうもありがとう。  本田宗一郎」
と掲げられていたそうです。

2012/11/29 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月29日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月29日
生理と精神

 生まれつきとしては、
肉体的にいかに強壮な人でも、
もしその人が性欲を守る点で厳しくなかったら、
将来必ず弥衰える期が来るのであります。
同時にまたこれに反して、
その生まれつきとしては、
さまで健康でない人でも、
もしその人が性欲を制御することがきびしかったとしたら、
その人はよく天寿をたもち、
永く精神的な活動に堪えることができるのであります。


性欲は強いほど良い。
人間のエネルギーの源は性欲である。
ただしそれを正しくコントロールできる人だけが、
エネルギーを成功に向かうためのパワーに変える。
このような内容が、
以前読んだ芳村思風先生の“人間の格”という、
分厚い本に書いてありました。
広ガスたかたでには、
いないと思います・・・が、
一応再確認のため。
社内不倫は二等級降格です。

2012/11/28 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月28日
心の養分は足りているか

 ひとたび「心の食物」ということになると、
我々は平生それに対して、
果たしてどれほどの養分を与えていると言えるでしょうか。
からだの養分と比べて、
いかにおろそかにしているかといいうことは、
改めて言うまでもないでしょう。


心の食べ物といえば、“ストローク”。
広ガスたかたのベテラン社員さんたちは、
幸せの心理学セミナー(交流分析)、
で何度も聞いています。
たいていの場合、
記憶ではなく聞き流しています。
聞いたことをすべて記憶できる人はいませんからそれは普通です。
社内では毎日、
何枚もの“サンクスカード”行きかっています。
実はこの“ありがとう”こそが“ストローク”。
心の栄養分なのですね。

2012/11/27 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月27日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月27日
プラスの裏にマイナスあり

 人問は、
順調ということは、
表面上からはいかにも結構なようですが、
実はそれだけ人間が、
お目出たくなりつつあるわけです。
すると表面のプラスに対して、
裏面にはちゃんとマイナスがくっついているといつ始末です。


中学で“作用”と“反作用”を習ったことを思い出しました。
たとえば、人が何か物を押したら、
その物から同じ力で押し返されている。
・・・あまり関係ないか。
人間は、
「順調期に浮かれて遊んでいると、
          将来苦しむ種をまくことになる。
 障害を乗り越えようと苦労しているときは、
          将来順調に行く種をまいている」
と言われます。
常に、
プラスの裏にはマイナスがあるということですね。
相当に意識を払っていないと、
この公式通りの人生を歩んでしまいます。
少し前の中村さんの返信メールにも書いてありました、
天才サッカー選手と言われた前園選手が頭に浮かびます。

2012/11/26 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月26日
わが轍を踏むなかれ

 度々申すことながら、諸君!!
この人生は二度とないのです。
諸君らにして志を立てなかったならば、
おそらくまた私の轍(てつ)を踏むことになりましょう。
私は今自分の過去四十年の愚かなる足跡を省みつつ、
翻(ひるがえ)って諸君らの前途を想望する時、
うたた感慨に堪えないものがあるが故に、
あえてこのようなことを申すしだいです。


経験だけに頼ると、
同じ轍を踏みながら成長していきます。
「全く必要のないこと」
とは考えていません。
あえて同じ轍を踏みながら会得させる場合もあります。
が、
「私は運よく死なずに済んだが・・・」
なんていう経験はしないほうがよい。
下手すると本当に死んじゃいます。
数学の関数などは、
経験だけで公式を導き出すことなど、
私にはできませんので、
公式を習うしかないでしょう。
いくら轍を踏んでも同じところまで行けるとは限りません。
先人からどんどん学んだほうが得ですね。
“たくさんの本、特に伝記を読むこと”と、
森先生は言われています。 

2012/11/25 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月25日
空気の濁りに気付く

 教師師というものは、
とくに冬向きになったら、
教室の空気がどの程度濁っているかということが、
点数でピシリと言えるようでなければいけないのです。
この教室の空気は、
今日はまず六十点くらいのものです。
教師として教室の空気の濁りに気付かぬというのは、
その精神が緊張を欠いている何よりの正拠です。


「冬向きになったら・・・」
と書いてありますので、
ここでは教室の室内空気の汚れのことだと思います。
私はあえて、
「KY(空気が読めない)」
のほうの“空気”に焦点を当てます。
幹部や管理者など部下を持つ人たちは、
組織内の空気を読むということは特に大切ですよね。
“空回りパターン”の人って、
組織の空気が濁っていても気づいていないことが多いのかな。

2012/11/24 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月24日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月24日
順逆を越える

 人間は、
この「暑い」「寒い」と言わなくなったら、
そしてそれを貫いて行ったとしたら、
やがては順逆を越える境地に至ると言ってよいでしょう。


暑い寒い。
「そんなことに、
 一喜一憂するほどのことではありません」
という境地なのでしょう。
他人の噂とか、
他人からの評価とかに、
何かと振り回される人の多いことか。
もっとひどいのは、
芸能人が結婚したとか離婚したとか、
写真誌に写真撮られたとか。
せめて、
私たちの人生に何の影響もないようなことに、
一喜一憂するのはやめたいものですね。 

2012/11/23 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月23日
「暑い」「寒い」を禁句にせよ

 これから次第に冬に入りますが、
諸君はなるべく「寒い」という言葉を使わないように―。
われわれ人間も、
この「暑い」「寒い」ということを言わなくなったら、
おそらくそれだけでも、
まず同じ職域内では、
一流の人間になれると言ってよいでしょう。


言っても状況が変わらない、
言ってみたところで仕方のない言葉ですね。
かえってまわりをイラつかせたりする場合もあります。
気を付けましょう。
・・・・・・私は二流以下・・・か。

2012/11/22 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月22日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月22日
限りなく求めよ

 真の修業とは、
つねに限りなく求めることの外ないのです。
すなわち自己に与えられた生命の限りを、
どこまでも生かそうとすることです。


なるほど、
そういうことですか。
だから歴史に残る大経営者は、
一線を引いた後も“完全引退”をせず、
いろいろな方面での活躍をされるのですね。
京セラの稲盛和夫名誉会長なんて、
JALの立て直しまでやっちゃうもの。
“命の限りをどこまでも生かす”代表の一人ですね。

2012/11/21 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月21日
一気呵成

 すべて実行的な事柄というものは、
原則としては「一気呵成(いっきかせい)」ということが、
事を成す根本と言ってよいでしょう。


「事を成す」とは、
山を越える瞬間や、
障害を乗り越える瞬間のことだと考えています。
超えるための努力始まりは、
修行や稽古といわれる成果の見えにくいものかもしれません。
しかし、
超える瞬間は“一気”出なくてはならないのです。
車を追い越すとき、
対象車よりもわずかに早いだけのスピードだと、
追い越しに時間がかかりすぎ危険極まりありません。
最も勢いがいるのは、
「事を成す」瞬間ですね。

2012/11/20 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月20日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月20日
態度はどうか

 人が真に自分を鍛え上げるには、
現在自分の当面している仕事に対して、
その仕事の価値いかんを問わず、
とにかく全力を挙げてこれにあたり、
一気にこれを仕上げるという態度が大切です。
そしてこの際肝要なことは、
仕事のいかんは問題ではなくて、
これに対する自分の態度いかんという点です。


「職業に上下もなければ貴賤もない」
私の大好きな詩の書き出しです。
何度も登場する森先生の詩です。
「仕事のいかんは問題ではなくて、
 これに対する自分の態度いかん」
なのですよね。

 
 職業に上下もなければ貴賤もない。
 世のため人のために役立つことなら、
 何をしようと自由である。
 しかし、
 どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
 すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。
 それから十年本気でやる。
 すると四十までに頭をあげるものだが、
 それでいい気にならずにまた十年頑張る。
 すると、
 五十までには群を抜く。
 しかし五十の声をきいた時には、
 大抵のものが息を抜くが、それがいけない。
 「これからが仕上げだ」と、
 新しい気持ちでまた十年頑張る。
 すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。
 だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、
 それから十年頑張る。
 すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。
 しかし、
 それからまた、十年頑張る。
 するとこの10年が一生で一番面白い。

2012/11/19 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月19日
一時一事

 自分が現在なさなければならぬ事以外のことは、
すべてこれを振り捨てるということと、
なすべきことに着手するということは、
元来、
一つの事の両面とも言うべきであって、
この点は、
おそらくわれわれが仕事をし果たす上で、
一番の秘訣かと思うのです。


「選択と集中」ですね。
手に荷物をいっぱい持っていながら、
重要そうな次の物を手にしようとする。
・・・荷物が崩れてしまいます。
下手すると怪我もしかねない。
何を置くのか、
または捨てるかを意思決定しないと、
知らない間に大切なものを失っていたりする。
ってことでしょうね。

2012/11/18 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月18日
短い時間をむだにしない

 今日一日の仕事を、
予定通りに仕上げるには、
一体どうしたらよいでしょうか。
それにはまず、
短い時間をむだにしないということでしょう。


「移動時間を有効に使う」
車の移動時間は、
講演CDを聞いたり、
ボイスメールのチェックをしたりしています。
が、
車では携帯がつかえない。
手がつかえない。
目は正面を見ている。
などの制限があり、
最近はJR芸備線を利用することもしばしばです。
実はもう一つすごいことがあります。
数年前、吉越浩一郎氏の本に書いてあっ他のですが、
「トイレで隣合せても会議をする。
 一分、二分の時間で結論を出す」
との内容でした。
当時信じられませんでしたが、
広ガスたかたでもその傾向が見られます。
幹部、管理者がいくつかの結論をもって、
会議に挑んでくれますので、
私の結論は、
「YES」「NO」で終了するのです。
・・・あくまでも傾向です。
ズルズルと時間をオバーする会議も度々。

2012/11/17 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月17日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月17日
宗教・哲学の役割

 自分の情熱を深めていくには、
一体どうしたらよいかというに、
それはやはり偉人の伝記を読むとか、
あるいは優れた芸術品に接することが、
大きなカになることでしょう。
そしてそれを浄化するには、
宗教及哲学が大いに役立つものです。


“本物”により時間をかけて接することだと考えています。
「お宝鑑定団」というTV番組が人気ですが、
鑑定団のメンバーは、
知識に加え、
数多くの本物を見て来たということだと思います。
森先生は最後に、
「そしてそれを浄化するには、
 宗教及哲学が大いに役立つ」
と書かれています。
使命の書かれた封筒を開封するときに必要な、
最後の道具なのかもしれません。
追伸。
昨日インタビューさせていただいた、
書道家の三好直美先生も、
所だけではなく、
全ての芸術の“本物に接する”。
というお話をされていました。 

2012/11/16 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月16日
自覚的な一歩を

 諸君、
試みに深夜、一本のローソクを机の上に立てて、
端座瞑目(たんざめいもく)して、
過ぎ去った自分の過去を顧みてごらんなさい。
そして自分がすでに、
人生の四分の一近くを空費したことに想い至る時、
諸君よ、
果たしてどのような感慨に打たれるでしょうか。
その時諸君らの人生は、
初めて真に自覚的な一歩を踏み出すとも言えましょう。


結婚のタイミングで考えましたね。
正確には結婚後5年間くらいでしょうか、
ことあるごとに、
いい加減に生きてきた自分と向き合ってきました。
妻をめとり子供が生まれ、
「命がけで守らなくてはならない」
というという自覚が芽生えことがきっかけでした。
“師”を本当に師と思えたのもこのころです。
それまでは、
一人で大きくなった気でいましたもの・・・。 

2012/11/15 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月15日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月15日
酔生夢死の徒

 人聞が志を立てるというこしとは、
いわばローソクに火を点ずるようなものです。
ローソクは、
火を点けられて初めて光を放つものです。
同様こまた人間は、
その志を立てて初めてその人の真価が現れるのです。
志を立てない人間というものは、
いかに才能のある人でも、
結局は酔生夢死(すいせいむし)の徒にすきないのてす。


「エンジンに火を入れる」
という表現もあります。
くるまはエンジンに火が入らなくなると、
ポンコツ置き場へ送られます。
またはエンジン載せ替えかな。
エンジンを降ろした車の価格はただみたいなもので、
部品取り用に使うくらいでしょうね。
人間も“志”という火を入れてはじめて走り出すのですものね。
チョー納得です。

2012/11/14 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月14日
真実はいつか輝き出す

 世の中ほど正直なものはない。
ほんとうの真実というものは、
必ずいつかは輝き出すものだと思うのです。
ただそれがいつ現れ出すか、
三年、五年にして現れるか、
それとも十年、二十年たって初めて輝き出すか、
それとも生前において輝くか、
ないしは死後に至って初めて輝くかの相違があるだけです。
人間も自分の肉体が白骨と化し去った後、
せめて多少でも生前の真実の余光の輝き出すことを念じるくらいでなければ、
現在眼前の一言一行についても、
真に自己を磨こうという気寺ちにはなりにくいものかと思うのです。


昨日分メールの解説のような一言ですね。
芸術家、
特に“絵”に関しては、
作者の死後に評価が上がるということをよく聞きますね。
信じ、念じ、
正義の道を歩むこと。

2012/11/14 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月13日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月13日
生命の波紋

 人問は、
いかに低い地位にあっても事実をもって一貫すれば、
死後にもなおその周囲に、
生命の波紋を描き得ることが明らかであります。


「冤罪事件」での無罪判決が続いています。
“事実をもって一貫する”
とはそういうことかもしれません。
“検察の証拠ねつ造”なんって、
私は信じていませんでした。
・・・が、
最近はたくさん出てきています。
・・・というか昔から沢山あったのでしょうが、
隠しきっていたのでしょうね。
正義は必ず勝つ。

2012/11/12 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月12日
誠に至る道

 誠に至るのは、
何よりもまず自分の仕事に全力を挙げて打ちこむということです。
すなわち全身心を捧げて、
それに投入する以外にはないでしょう。
かくして誠とは、
畢竟するに「己れを尽くす」という一事に極まるとも言えるわけです。
 すなわち後にすこしの余力も残さず、
ひたすらに自己の一切を投げ出すということでしょう。


分かる気がします。
あくまでも“気”です。
大成功経営者の話の中で共通していることの一つ。
「生まれ変わったら同じ人生を送りたいですか?」
との問いに、
「送ってきた人生に悔いはないが、
 生まれ変わったってまで、
 また同じ苦労をしたくない。
 一度で十分だ、やりきった」
と答えています。
大成功経営者は、
“後にすこしの余力も残さず、
 ひたすらに自己の一切を投げ出す”
ことで、
“誠”に至った人たちなのだと思うのです。 

2012/11/11 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月11日
実践して分かること

 廊下の紙屑というものは、
それを見つけた人が拾ってやるまで、
いつまでもそこに待っているものです。
もっともこれは、
紙屑を拾うように努めている人だけが知っていることなんですが―。
このように世の中には、
実践しなければ分からない世界が限りなくあるものです。


10年以上、
毎日続けているこのメールもしかり。
幹部や管理者の皆さんには、
このメールに返信もしていただいております。
やり続けていると分かること、
気づくことがたくさんあります。
やらない人には一生分からないことです。

2012/11/10 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月10日
自修の決心

 真の修身科は、
いつも申すように、
自分の一生の志を立てることが根本です。
つまり自分の生涯を貫く志を打ち立てるということです。
人間も自己を修めないことには、
真の人物になることはできません。
このことを痛感して、
自修の決心を打ち立てる時、
そこに初めて真の修身科が始まるわけです。


若いころは、
“利”
しかも“私利”が優先でした。
しかし“利”優先してを追い求めると、
失うものも多いことにも気づくことができ、
“大義名分”を探し始めました。
もちろん借り物のようなものです。
が、
借り物を何度も口に出し、
無理やり行動を近づけ続けることにより、
少しずつではありますが、
身体に浸み込みはじめたように思うのです。
中心まで達すると、
“志”というのかもしれませんね。

2012/11/09 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月9日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月9日
教えのカ、教えの光

 他人、とくに自分の平生(へいぜい)親しくしている同級生とか同僚などの、
優れた点に気付くということは、
結局その根本において、
教えのカによらなければならぬでしょう。
 つまり人間というものは、
教えの光に照らされなければ、
たとえ幾年、
否、時としては十数年の永きにわたって交っても、
この点に対する深い自覚こは至りがたいものであります。
けだし教えの光に照らされるということは、
つまりは自分の醜さが分かり出すとしうことからてす。


森先生のおしゃるとおりです。
学生時代は自分の醜さなんて自覚していませんでした。
社会人としてましになり始めた、
30歳前後からでしょうか。
“普通”というのがどういう事かが分かるにつれ、
「落ちこぼれ」であったことを自覚するようになりました。
それからですね、
本当に勉強し始めたのは。
皆さんに比べ随分遅いスタートでしたが、
あきらめの悪い私は、
51歳になった今も学び続けています。
 

2012/11/08 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月8日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月8日
政治と教育

 人間救済の情熱は、
これを大別する時、
結局、
政治と教育というニつの現れ方をすると言ってよいでしよう。
 すなわち政治は外を正すことによって、
内をも正そうとするものであり、
教育はこれに反して、
内を正すことによってついには外をも正そうとするものであります。
したがってその現れる方向こそ違え、
政治と教育とは、
本来不可分のものでなくてはならぬはすであります。


広ガスたかたの改革も同じですね。
教育と仕組み(政治)の二本立てで進めていきました。
大きく変化をしたのは仕組みによるところが大きいのですが、
実は、
仕組みに取り組む以前から、
教育に時間とお金をかけていたからこそ、
改革も進んでいったのです。
日本経営品質賞の「経営革新奨励賞」は、
その結果ですね。
 

2012/11/08 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月7日

 117

 一道に徹する

 すべて人間は一道に徹すると、

国家社会の相がはっきりと見えてくるものです。

同時に一度そこに眼が開かれると、

自己に対しては無限の精進、

後に来る者に対しては無限の愛情が湧くのです。

まあこの辺のことは、

諸君たちが今後怠らずに道を求めていけば、

しだいに分かってくることでしよう。

この内容の文章の時にいつも登場していただく、

坂田道信先生。

ハガキ道の達人、

っていうかハガキ道を作った人です。

「複写はがき」

が人生のすべてと言えるくらい、

一道に徹しておられます。 

 

☆☆★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 広島ガス高田販売株式会社

                住吉 峰男

 

2012/11/06 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月6日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月6日
教育の根本動力

 真の教育とは、
人材を植え付けることによって、
この現実の世界を改革しようとするたくましい意力を、
その根本動力とするものでなくてはならぬはすです。


とても心に響く文章です。
15年前、
社長に就任し、
それまでに少しずつ描いていたビジョン向かい出航しました。
保守的なLPガス業界からの脱皮もその手段の一つでした。
が、当時社内にも理解者はおらず、
一人ぼっちで遭難しているような状態でした。
そこから、
まさに一人ずつ人材を植え付ける思いで仲間を作っていったのです。
・・・本当に苦しんだ時期でした。
前進を続けていると次つぎ新たな障害が現れますが・・・。

2012/11/05 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月5日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月5日
真の教育者

 真の教育者は、
少なくとも二十年、三十年先の国家のことを、
常にその眼中に思い浮かべていなくてはならぬ。


私たちは、
ある意味教育者でもありますが、
本業は“実戦家”。
真の実戦家も、
 「少なくとも二十年、三十年先の国家のことを、
  常にその眼中に思い浮かべていなくてはならぬ」
ここは共通しています。
私たちは200年続く企業をめざし、
150年先の地域社会のことを、
常にその眼中に思い浮かべていなくてはならないのですね。 
 

2012/11/04 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月4日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月4日
国家と国民

 一つの国家においても、
その成員たる一人びとりの国民が、
いかほど深く国家民族の使命を自覚しているか否かによって、
その国家の運命に重大な相違が生ずると言えるわけであって、
これは何人にも明らかな道理であります。


大切なことですよね。
今の日本は、
“己”を尊重しすぎる。
昔の人が現代によみがえったとしたら、
日本中が“自己チュー”だらけと思うかもしれませんね。
生きることが大変であった時代は、
皆が助け合いながら必死で生きてきたのだと思います。
豊かになり、
一人でも生きていける時代になってしまったことで出てきた弊害かも知れません。
広ガスたかたは、
「全社員、力を合わせて生き続けていく」
そんな企業文化を創造していきたいと考えます。
 
 

2012/11/03 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月3日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月3日
生死一如

 われわれは、
自己の生に徹することによって生を超えると共に、
そこにおのずから死をも超える道が開かれてくるのであります。
かくして人生を真に徹して生ききる人には、
生死はついに一貫となり、
さらには一如ともなるわけであります。


「生死一如」
私には難解ですね。
“人生を真に徹して生ききる人”
とは、
自分の人生というよりも、
生きざまと言いましょうか、
なしてきたことと言いましょうか、
そういうものが、
自分の死後にも多くの人に影響を与える。
ということが、
「生死一如」かなと感じています。

2012/11/02 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月2日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月2日
存在感

 真に偉大な人格は、
これに接した人々が、
直接眼のあたりその人に接していた時よりも、
むしろその膝下を去って、
初めてその偉大さに気付くものであります。
金剛山の高さは、
山の中にいる時よりも、
これを遠ざかって石川河畔に立ち、
さらには河内平野に立つ時、
いよいよその偉容を加えて来るのであります。


ガス屋の修行時代にお世話になった会社の当時の専務がそうでした。
色々と勉強させていただいた修行時代には、
業界とは異質の発想であったり、
ワンマンな人だと感じたりしておりました。
もちろん経営手腕はすごい方でした。
3年間の修行の後、
広ガスたかたに入社しまし現在に至っておりますが、
私の業界異質発想の原点は、
当時聞かせていただいていたお話がヒントになっています。
社会に出て、
右も左もわからない若造に、
自分の発想や経営の考え方をご教授くださいました。
・・・当時は何のことやら???で聞いていましたが、
経営者の端くれになってみて、
やっとその偉大さが見えてきました。

2012/11/01 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月1日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 11月1日
偉大なる信念

 もしその人にして真に偉大だったとしたら、
その人は必ずや偉大な信念の所有者であり、
そして偉大な信念に基づく言行は、
必ずや何らかの形態において、
死後に残るはすであります。


「信念」と「継続」
私のシステム手帳に、
20年以上綴じ続けてある言葉です。
松下さんの日々の言葉の中の
「人生は、
 演出も演技も自分でする生きた芝居、
 腕次第、やり方次第でいくらでもいい芝居になる」
と共に、
墨をすり、毛筆で記した、
私にとってとても大切な言葉です。
・・・私の取組みが、
私の死後に残るかどうかは分かりませんが、
会社は200年を目指し歩み続けていることでしょう。

2012/10/31 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月31日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月31日
人を教える道

 人を教える道は、
一転して、
自ら学ぶ果てしのない一道となる。


価値観を共有するための勉強会を初めて4年?。
それ以前つづけていた、
朝礼での一言も価値観を共有するためのものでした。
正直、
それがなければ今ほど、
本を読んだり、新聞読んだり、セミナーを受講したりと、
ここまで時間とお金をかけ、
継続をしてないことは間違いのないですね。

2012/10/29 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月30日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月30日
齢を尊ぶ

 松陰先生は、
人間にして、
爵(しゃく)の尊さを知って徳の尊さを知らないものは、
その愚かなこと言うまでもないが、
しかし徳の尊さを知って齢(よわい)の尊ぶべきを知らないものは、
未だ真の人物とは言いがたいということを、
その『講孟余話』の中で申しておられます。


爵(しゃく)=身分
齢(よわい)=年齢


年上を尊ぶ人が真の人物ということですね。
先生とは、
“先”に“生まれる”と書きますものね。
態度や言葉には特に気をつけましょう。

2012/10/29 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月29日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月29日
理論を真のカに高める

 そもそも人間というものは、
単なる理論だけで立派な人間になれるものではありません。
理論が真に生きてくるのは、
それが一個の生きた人格において、
その具体的統一を得るに至って、
初めて真のカとなるのです。
したがって諸君らも、
単に理論の本を読んでいるだけでは、
決して真のカは湧いてこないのです。


私たちは、
勉強家を目指してはいけないということですね。
目指すは“実戦家”。
プロセスとして必要なのが“勉強”ですね。

2012/10/29 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月28日
優れた人格を尊敬する

 真に自分を鍛えるのは、
単に理論を振り回しているのではなくて、
すべての理論を人格的に統一しているような、
一人の優れた人格を尊敬するに至って、
初めて現実のカを持ち始めるのです。
同時にこのように一人の生きた人格を尊敬して、
自己を磨いていこうとし始めた時、
その態度を「敬」と言うのです。


理論を“芯”に落とし込むことではないかと思います。
表面的理論でなく、
自分自身の“芯”となるくらいまでに落とし込むためには、
実戦を繰り返し身体に染み込ませていく。
染み込むくらいゆっくり“芯”に到達していく。
実戦とは「真似」ることですね。
そこまで徹底して真似ることが出来るのは、
尊敬がなせる技ということでしょう。

2012/10/29 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月27日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月27日
純情素朴な魂

 真に大きく成長してやまない魂というものは、
たとえ幾つになろうと、
どこかに一脈純情な素朴さを失わないものです。


子供の純朴さを見てるとわかるような気がします。
見るものすべてに興味津々。
だから吸収も早く成長も目に見えるのですね。
何歳になっても子供のように純朴にいたいものです。

2012/10/26 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月26日
感動が進歩の源になる

 情熱というものは、
まず物に感じるという形をとって現れるもののようです。
したがって感激とか感動とかいうものは、
その人の魂が死んでいない何よりの証拠です。
ですからわれわれ人問は、
感激や感動のできる間は、
まだその人は進歩する可能性を持っていると言ってもよいでしよう。 


なるほど。
“魂”が死んでしまっていると“感動”しないのですね。
本当によくわかります。
逆に、
“感動”を積み重ねると、
“魂”に大きな火がつくのですね。
目指せ、“感動企業”
燃やし続けろ“魂の火”

2012/10/25 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月25日
三昧境を味わう

 我々れが真に、
自己の充実を覚えるのは、
自分の最も得意としている事柄に対して、
全我を没入して三昧(ざんまい)の境(きょう)にある時です。
そしてそれは、
必ずしも得意のことではなくても、
一事に没入すれば、
そこにおのずから一種の充実した三昧境を味わうことができるものです。


今年もいよいよドラフト会議ですね。
日ハムは大谷を指名すると言ってます。
我らのカープは、
高校No・1左腕、東福岡の森を1位指名らしい。
ドラフトにかかる選手たちは、
得意としていることに全力を投入した人たちですね。
・・・本当の勝負はこれからですが。
一方、
安芸高田市の生んだ“はがき道”の達人、
坂田道信先生は、
文章どころか漢字を書くことすら得意ではなかったそうです。
「一事に没入すれば、
 そこにおのずから充実した三昧境を味わうことができる」
を証明した偉大な達人です。

2012/10/24 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月24日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月24日
人生の意義は深さにある

 人生の真の意義は、
その長さにはなくて、
実にその深さにあると言ってよいでしょう。
ではそのように人生を深く生きるとは、
そもそもいかなることを言うのでしょうか。
畢竟するにそれは、
真実に徹して生きることの深さを言う外ないでしよう。 


・・・まだまだ未熟で「わかる」とは言えません。
わかるような気がします。
一生の間に、
「何をなしたか」が深さではないかと思うのです。
これまで51年生きてきて、
真実に徹して生きようとすることは、
とてもしんどいことですが、、
反面、
とても楽しく、やりがいのあることだと感じています。

2012/10/23 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月23日
石川理紀之助と二宮尊徳

 石川理紀之助翁のごときは、
一人大なる読書家というのみでなく、
いろいろの著述までもしていられるのであります。
翁の起床は、
大抵午前一時、二時であって、
それから夜明けまでの数時間を、
翁は読書と著述に専念せられたということです。
 さらに尊徳翁に至っては、
その生涯の著述は全集三十六巻を数える程であって、
おそらく日本人の全集中、
最大なるものと言えましょう。
しかもそれがいわゆる学者と言われるような人でなくて、
もっとも忙しい浮世の実務に没頭されながら、
なおかつこれだけのカを蔵していられたということは、
ただただ驚嘆の外ないのです。

*石川理紀之助翁は、
 明治時代の農村指導者。
 生涯を貧しい農村・農民の救済と指導に捧げた。
 「老農」「農聖」と呼ばれる。

はじめて石川理紀之助翁のことを知りましたが、
二宮尊徳の生まれ変わりのような人ですね。
二宮尊徳翁と言われて頭に浮かぶのは、
「積小為大」
  大事を成さんと欲する者は、
   まず小事を務むべし。
   大事を成さんと欲して小事を怠り、
  その成り難きを憂いて、
  成り易きを務めざる者は、小人の常なり。
  それ小を積めば大となる。
大成功のコツはただ一つ。
“小さなことをコツコツと”ですね。
 

2012/10/22 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月22日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月22日
真の読書 

 真の読書というものは、
自分の内心の已むにやまれぬ要求から、
ちょうど飢えたものが食を求め、
渇した者が水を求めるようであってこそ、
初めてその書物の価値を十分に吸収することができる。


わかる、ものすご~く。
経営者としての経験が今よりももっともっと不十分だったころ、
壁にぶち当たるなどの障害に出くわすたび、
偉大な経営者の本の中から答えを探し続け、
大きな本屋さんで本をあさっていました。
不思議なことに、
悩み事のヒントになる本は、
キラリと輝きを放って私を誘っておりました。
・・・悩みに本のタイトルが一致したからかな?
・・・・・・買ったっきりの本もありますが。

2012/10/21 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月21日
偉大なる実践家は大なる読書家

 そもそも我々は、
真の確信なくしては、
現実の処断を明確に断行することはできないのです。
ところが真に明確な断案というものは、
どうしても道理に通達することによって、
初めて得られるものであります。
そこで偉大な実践家というものは、
一般に大なる読書家であり、
さらには著述をもなし得るていの人が多いと言えるわけです。


すべて自分で経験するには人間の一生は短いですね。
だから先人の経験を利用させていただきます。
それが本だと考えています。
さらに時代を担う人へ経験を残す。
私は本は書きませんが、
会社のオフコンやパソコン、
仕組みや資料に経験を蓄積しております。
多少は役立つかな…?
 

2012/10/20 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月20日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月20日
誠によって貫く

 人間の真価が、
本当に認められるのは、
その人の死後に相違ないですが、
しかもその真価は、
死後にあるのではなくて、
実に生前の生活そのものにあることを忘れてはならぬのです。
結局一ロに申せば、
その人の一生が、
いかほど誠によって貫かれたか否かの問題でしょう。


100%の誠って人はいない。
広ガスたかたの社員さんが、
通勤で必ず使う国道54号線。
制限速度50㌔、
過去に一度も超えていない人はいない。…と思う。
が、
制限速度を守って走っていると、
後ろに隊列が出来てしまう。
屁理屈と誠をきちんと整理し、
真の誠で生きていきたいですね。

2012/10/19 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月19日
平生の持続が大切

 人間というものは、
平生、事のない場合においても、
下坐行として何か一つニつは、
持続的に心がけてすることがなければ、
自分を真に鍛えていくことはできにくいものです。


30歳くらいの時から続けていた会社のトイレ掃除。
5年くらい前から、
全社員での環境整備活動に吸収されました。
今も現在進行形と言えば、
毎日社員さんへ送っている、
“つぶやきメール”があります。
12年になるのかな?
尺八も13年かな?
なんとか辞めずにつづけた10年と、
やっと欲が出始めてからのこの3年。
都山流だけではなく、
菊水流をまなんだり、
尺八演奏家の米澤浩先生の指導を受けるようになりました。
つぶやきメールや尺八も10年以上続けていると、
気付かされることが多々あります。
「継続は力」です。

2012/10/18 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月18日
心の隙

 目下の者が甘えるとか、
さらにはつけ入るなどということは、
結局は上の者の方が、
先に心の隙を見せるからです。


一言で言うと“甘い”ってことです。
が、
寸分の隙もなく作られた“ギア”は、
動きが渋くなるそうですよ。
“絶妙の隙間”を探り続けましょうね。

2012/10/17 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月17日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月17日
思いやりの源

 目下の人に対する思いやりというのは、
まず自分自身が、
目上の人に対してよく仕えるところから生まれてくると思うのです。


「痛みのわかる人」
という言い方をしますね。
出産というのは痛みを相当に伴う、
本当に大変な一大イベントです。
が、
男にはわかりません。
「男はあの痛みに耐えられない」
という話を聴いたこともあります。
でも男は誰も知りません。
経験者だけが知っています。
「思いやりの源」も経験者だけが知る真実なのですね。 

2012/10/16 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月16日
不遇を鍛錬の機会とする

 下坐行ということは、
その人の真の値打以下のところで働きながら、
しかもそれを不平としないばかりか、
かえってこれをもって、
自己を識り自分を鍛える絶好の機会と考えるような、
人間的な生活態度を言うわけです。


ナポレオン・ヒルをきっかけに、
成功へのスッテップ本を何冊も読みました。
森先生が書かれている内容が、
どの本にも書かれていたように思います。
私は、
何か辛いことや障害に出くわすと、
天から与えられた修行の場だと、
無理やりにでも言い聞かせていました。
・・・そうしないと逃げ出したくなってしまうのです。 
幸い、
今のところ逃げ出さずにここにいます。

2012/10/15 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月15日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月15日
苦しい目に出遭ったら

 人間苦しい目に出遭ったら、
自分をそういう目に遭わせた人を恨むよりも、
自分のこれまでの歩みの誤っていたことに気がつかねばなりません。
かくして初めて自分の道も開けるのです。
また人間の内面的な強さや、
しなやかさも、
かくして初めて鍛えられるのです。


「恨む」
という顕在意識での自覚はまだましかもしれません。
潜在意識の中で「恨む」が自分を形成し、
ひねくれた性格を作っていく。
これは「恨む」という感情だけでなく、
生い立ちでの様々な体験が影響します。
ひも解くのは大変です。
私は30歳くらいの時に、
心理学で用いられる「交流分析」を知り、
自分自身をひも解いていきました。
・・・もちろん解けきれてはいませんが。
残ってる資料の数をみると、
10回くらい受けたのかな大友さんのセミナー。 

2012/10/14 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月14日
地位をわきまえる

 そもそも人問の値打というものは、
人物としてはその上位者よりも、
その人の方が優れているとしても、
自分の地位が低ければ、
それ相当に相手を立てて尊敬するところに、
初めて人の心を打つものがあるわけであります。


わきまえているつもりです。
・・・が、
一つだけ。
先代経営者と話をすると、
ついつい感情が走りすぎてしまうのです。
親子の話だけならましなのですが、
仕事の話になると今でも・・・、
反省しつつも繰り返し。
知り合いの経営者のところでも、
似た話を結構聞きますね。 

2012/10/13 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月13日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月13日
対話の心得

 対話の際の心得ですが、
それには、
なるべく相手の人に話さすようにする。
さらに進んで相手の話を聞こうとする態度が、
対話の心がけの根本と言ってよいでしょう。
 つまり、
なるべく聞き役に回るということです。
もちろん、
全然喋らないというのも面白くありませんが、
しかし自分は主として聞き役に回って、
相手に何ら不快の感じをさせないというのが、
対話としては上乗なるものでしょう。


小山さんの鞄持ちやったとき感じましたね。
聴くと決めたらとことん聞く、
延々30分“相づち”だけ。
真似賞としましたが、
最後まで黙って聞いてるうちに、
最初の方の話を忘れてしまう始末です・・・。
そこまでは出来なくても、
「主として聞き役に回る」
しっかりと心していきます。 

2012/10/12 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月12日
リズム感と修養

 歌や俳句をやることは、
諸君がリズム感を磨く上で、
最も良い方法だと思います。
つまり無形の生命が文章の上に現れたとき、
それがリズムとなるわけです。
ですから、
リズム感を磨くということは、
生命の真の趣に触れるという意味で、
人問修養の一助として大切なことだと思うのです。


歌や音楽にはリズム感が大切ですね。
しかし、
コミュニケーションにもリズムが大切です。
最近では「空気が読めない」などという言葉を聞きますが、
正にリズム感が悪いということなのではないでしょうか。
「卓越した運動選手は歌もうまい」
というのもうなずける話ですね。

2012/10/11 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月11日
歌をつくる

 歌をつくるには、
最初は立派な人の歌集をよく詠むことです。
特にその中から、
自分の最も好きな歌を五首か八首選んで、
それを毎日暇さえあれば、
朗々と声を出して暗誦するんです。
そうしていると、
そのうちに自分もちよっと作ってみたくなります。
そうして作ったものを、
先輩の人に直してもらうのです。
これが上達の一番近道のようです。


「真似る」
ってことですね。
「学ぶ」の語源は「真似る」です。
まねる⇒まねぶ⇒まなぶ
だそうですよ。
どんどん真似て上達しましょう。
小山さんは「パクル」って言われてます。 

2012/10/10 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月10日
修養は気品を高める

 我々人間の生涯の修養は、
この面のように、
その一々が自己に刻みつけられていくものであって、
われわれはそこに、
しだいに浮彫りにされていくと言ってもよいでしょう。
かように考えて来ますと、
修養によってその人の気品が高まるということも、
確かに言い得ることでしよう。 


ですよね。
これまでの人生が、
現在の面構えを構築しているのですよね。
40歳までは激しく変わる。
40を超えると緩やかに変わる。
変化のスピードは変わっていくが、
死ぬまで変わり続ける。

2012/10/09 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 10月9日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月9日
自分の「顔」を仕上げる

 われわれの一生は、
ある意味からは、
自分という一人の人間の、
いわば面作りのようなもので、
われわれは一生かかって、
この自分の「顔」という唯一つの面を、
仕上デるようなものとも言えましょう。


第何代アメリカ大統領かは覚えてませんが、
リンカーンは、
「40歳で自分の顔に責任を持て」
と言っています。
生きざまが顔に現れる年齢なのだと思います。
しかし、
40歳が完成ではありません。
さらに細部にこだわりをもって仕上げていくのでしょう。
韓国では美容整形大流行だそうですが、
ここでは、
・・・もちろん美女やハンサムという意味ではありませんね。 

2012/10/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 10月8日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月8日
大往生の条件

 一日の予定を完了しないで、
明日に残して寝るということは、
畢竟人生の最後においても、
多くの思いを残して死ぬということです。
つまりそういうことを一生続けていたんでは、
真の大往生はできないわけです。


そうですね、
ものすご~くわかりやすい説明です。
大往生とは、
この世に思いを残さないことなのですね。
日々予定を完結できていれば、
「いつ逝っても悔いなし」。
成功するはずですよね、
そう考えて人生をおくってる人。

2012/10/07 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 10月7日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月7日
人生の首尾を押さえる

 今「人生の正味三十年」と考えるとなると、
それはいわば人生という大魚を、頭と尾とで押さえるようなものです。
魚を捕えるにも、
頭と尾とを押さえるのが、
一番確かな捕え方であるように、
人生もその正味はまず三十年として、
その首・尾を押さえるのは、
人生に対する一つの秘訣と言ってもよいかと思うのです。


「経営理念に魂を入れることが出来れば、
 80%以上成功を手にしたようなもの」
と、松下幸之助翁の本に書かれていたように思います。
これはしっかりと頭を押さえるということなのでしょう。
後は仕上げ。
仕上げをしっかりとイメージし、
そこに向かう筋下記を書いていく。
これを30年かけてやっていくのですね。
話は変わりますが、
私のバイクは34歳ですが、
私よりも長生きしてもらいたい物の一つです。
・・・磨きませんけど。

2012/10/06 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 10月6日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月6日
三十年を生き抜く

 道元禅師は
「某(それがし)は坐禅を三十年余りした過ぎない」
と言うておられますが、
これは考えてみれば、
実に大した言葉だと思うのです。
本当に人生を生き抜くこと三十年に及ぶということは、
人間として実に大したことと言ってよいのです。
そこで詣君たちも、
この二度とない一生を、
真に人生の意義に徹して生きるということになると、
その正味は一応まず、
三十年そこそこと考えてよいかと思うのです。


“企業の寿命は30年”
とよく言われます。
“企業は人なり”
と考えると、
企業の寿命30年説は、
「なるほど」ということになります。
だから経営者は後継者育成が最も大切なのですね。

2012/10/05 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 10月5日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月5日
人生の正味は三十年

 実は人生の正味というものは、
まず三十年くらいのものです。
実際人間も三十年という歳月を、
真に充実して生きたならば、
それでまず一応満足して死ねるのではないかと思うのです。


たまたまですが、
47歳の時あと十年で、
現在進めている「経営戦略構想を完成させる」
という約束を自分自身としました。
経営戦略妄想と人には言われてますが・・・。
20代後半から、
いい加減人生から卒業しましたので、
「人生の正味三十年」と考えると、
57歳くらいがちょうど30年の節目となりますね。
構想を完成させた暁には、
次の節目に向かって進む人生を送ることが出来たら、
とても幸せだと思います。
・・・次の節目への、
ぼや~とした妄想もまたまた“波乱万丈”かな?
もういくつ寝ると51歳。

2012/10/04 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 10月4日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月4日
考えるとは何か

 真に考えるということは、
その問題が常にその人の心の底にあって、
忘れる時がないということでなけカればならぬのです。


「問題や障害を乗り越えて進んでいくためには、
 “潜在意識の活用”が有効な手段であり、
 これを活用せずに成功を収めた人はいないであろう」
と、 
ナポレオンヒル著の「思考は現実化する」に書かれています。
20代後半、“どういうこと?”でした。
その後の経験でしっかりと理解もでき、
問題解決にも大いに役立ちました。
森先生の書かれているように、
“夜もうなされるくらい忘れる時がない”という状態になり、
その問題障害から逃げ出そうとせず、
挑み続けるという強い意志を持っていれば、
潜在意識を活用することが出来るのだと感じています。

2012/10/03 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 10月3日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月3日

漫画の害毒 

絵本の流玩行もあまり感心しませんが、
漫画本に至ってはひどいですね。
知を開くことが早すぎると、
どうしても人間が平べつたくなります。
そして持続力がなくなる。
ちょうど植木鉢を火鉢に掛けるようなものです。
しかし社会の流行を一教室、一家庭で防ぐということは、
実に至難なことです。


最近では漫画で紹介されるいろいろな本も出ており、
ランチェスター戦略
ピータードラッガー
思考は現実化する(ナポレオンヒル)
本田宗一郎―世界一速い車をつくった男
などなど、
まだまだたくさんあります。
確かに「人間が平べったくなる」という表現は、
当てはまっているような気がしますが、
時代の流れもありますので、
上記のような漫画であれば、
ずいぶんましかなと考えます。
そういえば、
“IT依存症”だったかな?
そんな言葉も出てきているようですね。

2012/10/02 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 10月2日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月2日
読書の光②

 人生の深刻切実な経験も、
もしこれを読書によって、
教えの光に照らして見ない限り、
いかに貴重な人生経験といえども、
ひとりその意味がないばかりか、
時には自他ともに傷つく結果ともなりましょう。


昨日の続きですが、
「時には自他ともに傷つく結果ともなりましょう」
ととても厳しいことを言われています。
具体的にどんな場面なのかは、
完全にはピンときませんが、
知識もないくせに、
知ったかぶりをしてしまい、
自己嫌悪に落ちいる経験は何度もあります。

2012/10/01 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 10月1日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 10月1日
読書の光①
・ 
 われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、
主として読書の光に照らして、
初めてこれを見出すことができるのであって、
もし読書をしなかったら、
いかに切実な人生経験といえども、
真の深さは容易に気付きがたいと言えましょう。


読書だけでは腑に落ちないことはままあります。
しかし、
体験、経験だけで身についたものは、
理論で説明できないことも多いのです。
体験、経験と読書での知識や理論が待ちあうと、
「なるほどそれか」
と、一気に腑に落ちることがあります。
TVなどでも活躍している経営者は、
超、チョー忙しい中でも、
多くの本を読んでおられますものね。
「毎週日曜の午前中は読書にあてる」
と、オリンピックやワールドカップでも採用されている、
競技用ボールメーカー、
モルテンの先代がご存命のとき講演で聴きました。
 

2012/09/29 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月30日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月30日
鍛錬

 われわわれ凡人は人生のある時刻において、
何らかの意味でかようなきびしい鍛錬をその師から受けない限り、
真の人間とはなれないのではないでしょうか。 


昨日に引き、
続き厳しい現実です。
先日テレビ番組で、
若者たちと経営者の意見交換をしてました。
「『できると』言う人に限ってできない」
と、ある社長。
「本当にできるんです」
って、ある若者。
「バイトはじめて2週間しかたっていないのに、
 『お前、仕事できないなー』って言われたんですが、
 たった2週間で僕の何が分かるんですか」
って、別の若者。
森先生の言われるように、
“何らかの意味でかようなきびしい鍛錬をその師から受けない限り、
 真の人間とはなれないのではないでしょうか” 
社会とは本当に理不尽な世界ですよ。

2012/09/29 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月29日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月29日
一目の終わり、人生の終わり

 われわれが夜寝るということは、
つまり日々人生の終わりを経験しつつあるわけです。
一日に終わりがあるということは、
実は日々「これでもか、これでもか」と、
死の覚悟が促(うなが)されているわけです。
しかるに凡人の悲しさには、
お互いにそうとも気付かないで、
一生をうかうかと過ごしておいて、
さて人生の晩年に至って、
いかに歎き悲しんでみたところで、
今さらどうしようもないのです。
 人間も五十をすぎてから、
自分の余生の送り方について迷っているようでは、
悲惨と言うてもまだ足りません。


厳しいお言葉ですが・・・本当のことだと思います。
多くの人が気付いた時には遅い。
・・・が、
一生気づかない人よりず~と良い。
そこからスタート、
今ここからスタートです。

2012/09/28 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月28日
偉人の共通項 

 自分のやりたいことはすぐにやる。
つまり自分が本当にしたいと思ったことは、
何物を投げ打ってもただちにそれをやる。
たとえば本が読みたくなれば、
たとえそれが真夜中でも、
すぐに飛び起きて読む。
 どうもこの辺に、
偉大なる人に共通した特徴があるようです。
そしてもう一つは、
夢中になるということです。(中略)
 もう一つは、
最後までやり抜くということです。


若かりし頃、
「偉人はそれぞれが個性的で共通点はない、
 無から有を創り上げた人たち」 
と考えていました。
「昔話を紐解くなんてバカらしい」
と本気で思ってました。
私自信の恋愛から結婚へ至る、
ドラマの中で成功体験をし、
「成功するとは、
 成功するまで諦めないことなのだ」
という公式?哲学?を創ったのです。
・・・が、
一年後、
「偉人には共通点がある、
 その一つに成功するまであきらめない」
と書かれた
ナポレオンヒルの“成功哲学”の紹介雑誌を発見したのです。
すぐに高価なプログラムを購入し、
学び始めました。
・・・22年前、
お金もありませんでしたので、
タバコをやめてローンを組みました。

追伸
今日の文章書きながら思い出してましたが、
昨日書いた“アイアコッカ”と“ナポレオンヒル”は、
順番が逆ですね、きっと。

2012/09/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月27日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月27日
伝記の効能

 偉人の伝記というものは、
一人の偉大な魂が、
いかにして自己を磨きあげ、
鍛えていったかというその足跡を、
もっとも具体的に述べたものですから、
抽象的な理論の書物と違って誰にも分かるし、
また何人にもその心の養分ととなちるわけです。


これまでに何度かいた書いたと思いますが、
私の最初の教科書は、
「アイアコッカ―わが闘魂の経営」
です。
次の教科書が
「ナポレオンヒル」
そして、
「松下幸之助」
「本田宗一郎」
「藤沢武夫」
と続いていきます。
考え方や価値観の教科書ではなく、
生きざまを描いた生々しさが心を打ち、
素直に吸収できますね。

(正確には伝記ではないかな)

2012/09/26 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月26日
精神の死

 人問も、
読書をしなくなったら、
それは死に瀕(ひん)した病人が、
もはや食欲がなくなつたのと同じで、
なるほど肉体は生きていても、
精神はすでに死んでいる証拠です。
ところが人々の多くは、
この点が分からないようです。


そうです。
こういう生き方したくないのです。
だから、
世の中に役に立たなくなってまで、
無理やり生きていたいと思わないのです。
だから、
役に立てる間は役に立ちたいと考え、
新しい知識や発見のために、
本を読み続けています。

2012/09/25 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月25日
下坐を行ずる②

 世間がその人の真価を認めず、
よってその位置がその人の真価よりはるかに低くても、
それをもって、
かえって自己を磨く最適の場所と心得て、
不平不満の色を人に示さず、
わが仕事に精進するのであります。
これを「下坐を行ずる」というわけです。


私のイメージでは“吉田松陰”がそれでしょうか。
松陰はすごい人なのか?
それともただの犯罪者なのでしょうか?
面白そうなホームページがありました。
吉田松陰は、狂人だそうです。 
http://bakumatsu.org/blog/2012/05/syoin.html
 

2012/09/24 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月24日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月24日
下坐を行ずる①

 下坐行とは、
自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
言い換えれば、
その人の真の値打よりも、
ニ、三段下がつた位置に身を置いて、
しかもそれが「行」と言われる以上、
いわゆる落伍者というのではなくて、
その地位に安んじて、
わが身の修養に励むことを言うのです。
そしてそれによって、
自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。
すなわち、
身はその人の実力以下の地位にありながら、
これに対して不平不満の色を人に示さず、
真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。


武蔵野の降格人事はそれだと思います。
広ガスたかたでは、
幹部の“数字に対する責任を厳しく問う”というレベルまで達していません。
ということで、
幹部の“下座行”もこれからの取組みになります。
経営者も幹部も“下座行”を、
しっかりと“修行”意識していかなくてはなりませんね。

2012/09/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月23日
目下の入に対する心得

 目下の人に対する心得の一つとして、
目下の人だからと言って、
言葉遣いをぞんざいにしないように―ということでしょう。
これはうっかりすると気付きにくい点ですが、
大体人間の人柄というものは、
その人が目下の人に対する場合の態度、
とくにその言葉遣いによって分かるものであります。


私は幹部や管理者の人となりを見る場合に、
私との会話や態度ではなく、
部下や同僚とどんなやり取りをしているかを見ています。
私の前で気をつけている人も、
部下や同僚の前では全く違う表情だったりします。
自分で意識していない時の行動が本当の自分です。

2012/09/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月22日

修身教授録

    一日一言

   (致知出版)

        森  信三著

        藤尾秀昭編

 922

上位者に対する心得 

 上位者に対する心得の根本を一言で申しますと、

「すべて上位者に対しては、

 その人物の価値いかんにかかわらず、

 ただその位置が自分より上だという故で、

 相手の地位相応の敬意を払わなければならぬ」

ということでしょう。

見かけますね。

以前にも何度か書きましたが、

大学時代のクラブ活動は、

先輩や後輩にオリンピック選手を出しているようなクラブでしたので、

上下関係も相当厳しいものでした。

打ち上げなどでは、

先輩にお酌をして回るのは当たり前。

そのような経験から、

上位者に敬意を払ううのは基本中の基本。

・・・って昔話になったのかな。

“親しき仲にも礼儀あり”と言いますが、

上下関係無視ではあまりにも無礼です。

 

2012/09/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月21日
真の誠

 真の誠とは、
その時その時の自己の「精一杯」を尽くしながら、
しかも常にその足らざることを歎くものでなくてはならぬ。

歎く=嘆(なげ)く 

今ここの瞬間を精一杯、
目一杯にことを進めようとしても、
現有資産には限りがありますし、
すべてをそこだけに集中できない現実もあります。
歩みを止めないことが唯一の解決策と考えています。
真の誠を追い続けることが、
企業の責任ですね。
“全社一丸”で歩み続けます。

2012/09/20 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月20日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月20日
謙遜は自己の確立から

 人は真に謙遜ならんがためには、
何よりもまず自己というものが確立している事が大切だと言えましょう。
すなわち相手が目下であるからとて調子に乗らず、
また相手が目上なればとて、
常に相手との正しい身分関係において、
まさにあるべきように、
わが身を処するということです。 


さらに昨日の続きですね。
私の感覚では、
“謙虚”とはまさに森先生の文章そのままです。
謙虚な姿勢をもっていることで、
真の謙遜の領域へ入っていけるのでしょう。
当たり前ですが、
謙虚とは、
媚びたり、へつらったりとは全く違いますものね。

2012/09/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月19日
己を正しく保つ

 謙遜ということは、
わが身を慎んで己れを正しく保つということが、
その根本精神を成すのであります。
つまりいかなる相手に対しても、
常に相手との正しい関係において、
自己を取り失わぬということです。
すなわち必要以上に出しゃばりもしなければ、
同時にまた妙にへコへコもしないということであります。


昨日のメールで“謙虚”という言葉を使いましたが、
森先生は“謙遜”という表現されています。
私の中では、
謙遜は謙虚よりもさらに一歩へりくだった感覚ですが、
今日の一言を読むとほぼ同じなのかな?
いずれにしても、
「妙にへコへコしない」
ってところは二重まるつけとくところでしょうね。

2012/09/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月18日
人問をつくるもの

 人問の精神的弾力というものは、
書物と取り組むカによって鍛えられるものです。
また人問のたしなみというものは、
言葉を慎むところから始まるものです。 


学びと実行で鍛え器をつくる。
おしゃべりな人はダメ。
・・・、
ぐさりと突き刺さります・・・・・・。
 

“実るほど頭を垂れる稲穂かな”

謙虚に、素直に。

 

2012/09/17 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月17日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月17日
睡眠の工夫

 私は、
夜遅くなったなと思うと、
なるべく時計を見ないで寝ることにしています。
でないと朝起きてから、
「昨夜は何時間しか寝ていないんだから―」と、
つい睡眠不足が気になって、
余計に疲れるからです。
つまり、
われわれは時計を見て、
人間はどうしても、
八時間寝なければいけないように思っているのです。
しかし睡眠も、
いたずらに長いばかりが能ではなくて、
深い眠りなら八時間眠らなくてよいのです。 


確かに。
深い眠りであればは8時間の必要はないですね。
・・・しかし、
眠りが浅くて疲れが取れません。
一杯ひっかけてぐっすり・・・・のつもりが、
二杯・・・3杯・・・かえって疲れを残してしまったり・・・。
最近は、
あまりにもつかれがとれずしんどいときは、
病院で処方された睡眠導入薬を半錠、
お酒は飲みません。
月に一回~2回くらいのペースかな。
睡眠って大切ですね。
 

2012/09/16 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月16日
時間の問題を解く

 ほんとうの真面目な生活、
すなわち全力的な生活に入るには、
どうしても時間の無駄をしないということが、
何よりも大切な事柄とな成るわけです。
しかしこの時間の問題も、
結局はその人の根本の覚悟いかんによって決まると言ってよいでしょう。
すなわち人間は、
人生に対する根本の覚悟さえ決まっていれば、
わずかな時間も利用できるようになるものです。 


小山さんの時間の使い方はすごい。
ってか、
無駄な時間がほぼない。
乗り物での移動中はもちろん、
歩いている時もボイスメールをチェックし、
指示を出している。
私も車での移動中、
講演テープを聴いたり、
ボイスメールをチェックしたり、
もちろんブルートゥースですよ。
昼食と取りながらっていうのは標準です。
最近は尺八のCD聞きながらプロの演奏を研究。・・・私なりにですが。
・・・歩きながらは仕事してませんし、
東京の電車で立っている時はもちろん何もしてません。
芸備線では本を読んでますが・・・。
・・・帰りは爆睡して気づいたら終点三次。

2012/09/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月15日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月15日
仕事の心がけ⑤拙速主義

 次に大切なことは、
一度着手した仕事は一気呵成(いっきかせい)にやってのけるということです。
同時にまたそのためには、
最初から最上の出来映えを、
という欲を出さないというこです。
すなわち、
仕上げはまず八十点級というつもりで、
とにかく一気に仕上げることが大切です。
 これはある意未では出速主義と言ってもよいでしょうが、
このいい意味での拙速主義ということが、
仕事の処理上、
一つの秘訣と言ってよいのです。


①~⑤までもう一度読み返し、
実にまとめられ「仕事の心がけ」と感じます。
最後は一気呵成に仕上げて、
出来栄えは80点でよい。
・・・私の経験では60点まではぎりぎりOK。
合格ではないが、
次に進んでよしってところですかね。

2012/09/14 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月14日

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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月14日
仕事の心がけ④着手

 次には、
このように明弁せられた順序にしたがって、
まず真先に片付けるべき仕事に、
思い切って着手するということが大切です。
この「とにかく手をつける」ということは、
仕事を処理する上での最大の秘訣と言ってよいでしょう。


真理ですね。
「まず手を付けること」
ここのハードルが実はけっこう高い。
だから手をつけてしまった後は、
案外すいすい行くことも多いのです。
「研修もスタートするまでは気が重いが、
 始まってしまえば結構楽しめたりします」
って、中村さんが言ってと思います。

2012/09/13 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月13日

修身教授録
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月13日
仕事の心がけ③先後の順序

 次に大切なことは、
同じく大事な事柄の中でも、
大体何からーから片付るかという前後の順序を明弁するということです。
この前後の順序を誤ると、
仕事の処理はその円滑が妨げられることになります。
そしてこの前後の順序を決めるには、
実に文字通り明弁を要するのであります。
理論を考える上にも、
明弁ということが言えないわけではありませんが、
しかし現実の実務における先後の順序を明らかにするに至って、
文字通り明弁の知を要すると思うのです。


今日のは、
大事な仕事の中での優先順位のお話ですね。
簡単に言うと、
より多くのメリットが出る順番っていうのがいいと思います。
メリットのシェア率、ボリュームのことです。
ただしこれは効率をアップする場合のお話で、
お客様との関わりかただと、
効率を上げないことが重要になってきますね。
が、
実は公式があるわけでもはありません。

2012/09/12 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月12日
仕事の心がけ②本末軽重

 次に大切なことは、
このような自覚に立って、
仕事の本末軽重をよく考えて、
それによって事をする順序次第を立てるということです。
すなわち一般的には大切なことを先にして、
比較的軽いものを後回しにするということです。
 時には、
軽いものは思い切って捨て去る場合もないとは言えないでしょう。
捨て去る場合には、
断乎として切って捨てるということが大切です。
これ畢竟するに私欲を断つの道でもあるからです。
同時に、
このような私欲切断の英断が下せなければ、
仕事はなかなか捗(はかど)らぬものです。 


「新たに頼まれた軽い仕事を先にかたずける」
私はこれまでそうやって来ました。
軽いったっていろいろで、
「それなりに重いじゃん」
というのもままありますが・・・。
はじめての仕事は、
時間の予定が立てにくいので、
優先順位を上げることにしたのです。
抱えていた仕事は、
まだ時間が読めるため、
どれくらいの時間をつくれば、
締め切りに間に合うかを計算しやすかったからです。
森先生も書かれているように、
最後の時間調整は、
プライベートの時間を割きながら調整してましたね。
・・・しかし、
子供との約束は特に優先してあげましょうね。
・・・反省を込めてのコメントです。

2012/09/11 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月11日

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        藤尾秀昭編
 9月11日
仕事の心がけ①自覚

 大切なことは、
仕事の処理をもって、
自分の修養の第一義だと深く自覚することでしょう。
この根本の自覚がなくて、
仕事を単なる雑務だなどと考えている程度では、
とうてい真の仕事の処理はできないでしょう。


私は仕事を通して成長させてもらっています。
経営理念にも、
 私たちは、仕事を通して成長を続けることで、
  豊かで健善な社会、企業、そして暖かい家庭を創ります。
という一節を入れています。
森先生の言われるように、
“仕事は生活のためにやる”
という意識では、
指示されたことだけは出来ても、
判断の必要な仕事は任せてもらえないですね。

2012/09/10 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月10日

修身教授録

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        森  信三著

        藤尾秀昭編

 910

雑務は心がつくる

 雑務という言葉は、

私達の良く耳にする言葉ですが、

「一言もってその人を知る」

まさにこのような場合にも当てはまるかと思うほどです。

それというのも、

その人自身それを雑務と思うが故に雑務となるのであって、

もしその人が、

それをもつて自分の修養の根本義だと考えたならば、

下手な坐禅などするより、

はるかに深い意味を持ってくるでしょう。

ですね。

“心がつくる”

私たちは、

「お客様」あるいは「お客さん」と表現していますが、

ある社長は、

「客」って言ってました。

・・・瞬間から信頼できなくなりました。

心が表に出るのでしょう。

雑務の意識という意味では、

発明王エジソンのビジネスパートナー、

バーンズ氏(だったと思う)も、

最初は“掃除夫”として雇われた。

本田宗一郎氏もアートモータースへ入社した時は、

掃除と子守ばかりやってたそうです。

一生懸命取り組んでたんですって、

さすがですね。

 

2012/09/09 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月9日



 修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月9日
人格的価値の根本

 人間の人格的な価値というようなものも、
その人が、
かようかようのことをしたとか、
言ったとかいうことよりも、
そうした見えるものを越えて香る気品の床(ゆか)しさにこそ、
その根本はあると言えましょう。


“人間的価値の根本は品格”
ってことなのでしょう。
本物になるには、
ちょいとばかし時間がかかるのですが、
表面をとりつくろうのは今日からでもOK。
どうせ「“形”から入って“心”に至る」ですから、
どんどん表面にこだわっていきましょう。
エチケット・マナーの本とか、
品格の本とか沢山でてますから。
そのうち本物の“品格”が身についていることでしょう。
・・・たぶんね。

2012/09/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月8日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月8日
気品

 気品というものは、
人間の修養上、
最大の難物と言ってよい。
それ以外の事柄は、
大体生涯をかければ、
必すできるものですが、
この気品という問題だけは、
容易にそうとは言えないのです。


最近は“品格”って本が沢山出てますね。
これは“家系の文化”だと思っています。
一代では変わらない。
が、
核家族化している現在では、
文化と言えるようになるまで、
踏襲し続けることはさらに難しい。
“企業文化”って言葉もありますので、
ここも企業がになっていかなくてはならないのでしょう。

2012/09/07 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月7日

修身教授録
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月7日
魂の必然 

 敬うとは、
自分より優れたものの一切を受け入れてこれを吸収し、
その一切を奪いとって、
ついにはこれを打ち越えようとする強力な魂の、
必然的な現れと言ってもよいでしょう。


社長に就任したころに、
まさにそう考えていました。
どれだけの力があるのか、
はたまた全くないのか?
私自身も知らないのです。
当時わかっていたことは、
日創研の代表田舞さんはすごい経営者だということ。
自分よりはるかに優れた経営者、
田舞徳太郎氏の一切を受け入れようと決め、
せっせと研修に参加し学び続けました。
ゆっくりとゆっくり“広ガスたかた丸”は方向を変え始めたのです。
最近は結構なスピードで進む船に成長してきたな・・・。
 

2012/09/06 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月6日

修身教授録
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月6日
人生の分水嶺

 人問も、
三十五歳から四十歳にかけては、
人生を二等分する分水嶺とも言うべき年齢であって、
人間も四十の声を聞けば、
かの一葉落ちて天下の秋を知るというように、
落莫(らくばく)たる人生の秋風を身に感じ始める年配です。
それというのも、
四十の声を聞く頃には、
たいていの人がまず肉体の秋を感じ始めるのが普通と言ってよいでしょう。
ですから、
人間も四十を超えてなおかつわが生命の愛惜(あいせき)に思い至らぬというようでは、
よほどどうかしていると言われても致し方ないでしょう。

愛惜=大切にする


昨日も書いたように、
40歳を越えても決して遅くないのですが、
40歳までのようにことは進みませんね。
最近は記憶力の低下が著しく、
“若い人は何でもよく覚えているな”と感心します。
人の名前なんてとんと出てこない・・・。
・・・でもまだ51歳・・・ん?
誕生日がきた51歳だったかな・・・、
まだ50歳でした。
・・・・こんな調子です。
が、修業は続きます。

 

2012/09/05 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月5日

修身教授録
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        藤尾秀昭編
 9月5日
四十歳

 人生を山登りに喩(たと)えますと、
四十歳はちょうど山の頂(いただき)のようなもので、
山の頂に立って見ますと、
わが来し方も、
初めてしみじみと振り返って見ることができると共に、
また後半生をいかに生きたらよしカということも、
仄(ほの)かながら見え始めて来るようであります。
 それはちようど山登りにおいて山の頂に達すれば、
わが来し方を遥かに見返すことができるとともに、
また今後下り行くべき麓路も、
大体の見当はっき始めるようなものです。
 それ故(ゆえ)人間も四十歳前後になったならば、
自分の一生について、
大体の見通しがつきかけねばならぬと思うのです。


なるほど、
「おおむね40歳で人生が決まる」
という理由はそういうことだったのですね。
今日のは私にもわかりやすいです。
40歳を越えても、
初めて直面する出来事というのは多いですが、
それまでの体験が応用できることも少なくないですものね。
40歳までは買ってでも苦労をしましょう。
40越えてからも遅くはありません。
身体と相談しながら、
無理するところでは無理して苦労を買いましょう。
その分どこかで自らをケアしてくださいね。
・・・と、

ぎっくり腰になってしまった自分に・・・。

2012/09/04 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月4日

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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月4日
優れた師②
共に道を歩む

 優れた師匠というものは、
常にその門弟の人々を、共に道を歩む者として扱って、
決して相手を見下すということをしないものであります。
 ただ同じ道を、
数歩遅れてくる者という考えが、
その根本にあるだけです。
ですから、
自分一人が山の頂上に腰を下して、
あとから登ってくる者たちを眼下に見下して、
「何を一体ぐずぐすしているのか」
というような態度ではないのです。


そのような態度がついつい出てしまう。
器が小さいもので・・・。
以前よりは少しずつましにはなっているかと思うのですが・・・。
上を見ながら修業を続けます。

2012/09/03 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月3日

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 9月3日
優れた師① 
叱ずして悦服させる

 本当に偉い方というものは、
そうみだりに声を荒らげて、
生徒や門弟を叱られるものではないのです。
第一その必要がなかろうと思うのです。 
 大声で生徒を叱らねばならぬということは、
それ自身、
その人の貫禄の足りない何よりの証拠です。
つまりその先生が、
真に偉大な人格であったならば、
何ら叱らずとも門弟たちは心から悦服するはすであります。


器の大きい人。
感情をコントロールできる人のことでしょう。
ただただ感情的にならない人とも違うようです。
「伝えるべきをきちんと伝える」
ここが押さえてなければ、
単なる“お人よし”
相手にとって都合がよいだけの人です。
受け取ってもらえるように伝えるには、
多くの引き出しも必要ですね。

2012/09/02 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月2日

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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 9月2日
自己を築く道具とこつ

 人間も自己を築くには、
道具やこつが必要です。
この場合道具とは読書であり、
こつとは実行をいうのです。
このニつの呼吸がぴったり合うところに、
真の人間はでき上がるのです。


二十数年前から本を読んだり、
研修を受講したりを繰り返し、
それなりに道具を揃えてきたのですが、
コツがなかなかつかめませんでした。
私は実行力が伴わない人間です。
それがわかっているので、
精神的に自分自身を追い込んで、
なんとか行動を継続してきたのです。
最近は、
行動の鈍さを全社員がカバーしてくれるので、
私が追いかけていく場面も増えてきました。
もちろん道具も全員で揃えています。
飛び出す絵本を身体を張って読みながら・・・。

2012/09/01 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 9月1日

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        藤尾秀昭編
 9月1日
無量の鉱石を掘り起こす

 お互い人間として最も大切なことは、
単に梯子(はしご)段を一段でも上に登るということにあるのではなくて、
そのどこか一力所に踏みとどまって、
己がカの限リハンマーをふるって、
現実の人生そのものの中に埋もれている無量の鉱石を、
発掘することでなくてはならぬ。


森先生、
私にもわかりやすいよう、
少し文章を変えさせてください。

  人間として最も大切なことは、
  夢や目標に向かって、
  一歩一歩前進するということだけではなく、
  そのどこか一力所に踏みとどまって、
  己がカの限リハンマーをふるって、
  今打ち込んでいる仕事の中に埋もれている無量の鉱石を、
  発掘することでなくてはならぬ。

これなら私も分かります。

2012/08/31 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月31日

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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月31日
最善観 

 「わが身に振りかかってくる一切の出来事は、
  自分にとっては絶対必然であると共に、
  また実に絶対最善である」


私は、
この言葉をかたくなに信じ込んでいます。
良い体験だけでなく、
悪い体験や苦しい体験をした時、
“すべて必然”という前提で、
「この体験は私に何を教えよう、
 何に気付かせようとしているのか」
と、
苦しければ苦しい体験ほどそう自問し、
答をさがしてきました。
これからも。

2012/08/30 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月30日

修身教授録
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        藤尾秀昭編
 8月30日
真の生活の始まり 

 私は常に思うのです。
人間もこの自分という一微小存在すら、
国家全体に対しては、
代理人のない一個独自の任務の存することを自覚するに至って、
初めてわれわれの真の生活は始まるわけだと。


   人間の一生  森信三
 
 職業に上下もなければ貴賤もない。
世のため人のために役立つことなら、
何をしようと自由である。
 しかしどうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
すると二十からでも三十までにはひと仕事出来るものである。
それから十年本気でやる。
 すると四十までに頭をあげるものだが、
それでいい気にならずにまた十年頑張る。
 すると、五十までには群をぬく。
しかし五十の声をきいた時には、
大抵のものが息をぬくが、それがいけない。
「これからが仕上げだ」と、
新しい気持ちでまた十年頑張る。
 すると六十ともなれば、
もう相当に実を結ぶだろう。
だが、月並の人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、
それから十年頑張る。
 すると、七十の祝は盛んにやってもらえるだろう。
しかし、それからまた、十年頑張る。
するとこのコースが一生で一番おもしろい。

人間は、
自分の使命の書かれている封筒をもって生まれてくるそうです。
私はその封筒の開け方のヒントを書いた詩だと思っています。

2012/08/29 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月29日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月29日
職責を通して道を体得する 

 われわれの国家社会に対する務めは、
どこまでもその職分を通して行われる外ないわけですが、
同時にまた他面、
このような考え方に対しては、
いかなる人間でも、
ほとんど例外なく、
何らかの職業についていない者のない以上、
単に自分が一個の職業に従事していながら、
しかもそこで会得したものが、
広く同種類の職業に従事している多くの人々に対して、
大きな慰めとなり、
さらには激励となると言うに至って、
初めて真に国家社会に尽くすものと言えましょう。
 同時にこのような境地に達した人は、
ある意昧では、
職責を通して道を体得した人とも言えるでしょう。


「私たちが広ガスたかたで成長し続け、
 日本経営品質賞を受賞することができたら、
 日本全国のLPガス業界の、
 大きな慰めとなり激励となることでしょう」
“豊かな暮らし支援道”
としてのビジネスモデルの確立です。
・・・こんな夢を見ました。

2012/08/28 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月28日
大欲の立場にたつ

 人問が真に欲を捨てるということは、
実は自己を打ち越えた大欲の立場にたつということです。
すなわち自分一身の欲を満足させるのではなくて、
天下の人々の欲を思いやり、
できることなら、
その人々の欲をも満たしてやろうということであります。


「大欲の立場に立つ」
少しずつそんな気になってますが、
・・・私欲が抜けない。
若いころは間違いなく、
私欲はエネルギーの元でもあった。
が、
今は“欲”というよりも“趣味”に変わってきたのかな?
“趣味”なので優先順位は当然高くはない。
・・・が無くなりはしない。
これでいいのかもしれない。
・・・・・・が、よくわからない。

2012/08/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月27日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月27日
百二十点主義

 常にに自己のカのありったけを出して、
もうひと伸し、
もうひと伸しと努力を積み上げていくんです。
真面目とは、
その努力において、
常に「百二十点主義」に立つということです。
 もしこの態度を確立したならば、
人生の面目はすっかり変わって来るでしょう。


何度も繰り返しますが、
おおむね40歳。
そこまでに確立すると人生の面目が変わってくるのですね。
体力のあるうちは大丈夫ですよ、
身体を鍛えつつ、
120%で頑張りましょう。
もとい。・・・「百二十点主義」で頑張りましょう。

2012/08/26 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月26日
八のことに十のカで当たる

 かくして真面目ということは、
いわわゆる無力な人間のお目出たさではなくて、
最も男性的本格的な全力生活だということが分かりましょう。
したがってこれを実行上の工夫から申せば、
八つのことをするにも、
常に十のカをもってこれに当たるということです。
また十のことをやらねばならぬ場合には、
まさに十二のカをもってこれに当たるということです。 


連日の“なるほど”。
真面目人間を目指すためには、
“120%”打ち込むことが大切なのですね。
これは身体に無理のきく時期にやっておいた方が良いです。
50歳を越えると、
20%オーバーをカバーするために、
後に30%以上のエネルギーを必要としてきますから。
私の場合睡眠時間です。
「60歳を越えるともっとすごいよ」
って、知り合いの経営者が言ってました。

2012/08/25 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月25日
真の面目を発揮する

 今この真面目という字を、
真という字の次に、
「の」の字を一つ加えてみたらどんなものでしょう。
そうしますと、
言うまでもなく「真の面目」と読まねばならぬことになります。
ところがこうなると、
一つの新たなる展開となりましょう。
すなわち真面目ということの真の意味は、
自分の「真の面目」を発揮するということなんです。


なるほどよくわかるなー。
真面目人間とは、
真に周囲に対する体面を保つ人
「形から入って心に至る」ですね。
表面的な対面を保ち続けると、
心にまで染み込み、
真面目人間になるのですね。
目指すぞ真面目人間。
・・・くそ真面目人間ではありませんよ。

2012/08/24 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月24日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月24日
自分の利害、他人の利害

 ところで「我」に引掛っているとは、
言い換えれば、
常に自分の利害を中心にして、
人のために尽くすということの分からない人ということでしょう。
つまり自分の利害はよく分かるが、
他人の利害については、
とんと気がっかぬというわけです。 


昨日の感想で書いたとこですね。
「自己中心」ではなく「自分の利害中心」
と表現されています。
「他人の利害」の確認ですが、
意見の「多い、少い」に左右されすぎないほうがいいかな。
表面的になってしまうことが多いから。

2012/08/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月23日
苦しみのもとは「我」

 同じく人生でありながら、
一方にはこれを妙味津々(しんしん)として見る人もあるかと思えば、
他方には、
これを苦しみの連続と見る人もあるのは何故でしょうか。
これはマア色々と考え方もありましょうが、
一面から申せば、
この人生が苦の世界と見えるのは、
畢竟はまだ自分の「我」に引掛っているからでしょう。 

畢竟=ひっきょう
至極、最終、つまるところ、結局


松下さんは社員を採用するときに、
「運の良い人」を採用していたそうです。
“どうやって見分けるのだろう”って思いません?
本人に聞くのだそうですよ。
運の良かったエピソードや、
悪かったエピソード。
森先生が言われるように、
人生が苦の世界と見えるのは、
自分が内向き、
自己中心的ってことですよね。
自分を解放してあげましょう。
SA、SC研修は「いいね」。 

2012/08/22 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月22日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月22日
世の中は公平なもの

 世の中が不公平であるというのは、
その人の見方が社会の表面だけで判断したり、
あるいは短い期間だけ見て、
判断したりするせいいだと思うのです。
 つまり自分の我欲を基準として判断するからであって、
もし裏を見、表を見て、
ずっと永い年月を通して、
その人の歩みを見、
また自分の欲を離れて見たならば、
案外この世の中は公平であって、
結局はその人の真価通りのものかと思うのです。


「高速道路の0円料金」
なんて言うありえない政策を打ち出した、
民主党・・・。
分裂しちゃいました。
・・・公平ですね。
高速道路は時間をお金で買うのです。
時間に関係ない人たちがたくさん高速に入ってきたら、
自動車の部品は渋滞で遅れ、
生産にも影響がでたりするかもしれませんもの。
企業がお休みの多い土日を安くするのは、
ありかも。
・・・竹島や尖閣諸島についても、
もっともっと長い年月の中で公平であってほしいですね。
野田総理は結構踏み込んでます、
「いいね」を送ります。 

2012/08/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月21日
無限の井戸

 カというものは、
一たんその気になり、
決心と覚悟さえ立ったら、
後からあとからと無限に湧いて来るものです。 
 それはちようど、
井戸に水の湧くようなもので、
もう汲み出してしまったと思っても、
いつの間にやらまた溜っているようなものです。


“覚悟”
が出来たら人間は本当に強いものです。
が、
口先だけの“覚悟”では何も湧いてきません。
逆に言うと、
力や知恵が無限に湧いてくる仕事振りの人を見って、
「覚悟が出来たな」
ととらえています。
話は変わりますが、
井戸の話が“たとえ”として分かりにくい時代になってきましたね。 

2012/08/20 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月20日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月20日
たった一人の情熱

 すべて世の中のことというものは、
一人の人の熱心さのいかんによって、
事が運ぶという場合が少なくないようであります。


「すべて」と言ってもよいくらい割合ですね。
「日本一の地域密着企業」
私のはまだ成就していませんが・・・。
しかし、
15年間社長に就任した時は、
社内で独りぼっち状態でした。
もちろん明確な夢も描けていませんでした。
しかし、
今では多くの仲間と共に、
一歩一歩、確実に歩みを進めています。 
広ガスたかたが、
日本一の地域密着企業になり、
さらに、
日本一の地域密着企業を増やして行きたいですね。
それぞれの地域にとっての日本一密着企業は多いほどいい。
 

2012/08/19 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月19日
余韻を残す

 いかに凡人といえども、
その生涯を深い真実に生きたなら、
必ずやその死後、
何らかの意味でその余韻を残してている。


私の中で、
超人的な凡人の代表は、
広ガスたかたのお客様でもある、
はがき道の“坂田道信”先生です。
誰でもできることを超非凡に継続され、
日本郵便公認の超凡人ですもの。
どれくらいすごいのか、
ヤフーで、
「坂田道信」「郵便番号」
で検索すると、
個人の郵便番号が出てきます。
個人で郵便番号持っているのは坂田先生だけでしょう。
間違いなく余韻を残す方です。
・・・私のはがき道は、
道路工事ばかりで修業にもなってません。

2012/08/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月18日
否定の価値

 そもそも精神というものは、
それが真に伸びるためには、
必ずや何らかの意味において、
一種の否定を通らねばなりりません。
すなわち、
この否定という浄化作用、
すなわち自己反省というものを通らずに伸びたのは、
精神としては真に伸びたのではなくて、
かえって度のすぎたものとして、
結局欠点になるわけです。


“正に真理”
・・・・・・ですが、
常に“斜”に構えてる人が真に伸びるわけではありませんね。
前提に“素直”あってこそ、
“否定”が浄化作用となるのでしょう。
簡単に言うと、
「レベルが高くなっても生意気になるな」
ってことかな。
どこまで登って行っても、
常に自己反省しながら次なる山の頂を目指すのです。
・・・痛い。

2012/08/17 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月17日

修身教授録

    一日一言

   (致知出版)

        森  信三著

        藤尾秀昭編

 817

感じたことが本物

 人間が、

真に自分の内容と言い得る世界は、

ただ感ずることによってのみ得られる世界です。

昨日の感想の解説かな???

昨日の感想再登場。

  この価値観が、

   “真理”

  世間一般で本物とは言いませんが、

  “広ガスたかたで働く仲間が共有していく価値観”

  であることは間違いありません。

広ガスたかたのトップの感じ方です。

共有するのは、

もちろん仕事にかかわる価値観限定ですよ。

 

2012/08/16 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月16日
真理の響きを語れ

 諸君らも多少は会得したかと思いますが、
他日学校で修身を教える場合には、
ただ教科書に書かれていることを型通りに教えるだけではだめです。
そうではなくて、
この自分というものが、
教科書に示されている真理にぶっかって、
そこにいかなる響きを発するか、
それを語るのでなくては、
生徒の心には響かないでしょう。


早朝勉強会、
社長勉強会
書かれていることを伝えているのではありません。
社長の価値観を
書かれていることを通して伝えているのです。
この価値観が、
  “真理”
とは言いませんが、
“広ガスたかたで働く仲間が共有する価値観”
であることは間違いありません。
・・・“共有していく価値観”が正しいかな。

2012/08/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月15日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月15日
偉大さをつくる素材

 人間の偉さというものは、
大体二つの要素から成り立つと思うのです。
すなわち一つは、
豊富にして偉大な情熱であり、
次には、
かかる豊富にして偉大な情熱を、
徹頭徹尾浄化せずんば己まぬという根本的な意志力であります。
 かくして情熱というものは、
人間の偉大さを形づくるところの素材であり、
その基礎と言ってもよいでしょう。
したがってまた始めから情熱のない干からびたような無カな人間は、
いわば胡瓜(きゅうり)のうらなりみたいなもので、
始めから問題にならないのです。


「時期遅れで売り物にならない胡瓜みたいな人」って、
すごい表現ですが・・・・・その通りですね。
「青春してない17歳」
みたいな・・・。
・・・今年の内定社には「青春」送信したかな?
何度送ってもいいや。

 青春  サムエル・ウルマン

青春とは
若き 肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある
薔薇色の頬 真赤な唇 しなやかな身体
そういうものは たいした問題ではない
問題にすべきは つよい意思 ゆたかな想像力 もえあがる情熱
そういうものが あるか ないか
こんこんと湧きでる 泉のように
あなたの精神は 今日も新鮮だろうか 
いきいきしてるだろうか
臆病な精神のなかに 青春は ない
大いなる愛のために発揮される
勇気と冒険心のなかにこそ 青春は ある
臆病な二十歳がいる 既にして 老人
勇気ある六十歳がいる
青春のまっただなか 年を重ねただけで 人は老いない
夢を失ったとき はじめて老いる
歳月は 皮膚にしわを刻むが 情熱を失ったとき 精神は
しわだらけになる
苦悩 恐怖 自己嫌悪 それらは 精神をしぼませ
ごみくずに変えてしまう
 
誰にとっても大切なもの それは 感動する心
次は何が起こるのだろうと 眼を輝かせる 子供のような好奇心
胸をときめかせ 未知の人生に 挑戦する 喜び
さあ 限をとじて 想いうかべてみよう
あなたの心の中にある 無線基地
青空高くそびえ立っ たくさん 光輝くアンテナ
アンテナは 受信するだろう 偉大な人々からのメッセージ
崇高な大自然からのメッセージ 世界がどんなに美しく 驚きに満ちているか
生きることが どんなに素晴らしいか
勇気と希望 ははえみを忘れず いのちのメッセージを
受信しつづけるかぎり あなたはいつまでも 青春
だが もしあなたの 心のアンテナが 倒れ
雪のように冷たい皮肉と 氷のように頑固な失望に おおわれるならば
たとえ二十歳であったとしても あなたは立派な 老人
あなたの心のアンテナが 今日も青空高くそびえ立ち
いのちのメッセージを 受信しつづけるかぎり
たとえ八十歳であったとしても あなたはつねに 青春
真の 青春とは 若き 肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある
 (志賀親則 訳)

2012/08/14 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月14日
情熱と生命

 そもそも人間というものは、
情熱を失わない間だけが、
真に生きていると言ってよいのです。
内面的情熱の枯渇した時は、
すなわち生命の委縮した時と言ってよいのです。


ホントそうだと思いますね。
「情熱失ってまで生きていたくない」
って考えてます。
と言うか、
結構身体にムチ打って生きてますので、
情熱が支えってとこはありますね。
逆に、
情熱失ってダラダラ生きてたら長生きしたくなるのかな?
そうかもしんない。
あっ、思いだした。
先日TV番組で、
和の鉄人道場六三郎氏の紹介をしていました。
現在80歳の氏は、
これまでた書き溜めたレシピを全部燃やしたそうです。
「過去にすがらないため、
 常に新しいことにチャレンジし続けるため」
だそうです。
情熱は燃え続け、なおも青春真っ只中ですね。
 
 

2012/08/13 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月13日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月13日
成形の功徳

 すべて物事というものは、
形を成さないことには、
十分にその効果が現れない。
同時にまた、
仮に一応なりとも形をまとめておけば、
よしそれがどんなにつまらぬと思われるようなものでも、
それ相応の効用はあるものです。


真理ですね。
「頭で考えてばかりで実行に移さない」
こんな場合はいつまでも考え続けて結論が出ないものです。
「中途半端でよいから形にしてしまう」
するとこ“れではダメ”っていう部分がはっきり見えます。
他人から指摘される場合もある「クレーム」なんてのもあるでしょう。
ここを改良していくのです。
改良がなくなったら完成です。
これこそが結論ですね。
中途半端は相応の効用がありましたね。

2012/08/11 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月12日
優れた実践の背後には

 すべ・べて優れた実践の背後にじは、
必ずや常に一個の思想信念がある。 


“優れた実践”とは、
“自発的な実践”ということかもしれません。
最初は「管理され押し付けられた実践」からスタートでしょう。
人から管理される場合と、
自分自身に管理される場合がありますね。
形が整うと心に変化が現れます。
「形から入って心に至る」って言いますものね。
心に至ると、“夢”や“目標”はっきりしてきます。
想いが積み上がって、積み上がって、
うずうずしてくると、
自発的に実践したくてたまらなくなるのです。
これが思想信念として固まっていくのではないでしょうか。
・・・だと思いますね、
発展途上の私の想像ですよ。

2012/08/11 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月11日
「報徳記」と「夜話」に学ぶ

 極端に言えば、
小中学校では尊徳翁の
「報徳記」と「夜話」とを読ませれば、
修身書はいらぬとも言えるほどです。
教科書を躬(み)をもって突き抜けていくだけの信念がなくては、
何を言ってみたとて無駄なことです。


二宮尊徳(金次郎)の伝記「報徳記」は、
残念なことにいまだに読んだことがありません。
しかし、
「夜話」は何度も繰り返し読みました。
何年前だろう???当時、
カセットテープも販売していましたので車で何度も聴いていました。
それくらい前です。
私の価値観に影響を与えてくれた本の一つです。 
実は、
来年のメールは「二宮尊徳一日一話」にしようかなと考えており、
会社の本棚に鎮座しているのです。
・・・が、
結構難解で感想が書けるのか・・・?
あくまでも考えているところです。

2012/08/10 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月10日
真の良書

 真の良書というものは、
これを読むものに対して、
その人の人生行路を決定していく意義を持つ。


“実写版飛び出す絵本”
職場というテーマでは、
「株式会社武蔵野」
ここが一押しです。
研修というテーマでは、
「日本創造教育研究所」の可能思考研修。
これも一押し。
筆記用具なんて必要なしの研修で、
実習や体験を通して、
人間としての基礎を見直すことが出来るのです。
この二つの、
“飛び出す絵本”は、私たちにとって、
人生行路を決定していく意義を持つ、
無くてはならない良書です。

2012/08/09 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月9日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
  8月8日       藤尾秀昭編
 8月9日
真の修養

 真の修養というものは、
単に本を読んだだけでできるものではなくて、
書物で読んだところを、
わが身に実行して初めて真の修養となるのです。
それゆえ書物さえ読まないようでは、
まったく一歩も踏み出さなないのと同じで、
それでは全然問題にならないのです。


昨日の続きですね。
広ガスたかたは、
“実写版飛び出す絵本”を身体を張って読んでます。
が、
最近は、
広島の仲間たちと共に、
“まねっこ、実写版飛び出す絵本”(広島武蔵野会)をつくり、
毎月、
メンバー各社数名を読書に送り出しています。 
各社とも、
「負けちゃおれん」と頑張ってます。
もちろん広ガスたかたも。

2012/08/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月8日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月8日
まず読書、次に実践

 誠実と言っても、
真の内面的充実がなくては駄目です。
人間も単に生まれつきの「人のよさ」というだけでは足りないのです。
うっかりすると、
その人の無力さを示すだけです。
ですから諸君らとしては、
内面的な弾力のある人格を築かねばならぬ。
それには何と言ってもまず読書です。
そして次には実践です。


「まずは読書です、
 必ず本を読みましょう」
・・・とは言いません・・・いや、言えません
広ガスたかたの多くの社員さんは、
読書は得意ではないことをよく知っていますので・・・。
しかし、
武蔵野という“実写版飛び出す絵本”を見つけたのです。
費用はちょっとだけ・・・、
いいえ、
たっぷりそれなりの費用はかかりますが、
読まない代わりに“身体に読書させる”
これが我が社の“お金”と“身体”を使った、
“体育会系読書”です。
もう一つ、
「良い人だ」
ってほめ言葉ではないですね。
“都合がいい人”や、
“お人よし”だったりしますので注意しましょう。

2012/08/07 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月7日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月7日
良木を仕立てる

 種子のまきつ放しで、
世に良木(りょうぼく)になつたためしはないのです。
良木を仕立てるには、
どうしてもまいた種子に、
種々手入れをしなければならぬでしょう。


庭に松の木を植え、
ほったらかしにする人はいません。
・・・安芸高田市には、
住む人がいなくなり、
家と共にほったらかしの庭木がたくさんあります。
誰が見ても手入れをしていないことは一目瞭然です。
“人の手が入る”と“入らない”の違いを、
改めて意識してみる必要があるのかもしれません。
私たちは良木であり続けるため、
研修や仕事を通して自らに手を入れ続けましょう。
本日も、
2012入社の4名は大阪でお手入れ中です。
「梓さん、藤川さん、東脇さん、岩永さん、
 研修楽しんでるか~」

2012/08/06 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月6日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月6日
後からくる人のために

 一人の人問がその生涯をかけて切り開いた道というものは、
単にその人一人にとどまることなく、
後からくる幾多の人々がその恩恵に浴するのでありまます。


後から来る人に、
言葉で道を伝えてあげることは大切なことです。
が、
生きている間しかできません。
「肉体がなくなっても、
 後から来る人に道を伝え続ける」
人間の社会はそうやって進化し続けてるのですものね。
仕事も頭の中に整理しておくだけではよくないということですよね。 

2012/08/05 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月5日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月5日
先人の足跡をたどる

 真に大志を抱く限り、
そしてそれを実現しようとする以上、
何よりもまず偉人や先哲の歩まれた足跡(そくせき)と、
そこにこもる思想信念のほどとを伺わざるを得ないでしょう。 
 すなわち自分の抱いている志を、
一体どうしたら実現し得るかと、
千々(ちぢ)に思いをくだく結果、
必然に偉大な先人たちの歩んだ足跡をたどって、
その苦心の後を探ってみること以外に、
その道のないことを知るのが常であります。
ですから真に志を抱く人は、
昔から分陰(ふんいん)を惜しんで書物をむさぼり読んだものであり、
否、
読まずにはおれなかったのであります。


過去の偉人の体験を、
すべて同じように体験していたのでは、
頭の回転の鈍い私の場合、
私の一生では時間が足りません。
四生???、六生くらいあれば・・・・、
根本が違うから何何度生き返っても無理ですね。
しかたない、
やはり本を読むしかないですね。 

2012/08/04 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月4日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月4日
人間の有限性

 人間は生まれると同時に、
自覚の始まるわけではない。
それどころか、
人間が真の自覚を発するのは、
人生の三分の一どころか二分の一辺まで生きないと、
できないことのようです。
そしてここに、
人間の根本的な有限性があるわけです。


私は目安として“40歳”だと考えています。
これまでに読んだ本や、
聴いたお話から勝手にそう整理しました。
が、
その年になっていきなり自覚するわけではありません。
その年になる何年も前から、
自覚したようなふりしながら、
仮説と検証を繰り返すのです。
そして、
ようやくわかりはじめるのが40歳ころとではないかと思うのです。
もちろんもっと早い人もいますし、
遅い人もいます。
あくまでも私の考える目安です。

2012/08/03 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月3日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月3日
準備は永く、昧わうは一時

 すべて物事というものは、
これを準備するには、
随分と永い時間を要するものですが、
さて一たびそれを見るとか味わうとかいうことになりますと、
それを準備するに要した時間の幾分の一にも足りない短時間に、
否、
時にはそれ以上ですんでしまうものであります。


28年ぶりの体操男子個人金メダル、
内村航平選手。
やってくれましたね。
鉄棒の演技感動しました。
ロス大会の具志堅選手以来の金ですよ、バンザーイ。
ロス大会、鉄棒と言えば森末選手。
10点満点取り続け、
鉄棒種目、完全無欠の金メダル。
・・・もう28年もたつのですね。
大学の時代、
私の所属していたクラブの宮下先輩は、
重量挙げの代表だったのですが・・・、
たぶん身内しか記憶にないことでしょう。
モスクワ大会ではメダル候補だったのですが・・・、
日本は参加しませんでしたから・・・。
そんな話ではありませんでした。
すべてのオリンピック代表選手は、
4年に一回の瞬間のために、
どれだけ準備期間を要したのでしょうか、
女子重量挙げの三宅選手は、
三大会連続出場しやっと手にした銅メダルです。
努力と結果のバランスとはそんなものなのです。
努力して努力して・・・失格なんてこともあります。
結果は運にも左右されますが、
“成長”という意味では、
努力は絶対に自分を裏切ることはありませんね。

2012/08/02 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月2日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月2日
人生の意義②
カの一切を出し切る

 自分が天から受けたカの一切を、
生涯かけて出し切るところに、
初めて、
小は小なりに、
大は大なりに、
国家社会のお役にも立ち得るわけで、
人生の意義といっても、
結局この外にはないと言えましょう。


器なりに役立つということは大切なことですね。
・・・私に、
「アップルのCEOになってくれ」
と、依頼が来ても、
器が違い過ぎて、
3日どころか3分も持ちませんね。
ウルトラマンのカラータイマーと同じ・・・、
違うな、
ウルトラマンは3分で毎回大仕事をやってのける。
もう一つ大切なことは、
逆に、
自分を必要以上に過小評価しすぎたないことでしょうかね、
周りから認めてくれる事にはチャレンジです。
 
 

2012/08/01 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 8月1日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 8月1日
人生の意義① 
ローソクを燃やし尽くす

 人生の意義とは、
たとえて申せば、
ここに一本のローソクがあるとして、
そのローソクを燃やし尽くすことだとも言えましょう。


燃やし尽くす人世を送りたいですね。

多くの人は、
結構早い時期からくすぶらせているのかもしれませんね。
40歳くらいで燃やし尽くす可能性る人世と、
燃やしきれそうにない人生がはっきりし始めるのでしょう。
50歳からでも60歳からでも可能性がないわけではありません、
・・・低いだけです。
本気になった時がスタートです。
明日からではありません、
「今」です。

2012/07/31 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月31日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月31日
人問をつくる三つの要素

 人問というものは、
これを大きく分けると、
だいたい血、育ち及び教えという三つの要素からでき上がると言えましょう。


“血統”という素質は
スポーツにおいては想像以上に大きいと思います。
身長とか体型や筋肉の質は生まれ持ったものですね。
“育ち”というのはもう、
その家の文化と言ってもいいのでしょう。
一代で大きく変わるものでもないかもしれない。
“教え”は持って生まれたものとも文化とも違うかな?
唯一自らの意志で大きく変えられます。
が、
人間は3つの内の一つを捨てるわけにもいかず、
一つだけ吐出していればよいというものでありません。
常に3つ合わせて自分ですものね、
それぞれの特性を知り、
うまくバランスし生かすしかありませんね。
・・・私がどんなに努力してもオリンピックにはでれませんもの。
「ロンドンオリンピック、頑張れニッポン」

2012/07/30 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月30日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月30日
持ち味を生ずる

 一人の人問が、
永い歳月にわたって明けても暮れても、
常に心の底に持ちつづけて研究したこというものは、
そこに一種独特の持ち味を生ずるものであります。


元広ガスプロパン相談役の中本氏から、
「広ガスたかたの独自の取組みは、
 成就するのかもしれない。
 独自性がいい方向を向いてる」
と言っていただきました。
一種独特でいいのです。
持ち味を生じ、
お客様が感動していただくため、
日々前進して行きます。

2012/07/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月29日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月29日
前進あるのみ

 生きている問は、
一瞬の油断もなく、
進みに進まねばならぬのです。
これ真実の生活というものであり、
すなわちまた誠に外ならぬわけです。


「どんな場合でも、
 一歩たりとも引くな」
という意味ではないように思います。
危険を察知しているのに前進する人はいません。
「一瞬の油断もなく」
というのはそんな意味でしょうか(勝手に解釈)
遠回りすることが時間短縮であれば、
それは前進ですよね、
きっと。
「大志に背を向けるな」
・・・でもないな、
「大志から目をそらすな」
・・・これも違うな。
「大志に向かって、
 安全かつ、最短距離を歩め」
・・・かな?。

2012/07/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月28日
歩き方と人間の格②

 同じく走るのでも、
場合によっては音を立てないように走らないといけません。
人問もそういうふうに、
心が冴えて来ないといけません。
しかし十八、九や二十くらいの頃は、
まだあれでもよいですが、
人間も三十、四十になって、
なお、パタパタと廊下を音立てて歩いていたんではもうお終いです。
いい年をしながら、
そんなことでは、
実際何のために人間に生まれて来たか分からぬことになります。


そういえば小学校の頃、
「廊下を走るな」
とよく注意を受けていました。
さすがに今は、
そんな体力も、
走れるような廊下もありません。
ここではそんなお話ではありませんね。
常識、マナー、ルールは最低限のこと、
エチケットや作法に至るまで、
歳相応、それ以上というのが
「人間の挌」
なのでしょうね。
一方で、
「人間の挌」の著者芳村思風先生は、
円熟人生ではなく、
角熟人生とも言われています。
角熟人生については機会があればまた書きます。

2012/07/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月27日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月27日
歩き方と人間の格①

 人問いつまでも、
ああいう風に歩いているようでは駄目ですね
(この時、授業時間中にもかかわらず、
 廊下をぺタぺタと、スリツパを引きずってゆく生徒の足音が、
 騒々しく聞えてくる)。
内でこう言われているとも知らないで、
ご本人は平気でいるんです。
ああいう調子で、
いくら剣道をやるといっても、
たいした者にはなれないでしょう。
いわんや教師となって、
一かどの人物になるはずがありません。 


「習慣や癖など、
 無意識の行動が全体の90%以上」
先日来度々登場していますね。
入社二年目で、
経理担当一年目の杉田さん。
昨日、
部屋のロールスクリーンを締め忘れてました。
今日は、
引き出しの閉め忘れなど・・・。
しっかりと意識してもらうため、
きちんとペケポンで指導しています。
「気づくだろう」
「気づくまで待とう」
などと言っていたら、
気づくより先に会社がつぶれてしまいます。
温かみのある、
小姑集団を目指しましょうね。

2012/07/26 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月26日
友情

 友情の最も深く感ぜられるのは、
何と言っても道を同じくし、
師を共にする同門の友との間柄でしょう。
というのも、
その時そこで語り合う問題は、
決して単なる世間話ではなくて、
常に人生の問題であり、
道の問題だからであります。


あっ、
昨日の“悩み”の解説ですね。
「そこで語り合う問題は、
 決して単なる世間話ではなくて、
 常に人生の問題であり、
 道の問題です」
ぜひ、
酒を酌み交わし語り合いましょう。
もちろん“道”について。

2012/07/25 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月25日
道の上の友

 友人関係において、
真に尊敬するに足る友人とは、
結局は道の上の友ということでしょう。
したがって道の上の友ということになると、
結局は師を共にする場合が多いと言えましょう。
つまり同門の友というわけです。


そうですね。
同門で“同じ悩み”を抱える人たち。
“研修仲間の経営者”
ということになります。
しかし、
同門という意味では、
広ガスたかたの社員さんは、
師を共にする同門です。
今は、
それぞれのポジションで悩みが違いますが、
その中から私と“悩み”を共にする人が、
多く出てくることを確信しています。
“真に尊敬するに足る兄弟弟子”
ですね。 
 
 

2012/07/24 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月24日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月24日
生への感謝

 現代の人々は、
自分が人身を与えられたことに対して、
深い感謝の念を持つ人ははなはだ少ないようであります。
仏教には
「人身うけがたし」
というような言葉が昔から行われているのです。
つまり昔の人たちは、
自分が人間として生をこの世にうけたことに対して、
衷心(ちゅうしん)から感謝したものであります。


これまでに何度も書きましたがまた書きます。
一度の射精で精子の数は1億~4億だそうです。
その中のたった一匹?一人?のあなたが、
卵子にたどり着いたのです。
・・・が、
これは一度の性交で妊娠した場合です。
そう考えると、
ないとは言わないが…という確率ですよね、
排卵は月に一回ですから。
・・・もっと具体的なのをホームページで見つけました。

男性、
    一度に1~4億個 × 一生の中での性交回数(ⅹとする) の精子 = y
         (ⅹ=ご自分の一月のサイクル数 × 実行可能な年数 を入れて計算)
 女性、
    一生に約400~500個の排卵

計算例
  男性 月4回で4~16億 × 20歳~60歳の40年とすると 
            y=160~640億 の精子数
  女性 400~500個 卵子数

    最定数 400 × 16,000,000,000 = 6,400,000,000,000
     最高数 500 × 64,000,000,000 =32,000,000,000,000  

が、分母でもちろん分子は1
 《あなたが生まれ生きている奇跡的な確率》

今存在していることに、
心の底から感謝するしかありませんよね。
私たち一人一人が奇跡なのですから。

2012/07/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月23日
階段を登る工夫③
日々の準備

 しかしそのためには、
非常な精神力を必要とするわけです。
階段をさらさらと登るには、
二倍のカではなお足りないでしょう。
少なくとも三倍以上の、
心身の緊張力を持たねばできない芸当です。
 同時にここに人生の秘訣もあるわけです。
つまり人問というものは、
ある意味では常に逆境に処する心の準備をしていなくてはいけないのです。
もう一つ突込んで言えば、
人間は毎日逆境に処する際の心構えをしていなくてはいけないとも言えましょう。
それが先ほど申したように、
階段を昇る際の呼吸ともなるわけです。


昨日書いたスポーツ選手の話かな?
まずは鍛えて体力強化。
もう一つが精神力の強化。
・・・この鍛え方はよくわかりませんね。
私の場合は、
胃に何度も穴をあけながら、
障害を乗り越え乗り越え、
一歩ずつ着実に歩んでいくことで、
多少ましになってきたような気がします。

2012/07/22 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月22日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月22日
階段を登る工夫②
さりげなく

 この辺の趣(おもむき)が分からなくては、
その人の人生もまだ本格的に軌道に乗ったとは言えないでしょう。
そこでまたお互い人間は、
逆境の時でも、はたの人から見て、
苦しそうに過ごすものではないとも言えましょう。
つまり階段の途中まできても、
平地を歩くと同じような調子で登るのと同じように、
人生の逆境も、
さりげなく越えていくようにありたいものです。


“階段を登る工夫”は、
明日の分も含めて一つの文章になってるのですね。
本日の部分を私なりに解釈しますと、
「マゾになろう」
苦しさを楽しもうと言うことです。
楽しめないまでも、
まずは楽しい振りして進みましょう。
スポーツ選手にけっこう多いのかな、
「自分を鍛えていじめるのが好き」
っていう人。

 

2012/07/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月21日
階段を登る工夫①
さらさらと

 諸君は階段を昇るとき、
まるで廊下でも歩くように、
さらさらと登る工夫をしてごらんなさい。
というのも人問の生命力の強さは、
ある意味ではそうしたことによっても、
養われると言えるからです。
 階段の途中に差しかかって、
急に速度がにぶるようでは、
それはその人が、
心身ともにまだ生命力の弱い証拠と言ってもよいでしょう。
と申すのも、
この場合階段というものが、
やがてまた人生の逆境にも通ずると言えるからです。


ありえないことを、
どうやってでも成し遂げる。
・・・セブンイレブン物語ですね。
でも、
当時、あり得ないと言われていたことが、
今や日本の常識。
が、どんどん広がって、
お隣、韓国でもいたるところにコンビニのパレード。
広ガスたかたのサービスも、
業界の標準になったりして・・・、
それでは差別化できなくなります。
新しいサービス、創造しつづけなければね。

2012/07/20 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月20日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月20日
生き甲斐、生まれ甲斐

 我々人問にとって、
人生の根本目標は、
結局は人として生をこの世にうけたことの真の意義を自覚して、
これを実現する以外にない。
そしてお互いに、
真に生き甲斐があり生まれ甲斐がある日々を送ること以外にはない。


学生時代は、
チャレンジしない人生を送っていました。
今、分析すると、
すべてに自信がなく、
本気で取り組み成果が出なかったとき、
「自分自身の逃げ場がない」
と知っていたのかもしれません。
「やればできる。
 ・・・けどやらない」
と、自分に言い訳してましたものね。
小学4年生の時、
なぜだか自ら始めた空手。
小学6年の春かな?
組手試合では一向に勝てずにいましたが、
型試合なるものが登場し、
二度目の大会(だったと思う)で優勝してしまった。
すると不思議なもので、
組手試合も3位くらいには入ることも、・・・ときどき。
これが、
初の成功体験だったのかもしれないと考えています。
社会人になって、
仕事で苦しみながら、
人生を振り返った時に感じたことです。
経営理念をつくってからは、
一年ごとに“念い(おもい)”が強くなっていきます。
現在、
自信に満ちあふれた人生・・・とは程遠く、
とてもとても口には出せませんが、
苦しい人生をマゾのように楽しんではいます。 

2012/07/19 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月19日
出処進退でわかる人の真価

 すべて物事は、平生無事の際には、
ホンモノとニセモノも、
偉いのも偉くないのも、
さほど際立っては分からぬものです。
ちょうどそれは、
安普請の借家も本作りの居宅も、
平生はそれほど違うとも見えませんが、
ひとたび地震が揺れるとか、
あるいは大風でも吹いたが最期、
そこに歴然として、
よきはよく悪しきはあしく、
それぞれの正味が現れるのです。
同様にわれわれ人間も、
平生それほど違うとも思われなくても、
いざ出処進退の問題となると、
平生見えなかったその人の真価が、
まったくむき出しになってくるのです。


・・・広ガスハウジングの家づくりには、
いくつかの課題があり、
反映しきれていないのは不徳の致すところですが、
個人的には、
家づくりにはこだわりがあります。
15年前、
我が家の新築時に、当時としては、
「なんだこれ」
オンパレードの家を建てました。
妻からも「なんだこれ」。
いとこの住宅会社社長からも「変わってるな」。
が、
数年後、
いとこからこんな言葉が、
「当時は変な家だと思ったが、
 これからますますそうなっていく、
 先進的だったんだな」
妻は、
住んでみて良さを実感。
友人の家にお邪魔したときに感じるのは、
「この家では暮らせない」
だそうです。
本物とはそういうものだと考えています。
人間も同じですね。
自分自身を変え、
成功へ向かう唯一の方法。
“意識改革”唯一の方法とも言えますね。
「行動を変える」
これしかありません。
・・・私も少しずつ。
あっ、
思いだしました。
24年前、
妻が住吉家に嫁ぎ、
しばらくすると、
家族全員玄関の靴をそろえるようになりました。
そんなこともできてなかったんです・・・。
これは妻の大功績です。

2012/07/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月18日
ホンモノとニセモノ

 真実なものと、
そうでないもの、
ホンモノとニセモノとは、
平生は一向にその相違は見えなくても、
一たん事が起きると、
まごうことなくぞの柑違が現れるものです。
そこでホンモノとニセモノとの相違は、
かように事が起きるとか、
あるいはまた永い年月がたつか、
そのいずれかによって、
必ずはっきりしてくるものです。 


何年前でしたか・・・。
私は偽善者と陰で言われてました。
・・・堂々と言いに来る社員さんもいました。
自分でも本物か、偽物かよくわからないころのことです。
偽物とは言いませんが、
本物もよくわかっておらず、
「本物であればこうあるべき」
と、無理やり行動をつくっていました。
ギクシャクするのは当たり前、
本物を目指す偽物ってとこですかね。
あれから数年、
時間がはっきりさせてくれる。
時間がたっても証明されないものは、
もちろん偽物です。
・・・本物までは成長してません。
が、ましにはなってきたかな。

2012/07/17 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月17日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月17日
知りにくい自己を知る

 お互い人間というは、
自分の姿が一ばん見えないものであります。
したがって私達の学問修養の眼目も、
畢竟するに、
この知りにくい自己を知り、
真の自己を実現することだと言ってもよいでしょう。

畢竟(ひっきょう)=究極 


自分の行動で、
意識下でコントロールされているのは10%以下です。
・・・何日か前にも書いたな・・・ま、いいか。
90%以上の行動は無意識の習慣や癖。
90%以上の行動を自ら紐解き、
意識下に置くとどうなるでしょう。
世間的には、
“人が変わった”と評価されることは間違いありませんね。
なにせ、
他人からは頭の中は見えません。
見えているのは行動だけですから。

2012/07/16 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月16日
下坐行②

 下坐行を積んだ人でなければ、
人間の本当の確かさの保証はできないと思うのです。
たとえその人が、
いかに才知才能に優れた人であっても、
まただどれほど人物の立派な人であっても、
下坐を行じた経験を持たない人ですと、
どこか保証しきれない危なっかしさの付きまとうのを、
免れないように思うのです。


「経営は机上ではできない」
・・・だけではできない。・・・かな?。
大学で経営を学び、
さらに研究し、多くの本を出したとしてもても、
それは机上の空論です。
研究成果や本には正しいことがたくさん書かれていることでしょう。
しかし、
コンピュータが経営をするわけではありませんし、
ロボットが営業をするわけでもありません。
“我が社にどうそれを持ち込むか”
これは各社ごとなので誰も研究しまとめていません。
イエローハットの鍵山秀三郎相談役は“凡事徹底”、
武蔵野の小山昇社長は“環境整備”と言われています。
下座行を通して哲学にされたカリスマ経営者です。

2012/07/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月15日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月15日
下坐行①

 我々人間も、
どうしても真実を積まねばならぬわけですが、
しかし事を積むには、
まずその土台からして築いてかからねばなりません。
では人問を鍛えていく土台は、
一体どういうものかというに、
私はそれは
「下坐行(げざぎょう)」というものではないかと思うのです。 


マリーアントワネットの有名な実話・・・だそうです。
パリ市民は飢え、「パンをよこせ!」ベルサイユ宮殿に押しかけた。
それを見たアントワネットは、
「パンがないならケーキを食べればいい」と言ったそうです。
名門ハプスブルク家出身のお嬢様でが、
15歳位?でオーストリアからフランスに嫁いできた、
チョーノー天気なお嬢様だったわけです。
要するに
「下座行」がまったくなし状態だったのでしょうね。
人の嫌がることを自ら行うこと、
周りの人や社会のためになることを人知れず行なうことなども、
「下座行」の仲間でしょうかね。

2012/07/14 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月14日
無窮なる生命

 人間というものは、
その外面を突き破って、
内に無限の世界を開いていってこそ、
真に優れた人と言えましょう。
同時にまたそこにこそ、
生命の真の無窮性はあるのです。


難しい表現ですね・・・。
私たちの行動の内、
意識してコントロールできているのは何%でしょうか?
答えは、
10%以下です。
心理学でのきちんとしたデータが元だそうです。
自分を知らないのは実は自分だったのです。
周りの方が意識しない90%も含めて見てくれています。
そのことを知ると、
確かにその10%を突き破り、
無意識の坑道の90%へ足を踏み込む人が、
「真に優れた人」
ということですね。
無意識の行動を意識して変えることのできる人は、
すでに成功に向かっているそうですよ。

2012/07/13 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月13日

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    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月13日
真実の道

 実は真実の道というものは、
自分がこれを興(おこ)そうとか、
あるいは「自分がこれを開くんだ」というような考えでは、
真に開けるものではないようです。(中略)
 では真実の道は、
一体いかにして興るものでしょうか。
それには、
「自分が道を開くのだ」
というような一切の野心やはからいが消え去って、
このわが身わが心の一切を、
現在自分が当面しているつとめに向かって捧げ切る
「誠」によってのみ、
開かれるのであります。


なるほど、
その通りですね。
森先生の言われる「野心やはからい」は、
「私欲」と言いかえれそうです。
「誠」は「私を超えた感動や幸せ」
私欲があるうちは、
真実の道ではないことは定かです。
「私を超えた感動や幸せ」に、
自身を捧げ切ることが真実の道。
本当によくわかります。
・・・「わかる」のと「できる」のは違いますよ。
・・・・・・はい。 

2012/07/12 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月12日
真実の教育

 そもそも真実の教育というものは、
自分の失敗とつまずきとを、
後に来る人々に、
再び繰り返さすに忍びないという一念から起こると言ってもよいでしょう。


分かりやすい。
実にわかりやすいですね。
企業の場合、
そうやって積み上げ積み上げ仕組みになっていくのでしょうね。
・・・しかし、
「忍びない」という思いが湧き出てくるまでに、
感謝の気持ちをどれくらい積み上げると湧き出てくるのでしょう。
・・・。

2012/07/11 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月11日
失敗を最善に生かす

 すべて偉人というものは、
後悔しないもののようであります。
現に宮本武蔵なども、
その『五輪之書』において「われ事において後悔せず」と言っているのです。
そこで諸君らも一つ、
後悔しないような人間になって戴きたいものです。
それにはいかなる失敗も、
必ずやこれを最善に生かすという心がけが大切でしょう。
失敗を成功以上に生かす人間こそ、
真に畏(おそ)るべき人間であります。


コンビニ業界を作り上げた、
セブンイレブンの鈴木敏文会長。
  セブンイレブンと契約し、
 アメリカからコンビニを持ち込もうとしたが、
 そのままではまったく日本では通用しないことが、
 後でわかりました。
  腹をくくって日本独自のコンビニスタイルを、
 新たに創ることを決意したのです。
  小さな店舗に3000アイテム商品という、
 一号店のオープンにこぎつけました。
  が、
 当時の物流システムでは、
 単品配送なんてありませんので、
 陳列前の在庫商品を置く大きな倉庫が必要になりました。
 そんなスペースはコンビニにはありません。
  そこで、
 エリア配送システムという新たな考えを創り、
 同じエリアに何店舗ものセブンイレブンをオープンしました。
 ・・・と言っても、
 日本にセブンイレブンが一店舗しかない時代に、
 同じエリアに何店舗もオープンさせるための営業努力は、
 ありえないほど厳しいものだったそうです。
 「やるしかないだ」
 を合言葉に進んだそうです。
  お弁当やおむすびは、
 “家で作って外で食べるもの”
 から、
 “お店で買って家で食べるもの”
 に替えてしまったのもセブンイレブンです。
鈴木会長は、
「過去にとらわれるな」
「自分の頭で考えろ」
と言われているのだと思いますね。

2012/07/10 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月10日
性欲の問題②

 すなわち人間のカ、
人間の偉大さと言うものは、
その旺盛な性欲を、
常に自己の意志的統一のもとに制御しつつ生きるところから、
生まれてくると言ってもよいでしよう。
かくして初めてそこに、
人間としての真の内面的な弾力を生ずるわけであります。


性欲をコントロールすることが、
“人間としての真の内面的な弾力”。
すごい表現ですね。
しかしよくわかる表現です。
「本性(本能)の生きる動物」
「理性で生きる人間」
とは言え、
最近のニュースは、
理性の飛んでしまった人間の多さを報道しています。
芳村思風先生は、
これからの時代は、
理性をさらに超える、
“感性”の時代と言われています。
「はっ」とする心が“感性”、
常識への違和感、
そして常識を創造すること。
良い意味で非常識の実践ですね。
先日テレビでセブンイレブン物語をやってましたが、
まさに、非常識の実践が、
常識を変えていった例ですね。

2012/07/10 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月9日

修身教授録

    一日一言

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 79

性欲の問題①

 性欲の萎(な)えたような人間には、

偉大な仕事はできないと共に、

またみだりに性欲を漏らすような者にも、

大きな仕事はできないということであります。

芳村思風先生の“感性論哲学”でも同じことを言われています。

と言うよりも、

森信三先生が元なのでしょうね。

「性欲は強いほど良いのだ、

 意欲のエネルギーと性欲は比例する。

 ただし、

 動物ではないのだから、

 人間として“理性”でコントロールしなくてはならない」

思風先生の他のお話も思いだしました。

「人間は一人一人違う価値観を持っている。

 その価値観を理解し合おうとする“努力”そのものが“愛”である。

 “和気あいあい”は“愛”ではない。

 努力の必要ないところに“愛”はない」 

 

2012/07/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月8日

修身教授録
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月8日
常に志とともにあれ

 いやしくも、
ひとたび真の志が立つならば、
それは事あるごとに、
常にわが念頭に現れて、
直接問接に、
自分の一挙手一投足に至るまで、
支配するところまでいかねばならぬと思うのです。


“真の志”は、
「自分の一挙手一投足に至るまで支配する」
ですよね、
ほんと、そう思います。
・・・遠いですが。
 いい加減に歩む人生から、
まともに歩む人生に修正をかけようとした時期があります。
その時には“真の志”には程遠いものですから、
無理やり行動に修正をかけました。
徹底的に意識しまくって。
志が支配するのではなく、
カッコつけてるわけですから・・・ものすごく疲れるし、
何度も胃に穴もあけました。

2012/07/07 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月7日

修身教授録

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        藤尾秀昭編

 77

人問の本懐

 我々の学問の目的は、

「国家のためどれだけ真にお役に立つ人間になれるか」

ということです。

どれほど深く、

またどれほど永く―。

人間も自分の肉体の死後、

なお多少でも国家のお役に立つことができたら、

まずは人間と生まれてきた本懐というものでしよう。

経営の神様と言われる松下さんは、

死後も確実に国家のお役に立たれています。

私のような凡人はとてもそんなことはできません。

が、

広ガスたかたの未来のために、

残せる有形無形の資産を作りあげる。

これは経営者としての責任ですね。 

 

2012/07/06 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月6日

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        藤尾秀昭編
 7月6日
この現実の大野に

 教育とは、
結局人間を植えることであり、
この現実の大野に、
一人びとりの人間を植え込んでいく大行なのです。
それがいかに荘厳な事実であることか。
それは達識明眼の人でなければ、
真の洞察はできないかも知れません。

・ 
 大野=広々とした野原
 荘厳=重々しく威厳があって、気高い事
 達識明眼=物事の全体を広く見通す優れた見識で、
        ものの真実を見通す目

・・・達識明眼出ない私には、
「人間を植えこむ」
ということがピンときません。
田植と同じことを言われているのだとすると、
田んぼに苗を植、
水の管理などをしながら秋には黄金色の稲穂に成長していく。
と同じように人間の成長を例えられたのでしょうか???
・・・誰か教えてください。

2012/07/05 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月5日

修身教授録
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月5日
生命の種子をまく

 われわれ一れ教師としては、
生徒の素質のいかんを言う前に、
まず生命の種子を相手の心の中へまき込むことです。
生命の種子をまくとは、
自分の全信念を傾けて教えるということです。


縁あって、
広ガスたかたで共に働く仲間がいます。
私自身、
素質のことを言えるような人間でないことはよく知っています。
20代後半から、
“自分に種をまき続ける人生”
を続けているのかもしれません。
今も研修などに参加しまくっています。
社内で行っている、
早朝勉強会や社長勉強会は、
共に働く仲間への種まきという気持ちです。
常にいっぱ一杯一杯でやっています。

2012/07/05 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月4日

修身教授録
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 7月4日
人問は井戸のようなもの

 人間のカにはそれぞれ限度があるとも言えますが、
同時にまた他面からは、
際限がないとも言えるのです。 
 それはちょうど井戸水みたいなもので、
なるほど一方には、
水の良く出る井戸もあれば、
また出の良くない井戸もあると言えましょう。
しかし実際には、
水をかい出して、
もう出なくなったと思っても、
しばらくすればまたちゃんと元のように溜っているのです。
人間のカもまあそんなもので、
もうこれ以上はやれないと思っても、
その人にして真に精進の歩みを怠らなければ、
次つぎと先が開けてくるものであります。


私の小さいころには多くはありませんが、
滑車の付いた井戸や手押しポンプの付いた井戸も残っており、
確かに、
季節やいろいろな条件によって水量が変わっていましたね。
人間も同じなのですね。
よくわかります。
井戸が枯れたと思ったらもう使いません。
同じように自らここが限界と思った瞬間に、
それ以上を求めなくなります。 
松下さんは“宇宙根源の法則”という言葉をつかわれ、
自然界から学ぶことがたくさんあると言われています。
その中の一つですね。

2012/07/03 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月3日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月3日
言葉の深さ

 お互いに常に耳馴れている言葉というものは、
実は曲者(くせもの)であって、
耳馴れた言葉が、
常に新鮮な響きをもってわが心に響くということは、
よほど優れた人で、
常に進んで息(や)まない人でなければ、
容易に至り得ない境涯と言ってもよいでしょう。
ですからわれわれの多くは、
このような境涯には至り得ないで、
単に耳馴れ聞き古したこととして、
深くは心にもとめないのが、
常だと言えましよう。
したがってそこに新たなる響きを聞き、
その深さに驚くことを忘れがちであります。


業界用語というのがそれでしょうか?
私たちが日常的に使う、
LPガス業界、建築業界、家電業界など、
その業界では一般的に使われている言葉、
はじめて聞くときは、
「なんだそれ?」
って思ったことでしょう。
馴れてくると、
お客様の前でも使ってしまい、
「なんだそれ?」
ってお客様が感じていることにも気づかない。
ってことかな。
ここで言われているのは少し違うと思いますが、
常に“感動”の感性アンテナを動かし続けることが大切なのでしょう。

2012/07/02 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月2日

修身教授録
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        森  信三著
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7月2日
気分とは妙なもの

 人間の気分というものは妙なもので、
一杯いや半杯のご飯でも、
その足りないことを他人のせいにしている間は、
なかなか我慢のしにくいものでです。
ところが心気一転して、
「どの程度こらえることができきるか、
 一つ試してみよう」と、
積極的にこれに対処するとなると、
それ程でもないものです。


禁煙と同じですね。
20年位前の話ですが、
「禁煙は100%できる」
とTV番組の中でドクターが言ってました。
「治療中の患者さんに、
 “喫煙し続けると病気が進行し死ぬ”
 と言ったら100%の人が禁煙しました。
 タバコ吸い続けて死んでも構わない。
 と言ってた人たちもです」
自分でやめると決めたら100%なのですね。
私も、妻が初出産をする前の年、
12月31日をもってやめました。
22年前です。
 

2012/07/01 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 7月1日

修身教授録
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 7月1日
言葉の真相

 そうじて言葉というものは、
単に外側からながめている程度では、
決してその真相の分かるものではありません。
すなわち言葉の真相は、
どうしても、
自分の体をそれにぶつけてみないことには、
真の意味というか味わいは分からないものなののです。


30歳くらいから研修に参加しまくってました。
が、
理論としては吸収しつつも、
実務としては、
「机について考えてる人のきれいごとだ」
と心の中で反発していました。
本当は「机上の真実」だったのですが、
経験のの少ない私には当時わかりませんでした。
広ガスたかたの幹部は、
今それを感じているところではないかと思います。
「言葉の真相は、
 自分の体をそれにぶつけてみないことには、
 真の意味というか味わいは分からない」
ぶつけた人にはわかります。・・・よね。

2012/06/30 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月30日

修身教授録
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月30日
継続はカ

 永続きしないものは決して真のカとなるものではありません。 


掃除の神様と言えば、
イエローハットの創業者、
鍵山秀三郎さんですね。
“普通のことを非凡に行う”
人からは“異常”と思われて本物に近づくのでしょう。
我が社の車は毎週木曜日の朝、
“異常”です。
もちろん、
前日の夕方、
社員さんの非凡さが作り出した結果です。
 

2012/06/29 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月29日

修身教授録
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月29日
人生の至楽

 何よりももまず自分の仕事を果たす。
そしてその上でなおゆとりがあったら、
そこで初めて本を読む。
これ実に人生の至楽というものでしよう。

・ 
「時間はつくるもの」
って言いますね。
もちろん一日24時間。
すべての人の平等です。
経験が今よりも不足していたころは、
やるべきことをやり終わると時間がなくなっていたので、
睡眠時間を削ってました。
今は、
睡眠時間を削りすぎると、
身体は起きてても頭が働きません。
移動を車からJRに替えるなどし、
時間をつくっています。
が、
“人生の至楽”を感じる、
“その上でなおゆとり”はまだまだありません。

2012/06/28 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月28日

修身教授録
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 6月28日
充実した一日を生きる

 一日を真に充実して生きるには、
一体どうしたらよいかが問題でしょう。
その秘訣としては私は、
その日になすべきことは、
決してこれを明日に延(のば)ささぬことだと思うのです。


「明日もあれば明後日もある、
 今日は楽しいことだけやってよう」
って生活をやめる努力が進むほどに、
人生が楽しくなってきました。
日々楽しいことだけやってたころより、
ずいぶん楽しい。 

2012/06/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月27日

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    一日一言
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        森  信三著
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 6月27日
教育の意義は立志に極まる

 教育の意義は、
この立志の一事に極まると言ってもよいほどです。
故にまた真に志が立つならば、
ある意味では、
もはやしいて教え込む必要はないとさえ言えましょう。
というのも真に志が立ったら、
自分に必要な一切の知識は、
自ら求めて止まないからであります。


教育の意義にかかわらず、
人生は真に志が立ていれば、
ふらついたりするはずありませんよね。
・・・そんな人多くありません。
現実は人の見ていないところで苦しんでいたりするのでしょう。
順調と思っていたら足元をすくわれたりもします。
リーマンショックで倒産した企業もたくさんあります。
真に志が立っていれば、
そこからでも再生することでしょう。
0からやり直す勇気のない臆病者の私は、
リーマンショックのような大不況下でも、
倒産しない企業を目指し、
日々コツコツ歩み続けます。

2012/06/26 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月26日

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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月26日
思いつめるカ

 「自分もいつまでもこんなことをしていたんでは、
 大した教師にはなれないだろう。
 一端(いっぱし)の教育者となるには、
 何とかして現在のこの生温(なまぬる)さを克服しなければならぬ」
と、
日夜思いつめるところがなくてはならぬのです。
この思いつめるカそのものが、
実は刻々に、
自分に対して内面的なカを与え、
それがやがてまた将来の飛躍への原動カとなるのです。 


「なまぬる業界から抜け出し、
 真にお客様とウイン・ウインの関係を創る」
こんなことを30歳そこそこの若造がぬかしてました。
“業界”自体のない時代から、
業界を作り上げた人たちから非難を浴びるのは当たり前。
しかし、
日夜思いつめてるとゆっくりですが、
社内が変わってきました。
数年前からは加速度的にスピードアップ。
ゴールは見えていませんが、
しっかりと道は見えています。
年齢は51歳になりますが・・・。

2012/06/26 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月25日

修身教授録
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月25日
二種の苦労人

 同じく苦労しながらも、
その人の平生の心がけのいかんによって、
そこにはまったく相反する結果が現れるということです。
すなわち一方には、
苦労したために人間の甘さとお目出たさはなくなったが、
同時にそのために冷たい人間となり、
えぐい人間となる場合と、
今一つは、
苦労したために、
かえって他人の不幸に対しても、
心から同情のできるような心の柔らかさや、
うるおいの出る場合とです。
そしてそれは結局、
平素真の教えを聞いているか否かによって、
分かれると言えましょう。

・ 
盲導犬と同じですね。
盲導犬の資質の最も大切なことは、
「人間を真に信頼できるか」
厳しい盲導犬の訓練に耐え、
盲導犬デビューする犬たちは、
生まれて訓練に入るまでの1年間、
パピーウオーカーの愛情をたっぷり受け育てられます。
盲導犬にとっての、
「平素の真の教え」とは、
人間からの愛情のことだと思いますね。
TVでしか知りませんが、
目の見えない人の目の代わりをし、
しかも自ら(盲導犬)の判断で、
飼い主の身を守る。
飼い主を守るためケガはおろか、
命まで失う危険もあるそうです。

2012/06/24 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月24日

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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月24日
苦労の注意点

 苦労ということについて、
気をつけねばならぬのは、
なるほど人間は、
苦労によってその甘さとお目出たさとはとれましようが、
しかしうっかりすると、
人間がひねくれたり冷たくなる危険があるわけです。
そこで苦労の結果、
かような点に陥ることなく、
しみじみとした心のうるおいと、
暖みとが出るようになるためには、
平素から人間の道というものについて深く考、
かつ教えを受けておかねばならぬと思うわけです。


人間が苦労した結果、
「ひねくれたり冷たくなる」ときの条件があると思うのです。
夢や希望を抱かず、
ただただ苦労をすると心も荒(すさ)みます。
しかし、
この苦労の向こうには、
大きな希望、勇気、夢があると真に信じることができると、
同じ苦労のはずが、
全く違った感じ方になることでしょう。
甘さとお目出たさは捨て、
大志いだきましょう。
私たちはノー天気ではない。
もちろん心も荒んでいない。

2012/06/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月23日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月23日
凝り性と意地

 凝り性というのと意地というのとでは、
必ずしも同じものとは言えない。
それというのも凝り性というのは、
自分の勉強なりその他何でも、
自分の仕事に打ち込むことであるのに対して、
意地という方は、
そこに対他的な意味が含まれているからです。


“凝り性”というのは、
楽しみながら打ち込むことだと思います。
一方“意地”とは、
胃を痛めつつ、
苦しみながら打ち込むことだと思うのです。
・・・ある時期に限れば“意地”も必要です。
楽しいばかりが人生ではありません。
ここはしっかりと心しておく必要がありますね。
でも、
人生トータルでは、
こってこてに“凝って”楽しい見たいものです。 

2012/06/22 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月22日

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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月22日
負けじ魂を燃やせ

 実際修養ということさえ、
ある意味では負けじ魂がなければ、
なかなかできるものではありません。
その点からは、
偉人とは道を履み行う上で、
何人にも負(ひ)けをとるまいと、
生涯覚悟して生き貫いた人と言ってもよいでしょう。


 風も震えるヘアピンカーブ
 怖いものかとゴーゴーゴー
 ホワイトボディ マッハ号
 負けじ魂親譲り
・・・・やっと出てきた。
私が初めて
 “負けじ魂”
という言葉を知ったのは、
アニメ主題歌です。
5年くらい前でしょうか、
いろいろな障害が立ちはだかり苦しんでいたころ、
京都の友人から紹介された曲、
歌手名もタイトルも覚えていませんが、
車でいつも聞いていました。
 負けてたまるか~
 負けてなるかよ~
 夢まであと少し~
今も時々聞いてます。
・・・マッハゴーゴーゴー主題歌、
の続きも良い詩です。
 走り出したら後には引けぬ
 行くぞ勝利のゴールまで
 マッハゴーゴー 
 マッハゴーゴー
 マッハゴーゴーゴー

2012/06/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月21日

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        藤尾秀昭編
 6月21日
真実は現出する

 真実というものは、
必ずやいつかは現れずにおかぬ。


「正義は勝」
・・・最近の子供たちは信じてるのかな???
日曜日の朝、
仮面ライダーやってますが、
悪党も、
正義の味方もどちらもチャラい。
本郷たけし(藤岡弘)はどう思って見ているのか・・・。
・・・見てないか。
メリハリがないことが、
子供たちが成長するうえで、
後々不安と思うのは私だけかな?
話がわき道を走ってしまいましたが、
自分の信じる真実が、
100%真実とも限りません。
が、
真実は、
必ずやいつかは現れるのです。
オウムの高橋容疑者が信じる真実が、
現実の真実ではないように。・・・です。

2012/06/20 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月20日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月20日
不滅なる精神

 我々人問は、
その人の願いにして真に真実であるならば、
仮にその人の肉体が生きている間には実現せられなくても、
必ずやその死後に至って、
実現せられるものであります。
否、
その志が深くて大きければ、
それだけその実現には時を要して、
多くはその肉体の死してのち、
初めてその実現の緒(ちょ)につくと言ってもよいでしよう。
そしてこれがいわゆる「不滅なる精神」、
または「精神の不滅」と呼ばれるものであります。


松下さんは、
この真に真実のことを、
「宇宙根源の法則」
と表現されていますね。
「人間は本来強い。
 いや、
 宇宙根源の法則に乗ったときに、
 人間は強い」
と、松下さんが言われたと、
木野親之先生から聞きました。

これは、
「不滅なる精神」ですね。

2012/06/19 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月19日

修身教授録
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月19日
ねばり

 粘りというものこそ、
仕事を完成させるための最後の秘訣であり、
同時にまたある意味では、
人間としての価値も、
最後の土壇場において、
このねばりが出るか否かによって、
決まると言ってもよいと思うほどです。


私の経験でも、
これは最も大切だお考えています。
私流に言いかえると、
「人間は才能や能力ではない。
 唯一、諦めの悪いことが成功への道」
です。
もちろん私は、
まだ道のりの途中です。

2012/06/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月18日
こせつかない

 すべて偉大なものは、
自ら出来上がるものであって、
あまりに早くからこせつきますと、
大きな実りはできにくいものであります。


そうですよね。
何をやるにしても、
心にゆとりがなくてはうまくいきません。
ギア(歯車)も完璧な精度で作ると、
ギア同士がきちんとはまりすぎ、
回転しないそうです。
ギアだってゆとりが必要です。
ゆとりを持って進みましょう。

2012/06/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月17日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月17日
寡兵もって大敵に向かう

 仕事の処理ということは、
いわば寡兵(かへい)をもって大敵に向かうようなものであって、
一心を集中して、
もって中央突破を試みるにも等しいのです。
同時にまた広くは人生の秘訣も、
結局これ以外にないとも言えましょう。
実際あれこれと気が散って、
自分がなさねばならぬ眼前の仕事を後回しにしているような人間は、
仮に才子ではあるとしても、
真に深く人生を生きる人とは言えないでしょう。

寡兵(かへい)=少数の兵力。少ない軍兵。

「少数精鋭」の良いところは、
足を引っ張る人がいない。
遊んでいる人がいない。
ぶら下がっている人がいない。
・・・どれも同じような意味ですね。
自分がなさねばならぬ眼前の仕事を後回しにしているような暇はないのです。
入社二年目で経理マン一年生の杉田さんは本当によく頑張ってます。
まだまだ仕事が確実とは言いませんし、
早いとも言いいません。
しかし、
なさねばならぬことに、
一生懸命取り組みながら学んでいます。
現在肥やしまみれになりながら奮闘中です。
「フレーフレー杉田」 

2012/06/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月16日
仕事の処理は修養の中心

 仕事の処理いかんに、
その人の人間としての偉さのほどが、
伺えるとさえ言えるほどであります。
 実際我々は、
平生うっかりしていると、
仕事の処理などということに、
修養上の一つの大事な点があろうなどとは、
ともすれば気付きがたいのでありますが、
事実は必ずしもそうではないのです。
否、
真の修養というものは、
その現れた形の上からは、
ある意味ではこの仕事の処理という点に、
その中心があるとさえ言えるほどです。


私には、
本当によくわかるお話です。
落ちこぼれながら学生時代を過ごしてきた私が、
今こうしていっぱしの社会人として、
後ろ指を指されず居れるのは、
一生懸命に取り組んできた仕事が、
私を成長させてくれたと感じています。
本だって、
「どう仕事に取り組むか」
に悩まなかったら読んでませんもの。

2012/06/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月15日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月15日
偉人は仕事上手

 我々人間の生活は、
ある意味ではこれを仕事から仕事へと、
まったく仕事の連続だと言ってもよいでしよう。
同時にその意味からは、
人問の偉さも、
この仕事の処理いかんによって決まる、
とも言えるかと思うほどです。


私たちの人生のじゃ間の中で、
睡眠時間を除くと、
圧倒的に仕事に関わる時間吐出しています。
「人生は仕事と共にある」
と言っても過言ではないと思うのです。
そう考えると、
 「人問の偉さも、
  この仕事の処理いかんによって決まる、
  とも言えるかと思うほどです」
は、正しいですね。
確かに。

2012/06/14 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月14日
気付きが支柱となる

 人間は自ら気付き、
自ら克服した事柄のみが、
自己を形づくる支柱となるのです。
単に受身的に聞いたことは、
壁土ほどの価値もありません。 


小田さんの昨日の返信メールです。
  まずは問題に気付くことが出来なければ、
  先に進むことも出来ませんね。
  最近は問題が発生すると、
  解決策を考える習慣がついてきました。
  基本は報告、連絡、相談で解決していますが、
  気付く習慣を意識していきたいです。
まさに「気づきが支柱」ですね。
田舞さんもいつも言われています。
「気づく人間」と「気づかない人間」
「気づかない人間」はどうやっても気づかない。
って。

2012/06/13 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月13日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月13日
人間の知恵

 人問の知恵というものは、
自分で自分の問題に気付いて、
自らこれを解決するところにあるのです。
教育とは、
そういう知恵を身に付けた人間をつくることです。


教育を受けただけで、
「自分で自分の問題に気付いて、
 自らこれを解決する」
ということが出来る人はそうそういない。
自分で問題にぶち当たり、
そこでもう一度受けた教育を紐解く。
こんなことを繰り返しながら、
知恵というのはついていくのだと思いますね。

2012/06/12 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月12日
人問としての嗜(たしな)み

 諸君らは、
傘をさして歩く時は、
斜に肩にもたせ掛けたりなどしないで、
柄を垂直にしてさすものです。
また天気になったらキチンと畳んで、
柄の先が地面を引きずらないようにするのです。
 なお、
雨の降っている際に傘なしで歩く場合は、
前かがみになったり、
チョコチヨコ走りをしないのです。
これは「葉隠」という書物にも出ていることです。 


「葉隠」という本は、
武士道についての本らしい・・・。
知識不足でごめんなさい。
「武士たる者、雨に降られようと、
 堂々としていなさい」
という意味なのかと想像します。
クレームが発生した場合、
トップかオロオロしてたら、
部下は不安になります。
腹をくくって堂々としていろ。
という意味かな?
・・・生意気でいるのとはもちろん違いますよ。

2012/06/11 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月11日
ヒントは書物の中に

 諸君が将来何らかの事に当たって、
必要の生じた場合、
少なくともそれを処理する立場は、
自分がかつて読んだ書物の中に、
その示唆(しさ)の求められる場合が少なくないでしよう。
つまりかつての日、
内心の要求に駆られて読んだ書物の中から、
現在の自分の必要に対して、
解決へのヒントが浮かび上がってくるわけです。


ありますね。
色んなことにしょっちゅう行き詰まり、
本屋さんでヒントを探し買い込んで帰ります。
読むスピードよりも買うスピードの方が速く、
同じ本を買ってしまうことも度々・・・。
・・・最近は購入ペースが以前ほどではないので、
同じ本は見なくなりました。
小山さんの本は新刊本がでたらすぐ購入し、
しばらくするとサイン入りが送られてくるので、
会社と自宅に一冊ずつです。
話がわき道にそれましたが、
Pドラッガーの本はどの時代に読んでも、
ヒント満載で、
何十年も前の本とは思えませんよ。

2012/06/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月10日
人問の幅は読書で決まる

 いゃしくも自分の前途を展望して、
将来ひとかどの人物になって活躍しようと思うなら、
今日から遠大な志を立てて、
大いに書物を読まねばならぬでしよう。
それというのも、
一人の人間の持つ世界の広さ深さは、
要するにその人の読書の広さと深さに、
比例すると言ってもよいからです。


これはよくわかるお話です。
一人の人間が一生のうちに体験する量って知れてますものね。
自らが文字を編み出してっ使ってる人は多分いない。
自らが足し算、引き算、掛け算、割り算を編み出して使ってる人も多分いない。
すべて元は過去の偉大な人の書いた本の中、
学校という仕組みがあるから教科書を使って、
先生に習うだけのことです。
天才中の天才、ピタゴラスさんは、
自ら“三平方の定理”を編み出しましたが、
奇跡に近いくらいの割合でしょう。
私は20代後半からは、
しっかり本から得ることにしました。
効果が薄いのは能力・・・仕方ありませんね。

2012/06/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月9日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月9日
心にすが入らぬように

 諸君らが今日忙しさに口実を求めて、
何ら自発的な読書をしないということは、
すでに諸君らの心にすが入りかけている何よりの証拠です。


アルツハイマー型認知症は、
脳に“す”が入った状態になり、
記憶力や運動能力にまで影響を及ぼすそうです。
心に“す”が入ってしまうとどうなるのでしょう。
「ヤル気スイッチ」や「志スイッチ」、
「夢スイッチ」などが接触不良を起こすのかもしれません。
これはまずいっすよ、
本を読みましょう。
大ベストセラーの、
「夢をかなえるゾウ」
から読書を始めるのはお薦めですよ。
読みやすくしかも楽しい本です。

2012/06/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月8日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月8日
時問はつくるもの

 諾君らのうちには、
「今は学生時代で、
 学科に追われて読書などできないが、
 しかしそのうちに卒業でもしたら、
 読書もするつもりだ」
などとのんきなことを考えている人もあるようですが、
しかし現在学科におわれて読書のできないような人に、
どうして卒業後読書などできるはずがありません。


「人生は長い、
 いつでもできるから、
 今はやんない」
小学生時代の私です。
当時から悟ってましたね。
数年後、
「今更やっても追いつかないから、
 もうやんない」
中学生時代~の私です。
間違いない、
やっぱり完全に悟りを開いてますね。
・・・社会に出て、
しばらくして気づ来ました
一生懸命勉強していた友人の多くは、
社会に出てからはあまり勉強しないのです。
学年ごと、学期ごとのテストの成績は低空飛行でしたが、
学年も学期もない社会人は、
「どこから始めてもよい」
「止まらなかった人が一番遠くへ行ける」
のです。
遅ればせながら、
20代後半にして、
「たった今、ここから始める」
「どんなに早いうさぎさんが通り過ぎて行っても、
 カメさんのように歩みを止めない」
を実践し始めました。
一番と遠くではありませんが、
「後ろを振り返るとずいぶん来たな」
と感じるようになりました。

2012/06/07 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月7日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月7日
自修の人

 とにか人間は、
「自己を築くのは自己以外にない」
ということを、
改めて深く覚悟しなければならぬと思います。
すなわち、
我々の日々の生活は、
この「自分」という、
一生に唯一つの彫刻を刻みつつあるのだということを、
忘れないことが何より大切です。
そしてこれすなわち、
真の「自修の人」と言うべきでしよう。


自らが作り上げる、
人生をかけた、
“一世一代の芸術作品”
それが、
自分自身だと思っています。
ときどき紹介させていただく、
二つの詩です。
落ち込むと思いだしてます。

 人生は、
 演出も演技も自分でする生きた芝居、
 腕次第、やり方次第でいくらでもいい芝居になる。
    松下幸之助

 鈍刀(どんとう)をいくら磨いても
 無駄なことだというが
 何もそんなことばに耳を借す必要はない
 せっせと磨くのだ
 刀は光らないかも知れないが
 磨く本人が変わってくる
 つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
 磨く本人を
 光るものにしてくれるのだ
 そこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だ
 だからせっせと磨くのだ
    坂村真民

2012/06/06 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月6日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月6日
学校のみにたよらず

 なるほど学校には、
学校独持の長所のあることは申すまでもありません。
しかしながら、
人は決して学校だけで完成されるものではないのです。
人間としての深みや味わいは、
学校のみにたよらず、
常に他の半面、
自ら自己を築いていく覚悟によって得られるものです。


躾(しつけ)はまさにその代表ですね。
ルール(規則)やマナー(作法)は、
躾によって体に染みついて行きます。
それでは、
躾って具体的にはどうするのでしょう。
テレビ、新聞で騒がせている虐待とはもちろん違います。
躾は押付で体にしみこませていくものだと考えています。
やらせることが大切です。
ですから、
“御躾”と書いて“おしつけ”と勝手に読んでいます。

2012/06/05 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月5日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月5日
自分の位置を知る

 我々人間は、
一足飛びにニ階へは上がれないように、
結局は一つ一つ階段を登っていく外ないでしょう。
そして最も大事な点は、
現在自分の立っている段階は、
全体の上から見て、
おおよそ何段目くらいかということを、
はっきり自分で承知しているということででしょう。

・ 
度々登場の森先生の詩です。

 

職業に上下もなければ貴賤もない。
 世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。
 しかし、
 どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
 すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。
 それから十年本気でやる。
 すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。
 すると、
 五十までには群を抜く。
 しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。
 「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。
 すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。
 だが、
 月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。
 すると、
 七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。
 しかし、
 それからまた、十年頑張る。
 するとこの十年が人生で最も面白い。

「覚悟を決めて十年
 さらに十年本気でやる」
ここで焦ってはいけないのですね、
一段一段確実にステップアップ。
からしますと、
平均ですが35歳を超えたくらいからでしょうかね?
自分の位置を確認するのは。
繰り返します。
若いうちは、
「がむしゃらに」
しかし、段飛びせずに。
40歳に近づいたなと感じ始めた時に、
自分の位置を確認し、
夢と現実のギャップを知り、
さらにそれを埋める行動計画を作成し実行する。
これが、
おもしろい人生を送るための前半部分の仕上げなのでしょうね。

2012/06/04 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月4日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月4日
忍の極致

 ある一人のお弟子が、
梅岩先生に
「忍ということの極致はどういうものでしょうか」
とお尋ねしたところ、
梅岩先生答えて曰く
「忍は忍無きに至ってよしとす」
と言われております。
すなわち忍耐の理想は
「やれ我慢する」の「やれ忍耐する」のという意識がなくなって、
それが何でもない、
至極当たり前となるのが理想だと言われたのです。
 これは、
いかにもそれに相違ないですナ。
実に千古の名言と言うべきでしよう。


“自然体”とは忍耐の極致。
ということなのですね。
社長になってからというもの、
忍、忍、忍、忍
 忍、忍、忍、忍さらに忍。
肉体的にも精神的にも何度も病気しながら・・・。
それに比べるとずいぶん自然体になってきました。
が、
今だって人知れず苦しむ場面は結構あります。
まだまだ極致ははるか先なのですね。
歩みは止めません。

2012/06/03 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月3日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月3日
人問の三段階

 すべて物事は、
三段階に分けて考えることができましょうが、
この場合、
最もいけないのは、
口汚く叱りながら、
後になっても、
一向悪かったと思わない人間でしょう。
 次は事がすんでしまってから、
「アアまで言わなくてもよかったのに」と後悔する人間。
 その次は、
怒りの言葉が出そうになったその瞬間
「アッここだ!!ここだ!!」
と喰い止める人間というふうに、
大別してこの三種に岐(わか)れるるでしよう。
 そして最後の、
まさに怒ろうとするに先立って
「イヤイヤここだ!!ここだ!!」
と自ら制し得る人、
これはよほど修養の至つた人でないと、
なかなかそこまではいけないですね。 


「“カチン”スイッチ」
私の中にあります。
どんなキーワードかは意識したことがありませんが、
そのキーワードに触れるとスイッチが入り、
感情的になってしまい、
まだまだ若いってところを見せてしまいます。
・・・器が小さいってことですか。
残念。
このスイッチに触れなければ、
けっこう冷静をたもつのですが・・・。
残念。×2

2012/06/02 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月2日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月2日
人生の歩み方②

同時にこの二十歳から四十歳までの二十年間の準備のいかんが、
その人の後半の活動を左右すると言ってよいでしょう。
それはいわば花火の玉を作るようなもので、
どんな花火が出るかは、
まったくその準備期中の努力のいかんによって決まることです。
 かくして四十代と五十代という、
人間の仕上げ期の活動は、
それまでの前半生において準備したところを、
国家社会に貢献すべき時期であり、
したがって四十歳までの準備が手薄ですと、
四十歳以後六十までの活動も、
勢い、薄弱とならざるを得ないわけです。  


昨日の文章と本日の文章で、
孔子の「論語」の60歳までを解説をされてたんですね。
きっと。
60歳までをそうして生きていくと、
60歳にして人の言うことを素直に聞くことが出来るようになり、
70歳で自分の心のままに行動しても人道を踏み外す事が無くなる。
ということなのですね。
・・・50歳の私のは深すぎる。

2012/06/01 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 6月1日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 6月1日
人生の歩み方① 

 人間の活動を大体六十歳頃までと考えますと、
そのうち二十歳までは志を立てる時代と言ってよく、
すなわち将来国家社会のために役立つ人間になろうという志は、
十五歳頃から、
遅くとも二十歳までには確立せねばならぬのです。
 そしてそれから以後の二十年は、
いわば準備期と言ってもよいでしょう。


孔子の「論語」にこんなのがあります、

  十五にして学に志す
  三十にして立つ
  四十にして惑わず
  五十にして天命を知る
  六十にして耳順がう
  七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず

「十五で勉強に目覚め、
 三十でやるべきことを認識し歩み始め、
 四十になって迷いがなくなり、
 五十になって自分の天命を知る。
 六十になってやっと人の言うことを素直に聞くことが出来るようになり、
 七十になってやっと自分の心のままに行動しても人道を踏み外す事が無くなった」
ってことらしい。
私の場合15歳が飛んでしまったが、
・・・その後も順調とは言えないが、
「50歳の私はまだまだ素直になれず」
ここはどんぴしゃ。

2012/05/31 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月31日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月31日
常に前途に思いを巡らす

 人間というものは、
ただ将来のことばかりを考えて、
そのために現在の事をおろそかにすることのよくないことは、
申すまでもありませんが、
同時に他の一面には、
常に前途に対して、
思いを巡らしているようでなければいけないと思うのです。 


いますよね、
夢ばかり語って現実を見ない人。
ってか、
夢に向かって口は動くが、
行動を起こさない人。
または、
その行動が薄っぺらい人。
まさかあなたのこと?
・・・私のことかな。

2012/05/30 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月30日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月30日
一道をひらく

 一道をひらくということは、
それによって自分自身が救われると共に、
さらに後に来る同じ道をたどる人々に対して、
その行く手を照らすという意味がなければならぬと思うのです。
 すなわち我々人間は、
真に自己の生活に徹して生きた時、
一人自分がその職責を全(まっと)うし得るのみならず、
さらに同じ職域にいる他の人々に対しても、
何らかの意味で、
お役に立立つことができるのであります。


一道をひらこうと、
奮闘の日々を送っています。
協力関係にある会社、
職場の仲間が同じ道を通ることは、
お役に立てたことをとても嬉しく感じることが出来ますが、
私は人間の器が小さいので、
業界のライバルが同じ道を通ることを好みません。
まずは身近な人ほど大事にしていきたいのです。

2012/05/29 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月29日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月29日
日本人としての最高の生き方
・ 
 そもそも日本人としての最高の生き方は、
結局は自分のこの肉体が解体してからもなお国家社会のために、
何らかの意味で貢献し得るような生き方をするということでしょう。
すなわちこの肉体が消え失せた後にも、
なおその人がその生前におおいてなした事柄が、
多くの人々の心を動かして、
国家社会のために尽くさすようなカを持つと言うことでしょう。


“坂本竜馬”
私の中で、
「日本人として最高の生き方」
の代表の一人ですね。
15年???もう少し前かな???
経営者は“竜馬がゆく”を読みなさいと、
講演会で聞きさっそく読んでみました。
竜馬の生き方に感動し、
「俺は竜馬のように生きる」
と、心の中で叫んでいました。
たぶん多くの人が、
“竜馬がゆく”を読みそう考えただろうと想像します。
竜馬ほど大きなことはできませんが、
身の丈に見合った夢を実現するため、
今日も修行と稽古を繰り返し、
日々、着実に止まることのない歩みを進めます。

2012/05/28 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月28日
死後に名が残る人

 死後にその名が残るということは、
その人の精神が残るということです。
では一体どういう人が死後にもその名が残るかと言いますと、
生前国のために尽くす心が深くて、
死んでも死に切れないという思いに、
その一生を送った人でしょう。
すななわち、
その人の国をおもい世をおもうその思いの深さが、
名という形をかぶって、
死後にまで生きのびるわけです。


人間は死ぬと神様としてまつられる人もいます。
私の家の近所の神社には、
戦国武将“宍戸隆忠”が祭られています。
経営の神様と言えばもちろん、
“松下幸之助翁”。
神様になった経営者の代表ですね。
私の場合は神様とは程遠いところにいますので、
名前は残りませんね。
しかし、
広ガスたかたの“理念”は残したいと考えています。 

2012/05/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月27日

修身教授録

    一日一言

   (致知出版)

        森  信三著

        藤尾秀昭編

 527

自分の道を切り開く

 上級学校へ行ける人は、

大いに行くがよろしいが、

上級学校へ行けないからと言つて、

決して失望は無用です。

いわんや落胆をやです。

さらにいわんや、

自暴自棄に陥るにおいてをやです。

人間の真の強さというものは、

このような場合に、

決然として起ち上がって、

自分の道を雄々しく切り開いていくところにありましょう。

なぜでしょう?

この文章を読むと、

心がくさりから解き放たれ大空に広がっていくような気持ちになります。

以前と比べるとずいぶん自然体に近づいたと感じていますが、

落ちこぼれの劣等生の私が、

まだまだ、

「~ねば成らぬ」と、

自分にプレッシャーをかけながら生きているということなのでしょうね。

きっと。

 

2012/05/26 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月26日
現実という絶壁に坑道を開く

 人生の現実という絶壁に向かって、
一つの坑道を切り開こうとする者は、
単に世の中の外面上の地位の高下に眼をうばわれて、
登れたら一段でも上へ登ろうというような考えを、
一擲(いってき)しなければならない。

一擲(いってき)=一度にすべてを投げ捨てること。

人生の現実という絶壁に、
本当に度々遭遇します。
逃げ出すことが出来ればそうしますが、
逃げるわけにはいかないことも承知しており、
否が応でも乗り越えざるを得ません。
結果科的には背を向けることはできず、
さらに、
二度と同じ絶壁にはぶつかりたくはないので、
坑道を開き続けています。
田舞さんは、
「とにかく前向きに生きる。
 前進、前進、前進。
 行き倒れる時でも前を向いて行き倒れる」
と言われます。

2012/05/25 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月25日
人生の峠路

 諸君たちは、
その欲すると欲せざるとにかかわらず一日一日、
否、
一刻々々、
この人生の峠路に向かって歩みつつあるのであり、
実はその一歩々々が、
詣君らの方向を決定しつつあるわけです。


そうなんです、
「決定しつつある」のです。
この“つつ”ってところがミソで、
さっと答えが見えないのです。
ですからボーっとしてる間は、
世間も共に、
時間が止まっているくらいに感じてしまいます。
でも止まっているのは自分だけ、
確実に「決定しつつある」のです。

2012/05/24 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月24日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月24日
弾力のある人間になる

 諸君も今から気をつけて、
弾力のある人問にならなければ駄目です。
ところで弾力のある人間になる最初の着手点は、
何と言ってもまず読書でしょう。
ですから、
若いうちから努めて良書を読むことです。
また若いうちは、
文学や詩歌など大いに読むがよいでしょう。
また短歌や俳句などに趣味を持つことも大切です。


「また若いうちは、
 文学や詩歌など大いに読むがよいでしょう。
 また短歌や俳句などに趣味を持つことも大切です」
ここについては、
「何にも言えねー」
って感じです。
が、
本を読むことで弾力が身につくというのはよくわかります。
読書をしない住吉少年は、
大人になって読書を始めました。
現在の価値観、考え方に、
それはそれは大きな影響を及ぼしています。 
健善(正義の道)を追求し続けることが経営と考えていますが、
健善の対象が、
自分にとってなのか、
社会にとってなのかという基本すら気づかなかったことでしょう。
経営者としては、致命傷ですね。恐ー。

2012/05/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月23日
人を敬う

 世間では、
人を敬(うやま)うということは、
つまらないことで、
それは意気地のない人間のすることでもあるかのように、
考えられているようですが、
これは大問違いです。
それと言うのも、
自分の貧寒なことに気付かないで、
自己より優れたものに対しても、
相手の持っているすべてを受け入れて、
自分の内容を豊富にしようとしないのは、
その人の生命が強いからではなくて、
逆にその生命が、
すでに動脈硬化症に陥って、
その弾力性とと飛躍性とを失っている何よりの証拠です。


「真似をする、そのまま実行する」
若いときは抵抗が大きかったですね、
それでは自分を主張できないと考えていたからです。
まさに動脈硬化症。
多くの失敗を重ね気づいた成功のコツ、
「過去の成功者のまねをすること」
だと気づきました

2012/05/22 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月22日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月22日
敬について

 敬とはどういうことかと申しますと、
それは自分を空(かな)しうして、
相手のすべてを受け入れようとする態度とも言えましょう。
ところが相手のすべてを受け入れるとは、
これを積極的に申せば、
相手のすべてを吸収しようということです。
 ところが、
相手のすべてを吸収しようとすることは、
これをさらに積極的に申せば、
相手の一切を奪わずんば巳まぬということだとも言えましょう。
ですから真に徹底した敬というものは、
生命の最も強い働きに外ならぬわけです。


武蔵野流“パクリ”の極意ですね。
ベンチマーク、
「重要なことは、
 工夫をせずにそのまま真似、
 レスポンス優先で出来るだけ早くやってみる」
それは敬(うやま)っているからこそできることなのですね。
お稽古事の師匠と弟子の関係と同じです。
尺八の師匠から、
「師の技を盗んで師を超えろ」
と言われています。

2012/05/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月21日
真剣さの欠如

 自分がこの世の中へ人間として生まれて来たことに対して、
何ら感謝の念がないとしうことは、
つまり自らの生活に対する真剣さが薄らいで来た何よりの証拠とも言えましょう。


ドキッとさせられます、
その通りですね。 
これまでの50年の人生の中で、
何度か自暴自棄に陥ることもありました。
たしかに、
そんな時期は、
「なんで生まれてきたんだろう」
とか、
「何のために生きているのだtろう」
って考えましたね。
自らの生活に対する真剣さが薄らいでいたと、
今ならよくわかります。
・・・ま、
これからもあるかもしれないことですが、
しっかりと前進し続けます。

2012/05/19 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月20日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月20日
生命力の弱さがもたらすもの

 人問が嘘をつくというのは、
生命力が弱いからでしょう。
勤勉でないというのも、
生命力の弱さからです。
また人を愛することができないというのも、
結局は生命力の弱さからです。
怒るというのは、
もちろん自己を制することのできない弱さからです。
沢庵石は重いからこそよいので、
軽くては沢庵石にはなりません。
自己を制することができないというのも、
畢竟するに生命力の弱さからです。

・ 
沢庵(たくあん) 
畢竟ひっきょう)するに=結論づけるに。要するに。
 
生命力とは、
生きるための力強さのことかな?
「生き抜くための“考える”力強さ、創造力」
と表現すると私にはピンときます。
そう表現すると、
  人問が嘘をつく
  勤勉でないというのも、
  人を愛する
  怒る
  自己を制する
確かに生命力の弱さからだと考えられますね。
修業。

2012/05/19 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月19日
プラス・マイナスは裏表

 人生の事すべてプラスがあれば必ず裏にはマイナスがあり、
表にマイナスが出れば、
裏はプラスがあるというわけです。
実際神は公平そのものですが、
ただ我々人間がそうと気付かないために、
表面、
事なきものは得意になって、
自ら失いつつあることに気付かず、
表面不幸なものは、
その底に深き真実を与えられつつあることに気付かないで、
いたずらに歎き悲しみ、
果ては自暴自棄にもなるのです。


昨日の続きですね。
幸せ路線まっしぐらなんてありえないということでしょう。
神様が、
裏と表のバランスをとって、
人生のいろいろな場面に登場させるのですね。
これは「神様なんていない」
と言い切る人にも公平に与えられています。
ですから、
目の前にはだかる障害、不幸を乗り越えると決意し、
行動を起こした人だけが、
表に戻ってくるのですね。
「人生に平坦な道なんてありえない」
と考え、山谷、でこぼこを楽しんでいきます。

2012/05/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月18日
不幸の中にある教訓

 不幸というものは、
なるほど自分も不幸と感じ、
人もまたそれを気の毒、
哀れと同情する以上、
一応確かに不幸であり、
損失であるには違いないでしょう。
しかしながら、
同時にまたよく考えてみれば、
かつては自分が不幸と考えた事柄の中にも、
そこには、
この人の世の深い教訓のこもっていたことが次第に分かってくるという場合も、
少なくないでしょう。


今、直面している不幸は、
本人にとって不幸以外の何物でもないでですね。
しかし、
過ぎ去ってしまえば、
「経験してよかった」
いえいえ、
「経験したからこそよかった」
と思えるのです。
私のつたない経験からも間違いありません。
すなわち、
・・・これから直面する不幸は、
その瞬間、またしても不幸なのです。
・・・それはある意味悲しい。
が、
自分自身、
「その不幸につぶされてもいい」
と結論を出さないかぎり、
すべてが幸せの肥やしとなることでしょう。
・・・・・・と、言い聞かせ、
今日も自身の未知へ一歩前進です。

2012/05/17 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月17日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月17日
真実に願うことは叶う

 そもそも世の中のことというものは、
真実に心に願うことは、
もしそれが単なる私心に基づくものでない以上、
必ずやいっかは、
何らかの形で成就(じょうじゅ)せられるものであります。
このことは、
これを信ずる人には、
必然の真理として実現するでしょうし、
これを信じない者には、
単に一片の空言(そらごと)として終わるのです。


お客様と“ウインウイン”の関係でありつづけることを前提に、
「社会のためになること、お客様に喜ばれること」
の夢を描いていくと、
少しずつではありますが、
「それが成就していく」
という体験を積みながら前進できています。
“私心”が抜け切る自信はありませんが、
“ウインウイン”で描いた夢には、
“私心”を挟むことなく最後まで描き切ります。

2012/05/16 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月16日
思いやりの心

 思いやりの心というものは、
人間の本性として、
元来何人にも具(そなわ)っているはすですが、
しかしそれをおおうているものがありますから、
努力してそれを取り除かねばならぬのです。


すばらしい表現ですね。
「あなたに思いやりの心はないのか」
なんて言う場面があるかもしれない。
これは人格を否定していますね。
しかし、
「あなたは思いやりの心を覆って(おおうて)いる」
だと、
人格を否定しないですむ。
受け取る側の立場になっても感情的にならなくてすみそうです。
人間は本性として、
“思いやりの心”をもっているのですね。
人間の大きさと深さを森先生の言葉から感じます。
・・・反省。 
 

2012/05/16 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月15日

修身教授録

    一日一言

   (致知出版)

        森  信三著

        藤尾秀昭編

 515

卑屈と功利打算

 そもそも私達が、

一つの徳目を真に徹底的に履(ふ)み行わんがためには、

結局根本において、

人格の転換を必要とすると言えましょう。

たとえば人が傲慢に振舞うということは、

畢竟するに、

その人が調子に乗っているということであり、

したがってそれは、

一見いかにもえらそうにしていながら、

実は人間のお目出たい何よりの証拠であります。

つまり自分のそうした態度が、

心ある人から見られて、

いかに滑稽であるかということに気付かない愚かさであります。

 同時にまた卑屈ということは、

一面からは、

その人間のずるさの証拠とも言えましょう。

何となれば、

人間は卑屈の裏には、

必ず功利打算の念が潜んでいると言ってよいからです。

そもそも私の経営スタイルは、

“卑屈”だったように思います。

裏側に「功利打算」です。

8年前、

「ワンマン経営」を宣言しました。

それまで、

“意識が代われば行動が変わる”

を信じて人材教育に力を入れてきました。

が、

違和感を感じ始めていました。

優秀な中小零細企業の多くは、

社長のリーダーシップが半端ではないのです。

“行動から意識が変わる”

が正しいのではないかと感じるようになり、

行動教育に変え始めたのです。

4年前武蔵野の小山社長に出会い、

「形から入って心に至る」

の話を聴いた瞬間それは「確信」に変わり、

よりワンマンスタイルを強調しました。

もちろん演出として。

が、

練れてくるとそれが自然になってきます。・・・実はここが怖い。

細かいことでは指輪の向きも変えました。

理由はまた何かの機会があれば・・・。

ワンマンの経営スタイルは、

実は、教育のスタイルと考えています。

やっと本題です。

現在50歳ですが、

引退の時期やそれまでにやること、

ワンマンスタイル引退、

などいろいろと考えています。

なぜなら、

森先生の書かれている、

お目出たい人間にならないためなのです。

 

2012/05/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月15日
卑屈と功利打算

 そもそも私達が、
一つの徳目を真に徹底的に履(ふ)み行わんがためには、
結局根本において、
人格の転換を必要とすると言えましょう。
たとえば人が傲慢に振舞うということは、
畢竟するに、
その人が調子に乗っているということであり、
したがってそれは、
一見いかにもえらそうにしていながら、
実は人間のお目出たい何よりの証拠であります。
つまり自分のそうした態度が、
心ある人から見られて、
いかに滑稽であるかということに気付かない愚かさであります。
 同時にまた卑屈ということは、
一面からは、
その人間のずるさの証拠とも言えましょう。
何となれば、
人間は卑屈の裏には、
必ず功利打算の念が潜んでいると言ってよいからです。


そもそも私の経営スタイルは、
“卑屈”だったように思います。
裏側に「功利打算」です。
8年前、
「ワンマン経営」を宣言しました。
それまで、
“意識が代われば行動が変わる”
を信じて人材教育に力を入れてきました。
が、
違和感を感じ始めていました。
優秀な中小零細企業の多くは、
社長のリーダーシップが半端ではないのです。
“行動から意識が変わる”
が正しいのではないかと感じるようになり、
行動教育に変え始めたのです。
4年前武蔵野の小山社長に出会い、
「形から入って心に至る」
の話を聴いた瞬間それは「確信」に変わり、
よりワンマンスタイルを強調しました。
もちろん演出として。
が、
練れてくるとそれが自然になってきます。・・・実はここが怖い。
細かいことでは指輪の向きも変えました。
理由はまた何かの機会があれば・・・。
ワンマンの経営スタイルは、
実は、教育のスタイルと考えています。
やっと本題です。
現在50歳ですが、
引退の時期やそれまでにやること、
ワンマンスタイル引退、
などいろいろと考えています。
なぜなら、
森先生の書かれている、
お目出たい人間にならないためなのです。

2012/05/13 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月13日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月13日
自己の特色を出すべきか否か

 自己の特色という物は、
しいて特色を出そうとして出るものではありません。
否、
自分の特色を出そうということが、
あまりに意識的になりますと、
かえって変な厭味(いやみ)なものになりましょう。
また故意に早くから、
意識的に特色をつくろうとしますと、
とかく大きな発展は遂げにくいものであります。


広ガスたかたのサービスは、
“独創的”だと言われます。
業界にはないものだと自負しています。
が、
サービスを細分化し小さく分けてみると、
どこかで見たサービスの組み合わせだとわかります。
「何が喜ばれるサービスか」
とキョロキョロシまくり、
その都度重箱の隅をつついていると、
アンテナの制度が良くなるのだと思うのです。
“独創”とは"もの真似"の集積だと考えています。 
 

2012/05/12 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月12日
書物を撫でる

 諸君、書物というものは、
ただ撫(な)でるだけでも良いのです。
ちよっとでも開いて見ればさらによろしい。
それだけでも功徳(くどく)のあるものです。
つまりそれだけその本に縁ができるからです。
いわんや一ぺージでも読んだとししたら、
それだけ楔(くさび)を打ち込んだというわけです。


これは尺八の師から教えていただきました。
「尺八を毎日触る。
 音を出せばもっと良いが、
 体調によっては良い音が出ない。
 しかし、
 毎日触れば尺八の艶くらいは良くなる」
ほぼ毎日尺八を触っています。
妻からは、
「リビングでは触るな」
と叱られます。・・・・・・ついつい音だすから。
出張にも尺八を忍ばせますが、
たまには留守番させることもあります。
“上達は極めて緩やかだが、
        それでも続けるのが偉い”
・・・と、自分が言ってます。

2012/05/11 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月11日
義務の読書は意味がない

 書物というものは、
義務意識で読んだんでは駄目です。
義務意識や、
見せびらかし根性で読みますと、
その本の三分の一はおろか五分の一の味も分からないでしまいます。


以前は本をプレゼントすることもありましたが、
やめました。
「もらった本は読まない」 
私もそうですから。
小山さんの本はサイン入りで送られてきますが、
それまでに購入して読んでしまいます。
読みたい本はお金を出してでもすぐ読みたい。
読みたいと思わない本はお金をもらってもつらい。
・・・その額によりますが。
 

2012/05/10 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月10日
読書の順序

 読書の順臓序は、
まず第一には、
当代における第一流の人の本を読むこと、
その次は古典です。
当代の一人者級の人の世界を知らないで、
古典を読むということは、
私は考え物だたと思います。


経営者の本も私の場合は確かにその順でした。
私の時代の第一流、
松下幸之助、
本田総一郎、
藤沢武夫
井深大
稲盛和夫・・・
そうそうたる創業者の本をまず読みました。
その後、
古典に入っていきました。
戦国武将や坂本竜馬ですね。
それと、P・ドラッガー。
とても読みごたえありました。
最近では、
渡邉美樹、
吉越浩一郎、
星野佳路、
小山昇・・・
ですね。
・・・つい先日も同じようなメールだったかな。

2012/05/09 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月9日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月9日
本を読む

 本を読む場合、
分からぬところはそれにこだわらずに読んでいくことです。
そうしてところどころピカリピカリと光るところに出合ったら、
何か印を付けておくのもよいでしょう。
そして一回読み終えたら、
少なくともニ、三力月は放っておいて、
また読んでみるのです。
そうして前に印を付けたところ以外にもまた、
光るところを見つけたら、
また新たに印を付けていく。
そうして前に感じたことと、
後に感じたことを比べてみるのは面白いものです。


研修も同じですね。
何度も繰り返して参加します。
 日創研
  幸せの心理学 8回
  マネージメントコーチング 5回
  業績アップ上級 2回
 武蔵野
  実践経営塾 4回
その他にも繰り返し参加している研修はいくつかあります。
なぜ何度もとよく聞かれます。
「参加の都度、
 気づき(ピカリピカリと輝くところ)が違うからです」
と答えています。

2012/05/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月8日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月8日
全力で迫る

 尊敬する問いうことは、
ただ懐手で眺めているということではなくて、
自分の全力を挙げて相手の人に迫っていくことです。
地べたをはってにじり寄っていくように―です。
つまり息もつけないような精神の内面的緊張です。
薄紙一重もその間に入れないところまでで迫っていく態度です。


「小山社長のかばん持ち研修」
武蔵野の研修中、
一日単価最高額の研修です。
人気が髙過ぎ、
なんと一年半待ち・・・最近は二年待ちかな???
まさに「尊敬」のなせる技ですね。
このプログラムは、
全力を挙げて小山社長に迫っていく研修です。
朝、自宅へのお迎えから夜遅くの帰宅まで、
銀行訪問や会議、出張にも同行、
トイレ以外は後ろに張り付いています。
JQAを二度受賞する社長の月曜~金曜を、
薄紙一重もその間に入れないところまでで迫って学べるのです。
運のつかみ方実践研修もあり、
別途費用も結構掛ったりします。

2012/05/07 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月7日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月7日
偉人の教えを反芻(はんすう)する

 とかく我々凡人は、
偉人の教というものを、
常にわが身から離さないようにしていないと、
わが身の反省ということも十分にはでききがたいものであります。
ところが反省をしないと、
せっかくの燃料としてのこれらのものも、
ただ汚いまま、
臭いままで終わってしまいます。


そう言われてみますと、
私が反省をするようになったのは、
本を読むようになってからかも知れません。
それまでは研修や講演に出かけても、
素直に吸収するどころか反発ばかりでした。
私の成功体験を、
まるで予言していたかのように、
解説をした本に出会ってから素直になりました。
何と、
それをきっかけに禁煙もしました。
これまでに何度も紹介した、
「ナポレオン・ヒル プログラム」です。
成功には法則があることを初めて知り、
大成功経営者の本を本気で読み始めたのです。
 温泉やリゾートを蘇らすことで有名な、
星野リゾートの星野社長の著書にも、
「星野リゾートの教科書」があります。
お勧めです。

2012/05/04 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月6日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月6日
無量の生命への感慨

 親は何故故に大切にしなければならぬのでしょうか。
それは我が子の生命を生み、
かつ今日にまで育ててくれた大恩があるからです。
しかもわれわれは、
このようにひとりが一身のみならず、
わが生命の親たる父母も、
またその親たる祖父母も、
無窮(むきゅう)の祖先から子々孫々に至るまで、
無量の生命が存続して、
今日に及んでいるのであつて、
ひと度このことを考える時私達は、
無限の感慨に打たれずにはいられないのです。


そうなんですよ、
突然、“ポッ”とこの世にあらわれたわけでもなく、
突然50歳になったわけでもありません。
私がこの世に存在する確率って???

精子と卵子で検索してみました。
   人の男子の精巣では,10才くらいから精子を作り始め,
  1日約5千万~数億個ずつ,死ぬまで作られます。
  人生70年だとすれば,男子が一生のうちに作る精子の数は,
  1兆(ちょう)~2兆個にもなるのです。
  みなさんは何人兄弟ですか?多くても3人ぐらいかな?つまり,
  受精して生命としてたんじょうできる精子は,1兆~2兆個のうち,
  たったの2個か3個なのです。
  また,人の女子の卵巣では,10才くらいから卵子を作り始め,
  約1か月に1個ずつ卵子を輸卵管に出し始めます(これをはい卵という)。
  はい卵はふつう,50才くらいまでつづきます。
  つまり,受精のチャンスがある卵子の数は,約400個ということになります。
  しかし,実際に受精するのは,精子と同じように,2個か3個なのです。
   一生のうちで,受精できなかった精子の数が1999999999997個,
  受精できなかった卵子の数が 397個だと考えると,
  たんじょうした生命がいかにとうといかが分かりますよね。

と、ありました。
私が生まれる確率は、
400兆分の1~800兆分の1ってことでしょうか????

これでひと世代の計算でですよ、
奇跡です、奇跡。
私たちは、みんな奇跡の確率で存在しているのです。
それだけで感謝ものです。
親に感謝、先祖様に感謝し人生を歩んで行かなくてはならないのです。
・・・でも父親とは顔を合わすと喧嘩しちゃうんです。
・・・・・・お互いいい年なのに。
しかし、
「血は水より濃い」
これは、常に心しています。感謝。
 

2012/05/04 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月5日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月5日
希望

 人間は、
自分一人の満足を求めるチッボケな欲を徹底的にかなぐり捨てる時、
かつて見られなかった新たな希望が生まれ出るものです。


「徹底的にかなぐり捨てる」
・・・それほど人間が出来ていません。
が、
欲望の対象は少しずつ広がっています。
元々は、
もちろん個人の欲望。
結婚後は妻と二人分の欲望。
子供が出来てからは4人分の欲望。
社長になってからは時間をかけながらですが全社員分の欲望。
さらに時間をかけながらお客様の数分の欲望。
・・・まだまだ表面的です。残念。
しかも、
最初にことわったように、
かなぐり捨てれていません。残念+残念。 
 

2012/05/04 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月4日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月4日
叡智の源

 真の叡智(えいち)とは、
自己を打ち越えた深みから射してくる光であって、
私達はこの光に照らされない限り、
自分の真の姿を知り得ないのであります。


修業し、
掘り下げて掘り下げて、
その深いところから射してくる光なのですね。
登って登って、
高いところから射す光ではないということを、
正しく知っておかなければならないということ。
常に“謙虚”さをもっての修業を積まなければならないということだと考えます。
修業を積み、成長し、
生意気になってしまったのでは、
この光は一生射さないのです。
・・・心して修業に励みます。 
 

2012/05/03 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月3日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著 
        藤尾秀昭編
 5月3日
導きの光

 そもそもも人間界のことというものは、
一人の人間が自己に与えられた職責に対して、
真に深く徹していったならば、
その足跡は必fずや全国各地の同じ道を歩んでいる幾多の人々の参考となり、
その導きの光となるはすであります。


「真に深く徹していったなら、
    その導きの光となるはず」
・・・まだまだ遠い道のりですね。
昨年度の、
“日本経営品質賞、経営革新奨励賞”
を受賞しましたが、
「導きの光になっている」
には遠く及ばず、
「今の取組は、
 導きの光に成長する可能性がありますね」
という評価でした。
どれだけ遠いかは、
そこまで行かなければわかりませんが、
諦めることなく、
全社一丸となって歩みます。 

2012/05/02 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月2日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月2日
本物は持続する

 人間の決心覚悟というものは、
どうしても持続するものでないと本物ではなく、
真に世のため人のためには、
なり得ないのであります。 

逆もまた真なり。
「やると決意し、
 行動を持続する」
継続するということですね。
「継続は力」と言いますが、
やり続けると“本物”になるということです。
・・・途中、

“変わり者”と言われることもありますが、
それをも超えると、
周りから“あの人は本物だ”と、
評価が自然と湧き上がってくるものです。
必ず。
 

2012/05/01 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 5月1日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 5月1日
自己の成長を求める

 自己を人間的に成長させることを考えない限り、
内面的には現在すでに下り坂にある。


ものす~ん~ごく分かります。
尺八に関しての最近の話をします。
やっと一週間くらい前から体調が戻ってきましたが、
その一ヶ月くらい前から体のダルく、
しんどい日が続いていました。
尺八の練習もしんどい状態でしたが、
「一旦意欲を失うと、そのままフェイドアウト」
という青春時代を送ってきた私は、 
 「飛行機は、
  推進力であるエンジンが止まると、
  必ず下降しする」
という自覚も、と~ても強く持っているのです。
ですから、
どんなにしんどくても、
「一日一回は無理やり尺八を持つ」
ということを決めています。
そうやって、
絶対に意欲をなえささないような努力をしています。
その他のことも同じく、
エンジンを止めない努力をけなげに続けているのです。
 ・・・やめる時はスパッとやめちゃいますが。

2012/04/28 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月30日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月30日
親切を受ける

人の親切に対しては、
いい気になって甘えたりして、
もたれてもいけないが、
さりとてむげにこれを退けるのも本当ではない。
そこで人様の親切は、
ありがたくやお受けするということが大切でしょう。
ところが、
このお受けするということは、
自己が確立していないとなかなかできないことでしす。


確かに出来ない。
私は器が小さいので、
お受けすることを拒んでしまいます。
本当に“素直”にお受けできるようになったとき、
「自己が確立されてきたな」
と考えたいと思います。
“素直”にというところが深すぎて、
悟れるのはいつのことか・・・。

2012/04/28 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月29日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月29日
尊敬する人は尊敬される人

人々から尊敬されるような人は、
必ず自分より優れた人を尊敬しているものです。


私はなかなか人を尊敬することが出来ませんでした。
ある部分は尊敬できても、
人を尊敬するということが出来なかったのです。
経営者になって15年、
“理念”や“夢”、“戦略”や“戦術”などにとことん行き詰まり、
「人にすがる」という気持ちが芽生えた時から、
人を尊敬できるようになりました。
今では自信をもって“師”と紹介できる人が何人かいます。
“師”をもって初めて、
「尊敬する」
「尊敬される」
ということが分かってきたように思います。
尊敬されるには、
「10年早い」
ってこともしっかり自覚が出来ています。
今日も繰り返し稽古、
修業の日は続くのです。 

2012/04/28 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月28日
目下の人の信頼を得る

 人間というものは、
自分より目下の人から、
思いやりのある人と慕われるような人間になるということ、
必ずしも容易なことではないわけです。
これは立場をかえて、
諸君ら自身が下級生から見られた場合、
果たして懐かしまれ尊敬せられているか、
それとも煙たがられているかということを、
一つ自惚(うぬぼ)れ心をを去って孝えてみるがよいでしょう。


昨日も書きましたが、
年上の人や役職についている人は、
「目下の人の信頼を得る」
とても重要です。
もう一つ
年下の上司をがいる場合です。
ここでも、
とてもとても重要です。
「年下の上司の信頼を得る」
人としてより大きな器がなければ対応しきれませんね。

2012/04/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月27日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月27日
目下への謙遜

 謙遜は、
ひとり目上の人とか、
ないしは同輩に対して必要なばかりでなく、
むしろそれらの場合以上に、
目下の人に対する場合に必要な徳目だとも言え一えましょう。


何度も何度も登場させています。
私にとってもとても“心しておく”ことわざです。
 実るほど、
   頭(こうべ)を垂れる稲穂かな
「一生謙虚」
・・・と、
どこかの生意気な社長が言ってます。
・・・。

2012/04/26 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月26日
仕事の意義を知る

 自分のなすべき仕事の意味をよく知り、
その意義の大きなことがよく分かったら、
仕事は次つぎと果たしていかれるはずであって、
そこにこそ、
人間としての真の修養があるとも言えましょう。
否、極言すれば、
人生の意義などといっても、
結局この点を離れては空(くう)となるのではないでしょうか。
また実にそこまで深く会得(えとく)するのでなければ、
仕事を真にとどこおりなく処理していくことは、
できまいと思うのです。


経理部門の新人さん、
日々奮闘中です。
現在のところ、
全体像をつかまぬまま、
作業を繰り返していますので、
今やってる作業のの意義が分からないでいます。
本日、
給湯器の10年保証料金の経理処理について打ち合わせをしました。
他のメンバーは、
全体像(意義)をつかんでいるので理解できますが、
彼にはまだむずかしい。
打ち合わせが終わり、
全体像を紐解くための説明をしました。
ここでやっと自分の作業の意味が理解できましたので、
ここでの作業は仕事として果たしていくことでしょう。
 

2012/04/25 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月25日
冗実した生活

 日常生活を充実したものにするとは、
一体何なのかと言えば、
これを最も手近な点から言えば、
結局自己のなすべき仕事を、
少しの隙間も置かずに、
着々と次から次へと処理して行くことだと言ってもよいでしょう。
 すなわち、
少しも仕事を溜めないで、
あたかも流水の淀みなく流れるように、
当面している仕事を次々と処理していく。
これがいわゆる充実した生活と言われるものの、
内容ではないでしょうか。


7~8年前、
広ガスたかたの仕事は流れが悪く淀みまくってました。
そのずーと以前は流れは良かったのですが、
見えないところはドロドロだったかもしれません。
「見える化」するために「仕組化」を進めていきましたが、
アナログの仕組みだったため、
営業担当者を中心に「書類の渦」になってしまいました。
少しずつ、
仕組みも整理され、
デジタル化も進んだおかげで、
組織でいうと川下の現場から徐々に流れが良くなってきました。
最も川上の社長の机の流れが良くなったときには、
“すんばらしい”会社に成長していることでしょう。
「デジタル化よ、もっと川上へ上りやがれ」
・・・私が「引き上げる」が正しいのかな。

2012/04/24 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月24日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月24日
自立の覚悟を養う

 高等小学では、
「一刻も早く親のすねかじりから脱して、
 自立する覚悟をさせる」
ということが大切です。
これが教育の第一歩です。
それ故どんな教課においても、
最後のところはそこへ落としておかねば、
真のとどめは刺さらぬでしょう。

・ 
「自立の覚悟」は、
人生にとって重要な覚悟の一つだと考えます。
どれだけ優秀であっても、
この一つの覚悟が欠けていると、
成功の道から外れてしまうのではないでしょうか。
逆に、
「自立の覚悟」さえしっかりとしていれば、
どんな環境の中でも生きていけると思うのです。
成功とは、
案外孤独の向こうにあるのかもしれませんね。

2012/04/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月23日
独立独歩の人間

 私は、
本校の生徒諸君に対して「諸君は将来立派な先生になりなさい」とは、
あまり言わないつもりです。
本を読まないで、
ただ立派な先生になれと言っただけでは、
卒業後二、三年もたつと、
もう干からびて来るからです。
ですから私の平素申していることは
「常に書物を読んで、
 卒業後独力で自分の道を開いていけるような人間にならねばならぬ」
ということです。 


要は「学び続ける」ということですね。
本を読むことは、
私の経験でもとても大切なことだと感じています。
もちろんここでいう本とは“小説”ではありませんよ。
広ガスたかたの社員さんたちは、
本を読まない人もけっこういます。
そこで考えたのが、研修です。
本を読んだと同じ体験のできる研修を探して、
参加していただきます。
研修は本なのです、
飛び出す絵本のようなものといえばわかりやすいでしょうか。
社長も、
干からびないように会社の誰よりも研修に参加しています。

2012/04/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月22日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月22日
苦労の用②

 焼き芋は、
火が通らないとふっくり焼けない。
人間も苦労しないとあくが抜けません。

・ 
美味しいよね焼き芋。
電子レンジでチンしてはダメですよ、
あれは美味しくない。
オーブンレンジやグリル、
わが家では「焼き芋やっくん」
っていうのを使ってます。
焼き石の遠赤外線で焼く、
本当の石焼芋はさらに美味しい。
人間も美味しくなるには手間暇かかるはずですね。

2012/04/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月21日
苦労の用①

 同一のものでも、
苦労して得たのでないと、
その物の真の値打は分からない。


誰かからもらったものと、
自ら働いて苦労して買ったもの、
物としての価値はまったく同じ。
物の真の値打ちとは、
物にあるのではなく、
それを所有する人の心の中にある。
ってことだと思ってます。
大切にされている「もの」と、
大切にされていない「もの」は、
もともと同じ価値の「もの」でも、
10年を経ると一目で違いが分かることでしょう。
たとえば車、
本当によくわかります。

2012/04/20 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月20日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月20日
教えと経験

 人間は学校で教わることは、
ちょうど地下工事に当たります。
その上に各人が独特の建物を建てねばなりません。
その建物のうち、
柱は教えであって壁土は経験です。


基礎からたとえていたが
基礎からだと上物はほぼ決まっている。
地盤工事からだと上物は自由。 
そうか、
企業の人材育成は「地盤工事」ですね。

2012/04/19 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月19日
教科書では事足りぬ

 今諸君らが、
将来ひとかどの人間になろうとしたら、
単に学校の教科書だけ勉強していて、
それで事すむような姑息低調な考えでいてはいけないと思うのです。


ですね、
「机についての学習だけではダメ」
机についての学習“が”ダメではありません。
学んだ後は実践です。
身体を使いましょう、
行動、実行、態度です。
「頭の中に何が入っているか」ではありません。
どんな行動がとれるかで評価されるのです。
“アウトプット”で勝負。

2012/04/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月18日
教師の資格

 真に人を教えるというには、
自ら自己の欠点を除き得た人、
あるいはむしろ常にわが欠点を除去しょうと努力ししつつある人にして、
初めてできることでしょう。 


昨日の続きのような文章ですね。
哲学者の芳村思風先生は、
「欠点をなくす努力はしなくて良い」
最初に努力することは、
「長所を伸ばすこと」
と言われています。
が、
欠点を知らなくてよいとは言われていません。
「欠点を知り、
 それが出ないようにすればよい。
 そこで力む必要はないので、
 長所を伸ばすことを力みなさい」
と。
ただし、
「人に教える」という域になると、
なくそうとする努力が必要なのかもしれませんね。

2012/04/17 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月17日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月17日
欠点に気付く

 人間というものは、
白自分の欠点に気付き出した時、
ある意味では、
すでにその欠点を越えようとしつつあるといってもよいでしょう。


「本当の欠点は自分では気づかない」
と考えます。
・・・だから私も自分では気づかない。
から、
人から指摘されると「むっ」とします。
それに気付くということは、
「素直」へ向かい前進しているということでしょうね。

2012/04/16 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月16日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月16日
修養の手始め

 諸君らも身内の者について人に話す場合には、
敬称をつけないのです。
たとえば諸君が自分のお父さんのことは、
「私の父は」と言って「お父さんは―」とは言わないのです。
つまりさん付けにしないのです。
それから「君」とか「僕」という言葉は、
同輩または目下のものに対する言葉で、
自分より目上の人に対しては、
使わないのが普通です。
以上のことは、
諸君らの修養の手始めとして、
真先きに矯正しなくてはならない事柄です。


家庭のルールはそれぞれでもいいでしょう。
しかし、
家を一歩出るとそうはいきません。
家族以外の人に家族の話をするときは、
「さん」付はまずい。
「敬語」もまずい。
会社の仲間の場合も、
会社を一歩出て、
お取引先やお客様に合うときは、
当然、「さん」も「敬語」も使いませんよね。
が、
・・・社員さんの中にもできていない人がいますね。
「うちの奥さん」とか、
「~されています」などの敬語を使って家族の話をする人。
注意しましょうね。
13入社の選考面接でも気になったところです。
こちらは内定者の研修で学んでくれることでしょう。

2012/04/12 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月15日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月15日
後半生を何に捧げるか

 人問は自分の後半生を、
どこに向かって捧ぐべきかという問題を、
改めて深く考え直さねばならぬ。
その意味において私は、
もう一度深く先人の足跡に顧みて、
その偉大な魂の前に首を垂れなけわればなならぬ、
と考えるようになった。


昨日の「一日一言」で気になり始めた、
後半生。
とは言っても、
健康に自信があるわけではなく、
そうなってからは長くはないと思っている。
が、
これまでも考えては来た。
が、まだまだ漠然。
「後半生の目標」
とはっきりと言い切るものを探していきたい。 
 「もう一度深く先人の足跡に顧みて、
  その偉大な魂の前に首を垂れなけわればなならぬ」
という感謝がまだまだ足らぬということですね。
・・・修業。

2012/04/12 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月14日
六十以後が勝負

 人問というものは、
自分のかつての日の同級生なんかが、
どんな立派な地位につこうが少しもあわてず、
悠々として、
六十以後になってから、
後悔しないような道を歩む心構えが大切です。
知事だの大学教授だのと言ってみたところで、
六十をすもすぎる頃になれば、
多くはこれ恩給取りのご隠居さんにすぎません。


要するに、
現役だと仕事や地位だけで評価されることがありますが、
定年後、
名刺を持たなくなってからが人間として、
本来の評価されるということでしょう。
名刺を持ち歩いている内は、
まだまだ「半人前の修行中」なのだと意識をし続けなければなりませんね。
実に真理です。

2012/04/12 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月13日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月13日
四十までは修行時代

 人問は四十までは、
もっぱら修行時代と心得ねばならぬということです。
現に山登りでも、
山頂まではすべてが登り道です。
同様に人間も、
四十歳まではいわゆる潜行密用であって、
すなわち地に潜んで自己を磨くことに専念することが大切です。


生まれながらに持っている封筒。
「人生の使命」
が書かれている封筒のことです。
四十歳ころまでに開封しなければ、
その後はなかなか開封できないと言われています。
要するに、
開封するまでを「修業時代」と言われているのでしょうね。


   致知出版 「現代の覚者たち」より・・・神さまからの封書を開け!森信三

「人生いかに生きるべきか」・・各人がその解を得るためには、

「この世へ送られた、その使命がなんであるかを解かねばならぬ。

 みなそれぞれ神さまから封書をもらっとるんですもの(笑)。

 ・・開けることを学問だとか、宗教だとか、なんとか名前をつけておるのですがね。
 ・・われれわは自分自身の意志と力によって、この地上に生まれた人は一人もいない。
 結局、大宇宙というか、壮大無限な宇宙生命によって、この地上にその生を与えられているわけです。
 ある意味では、神からこの世へ派遣せられたものといえる。
 従って、いかなることが自分に課せられた使命かをとめねばならぬ。
 それがある程度わかりだすのは、人生もほぼ二等分線を越える頃のようです。
 つまりね、35歳を中心とする小10年の間で、遅くとも40までには、
 かなり、はっきりとその検討をつけねばならぬといえましょう。・・」

2012/04/12 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月12日
その場かぎりの感激

 いかに立派な教えを聞いても、
「ハハアなるほど」とその場では思っても、
それが単にその場限りの感激に終わって、
一度教場を出ればたちまち元の木阿弥に返ってしまうようでは、
何年学校に行ったところで、
ただ卒業という形式的な資格を得るだけで、
自分の人格内容というものは、
一向増さないわけです。


経営者が集まる研修に度々参加しています。
講演会ではなく、
かなり実践的な定期研修です。
が、
中には「実践」というよりも、
その集団にいることが目的のような人もいます。
そこにいることが楽しかったり、
安らいだりするのでしょうね。
最近巷(ちまた)で聞く、
経営者がたくさん参加しているという宗教?もそうなのでしょうか。
経営者が研修へ参加する目的は、
「業績アップ」しかないのだと考えています。
業績や信用を落としながらも通っていたとしたら、
経営者として根本が間違っているかもしれませんね。
あくまでも「だとしたら」ですよ。

2012/04/11 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月11日
感激の永続は難しい

 諸君らも、
かような(注:感動的な)話を聞かされた場合にはそれに感激もし、
またその場では一応決心もされるでしょう。
しかし一旦その場を去れば、
多くはたちまち忘れてしまって、
その感激は永続しがたいだろうと思うのです。
それというのも、
人間というものは、
単に受身の状態で生じた感激というものは、
決して永続きのしないものだからであります。


私の場合は、
ノートを持ち歩き、
気付いたこと、
感じたこと、
感動したこと、
考えたことなどとにかくメモしまくりました。
現在も、
ノートまたはタブレット持ち歩いています。
本の中もメモしまくりです。
記憶力が悪いので、
どこに何を書いたか覚えていませんが、
何度も同じことにピンときているうちに、
「何をするか」がまとまってくるのです。
周りからは突拍子もない発想と思われ勝ちですが、
実は、それなりに緻密(ちみつ)なのです。
メモをすること、
メモしながら次の発想をすることで、
単に受け身で終わらずに入れるのではないかと考えています。

2012/04/10 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月10日
真の志②

 書物を読んで感心したり、
また人から話を聞いて、
その時だけ感激しても、
しばらくたつとケロリと忘れ去るようでは未だもって真の志というわけにはいかないのです。 


私の強みは、
これまで何度も書いてきましたが、
「あきらめの悪さ」です。
その時の感動を瞬時に実現する力はありませんが、
多くの人が諦めても、
私一人になっても、
周りからはもうあきらめていると思われても、
実は心の中で種火は消えていないのです。
これから先も、
「ここまで」とは言わず、
「まだやってるんです」と、
いつまでも煮え切らない姿勢を貫きます。
そんな心の中を知らない人は、
「継続」と言ってくれたりします・・・。
・・・ですから尺八の上達もゆっくりですね。

2012/04/09 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月9日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月9日
真の志①

 真の志とは、
自分の心の奥底に潜在しつつ、
常にその念頭に現れて、
自己を導き、
自己を激励するものでなければならぬのです。


私のように志の低い人間の場合のお話です。
30歳のころ、
残念ながら、
志というものはありませんでしたが、
「こうなりたい」という夢?希望?はありました。
・・・目標とまで言えない。
何か行動を起こすとき、
この行動は「夢」「希望」につながる行動なのか?
と問いかけながら無理やり行動を修正をかけていきました。
もちろん“心にもない”行動もたくさんありました。
が、
20年、そこそこ頑張って継続してたら、
少しずつ“心”にしみこんできたかなと感じることもあります。
・・・わずかですが。

2012/04/07 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月8日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月8日
一立志をもって根本とする②

 私は、
志を打ち立てるところに、
学問の根本眼目があると信じるものです。
その他のすべての事柄は、
要するにこの根本が打ち立てられるところに、
おのずからにしてできてくるのです。


森先生は教育者として言葉を発しておられます。
私たちは、
「学問」を「人生」に置き換えるとよいのでしょうか? 

“ 私は、
 志を打ち立てるところに、
 人生の根本眼目があると信じるものです。
 その他のすべての事柄は、
 要するにこの根本が打ち立てられるところに、
 おのずからにしてできてくるのです”

いい感じかもしれません。
森先生の言われる、
生まれた時からそれぞれが持っている、
「私の人生を捧げる使命」の書かれた封筒を、
開封した瞬間かもしれません。
・・・開封された成功者のお話や本を読むかぎりでは、
本人がその瞬間に気付くのは、
開封したかなり後のようです。
「あゝ、あの時だったのかもしれない」
と言えるような人生にしたいですね。

2012/04/07 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月7日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月7日
立志をもって根本とする①

 私は、
人生の真の出発は、
志を立てることによって始まると考えるものです。
古来、
真の学問は、
立志をもってその根本とすと言われているのも、
まったくこの故でしよう。
人問はいかに生きるべきであるか、
人生をいかに生き貫くべきであるかという一般的真理を、
自分自身の上に落として来て、
この二度とない人生を、
いかに生きるかという根本目標を打ち立互てることによって、
初めて私達の真の人生は始まると思うのです。


少し前に同じようなことを書いたような・・・。
・・・ありました。
3月25日のメールでした。
最終目標をつかんだ時点がスタート、
最終目標とは、
「志を立てること」ですね。

2012/04/06 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月6日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月6日
自己の天分を発揮する②

 ではどうしたらよいかというに、
それには、
自分というものを越えたある何物かに、
自己をささげるという気持がなければ、
できないことだと思うのです。


このお話はよくわかります。
自分の欲を優先して生活をしていた独身時代は、
まさに自分さえ良ければよい。
それ以外のことは戦略だと考えていました。
・・・小さい人間ですね。
多少は周りのことを考えれことができるようになり、
その分少しだけ、
「自己をささげる」こともでき始めたのかなと考えます。
「社会のために、
 この身を捧げます」
・・・には程遠い自覚をしっかり持っております。
残念。

2012/04/05 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月5日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月5日
自己の天分を発揮する①

 自己の天夫分を発揮するということですが、
この天分の発揮と言うことは、
実は単に自分のことだけを考えていたんでは、
真実にはできないことであります。
すなわち人間の天分というものは、
単に自分本位の立場でこれを発揮しようとする程度では、
十分なことはできないものであります。


私の本音では、
いまだに本当に理解しているのか否か怪しいのです。
立場上まずは、
「社員さんやその家族のために、
 お客様のために、
 社会のために役立つ企業を目指す」
と言っております。
しかし、
借金にもぐれ、
赤字から抜け出せない状態にあっても、
同じことを言い続けているのだろうか?
と考えることがあります。
そうなることが怖くて、
日夜、
「10年先も健善であるために」
をテーマに頭をひねりまくっています。
・・・怪しいながらも、
自分を信じて今日も進むのです。

2012/04/04 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月4日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月4日
天命を受け入れる② 

 我々れも、
ここにこうして一年間を共に学ぶことになったことは、
天の命として謹んでこれをお受けし、
ひとり好悪を言わないのみか、
これこそ真に自己を生かすゆえんとして、
その最善を尽くすべきだと思うのであります。


四月より新入社員を迎え、
新たなる組織体制でのスタートを切りました。
森先生の言われるように、
私たちも、
天命と慎んで受け入れ、
組織の中でそれぞれが自身を生かし行きましょう。 

2012/04/03 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月3日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月3日
天命を受け入れる①

 私の考えによりますと、
我々人間と言うものは、
すべて自分に対して必然的に与えられた事柄については、
そこに好悪の感情を交えないで、
素直にこれを受け入れるところに、
心の根本態度が確立すると思うのであります。
否、
我々は、
各自己に対して必然的に与えられた事柄については、
一人好悪の感情をもって対しないのみか、
さらに一歩をすすめて、
これを「天命」として謹んでお受けするということが大切だと思うのです。
同時に、
かくして初めてわれわれは、
真に絶対的態度に立つことができると思うのです。


生まれたばかりの乳児は、
天命を受け入れることしかできません。
何せ主張するすべは「泣き叫ぶ」くらいのことしかないのですから。
ある意味「素直」の頂点からのスタートですね。
1920年に発見された、
オオカミに育てられたオオカミ少女は、
何があってオオカミに育てられたかはわかりませんが、
姿以外はオオカミだったそうです。
私たちは4人の新人を迎えました。
学生というステージから、
社会人というあらたなステージ立ちます。
まずは、
広ガスたかたの企業文化を、
天命だと受け入れ・・・あきらめかな?
・・・どっちでもいいのです。
「石の上にも三年」
三年後には新たな自分が発見できるはずですよ。

成長の第一歩は「忍耐」です。

2012/04/02 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月2日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月2日
学歴は無用

 とかく人間というものは、
地位とか学歴とかに引掛っている問は、
真に徹底した生き方はできないものです。
学歴というようなけち臭いものに引掛っている問は、
その人の生命は十分には伸び切らないからです。


学歴も成績も、
これからの人生には、
「一切問題ない」
と、自信をもって言い切ります。
学歴も成績も過去のことです。
それでは、
新卒採用の選考って何の意味があるのでしょうか。
これからの人生を変えれるのは自分だけで、
他人がその人の人生を変えれるわけではありません。
誰かがきっかけを作ったとしても、
生かすも殺すも本人です。
私たちは、
「自分を成長させる、変えていく」
という意欲を感じる人を採用しようとしています。

2012/03/30 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 4月1日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 4月1日
人生二度なし

諸君!! この人生は二度とないのです。
いかに泣いてもわめいても、
その我々の肉体が一たび壊滅したならば、
二度とこれを取り返すことはできないのです。
したがってこの肉体の生きている間に、
不滅な精神を確立した人だけが、
この肉の体の朽ち去った後にも、
その精神はなお永遠に生きて、
多くの人々の心に火を点ずることができるでしょう。
学年の始めに当たつて、
私は諸君らがまずこの根本の一点に向かって、
深く心を致されんことを切望してやまないしだいです。


「不滅な精神を確立した人だけが、
 この肉の体の朽ち去った後にも、
 その精神はなお永遠に生きて、
 多くの人々の心に火を点ずることができるでしょう」
文章をそのまま引っこ抜きましたが、
今でも人の心に火を点火し続ける、
“松下幸之助翁”
肉体あるうちに、
“松下経営理念”という、
価値観を確立されたからこそ、
“神様”として敬われているのですね。
「“多くの人に”とは言いませんが、
 広ガスたかたの社員さんの心に点火するくらいの、
 精神の確立をめざし“二度とない人生”を生かしていく」
こう宣言して、
自分を崖っぷちに追いやるのです・・・。
・・・逃げんぞ。

2012/03/30 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月31日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月31日
恩に報いる

 師に対する最高の報恩は、
まさに師を越える一路の外にない。


まだまだその域の考えにすら至りません。
吸収しなくてはならないことが、
あまりにも多すぎなのです。
目標は「師を超える」をかかげ前進を続けます。
尺八は、
師が高齢ということもあり、
出稽古にも出かけています。、
プロの尺八奏者からもご指導を頂くことがあるのですが、
その技術と理論はとても新鮮で、
奥の深さにおどろかされてしまいます。
・・・こちらも人の3倍時間をかけながら吸収を続けます。

2012/03/30 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月30日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月30日
師の教え

 自分の一生の目標を何と立てるかということも、
結局はその人が、
師の人格に照らされて初めて見出されるものであって、
人問は師をはなれては、
生涯の真の目標も立たないと言ってよいでしょう。
 またいかなる書物を愛読するかということも、
結局は師の教えの光に照らされて、
おのずから見えて来ることでしょう。


私の敬愛する経営者は、
“藤沢武夫”
元ホンダの副社長です。
そして、
尊敬する経営の“師”は、
“小山昇”
武蔵野の社長です。
藤沢さんの本を読みながら、
おぼろげに見えてきた目標が、
小山さんの指導で明確になりました。
当然ですが、
自分の価値観に合った光の元へすり寄っていくということですね。
もちろん、
大好きな人、
師の価値観を吸収していくという逆のパターンもあります。

2012/03/29 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月29日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月29日
敬の一念と生命の進展

 尊敬の念を持たないという人は、
小さな貧弱な自分を、
現状のままに化石化する人間です。
したがってわれわれ人間も敬の一念を起こすに至って、
初めてその生命は進展の一歩を踏み出すと言ってよいでしょう。


目標のない人生を送っていた若かりし頃、
もちろん“尊敬する人”を意識したことはありませんでした。
目標らしきものが見え始めたころから、
「師」を意識するようになりました。
子供のころから通っていた空手道の師を、
「師」として意識したのはそのころからです。
結婚や子供の誕生、
会社での役職など人生の転機と目標は、
私の中では密接な関係でした。
今考えると、
目標が定まらないままいたら、
超化石化した人間になっていたと思いますね。
怖わ~。

2012/03/28 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月28日
「約束ごと」を守る

 社会的秩序の上における上下の関係というものは、
いわば世の中の「約束ごと」とも言うべきものでありますから、
これを履(ふ)み外すということは、
同時にそのまま、
世の中そのものから履み外して、
社会の落伍者となる外ないのです。 


同業界の社長さんから電話がありました。
「うちのお客様をうばった」
と、クレームです。
お客様から、
「現在の取引会社が、
 修理中の器具のカバーを外したまま、
 何か月も放置しているので、
 お宅に替わりたい」
との連絡を受けたことがスタートですが、
先方の社長はその認識はないようです。
「業界の暗黙の約束事」
という話も出ましたが、
本当に大切なことは、
「お客様との正しいお取引」という、
大切な約束を守ることだと考えています。
そのためにも、
業界のきらわれものになることも必要なのかな?
・・・けっこう胃が痛む。

2012/03/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月27日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月27日
この世を愉快に過ごす

 人問は、
この世の中を愉快に過ごそうと思うたら、
なるべく人に喜ばれるように、
さらには人を喜ばすように努力することです。
つまり自分の欲を多少切り縮めて、
少しでも人のためになるように努力するということです。


我がままの限りをつくすことが愉快な人生。
って思っている内は本当の愉快な人生とは程遠いですね。
結婚とは?
「我慢すること」だと感じています。
が、
ただただ耐えることではありません。
わがままを通すのではなく、
相手を理解しようとする努力のことです。
それが成長の基になりますね。

2012/03/24 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月26日
過去を今に生かす

 人間の真の偉さというものは、
その人が自分のすぎさった過去を、
現在もどの程度忘れずにいて、
これを生かしているか否か、
ということによって、
決まるとも言えましょう。 


言えてるな。
年齢と共に記憶力が薄れてきていますが、
それに伴いエネルギーも低下しているように感じます。
エネルギーは、
過去の失敗や成功などをステップとして高まっていくのでしょう。
過去を反省する記憶が低下すると、
エネルギーも低下しますよね。
記憶力の低下を補うツールを活用しなくては・・・。
もちろん整理されたメモ帳やタブレットの活用です。

 

2012/03/24 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月25日
最終目標をつかむ

 すべて物事というものは、
理想すなわち最終目標を、
あらかじめはっきりつかんでいないことには、
とうてい本当のことはできないものであります。


あらかじめはっきりとつかんでいる人は少ないと思います。
私の経験では、
最終目標をつかんだ時点がスタートだと考えるのです。
と言うことは、
早ければ早いほど有利ですよね。
しかし、
一生それをつかまない人もとても多いのです。
そう考えると、
ひと年とってからでもそれを明確につかめば、
勝ち組です。
私の場合は、33歳くらいの時、
とりあえず嘘っぽい「経営理念の元」を創ってみました。
社長になった36歳で修正をし、
39歳の時現在の「経営理念」になりました。
理想をめざし日々歩んでいます。

2012/03/24 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月24日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月24日
人の話は一番前で聞け

 念のために、
ついでにちよっと申しておきますが、
人の話を聞くときは、
後の方で聞くと、
どうしても批評的になりやすいものです。(中略)
 これに反して、
一番前の席で聞くのは信受の態度です。
そこで諸君らも、
講演などを聞かれる際には、
なるべく前の方の席で聞かれるがよいでしょう。


これは自信があります。
常に前で聴いています。
社員の皆さん、
これは絶対お勧めです。
・・・というより、
どこに座るかも私のなかでは、
意欲評価の採点基準です。  
講師から、
「なんだこいつ」と思われるくらい、
目を合わせながら受講しましょう。

2012/03/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月23日
学問修養には気魄を要す

 古人は学と言えば、
必ず聖人足らんことを志したものです。
しからば今日われわれ日本人として、
いゃしくも学問修養に志す以上、
われわれのもつ偉大な先人の踏まれた足跡を、
自分も一歩なりとも踏もうと努め、
たとえ一足でも、
それににじり寄ろうとする気魄がなくてはならぬと思うのです。


私がランドセルを放り出し遊んでいたころの時代には、
学校の先生は、
「何でも知っていて聖人」 
お巡りさんは、
「どんな小さな悪も許さぬ聖人」
と思っていました。
私だけではなく、
子供たちはみんなそう思っていました。
いつから学校の先生は、
子供たちの友達になったのでしょう。
いつからお巡りさんは、
警察に捕まるようになったのでしょう。
私たちは常に、
「お天道様が見ている」
を意識していなくてはならないのだと思うのです。
・・・聖人とは程遠い生き方ながらも、
「お天道様に顔向けできないような真似はしない」
と誓っております。 ・・・大人になってからね。

2012/03/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月22日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月22日
生命力を高める

 偉人と言われるほどの人間は、
何よりも偉大な生命力を持った人でなくてはならぬはすです。
しかもそれが、
真に偉人と呼ばれるためには、
その偉大な生命力が、
ことごとく純化せられねばならぬのです。
 ですから生命力の大きさ、
力強さというものを持たない人間は、
真に偉大な人格を築き上げることはできないわけです。


“病気”とか“学力”が生命力とは直結していない。
松下さんは、
小学校4年生までしか行っていないし、
結核だったと聞いています。
生命力とは、
“大きな夢”、“大志”
と言われるものを実現しようとする力のことではないかと思います。
 

2012/03/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月21日
偉人は自らを凡夫と知る

 真に偉大な人格というものは、
決して自分自身を、
偉大であるなどとは思わないでしょう。
何となれば、
現在自分のなめている苦しみを、
単に自分一人だけのものとは思わず、
世の多くの人々が、
自分と同様にこのような苦しみをなめていることを深く知っているからです。
すなわち真に偉大な人というものは、
つねに自分もまた人生の苦悩の大海の裡に浮沈している、
凡夫人の一人にすぎないという自覚に立っているのです。


重いお言葉です。
人間はほめられると嬉しい。
が、
ほめられ続けると勘違いをする。
しかし、
本当に偉大な人は我を見失わない。
ってことですね。
逆に言うと、
人間をダメにするには、
「ほめ続ける」
多くの人はこれでダメ人間になる。
その中で、
真に偉大な人だけ大きく成長するってことですかね。
「その人のレベルに合わせて使い分ける」
これが正しいのかな。
が、・・・それはそれで難しい。

2012/03/20 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月20日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月20日
おめでたさを削りとる

 われわれは苦労することによって、
自分のおめでたさを削りとってもらうんです。
現実の世界は決してお目出たくはないのです。


・・・悲しいくらい実感。
人間は、
“おめでたい
または、”
“自暴自棄”
どちらかですね。
「おめでたくなったところで、
 しゃきっと帯を締め直す」
ここが大切なところですね。
“勝って兜の緒を締めよ”
苦労しているからこそ言えるのですね。 

2012/03/19 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月19日
悩み苦しみを噛みしめる

 人生を深く生きるということは、
自分の悩みや苦しみの意味を深く噛みしめることによって、
かような苦しみは、
必ずしも自分一人だけのものではなくて、
多くの人々が、
等しく悩み苦しみつつあるのだ、
ということが分かるようになることではないかと思うのです。
これに反して、
人生を浅く生きるとは、
自分の苦しみや悩みを、
ただ自分一人だけが悩んでいるもののように考えて、
これを非常に仰山(ぎょうさん)なことのように思い、
そこからして、
ついには人を憎んだり怨んだりして、
あげくの果ては、
自暴自棄にも陥るわけです。


あるね、
全くその通り。
思い出しましたよ、
思いだしました。
ある時期までは思ってたもの、
私は不幸な人間だって。
何歳の時だったのでしょう???
覚えてませんが、
テレビニュースを見て思ったのです。
「私は殺人事件の被害者ほど不幸ではないな」
と。
辛いことがあった時、
世界中のどこかで、
ピストル突きつけられている人がいるかもしれない。
ナイフを突きつけられている人がいるかもしれない。
私はまだましだ。
・・・そんなこと考えながら生きてたって、
・・・・・・不幸だね。

2012/03/17 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月18日
どん底体験

 人問の真の強さというものは、
人生のどん底から起(た)ち上がってくるところに、
初めて得られるものです。
人間もどん底から起ち上がってきた人でなければ、
真に偉大な人とは言えないでしよう。


これまでに何度となく、
「今がどん底」と思ったことがあります。
が、
今振り返ると、
本当のどん底ではなかったように感じます。
過ぎ去った過去だから、
記憶が薄れてくるのかもしれません。
私にとってもっと怖いのは、
”将来”です。
恐怖ありきの「夢のような明るい将来」。
と考えています。
成功経営者は、
「起業するとき、
 どう店をたたむかを考えている」
言われています。 

2012/03/17 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月17日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月17日
ぺスタロッチーの言葉

 「苦しみに遭って自暴自棄に陥るとき、
 人間は必ず内面的に堕落する。
 ・・・同時に、
 その苦しみに堪えて、
 これを打ち越えたとき、
 その苦しみは必ずその人を大成せしめる」

*森先生が講義中に引用されたべスタロッチーの言葉。


“実感”です。 
若い頃は障害に出くわす度、
自暴自棄におちいっていました。
要は逃げ回っていました。
「ナポレオン・ヒル」
「日創研」
で成長・成功を意識するようになってからは、
「この苦しみを乗り越えることで、
 必ず現在よりも成長した自分がそこにいる」
と考えることができるようになりました。
大きな成長とは言いませんが、
一歩ずつの小さな成長を感じ続けています。

2012/03/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月16日
人生は短距離競走

 実際人生は二度とないですからね(先生幾度も繰り返して言われる)。
人生は、
ただ一回のマラソン競走みたいなものです。
勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。
しかしマラソン競走と考えている間は、
まだ心にゆるみが出ます。
人生が、
五十メートルの短距離競走だと分かってくると、
人間も凄味が加わってくるんですが ― 。


なるほど、
確かに短距離走ですね。
年をとってきたからそう感じるようになったのかもしれません。
距離が長くゴールが遠いと、
「この先まだまだたくさんの勝負どころがある」
と思えるのでしょうが、
今ここで、
「常に全力勝負」
をかけておかなければ、
変化の激しいこの時代のなかでは、
勝ち残っていけませんね。 

2012/03/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月15日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月15日
卒業

 学校を卒業するということは、
人生という長旅への出発点ということです。
しかるに卒業と言えば、
もういい気になって、
寄宿舎の窓など破って喜んでいる程度の人間が、
第二の小国民の教育に従事するかと思うと、
実際泣くに泣けんですね。
もっとも近頃では、
さすがに本校でも、
そんな馬鹿をする人間はなくなったようですが ― 。


私たちの時代の話ですが、
高校の卒業式を終えたら酒とタバコは自由という風潮でした。
昨日まで学生服きてたのに、
「今日からはいっぱし」の気分だったのでしょう。
森先生がいわれるように、
「卒業は次のステップに向けたスタートライン」
という意識など微塵もありませんでしたね。
企業の中でも、
部門や役職など卒業とスタートの繰り返しですものね。
「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」
ですね。

2012/03/14 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月14日
私欲の一関を越える

 私意私欲の一関を突破するということは、
ロで言えばただそれだけのことですが、
しかしいざわが身のこととなると、
決して容易なことではありません。
しかし人間も一たび私欲の一関を越えますと、
一切の対人関係が明らかに見えて来ます。
その明らかな筋道に従って行えば、
みな道にかなうというわけです。


これまで何度か書いたと記憶しています。
私は結婚を意識するまで、
家賃、光熱費以外の給料は車につぎ込んでおり、
食事は、ほぼ“金ちゃんラーメン”でした。
結婚が決まり、
自分一人で生きていくのではないという自覚から、
私欲車を売り払いました。
子供が出来た時には、
子供の成長に責任を感じ、
私にもしものことがあっても、
なんとか社会人になるまでの費用を担保するため、
保険にも加入しました。
今尚、
私欲の一関を越える域ではありませんが、
このあたりの出来事で、
自分以外の人を守り、幸せにしたいと感じ始めたのです。 

2012/03/13 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月13日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月13日
捨欲即大欲

 人間が真に欲を捨てるということは、
意気地なしになるどころか、
それこそ真に自己が確立することであります。
否、さらにそれによって、
天下幾十万の人々の心の中までも伺い知ろうという、
大欲に転ずることであります。


ここで言われている“欲”とは個人の欲のことですね。
大欲とは“個人の欲”を超える、
家族や地域、さらには社会が豊かになる欲、
“夢”、“大志”と言っていいのかもしれません。
自分一人の小さな欲から、
社会へ広がる大きな夢を具体的に描いていきたいですね。
まずは、「足るを知る」というところからかな。

2012/03/12 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月12日

修身教授録

    一日一言

   (致知出版)

        森  信三著

        藤尾秀昭編

 312

内面的に強くなる

 真の修養とは、

何よりもまず人間が、

内面的に強くなることです。

他の一切のことは、

すべてそれからのことです。

「すべては内面的に強くなることから」

っと言うことですね。

・・・しかし現実は、

障害を乗り越えるほどに“強くなる”のだと思います。

私はこう考えます。

“私は強い”

と自分自身に宣言をすることだと。

その強さを証明するための約束をし継続すること。

たとえば禁煙、

たとえば掃除、

私の場合は“尺八”もその一つかな。

 

 

2012/03/10 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月11日

たくましい人間になる

 真の道徳修養というものは、
意気地なしになるどころか、
それとは正反対に、
最もたくましい人間になることだと言ってもよいでしょう。
すなわちいかなる艱難辛苦(かんなんしんく)に会おうとも、
従容(しょうよう)として人たる道を踏み外さないばかりか、
この人生を、
力強く生きぬい下ていけるような人間になることでしょう。


いつから“道徳”の授業がなくなったのでしょう。
私たちが、
日本人として生まれ、
日本の社会の中で生きていくために、
日本の中で守ること。
しかも、
それは長い歴史のなかで、
少しずつ出来上がったものだと思うのです。
自由奔放に自分の思うように、
わがままに生きることが出来たら、
それはとても楽しいことでしょう。・・・本人だけ。

・・・周りはどんだけ不幸な事か。

2012/03/10 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月10日
人を知る標準②

 そして第第四には、
その人の愛読書がいかなるものかということであり、
 そして最後がその人の友人いかんということであります。
 大よそ以上五つの点を調べ大たならば、
その人がいかなる人間であり、
将来いかなな乏方向に向かって進むかということも、
大体の見当はつくと言えましょう。


その人を知るために、 
・親(師)
・人生目標
・生い立ち(経歴)
・愛読書
・友人
この五つを知るとその人が見えてくるわけですね。
新卒選考と同じです。
最近は、
面接でしてはいけない質問というのもありますが。
・・・逆に私たちもここを見られているということです。

2012/03/09 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月9日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
3月9日
人を知る標準①

 人を知る標準としては、
 第一には、
それがいかなる人を師匠としているか、
ということであり、
 第二には、
その人がいかなることをもつて、
自分の一生の目標としているかということであり、
 第三には、
その人が今日までいかなる事をして来たかということ、
すなわちその人の今日までの経歴であります。


子供は親の影と言いますものね。
影を見ると親がわかる。
会社も同じ。
・・・。
あっ、そういえば、
10年以上前の話です。
日創研の研修の時、
「僕を田舞さんの弟子にしてください」
と叫んでいた若手創業社長さんがおり、
田舞さんは、
「私は弟子をとりません」
とことわられてました。
弟子も師を選ぶが、
師にも影を選ぶ権利がある。
と、感じたことを思い出しました。

2012/03/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月8日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月8日
一日読書をしなければ

 読書はわれわれ人間にとっては心の養分ですから、
一日読書を廃したら、
それだけ真の自己はへたばるものと思わねばなりません。


なかなか毎日は読めていません。
悩み事が解決せず、
本にすがってヒントを探すときだけ毎日です。
・・・これからも毎日の自信はありませんが、
へたばりながらも絶対に止まりません。
私の場合、
出張の移動中が最も読書が進みます。
が、
最近はメガネを忘れると、
文字が見えなくなるのです。
尺八の練習時にも、
楽譜を見るためメガネをかけるようになりました。
・・・。

2012/03/07 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月7日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月7日
読書は心の食物

 読書が、
われわれの人生に対する意義は、
一ロで言ったら結局、
「心の食物」
という言葉がもっともよく当たると思うのです。


“心の食べ物”という表現は、
とてもなじみのある言葉です。
10年くらい前社内研修で、
大友講師に来ていただいた・・・、
そうです、
多くの社員さんもピンときたことでしょう
“幸せの心理学(TA)”セミナーです。
“ストローク”は心の食べ物ですよね。
心の食べ物ストロークには“+”と“-”があり、
身体の中に100%の“+ストローク”が貯蓄されると、
「自信」「夢」「希望」「感謝」「喜び」などがあふれでます。
まさに、
読書は“+ストローク”ですね。
ただし、
小説などではなく、
自己啓発や経営などの本を私は指しています。
 
 

2012/03/06 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月6日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月6日
才能とは磨かれるもの 

 井戸水も、
これを釣瓶(つるべ)で汲み出さなければ、
地上にもたらして、
その用に充(あ)てることはできず、
また鉱物や鉱石もそのまま地中に埋れていたんでは、
物の用に立たないように、
今諸君らにしても、
たとえその素質や才能は豊かだとしても、
諸君たちが真に学問修養によって自己を練磨しようとしない限り、
その才能も結局は朽ち果てる外ないでしょう。


自らの才能をまずは掘り起こす。
それがたとえダイヤの原石であっても、
取り出しただけでは100%の価値ではない。
そこから磨いてこそ価値なのですね。
才能を掘り起し磨きをかけるのが、
私たちでいうと「仕事」ということ。
「今目の前の課題に一心不乱にまず10年」
って言われてましたっけ。
・・・少し違ったかな。

2012/03/05 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月5日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月5日
人となる道を明らかにする

 われわれは、
一体何のために学問修養をすることが必要かというに、
これを一ロで言えば、
結局は「人となる道」、
すなわち人間になる道を明らかにするためであり、
さらに具体的に言えば、
「日本国民としての道」を明らかに把握するためだとも言えましょう。
またこれを自分という側から申せば、
自分が天からうけた本性を、
十分に実現する途を見出すためだとも言えましよう。


森先生は教育者です。
私たちは「学問」や「教育」を、
「社会人」や「仕事」に置き換えて読み直す方が良いかもしれませんね。
いづれにしても、
私たちが行くべき道は、
「人となる道」
「日本国民としての道」
であることに変わりありません。
最近はゆとり教育で、
「我が道を行く」という進み方を指導してたのかな???
昔は、
我慢のできる人が多かったと思うのは私だけでしょうか。

2012/03/03 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月4日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月4日
教育者の使命 

 現世的欲望を遮断しつつ次代のために自己を捧げるところにこそ、
教育者の教育者たる真の使命はある。


 私の器ではこの域にはるかに届きません。
若いころは完全に、
自分の欲をかなえるための手段として仕事をしていました。
 年齢の積み重ねるとともに、
結婚し、子供が生まれ、
家族に対する“責任”を感じるようになり、
自分の欲よりも家族の成長を優先して考えるようになりました。
もし私に病気やけが、
万が一の事故など最悪の事態の場合でも、
子供たちが成人するまでの“責任”をとる決意で、
保険に入りました。
保険のために働いているのか?
・・・残された家族のためなのですが、
まだまだ当時の私は、
考えが行ったり来たりです。
 近年になってからでしょうか、
お客様の笑顔と満足を目指して仕事を進め始めたのは。
考えが行ったり来たりはあいかわらずで、
私の器を露呈するところですが・・・。
 

2012/03/03 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月3日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月3日
教育の眼目

 教育の眼目―相手の魂に火をつけて、
その全人格を導くとい、つこと。


簡単に言うと、
学習塾のCMで言う、
「やるきスイッチ」ですね。
しかし、
あえて、
「魂に火をつけ」
「全人格を導く」
という表現が私の心にグッときます。
私も、
「魂に火をつけ」
「全人格を導く」
そんな指導者(経営者)を目指します。

2012/03/02 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月2日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月2日
死への心構え

 われわれ人問は、
死というものの意味を考え、
死に対して自分の心の腰が決まってきた時、
そこに初めてその人の真の人生は出発すると思う。


昨日の「生への感謝」を、
より深めるということだと思います。
「今ここ」を一生懸命生きつづけた人が、
たどり着く境地なのでしょう。
「今」という瞬間、瞬間を、
目一杯のいきつづけて行きます。

2012/03/01 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 3月1日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 3月1日
生への感謝

 われわれ人間は自分がここに人間として生をうけたことに対して、
多少なりとも感謝の念の起こらない間は、
真に人生を生きるものと言いがたいと思うのです。


近年よく耳にます、
「殺人事件を起こした人の生い立ちをたどってみると、
 そこに問題が見えてくる」
人間として生まれ、
オオカミに育てられた少女は、
オオカミとしての人生をおくったそうです。
「感謝の念」も、
生い立ちのなかで生まれるものではないかと思うのです。
子育てや社員育成ってとても大切ですね。

2012/02/29 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月29日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月29日
真理を相手に生きる

 真の謙遜とは、
結局その人が、
常に道と取り組み、
真理を相手に生きているところから、
おのずと身につくものと思うのであります。


松下さんが言われる、
「宇宙根源の法則に従えば、
 人間は強い」
「宇宙根源に従うには、
 “素直”になること」
と、同じではないかと思うのです。
真の謙遜とjは、
“素直”に生きる。
真理とは、
“宇宙根源の法則”
もちろん、
自分に“素直”ではありませんよ、
それではただのわがままです。

2012/02/28 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月28日
満足できる生き方

 諸君らの中には、
「どんなに努力したって、
 この世に心残りがないというわけにはいかないだろ」
と思う人もありましょう。
確かにそれも一面の真理だとは思います。
しかしまた他の一面、
人は生前、
自分の全カを出し切って生きれば、
死に臨んでも、
「まああれだけやったんだから、
 まずこの辺で満足する外あるまい」
という心にもなろうかと思うのです。


マスコミにも紹介されるくらい有名な成功者は、
多くの人がこう言ってます。
「これまでの人生は充実していた、
 悔いはない」
しかし、
「生まれ変わっても同じ人生を歩みたいですか」
の質問には、
またまた多くの人が、
「もう二度とごめんだ、勘弁してほしい」
と答えたそうです。
半端ではない障害や苦しみを乗り越え、
築き上げたからの言葉なのでしょうね。

2012/02/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月27日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月27日
一倍半の働き、二割減の報酬

 真に意義ある人生を送ろうとするなら、
人並みの生き方をしているだけではいけないでしょう。
それには、
少なくとも人の一倍半は働いて、
しかも報酬は、
普通の人の二割減くらいでも満足しようという基準を打ち立てることです。
そして行くゆくは、
その働きを二人前、三人前と伸ばしていつて、
報酬の方は、
いよいよ少なくても我慢できるような人間に自分を鍛え上げていくんです。


超理想的な、
神さま仏さまのような人ですね。
私は、
欲のある人間ですので、
そこまでは出来そうもありません。
が、“足るを知る”
という人間にはなりたいと思います。
・・・結構ハードル高いですが。

2012/02/25 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月26日
批評知

 批評ということは必ずしも悪いことではありません。
否、批評知には、
一種独特の鋭さがあって、
なかなか馬鹿にならぬものですが、
ただいつまでもその段階にとどまっていい気になっていますと、
大馬鹿に陥る危険が多いのです。
 つまり批評知そのものが悪いというわけではありませんが、
同時にそのままいい気になっていたんでは、
人間も真の成長はしないわけです。


私の能力上、
否応なしにこのパターンです。
否定しているわけではないが、
理解できていない。
理解しようとあれこれ手を打つので、
結果その段階にとどまらない。
そして出来上がったものは、
独自の仕組みに見える。
・・・“経営革新奨励賞”をいただきましたが、
「いい気になってはいけない」と、
このタイミングで書かれています。
世の中に偶然はない。 

2012/02/25 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月25日
批評的態度 

 人間は批評的態度にとどまっている間は、
その人がまだ真に人生の苦労をしていない何よりの証拠だとも言えましょう。
もちろんその人の性質にもよることですが、
とにかく自分は懐手をしていながら、
人の長短をとやかく言うているのは、
まだその心に余裕があって、
真の真剣さには至っていないと言ってよいでしょう。


小山さんがいつも言われています。
「他社がやっていることを、
 手を加えずそのまま真似る人は、
 能力が高い」
そのまま真似ることが出来るというのは、
理解度が高いからだと考えます。
私のように理解能力が低いと、
一度自社の仕事に置き換えないと頭の整理がつきません。
自社の仕事に置き換えている間に形が変わるのです。
・・・そしてゆっくり納得します。
「素直」とは、
能力が高いことの証明ですね。

2012/02/22 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月24日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月24日
本末を見失うな②

 自分のなすべき当面の仕事をなおざりにしておいて、
他の方面にカを注ぎますと、
仮にそうしてカを注いだ方面は、
根本的な事柄であり、
またその努力がいかに大きなものであっても、
こういう人は、
いつかは世間からその足場を失って、
あたら才能を抱きながら、
それを発揮する機会を得ないで、
空しく朽ち果てるのが世の常です。


ホリエモンや、
村上ファンドが頭に浮かんできます。
あれだけ才能のある人たちが、
“根本的な事柄”をなおざりにしたばかりに、
犯罪者と言われることになってしまいました。
「どんなに急ぐときでも」ですね。

2012/02/22 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月23日
本末を見失うな①

 人間というものは、
現在自分の当面している仕事をまず片付けて、
しかるのち、
余カがあったら、
自分の根底を養うような修養をすべきでしよう。

・ 
まったくです。
建物の基礎をつくっている途中に、
柱を立てたのでは家は完成しませんものね。
ものごとには順序があります。
一つひとつ問題をクリアしていけば、
必ず光が差し込みます。
焦らず、じっくり、
そして最後は“勝”。

2012/02/22 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月22日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月22日
人生の深さを知る

 人生を生きることの深さは、
実は人生を知ることの深さであり、
人生を内面的に洞察することの深さと申してもよいでしょう。 


なるほど、
昨日の“深く生きる”ための、
掘り進めが人生ということなのですね。
光市母子殺害事件の被害者家族、
本村洋さんは、
これまでもときどきTVなどで発言をされていましたが、
この13年間、
人生を深く深くしながら生きてこられたのだと感じます。
今回のような大きな挫折を味わう人が、
一人としていなくなることを心から祈ります。
しかし、
小さな挫折を乗り越えた分だけ、
私たちの人生は深まるということも忘れてはいけませんね。

2012/02/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月21日
いかに深く生きるか

 人生というものは限りあるものであり、
しかもそれは、
二度と繰り返すことのできないものです。
してみると、
そこに許された人生の真の生き方というものは、
この限られた年限を、
いかに深く生きるかということの外ないわけです。


深く生きなきゃもったいない。
死刑の確定した、
光市母子殺害事件の、
元少年が友人にあてた手紙は、
欲望丸出しの内容で、
社会の一員という自覚など感じられないものでした。
“とことん深く”とは言いませんが、
“表面的に生きることはない”
と誓って人生を送りたいですね。
人間らしく。

2012/02/20 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月20日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月20日
なぜ人間として生まれたか

そもそもいかなるカによってわれわれは、
かく人間としてその生をうけることができたのであるか。
私達はまずこの根本問題に対して、
改めて深く思いを致さなければならぬと思うのです。


いろんなことに自信のなかった小学生時代。
「なんで自分は人間なんだろう」
と考えることがありました。
もし自分が犬だったら、
猫だったら、蛙だったら、鳥だったら、木だったら、
草だったらと考えることがありました。
が、
・・・いつしか忘れてましたけどね。
きっと空手を始めてからですね。
一生懸命やってたら成果が出るって気づいたからでしょう。
“一つのことを一生懸命10年”
“根本問題”を解くヒントの公式かもしれません。
そんな気がします。 

2012/02/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月19日
人生の大問題

諸君は、
一体いかなるカによって、
各は人間として生を受けることが出来たかという問題について、
今日まで考えてみたことがありますか。
私の推察にして誤りなくんば、
おそらく諸君たちは、
この大問題に対して、
深く考えた人は少なかろうと思うのです。


要は、
「人生の大問題に取り組みましょう」 
と言うことですね。
“私は、なぜ人間として生を受けたか”
“私の一生をかける使命とは何なのか”
という大問題を深く考える人が、
階段を上っていくのですね。
当社のお客様でもある、
坂田道信(成美)先生は、
“はがきを書く”という、
誰にでもできることを、
毎日毎日、何枚も何枚も書き続けることで、
だれにもまねできないレベルに達し、
“はがき道”を広め、
“はがき道”を通して人を創るという使命に気付かれたそうです。
個人で郵便番号を持ってる人は、
そうそういないでしょう。
今も日本で唯一なのかな???
 

2012/02/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月18日
最初に結果を求めるな②

しかるにどうです。
未だ一歩をも踏み出さないうちから、
『自分はとても駄目だ』
などと言って投げ出すに至っては、
実に意気地のない限りではありませんか。
否、
このような態度は、
自己に与えられたこの生命の尊さに気付かない者の言葉であり、
それはある意味からは、
忘恩の徒とさえ言えるでしよう。


20年位前に聞いた、
ナポレオン・ヒルのプログラムの中にもありました。
「すべての信号が青になるのを待っていると、
 目的地へ到達するどころか、
 スタートさえきれない。
 まずはスタートすることだ」
という内容だったと思います。
予測できる障害は、
あらかじめ想定しておくことは大切ですが、
すべて想定できるはずもありません。
60点主義で進み続けます。

2012/02/17 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月17日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月17日
最初に結果を求めるな①

およそ人間というものは、
できるかできないかは、
生涯を賭けてやってみなければ分かるものではないのです。
ですから、
できるかできないかは、
一生の最後に至って初めて分かるわけです。


“結果”を求めるな。
私たちがまず最初に求めるものは、
というより創るのもは、
“夢”ですね。
もちろん寝てみる“夢”、
単なる夢物語ではありません。
“大志”ですね。
一生かけて成し遂げようという、
でっかい夢ですね。
平和ボケしてくると夢を持たなくなるそうですよ。
昔の若者は、
金はなくても夢があったと聞きます。

2012/02/16 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月16日
信とは 

「信」とはこの天地人生の真実を、
一々中身のせんぎ立てをしないで丸受け取りに受け取ることです。
すなわちまた、
この天地人生の実相をつかんだ人の言葉を、
素直に受け入れるということです。


“天地人生の真実”が何なのか、
そもそもわかりにくい。
だから、
何を丸受け取りすればよいかもわかりにくい。
仕方ないので私の場合、
成功経営者のまねをすることにしました。
本を読んだり、ビデオを見たり、
テープを聴いたり。
・・・DVDやCDではないところが時代ですね。

2012/02/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月15日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月15日
志とは

志とは、
これまでぽんゃりと眠っていた一人の人問が、
急に眼を見ひらいて起ち上カリ、
自己の道をあるき出すということです。


子供のころ聞いた?
・・・紙芝居だったかな???
そこは思い出せませんが、
“三年寝太郎”を思い出しました。
 干ばつで苦しんでいる村に、
 三年間寝続けた寝太郎が突然起き出し、
 山の上の岩を動かし川をせき止め、
 村を干ばつから救ったというお話。
・・・だったと思います。
子供のころは本当に三年寝つけれるのか?
その間の食事やトイレは???なんて、
変なところが気になり頭に残ってしまったのです。
“三年間仕事もせず、
 干ばつから村をどう救うかを考え続けていた”
今はそう理解できるようになりましたよ。

2012/02/14 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月14日
常住捨て身の生活

 人間の誠も、
いい加減に構えているような無力な生活態度でなくて、
真の全力的な生命がけの生活でなくてはならぬのです。
否、
全力的な生活などということさえ、
なお生温(なまぬる)いのです。
真の誠は、
このわが身、
わが心の一切を捧げ切る常住捨て身の生活以外の何物でもないのです。


・・・・・・・・・。
・・・・・・超あまい。
私の場合・・・・・・。
雑念が多い。
欲が深い。
死ぬまでにたどり着きそうにありませんが、
・・・ゆっくり、止まらず、一歩ずつ。
“真の誠”への道。

2012/02/14 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月13日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月13日
生き甲斐のある人生

 いゃしくも人間と生まれて、
多少とも生き甲斐のあるような人生を送るには、
自分が天からうけたカの一切を出し尽くして、
たとえささやかなりとも、
国家社会のために貢献するところがなくてはならぬでしよう。


若いうちは“自分が一番”でよい。
と考えています。
ひと年とったとき、
少しずつ生き甲斐を見つければ。
“無能唱元”氏の講演で、
 「お風呂からあふれ出るお湯はそのまま捨てられる。
  捨てられるお湯ならば人にあげても惜しくない。
  あふれてこぼれ落ちるほどのものを持った時に、
  人は初めて他人に分けていける。
  だから初めは徹底的に溜めていきましょう」
と話をされていました。
まず、自分を大切にしましょう。
もちろん物心共に。
そしてあふれてきたら分け与えましょうね。

2012/02/11 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月12日
動かさずんば己まぬ

 国家の全運命を、
自分独自の持ち場のハンドルを通して、
動かさずんば己まぬという一大決心の確立した時、
その人の寿命は、
天がその人に与えた使命を果たすだけは、
与えるものです。
それよりも永くもなければ短くもありません。


大きいですね。
まだまだ“国家”の運命の私の持ち場なんて見えてきません。
なんとか地域社会が精一杯。
”地域密着”を念頭に置き、
器なりに頑張っています。
最近は、
“経営革新奨励賞”をいただくことになり、
全国の研修仲間が見学にこられます。
もちろん時々です。
そういえば先日、
株式会社デンソーの研修担当の方から、
「見学したい」旨のの連絡頂きました。
・・・わが社でいいんでしょうか。

2012/02/11 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月11日
なぜ国を愛するか

 我々が日本民族の一員として、
この国土に生まれて来たということは、
無量の因縁の重なり合った結果であって、
それこそ民族の歴史に深い根ざしを持つわけであります。
したがって私達がこの国を愛するということは、
必ずしもこの日本という国が、
優れた国だからということよりも、
われわれにとっては、
まったく抜きさしのできないほどの深い因縁があるからだと言うべきでしょう。


これこそ奇跡の運命ですね。
私が生まれてくる確率なんて、
何兆分の一でしょう???
たとえば“精子”の中で私は一人(一匹?)だけ。
精子の兄弟は一度に3億くらいでしょうか?
百発百中とはいかないので、
一度ではなく、
その数3億×ⅹ。
親が日本人である確率も何十億分の一。
やはり私たちは奇跡的な確率で、
日本人としての運命をもって生を受けているのですね。
もっともっと、国を愛します。
・・・・人間の器が小さいので、
自分⇒家族⇒会社(社員さんとその家族)⇒お客様⇒地域社会・・・・・。
少しづつ広げていきます。
 

2012/02/09 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月10日
「人生」という大関に挑む

 諸君らは「人生」という大関に向かって仕切らねばならぬのです。
教育に大切なことは、
こうした態度の確立です。
(と言われて、先生両手をにぎりしめて仕切りの恰好をされる) 


そうですね、
常に大関に挑む気持ちをもっていることは大切です。
しかし、
100回?1000回?挑んで、
一度勝っても人生では完全な敗者です。
「大関に挑む」という気持ちを強く持ちながら、
今できる最大限の稽古を積み重ねることで、
2回に一度、
いえいえ、
勝ち越せるような実力がついていくことでしょう。
もちろん土俵は、
“自分の使命”で挑める土俵ですね。
もちろん私の場合、
相撲ではありませんので、
“稀勢の里”関に挑むことは一生ありません。

2012/02/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月9日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月9日
人格的統一を得た学問

 諸君の学問は、
真の人格的統一を得たものにならねばなりません。
したがっていわゆる学者先生になるのとは、
大よそ根本から、
その方向が違うのです。


要は頭でっかちではダメ。
自分で実践してみると、
机の上で考えた通りにはいかないことに気付く。
うまくいくための工夫を加えながら、
さらに実践をする。
経営者はどちらかというと、
科学者に近いと考えています。
真の教育者も同じなのですね。

2012/02/08 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月8日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月8日
偉人は死して実を結ぶ

 人間もほんとうに花の開き出すのは、
まず四十くらいからです。
そしてそれが実を結ぶのは、
どうしても六十辺でしょう。
ところが偉人になると、
実の結ぶのは、
その人の肉体が消え失せた後ですから、
大したものですね。


“理念承継”とは、
人を育てるということですね。
「人は死しても理念は死なず」
パナソニックやホンダ、トヨタなどなど、
偉人ばかりですもの。
人を育てていない会社は、
経営者と共に召されてしまいますものね。

2012/02/07 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月7日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月7日
一人の求道者として

 もし教師にして、
真に限りなく自らの道を求めて巳(や)まないならば、
自分もまた生徒たちと共に歩んでいる、
一人の求道者にすぎないという自覚が生ずるはすであります。
すなわち求道者たる点では、
自分と生徒たちとの問に、
何らの区別もないというわけ.です。・・・・・・
 この根本態度の確立している者にして、
初めて真の教育者であり、
古今の偉大なる教育家は、
他の点はいかにもあれ、
少なくともこの根本の一点においては、
みなその軌(き)を一つにしていると言ってよいでしよう。


教師も生徒も、
「求道者」としての自覚が半端ではないからですね。
企業に置き換えると、
経営者はもちろん、
社員さんも“理念”を追求し続けようと、
本気で取り組んでいる組織であればこその、
“全社経営”ですね。
社員一人一人が皆経営者意識を持ち。
もちろん経営者の意識も、
上から目線ではいられないはずです。
・・・修行が足りていないことを、
改めて感じます。

2012/02/06 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月6日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月6日
人を植える道

 教育ということは、
これを言い換えると
「人を植える道」と言うこともできましょう。
すなわち一人の人間を真に教育するということは、
例えば一本、一本木を植えるようなものであって、
たとえ植えた当の本人たる教師自身は亡くなっても、
もしその木が真に生えついていたならば、
木はどこまでもその生長をやめないでしょう。

・ 
企業も同じですね。
植えた当の本人がなくなっても、
“企業は成長を続ける”
これが健善(全)。
そう考えると多くの中小零細企業は、
「人を植えている」
と言えるほどの人材育成をしていないと言えるかもしれませんね。
広ガスたかたは、
“人づくり”企業でありたい。

2012/02/05 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月5日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月5日
人と禽獣との異なるゆえん

 我々人問は、
自己がこの世に生まれ出た真の意義を知り、
自らの使命を自覚して、
いささかでもこれを実現しようとするところに、
人と禽獣(きんじゅう)との真の本質的な違いがあると言うべきでしょう。(中略)
 ですから、今我々人間にして、
人生の意意義の何たるかを知らず、
したがってまた自己の生涯をいかに過ごすべきかに考え至らないとしたら、
本質的には禽獣と、
何ら異ななるところのないものと言えましょう。


芳村思風先生の本にも書いてありました。
人間と動物の違いを簡単に言うと、
 本能で生きる動物と、
理性で生きる人間です。
さらに、
理性を超え感性で生きることだと言われています。
他人のために生きることが出来るのが人間。
本物の“愛”とも言われています。
価値観の違う人と共に協力する“理性”から、
価値観の違う人を愛する“感性”へ。
私の体験からの考えでは、
“価値観のすり合せ”ということだと思っています。
“愛”とは“努力”とも言われていました。
“価値観のすり合せ”の行動そのものが、
“愛”ということなのではないでしょうか。

2012/02/05 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月4日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月4日
伝記を読むべき時期

 人間は一生のうち、
とくに伝記を読まねばならぬ時期が、
大体二度はあると思うのです。
そして第一は大体十二、三歳から十七、八歳前後にかけてであり、
今一つは、
三十四、五歳から四十歳前後にかけてです。
そのうち最初の方は立志の時期であり、
また第二の時期は発願の時期と言ってよかろ/と思うのです。


私の場合、
第一期は本とは無縁な時期でした。
本どころか、教科書も・・・。
30歳直前から一期、二期と続いた形ですね。
・・・“立志”“発願”については明らかではありません。
・・・・・・あしからず。

2012/02/03 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月3日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月3日
伝記のすすめ 

 偉人の書物を操り返して涜むということは、
ちょうど井戸水を、
繰り返し繰り返し、
汲み上げるにも似ていると言えましょう。
.ところがどうも現在の学校教育では、
学問の根本眼目が、
力強く示されていない嫌いがあるのです。
それ故幾年どころか、
十幾年という永い問学校教育を受けても、
人間に真の力強さが出て来ないのです。


20代後半、
私がはじめて読んだ経営者の伝記は、
“リーアイアコッカ”でした。
元フォード自動車の社長で、
その後、
倒産直前のクライスラー自動車を再建させた社長です。
この本をきっかけに、
ナポレオン・ヒル
松下幸之助
本田総一郎
稲盛和夫
  ・
  ・
スティーブン・ジョブス(読みかけです)
つたない私でも、
確かな力強さを感じますね。
私の尊敬する経営者
藤沢武夫氏も、
本田さんの本を読まなければ、
さほど気にとめない存在だった事でしょう。

2012/02/02 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月2日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月2日
根本眼目は何か

 総じて物事というものは、
その根本眼目を明らかにしない限り、
いかに骨折ってみても、
結局真の効果は挙がらないものであります。
否、根本眼目を誤ると、
ひとり効果がないばかりか、
せっかくの努力もかえって自他を傷つける結果にもなるのです。
それどころか、
真の眼目を誤ると、
努力がつづかないのであります。


“根本眼目”とは“使命”事なのでしょう。
“ミッション・ステートメント”っていうんでしたっけ?
それを明らかにするために、
一つのことを深堀しながらまず10年。
さらに続けていくと、
40歳くらいで持って生まれた、
使命の書かれた封筒を開封できるそうです。
そうすると、
「それからの努力は報われる」
ってことなのでしょうね。
・・・私の場合現在進行形なので、
はっきりとしたことは言い切れませんが、
たぶんそうだと信じて歩みます。

2012/02/01 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 2月1日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 2月1日
まず自らが学ぶ

 人を教えるということは、
実は教えるもの自身が、
常に学ぶことを予想するわけでありまます。
すなわち教師自身が、
常に自ら求め学びつつあるのでなはければ、
真に教えることはできないのであります。


「自らが源」
最近のメールで再々登場しています。
過去の知識を教えるのは簡単ですが、
最近仕入れた知識を伝えていくのは、
とても薄っぺらになってしまいます。
それはそれで仕方ありませんが、
自分自身の知識として固めていくためにも、
繰り返すことは大切です。
私は四度目の実践経営塾を受講中。
中村さん、甲田さんも実践幹部塾2度徐受講。
これからも、
広ガスたかたでは、
ポジションが上がれば上がるほど勉強をします。 

2012/01/31 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月31日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月31日
深い恩恵ほど気付きにくい

我々は、
平素自分が受けている恩恵については、
その程度の深いものほど、
かえって容易に気付きがたいのが常であります。
それはちょうどわが顔は、
自分に最も近いにもかかわらず、
あまりの近さの故に、
かえって平生それと気付かずにいるのと同様だと言えましょう。


チルチル・ミチルの青い鳥ですね。
20年前、
高速道路での一人事故で家族を失いかけましたが、
奇跡的に車を失っただけで済みました。
これまでに何度か書き込みましたが、
妻と子の疲れ果てて寝ているっ姿を見て、
今日も家族で寝れるということがとてもうれしく、
一人で泣きました。
普通って普通じゃない、
とても幸せなんだと気づいた瞬間でした。
自信持って言えます。
”私は家族をとても愛してます”
・・・そうそう、
それから数年、
手元にない車のローンと、
仕方なく買った中古車のWローンが続きました。
大切な雅俗を失わず、
大切なモノ見つけることできたのから安いよね。
 

2012/01/30 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月30日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月30日
心がけが光となる

心がけというものは、
だれ一人見るものはなくても、
それが五年、十年とつづけられていくと、
やがてその人の中に、
まごうことなき人間的な光が身につき出すのです。


30歳くらいから15年間続けた会社のトイレ掃除。
今は社員さんに奪われてしまいました。
10年を超えた、この日々メール。
人間的な光が身についているとはとても思えませんが、
ぱっぱら人生を送っていたいい加減男から、
少しは成長できたかな。 ・・・かな?

2012/01/29 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月29日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月29日
やり通すか否か

大体物事というものは、
七割か七割五分辺までいくと、
辛くなるものです。
富士登山でいえば、
胸突き八丁です。す。
そこをしゃにむにやり通すか否かによって、
人間の別が生じるんです。
ですかからちたとえフラフフラになっても、
ぶっ倒れるまでゃり抜くんです。
そしてこのような頑張りこそ、
最後の勝敗を決決するるんです。


毎度おなじみの森先生の詩、
人間の一生です。
 
 職業に上下もなければ貴賤もない。
 世のため人のために役立つことなら、
 何をしようと自由である。
 しかし、
 どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
 すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。
 それから十年本気でやる。
 すると四十までに頭をあげるものだが、
 それでいい気にならずにまた十年頑張る。
 すると、
 五十までには群を抜く。
 しかし五十の声をきいた時には、
 大抵のものが息を抜くが、それがいけない。
 「これからが仕上げだ」と、
 新しい気持ちでまた十年頑張る。
 すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。
 だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、
 それから十年頑張る。
 すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。
 しかし、
 それからまた、十年頑張る。
 するとこのコースが一生で一番面白い。
 
現在五十歳、
とても群を抜くような実績は上げていませんが、
それでも結構へとへとです。
が、
ここで緩めてはいけないのですね、
群を抜き、仕上げと言えるまで、
これから十年頑張ります。
そのために、
ただ今充電中ですものね。
すっかり仕事から離れ、
毎日のこのメール以外は、
尺八鳴らしながら飲んだっくれてます。

2012/01/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月28日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月28日
徹底せよ

 とにかく人間は徹底しなければ駄目です。
もし徹底することができなければ、
普通の人間です。


「石の上にも三年」
ですよね。
しかし、
せっかく三年できたのだから、
十年頑張ってみる。
すると、
頭半分くらいはリードしていることに気付きます。
・・・・って、
森先生の“人間の一生”の詩をまねてみましたが、
本当にそうだと思います。
「誰でも本気でやればオリンピックに出れる」
とは言いませんが、
20歳から10年本気でやれば、
その他大勢からは、
頭一つ以上抜きに出ていることは間違いないでしょうね。

2012/01/27 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月27日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月27日
すべてためになる

 現在の自分にとって、
一見いかにためにならないように見える事柄が起こっても、
それは必ずや神が私にとって、
それを絶対に必要と思し召されるが故に、
かくは与え給うたのであると信ずるのであります。


「自分に降りかかる、
 すべて出来事、
 良いことも悪いこともすべて不必要なものはない」
20年位前でしょうか?
森先生の著書に書かれていました。
・・・修身教授録だったのかな?
障害がたちはだかり辛いとき、
「この辛い体験は、
 自分に何を気付かせようとしているのか?」
と何度も何度も自問自答してきました。
正しくひも解いたかどうかは私にもわかりませんが、
なんとか今日まで歩み続けてきました。
これからも一歩一歩。

2012/01/26 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月26日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月26日
すべては自分

 諸君らにとって何よりも大事なことは、
真に自己をつくるものは、
自分以外にはないということです。
すなわち自己を鍛え、
自分というものを、
一個の人格にまで築き上げていくのは、
自己以外にはないということを、
深く認識し決心するということでしよう。


「自らが源」
可能思考研修の中で、
なんども聞いて学んでいます。
“わかる”と“できる”は、
はっきりと違いますものね。
「わかります」「わかりました」
と返事するのではなくではなく、
「できます」「やります」
と返事をし、
すぐに実行することが大切ですね。

2012/01/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月25日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月25日
吉葉をたやすくする者

 古来言葉をたやすくするものは、
多くはこれ自らの生命に忠実なる者ではありません。


昨日の続きですね。
自らの生命とは、
“人生の使命”を意味しているのだと思います。
重い腰を上げ、
今日もしっかり動きましょう。
実行、実行、実行。
そして修正も。 

2012/01/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月24日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月24日
口葉の背後の生活

 人間の言葉が真にカを持つのは、
必ずしもその言葉自身が立派だからというのではなくて、
その言葉を支えている背後の生活によるのであります。


誰も言葉なんて信じちゃいません。
信じれるのは行動だけ。
若いうちは口のうまい人を見て、
「すごい人」
と感じてしまいますが、
年輪を重ねるとみんな分かってくるのです。

2012/01/23 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月23日

修身教授録
    一日一言
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        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月23日
誠心

 その人の誠心が、
周囲の人々の心を揺り動かし、
一つのカとなって動きつつあるほどの人が、
果たしていかほどあると言えるでしょうか。


なかなかいません、そんなすごい人。
だから私が実行するのは、
「超、諦めの悪い人になること」。
周囲の人々の心を揺り動かすのではなく、
「ひつこい、仕方ない、
 めんどくさいから言うとおりに進めとけ」
って言われる人間を目指してます。

2012/01/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月22日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月22日
謙遜

 真に謙遜ということは、
その人が内に確固たるものを持っていなくてはできないことではないかということであります。
言い換えれば、
人は自ら信ずるところがあってこそ、
初めて真に謙遜にもなり得ると思うのです。


わかる気がします。
小学一年生と“オセロゲーム”をすると、
負けてあげることが出来ますね。
圧倒的な力の差を確信しているからできるのだと思います。
天才小学一年生に、
追いつめられると頭にくると思います。
私の場合。
・・・人間が小さいだけですか。

2012/01/21 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月21日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月21日
世のため人のために

 真の志とは、
この二度とない人生をどのように生きたら、
真にこの世に生まれてきた甲斐があるかということを考えて、
心中につねに忘れぬということでしょう。
ですから結局最後は、
「世のため人のために」という所がなくては、
真の意味で志とは言いがたいのです。


“世のため人のため”
・・・程遠いなと実感してます。
社会人になりたての頃は、
自分のために頑張ってました。
結婚し子供が生まれ、
家族のために頑張るようになりました。
社長になりたての頃は、
社員さんとその家族の生活を考えるようになりました。
人口が減少する中、
広ガスたかたのお客様と、
共に繁栄する関係を考えるようになり、
そのためにも、
地域社会が元気でなくてはならないと気づいたのです。
・・・が、
“志”らしきものの源は、
まだまだ、
いつも“自分”ありきです。

2012/01/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月20日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月20日
野心と志

 私達は、
また野心という言葉と「志」という言葉との区別をせねばならぬでしょう。
野心とか大望というのは、
畢竟(ひつきょう)するには自己中心のものです。
すなわち自分の名を高め、
自己の位置を獲得することがその根本動機となっているわけです。


「野心は自分の幸せに通ず」
「志は万人の幸せに通ず」
っていこことですね。
私のつたない体験では、
若いうちは野心をもって、
自らが成長することも案外大事。
ひと年とっても野心では危険、
年輪を重ねるごとに野心が志に変わっていくことが最も大事。
・・・だと思うよ。
・・・・・・私はまだまだ成長過程にあります。・・・残念。


畢竟(ひっきょう)=究極、至極、最終などの意

2012/01/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月19日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月19日
真の誠への歩み②

 総じて自己の務めに対して、
自己の一切を傾け尽くしてこれに当たる。
すなわち、
もうこれ以上は尽くしようがないというところを、
なおもそこに不足を覚えて、
さらに一段と自己を投げ出していく。
これが真の誠への歩みというものでしょう。


昨日のメールに引き続き、
“三十までには一仕事できる”
為の“行動姿勢”ですね。
三十歳を超えてるあなた、
年齢は関係ありません、
これから十年で“一仕事”しようではありませんか。
 

2012/01/18 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月18日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月18日
真の誠への歩み①

 真の「誠」は、
何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まると言ってよいでしょう。
すなわち誠に至る出発点は、
何よりもまず自分の仕事に打込むということでしょう。


先日のメールに書いた、
森先生の“詩”の冒頭
の解説文のように感じます。
 
  「職業に上下もなければ貴賤もない。
   世のため人のために役立つことなら、
   何をしようと自由である。
    しかし、
   どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
   すると二十からでも三十までには一仕事できるものである」
 
“一仕事”を超えるためには、
“真の誠”の道を歩む事ですね。

2012/01/17 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月17日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月17日
教育と礼

 私は教育において、
一番大事なものとなるものは、
礼ではないかと考えているものです。
つまり私の考えでは、
礼というものは、
ちょうど伏さっている器を、
仰向けに直すようなものかと思うのです。
 器が伏さったままですと、
幾ら上から水を注いでも、
少しも内に溜まらないのです。
ところが一たん器が仰向きにされると、
注いだだけの水は、
一滴もあまさず全部がそこに溜るのです。
 これはまさに天地の差とも言うべきでしょう。
 実際人間は、
敬う心を起こさなければ、
いかに優れた人に接しても、
またいかに立派な教えを聞いたにしても、
心に溜るということはないのです。


松下さんの言われる、
「素直」
を解説すると、
本日の一言の文章になるのでしょう。
敬う心を起こし、
“伏さっている器を仰向けに直す”
素直の第一歩は敬う心なのですね。
よくわかりました。

2012/01/16 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月16日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月16日
道を開くのは自分 

 真に自分の道を開くものは、
自己自身でなくてはならぬということを、
今日から深く覚悟しなくてはならぬと思うのです。
道を歩むにはどこまでもわが足をもって自から歩む外ないように、
いゃしくも人間たる以上、
自分の道は常に自己一人のカによって開かなければならぬのです。


「うまくいき始めたな」と感じ、
少し緩めているといつの間にか元に戻っている。
たぶん皆さんも経験していることでしょう。
「道を開くのは自分」
の意識を強く持ち、
責任ある立場にあるうちは、
わが足で歩み続けます。
 

2012/01/15 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月15日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月15日
一生の基礎は十五で決まる

 私の考えでは、
人間の一生の基礎は、
大体十五歳までに決まるものだと思うのです。
したがってその年頃になるまでの教育は、
相手の全人格を左右して、
その一生を支配するカを持つわけです。
ところがそれ以後の教育は、
結局相手の一部分にしか影響しないと言ってよいでしょう。
人間も十五、六歳をすぎますと、
急に批判的になるものです。
ところが、
そのように批判の芽が出だしてからは、
もう教育の影響力は部分的になって、
全面的には及びにくいのです。


「“つ”の付く九歳までが親の責任」
(一つ、二つ・・・九つ)
と森先生は言われています。
さらに、
「人間としての基礎は大体十五歳まで」
とここで言われています。
親の責任に、
本人の責任が加わるのがこの年齢ということなのでしょう。
・・・私の場合、
それから数年かかっています、
親元を離れた大学時代の経験が大きいように思います.
 “つ”のつく年齢から続けている空手。
今日は川の中で稽古をする寒稽古でした。
確か古希を迎える師も水中へ・・・、
50歳の私が入らないわけにはいかない・・・。
小さな子供たちも元気よく入ってるし・・・。
今年もしっかりと身が引き締まり、
気合も入りました。“押っす”

2012/01/13 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月14日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月14日
情熱なき理論は理屈にすぎない

 人問というものは情熱なくして偉大な仕事のできるものではありません。
真にカのある生きた思想というものは、
偉大なる情熱が、
しだいに澄みゆくところに生まれるものであって、
情熱を伴わない理性というようなものは、
真の理性ではなくて、
単にこざかしい理屈にすぎないのです。


やらされている内は“ダメ”ってことですね。
しかし、
多くの社会人の場合、
最初から情熱を傾けれる職業につく人はごくごく僅かです。
だとすると、
その時点で敗者?。
ではありませんよね。
情熱を持てばいいのです。
そのためにどうするか。
森先生はこんな詩も残されてます。

 

  職業に上下もなければ貴賤もない。
  世のため人のために役立つことなら、
  何をしようと自由である。

 

  しかし、
  どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
  すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。
  それから十年本気でやる。
  
  すると四十までに頭をあげるものだが、
  それでいい気にならずにまた十年頑張る。
   
  すると、
  五十までには群を抜く。
  しかし五十の声をきいた時には、
  大抵のものが息を抜くが、
  それがいけない。

   

  「これからが仕上げだ」と、
  新しい気持ちでまた十年頑張る。

  すると六十ともなれば、
  もう相当に実を結ぶだろう。

  

  だが、
  月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、
  それから十年頑張る。

  

  すると、
  七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。
  
  しかし、
  それからまた、十年頑張る。
  するとこの十年が一生で一番面白い。

   

私の大好きな詩でこれまで何度も引用しています。

 

 

2012/01/13 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月13日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月13日
天地を開く 

 諸君若は読書の一道に徹して、
自分の天地を開かねばならぬ。
そして読書と実行にかけては、
何人にも負けないという気魄が必要です。


読書の“意義”。
読む人にはわかるが、
読まない人にはわからないことでしょう。
ここでいう本は、
もちろん小説ではありません。
自分が成長しようと考えている分野、
その知識や経験を補ってくれる本のことです。
本気で成長意欲があることが前提ですが、
数冊読んだら“意義”に気付けるでしょう。
・・・たぶんね。

2012/01/12 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月12日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月12日
引金を引く

 読書は、
いわば鉄砲で的を狙うようなものです。
しかしいかに狙いは定めても、
引金を引かない限り、
一向恐ろしくないでしょう。
引金を引くとは、
実行ということです。
そこでどんなに本を読んでも、
実行の心がけのないような人間は、
恐れるに足りないのです。


昨日のメールに、
息子から返信がありました。
「読書だけが真の力ではないと思う」
という内容です。
その返信に対する答えが、
本日の一言ですね。
私も障害にぶち当たり、
光明が差し込まない事態に陥ったとき、
広島の大きな書店に行き、
暗闇から抜け出すためのヒントを探しまくります。
そうすると何冊か見つかるものです。
私の場合、
知らず知らずのうちに、
引き金を引くことが出来たいたのですね。 

2012/01/11 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月11日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月11日
真のカは真の読書から

 真に書物を読むことを知らない人には、
真のカは出ないものです。


広ガスたかたは、
武蔵野の研修に多く参加しています。
なぜでしょう?
答えは、
広ガスたかたの社員は本を読む習慣がないからです。
もちろん全員とは言いませんが、
多いのです。
そこで、
武蔵野研修です。
この研修は“飛び出す絵本”のようなもの。
本を読んだと同じ効果が期待できるからです。
さらに、
本を読む習慣を身につけた人は、
昇進もさらに、さらに、早まるはず。・・・デス。 

2012/01/10 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月10日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月10日
眠る魂を呼び醒ます

 真の教育というものは、
単に教科書を型通りに授けるだけにとどまらないで、
すすんで相手の眠っている魂をゆり動かし、
これを呼び醒ますところまで行かねばならぬのです。


「魂をゆり動かす」
どうやればいいのか?
東大卒のお役人に代表される、
子供のころから優等生と言われる人たちと、
私たちは大きな差があります。
残念ですが事実です。
レベルが違うと、
教育の方法も違います。
勉強だって同じ時間でやってては差は広がるばかり。
私たちに必要な教育は“躾(しつけ)”です。
“御躾”と書いて押付(おしつけ)と読みます。(勝手に)
ある一線を超える“躾”が、
「魂をゆり動かす」
と考えています。
広ガスたかたは、
どんどん“押付”る会社です。

2012/01/09 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月9日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月9日
教育者の覚悟

 教育者というものは、
命がけでこの人生を突走る覚悟が必要です。
教育者にこのカがあってこそ、
初めて鼻たれ小僧にも、
その生涯を貫く志の種まきをすることができるのです。 


“経営者”も“幹部”も“管理者”も同じですね。
もちろん部下を教育するという意味です。
鼻たれ小僧とは言いませんが、
社会人としては初心者マークです。
厳しく教育してこそ、
本当の意味で、
一人前に成長していくのだと思います。
 
 

2012/01/07 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著 1月8日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月8日
真志正望

 諸君はすべからく大志大望を抱かなければならぬ。
しかし真の大望は、
私利私欲の立場であってはならぬのです。
その意味からは、「真志正望」と言ってもよいわけですが、
しかしまあ若い諸君らには、
大志大望という方がピッタリするでしょう。
 諸君らのとり組む真の相手は、
同級生や、池田師範の生徒などではなくて、
欧米の師範生です。
このことが分からぬようでは、
諸君も本当のことはできないでしょう。 


・・・昨日に続き私には深すぎです。
“私利私欲”のないのが「真志正望」と言われています。
若いうちは、
“私利私欲”は必要だと考えています。
“私利私欲”は意欲、エネルギーの源です。
40歳を超えても“私利私欲”だと問題ありだと思います。
その間に、
結婚し、
子供が生まれることで、
自愛だけではなく、家族愛が大きく育ちます。
守るべき人ができると、
考え方や行動も成長するのですね。

2012/01/07 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著 1月7日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月7日
至柔至優の魂

 諸君!
真に剛に徹しようとしたら、
すべからく柔に徹すべきである。
教育ということは、
今さら申すまでもなく、
魂の問題であります。
それ故魂をあつかうところの教育の問題は、
至柔至優の魂を持っものでなくては、
真に解くことはできないはずであります。


・・・“至柔至優”の意味がわかりません。
“柔”よく“剛を制す”という柔道の言葉がありますが、
似たような意味かなと想像します。
究極の“柔”
究極の“優”
どこまでも力ずくの教育はありえない。
あくまでも「どこまでも」です。
どなたか、
“至柔至優”の意味をご存じであれば教えてください。

2012/01/06 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著 1月6日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月6日
入間の価値
 われわれ人間の価値は、
その人がこのニ度とない人生の意義をいかほどまで自覚するか、
その自覚の深さに比例すると言ってもよいでしょう。
ところで、
そのように人生の意義に目覚めて、
自分の生涯の生を確立することこそ、
真の意味における「立志」というものしょう。


昨日の「人生の価値」に続き、
本日の「人間の価値」。
深いですね、・・・自身の未熟さが露呈します。
“使命の意義”を自覚することが「人生の価値」
“人生の意義”を自覚することが「人間の価値」
・・・まだまだ混同してます。
坂本竜馬の生きざまにたとえて整理してみます。

2012/01/05 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著 1月5日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月5日
人生の価値

 人生の価値というものは、
その意義を認めることの深さに応じて現れてくるものであります。
したがって人間の生涯を通じて実現せられる価値は、
その人が人生における自分の使命の意義を、
いかほど深く自覚して生きるか否かに比例するとも言えましょう。 


「自分の“使命”を自覚し生きる」
これが人生の価値なのですね。
人生は、
おおむね40歳までが使命を見つける旅。
それから後が、
使命実現の旅と言えるのでしょう。
“使命”というものは、
自らが実現するというものだけではなく、
協力して実現するものや、
共に実現するものなど、
手段は色々ですね。

2012/01/04 修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月4日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月4日
人身うけがたし

 自分は人間として生まれるべき何らの功徳も積んでいないのに、
今、こうして牛馬や犬猫とならないで、
ここに人身として生をうけ得たことの辱さよ!
という感慨があってこそ、
初めて人生も真に厳粛となるのではないでしょうか。


今ならそう思います。
しかし、
これまでずっとそう考えていたかと聞かれると、
残念ですが、
自信をもってNOです。
森信三先生が言われるように、
40歳までにそう思える人生を歩むことをお薦めします。
歩み方は、
「一つのことを意欲をもってやり続けること」
私は間に合ったのでしょうか?
・・・50歳。 

2012/01/03 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著 1月3日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月3日
いかに生きるか 

 真に志を立てるということは、
この二度とない人生をいかに生きるかという、
生涯の根本方向を洞察する見識、
並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち克つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならぬのです。


本当の“覚悟”かと聞かれると、
まだ自信がありません。
が、
「言い続けると、嘘も真実になる」
と言われます。
広ガスたかたの経営理念
 豊かで健善な『暮らし』『環境』『成長』
  私たちは、
   豊かで健善な『暮らし』を提案実現することで、
                       お客様の笑顔を創ります。
  私たちは、
   子供や孫たちの明るい将来を願い、
                   豊かで健善な『環境』を創ります。
  私たちは、
   仕事を通し『成長』を継続けることで、
     豊かで健善な社会、企業、そして暖かい家庭を創ります。
死ぬまで言い続ければ本物になるかもしれませんね。

2012/01/02 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著 1月2日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月2日
人生は志の確立に始まる

 諸君らにして、
もし真に志を立てたならば、
いかに微々たりとはいえ、
その人が一生をかければ、
多少は国家社会のたために貢献し得るほばどのことは、
必すできるはすであります。
 かくして人生の根本は、
何よりもまず真の志を打ち立てるところに始まるわけであります。


自身、
いまだに本当の“志”なのか“使命”なのか、
はたまた“思い過ごし”なのか?
はっきりとした答えは持っていません。
たとえ思い過ごしであったにしても、
私自身は“使命”だと思い込む。
ここが成否・・・、
いえ、生死の分かれ道かもしれません。
“健善”から外れない思い込みは成功の基です。 

2012/01/01 修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著 1月1日

信念、
明けましておめでとうございます。

・・・早速本気のボケかましてみました。

 
本年も、
“経営品質賞”目指して歩み続けます。
なにとぞよろしくお願いします。



2012年は、
森信三先生の「修身教授録一日一話」をお届けします。


修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
1月1日
真の人間生活への出発

 大よそわが身に降りかかる事柄は、
すべてこれを天の命として慎んでお受けをするるということが、
われわれにとっては最善の人生態度と思うわけです。
ですからこの根本の一点に心の腰のすわらなVい間は、
人間も真に確立したとは言えないと思うわけです。
したがってここにわれわれの修養の根本目標があると共に、
また真の人間生活は、
ここからして出発すると考えているのです。


「人間に不必要な経験は何一つない」
と森先生は言われます。
何年も前の話ですが、
辛い体験や、悲しい体験に遭遇した時、
自分自身に、
「不必要な経験はない」
と言い聞かせ、
「この体験が自身に何を気付かせようとしているのか?」
とよく問いかけていました。
正しいか正しくないかはわかりませんでしたが、
無理やり答えを出すことにしていました。
今考えると、
“仮説”と“検証”を繰り返していた時代です。 
 

修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著11月7日

 117

 一道に徹する

 すべて人間は一道に徹すると、

国家社会の相がはっきりと見えてくるものです。

同時に一度そこに眼が開かれると、

自己に対しては無限の精進、

後に来る者に対しては無限の愛情が湧くのです。

まあこの辺のことは、

諸君たちが今後怠らずに道を求めていけば、

しだいに分かってくることでしよう。

この内容の文章の時にいつも登場していただく、

坂田道信先生。

ハガキ道の達人、

っていうかハガキ道を作った人です。

「複写はがき」

が人生のすべてと言えるくらい、

一道に徹しておられます。 

 

☆☆★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 広島ガス高田販売株式会社

                住吉 峰男

 

修身教授録一日一言(致知出版)        森信三著10月15日

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修身教授録一日一言(致知出版)       森信三著 1月23日

修身教授録
    一日一言
   (致知出版)
        森  信三著
        藤尾秀昭編
 1月23日
誠心

 その人の誠心が、
周囲の人々の心を揺り動かし、
一つのカとなって動きつつあるほどの人が、
果たしていかほどあると言えるでしょうか。


なかなかいません、そんなすごい人。
だから私が実行するのは、
「超、諦めの悪い人になること」。
周囲の人々の心を揺り動かすのではなく、
「ひつこい、仕方ない、
 めんどくさいから言うとおりに進めとけ」
って言われる人間を目指してます。