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2020年

2020年

2020/12/31 2020年12月31日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月31日
天馬空を往く

〃おおみそか〃NHKの紅白歌合戦に審査員として出席しました。
われわれはテレビを売ってメシを食ってるんだから、
頼まれりや断るわけにはいかんので…。
ハッハッハッ。ご覧になってましたか。ぼくは、むずかしい顔をしてましたやろ。
スポットをあてられると、おかしな顔もできないんで、やはり意識します。
疲れましたよ。
終わったのが十二時十五分前、終発の飛行機まで、あと二十分しかない。
間に合うかどうかむずかしかったのですが、
NHKさんの特別のはからいで、やっと間に合いました。
飛行機が飛び立ってふっと気がつくと、
四十一年・午(うま)年の元旦早々、ぼくを乗せた飛行機が空を飛んでいるのです。
〃天馬空を往く〃といいますね。
午年生まれのぼくが、今、空を往っているではないか。
これは運がいいぞ、と気をよくしたものです。
経済界がまだ不況にあえいでいる中で、
ぼくの会社は、実際天馬空を往くようにうまくいったんです。
『道は明日に』
自問自答
自分はやはり運がいい。来年は、運がいいぞ。
天馬が空を往くように、うまくいく。
きっとうまくいく。


自己暗示って大切ですよね。
ここはあえてノー天気思考。
私は毎朝TV番組の星占いを見ています。
順位とかで一喜一憂するのではなく、
本日の自分の意識するテーマとしています。
良い時にはそれを実行、
悪いときはそれに注意した行動を意識しています。
占いというよりは『今日一日の心がけ』です。
2020年はコロナの一年になってしまいましたが、
2021年は春位から少しづつ光が見えてくるような気がしています。
皆さん一年間本当にありがとうございました。
良い一年をお迎えください。
 

2020/12/30 2020年12月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月30日
大道を行くがごとく

確固とした信念のあるところには、心の動揺はなくなるであろうし、
自分の所信を貫いてゆくこともできると思う。
非常に成功してもあまり驚かないし、非常に失敗してもまた驚かなくてもすむ。
常にたんたんとして大道を行くがごとく、
処世の道を歩んでゆくことができると思うのである。
これに反して、もしそのような信念がなければ、
ちょっといいことがあると有頂天になって喜んだり、
逆にちょっと悪いことがあると悲観落胆してしまったり、
というような心の動揺が起こってくるのではないだろうか。
あるいは、自分の失敗を棚に上げて、人のすることをねたんでみたり、
ということにもなると思う。
そして、そこからは決して積極的な態度は生まれてこない。
まことに非生産的なというか、心貧しい姿しか生まれてこないと思うのである。
『なぜ』
自問自答
動揺しない。有頂天に喜ばない。すぐに悲観落胆しない。
動揺しない。失敗を棚に上げない。ねたまない。
積極的な態度で生きる。非生産的な、心貧しい姿に陥らない。


現在は『大道=王道=理の道』と考えています。
・・・が、
結婚するまでは、
常に抜け道があると考えており『どうやって楽をするか』を考えていました。
・・・もっと言えば『楽をしながら儲けたい』がほんねでした。
ナポレオンヒルの成功哲学を学び、
日創研で学び、そして3KMを実践し、
抜け道は理に反した道だと知り探すのを止めました。
・・・30歳直前でした。
 

2020/12/29 2020年12月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月29日
行きづまるということはない

私はこの人間の社会というものは、
本質的に行きづまるということはないと考えています。
つまり、大昔から人類は何百万年と生き続けて、だんだん発展してきている。
決して行きづまって終わったりしていません。
ですから、今後もそのとおりで、
いろいろ現実の問題として苦労がありたいへんだけれども、
結局は、それぞれに道を求めてやっていけると信じています。
もちろん、実際にはそれは決して容易なことではないと思いますが、
しかし、少なくとも経営者として激動の時代に対処していくには、
そのような信念を基本にもっていることが必要ではないかという気がするのです。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
人間の社会は、本質的には決して行きづまることはない。
そういう基本的な信念が、経営者を経営者たらしめるのだ。


素晴らしい解説です。
あなたが勝手に行き詰っても世の中は行き詰っていない。
だから現在の高度な人間社会があるということなのですね。
もうすぐ車が勝手に人を運んでくれる世の中です。
そう考えると自分ひとり行きづまるなんて考えない方が良い。
先日もTV番組で、
「九州で会社を倒産させて千葉に引っ越したという人が、
息子夫婦と2世帯住宅を建て幸せに暮らしている」
と言っていました。
常に前を向いて人生を送りたいものです。
 

2020/12/28 2020年12月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月28日
悲観することはない

窮状に陥っても悲観しないことです。
(戦争で)自分は財産が一瞬にしてなくなったことがありました。
しかも莫大な個人負債ができたんです。
しかしこれでも死んでいる人よりましや、
弾に当たって死んだ人もたくさんあることを思えば、ありがたいことや、
そう思ったら悲観することはない。
それで歓喜をもってこの困難に取り組んでいこうと
考えてやってきたと思うんですよ。
普通は首でも吊ってしまわなければならないほどの困難な状態ですわ。
けれども首も吊らなかったということは、もっと不幸な人のあることを知って、
ぼくは恵まれている、こんなに恵まれている自分は幸せや、
こういうことを考えたと思うんです。
それで悲観せずに働いたことがやはり成功したんやと思いますな。
『社長になる人に知っておいてほしいこと』
自問自答
どんなことがあっても悲観しない。
自分よりもまだまだ苦しい境遇にいる人がいる。
だから今の自分分のの境境遇遇はは‘‘ありがたい“と思える人間でありたい。


『困っても困らない』
最期の愛弟子木野先生から「幸之助の言葉です」と聞いたフレーズです。
『絶対に悲観してはいけない。常に前を向き全身しなさい』
と自分に言い聞かせた体験から出てきた言葉なのでしょう。
プラス思考とは、
自らに言い聞かせるプラスの発想、思考。
『自らに言い聞かせる』というところが、
本当に何も気にしていないノー天気思考とは違うところですね。
 

2020/12/27 2020年12月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月27日
信用は一朝にしてこわれる

過去の信用というものはもちろん大切です。
けれども、長年にわたって営々と築き上げてきた信用も、
こわれるときは一朝にしてこわれてしまいます。
ちょうど、建築に一年を要した建物でも、こわすのは三日でできるようなものです。
ですから、
過去の信用、暖雛(のれん)によって商売ができると考えてはいけません。
常に、今お客様が何を求めておられるかを適切にキャッチして、
刻々にそれにこたえていく、
いわば日々新しい信用を生み出していくことが大事だと思うのです。
『経営心得帖』
自問自答
信用は、一朝にしてこわれる。
だからこそ日々新しい信用を生み出していくのである。


一時期、食の安心・安全が大きな問題になりました。
安全・安心と信じていたものが信用を失い倒産に追い込まれた会社もあります。
広ガスたかたも安心・安全には力を入れており業界の中でも高い水準です。
・・・が、高い水準であり100%の安心・安全を完全保証とは言い切れません。
現在もシステム開発を進めより100%を目ぜしており、
それは永遠のテーマだと思っています。

2020/12/26 2020年12月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月26日
時代に合わせて説く

よく、長い歴史と伝統をもった〃老舗〃といわれるところが、
経営の行きづまりに陥ることがある。
そういうところは、正しい経営理念をもたないかというと決してそうではない。
むしろ、
どこにも負けないような創業以来の立派な経営理念が明確に存在しているのである。
しかし、せっかくそうしたものをもちながら、
それを実際に適用していく方針なりやり方に、
今日の時代にそぐわないものがあるわけである。
かって成功した昔ながらのやり方を
十年一日のごとく守っているというような場合も少なくない。
もちろん、旧来のやり方でも好ましいものはそのまま続ければいいわけだが、
やはり時代とともに改めるべきは次々に改めていかなくてはならない。
たとえば、宗教というものを考えてみても、そういうことがわかる。
非常に偉大な宗祖とか祖師といわれる人々が説いた立派な教えは、
その本質においてはいつの時代にも通用するきわめて商いものが多い。
けれども、その表現については、ずっと昔に説かれたそのままに今日話をしても、
それではなかなか多くの人に受け入れられにくいものがある。
だからその立派な教えを、今の時代に合わせて説くことによって、
はじめて人々に広く受け入れられるのである。
現実に、そのようにして祖師の教えを現代的な表現に直して説いている宗団は、
今日にあっても多くの共感を得、信仰を集めているのである。
『実践経営哲学』
自問自答
教えを実践することではじめて、その教えが不変になる。
立派な教えほど、現代語訳が必要とされる。
自分には現代語訳すべき教えはあるかー。


時代の環境に合致した『ビジネスモデル』の確立は、
安定経営を進めるうえで強力な武器です。
・・・が、
強力なビジネスモデルを確立したことでその後の革新が遅れることは多いのです。
ビール戦争ではキリンラガーからアサヒドライ、現在はプレミアムモルツや一番搾り?
強力なビジネスモデルを持ちながら革新続ける姿勢が長期の安定につながるのですね。

2020/12/25 2020年12月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月25日
時に従う

生成発展が自然の理法であるならば、私たちの日々の生活もまた、
この理法に従って日に新たでなければならないのであります。
そして日に新たなる生活を営んでいくためには、
日々新たなる創意と工夫とを生み出していかなければならないのであります。
「十年一日のごとし」という言葉がありますが、もしお互いの仕事の上に、
十年間何らの変化がなく、千篇一律のごときものであったとしますと、
それはこの生成発展の原理に反することとなるのであります。
これは幕末の話でありますが、維新の志士の一人である坂本龍馬は、
よく西郷隆盛と話しあったものでした。
ところがこの坂本龍馬の意見は会うたびに変わっていました。
そのために、話をしていても、西郷隆盛が彼から受ける感じは毎回違うのです。
そこである日、西郷さんが、
「あなたはおととい会うたときと、きょうの話とはまた違うではないか。
そんなことではあなたの言葉は信用できない。
天下の士として信じられる者には、不動の信念がなければならない」
と言って非難したのであります。
そのとき、坂本龍馬は、
「いや決してそうじゃない。孔子は『君子は時に従う』と言っている。
刻々と時は移り、社会情勢は日に日に変わっている。
だからきのうの是がきょうの非になるのは当然である。
この、時に従うこと、これが君子の道なのだ」
と言い、さらに語を継いで、
「西郷さん、あなたは、一度こうだと考えると終始一貫、それを守り続けようとする。
だがそれでは、将来必ずあなたは時代に遅れてしまいますよ」
と答えたとのことであります。
西郷さんほどの人物を、そう軽々しく批判することは控えなければなりませんが、
この話のどちらが正しいかといえば、生成発展という原理から考えてみますと、
西郷隆盛よりも、坂本龍馬のほうに、
いささか賛成の意をもちたいと思うのであります。
『松下幸之助の哲学』
自問自答
生成発展、“日に新た”が自然の理法。
龍馬のごとく、時に従う道を歩いいてていいききたたい。


『時に従う』
『日に新たな生成発展』
環境の変化に合わせ私たちの考え方も変化し続けることが大切なのですね。
朝令暮改は当たり前。
新しい情報が入ってくれば考え方を変えるのは当然ですね。
・・・龍馬の時代の情報伝達速度ですら朝令暮改は当たり前。
現在の情報伝達速度を考えるとそれでは遅いということになりますね・・・。
FXのプロフェッショナルは、
分単位?秒単位で情報を整理し大量資金を投資しているのでしょう。

2020/12/24 2020年12月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月24日
物心一如

「人はパンのみによって生きるにあらず」という言葉がありますように、
人間は物質だけで幸せになれるものではありません。
いかに物質的に満ちたりても、心の平安というか、
心の面で満たされるものがなくては決して幸せにはなれないと思います。
だからこそ昔から、心の悩みを救い、
心に安らぎをもたらすための宗教その他の精神的な導きというものが
人間生活には不可欠なのでしょう。
けれどもまた、パンなしでは生きられない、
つまり物質面での豊かさがきわめて大事なのも事実です。
結局、物心一如の豊かさといいますか、心も豊か身も豊かという姿になって、
はじめて真の幸せがもたらされるのだと思います。
ですから、精神面での豊かさを生むものがかりに宗教だとしますと、
それと車の両輪をなして、物質面での豊かさを生み、
この世から貧をなくしていくための活動が物資の生産だといえましょう。
物資の生産というものは、それほどに価値の高いものであり、
それだけにそれに携わっている企業の社会的責任は重く大きなものがあると思います。
『〔復刻版〕企業の社会的責任とは何か?』
自問自答
精神面と物質面、物心一如の豊かさを求めていく上で、
企業には何が求められるのか。
果たすべき社会的責任を、どれほど果たせているのだろうか。


マズローの5段階欲求ですね。
① 生理的欲求・・・・・・食欲・睡眠
② 安全の欲求・・・・・・未来に未来に対しての不安解消・身を守る
③ 安定・愛情の欲求・・・・・・人から良く思われたい・集団に対する帰属感を含んだ欲求
④ 尊重の欲求・・・・・・人から認められたい・所得、地位、ブランド
⑤ 自己実現・・・・・・・・理念の達成
人間は生理的欲求を満たされなければ生きていけません。
生きていればそれで満足・・・ではありません。
欲求は成長させなければ正しい成長ではないのです。
そうでなれば正しい成長・成功とは言えず、足元をすくわれてしまいます。

2020/12/23 2020年12月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月23日
鳴かずんばそれもまたよしホトトギス

どうすれば自然の理がわかるようになるのでしょう。
ぼくは、ただ一筋に素直な心になることだと思いますね。
何ごとにもとらわれないということですよ。
素直な心が伽いて素直にものを見る人は間違いが少ない。
理が見えるわけですからね。
だから、素直になれる人は非常に偉い人だと思います。
何ごとでも、素直ではなく、何かにこだわっていれば、うまくいかないと思うのです。
よく、信長は「鳴かずんば殺してしまえホトトギス」、
秀吉は「鳴かずんば嶋かしてみせようホトトギス」、
家康は「鳴かずんぱ鳴くまで待とうホトトギス」だといわれますね。
これらは、三人が詠んだものか、あるいは後世の人が、
三人の特徴を端的に表現するためにつくったものなのかは知りませんが、
それぞれ、鳴くということを期待しているから出てくる言葉です。
つまり、鳴くということにみなこだわっていると思うのですよ。
ぼくはね、何ごとでも、何かにこだわっていたら、うまくいかないと思っています。
だから、ぼくならこういう態度でありたいですね。
「鳴かずんばそれもまたよしホトトギス」。
つまり、自然の姿でいこうというわけですよ。なかなかむずかしいことですがね。
『人生談義』
自問自答
信長も、秀吉も、家康も気づかない。
自然の理にかなった、
自分なりの心の態度をみつけたい。身につけたい。


『鳴かずんばそれもまたよしホトトギス』
木野親之先生のお話で度々紹介されています。
徳川家康の『鳴くまで待とう』もすごいなと思っていました。
やはり天下を取る人は『忍耐』も半端ではない。
・・・が、・・・が、
『それもまたよし』を初めて聞いた時には確かに『神』だと感じたのです。
「幸之助はすべての物、事から学ぶ姿勢を持っていました」
という木野先生の言葉を思い出します。

2020/12/22 2020年12月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月22日
自然の理

ナポレオンは「余の辞書には不可能という言葉はない」と言いました。
これは見方によってはずいぶん不遜な言葉のように思われます。
不可能なことはないといっても、人間にはやはりできないことがいろいろあります。
年をとることも避けられませんし、死ぬこともまぬがれません。
またそういうナポレオン自身、
晩年は囚われの身となり、悲運のうちに亡くなっています。
ですから、不可能はない、などというのは、人間の立場をわきまえない、
うぬぼれの言葉だという見方もできると思います。
しかし、また別の見方をすれば、
これはやはり一つの真理をついた言葉ともいえるのではないでしょうか。
というのは、確かに人間には不可能なことがいろいろあります。
不可能とはどういうことかというと、
いわゆる自然の理に反することが不可能だということです。
たとえば、人間は必ず年をとっていく、それは自然の理です。
ですから、
その理に反して年をとりたくないと願ったところで、それは絶対に不可能です。
けれどもこれは、逆にいえば、自然の理にかなったことであれば、
すべて可能であるということでしょう。
つまり、お互いの体のことにしても、人間関係や商売など何ごとにおいても、
自然の理にかなっていれば必ず事は成るということだと思います。
そういった意味で、このナポレオンの言葉は一面の真理をついていると思うのです。
ただ、さすがのナポレオンも、
最後は理に逆らったことをして自滅したというわけです。
『人生心得帖』
自問自答
自然の理に逆らう人は自滅する。
それも自然の理である。
自分の生き方は自然の理にかなっているのかー。


おごった解釈の方ではなく、もう一つの解釈。
『成功するまで挑戦し続けるといつか必ず達成する』
更に言うなら、
「一つのことをやり続けると、途中で最初の目標とは違った目標が見えてくる感も知れない」
ということも含めて成功(可能)という意味です。
自ら不可能だとあきらめることはないのです。
どこまでも可能性を信じチャレンジする。
前提は幸之助翁の言われる『自然の理』です。
不正や犯罪などのそれに反するものではないことが大前提ですね。

2020/12/21 2020年12月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月21日
水道の水のごとく

「われらの経営こそ、われらの事業こそ、
※某教以上に盛大な繁栄をせねばならぬ聖なる事業である。
それにもかかわらず閉鎖縮小とは何ごとだ。それは経営が悪いからだ。
自己にとらわれたる経営、正義にはずれたる経営、
聖なる事業たるの信念にめざめざる経営、単なる商道としての経営、
単なる習慣に立脚せる経営、これらがみなその原因をつくっているのだ。
自分はこの殻から脱却せねばならぬ」
そしてこの考えが強く強く私の心を打ったのであった。
しからば聖なる経営、真個の経営とはいかなるものか。それは水道の水だ。
加工されたる水道の水は価がある。
今日、価あるものはこれを盗めばとがめられるのは常識だ。
しかるに、水道の水は加工された価あるものなるにもかかわらず、
乞食が水道の栓をひねって存分にその水を盗み飲んだとしても、
水そのものについてのとがめはあまり聞かない。
これはなぜか。
それは価あるにもかかわらず、その量があまりにも豊富であるからである。
直接生命を維持する貴重な価値ある水においてすら、
その量があまりに豊富であるがゆえに許されるということはわれわれに何を教えるか。
それは生産者の使命の重大さと尊さを十二分に教えて余りあるもの、
という感を受けた。
すなわち生産者の使命は蛍瞳なる生涌物費を、
水道の水のごとく無尽蔵たらしめることである。
いかに貴重なるものでも量を多くして、
無代に等しい価格をもって提供することにある。
かくしてこそ、貧は除はんもんかれていく。
貧より生ずるあらゆる悩みは除かれていく。
生活の煩悶も極度に縮小されていく。物
黄を中心とした楽園に、宗教の力による糖神的安心が加わって人生は完成する。
ここだ、われわれの真の経営は。
きょう見学によって教えられた真の使命はここにあるのだ。
『私の行き方考え方』
※天理教のこと。
知人に強く勧められ、天理教の見学に行った後の松下幸之助の回想である。
自問自舎
自分のなすべきこと、
自分に与えられた真の使命はいったいどこにあるのかー。


ここで言われていることは時代と共に変化したのかもしれません。
現在水は500ccのペットボトルで120円くらいでしょうか?
・・・ガソリンより高いのです。
物のなかった時代には大量に生産し多くの人に届けることが大切であったと思います。
物の余っている現在では付加価値をどうつけていくかが大切になっているのだと考えます。
車も単なる移動手段ではなく、
『事故を起こさない車』『CO₂を出さない車』などの付加価値を求められていますね。
 

2020/12/20 2020年12月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月20日
正しき闘争心

わが社の遵奉(じゆんぼう)すべき精神の中に「力闘向上」という一項がある。
会社事業の伸展も、各人個々の成功も、この精神なくしては成り立たない。
事業を経営することも、商売を営むことも、そのこと自体が真剣の戦いである以上、
これを戦いぬく精神が旺盛でなかったならば、結局敗者たらざるをえないのである。
ただし、その戦いたるや正々堂々でなくてはならぬ。
他を陥れ、傷つけて己一人独占せんとする精神行動はもとより排すべきであり、
どこまでも正しき闘争でなければならぬことはもちろんである。
よい意味における闘争心、正しい意味における競争精神、これなきところ、
事業の成功も個人の向上も絶対に望めない。
この精神のない人は結局熱のない人であり、
物事をして伸展せしむるに役立たない人である。
幸いに松下電器の人々には、この精神が伝統的に旺盛であったことが、
今日をなす大きな因であったと考える。
されば今後といえども、諸君にこの正しき闘争心をどこまでももち続けて、
日々の業務に処していただきたいと希望する次第である。
『松下幸之助発言集第29巻』(昭和16年の発言より)
自問自答
正々堂々の戦いをする。
正しい闘争心を旺盛にしていく。
正しく勝つのだ。


幸之助翁『正しい』を前提とされています。
・・・が、
最初からそうだったわけではありません。
大阪電灯(現関西電力)から独立した創業当時は、
個人的な『お金儲け』の理念からスタートしました。
なかなかうまくいかない中で『私欲』から、
『社会を豊かにする』という事業感に成長したのだそうです。
スタートは私欲でも良い。・・・『意欲』が大切なのです。
大きく成長するのは私欲では限界があり、
より大きな成功は『正しい』へ成長していくことなのですね。
 

2020/12/19 2020年12月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月19日
道は無限にひらかれている

発明王のエジソンは、小学校では先生から劣等生扱いにされ、
たった三カ月で退学しています。
だから、学校では勉強らしい勉強はしていなかったのですな。
ただエジソンは、子どものころから、物事に対する研究意欲は非常に盛んだった。
つまり、自然現象や世の中のことを、ただぼんやりと眺めてはいなかった。
すべてに対し〃なぜ〃という疑問を発したのですね。
ときには、烏を捕まえてきて、なぜ空を飛べるのかと、羽の構造を熱心に調べた。
またあるときは、止まっている蒸気機関車の下にもぐりこみ、油まみれになりながら、
機械の仕組みを調べていて、運転士にひどく叱られたといいます。
それほど熱心だったわけですな。
そこに、多くの発明を生み出す根本があったのでしょうね。
いわゆる学問上の先生はいなかったけれど、
自然の事物の中に、自分の先生をみつけ出した。
つまりね、みずから開拓していこうという熱意に満ちて、心して物事を見、
そこから学び取ろうとするなら、道は無限にひらかれている。
心がまえ次第で、立派な師は無数にあるということだと思うのです。
『人生談義』
自問自答
いたることに“師”はある。無数にある。
学ぶことはまだまだある。
道はまだまだあるのだー。


エジソンは『発達障害』ではなかったのではないかと思います。
しかし、いろいろなジャンルで天才と言われる人のなかには、
発達障害をうかがわせるような人は多いと感じます。
「一つのことに集中し、こだわり続ける」これも症状の一つださそうです。
発達障害だからではなく、
すべての人が一つのことにこだわり続け集中し続けることで、
道が開けてくることは間違いないことでしょう。
 

2020/12/18 2020年12月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月18日
なすべきをなす

秀吉はいちばん遠くにいて、てごわい敵と戦争していましたが、
信長が討たれたと知ると直ちに敵と和睦し、
そしてとるものもとりあえず引き返して、
不倶戴天(ふぐたいてん)の主君のかたきをみごとに討ちました。
これは当時の道徳に素直に従った姿であるともいえるのではないでしょうか。
この秀吉の行動については、
後世において歴史家の方々などがさまざまな見方をしておられると思います。
秀吉が、自分が天下をとる機会が来たというので喜んで帰ったという見方など、
いろいろあるでしょう。
しかし秀吉は、そういう打算からではなく、これはこうしなければならない、
こうするのが当たり前だ、ということで急ぎとって返したのであろうと思います。
それで信長のかたきをとることができ、
おのずとその功績が認められるようにもなったと思うのです。
天下をとろうなどという野心が先に立ったのでは、
なかなかあのようにうまくはいかなかったでしょう。
自己の利害ということを超越し、ただひたすらになすべきをなした、
やらねばならないことをやった、ということだと思います。
そして、そういう私心をはなれた態度、行動をとるということは、
やはり素直な心にならなければなかなか出てこないのではないかと思うのです。
このような点から考えてみても、
素直な心の偉大さというものがよくわかるのではないでしょうか。
もちろん、当時と今日とでは、考え方も道徳のようなものもずいぶん違いますから、
この例はそのまま今日にあてはまるものではないでしょう。
ただ大切なことは、
なすべきことは私心をはなれて断固として行う、ということです。
ときには自分の命をかけてでもやり遂げるということです。
それは今日においても非常に大切なことではないかと思うのです。
そういうところから、たとえ非常な困難に直面していても、
思わぬよき道がひらけてくる、
というような姿ももたらされてくるのではないでしょうか。
『素直な心になるために』
自問自答
この困難も乗り越えることができる。
きっと思わぬよき道がひらけてくる。


『自己の利害を超越』
『私欲』は建物の基礎のようなものと考えればよいのかな?
私欲の基礎は軟弱でその上にどんなに素晴らしい建物を建築しても、
建物を大きくしよう、立派にしようとすればするほ基礎に負担がかかりどこかで崩壊します。
私欲を超越した強固な基礎の上にはどんな建物を建築しても万全ですね。
『我利我利亡者』という言葉が昔からあります。
私はあえて『他利他利豊者』という言葉を使っています。
 

2020/12/17 2020年12月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月17日
成功するまで続ける

成功するためには、成功するまで続けることである。
途中であきらめて、やめてしまえば、それで失敗である。
だから、いくら問題が起こってきても、
次々と工夫を凝らしてそれを解決していけばよいのである。
それを、くじけることなくくり返していく。決してあきらめない。
成功するまで続けていく。そうすれば、やがて必ず成功するわけである。
商売というもの、経営というものは、もともとそういうものではないだろうか。
それであってこそ、ほんとうの商売、経営といえるのではなかろうか。
一度や二度うまくいかなかったからといって、
あきらめて、他に道を求めていたのでは、それはほんとうの経営にはならない。
いかなる事態が起ころうと、どのような苦しい状態に陥ろうと、
くじけずにそれに対処し、解決の道を見出していく、そういう努力を重ねて、
よりよい姿を実現していくのが経営というものではないだろうか。
もちろん、それは口で言うほど簡単なものではない。
そこにはほんとうに身を削るような努力と
いったものが必要であろう。そのようなむずかしさはある。
けれども、それを乗り越えていくところに、
また人生の一つの面白さというものも見出されるのではないか、
という気もするのである。
『人を活かす経営』
自問自答
成功するためには、成功するまで続けること。
この口で言うのは簡単な難事に、面白さを感じて乗り越えていきたい。


私がナポレオンヒルの『成功哲学』に出会うきっかけの法則です。
典子さんと結婚をしたきっかけが失敗しても成功するまであきらめなかったことです。
その経験と同じ内容が、
ナポレオンヒルの紹介記事に成功の法則の一つとして紹介されていたのです。
瞬間このプログラムを学ぶことを決め・・・・、
80万円くらいしたと思いますが・・・、
思案の末煙草を止めて8年ローンを組みました。
後に知りましたが、
ナポレオン皇帝の辞書には「失敗という言葉はない」の意味は、
「私は成功するまであきらめないので、失敗という言葉は必要ない」
という意味なのだそうです。
 

2020/12/16 2020年12月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月16日
率先

わが社はさきに、5カ年計画というものを発表いたしたのでございます。
それは昭和31年でございました。
31年を起点といたしまして、むこう5カ年間に、わが社の製造販売額というものを、
年額800億円にもっていきたいと、かように皆さんに申しあげたのでございます。
当時、5カ年計画というような計画の発表というものは、
一般事業会社においてはなかったのでございます。
そういうような経済界の情勢下におきまして、わが社ひとり率先して、
5カ年計画というものを打ち立てて発表いたしたのは、当時としましては、
まことに類例の少ない一つの行き方として、注目をされたのであります。
爾来(じらい)、世間では、ああいうことを発表したが、
はたして松下電器が
そういう数字を実現することができるかどうかということにつきましては、
いろいろの意味において興味をもってこれを批判し、
また見守っておられたと思うのであります。
その中にあって、われわれはよく一致協力いたしまして、
その生産の使命の重大なることを深く痛感いたしまして、
ぜひともこれを実現いたしたい、これを実現いたしますことは、
それ自体はわが社の発展でもありますけれども、しかし決してそれだけじゃない、
そのこと自体は、わが国の経済界生産界の大きな発展を意味するものであって、
いろんな意味におきまして非常に貢献をするものであるというところに、
大きな喜びをわれわれは感じておったのであります。
爾来皆さんにおかれましては、いろいろ苦心されたのでございますが、
着々として辛抱強く、いろいろな問題を克服されまして、
つい昨年、第5カ年にあたりまして、
年額1,050億円という生産額を突破するにいたったのでございます。
『松下幸之助発言集第23巻』(昭和36年の発言より)
自問自答
自分の発展が、社会の発展につながる。
そのことに大きな喜びを感じたい。
まわりの人とともに、感じたい。


経営品質賞の言う、他社がまねできない『独自経営』ですね。
当時5年計画をつくったことは世間からは意味不明であったでしょう。
今では銀行借り入れをしようとした場合、
実績がなければ『5ヵ年の経営計画』を求められます。
20年前の研修ですら5ヵ年計画を作成する研修での、
5ヵ年貸借対照表は完成することができませんでした。
幸之助翁が経営の神様と言われるゆえんだと考えます。

2020/12/15 2020年12月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月15日
並み足

日本経済が高度成長のさなかにあった今から十数年前、
あるアメリカ人との対談の中で、日本の急速な成長自体を、
内心大いに心配しているという意味のことを話したことがある。
当時の日本は、所得倍増計画に沿って、たいへんなスピードで走っていた。
いってみれば、かけ足で走っている状態であった。
かけ足で走れば、確かに一時は先頭に立つ。
しかし、
そうした走り方ではやがて息が続かなくなり、途中で一服しなくてはならなくなる。
悪くすると心臓麻痺を起こす場合もある。
このことは、個人についてもそうだし、国についても、会社についてもあてはまる。
だから、かけ足は決して好ましい姿ではない。そんな話をした。
では〃速足〃ならどうか。これならかけ足よりは長続きする。
しかし長続きはしても、やはりどこかに疲れがたまってくるだろう。
では、最も好ましい姿は何か。
〃並み足〃である。
まったく普通の歩き方で、たゆまずに進んでいく。
そこに自他とものバランスを保つ余裕も考えられてくる。
そうした考え方を私はその人に述べたのである。
実際の日本経済はどうだったのか。
残念ながら、経済の膨脹ということだけが、
それもかけ足のスピードで進んでしまって、教育とか政治とか、
社会の施設とか外交とかが、それについていかなかった。
止まったままという面さえある。
そこに、日本が経済大国といわれるまで成長しながら、
いろいろ弱体な面が生じてきた要因があると思う。
『松下幸之助経営語録』
自問自答
普通に、たゆまず歩いていく。
“最も好ましい姿”で歩いていきたいー。


『凡事徹底』はまさに〃並み足〃ですね。
平凡な事を誰も真似できないくらい徹底する非凡さです。
惰性で続けることとは似て非なるものです。
『立ち止まって膨張』しているだけで目標へは一歩も近づいていないということ。
徹底するとはPDCAが回っているので同じことを繰り返しているようで、
実は小さな変化を常に起こしているのです。
「伊勢の名物赤福もちも、昔からまったく同じものをつくり続けているわけではない。
時代の変化、好みの変化に合わせながら提供している」
と社長がTV番組で話しておられました。
 

2020/12/14 2020年12月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月14日
傘をさせば濡れないですむ

もう二十年近くも前になりますが、
私が松下電器の社長から会長になってまもないころのことです。
ある新聞記者の方が取材に来られて、
「松下さん、あなたの会社は非常に急速な発展を遂げてこられましたが、
どういうわけでそうなったのか、その秘訣をひとつ聞かせてくれませんか」
との質問です。
ひと口に発展の秘訣といわれても、さてどう答えたものやら、
という気が一瞬しましたが、ふと思いついて私は、
逆にこんな質問をその若い記者の方にしたのでした。
「あなたは雨が降ったらどうされますか」
その質問がよほど予想外だったのでしょう。
その方はびっくりした顔つきで、しばらくとまどっておられるふうでしたが、
それでもまじめに私が予期した答えを返してくれました。
「そりやあ傘をさします」
「そうでしょう。雨が降れば傘をさす。
そこに私は発展の秘訣というか、商売のコツ、経営のコツがあると考えているのです」
という話をしたのでした。
その考えは、二十年たった今も少しも変わりません。
つまり、雨が降れば傘をさす。そうすればぬり濡れないですみます。
それは天地自然の理に順応した姿で、いわば万人の常識、ごく平凡なことです。
商売、経営に発展の秘訣があるとすれば、
それはその平凡なことを
ごく当たり前にやるということに尽きるのではないかという気がするのです。
『経営のコツここ戦りと気づいた価値は百万両』
自問自答
平凡なことをごく当たり前にやる。
それに尽きる、と思える自分がいる。


「水は高いところから低いところに移動する」
これは自然の法則であり『成功の極意』。
雨が降ったら傘をさすことと同じです。
おかれた環境の変化、経営環境の変化に正しく平凡に対応することです。
雨が降っても気が付かない人はいないと思います。
『環境変化に正しく気付く』ことがなければ対応もありませんね。

2020/12/13 2020年12月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月13日
考えたことは形にあらわれる

先般、東京の日興證券という会社に、
松下電器の現状を話してくれないかということを頼まれまして行ったのであります。
そのときに会社の業容をお話しいたしました。
「今期は百億円の商いをいたします。
また来期は百二十億円の商いをいたします、製造をいたします」
ということを話したのであります。
そのときに質問がありまして、
「松下さん、あなたはいま、百億ということを言われたが、百億もできるんですか。
こういう景気の悪いときに少し無責任ではないでしょうか」
と言われたので、私は、
「決して無責任ではございません、これは正確に言っておるんです。
と申しますのは、そういうように販売する固い契約ができているんです。
いわゆる社会の人々あるいは代理店、小売屋さんに対して、
そういう契約をもっているんです。
ですから、最も正確にそれを販売しなくてはならない。
また最も正確にそれだけ製造しなくてはならない義務があるのです。
これは今の私の心境であります。
しかしこの契約は契約書によった契約ではありません。心の契約なんです。
今、目に見えないお互いが全部契約をもっているんです。
社会全部の人が個々に契約をもっている。
その契約が心で見える人と見えない人がある。問題はそこから起こってくるんです。
私が百億円売れるというのは、その契約がよく見えるからなんです。
契約があるから大丈夫、売れると思うし製造もできると思うのであります。
だから間違いありません」
と言うたのであります。
これがちょうど今期は百億円できるのであります。
不思議に当たったとも思うのでありますが、これは不思議でも何でもなくして、
そうなってくるんです。
単に気分的にものを言うてるんやなく、正確に心で考えたことは、
正確に形にあらわれてくると私は思うのです。
『松下幸之助発言集第31巻』(昭和30年の発言より)
自問自答
正確に考えたことは、正確に形としてあらわれる。
不思議なことではない。その体験を積み重ねていきたい。


成功哲学のナポレオン・ヒル氏は、
『思考は現実化する』と言っています。
これは売り上げ目標のことではありません。
…もちろんそう考える人もいるでしょう。
企業が施行する最も重要なことは、
お客様に『何を提供』しどうやって『感動』してもらうか?
『満足』を提供しようと考えると…殻を破れません。
『感動』を提供する努力をし続けてはじめて、
お客様は『満足』のレベルで受け取ってもらえるのではないかと思うのです。
お客様の感動笑顔を脳裏に浮かべながら『何を提供』するかを思考するのです。
きっと形に表れることでしょう。

2020/12/12 2020年12月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月12日
大きな歯車と小さな歯車

人間は、基本的な理念においては平等でいいと思うんです。
しかし、
それを実際の生活に表していくために、礼節は一つの潤滑油みたいなものですな。
どんな立派な機械でも、
潤滑油がなかったら、火花が散って、摩滅し、破損してしまいますよ。
機械そのものがなくなってしまう。
それと一緒で、礼節がなかったら人間そのものがなくなってしまうわけですな。
だから機械そのものは平等である。
大きな歯車も、小さな歯車も、その尊さに変わりはない。
けれどもそれをうまくかみあわすには、潤滑油である礼節とか、
作法というものが必要になってくるわけですね。
ところが、それを潤滑油と考えずに、
大なる歯車と小なる歯車とをかみあわせたときの差だと見る。
そこに大きな間違いがあると思いますね。
大小の機械はみな同じように尊いんだ、
しかしそれらがスムーズに働くには礼儀という潤滑油が必要なんだ、
たとえば先誰と後輩のあいだで、後輩は先輩に対してどういうような態度をとるか、
先輩はまた後輩に対してどういう態度をとるか、
その好もしい態度のあり方というものが、潤滑油としての礼儀である、
こう考えればいいと思うんですね。
『日々を新たに』
自問自答
「論語」にも“克己復礼”とあるではないか。
自分はどんな“歯車”か。
“礼節”という潤滑油は、十分か。


大きい歯車のは性能が良く、小さい歯車は性能が悪いのです。
・・・???、そんな分けありません。
すべての歯車がが大切であり人る欠けても機械は機能しません。
間違いありませんね。
潤滑油も何でもいいわけではありません、性能は様々です。
『潤滑油である礼節、作法』にもレベルがあります。
無意識に行っている私たちの行動、態度は万人が同じではなく、
すべての人に個性があります。
中でも、
生意気な態度、不誠実な態度は潤滑油を蒸発させてしまい機械は壊れてしまいますね。

2020/12/11 2020年12月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月11日
腹をすえる

お互いの日々の仕事においては、心配も何もなくしてうまくいくということは、
ないのが本来の姿で、したがって、あれこれ思い悩み、心配するということが、
むしろなければならないと思うのです。
それは、つらいといえばつらいし、苦しいといえば苦しいことです。
しかし、そうはいうものの、どんな心配、悩みの中にも、
お互いの生きる境地というものはあるものだと思います。
つまり、“幹部社員には悩みや不安が多いのが当然で、
それがいやなら職を辞せばいい”といったように、まず腹をすえる。
その上でそういう心配、悩みがあるからこそ、自分たちは勉強するんだ、
それがお互いの刺激、薬ともなって、
新しい工夫やすぐれた品物を生み出すことができるんだ、というように考え、
その心配、悩みを克服していく。
そういうところに幹部社員としての仕事の喜び、
さらには生きがいを見出していくという姿勢が大切ではないかと思うのです。
『社員心得帖』
自問自答
まずは“腹をすえる”。
“悩み” や“心配”を、
自分の“刺激”や“薬”にするるたために-.


私の場合『はこれは私にしかできない仕事』と腹をすえました。
逃げ出したい障害やクレーム、人間関係・・・・。
私は「こんなに苦しい中で逃げ出さず頑張っている自分って素敵だ」
と自分を励ましながらほめながら今日まで来ました。
中村さんには多くのクレーム対応をしていただきました。
どれだけ逃げ出したかったかは察するに余りあります。
本当に助けられました。
ありがとうございます。
 

2020/12/10 2020年12月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月10日
社会を発展させる一人の選手

単に自分の店を大きくしよう、自分だけ儲けようというような考え方、
それだけでは私はどこかに弱さがあるように思う。
もちろん、そういうことも、そのうちには入っているけれども、目のつけどころは、
より高いものに、社会とともに発展するのだ、あるいは世の中のためになるのだ、
という考え方をもつことである。そして自分は社会を発展させる一人の選手である、
というように私の事業観も人生観も変わっていったのである。
こう考えるようになってから後は、これまで苦労と思えたことも、
少しも苦労でなくなってしまったわけである。
かえって苦労と考えられたものが、働く喜びに変わってきた。
同じつらい仕事をしても、今まではただつらい仕事でしかなかった。
しかし商売だからしょうがない、というわけである。
しかし今度は商売だからしようがないというような考えはなくなってしまった。
つらいことが、うれしい尊いことに変わってきた。
したがってむずかしい仕事にぶつかるたびに新しい勇気が湧き出て、
事業に体当たりしていったように思う。
『物の見方考え方』
自問自答
社会とともに発展する。
自分は、社会を発展させる一人の選手である。
そう考えると、つらいことが、うれしい尊いことに変わる。
むずかしいことにぶつかるたびに、新しい勇気が湧き出てくる。


『社会とともに発展する』
とても大切だと考えています。
新卒採用、外国人実習生や積極的な女性営業登用などは、
『社会とともに発展』のテーマがもとにあります。
もちろん「暮らしの支援サービス」開発も同じ理由。
子育て世代へのサービス提供も。
広ガスたかたの場合社会の前に地域が付き『地域社会とともに発展』です。
個人的にも商工会活動、法人会活動、ライオンズ活動、
市役所や消防の委員会活動など積極的に地域社会と関わりを持っています。
 

2020/12/09 2020年12月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月9日
結構な時代

戦国時代の昔、堺の商人は、
織田方と取引しながら、他方で、織田の敵側になる毛利とも商売をしたといいます。
われわれには、買ってくれる人がお得意さんである、
敵味方にこだわって売る売らんというようなことは考える必要がない、
それが堺の商人の冥利である、ということでしょう。
これは、商売というものを中心に考えれば、正しいことだと思います。
商人は物を供給するという使命をもっているのですから、
おまえは嫌いだから売らない、おまえは好きだから売るというようなことは、
すでに商売の邪道です。
いかに憎かろうと、いかに好きであろうと、
商売となれば公平にやらなければいけないと思います。
そういうことを私たちの先祖はやってきているわけです。
それは、
ある場合には、敵に味方していると誤解されて殺されるかもしれないことです。
しかし、そういうことすらも恐れずして、堂々と商売に徹していたわけです。
堺の商人だけではありません。何千年の昔から、
商人というものは、洋の東西を問わず、
いわゆる戦乱の巷で流れ弾に当たって死ぬかもわからないという中でも、
商売をしてきているのです。
そういうことを考えてみますと、
今日の私たちを取り巻く経営環境がいかに厳しいといっても、
まだまだ楽なものだ、結構な時代であるということになるのではないでしょうか。
混迷とか不況といったところで、天地がひっくりかえるというのでもなければ、
命を取られるというのでもありません。
ですから、その時々の状況にふり回されて、
右往左往することのないようにしなければならないと思います。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
今ほど結構な時代はない。
そう思えば迷いや苦しみにふり回され、
縛られることはなくなるはずー。


考え方次第ですね。
松下幸之助翁はプラス思考のお手本です。
決して能天気に前を向くのではなく、
周りを納得させるしっかりとした根拠があります。
命を取られることない時代です。・・・結構な時代です。
 

2020/12/08 2020年12月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月8日
真剣勝負

K氏ははっきり言って、商売の上に迷いをもっている。
それが判断の上に影響して、経営の弱さとなっている。
これではうまくいかないであろう。
だから、
私は、K氏に対する励ましの意味もこめて、少し強い口調でK氏に話をしたのである。
「いや、あなたのような熱心な人が成功しないことのほうが不思議です。
熱心にやればやるだけ成功するのが事業というものでしょう。
だから、成功しないというのは、
ほんとうの熱心さがまだ足りないということではないでしょうか。
ほんとうに熱心に、真剣にやっておれば、必ず成功に結びつくものだと思います。
また、それが商売というものでしょう。
商売は真剣勝負と同じです。
首をはねたりはねられたりするうちに勝つということはないと思います。
必ず勝たねばならない。必ず成功しなければならない。
つまり商売は成功するものです。
成功してはじめて、ほんとうの商売をしたことになるのです。
もしも、その商売が成功しないというのであれば、
それはまさにその経営の進め方に
当を得ないところがあるからだと考えねばなりません。
時代が悪いのでもない、経済状況が悪いのでも、得意先が悪いのでもない。
すべて経営が悪い、経営者が当を得ていないと考えるべきです。
だから、商売はときに損をしたり、
また儲けたりするものだという考え方ではいけないと思うのです。
たとえ世の中が不景気のときであってもよし、
好景気ならさらによしという姿でなければなりせん。
ほんとうの商売人、真の経営者というものは、
不景気のときにむしろ向上発展の基礎を固めるものです」
私は、私なりに商売というもの、経営というものの真の姿を説きたかった。
うまく説けたかどうかはわからない。
しかし、経営に対するこの私の考えは、今でも基本的に変わっていないと思う。
『人を活かす経営』
自問自答
事業は成功するようになっている。
成功してはじめてほんとうの事業をしたことになる。
成功しないのは、自身にまだ当を得ないところがあるからだ—そう考えていきたい。


経営だけでなく営業も同じ。
もっと言うなら製造も建築もそのほかの業種でも。
だから成功する人はどの業種でもどの部署でも成果を出すのですね。
大手企業の社長にはたたき上げ社長だけではなく、
大手を渡り歩いている社長がたくさんいるのはそれが理由です。
『誰もが認める熱心さ』
常に生きるか死ぬかを掛けて勝ち続ける熱意です。
・・・とは言えそんな人でも小さな失敗は山ほど経験しています。

2020/12/07 2020年12月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月7日
運命

先般も雑誌記者が来て、
「松下さん、あんたの成功談を載せたいと思うんだが、
一ぺん肝心なところだけちょっと間かしてくれんか」
と、(笑)まことに虫のいい話です。
「どういうような苦心をしてこうなったんか」
ということを質問しますから、じっと私は考えてみたんです。
考えてみましたが結局何もないんですな、ほんとうは。
それで私が、
「別にこれということは言えない。
しいて言うならば、こうなるようになっておったんだろう」
という話をしたところが、
「それでは記事にならん」
と(笑)こう言うんですね。
「しかし君、記事にならんかもしれんけども、ぼくのほんとうの心境はそうなんだ。
ぼくは人以上に勉強したとも、また人よりも体が丈夫やとも賢いとも思わん、
ぼくより偉いやつはたくさんいる。
しかし、いつのまにかこうなっちゃったんだ。
それで人は成功者や成功者やとこう言う。
だから、ちょっとこうくすぐったいように思うんだ。
が、考えてみると、やっぱりこうなるだけの運命をもっておったんだろう。
こう思うよりしかたがない」
と、まあこういうことなんですわ。(笑)
『松下幸之助発言集第11巻』(昭和36年の発言より)
自問自答
自分の人生を終えるときに、
「こうなるだけの運命をもっていたんだろう」
と言えるだけの余裕を心にもてているだろうか。


高飛車な雑誌記者だったのでしょうか?
宿命であれば切り開けませんが『運命』は切り開くものです。
松下幸之助翁はやはり切り開いてこられたのでしょう。
どうやって運命を切り開いたのか?
何か一つやれば成功するというものではありませんね。
実に多くの著書が出ていますので、まずは一冊手に取ってみる。
私の一冊目は「松下幸之助と田中角栄」を取り上げた本でした。
もう一つ。
「こうなるだけの運命をもっていたんだろう」と言えるだけの余裕。
多くの人は苦労話をしたがるが、『運命だった』片づけるところが余裕なのですね。
・・・やはり器が違いすぎる。
 

2020/12/06 2020年12月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月6日
天命に素直に従う

昔からいわれている
「人事を尽くして天命を待2という言葉lこれは古くて新しい真理です。
人間はどんなときでも、やはり、やれるだけのことはやらなければいけない。
考えて正しいと信じたら、誠心誠意やらなければならないのです。
しかし、人事を尽くせば事は成り、事はすべて解決するかというと、
決してそうではありません。
人間以上の大きな力がそこに働くのです。
運命といいましょうか。
あなたにはあなたに、私には私に与えられた天命がある。
この天命には、素直に従うことが、私は必要だと思います。
人事は尽くしても天命を待つことを知らない。
そういう傾向を、私は現代に見ます。
これだけやったのだから、これだけ報われなければならない、という考え方です。
それも当然のことでしょうが、
しかしそこに、悩み・争いが生じる大きな原因があるのではないでしょうか。
あなたのこれからには、さまざまな困難があるにちがいない。
しかし、どんなときでも志を失うことなく、私心にとらわれず、
あなたの可能な限りの努力をしてほしい。そして、つぎの事態を静かに待つ。
期待どおりにいくこともあり、期待に背かれることもあるでしょう。
それはあなたの力を超えたものの働きだと思います。
どのような力が働こうと慌てることはありません。
あなたはできるだけのことはした。そうして待つとき、
必ずつぎの新しい道が、自然とひらけるのではないでしょうか。
『若さに贈る』
自問自答
人事を尽くしても天命を待つことは知らない。
その域を超える人間になれただろうか。


・・・なるほど。
天命は待つものではなく『したがう』ものなのですね。
使命に気づき天命に従うのです。
持って生まれた封筒を開封し、
『使命』を全うする人生が成功人生であり幸せな人生ということでしょう。
「人事を尽くして道を切り開き…天命に従う」
 

2020/12/05 2020年12月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月5日自分の
天分の発見

天分とか特質というものがどこにあるのかということは、
これは実はそう容易にはわからないのです。
つまり、そう簡単に見出せないようなかたちで与えられていると思うのです。
そのことはちょっと不合理のように思えるかもしれませんが、
ここに人生の面白味といいますか、味わいというものがあると思います。
そんなに簡単にわかってしまったのでは面白味も薄いのではないでしょうか。
たやすくはわからないが、それを求めて努力してゆく、
そこに、いい知れぬ人生の味わいがひそんでいると思うのです。
天分の発見とはそのようなものであることをまず知っておいて、
さてそれではいかなる方法で求めていけばよいかと申しますと、
まず何といっても、
自分の天分を見出したいという強い願いをもたなければならないと思います。
成功したいが、そのためには自分の天分を発見しなければならない、
どうにかしてこれを見出したいものだという強い思いを、
常に心にひそめることが第一に必要でしょう。
その願いが強いと、
日常の生活の中から自然に、自分の天分が見出せてくると思います。
たとえば、自分の内心の声が聞こえるときがありましょうし、
また何かの動機や事件で、思わぬ天分が自分にあることがわかってまいります。
また他人が自分に教えてくれるときがあります。
君はこういう道がよいのではないかと教えてくれる場合があるわけです。
そのとき、自分の願いが強ければ強いほど、ピンと感じられるのですが、
もしも願いが弱ければ「馬の耳に念仏」で、
せっかくのよい助言も何のたしにもならないでしょう。
ですから、
まず自分の天分を発見したいという強い熱意をもつことが第一だと思います。
そのためには、素直な心をいつももっている必要があると思います。
素直な心が欠けていますと、自分自身を買いかぶったり、
また他人の勧めを曲解したりして、
とんでもない方向に進んでしまうことになりかねません。
すなわち、強い願いと素直な心、
この二つがいつも用意されている必要があると思うのです。
『人間としての成功』
自問自答
天分がまだみつからない。
だからこそ、みつけたいと強く願う。
その願いが強ければ強いほど、みつかる契機がやってくるのだ。


『やりたいこと』と『できること』は違います。
やりたいことで成功している人は、
パレートの法則で考えると10万人に一人くらいでしょうか?
自分の成功は、本当は目の前にあるのです。
チルチルとミチルの青い鳥での幸せ探しと同じです。
今、目の前のことに全力を出し続けることで見えてきます。
一瞬の頑張りではありません、
森信三先生はまずは10年と言われています。
そして、
現実を踏まえたうえで、
自身で『これが私の使命』というものを創造し、
まずは思い込んみてください。
数年かけて自身に落とし込めたらそれこそ持って生まれた使命に違いないですね。

2020/12/04 2020年12月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月4日
人間としての成功

「天は二物を与えず」ということわざがありましょう。
これは裏を返せば、天は必ず一物は与えてくれているということだと思うのですね。
そのように、異なった天分、特質が与えられているということは、
いいかえれば万人万様、みな異なった生き方をし、
みな異なった仕事をするように運命づけられているとも考えられます。
ある人は政治家として最もふさわしい天分が与えられているかもしれない、
またある人は、学者に、技術者に、商人にといったように、
みなそれぞれに異なった使命が与えられ、異なった才能が備えられていると思うのです。
成功というのは、
この自分に与えられた天分を、そのまま完全に生かし切ることではないでしょうか。
それが人間として正しい生き方であり、
自分も満足すると同時に働きの成果も高まって、
周囲の人々を喜ばすことにもなると思います。
そういう意味からすれば、
これこそが〃人間としての成功〃といえるのではないでしょうか。
ですから、当然、成功の姿は人によって異なってきます。
ある人は大臣になってその任を果たすことが成功であるかもしれませんし、
ある人は野球選手になって活躍することが成功かもしれない。
つまり、社会的な地位や名誉や財産が成功の基準になるのではなく、
自分に与えられた天分に添うか添わないかということが
成功の基準になってくると思うのです。
『人生談義』
自問自答
成功の姿は人それぞれ。
自分に与えられた天分を自分は生かし切っているのだろうかー。


『天は二物を与えず。
天は必ず一物は与えてくれている』
松下幸之助翁も森信三先生と同じことを言えあれていたのですね。
まさに森信三先生の言われる、
『すべての隠元が、
生まれるときに持って生まれてくる使命の書かれた封筒』
これこそが『天が与えた一物』ですね。
封筒を開封し天に与えられた一物をしっかり磨く人生を送りたいですね。

開封のヒントは「森先生の人生二度なし」です。

職業に上下もなければ貴賤もない。

世のため人のために役立つことなら、

何をしようと自由である。

しかし、

どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。

すると、

二十からでも三十までには一仕事できるものである。

それから十年本気でやる。

すると、

四十までに頭をあげる

このあたりで『開封』です。

下記は全文です。

人間の一生(人生二度なし)森信三 

職業に上下もなければ貴賤もない。

世のため人のために役立つことなら、

何をしようと自由である。

しかし、

どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。

すると、

二十からでも三十までには一仕事できるものである。

それから十年本気でやる。

すると、

四十までに頭をあげるものだが、

それでいい気にならずにまた十年頑張る。

すると、

五十までには群を抜く。

しかし、

五十の声をきいた時には、

大抵のものが息を抜くが、それがいけない。

「これからが仕上げだ」と、

新しい気持ちでまた十年頑張る。

すると、

六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。

だが、

月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、

それから十年頑張る。

すると、

七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。

しかし、

それからまた、十年頑張る。

すると、

この十年が人生で最も面白い

 

 

2020/12/03 2020年12月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月3日


自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広いときもある。
狭いときもある。
のぼりもあればくだりもある。
坦々としたときもあれば、かきわけかきわけ汗するときもある。
この道がはたしてよいのか悪いのか、思案に余るときもあろう。
慰めを求めたくなるときもあろう。
しかし、しょせんはこの道しかないのではないか。
あきらめろというのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道は少しもひらけない。道をひら
くためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。
『道をひらく』
自問自答
自分の道、自分だけの道は
これからどのような姿を見せてくれるのだろうかー。


最も尊敬する経営者『藤沢武夫副社長』。
ホンダの創業副社長ですね。
私はなぜ藤沢武夫副社長を最も尊敬しているのでしょうか?
それは私には絶対にまねできない持って生まれた使命を持ち合わせて人だからです。
経営者としての才覚はホンダの実質経営者としての実績を見ると明らかです。
しかし経営トップではなく『NO2として本田宗一郎社長を支える』という、
私の性格では不可能なポジションで成功したひとです。
私のあこがれです。
できることならその人生を歩みたい。
・・・・が、持って生まれた使命が違っており、
私にはその才覚はなさそうです。
・・・それぞれに自分の道。・・・私の道をまっとうします。
※:森信三先生 人生にどなし
それぞれが持って生まれた使命の書かれた封筒。
開封は40歳くらいまでがベスト。
・・・以降の開封は容易ではない。
 

2020/12/02 2020年12月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月2日
困っても困らない

広い世間である。長い人生である。
その世間、その人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、
いろいろとある。
程度の差こそあれだれにでもある。
自分だけではない。
そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、
それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かが決まるといえる。
困ったことだ、どうしよう、どうしようもない、
そう考えだせば、心がしだいに狭くなり、せっかくの出る知恵も出なくなる。
今まで楽々と考えておったことでも、
それがなかなか思いつかなくなってくるのである。
とどのつまりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、不満で心が暗くなり、
不平でわが身を傷つける。
断じて行えば、鬼神(きじん)でもこれを避けるという。
困難を困難とせず、思いを新たに、決意を固く歩めば、
困難がかえって飛躍の土台石となるのである。
要は考え方である。決意である。困っても困らないことである。
人間の心というものは、孫悟空の如意棒のように、まことに伸縮自在である。
その自在な心で、困難なときにこそ、
かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。
『道をひらく』
自問自答
困っても困らない。
断じて行う。
自分にできるか。
できる。
きっとできる。


まずはカラ元気。・・・で終わってはいけない。
これでは『ノー天気思考』
「この『困った』を乗り越えるとまた一つ成長できる。
自分が一回り大きくなるために積極的に困ったに挑戦していくぞ」
というしっかりとした『積極て心構え』でまずはカラ元気から。
であれば表面的カラ元気では終わりませんね。
この『積極的心構え』こそが「困っても困らない」の実践。
真の『プラス思考』なのです。
 

2020/12/01 2020年12月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月1日
境涯

逆境―それはその人に与えられた尊い試練であり、
この境涯に鍛えられてきた人はまことに強靭である。
古来、偉大なる人は、逆境にもまれながらも、
不屈の精神で生きぬいた経験を数多くもっている。
まことに逆境は尊い。
だが、これを尊ぶあまりに、これにとらわれ、
逆境でなければ人間が完成しないと思いこむことは、一種の偏見ではなかろうか。
逆境は尊い。
しかしまた順境も尊い。
要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。
謙虚の心を忘れぬことである。
素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境はうぬぼれを生む。
逆境、順境そのいずれをも問わぬ。
それはそのときのその人に与えられた一つの運命である。
ただその境涯に素直に生きるがよい。
素直さは人を強く正しく聡明にする。逆境に素直に生きぬいてきた人、
順境に素直に伸びてきた人、その道程は異なっても、同じ強さと正しさと聡明さをもつ。
お互いに、
とらわれることなく、甘えることなく、素直にその境涯に生きてゆきたいものである。
『道をひらく』
自問自答
自分の境涯に素直に生きる。
とらわれず、甘えず、謙虚に、素素直直に生きていく。


逆境こそが私の成長の源です。
反抗の心はパワーを持っています。
正しい方向へそのパワーを使うことができれば成長は著しいものとなるのでしょう。
私の場合は意欲のない少年時代を過ごし続けたため自業自得の評価を受けていました。
・・・当時は気にしていませんでしたが。
大学のクラブでその意欲欠乏から失敗を繰り返しなんども先輩から殴られる羽目に・・・。
まずは殴られないため、そして見返すためとパワーが上がり、
社会人になり、同期に負けたくない。
結婚し子供も授かり、そしてナポレオンヒル、日創研、3KMとの出会い。
ピンチを乗り切る最大の武器『継続』を学びました。
社長に就任してからの逆境の10年で大き化成長させてもらえたと振り返ります。
『ピンチのときこそが最大のチャンス』です。
 

2020/11/30 2020年11月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月30日
人間道
お互いを〃有縁(うえん)″の輪で結びあわせたいのです。そのためには、
お互いのあるがままの姿を認めつつ、
全体として調和、共栄していくことを考えていかなければならない。
それが、人間としての道、すなわち〃人間道″というものです。
お互いに〃人間道〃に立った生成発展の大道を、
衆知を集めて力強く歩みたいものだと考えております。
『道は明日に』
自問自答
一人も落伍しないで暮らせる世の中を考えつつ、
さらに生成発展の道を歩んでいく。
それが人間の道なのではないか一。


自身「人づきあいが良い」とは言えません。
が、できるだけ縁を大切にしています。
武蔵野の新卒最終面接に同席させていただいたとき、
学生の中には「友人は100人以上」という人が何人もいました。
私の中では深い付き合いをしている友人、
『親友』と言える人をカウントしていましたが、
袖すりあう縁を大切にする意識が低いのだと感じたのです。
袖すりあった人ともっと積極的に関わることを意識した当時40代後半の私でした。

2020/11/29 2020年11月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月29日
死生観

今までは、
ただ本能的に死を恐れ、忌み嫌い、これに耐えがたい恐怖心をもってまいりました。
またいろいろな教えも、死の恐怖を説いてきたのであります。
まことに人情として無理もないことと思います。
しかしながら、このように死を恐れ、死を避けたいと願う本能にかられるあまり、
そこからいろいろな迷信を生み出し、混乱を招くようになったのであります。
そこで繁栄、平和、幸福を実現するためには、
死に対するはっきりした考えをもたねばならないと思うのであります。
死を賛美することは異常な考えでありますが、そうではなくて、真理に立脚し、
自然の理法にもとづいて従容(しょうよう)として
死に赴く死生観をもたなければならないと思うのであります。
生成発展の原理はこれに対して答えを与えてくれます。
すなわち生成発展の原理に立てば、死は恐るべきことでも、悲しむべきことでも、
つらいことでも何でもないのであって、むしろこれが生成発展の一つの過程であり、
万物が成長する姿であるといえるのであります。
そして死ぬということは、この大きな天地の理法に従う姿であって、
そこに喜びと安心があってよいのであります。
『松下幸之助の哲学』
自問自答
死を恐れ、死を避けたい。
その本能を認めた上で、
死に対する自分なりのはっきりとした答えを見出していきたい。


成功哲学の中にもあります。
『死への恐怖の克服』だったかな?
・・・これは『今ここ』を一生所命生きることで克服できると思うのです。
一生懸命ではなく『一所懸命』です。
今、瞬間のこの場所です。
だらだら生きている人ほど死への恐怖が大きいのでしょう。
若いうちは特にそうですが還暦を前にする年齢になると、
頑張ってこの年齢までこれたので悔いが少なくなっています。
だらだら生きているとある年齢に達したときに悔い感じてしまうかもしれません。
悔いある人生は『まだ死ねない』『死にたくない』の死への恐怖が生まれるのかもしれませんね。
 

2020/11/28 2020年11月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月28日
生成発展

生成発展とはひと言で申しますと、日に新たということであります。
毎日毎日が新しい人生であり、一瞬一瞬が新しい〃生〃であるということであります。
毎日毎日が新しい生まれ変わりであり、
一瞬一瞬に新しい生命が躍動しているということであります。
これをいいかえますと、
古きものが滅び、新しきものが生まれるということであります。
すべてのものは一瞬のあいだも静止しておりません。
絶えず動き、絶えず変わりつつあります。
古きものがやがて滅びゆき、
これにかわって新しきものが次々に生まれてくるのであります。
この姿、これが生成発展の姿であります。
そして万物すべてがそれに従って動いている自然の理法であります。
すなわち、古きものが滅んで新しきものが生まれてくるのは、
すべて自然の理法に従って営まれている姿であり、
これは動かすことのできない宇宙の摂理ではないかと思うのであります。
このように考えますと、生あるものが死にいたるのも、
実は生成発展の姿であるということがわかってくるのであります。
死ぬということは滅びるということであります。
しかしそれはつぎに新しい生の芽生えを生み出しているのであります。
次々に死に次々に生まれていく―これは宇宙の摂理であり、
生成発展の姿だと思うのであります。
『松下幸之助の哲学』
自問自答
生も死もすべてが生成発展。
それが宇宙の摂理である。
その自然の理法に従って人生を歩んでいく。


すべてのもの・ことは『新陳代謝』するのですね。
・・・しかし欲の方まりである人間は一度手にすると手放したくないものです。
最近よく聞くゴミ屋敷もこうして出来上がったのです。
手に持てる者の寮は決まっています。
新たなものを手にするには何かを手放す。
これが『生成発展』です。
「足るを知る」という言葉がありますが、
これはまさにその境地なのかもしれません。
 

2020/11/27 2020年11月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月27日
王者としての自覚

経営者はその経営体における〃王者〃である。
そこにおけるいっさいの人、物、資金などを
意のままに動かす権限を与えられているのが経営者である。
しかし同時に彼は、それらの人、物、資金すべてに対し、愛情と公正さ、
また十分な配慮をもって、それぞれが雄も生かされるような用い方をし、
その経営体を限りなく発展させていく責務を負っているのである。
もし、経営者に
そうした経営体における王者としての権限と責務に対する自覚が欠けていたら、
その経営は決して十分な成果をあげることはできないのである。
人間は生成発展という自然の理法に従って、人間自身の、
また万物との共同生活を限りなく発展させていく権能と責務を与えられている
万物の王者である。
そのことの自覚、すなわち人間自身による人間観の確立を根底に、
個々の経営体における経営者としての自覚をもつ、そういうところから、
確固たる信念に裏打ちされた力強い経営が生まれてくるのである。
『実践経営哲学』
自問自答
自分なりの人間観をもち、
王者としての権限と責務を自覚する。
経営においても、王者として、必要なことをなしていく。


そこで大切なのが、
『理念』なのですね。
20代後半から「可能思考」や「松下幸之助」「藤沢武夫」「本田宗一郎」
そして「日創研」「武蔵野」と学び続けています。
田舞さんや木野親之先生との交流もあり松下幸之助翁の理念は、
私の考え方の基本にあります。
・・・が、
口先からは入り体裁を整えるために行動をつくり、
やっと『形からはいり心に至る』の入り口です。
一生をかけ心に至りたいと日々修行です。

2020/11/26 2020年11月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月26日
真の大衆知

一つの集団の中での衆知にはその集め方、
組み合わせ方によってさまざまなものがありますが、
この世界には大小いろいろな集団、グループがありますから、
全体として見れば、衆知の種類は千種も万種もあるということになります。
そして、そのいちばん高い段階が、さきに述べたように、
過去現在を通じてのすべての人間の知恵が融合調和されたものといえるでしょう。
これを叡智(えいち)ともいうべき真の大衆知と呼ぶことができると思います。
この真の大衆知を集めたときに人間は真に万物の王者となるわけです。
これに対して、現実の共同生活におけるさまざまな段階の衆知を集めた場合には、
これは小王者といってもいいでしょう。小王者の場合には、
古今東西の衆知を集めた真の王者に比べて、
その働きが小さくなるということは当然考えられます。
けれども、
やはりお互い人間はそのような衆知を集めることを心がけ努力しなくてはなりません。
それによって、人間は少しでも真の王者の道に近づくわけです。
そのような意味から、家庭は家庭、会社は会社、団体は団体、国家は国家、
あるいはそれぞれ相互に、さらにまた世界全体というように、さまざまな場において、
お互いに自己の利害得失や感情にとらわれることなく、素直な心をもって、
何が正しいかということを中心に意見をかわし、衆知を集めていくことを、
心がけるようにしなくてはなりません。
『人間を考える』
自問自答
衆知を集める。
どれほどできるようになっただろうか-。


『叡智』の領域に到達するのはとても困難なことです。
国において『叡智』の領域に近づくのは戦争時の兵器開発ではないでしょうか?
現在の人工衛星を使ったGPSなどももとはと言えば軍事兵器です。
何世代か前の兵器なので今は民間で使用できています。
戦争は負けると『死』。まさに生死の戦いだからこそ『叡智』の開発を進めるのです。
・・・ただし、
国同士では軍事機密があり戦争に突入したときにより有ルナ兵器に技術は国家機密です。
この国同士の叡智がさらに一つになればどのような『叡智』が開けるのでしょう。
小さい話をすると社内の『叡智』になりますが、
・・・一昔前と比べると情報の共有は飛躍的に進んでいますが、
・・・情報がどこかでつまずくことでのクレームはなくなりません。…残念。

2020/11/25 2020年11月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月25日
人間観

私自身の経営理念の根底にも、私なりの人間観というものがある。
それは一言にしていえば、
人間は万物の王者ともいうべき偉大にして崇高な存在であるということである。
生成発展という自然の理法に従って、人間みずからを生かし、また万物を活用しつつ、
共同生活を限りなく発展させていくことができる。
そういう天与の本質をもっているのが人間だと考えるのである。
人間については過去いろいろな見方がされてきている。
一方では〃万物の霊長〃として、強く偉大なものであるとする見方もあれば、
他方には卑小化させたような見方もある。
それは現実の人間の姿が、さまざまな様相を呈しているところから来るものであろう。
今日のような高度な文明、文化を築き上げてきたのも人間なら、
同時に悩み、争い、不幸などを絶えずみずから生み出してきたのもまた、
過去現在における人間の一面である。
だから、西欧においては、
人間は神と動物の中間に位するものであるということもいわれている。
神のごときという面もあれば、
動物にも劣るといった面もあわせもっているのが人間であるというわけである。
私は人間が現実にそういう姿を呈していることを否定するものではもちろんない。
比噛的にいえば、
神にも動物にも向かいうるという面を内にもっているのが人間であろう。
しかし、そうしたいろいろな面をもった人間というものを総合的に見るとき、
人間は万物の王者としての偉大な本質をもっていると考えるのである。
万物の王者というような表現は、あるいは不遜に響くかもしれない。
しかし、私が考える王者というものは、
一方においてすべてを支配、活用する権能を有すると同時に、
いつくしみと公正な心をもって
いっさいを生かしていく責務をもあわせ負うものである。
〃人間は王者である〃という意味はまさにそこにあるのであって、
決して、単なる自己の欲望や感情などによって
悪意的に万物を支配するということではない。
『実践経営哲学』
自問自答
自分なりの人間観は完成したか一。


『人間は地球上の王者』
木野先生からの幸之助翁の経営哲学のなかで度々出てきます。
文章にあるように、
王者は地球上で何をしてもかまわないと言っているのではありませんね。
人間は人間以外の動物の肉を食し植物を刈り取って食し、
地球の化石資源を使い高速道路つくり車を走らせ、
地下鉄を張り巡らし高層ビルを建て・・・
地球上の他の生き物にできない多くのことを行っています。
その王者は「自分たちだけがよいのであればそれでよい」・・・ではなく、
地球すべてのことを100年後、
1000年後の未来に正しく伝えていく使命も持ち合わせているんもです。
「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を目指すSDGsがその一つです。
幸之助翁はこの壮大なことだけを言っているのではなく、
人、人関係の中にも同じことが存在すると言われています。
『人間は万物の王者ともいうべき偉大にして崇高な存在である』
このことを自覚した表面的ではない心理学の絡んだ深い人間関係づくりのことですね。
 

2020/11/24 2020年11月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月24日
人間の本性

十七条憲法の第一条には
「和を以て貴しと為し、杵(さからう)うことなきを宗となせ。
人みな党(たむら)あり。・・・」とあります。
この〃人みな党あり″というのは、
人間が集まればそこにおのずといろいろなグループ、党派ができる、
それが人間の一つの本性であり、また現実の姿なのだということだと思います。
つまり、よしあしは別として、人間には党派をつくる本性がある、
そのことを事実として認めよう、あるがままに容認しようということです。
ですからこれはまさに人間道に相通ずるものだといえましょう。
(聖徳)太子はそのことを、憲法の第一条に喝破(かつば)されたのです。
今日、政治の分野などで〃派閥解消〃が叫ばれています。
確かに、いたずらに派閥をつくり、派閥の利害にとらわれて分派活動をし、
全体の調和を乱すことは、決して好ましいことではありません。
しかし、派閥をつくるのが人間の一つの本性だとすれば、
これはいかに努力しても解消できないのではないでしょうか。
それを無理に解消しようとすれば、かえって弊害を生む結果にもなりかねません。
ですから大事なことは、派閥というものにしても、
これを人間の本性にもとづくものとして容認した上で、
みずからの利害にとらわれることなく共同の繁栄のために適正に処遇しあい、
活用しあっていくことだと思います。
そしてその際に必要なのが〃和を以て貴しと為す″という精神だといえましょう。
そういうことが、千三百年も前に国の憲法の第一条にはっきりと明記されているのです。
※貴し=尊し
『人間を考える』
自問自答
人間の本性、それにもとづくものを容認せよ!
あるがままに容認せよ!
和を以て貴しと為すことを、実現せよ!


「人が二人以上集まるとルールーが必要になる」
と言われます。
兄弟や夫婦の中にもルールが出来上がってくるのです。
人は寸分たがわぬ同じ価値観の人なんて存在しません。
それを前提として組織をつくっていくのですね。
政治での派閥の鞍替えは言うに及ばず、
政党の鞍替えも起こります。
・・・何をもって完全実現なのでしょう・・・難しい。

2020/11/22 2020年11月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月23日
もう一度

何ごとによらず、志を立てて事を始めたかぎり、少々うまくいかないとか、
失敗したからといって、〃これはもう見込みがない。ダメだ〃と、
簡単にあきらめてしまってはいけないということです。
そのような心弱いことでは、ほんとうに物事をなし遂げていくことはできません。
世の中は常に変化し流動しているものです。
ひとたびは志を得なくても、それにめげることなく、〃もう一度やってみよう〃と、
気を取り直して、再び辛抱強く地道な努力を重ねていく。
そうすると、そのうちに周囲の情勢が有利に転換して、
新たな道がひらけてくるということもあるものです。
世の中でいう失敗の多くは、そういう辛抱ができず、
成功するまでにあきらめてしまうところに原因があるのではないでしょうか。
もちろん、そうはいっても、
何かにとらわれてただいたずらに一つのことに頑迷に固執する
ということであってはなりません。
一つのことにとらわれるあまり、理にはずれた方向への努力を続けていたのでは、
どれほど辛抱強く取り組んだとしても、やはり成果はあがらないでしょう。
ですから、成るものか成らいものかの見極めは必要です。
しかし、
よくよく考えて、それが理にかなっていると思えば、簡単にあきらめてしまわず、
〃もう一度〃とみずからを励まし、思いを新たに挑戦していく、
そのことがきわめて大切なのではない〃もう一度〃、〃もう一度〃、
この勇気とねばりが、事態を切りひらいていくのだと思うのです。
『人生談義』
自問自答
あきらめずにがんばってきたが、なぜか成果が出ない…。
頑迷なまでに固執してしまう自分、
理にはずれた方向への努力を続ける自分、
そんな自分に、原因があるのではないか…。


『失敗してもあきらめない』
これが20代前中半で私の人生を変えた一言です。
ただしこの一言には注意事項があります。
それは同じ失敗をただただ繰り返さないこと。
失敗をしつつ常にPDCAを回し続け、
同じ事柄にチャレンジしつつもアプローチは変え続けることです。
 

2020/11/22 2020年11月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月22日
外国へ行く資格

これからさらに本格化する国際化時代において、
お互い日本人なり日本の若者はどのように生きていけばよいのか、
最低これだけは心得ておきたいことというか、基本の条件とはどんなものであろうか。
その点について皆さんともどもにしばらく考えてみたい。
それはいろいろあろうが、私はまず何よりも、
国際化時代だからこそ日本を正しくみつめて、これを語ることが大切だと思う。
信念をもって日本の伝統を語り、日本の今日を語るということである。
それをかりにも、
「私どもの国日本はダメです。いいものは何一つありません。
私ども日本人もまことに頼りない国民です。信用したらいけません」
というようなことが、
不用意にも口をついて出るというような心境であってはならない。
そういうことでは、日本はやはり信頼される国にはならないだろうし、
ひいてはそういうことを言っている本人も信頼されないだろう。
私は、そういう人には、外国へ行ってほしくないと思う。
いや、外国へ行く資格がないとさえ思うのである。
外国へ行ったり、外国人と交際したりする前には、
そのようにまず自分の国というものをよく知らなければならない。
お互い日本人であれば、
日本の長所と短所というものをちゃんとかみわけて語れなければならない。
長所についても遠慮なく話し、短所のほうも聞かれたときにははっきりと答える。
そして結論としては、
「日本人は世界に奉仕しています。
私どもを友人にしてくださることはあなたのお得です。
決してあなたのご迷惑になったり、名誉を傷つけるようなことはいたしません」
というようなことを、信念をもって語れる人であってほしい。
『若い君たちに伝えたい』
自問自答
日本はよい国である。
長所と短所を知った上で、そう語れる人でありたい。


かつての日本・日本人は、
現在の中国・中国人のような扱いだったのかもしれません。
10年くらい前?パリに行く機会がありました。
ルイビトンの本店にもいきましたが、
日本人はさほど相手にされていませんでした。
一方中国人女性はあれもこれもと買いあさっていました。
ご主人らしき男性は店内で大声で携帯電話で会話。
お店の人は注意しないの?と思ったのですが、
奥さんの買い物量、金額を考えると店内での下品な大声会話も我慢に値したのでしょう。
・・・別のデパートの店員さんは、
「トイレ流さない。紙を山積みにする。・・・汚くて入れない」
などと私たちには聞かせてくれ、スタッフトイレを貸してくれましたが、
爆買い中国人には来てほしいらしく陰口だけでした。
これはさらに30年前の日本人の姿だったのではないかとも感じました。・・・。
・・・トイレの汚さは違うと思いますが。
帰りの飛行機で乗り合わせた若い中国人女性は、
「中国はバブルなので高級品を買ってローンを組んでも数年後には給料がどんどん上がり、
ローンの負担はほぼなくなるので無理なローンでも通れば買わなきゃ損」
と言っていたそうです。
 

2020/11/21 2020年11月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月21日
病気が少なくなる

素直な心になれば物事の実相もわかり、ものの道理もわかります。
だからたとえば自分の立場のみを中心にして物事を考えるとか、
自分の感情や利害にとらわれて事を判断するようなことがありません。
しかもその心が高まっていけば、
融通無碍(ゆうずうむげ)の働きをすることもできるわけです。
したがって、自分の感情が満たされないために悩むとか、
自分の利益が損なわれるから悩むとか、
物事がうまくいかないから悩むなどといった姿は、
あまり起こってこなくなるでしょう。
そして常に心は安らかに安定するだろうと思います。
だから、心の面、精神面から来る病気というものは、
お互いが素直な心を高めていくことによって、
しだいに少なくしていくことができるのではないかと思われます。
『素直ま心にをるために』
自問自答
素直さ - ストレス社会の処方箋をみずからの心に養い高めていきたい。


ストレスは『心の抵抗』が蓄積された結果ではないでしょうか?
私の場合社長になってからの10年が、
『目標』に対する『変化したくない現状』に私は『心の抵抗』が大きかったのです。
私の場合は目標に対して素直に歩むことをあえて選択したので苦しい10年でした。
変化成長をあきらめれば心はとても楽になるのですが、
それでは人口減少と共に会社を小さくし続けどこかで行き詰るしかありません。
人間は基本変化したくないのは当たり前。
一人ぼっちの抵抗は大きなストレスで10年の間には心療内科にも通いました。
一旦進み始めると力は小さくても前に進みますが、
動き始める最初の一歩はとても大きな力が必要ですね。
変化成長する組織が進むにつれストレスも小さくなってきました。

2020/11/20 2020年11月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月20日
衆知のカクテル

私は、国家でも、団体でも、会社でも、
賢人一人の知恵にもとづくワンマン的な経営は、これはいかんと思うのです。
偉人一人の知恵だけでもいけません。
もちろん偉人、賢人といわれる人は、
まことに尊敬すべき偉大な才能を有しておられますが、それでもなお、
その偉人一人の知恵才覚だけでワンマン的に経営されるのは、
絶対にいけないと思うのであります。
一人の賢人、一人の偉人のみによって専制的に経営される国家というものは、
ヒットラーやムッソリーニの国家のようになります。
一時は発展しても、やがて崩壊するでありましょう。
だから私は、いかんと思うのであります。
しからばどの経営がいいか、最高の経営は何かというと、
それは、衆知による経営ということであります。
全衆知にもとづく経営ということであります。
人間は神でもなければ動物でもない。
人間は人間でありますが、しかし衆知にもとづいた知恵才覚というものは、
これは神のごとき働きをするのであります。
今、全世界中の人の衆知がもしうまくカクテルされて、
それが一つの知恵となってわれわれ人間に下ってきたならば、
それは神の知恵といってもよいと思うのであります。
ですから、中心に立つ人が、自己の知恵のみによらず、
衆知のカクテルにしてこれを活用するならば、
これはまことに偉大な働きをすると思うのであります。
『松下幸之助発言集第23巻」(昭和35年の発言より)
自問自答
より多くの衆知が集まり、それらがうまくカクテルされるのなら、
その知恵は、確かに神の知恵のごとき働きをするだろう。
自分の‘‘衆知”はどこまで近づけるだろうか。


カリスマ経営者がなくなった後、
倒産に追い込まれた会社を何社も目にしてきました。
日本の企業は一代限りで消えていく例が圧倒的に多いのですね。
広ガスたかたもワンマン経営から周知の経営へと進めているところです。
これまでの10年で進歩した周知の形、
チーム勉強会や部門勉強会などで人材も育ち成果も見えてきました。
今期からの部門長勉強会でそれはさらに前進していくとは明白でしょう。
 

2020/11/19 2020年11月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月19日
知識にとらわれる人

自動車王といわれたヘンリー・フォードの言葉に
「いい技術者ほど、できないという理論を知っている」というのがあります。
それはどういうことかといいますと、フォードは企業経営において、
コンベア・システムをはじめつぎからつぎへと新しいアイデアを生み出した人ですが、
それを彼の工場で生かすため、技術者のところへ相談に行くと、
「それは社長、無理ですよ、できません。理論上から考えても無理です」
と言うことが多い。
特にすぐれた技術の持ち主ほど、そうした傾向が強く、
困ったものだと述懐しているのです。
私は、このフォードの言葉について、
これはこれで一つの真理をついていると思います。
というのは、わが国でもよく〃インテリの弱さ〃という言葉を聞きますし、
私たちも実際に口にします。
しかし、考えてみますと、インテリの弱さというのはおかしな言葉です。
十分に学業を修め、知識をもっている人が弱いはずはありません。
また実際、世の中には、
ある一定以上の知識がなければできないことのほうが多いと思うのです。
にもかかわらず、なぜインテリが弱いといわれるのでしょうか。
私は、それは結局、
その人が、もっている知識にとらわれる場合にそうなるのだと思います。
『社員心得帖』
自問自答
まだまだ知識にとらわれている自分がいないか。
まず「できない」と言ってしまう自分がいないか。


会社の中でも「無理です」という言葉は耳にします。
それはすでに固定概念なのです。
これまでのやり方ではできないかもしれませんが、
全く新しいやり方から入れば多くは何とかなりそうです。
「1ℓのガソリンでで100km走る車は『無理です』」
何て現代の人は言いません。
現に100km/ℓ以上のPHV(プラグインハイブリッド)の車はあるのですから。
ガソリンエンジン=自動車と考えていた昔の技術者は
電気自動車と組み合わせることで実現できることを知らなかったのですね。

2020/11/18 2020年11月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月18日
ほんとうのところはわからない

たとえば、ある社員の人がいて、
この人に何かの仕事をしてもらおうということが始終起こってくる。
そのときに、その人が適任であるのか不適任であるのかということは、
きわめて重要な問題である。
そこに経営者として的確な判断が求められるわけだが、
それは実際にはよくわからないことが多い。
もちろん話をしてみたり、顔つきを見てみたり、
あるいは才能試験のようなことをしてみれば、ある程度のことはわかるだろうが、
ほんとうのところはなかなかわからない。
『人を活かす経営』
自問自答
人の適任・不適任は、ある程度はわかる。
でもほんとうのところはわからないものだ、
という考えをもって、人と仕事をしていきたい。


多くの企業は人事担当者の経験で、
ある程度のことを理解しながら人事を進めいます。
そしてPDCAを回しながらの適材適所に落ち着くのでしょう。
武蔵野の人事最高責任者である小山さんは、
エナジャイザー、EGなどのデータ使い『ある程度』ではなく、
『かなりの精度』人を見ています。
・・・武蔵野には『かなりの精度』にするための条件もそろっています。
企業の環境はその大きな条件の一つです。
・・・広ガスたかたはまだまだ環境が整いませんが着実に前進を続けます。

2020/11/17 2020年11月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月17日
長所に七分、短所に三分

人間というものには、だれにも、長所と短所がある。
そういうさまざまな長所と短所をもつ人を使って仕事をしていく場合、
つとめてそれぞれの人の長所を見ていくことが大事だと思う。
長所を見れば、「彼はなかなか立派な男だ」ということになって、
かなり大胆にその人を使うことができる。
またその人も、自分の長所を認めてもらえればうれしいから、
張り切って仕事をする。
いきおい、仕事の成果もあがり、その人も育つ。
ところが、短所に目がいくと、
「この男はこの点がダメ、あの男はここがもうひとつ…」
ということになるから、なかなか思い切った起用ができない。
またそう見られたほうも、なんとなく面白くないし、萎縮してしまって、
十分な成長ができなくなる。
だから、
長所ばかり見て短所をまったく見ないということではいけないだろうけれども、
主として長所を見て、その長所を伸ばしていくように心がける。
長所に七分、短所に三分といった目の向け方をしていくことが大事だと思う。
『松下幸之助経営語録』
自問自答
人を見る目のバランス感覚は十分か。
長所に七分、短所に三分、
目を向けることは十分にできているか。


芳村思風先生の感性論哲学では『角熟人生』という表現をされています。
年齢と共に角が取れていくことを『円熟』と言いますが、
長所をどんどん伸ばし長所のボリュームが大きくなると、
短所は角ばっていても『個性』として受け止めてもらえる。
短所をなくす努力よりも長所を伸ばし、角はある程度そのままの『角熟人生』。
いびつですがとても大きい角張った円?の『角熟人生』。
円熟人生をを目指そうとして長所を伸ばせなかったら、
『小さな円の円熟人生』だと言われています。
短所をなくす努力の前に長所を伸ばす努力の進めです。

2020/11/16 2020年11月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月16日
違いを尊重しあう

たとえば、五十、六十になって、なおかつ社長という責任ある地位にあり、
その仕事を遂行して立派に成果をあげておられる方でも、
これはその人一人だけの力で、そういう姿を生み出しているのではない。
やはり、その人の部下というか、三十歳、四十歳の、周囲の人たちの協力があり、
その上にみずからの経験を働かせているからこそできているのだ、
ということをよく知らなければなりません。
また、三十、四十の人たちも、自分たちのもてる力がより生かされるのは、
先輩たちの豊かな経験に導かれているからだということをよく知る。
加えて、やがては自分たちも年をとり、
将来は自分たちもこの先輩たちと同様の立場に立つのだということを考えて、
その経験を学んでいこうという姿勢をもつことが大切だと思います。
このように、豊かな経験、旺盛な知力、体力というように、
それぞれが発揮する持ち味は年齢によって違いますが、老いも若きも、
その年齢による違いを尊重しあい、それぞれを生かしあっていく。
そういうところから、
より力強い社会の働きというものも生み出されてくるのではないかと思うのです。
『人生心得帖』
自問自答
老若男女、国内外を問わない。
ダイバーシティ(多様性)を受容する、
それはすなわちち、、それぞれを生かしあうということ。


私たちはEGセミナーを受けたことで、
人はそれぞれ『赤、青、緑、黄』の特性を持つことを知りました。
それを知って、人それぞれのキャラクターの理解が進みました。
同じ体験をしてもそれぞれの特性により受け取り方も発信の仕方も異なるのですね。
それに加え、
年齢による物事の見方考え方の違い、『世代間ギャップ』があるのは当然と言えるでしょう。
正しく理解しいかに調和していくかはとても大切なことです。

2020/11/14 2020年11月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月15日
嫉妬心

今日私たちの生活においては、
精神文化は物質文化よりも一段と低いように思われます。
すなわち宇宙の心的法則の解明が、
物的法則の解明よりもはるかに劣っているのであります。
そこに今日の不幸の大きな原因があると思うのであります。
なぜこのように心的法則の解明が遅れているのかと申しますと、
実は物的法則に比べてこの心的法則のほうは非常につかみにくいのであります。
非常にぼやけたところがあるのであります。
たとえば心的法則の一つに嫉妬心というのがあります。これは一つの法則であります。
人間にはこういう嫉妬心があるということを、お釈迦様も言っておられるのですが、
しかしこれはお釈迦様がつくったのではありません。
宇宙根源の力によって人間に与えられた一つの法則であります。
お釈迦様はそれに気がつかれたのであって、
それはちょうど、ニュートンが万有引力を発見したのと同じであります。
そこでこの法則をどう取り扱うか、ということが問題になるのであります。
この嫉妬心は宇宙の法則として与えられているかぎり、
これを取り除くことはできません。
あたかも、万有引力をなくすることができないのと同じであります。
ところがこれが宇宙の法則であることに気づかないと、
かえって人間を不幸に陥れるのであります。
しかし、なくすることはできないといって、また濫用すると非常に醜い姿になります。
むちやくちやに嫉妬心を表してしまうと、
これは法則を生かさないのと同じであります。
そこで、嫉妬心は狐色にほどよく妬かなければならないのであります。
すなわち、狐色に妬くと、かえって人間の情は高まり、
人間生活は非常に和らいでくると思うのであります。
このように、心的法則の解明は非常にむずかしいのであります。
『PHPのことば』
自問自答
ほどよく嫉妬しているか。
狐色にほどよく妬いているか。
“ほどよく”である。


『ほど良く』という表現が難しいですね。
人間ですから嫉妬心は勝手に湧き上がります。
湧き上がらない人はノー天気と言っていいかもしれません。
・・・が強すぎると必ずと言えるほどトラブルを招きます。
やはり『ほど良く』が理想です。
押さえめの方がうまくいくのでしょう。
・・・それがストレスにならないよう人間の器を大きくする必要がありますね。
素直、謙虚・・・修行・・・ですね。
 

2020/11/14 2020年11月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月14日


夫婦というものを、これだけ長く続けてきますと、ときに、
「夫婦にとって大事なことは何でしょうか」と尋ねられることもあるのです。
ぼくは、それに答えるにふさわしい人間かどうかわかりませんが、
しかしぼくなりに、これだけは大事だと思うようなことがあるのですね。
それは、奥さんというのは、しかるべくご主人をほめるというか、
その長所をよく認め、素直にそれを伝えていく、
またご主人のほうもある程度奥さんをほめていくということです。
ほめるということはいたわりであり、
お互い人間同士をしっかり結びつける一つの大切な絆ではないかと思うのですね。
ぼくは、これまでにたくさんのご夫婦を見てきましたが、
あまりうまくいっていないご夫婦はどうもあまりほめあっていないように思える。
その反対に、うまくいっているご夫婦は、たくまず自然のうちに、
お互いがほめあっている、そういうことがいえると思うのです。
男というものは、いや人間というものは他人からほめられるのもうれしいものですが、
自分の奥さんなり、ご主人からそういうことを言われると、
ひとしおうれしいものですね。
『人生談義』
自問自答
ほめ上手になっているか。
絆はしっかりと結ばれているか。


「ほめ上手になっているか」
・・・若いころよりはずーとほめている…と思っています。
・・・・・・捨てられてはいけないので。
「絆はしっかりと結ばれているか」
・・・と思っているのは私だけか?
・・・・・・誰か典子さんにこっそり聞いてみてください。
 

2020/11/13 2020年11月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月13日
いたわる

私は笑いながら、つぎのような話をしたのです。
「たとえば、君が、課長と一緒に夜遅くまで残業をしたとする。
そうすると、君は若いから元気でも、相当年輩の課長には、
疲れが感じられることもあるだろう。
そんなときに『課長、ひとつ肩でももみましょうか』ということが言えるかどうか。
会社は仕事の場なのだから、
そんなこと言う必要もないといえば確かにそのとおりである。
しかし、もし君がそういうことをひと言、ふっと言ってあげたら、
それは、どれだけ課長の慰めとなることか。
『じゃあ、もんでくれ』と言う場合はめったにない。
たいていは『いや、結構だ。ありがとう』と言うにちがいない。
しかしそのひと言で、
課長の心には、アンマをしてもらった以上の喜びが生まれる。
そして課長の口からは、
『遅くまで引き止めてすまんな。デートがあったんとちがうか』
といったなごやかな言葉が出るだろう。
ぼくはそういう心のかよいあいの中に、仕事がはかどり、
ものを生み出す原動力があると思う。
だから、君にも、そういう思いやりが、上司に対してはもちろん、
周囲の人たちに対して自然にできる人になってもらいたいし、
そうなってこそ、君の仕事の成果も大いに高まるのではないか」
実際、このようなことは、おべっかでもゴマスリでもありません。
目上の人を尊敬し、疲れた人をいたわるのは、
人情の自然で、この思いやりの交流は、人間として当然のことだと思うのです。
『社員心得帖』
自問自答
人情に自然に生きるほうがいい。
いたわりや思いやりの交流が素直にできるほうがいい。
人間として当然のことを、ごく当然にふるまえる自分のほうがいい。


言葉にするとたった一言なのですが・・・、
この一言は口先からはなかなか出てこないのです。
気持ちもない、経験もないのに頭の中に言葉は浮かんでこないのです。
だから年を重ねて経験をたくさん積むことは大切なのですね。
心を豊かにするには?・・・形から入るのですね。
知ったら、学んだら形から実践。
やがて心が話しかけるようになるのでしょう。
まずは妻へ、夫へそして両親へ感謝の一言。

 

2020/11/12 2020年11月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月12日
もの老頼む

人間は、たとえば人から何か頼まれるというような場合、
いわば〃利害によって動く″という面と、
〃利害だけでは動かない〃という二つの面をもっていると思います。
話をもちかけた人の態度にどこか横柄なところがあったり、
高飛車なところが感じられたりすると、
それが自分にとってどんなに得になる話であっても、断わってしまうことがあります。
反対に、たとえ自分にとって負担がかかり、損になることでも、
頼む人の態度が非常に丁寧で誠意あふれるものであったなら、
ついついその誠意にほだされて、引き受けてしまうこともある。
お互い人間には、そうした理屈では割り切れないような
微妙な心の働きがあるのではないかと思うのです。
ですから、人にものを一つ頼むにしても、
そうした二つの心の働きのアャというものをよくわきまえて行動することが大切で、
そのような人情の機微にふれた行き方をお互いに実践することによ
って、よりスムーズな人間関係も築かれていくのではないかと思うのです。
『人生心得帖』
自問自答
人間を知りぬくこと。
ものを-つ頼むにも、
人間を知りぬいて行えばよりよい関係が構築できる。


安芸高田の市議会議員選挙真っただ中です。
利害関係で投票する人、人間関係で投票する人がいるでしょう。
安芸高田市長選挙では河井夫妻の買収事件でこんらんしたこともあり、
利害関係を優先した結果が30代に新市長当選につながったのでしょう。
市議会議員候補にとっては人間関係の地域(ご近所)票が重要と考えている人が多いのかな?
多くの若い人たちが投票に行くと利害関係優先の結果も出る?
・・・あくまでも個人的な感想です。

2020/11/11 2020年11月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月11日
認める

何かでこんな話を読んだことがある。
楠木正成の家臣に、泣き男といって、非常に泣くことの上手な者がいた。
彼が泣くとまわりの者までがつい涙を誘われてしまうので、
他の家臣は彼を家中にいくさうちじにおくことをいやがった。
しかしある戦の折、正成は自分が討死したように見せかけ、その男に僧の姿をさせて、
いかにも悲嘆にくれて菩提(ぽだい)を弔っているようなふりをさせた。
その泣き方がまったく真に迫っていたので、敵方もすっかりそれを信用し、
正成は戦死したものと安心してしまった。そこを見すまして正成は不意討ちをかけ、
大勝利を得たというのである。
泣き男などという、およそ武士にはふさわしくない家臣でも、
それはそれとして認めて、その上でその持ち味を生かした作戦を考え、
戦果をあげたわけである。
そういうところにも正成の名将たるゆえんがあったのではないかと思うし、
またそれはすべての人をあるがままに認めて適切な処遇によって生かしていくという
人間道の考え方に通じるものだといえよう。
現実の経営には、年功とかその他いろいろな問題もあって、
100%適材適所を行うということはむずかしいものがあるけれども、
このようにまずそれぞれの人の持ち味を認めて、
なるべくすべての人を生かしていくことが大切だと思う。
『人事万華鏡』
自問自答
持ち味を生かしているか。
すべての人の持ち味を生かしているか。


『適材適所』はとても大切なことですね。
プロ野球選手の中からプロサッカーのJリーグへ移籍するという話は聞きません。
相撲→プロレスは天龍や長州力ではなかったかと思います。
まさに『適材適所』だったのでしょう。
いつも言うことですが、
ただし前提があり、
意欲、実行力などあればこそ。
ひとまず挑戦意欲がなければ適材適所であるかを判断することも難しい。
まずは『一所懸命』ですね。…『一所』です。

2020/11/10 2020年11月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月10日
燃えている

生来、あまり丈夫なほうではなかった私は、
独立して電気器具の製造を始めてからも病気がちで、
寝たり起きたりの半病人のような姿で戦争のころまで仕事にあたってきました。
ですから、自分で先頭に立ってあれこれやりたいと思っても、
なかなか思うようになりません。
そこで、いきおい、然るべき部下の人に任せてやってもらうことが多かったのです。
また任せるについても自分がそのような状態でしたから、
中途半端に任せるのではなく、
「大事なことだけぼくに相談してくれ。あとは君がいいと思うようにやってくれ」
というように思い切って任せざるをえなかったのです。
しかし、任されたほうは、
「大将が病気で寝ているのだから、任された自分がしっかりやらなければならない」
と大いに発奮し、十二分の力を発揮してくれました。
しかも、そのように燃えている人たちが、みずからの力を存分に発揮しつつ、
一つの目標に向かって他の人と協力していくことによって、
一プラス一の力が三にも四にもなるという姿が生まれ、
組織としても大きなことができたということが、たびたびありました。
そのようなことを経験していくうちに、人間とは偉大なもので、
その能力や可能性というものには限りがないのではないか、
と思うようになったのです。
『人生心得帖』
自問自答
1+1の力を、人間は3にも4にもできるのだ。
自分は燃えているか。
自分のまわりの人たちも燃えているか。


『思い切って任せざるをえなかった』
と言われていますが、
もちろん任せるのは誰でも良かったわけではありません。
任せる方も請け負う方もそれぞれの責任があり、
それを自覚し実行できる前提は必要です。
意欲のない人、責任感のない人、実行力のない人に任せると大けがをします。
・・・学生時代大失敗をしてしまった経験があります。
・・・・・・とてもここには書けません。
 

2020/11/08 2020年11月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月9日
じゃましない

人間というものは働きたいものですよ。
遊んどけと言われたら、そのときはいいけど、時間がたっと困ってくる。
働くようにできているんやから、働くことをじゃましないこと、
それがいちばん人の使い方がうまいんですな。
働こうと思うとるのに、
それをいやにするようなことは、いちばん注意しないといかん。
働かせ方が下手やと、
どうも面白うない、きょう一日休んだろかと、こうなってしまう。
だからみな思うように働かして、
面白う働いてくれ、というふうにもっていかないといかんですね。
それが人の使い方が、上手ということになるんやないでしょうか。
ぼくも、部長なら部長が一所懸命働いている、
それを、なるべくじゃましないように心がけてきたですよ。
それなら何も言わへんのかというと、やっぱり社長は社長として、
言わんならんことはちゃんと言いましたけどね。
しかし、言うたかて、じゃまするような言い方はせえへんわけですな。
まあなんとなしに、〃あの人に使われていると働きやすい〃とか、
〃よく理解してくれる〃とか、よく言いますな。
それは結局、じゃましないということです。
『松下幸之助発言集第18巻』(昭和48年の発言より)
自問自答
人間は働くようにできているのだ。
だからじゃまをしない。
じゃまをしないことが、成功につながっていく。


幸之助翁独特の考え方ですね。
「『人間は本来働くようにできている』
『事業は本来成功するように出来ている』
にもかかわらず、
うまくいかないのはうまくいかない努力をしているから」
幸之助翁最後の愛弟子木野親之先生から直接聞きました。

2020/11/08 2020年11月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月8日
さらけ出す

私の場合、
はたから見たら「あの男はあまり優秀ではない」と言われるような人であっても、
‶なかなかいいところがあるではないか、偉い男だな″
と感心することが、何度もありました。
「あの男は、文句ばかり言っていて困るんだ」と言われていた人が、
縁あって私の会社へ入るとけっこうがんばる。
よそでは欠点だとされていたことが、うちでは長所になる。
それは、短所は気にせず、
長所だけ、特色だけ見て使うということがあったからだと思います。
これはそうむずかしいことではないと思います。
しかし、そのことによって、
人が育つか育たないかということが決まる一面があるわけです。
また私の場合、かりに性格的には合わないということがあったとしても、
それを仕事にはもちこまないよう心がけてきました。
たとえ合わない人でも、
あの男は仕事がよくできるからというようなことで大いに用いていく。
こと仕事についてはきわめて公明正大だったと思います。そういうところにも、
部下の信頼を得る一つのポイントがあったのではないかと思うのです。
しかし、いずれにしても、私は、いつの場合でもきわめて真剣でした。
失敗すれば血が出るわけで、毎日毎日必死で仕事をしていましたから、
ほめるのも叱るのもとにかく真剣で、
自分というものをそのままさらけ出していました。
自分というものを化粧せずに、
部下とじかに接してきたということがいえると思います。
そうすることで私という人間がどういうものであるかということを、
部下の人がつかみやすかったでしょうし、そういう過程を通じて、多くの人が
私を助けてやろうという気にもなってくれたのではないかという気がしています。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
自分をさらけ出しているか。
さらけ出していたか。
さらけ出すことが、結局は人間関係を深めていくのだ。


そもそも私は『努力しない人』でした。
・・・今は違います。
『努力』も「形から入って心に至る」の実践でした。
現在に至るまで多くを学び人間そのものも変わってきたように思います。
「継続は力なり」を実践するうち努力が楽しくもなってきたのです。
・・・本質を隠し形から。
さらけ出すことができる前提づくりにずいぶん時間がかかってしまったのです。
・・・が、基本的には隠すことには違和感があり、
会社も自宅もドアは開けっ放しの実践。
会社の国道沿いの垣根も
10年くらい前に半分以下の高さにし国道から見えやすくしました。
もちろん自宅の垣根も大きくならないよう年に何度も選定しています。
・・・枯れたものも多いですが。
 

2020/11/08 2020年11月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月7日
くり返して言う

どんなにいいことを言っても、口に出した言葉はすぐに消えてしまう。
聞いたほうもすぐに忘れてしまう。
よほど印象深く聞いた言葉なら、そうすぐには忘れもしないだろうが、
普通は二、三日もすればほとんど忘れてしまうことが多いのではなかろうか。
ところが、
いいことを言ったほうの人は、相手は覚えているのが当然だと考えがちである。
したがって、覚えていないことがわかった場合、
けしからん、ということにもなりかねない。
けしからんといえば、確かにけしからんことではあるけれども、
しかし、人間の記憶力などは一面頼りないものである。
しっかり覚えていなければならないとは考えても、すぐに忘れてしまいかねない。
そこで、どうすればよいか、ということである。
一つは、くり返し話すことである。
大切なこと、相手に覚えてもらいたいことは、何度も何度もくり返して言う。
二度でも三度でも、五へんでも十ぺんでも言う。
そうすれば、いやでも頭に入る。覚えることになる。
それとあわせて、文字をつづって文章にしておくということも大切だと思う。
文章にしておけば、それを読みなさいと言えば事が足りる。
読んでもらえばくり返し訴えるのと同じことになる。
『人を活かす経営』
自問自答
大切なことは何度でもくり返し言う、文章にして読んでもらう。
何度も何度もあきらめずくり返していく。


伝えたことは案外覚えている。
そもそも自分の中に合ったものしか伝えられないから。
聞いた方は一回で記憶に残るか?
相当聞く気になっていても・・・
・・・こんなことで記憶に残るのであれば学生時代の試験は100点ばかりです。
伝える方と聞く方『あきらめの悪い方が勝利します』
「100回言い続ければ伝わる・・・かも」
諦めが悪いことは成功の法則。

2020/11/07 2020年11月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月6日
教える

人間は偉いものである。たいしたものである。
動物ではとてもできないことを考え出して、思想も生み出せば物もつくり出す。
まさに万物の王者である。
しかしその偉い人間も、生まれ落ちたままにほうっておいて、
人間としての何の導きも与えなかったならば、
やっぱり野獣に等しい暮らししかできないかもしれない。
古来どんなにすぐれた賢者でも、
その幼いころには、やはり父母や先輩の教えを受け、導きを受けてきた。
その上に立っての賢者であって、これらの教え導きがなかったら、
せっかくの賢者の素質も泥に埋もれたままであったろう。
教えずしては、何ものも生まれてはこないのである。
教えるということは、後輩に対する先輩の、人間としての大事な務めなのである。
その大事な務めを、お互いに毅然とした態度で、
人間としての深い愛情と熱意をもって果たしているかどうか。
教えることに、もっと熱意をもちたい。
そして、教えられることに、もっと謙虚でありたい。
教えずしては、何ものも生まれてはこないのである。
『道をひらく』
自問自答
教え導くということのすばらしさを、
もっとかみしめていかなければ--。


『教えることは学ぶこと』
結果は自分が一番成長するのですね。
新たな知識や情報を発信するため、
読書、セミナー、講演、新聞、雑誌手あたり次第に手を出します。
公共交通機関での移動中の読書時間がほぼ無くなり本の数はゆっくり目。
この一か月では4冊目と今年の最高ペース。

2020/11/05 2020年11月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月5日
正しい礼儀

特に、今日は潤いが乏しくなってきましたからな。
サービス精神という潤滑油が、もっと求められてもいい時代じゃないですか。
商売している人はもちろん、すべての人が、サービス精神に欠けてはいけませんよ。
友人に対しても、自分の会社、商店、社会に対してもすべてサービスですよ。
国と国のあいだでも、サービスを怠る国は落伍します。
落伍しないまでも、人気を落としましょうな。
廊下で会っても、ちょっと笑顔で会釈して通るのがサービス。
だからサービスというのは正しい礼儀でんな。
商売のコツはいろいろありますけど、
一つは、費用はあんまりかけずに多くのサービスができるということですわ。
そうしますと、物も安く供給できますしね。
そやから、
笑ってサービスするのが、いちばん金もかからず、他人に喜びも与えられる。
こんなのがいちばんよろしいな。(笑)
そういうことがコツやないでしょうか。
『松下幸之助発言集第肥18巻』(昭和48年の発言より)
自問自答
最小限の必要経費で、最大限の“喜び”を顧客に与えるサービス。
それを絶えず維持し続けることが、やはり商売繁盛のコツなのだ。


そのために潤滑種としての『人間性磨き』を習慣にして行くということ。
この『人間性磨き』が松下幸之助翁の言われる、
『素直』な自分を形成していくということですね。
『トイレ磨き』は『自分磨き』です。
『素直』人間を目指し成長を続けたいものです。・・・修行。
 

2020/11/03 2020年11月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月4日
雅量(がりょう)

神さんやないから、一人の意志で決めたことには欠点が多いんです。
それを「こういうふうにやりたいと思うので、これをやらないといかんと思うんだが、
しかし、諸君の考えはどうか」と聞く。
それにはいい提案もあれば悪い提案もある。
悪い提案は除かないといかん。
しかしいい提案であっても、これを用いるだけの雅倣というか、
そういう心がまえの薄い人は、
みずからは非常に意志の力をもって偉い人でありながら、
結論としては成功しない、発展しない。
反対に、意志の力は強いが、むちやくちやに頭がよくてみごとにやるわけでない、
絶えず人と相談して、よその力を借りているという人は、案外大きな仕事をし、
社内であっても非常に成果をあげていくということがある。
それは一人ではやらない。遂行するという意志の力はむろんもっているけれど、
それがためになおいっそう多くの人に協力してもらう。
なんとかしてこれをやりたい、やらなければならんと思うだけに、
なお多くの人から力を貸してもらうという態度をとる人と、
これがいちばんいいんだ、おれの賢い頭で考えたんだ、これをやれ、
という人と二色あるわけですな。
それが非常に極端であるか、極端でないかということで、
そのあいだには、幾色もありますがね。
双方の両極端を考えると、これはやらねばならんからということで、
なお多くの人の力を借りて円満にやろうという人のほうが、
成功は大きいというわけです。
その人は、みずからの知恵才覚が乏しくても、むしろ大きな成功をする。
一方はみずからの知恵才覚が非常に大きくても、
結局孤立してしまってあまり成功しないということを、
社外にも社内にも私は多く見ています。
こういう点も特に私は皆さんにお考え願って、やはり協力してやるというか、
多くの人の知恵を自分の遂行せんとする仕事に生かすためには、
どう考えるべきかということを考えねばならない。
それが非常に大事な問題だと思うんですね。
『松下幸之助発言集第25巻』(昭和34年の発言より)
自問自答
みずからの雅量が
成功の大きさを決めるのだ。


良い案であっても実行力が乏しくいつまでも足踏みでは、
成功までの距離は減っていかないということですね。
まずは止まらないこと。
ウサギとカメのカメのように歩みを止めず前進し続けることが成功への道です。
 

2020/11/03 2020年11月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月3日
第二の天性

私が考えるのに、今日実社会を見ると、やはり、勤勉努力がなされている。
商売人といわず、商店といわず、会社といわず、
勤勉努力するところがやはり伸びている。
言葉の上では、勤勉努力というようなことは、あまりいわないけれども、
実際の社会は勤勉努力によって動いているし、
そういうことによって、みな伸びている。
そうなると、やはり今の若い人たちにも、
勤勉努力を説かなければならぬという感じが起こってくる。
さらに考えると、私はやはり、習慣、習性というものが、
人間が生きていく上に非常に大切だと思う。
習性は第二の天性といわれる。
それほど強い力をもっている。
だからよい習性を身につけることが非常に大事だと思う。
よい習性を身につけずして、怠け者というか、
よくない習性が身についてしまったら、
途中からこれを直そうとしても、なかなかむずかしい。
そうしてみると、
青年のうちに勤勉努力、葱間努力というよい習性のつく環境に身をおくことが、
何といっても大切だと思う。
『仕事の夢 暮らしの夢』
自問自答
今でも勤勉努力の大切さは変わらない。
いや今だからこそ勤勉努力の習慣、習性を身につけなければならないのだ。


今の時代だと『勤勉努力』は前提なのかもしれません。
物のなかった時代、
・・・と言っても戦後の物のなかった時代を知る人は多くありません。
私の子供のころはその時代よりずいぶんましです。
とは言え服、ズボンは親戚からもらったおさがりに肘あて、膝あて。
靴下もかかとに継ぎ・・・我が家だけかな?
この物のない時代は少々お店の対応が悪くても、汚くても売れました。
今はそのようなお店は生き残ることすらできません。
イエローハットの創業者、鍵山秀三郎氏が唱える『凡事徹底』。
“誰でもできる当たり前のことを誰も真似できないくらい徹底的に行う”
『トイレの汚いお店は繁盛しない』は当たり前になっていますね。

2020/11/02 2020年11月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月2日
感激

これは昔の話ですから、昔の話として聞いていただきたいのですが、
私が初めて奉公したときに、半月して五銭の白銅を一つもらいました。
その当時、今から六十年前ですから、五銭の白銅は
どれだけの貨幣価値があったかということはおわかりになりにくいでしょうが、
これは相当価値があったのだと思います。
けれども、そうはいっても五銭です。
その時分には私は大阪の八幡筋に奉公していたのですが、
その八幡筋に菓子屋がありました。
そこのお菓子屋さんのお菓子は小さいまんじゅうですが、それは一銭、二銭でした。
ですから、
五銭という金は、そのまんじゅうを二つか三つぐらいしか買えない金額です。
しかし私は、その五銭というものに目を見張ったのです。
なぜ目を見張ったかというと、私は母親のもとで小学校へ行っておりましたが、
五銭の金は見たことがなかったのです。
学校から帰ってきて母にねだって、そして、お駄賃としてもらうのが一文です。
穴のあいた一文銭です。
それを駄菓子屋に持っていくと、小さいアメ玉を二つくれるのです。
それが唯一の私の喜びでした。
ですから、そういう境涯から急転直下、
奉公して半月後に五銭の白銅をこづかいとしてもらったときに、
私は目を見張ったのです。
見たことがない五銭という白銅、それがもらえた、
なんとありがたいことではないかというわけです。
母のもとを出て、約半月たった冬ですから、
それまでは晩になると、涙が出てくるのです。母恋しさの涙が出ます。
これはもう理屈ではありません。
晩になると、なんとなく寂しくなってくる。
そして、涙が頬をつたうという状態でした。
しかし、その五銭をもらった日からは、ちょっと変わったのです。
えらいものです、人間というのは。
これはいいなというようなものです、子ども心に。
それで、まあーつは慣れた点もありましょうが、
その五銭玉に感激してつらさも忘れてしまって、奉公に精を出したということです。
『社員稼業』
自問自答
心次第で、人間はどうにでもなれる。
前向きに生きていけるのだ。


小山さんは『お金で釣る』とよく言われます。
「形から入って心に至る」
最終的には『志で釣る』なのでしょうが、
目先にとらわれなくなってから初めて『心に至る』のですね。
すべての人がお金で釣られるわけではありませんが、
多くの人はないよりあった方が良いに決まっています。
持続化給付金100万円を悪意なく??申請した人たちが、
罪になることを知り6,000人以上が返金の申し出をしているそうです。
これが実態なのでしょう。
・・・持続化給付金は確定進行をしなくてはならないので、
確定申告を行わなければ税務署に追いかけられいずれはバレるのです。

2020/10/31 2020年11月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月1日
運のある人、ない人

世間で俗にいう運のある人、運のない人、これはどちらも必要なんですよ。
みんな運のない人ばかりでも、またみんな運のある人ばかりでも困るんです。
それでは人間生活が成り立たない。
たとえば芝居を見てごらんなさい。
舞台で堂々と立ち回る人もいれば、縁の下で働いている人もいる。
そのどちらも必要なんです。
そうでなければ芝居はできんのです。芝居の必要性からいえば、
千両役者も舞台を回す人も、どちらも同じ仕事をしていることになる。
舞台を回す人がいなければ、千両役者が千両役者になれないのです。
だから、運のいいやつは得だなあ、と思うことはあさはかで、
運のある人で成功した人も、その運命に従っているわけだし、
運の悪い人も自分の運命に従っているわけです。
大きく見ると、どちらも必要なんです。
だから運のいい人だけを尊敬し、運のない人を尊敬しないというのは間違っている。
舞台裏で働いている人も、千両役者も同じように尊敬しなければいけない。
また極端にいうと、
監獄で作業している人も、議会で働いている人も、大きく見れば一緒です。
一方は罪人という一役をもっている。
もう一方は代議士という一役をもっているわけです。
これもわれわれの段階でいうと議員ということになりましょう。
もう一方は悪いことをしたんだから、罪人で監獄に入れられるけども、
しかしもっと高い次元から人間というものを見ると、みな同じです。
平等ですよ。
人間というものに対してそのような見方をしないと、
世の中はよくならんと思うのです。
『松下幸之助発言集第四巻』(昭和54年の発言より)
自問自答
運のない人を尊敬しているか。
運のある人だけを尊敬していないか。
もっと高い次元から人間を見なければ。


松下幸之助最後の愛弟子、木野親之先生から聞いたお話です。
「幸之助は『運のいい人としかお付き合いをしない』と言っていました。
『どうやって運のいい人を見つけるのですか』と質問すると、
『本人に聞くんや』との答えました」
『運がいい人は失敗を糧にして自ら乗り越えたエピソードを持っている。
運の悪い人は失敗を他人のせいにする』と答えてくれました」
 

2020/10/30 2020年10月31日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月31日
繁栄主義

ところで、ぼくはすべてのものに寿命があると思っています。
たとえば路面電車。今は、だんだんなくなりつつあります。
文明の利器として市内電車があらわれ、「こらええ、便利なもんがでけたなあ」と、
みんなが驚き、電車はどんどん増えていきました。
それが今度はじゃまになったから取り払われてしまうまで、わずか六十年ですよ。
男の平均寿命の七十歳よりも短いんです。
思想でもね、資本主義という思想もあれば、共産主義もあるし社会主義もあるし、
いろいろありますが、それぞれ、何年間かのが命か、ということじゃないでしょうか。
これにも必ず寿命があります。
寿命があればこそ、新しい〃繁栄主義〃にバトンを託し、世の中の前進をはかる楽しみ、
期待がもてる、というものです。
『道は明日に』
自問自答
新しい“繁栄主義”はどんなものだろうか一。


一つの商品で長持ちし続けているのはエネルギーだけかもしれません。
・・・が、
・・・だからこそ怖いのです。
新世代エネルギーが確立したと、
きあっという間に高速バトンタッチが起きるのかもしれません。
マニアックな情報に食いついていないと大きな後れを取ることになるかも…。
・・・その時は異業種がライバル。
 

2020/10/30 2020年10月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月30日
資本の暴力

ある人が私に面会を求められた。
この人はある種の部品を専門に製造する中規模のメーカーの社長であるが、
私の会社とは取引はなかった。
しかし、せっかくのことだからと、私はお会いした。
「松下さん、私のほうもあなたの会社の傘下に入れてくれませんか」
あいさつもそこそこに、その社長は私にこう言われたのである。
私はその会社が専門工場だけに
なかなかいい部品をつくるということを聞いていたので、
その社長の弱気な申し入れを不思議に思いながら聞いた。
「いやもう、とてもやっていけまへん」
だんだんと事情を聞いてみると、やっていけないわけがわかってきた。
この会社では部品一個二十円で売っていたのだが、最近ある大資本の会社が、
この部品の製造にも乗り出して、これを十円で売り出した。
どう会社を合理化しても、相手がこちらの半額ではとても競争できない。
これでは会社がつぶれることは火を見るよりも明らかだから、
ぜひ私のほうで引き受けてくれ、と言われる。
「ではその相手のメーカーさんは、製造過程を改良して
そんなに安く売ってもいいほどコストが安くつくようになっているんですか」
「いや、絶対にそんなことはおまへん。
私も長年この仕事をやっているんでようわかってますが、
とてもそんな値では売れるはずがない。
これは結局、自分とこが大資本だというので損を覚悟で売りまくって、
市場の占有率をうんと高めようとしてるのです」
一方だけの話で速断するのは危険だが、もしこれが事実なら、
それは資本の暴力というものである。
資本は現代においては一つの強い力なのである。
これを正しく行使すれば、社会に有益な働き
をするが、誤って使えばとんでもないことになる。
私的な横暴となってその業界を乱し、
ひいては社会全体に大きなマイナスを生み出してしまう。
『なぜ』
自問自答
資本の暴力を許してはならない。
自分のためでなく社会のために、断じて許してはならない。


日本を代表するメーカー、トヨタ自動車は常に世界のトップ争いをしています。
そのトヨタと取引をする企業のK社長から聞いた話です。
「毎年、今年の納入価格は○○円と通達があります。
それについていかなければ取引がなくなるのです」
ここまでだと完全に資本の暴力ですね。
トヨタの違うところは、
その価格を実現のため技術やアイデアを共に創造することです。
もちろん実践はK社で進めますので負担も大きいそうです。
そして何よりその技術、効率をもって他の業界の部品をつくると、
競争力は高いそうです。

2020/10/29 2020年10月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月29日
怒り

アデナウアーは〃怒りをもて″という。
いったいどういうことだろうか。
これは、単なる個人的な感情、いわゆる私憤ではないと思う。
そうでなく、もっと高い立場に立った怒り、つまり公憤をいっているのであろう。
指導者たるもの、
いたずらに私の感情で腹をたてるということは、もちろん好ましくない。
しかし指導者としての公の立場において、何が正しいかえた上で、
これは許せないということに対しては
大いなる怒りをもたなくてはいけないといっているのであろう。
第二次世界大戦でどこよりも徹底的に破壊しつくされた西ドイツを、
世界一といってもよい堅実な繁栄国家にまで復興再建させたアデナウァーである。
その西ドイツの首相として、これは国家国民のためにならないということに対しては、
強い怒りをもってそれにあたったのであろう。
占領下にあって西ドイツが、
憲法の制定も教育の改革も受け入れないという
確固たる自主独立の方針を貫いた根底には、
首相であるアデナウアーのそうした公憤があったのではないかと思う。
だから、一国の首相は首相としての怒りをもたなくてはならないし、
会社の社長は社長としての怒りをもたなくては、
ほんとうに力強い経営はできないといってもいい。
まして昨今のように、日本といわず世界といわず、難局に直面し、
むずかしい問題が山積している折には、指導者はすべからく私情にかられず、
公のための怒りをもって事にあたることが肝要であろう。
※アデナウアー   
一八七六〜一九六七。ドイツの政治家。西ドイツの初代連邦首相を務めた。
『指導者の条件』
自問自答
怒りを忘れていなかったか。
私憤でなく、公憤を忘れていなかったか。


当社の顧問社労士、清水社会保険労務士事務所の清水先生とは、
20年のお付き合いになります。
日創研のTTの受講生である私と研修ファシリテーターという出会いでした。
清水先生はTAプレゼン研修の担当でした。
私のプレゼン1回目100点満点中・・・12点。
・・・清水先生からの怒りの大声アドバイス。
「住吉さんからエネルギーを感じない『憤しろ』」
翌日のプレゼンに向け一睡もせず資料の再作成と練習。
2回目のプレゼンは58点で60点の合格までは届かず・・・。
「怒りのパワーは絶大なり」
・・・逆恨みはパワーが強いだけにとても危険です。
冷静さ、感情コントロールが必要ですね。

2020/10/28 2020年10月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月28日
共存共栄

企業が事業活動をしていくについては、いろいろな関係先がある。
仕入先、得意先、需要者、あるいは資金を提供してくれる株主とか銀行、
さらには地域社会など、多くの相手とさまざまなかたちで関係を保ちつつ、
企業の経営が行われているわけである。
そうした関係先の犠牲において
みずからの発展をはかるようなことは許されないことであり、それは結局、
自分をも損なうことになる。
やはり、すべての関係先との共存共栄を考えていくことが大切であり、
それが企業自体を長きにわたって発展させる唯一の道であるといってもいい。
たとえば、需要者の要請にこたえてコストダウンをしていくために、
仕入先に対して値段の引下げを要望する。これは、どこでもよくあることである。
しかし、その場合に、ただ値引きを要求するだけではいけない。
値段を下げても、なおかつ先方の経営が成り立つ、いいかえれば、
先方の適正利潤が確保されるような配慮が必要なのである。
私自身は常にそのように考えて、やってきた。
仕入先に値下げを要請するときでも、
それによって先方が損をしたのでは困るということは念を押す。
それでもし先方ができないという場合には、
その工場を見せてもらうなどして一緒に工程などの改善をはかり、
値下げしてもなお十分な適正利益を確保してもらえるような道を考えるようにした。
だから、値下げを要望しても、
結果的にはかえって喜んでもらえるというような状態であった。
そのように、
仕入先に対しては先方の適正利益というものを十分考えることが大切だが、
一方、商品の販売を担当する得意先に対しては、こちらも大いに勉強するとともに、
やはり必要な適正利益をとってもらうようにする。
同時に、需要者にも、適正な価格で買ってもらえるように、
商品政策、販売政策を考えていく。
そのようにして、ともどもに適正利益を得つつ共存共栄していくことが大切である。
『実践経営哲学』
自問自答
あらゆる関係先との共存共栄という考え方が、
結局は自社の発展継続を支えるのだ。


他社(者)を犠牲にして自分だけ儲ける。
『我利我利亡者』と言います。
他社(者)を豊かにして自分も儲かる。
『多利多利豊者』と勝手に言ってます。
我利我利亡者には必ず報いがあり幸せにこの世を去ることはできないでしょう。
『儲ける』のか『儲かる』のか、
・・・たった一文字ですが意味には大きな違いがありますね。
 

2020/10/27 2020年10月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月27日
生かしあう

国際化時代ということは、一国一民族という垣根を離れて、
多くの国、多くの民族、あるいは多くの言語や習慣の違う人々と交わり、
共同作業をすることが多くなる時代だと思う。
そのときに最も大事なのは、
世界人類がともどもにもっている人間としての本質とともに、
国や民族、あるいは時代によって違っている面というものを、正しくみつめ、理解し、
これを生かしあっていくことであろう。
つまり日本人であるならば、日本なり日本人としての特質というものを正しく理解し、
これを正しく他の国々の人に伝えつつ、
共同の幸せを求めていくことが大切だと思うのである。
もちろん、国際化時代には、他国から学ぶものも、いっそう多くなるだろう。
その点は、謙虚に学び、素直に吸収していかなければならない。
新しい知識、新しい技術を、人類共有の財産としてともどもに生かしあうところに、
人間の進歩があり発展があるからである。
しかし、国際化時代においては、大いに学び、吸収するだけであってはならない。
日本からも諸外国に積極的に伝え、
これを参考にしてもらうものがなければならないと思う。
それは経済的なものだけでなく、伝統とか文化とか、ものの考え方とか、
そういった物心両面にわたって考えられるのではないだろうか。
つまり国際化時代は、世界人類が、ともに教え、ともに学び、
それぞれの知恵と体験を生かしあっていく時代なのである。
それだけに、お互い日本人は世界全体をみつめるとともに、まず自分自身なり、
自分たちの国家、
社会そのものをしっかりと把握しておくことが先決であるといえよう。
『若い君たちに伝えたい』
自問自答
グローバル化の時代とは、
互いの知恵と体験を生かしあう時代である、
と肝に銘じておきたい。


経済的にはどんどん国際化していますね。
あの将軍様もどこからか?経由のレクサスに乗っています。
・・・政治的には世界共通の問題と、
それぞれの国が抱えた個別の問題があるので簡単ではありません。
最近ではイギリスのEU理立ち問題で政治と経済が混乱しています。
日本企業もイギリス工場を撤退し始めています。
もっと根深いのは祖政治の奥に宗教が絡んでおり、
この問題は理論では説明のできないそれぞれの考え方(宗教観)です。
・・・これは平行線のまま。
表面的にでもうまくやっていきたいものですね。

2020/10/26 2020年10月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月26日
理念を打ち出す

たとえばオランダは、国土が九州よりも狭く、
国内だけを相手にしているのでは大企業は成り立っていかない。
大きな会社は全部、海外で仕事をしているんです。
そのことが本国のオランダを益し、相手国にも何らかのかたちでプラスになっている。
この姿に刺激されましてね。
松下電器も、日本の将来を考えると、やはりそこまでやらないといけない。
やれるのならやるべきだ。
では、やるのならどんな理念にもとづいて実施すべきか、となりました。
欧米の会社の真似をするだけではお粗末ではないか。
松下電器としての一つの意義を見出さなければならない。
そこでぼくは、共存共栄の理念を明確に打ち出すことを決意したのです。
相手方が、いわゆる発展途上国の場合には、商売をするんじゃない。
相手の国がどうしたら栄えていくのか、を最重点に考える。
その国を発展させ、その国の利益を生み出す仕事をしていこう、
そうはっきりと腹を決めました。共存共栄の理念は、話せばわかってくれます。
一時は誤解があっても、長くつきあえばわかってもらえるものなんです。
お互いに人間じゃありませんか。
まして松下電器は、そこの国にないものを提供しようというのです。
政府に対してではなく、庶民の暮らしに役立つものを、ですよ。
喜ばれるのは当たり前じゃありませんかね。
『道は明日に』
自問自答
理念は伝わるのだ。
国内外を問わずわかってもらえるものなのだ。


世界で一番巣の野の広いと思われる自動車業界は、
世界が抱える環境問題に対応すべく、
主力動力をエンジンからEVへ移行を始めました。
パナソニックはリチュームイオン電池の世界一シェアを持っています。
EV自動車のトップメーカー『テスラ』もパナソニック電池です。
『電池性能がEV性能を決める』とも言われており開発競争は続きそうですね。
・・・環境のためのEVと言われていますが、
発電所から出るCO2は自動車以上とも言われています。
原油を精製するときに他の燃料と一緒に精製されてしまうガソリン。
・・・だけ余っても困るな。
 

2020/10/25 2020年10月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月25日
大衆というもの

企業活動は、いろいろなかたちで、直接間接に世間、大衆を相手に行われている。
その世間、大衆の考えるところ、行うところをどのように見るかということは、
企業経営の上できわめて大切である。
世間はいいかげんで信用できないものだと考えれば、
経営はそれに則したものになっていくし、世間は正しいと考えれば、
世間の求めに応じた経営をしていこうということになる。
その点、私は世間は基本的には神のごとく正しいものだと考えている。
そして一貫してそういう考えに立って経営を行なってきた。
もちろん、個々の人をとってみれば、いろいろな人がいて、
その考えなり判断がすべて正しいとはいえない。
また、いわゆる時の勢いで、一時的に世論が誤った方向へ流れるということもある。
しかし、そのように個々には、あるいは一時的には過つことがあっても、
全体として、長い目で見れば、
世間、大衆というものは神のごとく正しい判断を下すものだと私は考えている。
だから、われわれの経営のやり方に誤ったところがあれば、
それは世間から非難されたり、排斥されたりすることになる。
そのかわり、正しい経営をしていれば、世間はそれを受け入れてくれるわけである。
そのように考えると、そこに一つの大きな安心感が起こってくる。
『実践経営哲学』
自問自答
世間、大衆への考え方が、みずからの経営にあらわれる。
信用する姿勢を忘れていないか。
企業経営がだれを相手になされるものかを忘れていないか。


木野親之先生からのお話です。
「幸之助は松下電器が戦後の財閥解体の対象になった時、
GHQへ松下を対象から外してもらうよう何度も足を運んでいました。
その時期に大学生だった私に『世間は正しい‥‥‥と思うよ』
と幸之助は言っていました。
本音で思っていたのではないと思います。
“世間は正しいと自分に言い聞かせ、きっと世間は正しい評価をしてくれる“
と自身に言い聞かせていあのだと思います。
その後、松下電器は財閥解体の対象から外され、
松下電器は正しかったことが証明されました。

2020/10/24 2020年10月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月24日
業界

どんな商売でもそうでしょうが、お互いのお店が力強く発展、
繁栄していくためには、そのお店の属している業界全体が常に健全で、
世間の人々から信用されているということが大事だと思います。
「あの業界は信頼できる業界だ。
どこの店へ行っても、よい品を適正な値段で売っているし、
お客に対するサービスもいい。だから安心して買い物ができる」
といわれるような業界であってこそ、
お客様にも喜ばれつつ個々のお店の商売もほんとうに繁盛するのだといえましょう。
そのためには、その業界に属する店がそれぞれに健全で、
お客様に信用されるものでなければなりません。
もしそうではなく、業界の中に不健全な店が多ければ、
「あの業界はダメだ。信用できない」ということになって、
業界全体としても共同の大きな損害を受けることになってしまうと思うのです。
そういうことを考えてみますと、お互い商売を進めていく上で、
自分の店を健全なものにしていくことがまず第一に大切なのはいうまでもありませんが、
それと同時に、他のお店ともうまく協調して、
業界全体の共通の信用を高めるということも配慮していかなければならないと思います。
もちろんそうはいっても、他のお店と仲よくすることのみにとらわれて、
互いに競争するという姿が生まれてこないということではいけません。
そういう競争のない状態からは、
業界の進歩、発展というものはやはり生まれてこないでしょう。
ですから、お互い、正しい意味での競争、
秩序のある対立というものは大いに行わねばなりませんが、
その対立、競争の中に調和を見出していく。
つまり対立しつつ調和することによって、
自他ともの健全化を考え、
同時に業界全体の信用を高めることを考えていくことが肝要だと思います。
『商売心得帖』
自問自答
業界全体の信用を高める経営ができているか。
競争しつつ調和することに貢献できているか。


業界の『自他ともの健全(健全)化』のために私たちが勧めることは、
まずは、
広ガスたかたの『健善化』業界の中では高いレベルと考えていますが、
監視カメラや盗聴器に100%対応できる健善性だとはとても言えません。
保安に関しても業界の中では高いレベルですが、
厳密にいうと健善のレベルには届いていません。
今回更にレベルアップし『健善』に近づくためのソフト開発に着手しました。
まずは『広ガスたかたの健善』、
そして『業界の健全』を目指します。
 

2020/10/23 2020年10月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月23日
店舗のあり方

自分のお店を常にきれいにし、お客様が入りやすいよう、
また商品が見やすいようにすることは、商売を発展させていくために、
非常に大事なことの一つだと思います。
ただ、そのように店舗をきれいにするということについては、
単にお客様の購買意欲を高めるためということだけではなく、
より一段高い理由からも、大いに力を入れる必要があると思います。
その理由とはどういうことかといいますと、
自分の店舗は、自分の商売のためのものであると同時に、
自分の街の一部をなすものである。
だから、自分の店舗のあり方は、
その街の美醜にも大きな影響を与えるということなのです。
一つの街に好ましい店舗ばかりが並んでいれば、その街は、
いきいきと活気に満ちたきれいな街になります。
街全体に好ましい環境が生まれます。
したがって私たちは、そうした街を美化するというか、
街の品位を高めるという一段高い見地からも、
自分の店舗をきれいにしていくことが大事だと思うのです。
それは〃社会の役に立つ〃という
商売の真の使命にもとづく一つの尊い義務ともいえましょう。
またそれは同時に商売の繁栄にも結びつくものだと思います。
『商売心得帖』
自問自答
自分の店は、自分の街の一部をなしている。
街は美しいか。活気に満ちあふれているか。
自分の店は貢献できているか。


ここで言う『自分のお店』は、
広ガスたかたで言いうと『トイレ』。
自分たちの『トイレ』は、用を足すためのものであると同時に、
広ガスたかたの社屋の一部をなすものである。
いつもきれいに掃除をしていただいてありがとう。
 

2020/10/22 2020年10月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月22日
競争

競争があること自体は好ましいことである。
競争があることによって、
お互いに相手に負けないように知恵を働かせ、努力もする。
そういうところから、製品の品質も向上し、
コストもより合理化されて適正なものになってくる。
競争のないところでは、やはりどうしても品質もあまりよくならないし、
コストも高くつくということは、お互いにしばしば見聞するところである。
『実践経営哲学』
自問自答
品質、コスト、価格…。
グローバル競争の未来は見えているか。


人間の持つ最も大きいエネルギーはTA(交流分析)でいうRCです。
日創研の研修では『幸せの心理学』。
『ライバル心を燃やす』はこのRCが影響していますので、
『競争』というのは成長のために欠かすことのできないものだと考えます。
・・・と言っても今となっては、
社員の半分くらいしか研修を受けていないでしょうか。
機会をつくるための調整をしてみます。

2020/10/21 2020年10月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月21日
多くを与えればよい

サービスというのはね、本来相手を喜ばせるものであり、
そして、またこちらにも喜びが生まれてこなければならないと思うのです。
相手が喜んでくれれば自分もうれしい、それは人間の自然な感情ですよ。
そういう喜び喜ばれる姿の中にこそ、真のサービスもあるのです。
それとね、サービスしあうというのがこの世の理法ではないでしょうか。
つまり、頭のよい人は頭で、力のある人は力で、腕のいい人は腕で、
というように自分のもてるものを他に与えることによって、
それにふさわしいものを他から受ける。
それで世の中は成り立っているのですよ。
だから、多くを受けたいと思えば多くを与えればよいのであって、
十分に与えもしないで多くを受けたいと思うのは虫のいい考えというものです。
そんな人ばかりだと世の中は豊かにならないでしょうな。
たとえば会社でいえばね、
社員がみんな自分の働き以上の給与を得たいと望んだならどうなるでしょうか。
その会社はたちまち破綻してしまうと思うのです。
働きと給与とのあいだには、いつもプラスのゆとりがなくてはならない。
そのゆとりがあって、会社ははじめて発展するのですな。社会でも同じことです。
やはり社会が潤いをもちつつ発展していくためには、
〃十もらえれば十一返す〃というサービス精神が大切なのでしょう。
『人生談義』
目問自答
"虫のいい考え”が、わが社に横行していないか。


『情けは人の為ならず』です。
情けをかけすぎるとその人のためにならない。…という意味ではありませんよね。
他人に情けをかけるとまわりまわって自分に返ってくる。
『他人に情けをかけることは自分のため』なのですね。
ナポレオンヒルでは「情」を「善い行いはブーメランのように帰ってくる」
と表現しています。
 

2020/10/20 2020年10月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月20日
顧客の評定

商売というものは、顧客が絶えずするどい評定をしている。
学校の先生が足りない場合には、どの先生でも来てくれればいいということになるが、
先生が余っていたら優秀な先生だけを雇い入れる。
どこの学校でもそうである。
しかし一般の商業界は、それ以上にするどいものである。
景気、不景気を通じて、絶えず厳重な評定をしている。
向こうの商品はこっちの商品よりも、よくて安いということを顧客は評定している。
われわれは、絶えず評定下におかれて仕事をしているわけだ。
もしそれがなくして、どこのものでも売れるのだったら、
神様でないかぎり、だれも勉強する者はいない。
勉強するといっても範囲がしれている。
だからやはり実業界にとっては、評価決定ということが非常に大事である。
『仕事の夢 暮らしの夢』
自問自答
顧客は、絶えずするどい評定をしている。
その評定下に、われわれの仕事があることを忘れてはならない。


「世の中には顧客とライバルしかいない」
顧客と思っていたらいつの間にかライバルに奪われている。
又は元顧客がライバルに移ってしまったと言えるのでしょう。
絶えず時代の変化に合った『お客様満足のサービス』を、
提供し続けることが大切です。
何より大切なのは『人』ですね。

2020/10/19 2020年10月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月19日
笑顔の景品

お客さんにおつけする景品のうちで、
何にもまして重要なものは何かということになったら、
皆さんはどんな景品をあげられるでしょうか。
考え方はいろいろありましょうが、
私はそれは、親切な〃笑顔〃ではないかと思います。
もちろん、ハワイ旅行というような景品も結榊にはちがいありませんが、
いつもご愛顧いただいているお客さんに対して、
感謝の気持ちにあふれた〃笑顔〃の景品を日ごろからおつけしていれば、
あえてハワイ旅行というようなことをせずとも、
お客さんはきっと満足してくださるのではないかと思います。
また逆に、そういう景品がなければ、たとえ外国旅行に招待したとしても、
お客さんとのつながりは一時的なものに終わってしまうのではないでしょうか。
したがって、かりに私どもが、
他のお店がただ売らんがために高額の景品をつけているからということで、
その表面の姿に惑わされ、
自分のところも同じような景品をつけなければならないと考えるならば、
それは決して好ましいことではないと思います。
結局そこからは過当競争しか生まれないでしょう。
〃あのお店はあんな、いわば常識はずれの景品をつけているが、
自分のところは親切な笑顔のサービスに徹しよう〃というように、
いわば〃徳をもって報いる″方策で臨んでこそ、
お客さんに心から喜んでいただけ、
お店のよきファンにもなっていただけるのではないでしょうか。
考え方はいろいろありましょうが、私はそう信じています。
『商売心符帖』
自問自答
笑顔は提供できているか。
常日ごろから、 感謝の気持ちにあふれた表情ができているか。


広ガスたかたでは、
安芸高田で一番元気で明るい挨拶。
安芸高田で一番美しいトイレ。
この二つに力を入れていきます。
・・・車の環境整備は一時期よりもレベルは落ちていますが、
それでも安芸高田市No1だと思っています。

2020/10/18 2020年10月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月18日
真心

今日、誠意とか真心とかいうと、何か古くさいものという考えもあるようですが、
決してそうではないと思います。
むしろお互い人間が心豊かに助けあって暮らしていくには、これはいつの時代、
どこの国にも基本的に大切な処世の心がまえであり、態度だと思われます。
それは各人の日常のふるまい全般についていえることですが、
仕事の面でも同じことがいえるように思います。
私の会社では電気器具をつくっていますが、これらの製品を売ってもらっている、
ある販売店さんのことについてつぎのような経験がありました。
それは、私どもの会社が製品をつくる際にたまたまちょっとしたミスがあって、
部品の一つに
不良のある商品をその販売店さんにお送りしてしまったときのことでした。
その方は私どもの会社に、長年力強いご支援をお寄せくださっている方で、
私どものつくる商品には常に非常な関心をもっておられたのです。
それだけに、その不良のある商品を手にされると、
〃こんな商品を送ってくるとはけしからん。厳重に注意しなければ〃
ということで、わざわざ会社まで出向いてこられたのです。
ところが実際に会社へ来てみると、従業員がみな一所懸命に仕事をしています。
そして応対に出た人も親身になって応対するし、その商品の不良対策についても、
それぞれが、わがことのように真剣に取り組んでいます。
また工場を見ても、みな整然と仕事に励んでいるわけです。
そういう姿を見てその方は、
〃これだけ皆が一心に仕事に打ちこんでいるのでは、
たまたまこのような不良が一つぐらいあったからといって、
怒るわけにはいかんなあ〃
ということで、かえって会社に対する信用を深められ、かつ安心して帰られたのです。
『人間としての成功』
自問自答
ミスが信用を深める、そんな会社にしているだろう。


思っていることは・・・相手に伝わりません。
言葉にすると・・・表面的には伝わります。
行動、態度にすると・・・真実を受けとってもらえます。

2020/10/17 2020年10月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月17日
世間から叱ってもらう

何か間違ったことがあれば、
会社もお得意先なり世間から厳しく叱ってもらわねばならない。
今、かりに松下電器は、いい会社だといって世間からほめられているとしても、
ほめられてばかりいたんでは知らず識らず哨長したり汕断したりしてしまうと思う。
やはり、会社は常に世間から、いいところもあるがこういうところは悪いぞと、
叱ってもらう必要がある。
きょうもぼくは、
ここへ来る前に三十分間ほど、ある販売店さんと話をしていたのであるが、そのとき、
その販売店さんから、松下電器の伝統の精神というものはどこまで徹底しているのか、
最近はそういうことが一人ひとりの社員に行き届いていない場合があるのではないか
というように、いわばご注意をいただいたのである。
ぼくはそれを、かしこまってお聞きしたのであるが、このように、
世間から松下電器がお叱りをいただけるということは、まことにありがたいと思う。
販売店さんが、わざわざぼくに面会を申し込まれ、ご注意をしてくださる。
そしてそれをかしこまってお聞きしていく、そういうところにわれわれの進歩があり、
また安定した姿が保たれると思う。
そういうご注意がなくなって、そしてほめることばかり聞くようになれば、
松下電器の幹部も、
また社員も、みんなおごり長じるようになってしまうであろう。それは、
廃頽(はいたい)への第一歩なのである。
だから、皆さんは叱ってくれる人を求めねばならない。
それは、ちょっとやりにくいことかもしれないが、
しかし、そのような態度を常にとっていれば、絶対に間違いないと思うのである。
『松風』昭和41年8月号
自問自答
叱ってくれる人を求めているか。
世間から厳しく叱ってもらうことに
ありがたさを感じているか。


何度か書きましたが、
年齢と共に叱ってくれる人が少なくなります。
『この人には絶対に逆らうことができない』
という師匠を持つことが大切です。
空手の河野正義師。
経営の小山昇師、田舞徳太郎師。
尺八の武田摂山師、中山紘風師、米澤浩師、阪口夕山師。
・・・60歳に手をかけていますがりっぱに『パシリ』をこなしています。
最近加わった津軽三味線の河野一志師。
・・・唯一年下の師です。
 

2020/10/16 2020年10月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月16日
知ってもらう

私の実際の体験からしても、
やはり世間は正しいことは正しいとして受け入れてくれるものである。
ただ、そうはいっても、ときには誤解というか、
こちらの考えていることが誤って受け取られることがある。
そのような場合には、やはりその誤解は解いていかなくてはならないし、
またそういうことのないよう、日ごろから、企業の考えていることなり、
業績、製品などについて、世間に正しい姿を知ってもらうことが大切であろう。
いわゆる広報活動なり、宣伝広告などはそのために行うものである。
その場合にも、いわゆる誇大広告のごとく、
みずからの姿を実態以上に見せようとすることは
厳に慎まなくてはならないことはいうまでもない。
そういうことで、かりに一時的には世間の目をあざむけても、
結局は大衆は真実の姿を見抜き、
その結果かえって信用を落とすことになってしまうだろう。
リンカーンは
「すべての人を一時的にだますことはできるし、
一部の人をいつまでもだましておくこともできる。
しかしすべての人をいつまでもだまし続けることはできない」
と言っているという。
彼は政治家としてこういうことを言ったのだろうが、
経営についてもまったくそのとおりである。
真実をありのままに知ってもらうということが、
長い目で見ていちばん大切なことなのである。
そのように世間は正しいと考え、
その正しい世間に受け入れられるような仕事をしていくことを心がけていくところに、
事業発展の道があるのである。
『実践経営哲学』
自問自答
世間の目はあざむけない。


「一生だまし続けることができれば嘘も真実」
と何かの本で読みました。
バレるような嘘で人をだましてはいけないのは当然です。
これは詐欺師ですね。
「私はうそをつかないいい人です」
この嘘を一生バレないためには最低でも今後うそをつかないこと。
一生だまし続けるとは、
うそを隠すためにさらにうそをつく。
その嘘を隠すために別の嘘をつく。
と、ずーとうそをつき重ねること・・・ではないのです。
こちらはバレないはずはありません。
もしくは、バレていないふりを周りがしているが・・・すでに信頼は0。

2020/10/15 2020年10月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月15日
不平

いろいろ実社会に出て失敗もありましょう。
思わない手違いもございましょう。しかし、心が正しく、
正義に立脚してものを遂行しようという場合は、
個々の失敗は十分にカバーされるような大きな救いの手が生まれるもんだということです。
そう考えますと、勇気が出てまいりますし、小さい問題に不平がなくなります。
不平がなくなれば、その人は明朗になります。
はたから見て、愉快なやつだとなります。
「愉快なやつだから酒を一ぱい飲ましたろか」
ということになるだろうと思うんです。(笑)だから〃いたるところに青山あり″
ということになると思うんであります。
しかし心に不平をもっていると、
「あいつはいつでもぶつぶつ言うとるな、不愉快なやつやな、あれはあかんで」
と、こうなります。
私はそんなもんだと思うんです。
不平を言うことによってものがひらけるという場合もあります。
しかし、その不平は個人の不平ではいけない。
いわゆる〃公〃の意味においての不平でなければいけない。
つまりそれは不平ではなく、〃公〃のために一つの提言をするということになる。
喜んで、こういうことをしたらどうですかということである。
〃私〃の心にとらわれ、
〃私〃を中心としてものを考えるときに不平になるんであります。
えらい教訓めいたことを申しますが、私の体験を通じて考えますと、
どうも不平をもっているときよりも愉快に考えているとき、
いわば喜びをもっているとき、さらに進んではありがたいなと思っているときのほうが、
多くの人が自分に幸せをもってくるんであります。
自分の言うことが受け入れられるんであります。
『松下幸之助発言集第11巻』(昭和37年の発言より)
自問自皇
不遇にあっても不平を忘れよう。
愉快に考え、喜びをもって、ありがたさを感じていよう。


大学一年のクラブ寮での時代・・・度々先輩に殴られていました。
言い訳をするともちろん殴られますが、
正しいと思うことを正しく主張すると・・・また殴られます。
大学を止めるか?我慢をするか?
・・・我慢を選びました。
このことは後々私を助けてくれることになりました。
社会人一年生の時、
同期の仲間がいつも先輩に自分の意見を訴えていました。
殴られる経験をしている私にとって彼の意見は、
「それくらいのことは自分の腹にしまっとけよ」
というたわいもないことでしたが・・・。
先輩からの信頼も下がり続け居場所を失ってしまったのか?
彼は退社してしまいました。

2020/10/14 2020年10月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月14日
社会のムチ

これは古い言葉ではありますが、
実るほど頭が低くなる稲穂のことを称えたうたがあります。
人間が偉くなればなるほど、それだけ丁重に懇切丁寧になるもので、
なまじっかの偉さでは逆に肩ひじを張って尊大に構えるけれども、
ほんとうの人間ができてくると
まったく腰が低くなって頭が下がってくるのだということだと思います。
それと同じように、会社が大きくなればなるほど、
社員の態度というものは懇切丁寧になり、頭も低くなってきて、
皆をいたわるようにならなければならないと思います。
そういう状態にならないと、その会社の尊厳というものも保てるものではありません。
会社がちょっとうまくいくと、さもそれを誇りにして尊大に柵え、不親切になり、
懇切を欠くということであれば、
やがては0その姿に社会のムチというものが与えられてくると思います。
『わが経営を語る』
自問自答
みずからの誇りが、尊大さになっていないか。
社員の姿勢は、会社の規模に比例し増長していないか。


『企業は業績が良い時に倒産の種をまき、
業績が悪い時に繁栄の種をまく』
と言われていますが、
これは企業というよりそこで働く人のこと、
とりわけていうと経営者のことを言っていると考えています。

2020/10/13 2020年10月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月13日
自分を叱りつける

不況というのは、大暴風雨に直面するようなものです。
大暴風雨になれば、その中を歩いていかなければなりません。
歩かずに退避する、というのもときには一つの方法でしょうが、
企業経営において退避ばかりしているというようなことは許されません。
やはり最後はいやでも立ち向かって歩かなければなりません。
それには、そのための覚悟をし、用意をすることです。
傘なり雨具をもっと丈夫なものにするとか防寒服でも着るとかの用意をすることです。
そして、私の体験からいきますと、落ち着いてよく考えさえすれば、
雨の強さ、風の強さに応じて、傘をさす方法もありますし、
風よけをするような心がまえも湧いてくるものだと思います。
それは、このまま退避することはできない、
どうしてもこの暴風雨に向かって進んでいかなければいけない、という決意をすれば、
そこに道というものはつくものだということです。
いずれのときにも、
身を切られるような思いに悩みつつも勇気を鼓舞してやっていく。
崩れそうになる自分を自分で叱りつけて必死でがんばる。
そうすればそこに知恵才覚というものが必ず浮かんでくるものです。
もし自分に知恵がなければ、先輩に聞くとか、あるいは同業の競争相手にも聞く。
「弱っているんだが、なんとかいい方法はないか」と、
そこまで腹を割って相談すれば、
競争相手であっても知恵を授けてくれることもあります。
私自身、これまでそうやって道をつけてきたように思います。
そのようなことから、私は、今日の厳しい事態に対処するにも、
とにかくまず、引くに引けないという経営者としての覚悟を定め、
最大の努力をもって勇敢にこれに立ち向かおうという精神を確立することだと思います。
それが今日のむずかしい時代に対処する第一歩ともいえるのではないでしようか。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
“大暴風雨”に立ち向かう覚悟と備えは万全か。


新型コロナで世界は大不況の真っただ中です。
その中で日本は経済とのバランスを何とか保とうと努力しています。
コロナだけに対応するならノックダウンを続けるというやり方は有効です。
しかし・・・経済は完全に崩壊してしまいます。
新型コロナに有効であると思われる対策を多くの国民が実践していることで、
バランスを保っているのでしょう。
手綱を締めたり緩めたりを繰り返しながら治療薬を待つ日々ですね。
・・・ですが、
・・・日本だけで経済が回っているわけではありませんので、
患者が増え続けている国には何とかしてほしいものです。
・・・国民の実践、習慣はコロナとバランスをとる。

2020/10/12 2020年10月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月12日
不況

不況とか混迷というものは、われわれ自身お互いがつくり出したものである。
政府当局も一緒になってお互いにつくり出したものである。
だから、これは必ずわれわれの精神転換、
考え方の転換によって直すことは可能であるということを、
これははっきりと申しあげられると思うのであります。
しかし、私が一人で言っても、もしそれが一般に信じられず、“そのとおりしよう”
という力強い動きが生まれなかったら、言うだけで何もならないと思うのです。
けれども私は、
そういうようにお互いが、こういうふうにやらなければいけないということで、
幸いにして皆さんのお考えが一致し、
また政府当局もそういうことを配慮されてやられたならば、これは必ず直ると思います。
天然現象であれば、
これはもうわれわれの人力では及ばないこともあるわけですけれども、
これは人為現象である。
したがってお互いの精神意識によって転換することができるものですから、
これは必ず直るだろうと、そのように思うのであります。
『危機日本への私の訴え』
自問自答
日本経済を立て直したい、
という意識が今の企業経営者にどれほどあるのだろう。
自分はどれほどの思いに立っているだろうか。


不況は『人間社会のおごりが』根底にあるのかもしれませんね。
好景気時に掛けるべきブレーキを踏まず、
アクセルを踏みっぱなしにした『反動』が不況だと言えそうです。
ブレーキを踏んで減速をしないでコーナーに突入し、
コースアウトまたはスピンを起こしたのです。
車を壊してリタイヤ(倒産)せずに済んだのであればそこから再スタートです。

2020/10/11 2020年10月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月11日
景気

経済界もだんだんと好況に転換していくだろうと思う。
なぜかというと、人間というものは、腹がふくれると、物を食いたくない。
なんぼ料理があっても、要らぬ要らぬという。
腹がへってくると、どんな物でも食うことになる。
つまり好景気のあいだは早くいえば、腹がふくれてくるわけだ。
すると、働かぬようになる。
しばらくすると、また不景気になってくる。
腹がへったわけだ。
だから何でも食う。
景気はくり返すというが、人間の本質のとおり動いているのではないかと思う。
特に心がけのいい人は、理性をもって困難を克服する。
いっぱい食わないで、いつも八分目に食っておく。
そのかわり、ある一定期間ちゃんとためておく。
『仕事の夢暮しの夢』
自問自答
景気はくり返す。人間の本質のとおり動いている。
その動きに、どう備えるか。


『バブル崩壊』や『リーマンショック』などで経済が崩壊し、
物が売れない時代を経験してきました。
・・・が、幸之助翁の言われるように物には寿命があるのです。
たとえば車。景気が悪くなると車は売れなくなります。
しかし、一定期間を過ぎると必ず需要が出てくるのです。
その一定期間を乗り切るための蓄えや別事業などの準備が大切なのですね。
コロナ渦でも全業種同時不況はあり得ません。
コロナで業績を伸ばしている企業もあるのです。
 

2020/10/10 2020年10月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月10日
経済現象

今日、
景気・不景気はいわゆる資本主義経済にはつきものであると一般に考えられている。
確かに現実の経済の動きを見れば、資本主義の国では程度の差こそあれ、
景気・不景気がくり返されている。
だからいってみれば、晴れた日のあとには必ず雨の日が来るというような、
半ば天然自然の現象であるかのように考えられているわけである。
しかし、ほんとうに景気・不景気というものは、
自然現象のように避けられないものなのだろうか。
なるほど、
昔は経済といっても農業を中心としたものであり、技術も未発達だったから、
収種もその時々の天候によって左右されるところがきわめて大きかった思う。
だから好不況が収種のいかんによって決まるとすれば、
景気・不景気は半ば天然現象であったともいえよう。
しかし今では、農業でも科学技術の進歩などにより、
昔ほどには天候に左右されなくなってきた。
つまり、ある程度景気を人為で動かすこともできるようになってきたのである。
まして、
今日の経済に大きな比重を占める工業や商業は、そのほとんどが人為現象である。
だから、経済現象というものは、
雨が降ったり日が照ったりというような自然現象とはまったく違って、
人間が考え、人間が生み出すものなのである。
そういうものだとわかれば、あとは人間の思うままにこれを動かしたらいい。
ちょうど、人間が、住みやすさということをいろいろ考え、家を設計し建築して、
その中で快適に暮らすようなものである。
同じように、人間が最も暮らしやすいように考えて、
そのとおりに経済を動かしていつたらいいのである。
『経済談義』
自問自答
景気・不景気という経済現象は、人間が生み出すものである。
人間の思うままに動かすことができるものである。
だからこそ、経済を動かしていくという気概をもちたい。


経済は人が動かしていると考えていました。
・・・もちろん人が動かしているのですが、
今回のように、
『新型コロナウイルスが人間に影響し、人が意図せず影響する』
ということもあるのですね。
人間をほんろうする目に見えないウイルスって本当に怖いですね。
 

2020/10/09 2020年10月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月9日
濡れ手で粟は許されない

世の中というものはよくしたもので、濡れ手で粟といったことは、実際にはないし、
許されないことなんです。
ぼろい話というものには大きな反動があって、
往々にしてせっかく得たものまで失ってしまうということになりやすい。
一人だけ先に進もうとか、自分だけうまくやろうとすると、落ち着きを失ってしまう。
そこに人を疑うといった心も起こってきて、間違いが生じてくる。
『松下幸之助経営語録』
自問自答
その話は“ぼろい話”ではないか。


儲け話の詐欺に引っかかる人がいるのは、
この“ぼろい話”に乗っかるからです。
私も新規事業で危うく引っ掛かりかけたことがあります。
・・・小さなものは度々経験をしながら成長を続けています。
しっかりとした『ブレーキ』を持っていないと、
大きな儲け話で・・・会社を倒産に追い込むこともあります。
先日、佐藤琢磨選手が2度目の優勝をした、
インディー500のレースカーは900馬力のエンジンを積んでいますが、
エンジンが強力なだけでなくブレーキの性能もそれ以上に強力なのですね。
・・・どちらかではありません、『勢い』も『ブレーキ』も大切です。

2020/10/08 2020年10月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月8日
一軒のお得意を守りぬく

日ごろ一所懸命商売に打ちこんでいれば、
お得意先が求めずしてひとりでに増えるということもありうると思います。
というのは、自分の店のお得意さんが、特に頼まなくても、
みずから他のお客さんをみつけて連れてきてくださるということも、
考えられるのではないかということです。
たとえば、いつもごひいきいただいているお得意さんの一人が、
その友人につぎのように話されたとしたらどうでしょうか。
「自分はいつもあの店で買うのだが、非常に親切で感じがいい。
またサービスも行き届いているので感心している」。
それがその人の実感から出たものであれば友人は、
「君がそう言うのなら間違いないだろう。ぼくもその店へ行ってみよう」
ということになりましょう。
その結果、お店を訪ねてくださる。
商売をしているほうとしては、みずから求めずして、
ひとりでにお得意さんを一人増やす道がひらけるということになるわけです。
そうしたことを考えてみますと、日ごろ商売をしていく上で、
お得意さんを増やす努力を重ねることはもちろん大切ですが、
現在のお得意さんを大事に守っていくということも、
それに劣らず大切だということになると思います。
つまり、
極端にいえば、一軒のお得意を守りぬくことは百軒のお得意を増やすことになるのだ、
また逆に、一軒のお得意を失うことは、百軒のお得意を失うことになるのだ、
というような気持ちで、商売に取り組んでいくことが肝要だと思います。
『商売心得帖』
自問自答
世間に対する経営上の攻めと守りは、表裏一体となる。
一人の顧客を守りぬく姿勢は万全か。


新規獲得のために飛び込み営業はとても泥臭く大切です。
この泥臭い営業こそが実績の元になります。
・・・が、これだけでは成果は上がりません。
『飛び込み営業をしているご近所』の既存のお客様訪問も同じく重要です。
『既存のお客様を守るため』はもちろんですが、
現在『飛び込み営業をしている先を紹介』してくださるお客様はいないか?
ここで紹介をしていただき、再訪問をすると成約率はぐっと上がります。
一軒のお客様を守りつつ攻めの営業につなげることで成果を上げましょう。

2020/10/07 2020年10月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月7日
道行く人

よく“利は元にあり”といわれるが、
商売における仕入れとは、ほんとうに大事なものだと思う。
私はかねがね、社員の人たちに“仕入先はお得意先だ”ということを言ってきている。
これは、一つには会社が家庭用の電化製品を多くつくっているということもあって、
仕入先の人に限らず、道行く人はすべてがお得意先、という気持ちでいることがある。
しかし、そのように直接的に自分の会社の商品を買っていただくということでなくても、
今日のようにこれだけ人と人、会社と会社との結びつきが複雑多岐になってくれば、
大きな目で見た場合、どんな人でも、どの会社にとっても、
何らかのかたちでお得意先である、ということがいえるように思う。
だから、直接的には仕入先だと思っていても、別の面から見れば、
あにはからんやお得意先だというわけである。
そう考えると、あだおろそかな態度で仕入先の人に接することはできない。
先方が「これこれの物を仕入れていただいてありがとうございます」
と言ってきたようなときにも、言葉に出す出さないは別として、
心の中に「こちらこそ…。」
という強い感謝の気持ちをもって誠心誠意接することにもなるだろう。
そうなれば、相手のほうもきっと好感をもつし、
「これはひとつ、もっと努力していいものをつくってあげよう」という気持ちにも、
自然なってくるのではないだろうか。
そうしたちょっとした心がまえの差というものが、
結果としては長いあいだに雲泥の差を生むわけで、
仕入れにあたる人がそういう誠意を尽くしていくかどうかということは、いわば会社、
商店の命運を左右するほどの重要性をもっているといっていいように思う。
『松下幸之助経営語録』
自問自答
仕入先がお得意先に、道行く人すべてがお得意先に、
見えているか。見ているか。


田舞さんは、
「自分以外すべての人がお客様」と言います。
他社のお取引先も、
どこかのタイミングで自分のお客様になるかわからないのです。
それを意識していると悪い印象になるような行動はできません。
クルマの軽いスピード違反やわずかな割込みも・・・。
しかも看板をつけている社用車でなんてありえないことですよね。
 

2020/10/06 2020年10月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月6日
世間が決める

考えてみますと、私たちが日々取り組んでいる仕事なり職業というものは、
それぞれに自分の意志で選び、自分の力でやっているものです。
しかし、もともとその仕事や職業がなぜ成り立つかといえば、
それは世の人々というか社会が、それらの仕事を必要としているからです。
床屋さんの仕事でも、髪を手入れし、みだしなみを整えたいという人々の求めがあって、
はじめてそれが必要とされるのであって、
そうした要望がなければ床屋さんという職業は生まれてこないでしょう。
このことは、どんな仕事についても同じであって、世の中の求めのないところ、
いかなる職業も成り立ちえないのです。
その意味ではお互いの仕事、職業は、自分でやっているというよりも、
社会にやらせてもらっているのだということになると思います。
そのように考えますと、
そこには一つの大きな安心感と感謝の気持ちとが起こってくるのではないでしょうか。
この仕事は自分の小さな意志だけでやっているのではない。
世間が必要としているのだ。
仕事が伸びるか伸びないかは世間が決めてくれる。
自分は、ただ世間の求めるところに対して、省みて過ちなきを期していけばいいのだ。
それ以外のことには心をわずらわす必要はない。
そういった一つの安心の境地が得られると思います。
そして、それとともに、そういう仕事を世間からやらせてもらえるのは、
ほんとうにありがたいことだという感謝の念も生じてくるでしょう。
『縁、この不思議なるもの』
自問自答
仕事が伸びるか伸びないかは、世間が決めてくれる。
世間の求めるところに対して、みずからを成長させていくのだ。


一つのお店がなくなったとしても代わりの店を探すことでしょう。
しかし、幸之助翁の言われるように、
その『仕事』や『業種』がなくなったとしたら・・・
・・・例で出された『理美容』業界がなくなったらと想像すると怖くなります。
当たり前と思っている多くのことにあらためて『感謝』です。
逆の見方をすると、普段『感謝』が足りてなさすぎるのですね。
・・・反省。・・・修行。

2020/10/05 2020年10月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月5日
無形の支持

先般、ある会社と仕事の関係ができて、そこの社長さんが訪ねてこられた。
そのときに、その人が持参されたおみやげに私は非常に感銘した。
それは私には私が主宰している『PHP』という雑誌の創刊号(昭和22年4月号)を、
さらに同席した私どもの関係会社の社長には、
その会社で十数年前に発売した電気カミソリの第一号製品を持ってこられたのである。
そのような昔のものを読んでいただき、またお使いいただいたのかと思うと、
私にはその社長さんのお心持ちが、いわば一千万円いただいた以上にうれしく思われた。
そして、そういう人が社長をしておられる会社と
仕事の関係をもたせていただいたことが喜ばしく感じられたのである。
その会社は、なかなかむずかしい業界にあって、
第一位の業績をあげておられるということだが、やはりそれは、
そうした社長さんのお心持ちが、各関係先と心のつながりを生み、
それがその会社に対するいわば無形の支持を呼んでいるからではないかと思う。
結局、好ましい商売のあり方というものは、世の中がいかに便利になろうと、
会社が大きくなっても変わるものではない。
自動販売機が普及することはそれはそれでいいけれども、人間がやる商売では、
心のつながりというものを大切にし、失ってはならないと思うのである。
『経済談義』
自問自答
人間が行うビジネスは、自動販売機とは違う。
顧客やファンからの“無形の支持”を呼ぶことが、どれほどできているだろうか。


多くの人がネット通販で買い物をする時代ですが、
アナログはなくならないと考えています。
ただし、『高齢者』に近づくほど。・・・と注釈が付きます。
子育て世代への住宅提案は高額商品なので、
ネット+アナログの考えが必要ですね。

2020/10/05 2020年10月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月4日
心の契約、無形の契約

二十年ほど前のことだが、たまたまあるところで頼まれて、
私どもの会社の状況というようなことを中心に話をしたことがあった。
そのときに会社の業容にふれ、
「今期は百億円の商いをします。来期は百二十億円です」
と話したところ、あとである人が、
「松下さん、あなたは百億円と言われたが、ほんとうにそんなにできるのですか」
と質問された。
当時はちょうど不景気の時期であった。だから、そういう景気の悪いときに、
百億円は多すぎる、そんなことを言うのは無責任ではないかというわけである。
そこで私は、
「決して無責任ではありません。これは正確に申しあげているのです。
それだけ販売する契約ができているのです。
だから正確にそれを販売しなくてはならない、
また製造しなくてはならない義務があるのです」
と答えたのだが、そうするとその人は不審そうに、
「けれども、あなたのところの製品は、
注文によってつくるものはほとんどないではありませんか。
みな一般大衆の人が自由に買うものばかりでしょう。
それなのに契約があるというのは、どういうことですか」
と重ねて尋ねられた。
で私は、
「確かにおっしゃるとおりです。
私どもは注文生産でなく、いわばいっさいフリーの姿でやっています。
ですから契約といっても、契約書をとりかわしているというものではありません。
それは、社会の人々との心の契約、無形の契約なのです。
つまり、それだけの需要があるということを、
そういう無形の契約があるというように解釈して、
だから百億円製造する義務があると思っているのです」
という意味のことを話したのである。
『経済談義』
自問自答
社会の人々と、心の契約、無形の契約、無言の契約をしている。
それを義務と感じて、製造し、供給する。そんな経営ができているだろうか。


『提案営業』こそ正しい営業だと考えています。
松下幸之助翁のお話はまさに『提案営業』だと思うのです。
さらに『提案営業』とはお客様の『感動創造提案』ではないでしょうか。

2020/10/03 2020年10月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月3日
根なし草には花が咲かない

時代の流れ、世の中の変化に対応してゆくことが大事だとはいっても、
世間の動きに心をうばわれるあまり、みずからの信念なり
自分の店の伝統というものを軽視することがあっては決してならないと思います。
ここが非常に大事なところだと思います。
「根なし草には花が咲かぬ」といいますが、自分自身にしっかりした信念がなければ、
ほんとうの商売というものはやはり営めないと思うのです。
ですから、お互い、五年なり十年なり自分の店を経営してきた過程で培った
それぞれの伝統というものを、この際さらに深く再認識し、
自分の体験にもとづいた自分自身の信念というものを固めなければならない、
そういう確固とした信念に立って熱心に創意工夫を亜ねてゆくならば、
今日の速い時代の流れというものにも、
臨機応変、自由自在についてゆくことができると思います。
要は、お互い商売人としての心がまえ、精神の問題です。
店をきれいにするとか、
お得意先に親切にするとかいう具体的なことももちろん大事ですが、
今日、ほんとうの商売を進めてゆくための一番の根本は、
世間の動きに動揺しない信念をもっているか否か、
またその信念にもとづいて力強く進歩する方策をみずから考え、
生み出しているか否かだと思うのです。
その点お互い、三省、四省してみたいものです。
『松下電器店会タイム』昭和42年8月号
自問自答
世間の動きに動揺しない信念を
自分はもう確立できているのだろうか。
根なし草になっていないだろうか。


この文章を読んで思い出しました。
20年くらい前でしょうか?
現在の社屋に引越ししたころ、
私の机の後ろの窓に水栽培の水仙が置いてありました。
根が出始めて目が伸び始めどんどん大きくなり花を咲かせたのですが、
本来は土中の根っこの勢いたるや・・・。
小さな花を咲かせるために土中では、根っこが見えている茎や葉、
花以上に根っこが努力しているから花を咲かせるのだとあらためて気づきました。
鉢の植え替えをしたことのある人はご存じでしょう。
美しく花を咲咲かせるため、
養分を吸収しようと根っこがどれだけ張り巡って生きようとしているかを。

2020/10/02 2020年10月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月2日
クモの巣

世間は道場である、人間錬成の道場である。
私はそう思います。いろいろな状態がクモの巣を張ったごとくにありますから、
それにみな尋ねていくことによって、
自分の具体的な活動のかたちが求められてくると思うのです。
そういうことを尋ねているかどうかということです。
尋ねて答えが返ってくる場合もあるでしょうし、返ってこない場合もあるでしょう。
しかし、ある程度は返ってくる。不十分ながらも返ってくる。
だから、そういうものに基点をおいて行動すれば、
その生きがいは十分に満たされるというような感じがするのです。
『社員稼業』
自問自答
世間が道場に見えるか。
世間に張りめぐらされれたた“クモの巣(ウェブ))”が見えているか。
答えはどの程度返ってきているか。


今日はシリコンバレー在住のmark kato氏によるzoomセミナー、
『変化する時代を先取りするシリコンバレーと最新AI動向1日セミナー』
を受講しています。
新型コロナ渦時代はどう変化していくのかを学びます。
探せば世間に道場は無数にあるのですね。
「日本は、スパーコンピューター世界一と言っているがあれはガラケー、
これからは量子コンピューターとかが幅を利かす時代。
・・・やはり日本はITが遅れている」
と言われています。
シリコンバレーでは『自動デリバリーロボット』がたくさん走っているそうです。

2020/10/01 2020年10月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
10月1日
世の中

昔の日本の古い言葉に、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というのがありますが、
結局人間は修業を積み、いろんな体験を稜んでくると、
だんだんものの偉大さといいますか、世の中の恐ろしさというものがわかってくる。
一知半解の徒というものは、一面だけを見て全面を見ることができないから、
自分に都合のいいような解釈をしてものを判断しようとする。
しかし修業を積んでくると、だんだんと世の中の偉大さ、
恐ろしさというものがわかってくる。
剣術でも、少し習ってうまくなってくると、だれでもかれでも自分より弱く思える。
太刀さえ取れば自分が勝つように思える。
しかしその域を脱すると、
“自分も相当修業できたかもしれないけれど、しかし上には上がある。
自分よりも上の人がたくさんある”
ということがわかってくる。
そこではじめて、自分がどういう立場、
どういう態度でおらねばならんかということがわかってくる。
そうなってくると、さらにその人は向上する。
というのは、自分より偉い人がたくさんあることがわかるから、
その偉い人たちの考え方を手本にするという心持ちに自然となってくる。
そしてあの人の流儀をとろう、この人の流儀をとろうというふうにして修業するから、
やがて自分は知らず識らず名人の域にも達する、
あるいは一流を編み出すというようなことにもなる。
そうでないと、簡単に真剣勝負でもしてしまって斬り殺され、
失敗するという剣道の士も、たくさん過去の物語に書かれているわけであります。
『松下幸之助発言集第25巻』(昭和33年の発言より)
自問自答
世の中の恐ろしさ、偉大さを
自分はどれほどわかっているのか。
みずからの“頭の垂れ具合”はどうなっているのか。


何歳になっても師匠と呼べる人を持つことが大切だと考えています。
私には経営の師匠、空手の師匠、尺八の師匠と、
絶対に頭の上がらない人たちがいます。
が、これまで私の師匠は年上の方ばかりで頭を垂れるのは当たり前です。
この度20歳以上年下の師匠のお世話になることになりました。
これには成り行きもあるのですが、
現在、津軽三味線を習いはじめたのです。
「なぜ私に声をかけていただいたのですか」
という師匠の言葉に私は、
「若いからです」
と答えました。
『若い師匠にしっかり頭を垂れる』という素直修行を意識しています。

2020/09/30 2020年9月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月30日
事業の頂上

経営者には、日に新たな発想がないといけないと思う。
世の中は動いているのだから、一日一日、考えが進んでいかなければならない。
従業員が十人いるとき、その十人いるときの考えに執着するのでなく、
十五人になるということも考えていく。
今月は売上げが一千万円だけれども、来月一千五百万円売るにはどうしたらいいか、
そのように、経営者は絶えず求めるものをもたないといけない。
経営というものは、いってみれば終わりのない壁画を描き続けるようなものだから、
常に、そういう希望をもっていなければならないと思う。
すべての事業には、ここが頂上で、これでおしまいなどというものはない。
だから私は、今でもこうしなければいかん、
ああしなければいかんということを考えている。
相談役ではあるけれども、相談役という立場に立って、
それなりに事業のよりよき姿を考え続けているのである。
『松下幸之助経営語録』
自問自答
社員が10人なら、15人にすることを考える。
きのうの考えに執着しない。
きようの考えを、あすはさらに発展させる。
日に新たに、絶えず求めていくのである。


本日のテーマ『事業の頂上』については、
自信をもって「求め続けている」と言い切れます。
経営環境、生活環境の変化を先取りし、
豊かで健善な暮らしに対応し続けます。
注意することは「見直し」を忘れてしまうこと。
出来上がった仕組みも、
出来上がった瞬間から劣化することを意識しなくてはならないのですね。

2020/09/29 2020年9月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月29日
一歩先んじる

正しい経営理念というものは、基本的にはいつの時代にも通ずるものである。
経営というのは、結局、人間が人間自身の幸せをめざして行うものなのだから、
人間の本質がいつの時代においても変わらないものである以上、
正しい経営理念も基本的に不変であると考えられる。
だからこそ、それだけ正しい経営理念をもつことが大切なのである。
しかし、
その経営理念を現実の経営の上に表すその時々の方針なり方策というものは、
これは決して一定不変のものではない。
というよりも、その時代時代によって変わっていくのでなければならない。
いいかえれば“日に新た”でなくてはならない。
この社会はあらゆる面で絶えず変化し、移り変わっていく。
だから、その中で発展していくには、企業も社会の変化に適応し、
むしろ一歩先んじていかなくてはならない。
それには、きのうよりきょう、きょうよりあすへと、
常によりよきものを生み出していくことである。
きのうは是とされたことが、きょうそのままで通用するかどうかはわからない。
情勢の変化によって、それはもう好ましくないということが往々にしてあるわけである。
『実践経営哲学』
自問自答
変えるべきもの。
変えてはならないもの。
取り違えてはいないか。


経営理念が完成したのは20年前ですが、
元が出来上がったのは25年以上前です。
その時は、
『豊かで健善な暮らし』は『ガスを通した豊かな暮らし』
『豊かで健善な暮らし』は『豊かな住環境』
でした。
『ガス』『住』を外して現在に至りますが、
解釈を変化させながら時代の変化に対応する経営理念であると、
あらためて感じています。

2020/09/28 2020年9月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月28日
力強い経営

実をいえば、私自身事業を始めた当初から
明確な経営理念をもって仕事をしてきたというわけではない。
私の仕事はもともと家内と義弟の三人で、いわば食べんがために、
ごくささやかな姿で始めたことでもあり、
当初のあいだは経営理念というようなものについては、
何らの考えもなかったといってもいい。
もちろん、商売をやる以上、
それに成功するためにはどうしたらいいかをあれこれ考えるということは当然あった。
ただそれは当時の世間の常識というか、商売の通念に従って、
“いいものをつくらなくてはいけない、
勉強しなくてはいけない、
得意先を大事にしなくてはいけない、
仕入先にも感謝しなくてはならない”
というようなことを考え、それを懸命に行うという姿であった。
そういう姿で商売もある程度発展し、それにつれて人もだんだん多くなってきた。
そして、そのときに、私は“そういう通念的なことだけではいけないのではないか”
ということを考えるようになったのである。
つまり、そのように商売の通念、
社会の常識に従って一所懸命努力することはそれはそれできわめて大切であり、
立派なことではあるけれども、それだけでなく、何のためにこの事業を行うかという、
もっと高い“生産者の使命”というものがあるのではないかと考えたわけである。
そこで私なりに考えたその使命というものについて、従業員に発表し、
以来、それを会社の経営基本方針として事業を営んできたのである。
それはまだ戦前の昭和七年のことであったけれども、
そのように一つの経営理念というものを明確にもった結果、私自身、
それ以前に比べて非常に信念的に強固なものができてきた。
そして従業員に対しても、また得意先に対しても、言うべきことを言い、
なすべきことをなすという力強い経営ができるようになった。
また、従業員も私の発表を聞いて非常に感激し、
いわば使命感に燃えて仕事に取り組むという姿が生まれてきた。一言にしていえば、
経営に魂が入ったといってもいいような状態になったわけである。
『実践経営哲学』
自問自答
松下幸之助が、その経営に魂が入り、力強い経営ができたのは、
経営理念を明確にもった結果だという。
自分の経営に、もう魂は入っているだろうか-.


マズローの五段階欲求
1.『生理的欲求』   :食欲,睡眠欲など生きるうえで必要不可欠となる欲求。
2.『安全に対する欲求』:危機回避や健康維持など、
未来に対しての不安から自分の身を守りたいという欲求。
3.『愛情の欲求』   :人から良く思われたい、嫌われたくないなど、
集団に対する帰属感を含んだ欲求。
4.『尊重の欲求』   :社会的ステータスを築きたい、
人から認められたいという欲求。
5.『自己実現の欲求』 :「自分はこうでありたい」という、
自らを為すことへの欲求。
松下幸之助翁といえど、創業時は1段階、2段階からスタートし、
5段階へ上り詰める過程で『松下理念経営』が出来上がっていったのです。
理念も形から入って心に至るのですね。

2020/09/27 2020年9月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月27日
企業の社会的責任

社会が複雑化し、また企業の規模が大きくなり、その活動も多様化するにつれて、
企業と社会の関わりあいにも、いろいろな面が出てくると思います。
したがって、
それにつれて企業の社会的責任の範囲も時とともに広がっていくと考えられます。
そのような時代性というものがあることが、
企業の社会的責任に関する論議を複雑なものにし、
質問にあるように、論議の多いわりに、
いっこうに結論が出ないという姿になっているのではないかと思います。
しかし私は、そのような時代性がある半面、
いつの時代にも変わらない企業の社会的責任というものも厳としてあると思うのです。
そういう点をしっかりと認識した上で、時代の変化に対抗していくということが、
やはり企業経営においてきわめて大切ではないかと思います。
そこで私の考える社会的責任ですが、大別すると、つぎの三つになると思います。
第一は、企業の本来の事業を通じて、社会性の向上、人々の幸せに貢献していくことです。
これは企業の基本的使命であると考えます。
第二は、その事業活動から適正な利益を生み出し、
それをいろいろなかたちで国家社会に還元していくことです。
第三は、そうした企業の活動の過程が、質問にある公害というような問題も含めて、
社会と調和したものでなくてはならないということです。
『日米・経営者の発想』
※質問者(経営評論家・石山四郎氏)の
「企業の社会的責任」についての質問に対して、ということ。

自問自答
事業を通じて人々の幸せに貢献する。適正な利益を生み、
国家社会に還元する。社会と調和した企業活動をする。
このいずれも欠かせない活動を十分に行えているか。


第一は・・・中心はLPガス。そして住宅。
第二は・・・もちろん納税
第3は・・・地域の豊かな暮らし支援という第3の柱は、
『社会との調和』から出てきたサービスなのですね。

2020/09/26 2020年9月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月26日
中小企業の強み

日本人の国民感情というものは、
組織が大きくなるほど極端に能率が上げにくい状態になってきます。
なかでもいちばん能率の上がらないのはお役所ではないでしょうか。
お役所の人は働かないのでなく、働けないのでしょう。
のびのびと働けないような情勢がモャモャとそこに渦まいていて、
いわゆる事なかれ主義というような傾向になりやすいのだと思います。
大企業もそういう面をもっています。
企業が大きくなればなるほど、いわゆるお役所気分というものが強くなってきます。
ところが、中小企業はそういうことをしていては、会社がやっていけません。
ですからどうしてもいやおうなしに働かなくてはならないということがあります。
また従業員が二十人とか五十人ということであれば、
お互いの気心や動きがよくわかって、
打てば響くすばやい動きができやすいということもあります。
そういうことから、
私は中小企業ほど人がその能力を十分発揮しつつ働きやすいところはないし、
また実際よく働いていると思うのです。
世間ではとかく中小企業は弱いといいます。
けれども、大企業が個々の人の力を70%ぐらいしか生かすことができなくても、
中小企業は100%、やり方によっては120%も生かすことができるわけです。
そういうところに、中小企業の一つの大きな強みがあるように思います。
その強みを中小企業は績極的に生かしていくということが、
きわめて大切ではないでしょうか。
また一方、大企業においては、組織なり制度なりの上で、
いわゆる専門細分化をはかるなどして、
一人ひとりの社員がそのもてる力を十分発揮できるような環境づくりを、
絶えず心がけていく必要があると思うのです。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
個々の能力を何パーセント生かせているか。
あと何パーセント生かせるか。


個々の能力を生かそうとする人たちの集団は強いですよね。
小さい組織で個々の能力が高いと、
「右向け右」と声がかかれば一糸乱れず右を向きます。
組織が大きすぎてもダメ。
組織が小さくても個々の能力を生かそうとしない集団だと・・・、
・・・小さい企業であるのに・・・強みなし。
広ガスたかたは強い組織に成長しました。
・・・これからもさらに。
 

2020/09/25 2020年9月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月25日
赤字は罪悪

わが国の各企業も、この適正利潤の確保ということに、
お互いにもっと真剣に取り組むべきだと思う。
もし、企業が非常に低い利潤しかあげられないとしたら、これは国家社会に対して、
まことにあいすまぬことになる。
天下の金・人・物を使う企業は、
それに見合うだけの社会的プラスが、初めから予想されていると考えるべきである。
それが十分にできないのならば、いさぎよく人と金を社会に返して、
他にもっと有効に活用してもらうことを考えたほうがよろしい。
ましてや、企業が赤字となれば、これは単にその会社の批失というにとどまらず、
社会的に見ても大いなる損失である。
赤字を出したからといって、その企業が法的に罰せられることはないが、
私は、その企業は社会に対して、
一つの過ちを犯したのだという厳しい自覚をもって然るべきだと考える。
これは資本の多い大会社ほど厳しく要請されねばならない。
特に公企業・独占企業的なものほど、適正利潤の検討には厳重であるべきだと思う。
それは、こうした大会社ほど社会の金と人と物を使うことが多く、
それだけ社会性が強いのだから、他の範とならねばならないからである。
かりにある大会社が、その経営規模にふさわしい適正な利潤を着々とあげておれば、
国庫にも莫大な収入があることになり、
それによって国民に大きな福祉を与えることになる。
逆にその大会社が赤字を出したとしたら、政府もほうっておくわけにはいかない。
実情調査に係官を派遣するだろうし、いろいろと援助もしなければならない。
これには多額の費用がかかるが、これはすべて国民の税金から出されるのである。
差引きなんと大きな国家的国民的損失であろう。
こんなことは、企業の社会的責任、使命からすれば、ほんとうは許されないことだ。
赤字を出すということは、企業の国家的国民的な罪悪だといってよろしいかと思う。
自問自答
赤字は「罪悪である」「許されないことである」
という自覚こそが、社会をよくしていくのだ。
政府の無策のせいばかりにしてはいられない。


広ガスたかたの場合だと、
小さな会社なので国から実情調査に係官を派遣されることははないですね。
・・・ひっそり企業が一つなくなるだけです。
お金は企業の『血液』なのです。
お金がなければ出血多量企業は死んでしまいます。
まずは輸血(借入)してでも生き残る。
・・・銀行が輸血してくれれば・・・ですが。
いずれにしても『赤字』の原因を突き止めふさがなければ、
流血は止まりません。

2020/09/24 2020年9月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月24日 最
高の熱意

上に立つ人として、何もかも人にすぐれているということであれば、
これは申し分ないのはいうまでもない。
知識もある、手腕もある、才能もある、
人格もすぐれているというような人がいちばん好ましいのは当然だろう。
しかし、実際には、そのように何もかも衆にぬきんでて立派であるというような人は
まずありえないといっていい。
だいたいにおいて、人間というのは、ある一事において人よりすぐれていれば、
他の面では人よりも劣っているのが普通の姿であり、指導者だからといって、
その例外を望むのはむずかしいと思う。
だから、指導者とて、多くの面で部下に劣っていてもいいわけだが、
ただ一つ熱意だけは他にすぐれたものをもたなくてはならない。
知識なり才能なりは必ずしも最高でなくてもいい、
しかし熱意だけは最高でなくてはならない。
『人事万華鏡』
自問自答
経営トップとして必要なこと。
それはやはり熱意である。それも最高の熱意である。


『能力』『才能』以上に大切です。
って言うか、「『熱意』なくして成功なし」と言い切れます。
『熱意のない努力』なんて聞いたことがありません。
当然ですが熱意なくしてはPDCAも回りません。
58期の『習慣』は熱意ありきで初めて成立します。

2020/09/23 2020年9月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月23日
事業欲

人には、さまざまな欲がある。
そして、その欲が過ぎると、そこに何らかの好ましからざる事態が生じてくる。
たとえば、食欲が行きすぎると身体をこわすといった具合である。
ただ食欲であれば、それが過ぎてもわが身一人の苦しみにとどまる。
しかし、事業欲のようなものは、行きすぎると自分一人にとどまらず、
他の多くの人々、ひいては世間にも迷惑をかけることになる。
それだけに、事業に携わる人々は、みずからの良識というものを働かせ、
その事業欲が行きすぎないように調節することが大事だと思う。
『思うまま』
自問自答
事業欲は行きすぎていないか。
その欲を調節する良識を常に働かせているか。


事業のための事業を続けていいけません。
ましてやお金儲けを目的するのはもってのほかです。
経営理念がしっかりとしていなければ事業の目的を誤ってしまうのですね。
私の座右の銘
『正義の道を守ること』
『きれいごとの道を守ること』とはもちろん違います。

2020/09/22 2020年9月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月22日
血肉

会社としての基本の考え、方針がはっきりしていれば、
経営者なり管理監督者としても、それにもとづいた力強い指導もできるし、
またそれぞれの人も、それに従って是非の判断ができるから、人も育ちやすい。
ところが、そうしたものがないと、部下指導にも一貫性がなく、その時々の情勢なり、
自分の感情に押し流されるといったことにもなりかねないから、人が育ちにくい。
だから経営者として人を得たいと思うならば、まずみずからがしっかりした使命観、
経営理念をもつことが先決である。
さらに、従業員に対しては常にそのことを訴え、それを浸透させていくことである。
経営理念というものは、単に紙に書かれた文章であってはなんにもならないのであって、
それが
一人ひとりの血肉となって、はじめて生かされてくるのである。
だからあらゆる機会にくり返しくり返し訴えなければならない。
『実践経営哲学』
自問自答
経営上の使命や理念を
‘‘文章のまま”にしていないか。


現在の経営理念に至るまでに2度大きな修正を行っています。
現在の経営理念で自身にしっくりなじむものになりました。
社長就任後すぐにベースをつくりましたが発表はしていません。
3つに分かれている経営理念もこの時は長い一つの文章で、
思いは入っていましたがしっくりこなかったのです。
38歳で「暮らし」「環境」「成長」の3つの理念になりましたが、
・・・しっくりきません。
文章を読んでストンと落とし込めないのです。
39歳の時日創研のTTコース受講中に現在の理念が完成しました。
ファシリテーターでお世話になっていた、
おやつカンパニー松田社長(当時)に見ていただき、
「いい理念だ」という言葉をいただきました。

2020/09/21 2020年9月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月21日
整形手術

一つの商品が売れるかどうかについては、
その品物自体のよしあしにもよることはもちろんである。
しかし、それだけでなく、その会社なり商店なりのイメージということも、
決して無関係ではない。
というより、
最近ではそういうものの比重がしだいに大きくなりつつあるようにも思える。        
そうなってくると、経営者たるもの、会社のイメージをよくするために、
整形手術を受けなくてはならないようになるかもしれない。
社長としての、あるいは重役としての資格は、まず整形手術を受けること、
といったことにもなりかねない。
まあ、そこまではいかないにしても、少なくとも経営者として、
態度物峨に十分気をつけなくてはならないことは確かだと思う。
先日もある大会社の社長さんにお会いしたのだが、実に丁重である。
お辞儀一つでも、こちらが七十度ぐらいとすれば、向こうは九十度も体を曲げられる。
話しぶりも人をそらさなくて、知らず識らず引きつけられてしまう。
その会社は業界第一位だそうだが、なるほどこの社長さんなら当然だな、
と思わせるものがあった。
その人のそうした態度物腰が各方面に好感を与え、
それが、その会社を伸ばす大きな力になっていると思うのである。
そういうことを考えると、経営者にとっては、その一挙手一投足
これすべて会社の業績に影響してくるということも考えられる。
これは見方によっては、まことに窮屈な話である。
しかし、ほんとうはそれが経営者というものである。
「そんな窮屈なことはかなわん」と言うような人には、厳しいようだが、
経営者としての資格はないともいえる。
今、経営者を取り巻く環境は、かつてない厳しいものがある。
経営者たるもの、
必要とあればすすんで整形手術でも何でも受けるほどの覚悟をもって
臨むことが要求されていると思うのである。
『経済談義』
自問自答
みずからの一挙手一投足が会社の業績に影響する。
必要ならば、整形手術でも受けるほどの覚悟が自分にあるか。


社長になって10年以上、
ぶち当たった問題や、手から降ろせない課題が多すぎ、
家にいても常に『一挙手一投足』を意識していました。
意識が崩れると経営トップの重圧に耐えれなくなると感じていたからです。
・・・寝ていても・・・寝言は仕事。
お笑い番組を見ても感動ドラマを見ても笑いも涙も出ない時期でした。
・・・何年前のことでしょう。
お笑い番組を見ながら一人で腹を抱えて大笑いしたのです。
・・・その時にはっとしました。
何時から腹を抱えて笑っていなかったのだろう。
・・・・・・十数年ぶりに呪縛から解放されました。
もちろん会社組織の成長が前提であったことは言うまでもありません。

2020/09/20 2020年9月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月20日
社員はみな偉い

世間の多くの会社を見てみると、あるいはうちの得意先を見てみると、
そこには立派な社長もおれば専務もおられるのに、うまくいかないところがある。
うまくいかないところは、「自分の会社の社員というものはみなあかん、間に合わん。
困ってるのや」ということを訴える。
そういうところはなかなかうまくいかない。
しかし、
「松下さん、うちの社員はみな偉いですわ。私より偉うおますわ」
と言う社長の会社はうまくいく、そうなっています。
そういうことが言えるかどうかということですな。
『松下幸之助発言集第24巻』(昭和49年の発言より)
自問自答
「うちの社員はみな偉い」と言えているか。


広ガスたかたの社員は皆偉いと思いますよ。
私の全社基準は、
『PDCAを回す実行計画プログラム』
『日報ボイスメール』
『業務支援システム』
ですね。
特に『実行計画プログラム』の成長は相当なレベルと確信します。
 

2020/09/19 2020年9月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月19日
愚痴を言える部下

愚痴や悩みを言える部下が大勢の中に一人でもあれば、非常に精神的に楽になると思う。
それによって、自分のもてる力を十分に発揮することができるようになる。
けれども、
よく働く人はたくさんあっても、自分の悩みを訴える部下がなかったら疲れてくる。
それで、
いい知恵も出ないし、自分の働きが鈍ってくるということも起こりうるわけである。
なかには家へ帰って奥さんに愚痴を言う人もあるかもしれない。
そういうこともストレスの解消にはなるだろうが、
仕事のことでそこまでいくと具合が悪い面もある。
やはり自分の部下の中に愚痴を訴えられる人、
うまく愚痴を聞いてくれる人があれば非常に助かる。
実は、私自身が多少神経質なところもあって、そういうことを身をもって体験してきた。
私の今日あることの一つの大きな原因としては、
そのような人に比較的恵まれたことがあげられると思う。
いろいろと煩悶したときに、それをうまく聞いてくれる人が、私の場合はわりと多かった。
だから幸いにして愚痴が言えた。
それで、少々のことでも愚痴を言って、気がスッとする。
晴れ晴れとした気分になって、力いつぱいに仕事に打ちこめるというような姿で、
今日までやってこれたわけである。
だから、相当の仕事をする人、何らかの意図をもって事業をしようというような人は、
そういった患痴を言える部下をかたわらにおいておくことが望ましいと思う。
もちろん、非常に働きがあって立派な仕事をする部下、
現実に商売をして大きな成果をあげるという人が大切なのはいうまでもないことである。
しかし、そういう人だけでなく、働きはそれほどでなくても、
愚痴をうまく聞いてくれるような人がいないと、事業に成功し、
社会人として成功することはむずかしいのではないかと思う。
『人事万華鏡』
自問自答
うまく愚痴を聞いてくれる人は、いるか。


『仕事ができる人ほど愚痴を聞いてくれる』と私は感じています。
『器が大きい』という言葉がありますが、
仕事のできる人は『素直』であり『器が大きい』がまさにはまっているようです。
私自身は私よりも確実に何倍も学び続けている人に対しては、
研修や講演はもちろん、日常からも『素直』に吸収しヒントを得ようとしています。
ここでいう私の『素直』は学ぶための戦略的素直と言えますね。
『器の大きくない私が企業を永続し続けるために、
あえて一歩前進を自らに課している』がより正しい表現かもしれません。
 

2020/09/18 2020年9月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月18日
拝むという心根

少人数の人を使っている、小規模の会社、商店の経営者であれば、
みずから率先垂範して、
そして部下の人に「ああせい、こうせい」と命令しつつみんなを使って、
だいたい成果をあげることができるでしょう。
しかし、これが百人、千人となれば、そういう姿は必ずしも好ましくありません。
百人も千人も従業員がいるところでは、
もちろん仕事の内容とか種類によりますけれど、だいたいにおいて、
率先垂範して「ああせい、こうせい」というタイプでは好ましくないと思います。
形、表現はどうありましょうとも、心の根底においては、
“こうしてください、ああしてください”
というような心持ちがなければいけないと思うのです。
そうでないと、全部の人によりよく働いてもらうことができないでしょう。
これがさらに、一万人、二万人になれば、
“そうしてください、こうしてください”ではすまされないと思います。
“どうぞ頼みます、願います”という心持ち、心根に立つ。
そしてさらに大を成して五万人、十万人となると、
これはもう“手を合わせて拝む”という心根がなければ、とても部下を生かしつつ、
よりよく働いてもらうことはできないと思うのです。
そのような心根をもっているならば、
同じ言動であってもその言動の響きは違ったものになりますから、
部下の人々は、その響きをくみ取って、多少無理と思われるような命令であっても、
それぞれに得心して働いてもらうことができるのではないかと思います。
だから、そういう心根がなかったならば、いくら命令を出しても、
部下はその命令に感ずるところ少なく、
したがって働きも鈍くなって大きな成果も得られない、ということになってしまいます。
こういったことは、経営者として心すべきことだと思います。
『商売心得帖』
自問自答
今、自分の部下は何人いるか。
その人数に応じた心根に立つことができているか。
その自分の心根は部下の心に響いているか。


広ガスたかたの組織は「ああせい、こうせい」で成り立つ規模ですが、
将来の組織の在り方を考えつつ、各実行計画チームのレベルに合わせ、
「どうぞ頼みます、願います」を念頭に置きながら、
「こうしてください、ああしてください」の実践です。
チームによっては、
「どうぞ頼みます、願います」にも踏み込んでいます。

2020/09/17 2020年9月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月17日
年功序列と抜擢

年功序列ということにも、それなりのよさもあるともいえる。
というのは、たとえば知力なり体力といった面での能力は若い人に劣るとしても、
年長の人はそれなりに経験も積んでいるから、そのことが一つの力になってくる。
また年功序列的な風潮の中では、年長であることによって、若い人が敬意を表し、
もり立ててくれるから、衆知も集まりやすく、
全体としての活動がスムーズにいきやすいという面もあろう。
そういうことからすると、年功序列制もそれなりにプラスの面もあり、
それを生かしていくことによって、
ある程度好ましい人の生かし方もできるとも考えられる。
しかしそうはいうものの、やはりそれだけに終始していたのでは、
いわゆる事なかれ主義に陥ってしまい、
いきいきと躍動するような経営も生まれてきにくいのではないだろうか。
だから、そこに適度に抜擢ということも行なっていく必要があると思う。
具体的にそれをどのように行なっていくかということは、
それぞれの企業の実態なり、
またその時々の情況によっていちがいにこうとはいえないと思うが、
私自身についていえば、
だいたいにおいて年功序列70%、抜擢30%というような感じでやってきたといえよう。
これが反対に年功序列30%、抜擢70%になると非常に面白いと思うのだが、
そうするにはさきに述べたように、
小学校の教育から抜本的に変えていかなくてはならないだろう。
時代の要請からしても、
だんだんそのようにはなっていくのではないかという感じがするが、
それはやはりまだ先のことで、今日の日本の経営においては、
年功序列を主体としつつ、そこに適度に
抜擢を加味していくことが無理のない姿だと思う。
『人事万華鏡』
自問自答
わが社の抜擢人事はどのくらいの率か。
それは妥当な率なのか。


『年功序列』という制度があったから、
日本では『職人』が育ってきたと考えています。
現在では『抜擢』がウエイトを増しています。
社内だけではなく、むしろ経営トップをスカウトする『抜擢』も多いのです。
JALの再建に京セラ創業者の稲盛和夫氏が『抜擢』されたことは、
あまりにも有名です。
どちらも大切なのです。
・・・が、日本から『職人』がいなくなっているのはとてもさみしいことですね。
時代に応じた正しいバランスで変化し続けることが大切なのだと考えています。
 

2020/09/16 2020年9月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月16日
気をくばる

聞くところによりますと、
親鸞聖人でさえ自分の息子にずいぶんと苦労されたということです。
いろいろ問題は起こすし、
あまつさえ、親父の教えは間違っている、と言いふらしたりする。
ほかのだれでもない、自分の長男がそういうことをするということは、
親鸞聖人としてどれほどつらかったことでしょうか。
しかし嘆きつつも結局、じっと辛抱をしておられたわけです。
ましてわれわれ凡人は、そういう人があれば気になってしかたがない。
けれども、人を使うというときには、
どうしても“粒より”ばかりというわけにはいかないと思うのです。
それは、われわれの体と同じようなものです。
体は年中どこも健康というわけにはいきません。
現実には胃が弱いとか、血圧が高いとか、
どこか具合の悪いところを抱えている場合が多い。
それが一時的ですぐ治れば、それに越したことはありませんが、
簡単に治らないというときには無理をしないで、
病気が悪化したり再発したりしないように、
気をくばりながらやっていくほかはありません。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
組織内の実力不足の社員は、体の病気と同じように、
気をくばりながら、使っていけばいい。
それ以外に方法はないと心しておく。


人事というのは組織全体へ『気配り』をしながら行います。
基本は良いところを生かす人事。
もう一つはあえて負荷をかける成長のための人事です。
「人生は一つ勝てるものを見つけること。
あとは全部負けてもよい」
林修先生のことばです。
森信三先生は
「人間は必ず一つ光る何かを持ってい生まれている」
と言われています。

2020/09/15 2020年9月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月15日
気の毒

昔の日本に「頭回らなければ尾も回らん」という言葉があるんですよ。
だから百人の人を緊張させて、大いに成果をあげようと思えば、
あなたの活動をはたの人が見て“気の毒な”というようにならんといかんでしょうな。
うちの社長はもう一所懸命にやっている、
“もう気の毒や”という感じが社員のあいだに起これば、全部が一致団結して働くでしょう。
けど、そうでないかぎりは、
あなたの活動の程度にみな働くでしょう。(笑)私はそう思いますね。
人間というのはそんなものです。
だから決してぼろいことはないわけですね。
自分はタバコくわえて遊んでいて、
「働け」と言うたって、そら働きよらんですよ。(笑)
私はそう考えてやってきました。
それともう一つは、あなた自身が働きがいをおぼえることが大事ですね。
自分が雇っている人がほんとうによくやってくれる、
もったいないほどよくやってくれる、自分もうっかりしてられんわい、
というような気分があなたに起こるということも、
それとまた相対した一つの姿でしょうな。
そういうことによって人間関係ができていく。
その人間関係によって、
いまあなたが希望されるようなことが達成されるのではないかと思いますね。
『社長になる人に知っておいてほしいこと』
自問自答
「働け」と言って、働くものではない。
社員に働きがいをもたせるには、自分が働きがいをもたねばならぬ。


社長の仕事は『畑づくり、環境づくり』だと思っています。
どのような畑をつくるのか?どのような環境をつくるのか?
それを自分で感じ取りやめに10年以上トイレ掃除を続けました。
全社で環境整備に取り組み始め自身の掃除取り組みはやめ、
環境チェックに変えていきました。
創業者には『トイレ掃除禁止令』を受けたこともあり、
『一時クルマ清掃や草取りに取り組み頃合いを見てトイレ掃除に戻る』
を繰り返していました。
かなり後のことですが近所の飲み屋さんで、
「お宅の会長が、うちの社長は10年トイレ掃除をやり続けている。と褒めてたよ」
と聞きました。
 

2020/09/14 2020年9月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月14日
苦を使う

これは、私自身の体験だが、
私も、つくづく人を使うのは苦労だと感じたことがあった。
それは、終戦直後のことである。
つまり、終戦までは、かなり封建的な気風もあって、
社長でありしかも創業者でもある私の言うことは、相当によく聞かれていたのである。
ところが、終戦を境としていわゆる民主化とともにそれが一転した。
しかもそういうところへ、労働運動が急速にもり上がって、
一部には過激と思われるような姿も見られた。
私の会社でも、労働組合の人が大勢で、廊下をドンドン踏みならし、
気勢をあげるというような姿も見られたのである。
そういう姿に、私はつくづく、苦を使うというのは本当だなと感じたのであった。
しかし、そのときに私はふと考えた。
「なるほど、自分が人を使っていると思えば、これは苦労にちがいない。
けれども、考えようによってはこの人たちは全部自分のお得意先ではないか。
お得意先であれば、これを大事にしなくてはならない。
だいたい、お得意先というものは無理を言うものである。
その無理を無理と思わずに、
『ありがとうございます』と言って買っていただくところに商売の道がある。
だから、社員の人、労働組合の人がみなお得意先だということであれば、
少々の無理は聞いていかなくてはならない。
むしろありがたいと思うぐらいでなければいけない」
そう考えると、なんとなくスーツとして、あまり苦労に感じられなくなった。
自分が使っていると考えれば、
「言うことを聞かなくてけしからんな。反対ばかりしてかなわんな」
という感じがするけれども、
これをお得意先だと思えば、そう気にもならなくなってくる。
まあ、そのように考えて、そこにある種の慰めというか、
そういったものを見出したのである。それからあとは、
個々にはいろいろあったけれども、
大きくは苦労という感じをもたずに来られたように思う。
『人事万華鏡』
自問自答
人を使うことは、まさに苦を使うこと。
しかしそれも考え方次第で変えることはできるのだ。


今では昔話になってしまいましたが、
何かと文句ばかり言ってくる社員がいました。
松下幸之助翁の言われるように、
『人を使うことは、まさに苦を使うこと』と感じていました。
「この社員が文句を言わなくてもよい会社になったら、
広ガスたかたはお客様に指示されるとても良い会社になっているはず」
それからは『文句』を『課題』ととらえることにしました。
・・・もちろん、
『短期課題』『中期課題』『長期課題』『夢』に振り分けての取り組みです。

2020/09/13 2020年9月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月13日
頭を下げる

人間というものは不思議なもので、一度虫が好かないと思いこむと、
たとえその相手がすぐれた点をもった人物であっても、
そのことをなかなか素直に承認できない。
ついついその人の欠点ばかりを探し出してきて、やはりあいつはダメだ、
と思いこみたくなる。
そんな一面が、お互い人間にはある。
その点を経営者たるものは、よほど自戒しなくてはならないと思う。
私はこれまで、いやしくも経営者たるものは、
私情にかられてはいけないということを、絶えず自分に言い聞かせ、そう努めてきた。
個人的な感情、好き嫌いで人を使ってはいけない。
やはり、その仕事に役立つ人かどうかで見なければいけない。
仕事はできるけれどもあいつは虫が好かん、というようなことではいけない。
かりに虫が好かんと思っても、経営者である以上は、
仕事のために目をつぶらないといけない。
この男がいなかったら、この仕事はできんという気持ちで、
「君、頼む。やってくれ」と頭を下げる。
そこまで徹しなければ、ほんとうの経営者とはいえない。
そう考えて、自分で言うのもおかしいけれども、公明正大を貫いてきた。
少なくともそうなるよう努力してきた。
『松下幸之助経営語録』
自問自答
私情による思いこみを自戒せよ!
公明正大を貫き通せ!


経営者でなくとも同じです。
『この人だけには「ごめんなさい」』と言いたくない。
『この人だけには負けたくない」とか・・・。
個人的感情は大きなエネルギーとして必要ですが、
それをどう表現するか???
この表現は結果に大きく左右しますし、
人間形成の上でもとても大切です。
幸せの心理学(TA)でいう『ゲーム』に入って行くと、
つかみかけていた『成功』もスルスルと手からこぼれ落ちてしまいます。
 

2020/09/12 2020年9月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月12日
会社の看板

ぼくはこの三十年余り、十日か二週間に一回ぐらいの割合で、
時間をやりくりして散髪に行くことを習慣にしています。
ずいぶん多いな、と思われる方があるかもしれません。
しかしこれには、一つのきっかけというか、わけがあるのです。
というのは、三十年ほど前、東京は銀座のある理髪店へ行ったとき、
そこの三十七、八歳の店員さんがぼくの頭を刈りながら、
「お見受けするところ、松下さんにはもっと頭髪を大事にして、
常にどんな刈り方がいいか、どんな髪型が似合うか、
自分で研究していただかなければいけないように思いますね」と言うのです。
「銀座の四丁目には、松下さんの会社の立派なネオンの広告塔がありますが、
松下さんの頭は、いってみればそれ以上に大切なあなたの会社の看板です。
ですから、お客さんがあなたの頭をご覧になって、
あなたの会社の製品を買う気がしないというような気分にならないように、
常に十分な手入れをしていただかなければ……」
それまで髪のかつこうなどにはまったくといっていいほど無頓着であったぼくは、
店員さんのこの忠告に、いちいちもっともだ、と感心させられました。
それ以来、東京へ行ったときにはその店、大阪いるときには、
その店の支店を行きつけの店として、
少々忙しくても髪の手入れを怠らないよう注意してきたのです。
『縁、この不思議なるもの』
自問自答
自分の頭髪が、自分の見た目が、会社の看板になる。
自分の“手入れ”は怠りないか。


30年以上前です。
「いつも頭がボサボサですね」
と言われてしまいました。
・・・当時はパーマを当てていて毎朝軽くセットしていたにもかかわらず。
パーマを止め『オールバック』にししっかりとセットすることにしたのです。
その後『スポーツ刈り』そして現在は『ソフトモヒカン???』
スポーツ刈り時代から3週間前後で散髪に行き続けています。
スポーツ刈りのころだったでしょうか?
「私自身が会社の看板になろう」と決意しほっと通信に顔を出し始めました。
ユニフォームを着用せず町をちょろちょろしていた時に、
会社の悪口やクレームを何度も耳にしていましたので、
直接会社の耳に届かないクレームが多かったことを知っていました・・・
ので、・・・決意には勇気がいりました。

2020/09/11 2020年9月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月11日
反省を重ねる

経営のコツとはどういうところにあるのか、どうすればつかめるのか、
ということになりますが、これがまさにいわくいいがたし、
教えるに教えられないものだと思います。
経営学は学べますが、
生きた経営のコツは、教えてもらって「わかった」というものではない。
いわば一種の悟りともいえるのではないかと思います。
お釈迦様は、六年間山にこもって修行されましたが、それでも悟れなかった。
そこで苦行をやめて山を下ってこられて、乙女に助けられた。
そしてその乙女のさし出す山羊の乳を飲んで菩提樹の下で一服されたときに、
ホッと悟られたといいます。
一所懸命の修行のあとで、安楽にしてじっと考えられたときに、
ふっと気がつかれたわけです。
私は経営のコツをつかむのでも、そんなものではないかと思うのです。
つまり、日々の経営者としての生活の中で、
一つひとつの仕事に一所懸命取り組みつつ、そのつど、これは成功であったな、
とか、成功であったけれどもここのところは完全ではなかったな、
という具合に反省を重ねていく。
そしてそれが、やがて意識しないでも考えられるというか、
反省できるようになることが必要だと思います。
そういうことを刻々にくり返していると、だんだん間違いをしないようになる。
ということは、経営のコツがわかってきた、
ということになるのではないかと思うのです。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
日々、反省、自問自答を重ねていく。
意識せずに自省している、そうなるまで、絶えず積み重ねていく。


反省はPDCAサイクルでのC(チェック)ですね。
日々反省とは『小さなPDCAを回し続ける』こと。
人はPDCAを回すことで成長します。
大きなPDCAだけを意識していると、
成長が停止している期間・時間が長くなるということです。
一回にどれだけ多くの時間をかけたか?よりも、
小さなPDCAをたくさん回し続けることが成長につながるのですね。
・・・私の尺八も時間ではなく回数を意識して稽古しています。

2020/09/10 2020年9月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月10日
経営のコツを得る

一つの心がまえとして、やはり素直な心にならなければいけないと思います。
自分の利害や感情、
欲望といったものにとらわれない素直な心にいつもなるということです。
そうすれば、人から意見を聞いたような場合でも、
「そうですか。じゃあひとつやってみましょう」ということが、ごく自然に言えます。
ところが、なまじ学問をして知識や技術を知っていますと、それにとらわれて、
人の言うことでもなかなか素直に聞けない。
そのために経営のコツを悟るのにも時間がかかる。
そういった姿が少なくないのではないでしょうか。
素直な心については、私は以前から、その大切さを人にも言い、
自分自身にも言い聞かせて、
その向上に努めているのですが、常住坐臥(じょうじゆうざが)、
常に素直な心になることができれば、人間というものは、物事のほんとうの姿、
実相を見ることができるようになって、あたかも神のようにといってもよいほど、
強く正しく聡明になることができると思います。
そうなれば、商売や経営において何が大切かといったことも
的確につかむことができましょうし、
人を生かしていくにはどうすればよいかというようなことも、
その時々に応じて正しく判断できるようになるでしょう。
それは経営のコツを会得した姿にほかならないと思います。
その意味では、
素直な心になるところにこそ経営のコツを得るコツがある
といっても決して過言ではない気がしています。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
経営のコツを得るコツは、つかめているだろうか。
心の素直さは高まっているだろうか。


経営に限らずすべての『コツ』極意と言ってもよいでしょうね。
その『コツ』を得るには『素直』。
「何でもかんでもスポンジが水を吸うように吸収すること」
と言われていたそうです。
・・・前提はその対象が悪人ではないことですね。
ある意味騙されやすいのかもしれません。
私は若いころ
「騙されてもいいから吸収する。
・・・が、一度騙された人からは吸収を止める」
と決め『素直』の実践をしていました。

2020/09/09 2020年9月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月9日
経営は生きた総合芸術

一つの事業の構想を考え、計画を立てる。
それにもとづいて、資金を集め、工場その他の施設をつくり、人を得、製品を開発し、
それを生産し、人々の用に立てる。その過程というものは、画家が絵を描くごとく、
これすべて創造の連続だといえよう。
なるほど、かたちだけ見れば単に物をつくっていると見えるかもしれないが、
その過程には、いたるところに経営者の精神がいきいきと躍動しているのである。
その意味において、経営者の仕事は、画家などの芸術家の創造活動と軌を一にしており、
したがって経営はまさしく芸術の名にふさわしいものだといえる。
さらに、経営というものは、いろいろ複雑多岐にわたる内容をもっている。
分野ということ一つをとってみても、さまざまである。
研究したり開発をする部門、それにもとづいて製造する部門、
できあがった製品を販売する部門、あるいは原材料の仕入部門、
そのほか経理とか人事といった間接部門がある。
そうした経営における一つひとつの分野がみなこれ創造的な活動である。
そして、それを総合し、調整する全体の経営というものもこれまた大きな創造である。
そうしてみると、経営は芸術であるといっても、それは絵画であるとか、
彫刻であるといったように一つの独立したものでなく、
いわば、その中に絵画もあれば彫刻もある、音楽もあれば文学もあるといったように、
さまざまな分野を網羅した総合芸術であると見ることもできる。
しかも経営というものは絶えず変化している。
経営を取り巻く社会情勢、経済情勢は時々刻々に移り変わっていく。
その変化に即応し、それに一歩先んじて次々と手を打っていくことが必要なわけである。
だから、たとえば絵画のように、
描き終えたら一枚の絵が完成するというのとは趣を異にしている。
いわば経営には完成ということがないのであって、絶えず生成発展していくものであり、
その過程自体が一つの芸術作品だともいえよう。
そういう意味において、経鴬は生きた総合芸術であるともいえる。
『実践経営哲学』
自問自答
経営には完成がない。
経営という“過程”自体が、芸術作品なのである。
その創造の連続の途中に、今いるのだ。


私は松下幸之助翁のこの考え方が大好きです。
『人生は演出も演技も自分でする生きた芝居、
腕次第やり方次第でいくらでもいい芝居になる』
(松下幸之助 日々のことば)
毎日持ち歩いているシステム手帳に、
20年以上前に筆手帳に墨をすり筆で書き写したものをはさんでいます。
『いい芝居』を演じ続けたいと日々奮闘しています。

2020/09/08 2020年9月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月8日
従いつつ導く

人間というものは自分の考えで事を行うときにいちばん喜びが感じられるものですよ。
そうした場合にはその人の創意工夫も加わって、
仕事の成果もおのずからあがってきます。
だから、ぼくも経営にあたっては、社員の人たちの自主性を尊重し、
一所懸命働こうとするのをできるかぎりじゃましないように心がけてきました。
しかし、それでは何も注意しなかったかというとそうでもない。
責任者として言わなければならないことは言います。
けれどもその際、自主的な意欲に水をささないよう、
言い方に気をつけてきたわけです。
何かを頼んだり、何かをやってもらうとき、決してやる気を失わせないよう、
相手の人の自主性に従いつつ導いていく、むずかしいことですが、
これが大切なことではないでしょうか。
『人生談義』
自問自答
社員の「やる気」なくして、仕事の成果はあがらない。
社員の自主性に従いつつ、
社員が成果を出せるように導いてそんなおとなの行動が、
自分にどれほどできていただろうか。


仕事になじんでいない新人などでは特にそうですね。
スポーツでも同じでまずは体をほぐすことから入ります。
身体が『やる気』になるまでに無理をするとけがをします。
スポーツのたとえは日々でのことですが、
この日々を人生に置き換えて考えると、
『やる気』を持続させることがとても大切で、
部下のいる人は自らのテーマとして落とし込んでおくことです。
 

2020/09/07 2020年9月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月7日
心労を重ねる

一人の社長さんが、
「最近、商売が思わしくなくて、儲からないで困っています。
なんとか方法はないものでしょうか」
と、その窮状を訴えられました。
もう40年にわたって、
おとうさんの代から松下電器の代理店をされているお店の社長さんです。
長年わが社の製品を売ってもらっている立派なお店の社長さんが、
儲からないと言われる。
困ったことだ、あいすまないことだと思いました。
日本の経済界は容易ならないところにさしかかっている。
商売も非常にむずかしくなっている。
しかし、代理店の経営が思わしくいかない、利益があがらないということは、
たいへん遺憾なことだ。そう私は感じました。そこで私は聞いてみました。
「あなたはおとうさんからお店を引き継いで、すでに20数年、
現在では40人か50人の社員を使っておられる。
この不況の中にあって、利益があがらないというのは、
一面無理からぬことだとお察しします。
ところで、あなたは、今までに、小便が赤くなったことがありますか」
なぜ、突然私がこんな質問をしたか。
私はふっと、自分の小僧時代に、
店のご主人から何度となく聞かされた話を思い出したのです。
ご主人は、こういう意味のことをよく話したのです。
「商売というものは、非常にむずかしいものだ。厳しいものだ。
いわば真剣勝負と同じだ。だから、大きな心配事にぶつかると、
どうしたらこの困難を克服できるかと、あれこれ思いめぐらして、
眠れない夜を幾晩も明かす。それほど心労を重ねなければならない。
心配しぬき、考えに考えぬく。
心労のあまり、とうとう小便に血が混じって赤くなる。
そこまで苦しんで、はじめて、どうしたらよいかわかり、心が安定し、
そして新しい光が見えてくる。道がひらけるのだ。
いいかえれば、少しオーバーな言い方かもしれないが、
一人前の商人になるまでには、二度や三度は小便が赤くなる経験が要るのだ」
今にして思うのは、これは決して商人だけのことではない、ということです。
『若さに贈る』
自問自答
心労を重ね、苦しみぬいて、はじめて答えが見えてくる。
心が安定し、新しい光が見えてくる。
それを信じて、真剣勝負を続けていく。


おやつカンパニーの松田好旦が会長から直接伺ったお話です。
他社を経て父親の経営する松田食品(現おやつカンパニー)に入社したころは、
業績が悪化していたそうです。
大企業ではないにもかかわらず組織は『大企業病』で病んでおり、
商品の品質も落ち先行きを考えると不安でいっぱいだったそうです。
企業は常に生きるか死ぬかの戦い、『戦争』である。
負けは『死』を意味する。
と考え、5年間の『戦争を布告』したい改革を行ったのです。
社内では課長、部長などの役職で呼び合うことを禁止し、
大将、少尉、隊長・・・などで呼び合い、
「〇〇少尉入ります」「○○少尉報告します。・・・・であります」
と徹底して戦い続けたそうです。
『大企業病』の組織と戦い続け・・・5年後、
『完全勝利宣言』をされました。
 

2020/09/06 2020年9月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月6日
日に新た

いかに立派な経営理念があっても、実際の経営をただ十年一日のごとく、
過去のままにやっていたのでは成果はあがらない。
製品一つとっても、今日では次々と新しいものが求められる時代である。
だから正しい経営理念をもつと同時に、それにもとづく具体的な方針、
方策がその時々にふさわしい日に新たなものでなくてはならない。
この〃日に新た〃ということがあってこそ、
正しい経営理念もほんとうに永遠の生命をもって生きてくるのである。
『実践経営哲学』
自問自答
正しい経営理念をもっているか。
それにもとづく具体的方針、方策は“日に新た” なものか。


人口右肩上がり、経済が右肩上がりであれば、
経営環境右肩上がりなので業界で護送船団を組めば、
すべての会社の右肩上がりです。
よほどおかしなことをしなければ倒産はありません。
松下幸之助翁はその時代に『日に新た』の精神で経営をしていたからこその、
世界のパナソニックなのですね。・・・とは言え、
現在の津賀社長は、経営環境悪化の現代の荒波を乗り越えるために、
『日に新た』を実践されているのでしょうね。
 

2020/09/05 2020年9月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月5日
夢をもたせる

私の社長時代には、機会あるごとに、何年後には会社の規模はどのぐらいになる、
ということについての私の考えを、社員に話すことにしていました。
たとえば、昭和30年ごろには5カ年計画の発表といったことをやりました。
当時は、そういうことを発表する会社はほとんどありませんでしたし、
社内での話であるとはいえ、当然社外にも漏れますから、
いろいろとさしつかえの起こる面もあります。
ですから経営の上からいえば、
それは必ずしも好ましいこととはいえなかったでしょう。
しかし、5年先には生産をどれだけにする、そのためには従業貝を何人にする、
という数字を出し、それを遂行するのに必要な心がまえを話すことによって、
社員のほとんどが会社の計画をよく知ってくれました。
もちろん、それによって、
どれだけの効果があがったのかはいちがいにはいえませんし、
また他の会社にいわば手の内を知られるというマイナスもありました。
しかしそれらを承知の上であえてそういうことを発表したのは、
一つには社員にしっかりした目標なり夢をもたせたかったためであり、
また一つには、それが経営者として正しい道であると信じたからです。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
内外に語ることのできる夢は描けているか。
社員と、夢や目標を共有できているか。


「日本は物の豊かさを手にしたと同時に夢を失った」と言われます。
私たちの時代はクルマが夢でした。
クルマのために働いている若者が多かったと思います。
私たちの親世代は三種の神器と言われる『カラーTV、洗濯機、冷蔵庫』。
いずれも物欲だったのですね。
現代は?車を持たない若者は多くなり、
給料はもちろん気にしますが『休みがとりやすい』など、
自分の時間を大切にするそうです。
いずれにしても親世代、自分世代、若者世代とより物は豊かになっています。
子供世代が社会に出たころはでは・・・???
・・・夢を持つ人そうでない人との格差はより大きくなるのかも・・・。
『明確な目標をもつ』
3KM手帳を活用し語り続けます。

2020/09/04 2020年9月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月4日
初めに発想と言葉あり

私としては話をするだけで、あとは社員の人がやってくれたわけで、
楽といえばこんな楽なことはない。
ただ大事なことは、最初にそういう話をするということである。
つまり「初めに言葉あり」である。
その言葉を全員が受けて、しからばそれをどう具体的にやっていくかということを、
それぞれの担当の仕事において考え、実行してきた。
そして一年なり、五年なりたつとその言葉どおりになっていたということである。
だから、経営者、指導者の人はまず初めに言葉をもたなくてはならない。
いいかえれば、一つの発想をし、目標を皆に示すということである。
あとの具体的なことは皆に考えてもらえばいい。
しかし最初の発想は、みずからやらなくてはいけないと思う。
『経済談義』
自問自答
まず初めに言葉をもつ。
それは最初の発想をみずからやる、ということであ
発想することまで、部下にほうり投げていなかったかということる。


目標を明確にする、『理念ありきの経営』ということですね。
・・・とは言え、
創業時か『理念経営』を進める経営者はほとんどいません。
多くの創業者が目指すのは『金儲け』です。
これは残念なことでしょうか?・・・決してそうではありません。
経済的に成り立っていて理念に向かえるのであって、
経済はだれかが支援してくれるボランティアとは違うのです。
松下幸之助翁も「創業時は理念を考えていいなかった」と言われています。
・・・が重要なことは創業はして儲かった後も『金儲け経営』を優先していると、
どこかで足元をすくわれ、
企業の最大目的『永続』の道はと出されることになります。

2020/09/03 2020年9月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月3日
一心不乱

絶えず何か問題を起こす人がいて、ある程度の負担というか、
多少足を引っ張られることは、最初から覚悟してかかることが大事だと思います。
そういう覚悟に立った上で、あとはやはり、こうしたらいい、
ということを身をもって示すことです。
だれよりも早く起き、だれよりも遅くまで働く。
やはり経営者自身が身をもって示すことが第一です。
ああすればこうなるとか、
こうすれば社員はどう動くかといった意図的なことに神経を使うよりも、
まず自分が一心不乱にやることです。
一心不乱にやる。そうすると、まわりもただ見てばかりはいないものです。
一心不乱というほんとうに真剣な姿を見ていると、そこには必ず教えられるもの、
心を動かされるものが出てきて、
まわりの人々は、いちいち言わなくても手伝うし、働くようになる。
私は、小企業の経験も、中企業、大企業の経験もしてきましたが、
主人公の率先垂範が第一ということは、まったく企業の大小を問わず、
共通にいえることだと思います。
その表現の仕方は、それぞれの企業に応じておのずと違いはあっても、
経営者は自分の責任を厳しく自覚し、一心不乱に仕事をしなければならない。
なにも意をたくましくする必要はない。真実をさらけ出すことでいい。
人はその姿を見て反応するのだ。そう私は思います。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
社員を動かすために、意図的なことに神経を使いすぎていないか。
それよりも率先垂範。一心不乱。
その仕事ぶりを、その真実を、人は見ている。きっと見てくれている。


30歳くらいだったと思います。
日創研の研修の影響もありトイレ掃除を始めました。
研修は当時90日(現在は60日)だったと思います。
私は研修が終わってもトイレ掃除継続すると決めたのです。
今では掃除の神様鍵山秀三郎氏がその文化を定着させましたが、
当時は経営者がトイレ掃除するということはまず考えられないことでした。
そんなこともあり禁止命令が下ったり・・・・いろいろありましたが、
10年以上続けました。
現在環境整備は広ガスたかたの文化・・・とまでは言いきれませんが、
クルマの環境整備だけは文化というレベルに成長しました。
 

2020/09/02 2020年9月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月2日
心配を背負う

現在の経営者には、侍以上の覚悟が要ると思います。
自分の生命は死に直面しており、企業はまた倒産に直結している。
そういう綱渡りをしているのだ、
というような意識を一面にもっていなければいけないのではないでしょうか。
それを、安閑(あんかん)と、のんびりやっているというのでは、
いわゆる経営者という名をかぶっていても、ほんとうの経営者とはいえないでしょう。
酒を飲んでワイワイ言っていても、常にそういう危険性を負っているのだ、
みんなの責任を負わされているのだと意識しているかどうか。
しかも、それを意識していて、
なお酒をおいしく飲むというようにならないといけないと思います。
意識したところまではいいけれども、意識したために心配で酒がおいしくない、
というようなことでは、これもまた経営者として失格でしょう。
社長というものは、従業員が一万人いれば一万人の心配を背負っていくものです。
ですから、心配で夜も眠れないというときもあります。
眠れないからつらい、苦しい。しかしそのつらいところが社長の生きがいである。
社長が心配しないでのんびりやれる会社などありえない。
眠れなかったり、煩悶(はんもん)したりしている姿こそ社長の姿で、
そこに社長としての生きがいがある。そういう考え方に立つことが、
今日の経営者には求められているのではないでしょうか。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
従業員数だけの心配を背負えているか。
それを生きがいと感じているか。


若いころは経験が乏しく障害にぶち当たるたびに苦しんでいました。
LPガスという商品の特性もあり『明日にも倒産』ということは考えにくい。
しかし、年々の人口減少、オール電化など、
5年先、10年、20年と想像するとどのような手を打てばよいのか、
寝れない日々を送ることの多い毎日でした。
その頃は体力もあり、日々フラフラで出勤しながら、
「こんな状態にもかかわらず頑張っている自分ってすてきだな」
と自身で励ましながら仕事をしていました。
現在では業界の異端児と言われるような、
独自サービスを展開できるようになったことは、
全社一丸で取り組んできた成果です。
・・・・・・業績的には成長していないのが気がかりですが。
高齢者サービス特価から子育て世代へのサービス拡大を進め、
『企業の永続』を目指します。
 

2020/09/01 2020年9月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
9月1日
一年分返す覚悟

歴史を見ても、われわれ業界の有様を見ても、
なかなかそう勝って兜の緒を締めておらぬ。
三年も景気がいいと必要以上に拡張したりして、
弱体化の原因をつくるようなことをやる。
私はこのあいだも、お得意様にこう言った。
「皆さんは一所懸命やっておられる。ところが、
今年は前途暗澹(あんたん)たるものがある。
そこで皆さんが悩んでおられる。これは重要な問題だと思う。
さきおととし儲かり、おととし儲かり、去年も儲かった。
そして、今年も儲ければまことに結構だ。しかし世の中はそうはいかない。
つまり三年も儲かったら、その明けの年もまた儲かるかというと、
なかなかそうは儲かるものじゃない。三年儲かったから、その一年分を返す。
こういう考えでやるとよろしい。
その肚ができておれば、この際なにも驚く必要はない。
一年分返しても、まだ二年分残る。尺取虫は二寸行って一寸戻る。
これはいいことだ。三年儲けて、なお四年目も儲けるというのは、
尺取虫が伸び切って、あとに戻れなくなったときだ。
これは死ぬときだ。
死ぬほうがいいか、一年分返して生き残るほうがいいか。
それは、今損するほうがいいに決まっている。
そして翌年また儲ける、そのつぎの年また儲けるということを、
この際考えなければならぬ。
そう考えれば、悩みがなくなる。だから、慌てない。
慌てないから、気を楽に物事ができる。すると知恵が出るから、
あるいは四年目も続けて儲けるということもある。
しかし、それはなかなかむずかしいから、この際一年分返すという、
尺取虫の覚悟でやらなければいけません」
『仕事の夢暮しの夢』
自問自答
進んだら、少し戻る。
儲けたら、少し返す。
それを覚悟しておく。肝に銘じておく。


「税金を納める」「蓄える」と考えてもよいかもしれませんね。
利益は分配優先ではなく、
「税金を納める」は企業永続のための『返す』の一番目でしょう。
二番目が将来投資のために蓄える。そして3番目が分配。
蓄えるの中には苦しい時の分配原資も含まれていますね。

2020/08/31 2020年8月31日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月31日
雨が降れば傘をさす

雨が降れば傘をさすというようなことはだれでも知っています。
傘もささずに濡れ放題というのは、よほど奇矯の人でもなければやりません。
ところが、商売や経営のこととなりますと、
これがなかなか当たり前にはいかなくなります。
私心にとらわれて判断を誤り、傘もささずに歩きだすようなことを、
しばしばしがちです。
たとえば、激しい競争に負けてはならないということから
百円で仕入れたものを九十五円で売るとか、集金をキッチリせず、
相手先からいわれるままに回収を延ばしておきながら、
他から新たに資金を借りようとすることなどが、実際によく見受けられます。
そういうことではうまくいくはずがありません。
やはり利益をあげるためには仕入値以上の価格で売る。
また借金をする前に、まず集金に全力を注ぐのが本当で、
それでもなお資金が要るときに、初めて他から借りるべきでしょう。
それが雨が降れば傘をさす、天地自然の理に従った姿です。
言葉に表してしまうときわめて簡単で、
当たり前のことのように思われますが、
このしごく簡単、当たり前のことを適時適切に実行するというところにこそ、
商売なり経営の秘訣があるといえるのではないでしょうか。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
人生や仕事で雨が降ったら、“傘”をさしているか。
雨が降りそうなときに、“傘”を用意していたか。


『水は高い方から低い方に流れる』
これも当たり前というより、自然現象なので変えようがありません。
『自然の法則』ですね。
幸之助翁は「経営も同じ」と言われています。
ですので「企業は成功するようになっている」
・お客様満足のため赤字覚悟で商品を安売りする・・・無理があります。
・利益追求のため商品価格を上げていく・・・・・・・無理があります。
・満足と利益のバランスの良いサービスを提供する・・無理がありません。
こんなことは誰でも知っています。
・・・が、残念なことに最初から良いバランスは見つかりません。
幸之助翁も創業時は「『金儲け』しようと頑張った」と言われています。
 

2020/08/30 2020年8月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月30日
繁栄

仏教の言葉にー人出家すれば九族天に生ず」というのがあります。
つまり、一人の人が出家すると、親兄弟はいうに及ばず、
その一門は天にのぼるというか、みな極楽往生ができるということでしょう。
それとこれとは違うかもしれませんが、しかし一人の人が適所に立てば、
そのグループ全体が繁栄することは、間違いのない事実です。
日本では年功序列的に人事を行うことが多いようです。
これはこれとして捨てがたい情味がありますから、
全面的に排撃する必要はありませんが、そのよさを生かしていく反面、
それにとらわれて適材を葬ってしまうことがあってはならないと思います。
以前、ある会社が行きづまったときに、
私どもに経営を頼みに来られたことがありました。
少し義理合いもありましたので、お引き受けすることにして、
まだ四十歳にならない若い人に、その会社の経営を担当してもらいました。
ところが、それを転機にして、その会社は見違えるようによくなり、
長年欠損を続け無配であったものが、製品はよくなるし、利益もあがるし、
二回増資しても配当を増やすような状態になったのです。
『経営心得帖』
自問自答
一人の適材適所が、全体を繁栄に導く。
一人が、大事なのである。


このお話は…多分…木野親之先生のことですね。
社長に就任し、その会社から言われたのは、
「松下電器からの再建資金はどれくらい・・・」
木野先生は「幸之助からは一円も預かっていません。
松下経営理念を預かってきました」と言われたそうです。
『ライオンが率いる羊の群れは、羊が率いるライオンの群れに勝る』
理念、戦略、戦術なき組織は『烏合の衆』になってしまうのですね。
 

2020/08/29 2020年8月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月29日
危険

戦国時代に、武田勝頼という武将がいた。
この人は勇気がある上、普通の武将と違って事業家でもあった。
すぐれた部類に入る人であったろう。
けれども、鉄砲のこわさを知らなかった。
そのために、織田信長と戦った長篠の合戦で、ただやみくもに進め、
進めと号令をかけたので、勇将がみな鉄砲に撃たれて死んでしまった。
勝頼がもう少しおとなしく平凡な人間であったなら、
あんな戦争はしなかったろうし、
領国もつぶすようなことにならなかったのではないか。
今日の会社にも、この勝頼式の経営者が少なくないのではないかと思う。
私は、六十年以上にわたる商売の経験を通じて、どういうところが栄え、
どういうところがつぶれたか、いやというほど見てきたが、
この店は危ないな、と思うと、だいたいがそのとおりになった。
たとえば、従業員が三百人なら三百人の会社があるとする。
それをなんとか大きくしていきたいと社長や忠実な番頭さんが願っている。
ところが皮肉なことに、そういう意志があっても、
会社を発展させないようにしているのが、その社長であり、
忠実な番頭さんである場合が多いものだ。労
働組合が会社をつぶすとよくいわれるが、労働組合が何をやっても、
会社はめったにつぶれるものではない。
組合でも、賃金を一挙に二倍にも三倍にもしてくれというわけではない。
けれども、もし社長が、ちょっと見積もりを誤ったら、
パーツと百億円ぐらいは簡単に損してしまうのが企業というものである。
だから、会社にとっていちばん危険なのは、社長だということになる。
『松下幸之助経営語録』
自問自答
会社をつぶすのは、経営者である。


『会社をつぶすのは、経営者である』
多くの場合戦略ミスでの倒産ですね。
バブル時代に多かった本業以外への無茶な投資。
安定して多いのは時代の変化に気づかずゆでガエル倒産。
企業は時代を読み続け、常に変化を感じながら手を打ち続ける。
ドラッガー氏の言う『永続』は環境に対応し続けることですね。
責任は『決定』の権限を持つ経営トップです。

2020/08/28 2020年8月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月28日
生産を半減

かって、
昭和四年に、ちょうど現在とやや似た大恐慌が起こったことがあります。
まだ松下電器は店員がわずか百人くらい、工員が四百人足らずのときでした。
毎日、新聞を見ていますと、どこそこの銀行がつぶれた。
ああ向こうの銀行がつぶれたなと思っていますと、翌朝の新聞には、
またどこそこの銀行がつぶれたということで、
蜂の巣をつついたような大混乱が起こったことがあります。
わが社の品物もピタッと売れ行きが止まってしまって、非常に困りました。
そのとき、どういうようにして切り抜けたものだろうかと、私は考えました。
やはり人員を半減するか、あるいは新しい借金をして仕事を継続していくか、
どちらかしかない。
しかし借金は絶対できません。
銀行がどんどん倒れていくのですから、銀行は金を貸しません。
そうすると、生産を半減しなければならない。
しかし生産を少なくすると人が余るという、
私としては初めての難関にぶつかったのです。
そのときの結論は、生産を半減して、そして資金を浮かそう。
しかし、
せっかく柵寄った従業員を一人でも減らすことは、まことに残念である。
だから工員さんは半日勤務にして、半日は休んでもらう。
しかし給料は全額さしあげる。
そして時節を待とう。
こうすれば、金が不足しているのが少しでも助かってくる、
こういうようにしたのです。
しかし店員といっていた人、今でいったら営業社員ですが、
この人たちは休みなし。日曜も休みなし。
とにかく徹底的に売ろうじゃないか、ということを話しました。
そうしますと、全部の店員さんが、
「それは結構なことだ。われわれ店員は休みを返上して日曜でも売りに行こう」
と言ったのです。
それで馬力をかけたところが二カ月すると、
倉庫にいっぱいつまっていた在庫商品がなくなりました。
そして一日働くように戻すことができたのです。
ようやく難関を切り抜けたのです。
『社員稼業』
自問自答
どれほどの難関に出合おうとも、
人を減らすことは残念なことである。
その思いだけは忘れたくない-。


現在世界中で猛威を振るうコロナ危機と同じですね。
コロナは企業単位ではなく地球規模で比較するには大きすぎですが・・・。
本田宗一郎、藤沢武夫、両創業者の本を読むと
ホンダも幾度となく障害や大きなピンチ、倒産の危機などを乗り越えています。
「生産を止め生産ラインのメンテナンスをしてしのいだ」
などの生産調整は現在までホンダ史には度々あります。
1970年代に起こった『オイルショック』の不況時代は、
仕事のなくなった三菱重工から三菱自動車に出向し、
クルマのセールスを行ったこともあるそうです。
・・・私の知り合いは自動車セールス時代に知り合った女性と結婚したという、
プライベートエピソードも・・・。

2020/08/27 2020年8月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月27日
給料全額返上

私は本年初頭に、みずから率先垂範をしようと無遅刻無欠勤を決意して、
一月四日、阪急梅田駅に降り立った。
自動車で迎えに来るからという約束だったが、
いっこうに自動車が来ず電車に乗った。
ところが発車寸前、
自動車の来るのが見えたので急いでとび降りて会社へ急いだが、
ついに間に合わず十分遅れた。
意義あるこの復興初年を、一貫すべき念願を身をもって示したかったことが、
劈頭(へきとう)に蹉跌(さてつ)をきたしてしまった。
原因を聞くと、不可抗力でない些細な不注意からである。
これは、
待ち望んでいる社員諸君に対し、また会社に対しまことにあいすまず、
責任を負わねばならぬと痛感した。
そこで私は、担任者八人に一カ月の減俸を命じ、また社長たる自分も、
監督不行届きのゆえをもって当月の給料全額を返上することを、
朝会で発表し謝したのである。
責任の自覚によってのみ、仕事が達成せられうると考えるのである。
責任の完遂により伝統の勤労意欲を復活し、
これにより生産が高揚されることを自覚し、
諸君は責任遂行と信賞必罰のことをよく理解してもらいたいのである。
『松下幸之助発言集第22巻』(昭和21年の発言より)
自問自答
みずからの給料を全額返上しなければいけない、
そういうときがある。
その責任を負う潔さが自分にはあるか。


57期は一部を除き『指導料』を徴収していません。
以前は多くの場合に徴収していましたが、
もとをただせば監督者の責任。
・・・毎年私が一番指導料を払っていました。
・・・・過去最高指導料も私自身が記録しています。
・・・・・修行が足りていません。

2020/08/26 2020年8月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月26日
覚醒させる役割

事業を経営する上において、会社が小さいあいだは、
製造と販売に重要度をおいてゆくのは当然であるが、
経営規模が大きくなるにつれて、製造、販売の面ももちろん大切ではあるが、
それ以上に人事と経理が重要になってくる。
経理部がしっかりしていると、経理を通じて経理部自身の内部も批判されるし、
製造も販売も、これによって覚醒されるわけである。
それは収益の内容を見てもいろいろの場合があって、
同じ利益をあげるにしても、こういう利益のあげ方は、
この会社としては適当ではないとか、
あるいは利益のあげ方が当然その三倍ぐらいはあげられるはずであるのに、
それが半分しかあがっていない。
ところが担当者は相当の利益があがっているから、これでよいと考えてしまう。
それで大いに得々としている場合もある。
これは見方によっては欠損しているのと同じである。
一億円利益をあげられるところを
五千万円しか儲けていないから五千万円損をしているということになる。
それを覚醒させる役割をもつところがなくてはならない。
これを経理部が実際の数字の上からいう、あるいは重役会がいう、
ということが起こらなければ、健全な経営は行われないものである。
ここに事業発展の一つの基礎があると考えている。
『物の見方考え方』
自問自答
ある力を発揮せずに、あるべき利益をあげない。
それは損に等しいという考え方を徹底するにはどうしたらいいか。
役員はそのことを認識できているか。経理・監査部門はどうか。


販売に力を入れるためにも、『人事』に力を入れています。
新卒採用強化によって、60歳未満の平均年齢37歳となっています。
組織が若返り将来性が高くなっています。
その反面経験や知識が少なく、
お客様の要望に応えられない場面も出てきています。
そういう意味では組織、人事でそれを補わなくてはならないのですね。
『人ひとりが経営者』の意識を持ち、
自分には何ができるのか?、自分に足らないものは?、
そして、何よりも自分が会社に利益をもたらすこと。
ここはとても重要です。

2020/08/25 2020年8月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月25日
情報禍

たとえば「情報化の推進」ということは、
これからの時代にあっては欠かすことのできないものでしょう。
しかし、いかに情報を集めても、それに的確に対応できる経営力がなくては、
その情報も無に等しいし、
場合によっては、情報化でなく情報禍というようなことにもなりかねません。
『日米・経営者の発想』
自問自答
情報を吉報にする経営力はあるか。


松下さんの時代は情報や事実を足で稼ぐ時代だったのだと思います。
その後カメラ技術やIT化が進み、
さらに情報データを蓄えるようになってきました。
現在ではAIで集まった情報をどう使うのかという時代に入っています。
将棋の勝敗予測ではAI予測に人間はほぼついていけません。
先日藤井壮太8段は途中からAIの予測する最善という手を指し続けたそうです。
いずれにせよ元にあるのは情報です。

2020/08/24 2020年8月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月24日
分に応じる

私の経験からいうのであるが、
人は、その会社にふさわしい状態において集めるべきだと思う。
あまり優秀すぎても、時として困ることがある。
こんなつまらん会社がと思われるより、
この会社は結構いい会社じゃないかといって働いてくれる人のほうがありがたい。
分に応じた会社に、分に応じた人材ということでいいのであって、
あまり優秀すぎる人を集めすぎても、
かえってよくない場合があることを心したいものである。
『松下幸之助経営語録』
自問自答
会社の力量をよく知り、その力量に、分に応じた人材を確保する。
分を超えた人材を集めすぎてはいないか。


武蔵野の小山さんが同じことを言われていますね。
「最悪な場合には上司が持たない」とも言われます。
要するに組織のレベルよりも優秀すぎる人が組織に入ることで、
うまくいっていた組織でも内側から崩壊することがあるというのです。
現在の組織に合う『価値観』というのがとても大切です。
最初から『価値観』の合う人はそうそういません。
『素直』が重要な要素です。

2020/08/23 2020年8月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月23日
ポスト

ある会社、あるいはまた、ある事業部といっていいと思うのですが、
その事業部なり、一つの会社が、どうもうまくいかないという場合の話です。
その首脳者はだれかというと、それは五十歳の経験者である。
しかも相当のベテランである。
にもかかわらず、もうひとつうまくいかない。
そういうような場合に、何かの機会でその人がかわり、
そして四十歳前後の若い、いわゆる新知識といいますか、
そういう信念に燃えているような人が、たまたまそのあとを継がされる。
そのような場合、見違えるほど、その会社はよくなり、また見違えるほど、
その事業部はよくなるということを、実際に私は体験しています。
ですから、その部なり、その会社の業績というものは、
初めてその人がポストに立ち、そして実力を発揮することによって、
すっかり変わってきたということです。
いわゆるすっかり変わるということは、これは実力の差ということです。
しかし若い人にはそういう実力というものは、
若い人だからないともいえないし、また…だから、もっているともいえないし、
経験を積んだ年齢のいった人が、必ずしも実力をもっているともいえません。
ここが非常に面白いところです。
ですから、
最高のポストに立つという場合には、むろん経験がものをいいましょう。
会社へ入って三月か四月では、それは無理でしょう。
けれども、入社後、十年も二十年もたって、だいたい四十歳前後になれば、
その人に素質があるならば、また、その人にそれだけの心がまえといいますか、
強い経営的な信念があるならば、もうそれで十二分の仕事ができると思うのです。
むしろ体力的にもまだ衰えるところがないから、
きわめて画期的な成果が期待できると思うのです。
『繁栄のための考え方』
自問自答
素質と強い経営的信念。
最高のポストには、ほかに何が必要なのか一一。


「持って生まれた『使命の書かれた封筒』を開封するのは40歳前後まで」
と森信三先生が言われている理由がここに書かれていることなのですね。
久々に森信三先生の人間の一生(人生二度なし)です。
職業に上下もなければ貴賤もない。
世のため人のために役立つことなら、
何をしようと自由である。
しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
すると、二十からでも三十までには一仕事できるものである。
それから十年本気でやる。
すると、四十までに頭をあげるものだが、
それでいい気にならずにまた十年頑張る。
すると、五十までには群を抜く。
しかし、五十の声をきいた時には、
大抵のものが息を抜くが、それがいけない。
「これからが仕上げだ」と、
新しい気持ちでまた十年頑張る。
すると、六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。
だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、
それから十年頑張る。
すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。
しかし、それからまた、十年頑張る。
すると、この十年が人生で最も面白い。

2020/08/22 2020年8月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月22日
交渉

私は日ごろから、できるだけむずかしくものを見ないように、
いいかえれば、なるべく平易にものを見るように、と心がけている。
それはどういうことかというと、たとえば交渉事であれば、
かけひきも何もなしにこれに臨むということである。
つまり、十のものは十、五のものは五とありのままに相手に説明し、
五のものをまず初めは六と言っておいて、
あとで譲歩して五にするといった行き方はとらないようにするのでをするのである。
もちろん交渉のテクニックというか技術という点からいくと、
やはり五のものは六と言っておいて、あとで話しあいの中で五に決める、
というほうが話が早いという見方もある。
しかし私は、そういう行き方は、ものをむずかしく見ることになると考えている。
だから、私の場合は、初めから五は五ということで相手に対する。
要するにありのままの姿を相手に見てもらうというつもりで話をするのである。
そうすると、
そのようなやり方で話がうまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もある。
けれども、そのどちらが多いかというと、うまくいく場合のほうが多い。
私の体験からすると、うまくいく場合のほうが60%、
うまくいかないほうが40%といったところである。
そうすると60%の成功率の行き方をとったほうがいいから、
それで十分結構だと考える。
それが私の行き方である。
『人を活かす経営』
自問自答
自分なりの交渉法はあるか。


仕事においての交渉はしています。
相手との良い関係や良い人であることのアピールなどもありますが、
残念ながら日本の交渉習慣のようなところもあり、
相手の人間性よりも、
商習慣として駆け引きすることは文化として定着しています。
必要と考えてください。
単なに『良い人』になりたいのであればそれはそれぞれの考え方かもしれません。
・・・一方プライベートでは『交渉しない』を基本にしています。
私が駆け引きをしなかったので後で追加値引きをする取引相手もあります。
こちらの業者との付き合いは続きますが、
正直ではない相手とは次回からの取引はしません。
または『交渉の必要な相手』と記憶します。

2020/08/21 2020年8月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月21日
力の範囲

業容を伸ばし、会社の規模を発展させていく場合には、やはり会社の技術力、
資金力、販売力などを含めた会社の総合実力というものを的確に把握し、
その力の範囲でやっていく。そしてその場合、経営者にとって特に大事なのは、
自分を含めた会社の経営陣の経営力に対する認識であろう。
私は長年の事業の体験の中で、数多くの取引先を見てきた。
その中には、最初は経営が非常にうまくいっているのに、
業容を拡大していくにつれて成果があがらないというところが出てくる。
そういう場合に、思い切ってその商売を二つなら二つに分け、
もとの経営者の人はその一つを見て、
もう一方は然るべき幹部を選んで全面的に経営を任せるというようにすると、
その二つともが順調に発展していくようになることが多い。
結局それは、その経営者の経営力の問題である。
五十人の人を使うくらいまでは十分やっていけるが、
だんだん発展して百人を使うようになると、
それだけの能力はないということで、
かえって業績があがらなくなってくる。
それで会社を二つに分け、その一つを見るということにすれば、
自分の力の範囲で十分やっていけるから、
再びうまくいくようになってくるわけである。
もちろん、会社を二つに分けるというようなことはできにくいという場合も
実際にはあるだろう。
そういうときには、一つの会社のままで、部門を分けて、
それぞれの部門の運営についてはその責任者に大幅に権限を与えて、
あたかも独立会社のごとき実態においてやっていくようにするのも
一つの方法である。
『実践経営哲学』
自問自答
人それぞれに、経営上の“力の範囲”がある。
その“経営力”の見極めをするのが経営者である。


一つの部署だけの業績を上げる、組織力を上げるというのは、
そんなに難しいことではありません。
全社の中で総合評価順位順を中心にその一つの部署に集中すればよいのです。
・・・他の部署はボロボロになり全社業績もボロボロ。
・・・・・・企業は倒産の道に乗っかります。
まずは部分最適を考えそして視野を広め全体を俯瞰したうえで決定です。
部分で考えることのできた手段も、
視野を広げるとともに一つずつ消えていき全体まで広がると・・・
打つ手の少なさ・・・効果の低さに感嘆することは少なくありません。

2020/08/20 2020年8月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月20日
戦力

ある中小企業の経営者の方から、つぎのような質問を受けたことがある。
「そう大きくはない会社の中では、一人でも質の落ちる人間がいると、
全体への影響も含めてまったく頭痛のタネになる。
そんな場合、時間をかけてでもその人間を育てることにすべきなのか、
それとも、
どんな人間が来てもいいような仕事の仕組みを考えたほうがいいのか…」
「そのどっちも必要でしょうけれども、しいていうならば、後のほうでしょうな」、
そうそのときに私は答えた。
それはどうしてかというと、
私は体験上、人を使う場合には、つぎのようなことを
しっかりと心にとどめておくことが大切だと考えているからである。
それは、人を十人使ったら、その中にはいつも反対し、
じゃまになる人がだいたい一人はいるものだ、ということである。
いってみればプラスにならずむしろマイナスで、
採用しないほうがよかったという人間がいる。
そして、さらに二人ぐらいはいてもいなくてもいい人間がいる。
要するに、十人の人を使うとなると、
そのうちの三人は、会社の戦力としてプラスにならない。
にもかかわらず、
そういう人をも抱えていくのだということを最初から覚悟しておく必要があると思う。
だから二十人の人を抱えた会社であれば、二人ぐらいはいつもじゃましたりして、
マイナスになる。
悪意をもってじゃまするのかどうかは別にして、結果としてどうもじゃまされる。
そのぐらいのことをあらかじめ覚悟して経営なり商売をしないことには、
ついつい愚痴が出たり、仕事への意欲をそがれたりすることになってしまう。
『松下幸之助経営語録』
自問自答
組織運営において、
10人いれば、3人は戦力にならないのが当然。
そういう覚悟はできているか。


2:8の法則。にほぼ沿っていますね。
常にこの法則は当てはまります。
戦力にならない人が辞めたとしても、
戦力にならなかった人が育って戦力になったとしても、
戦力になる人が大勢入ってきたとしても、
今ある組織の中で2:8が成り立ってしまいます。
当然ここでは2中に入っていた人がが8の方に成長したり、
8の中に入っていた人が周りの成長レベルに追い付かず、
2の方に入ったりします。
どこまでも育成。教育し続ける。
教育する側とされる側、どちらが先に音を上げるか。

2020/08/19 2020年8月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月19日
能力の分散

およそ人間の能力には限度があるのであって、
多方面を一人が兼ねて担当するということは、能力を分散し、
結局そのいずれをも粗雑化してしまい、精緻(せいち)にして完壁な、
高度の専門的な運営効果は期しえないと思う。
たとえば、扇風機をつくる工場で製品が数種類あれば、その数を減らし、
一部門でこれらを並行製作することなく専門生産を行いたい。
その実現にはずいぶん期間がかかるだろうが、
順次細分化を徹底せしめたいと考える。
先日、灯器製造所の後藤清一支配人にも、多種の製品種目は廃して、
探見、小型電灯の二つを徹底してやってもらいたいと言ったが、
彼は、「私はほかのものもやりたいが」との話である。
そこで私は、
「それはやめてくれ。研究することはよいが、今は二種にとどめてほしい。
ただしそれを世界的なる商品たらしめてもらいたい。
全精力を一品に集中し、鍍金(ときん)を担当する者は、
いかにすれば堅牢な光沢よきものができるかと、
設備操作に工夫と創意を凝らし、ケースをつくる人は、
常に優美と機能の向上に、圧延絞金法いかんと、絶えざる検討を加えて、
どの部分を見ても世界最高水準品としてほしい。
種類は十分の一であっても、世界の人より愛される優秀性能により、
それらを合わせた生産額よりはるかに上まわる数字を、
探見電灯一つで獲得できることは、なんとすばらしいことではないか」
と話したので、
「わかりました」
と言ってくれたが、今日そのように意識して経営をやってくれていることと、
私は信じている。
複雑な機構を理想的に進めていくことは至難の業であるが、
いま述べたことは、普通の人の能力で事足りて特殊能力の人物を要しないのである。
私はこれを徹底化していきたい。
『松下幸之助発言集第22巻』(昭和21年の発言より)
※1906〜2003。松下電器勤務を経て、三洋電機へ。
のち、三洋電機副社長を務めた。
※※懐中電灯の種類の一つ。探見電灯。
自問自答
特殊能力の高い人間集団でなくても、成功の道はある。
普通の人の能力を最大限発揮するために、
人と設備を徹底集中した商品をつくり出す・・・わが社はどうか?


『仕事に人をつける』・・・理想形です。
『人に仕事をつける』・・・発展途上形です。
更にそれ以前が、
『スーパーマンが仕事をこなす』・・・ワンマ形。
ワンマン形は幅広く仕事はできますが一つ一つの仕事をち密にはできません。
能力を分散し、しかもち密な仕事を進めるのイは、
『仕事に人をつける』ことですね。
一人一人の能力に加え総合組織力も必要で一朝一夕には進みません。
 

2020/08/18 2020年8月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月18日
初段の商品

どこの会社でもそうだと思いますが、やはり研究部、
開発部というようなところにいる人は、その道の達人といわれる人です。
そういった人が研究し開発して、ようやく一つの商品ができるわけです。
ですからその商品は最初から売り物になるものです。
碁や将棋にたとえると、初段の資格があるものだと思います。
一人前の商品だということになって、一応は売れていくわけです。
しかし、一応は売れていくからこれは商売になる、
といって事をすませていてよいのかどうか、ということです。
現在ではそれで事をすませている傾向がやや多いのではないか、
という感じがします。
単に売れているからそれでいいと考えてはいけない、
ということを私は改めて言いたいのです。
なぜ初段のものを今度は二段にしようと考えないのか。
そしてさらにそれを三段にする、四段にすることによって名人にまでもっていく。
そういうことを絶えず考えていく必要があるのではないかと思います。
全部の商品をことごとく名人にまでもっていくことが、
はたしてできるのかどうかは私にもわかりません。
けれども、少なくとも十品の初段の商品をつくったならば、
あるものは二段ぐらいにまで上がって消え、
あるものは三段になって消えてしまうかもしれませんが、
そのうちの一品くらいは永遠に名人として残っていく、
といった姿を生み出すことはできないものかと思うのです。
『松風』昭和51年5月号(昭和38年の発言より)
自問自答
つくるほうは“初段の”をつくる。
売るほうはそれをいかに“名人の商品”にするかを考える。
まずは、
お互いの役割をとことん果たしてこそということか・・・。


現在は初段商品はあふれているような気がします。
・・・または初段のレベルが高くなったか?
当時松下電器(パナソニック)は真似した電気と言われることも多く、
新商品はソニーやサンヨーが市場に出し、
新商品市場が出来上がったら、
松下電器が後だしじゃんけんで勝利するパターンでした。
ビデオもソニーの『ベータ』に対し、松下・ビクター連合の『VHS』の圧勝。
最近では作業服のワークマンの商品など一般のお客様の指示が高く、
店舗の小さいワークマンは、
休みの日などはユニクロよりもにぎわっているようです。
二段、三段〜の、
他にない『独自商品』研究開発に力を入れている企業が業績を伸ばしていますね。

2020/08/17 2020年8月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月17日
値下げ

私、一昨年の暮れにトヨタ自動車の社長の石田(退三)さんに会いました。
私もいささかトヨタの株をもっておりますので、
大口株主会に出席いたしましていろいろ話を聞いたのでありますが、
「松下さん、今度、私のほうは値下げする」
「今、値下げする必要があるんですか」
「値下げすると半期に八億円ほど収入が減るんです。
今は非常によく売れている、それをあえて値下げするんです」
と、こう話す。
「それはなぜですか」
と私は尋ねた。
「現在、売るだけであれば、値下げする必要はありません。
しかし、やがて日本は自由貿易になってきて、
外国の商品と競争せねばならんようになってくる。
それを考えているんだ。現在はまだ外国の商品と比べて非常に高い。
国内ではお互いに保謹されているから売れるけれども、
もし自由貿易になって、外国の商品がどんどん入ったときに、
はたしてどうかということを考えてみると、
今利益があり、またどんどん売れるというときにだんだん下げていって、
そしていつ外国商品の輸入禁止が解かれても狼狽(ろうばい)しないように、
今からその準備に入るんだ」
ということを石田さんは言われました。
非常に私は感銘を深くしたのであります。
そうして非常に努力されましたので、さらに製造が進歩して、
その八億円ほど値下げしたものが
今日はもう十分カバーできた。
「それだけ安くしても利益がまたもとに戻った。また値下げをするんだ。
そういうことを何回かくり返して
はじめて世界の自動車メーカーと価格が同一になる。
それに成功しないかぎり絶対ダメだ」
ということを、石田さんが固く私ども株主に言われました。
私はまことに賢明な経営者やなということを感じまして、
敬意を表した次第でありますが、それはひとりトヨタ自動車だけやなくて、
全国のあらゆるメーカーに課せられた一つの姿やないかと思うのであります。
『松下幸之助発言集第34巻』(昭和35年の発言より)
※1988〜1979。豊田自動織機社長、
トヨタ自動車社長、会長、相談役を歴任。「トヨタ中興の祖」。
自問自昔
将来を見据えて値下げをするのと、
ただ値下げをするのとは、違う。
前向きな値下げをわが社はできているか一・


広ガスたかたでも20年くらい前、
将来LPガス業界の『護送船団は崩れる』ことを見越し、
ガス料金の値下げをしました。
・・・が、お客様も気づきません。
それでは値下げしなくてもよかったのか?
気付いてもらうためにポイント還元に変えました。
年を追うごとに周知が深まり満足度の高いサービスになってきました。
欲を言えば100%のお客様に満足してほしいのですが、
パレートの法則で考えれば60%で合格、80%が天井と考えることにします。

2020/08/16 2020年8月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月16日
値段

私が自分で物をつくって商売を始めたころ、初めて東京へ売りに行ったのです。
東京の問屋さんを回って、
あなたの店で買ってくれませんかとお願いし品物を見せました。
すると「これはいくらだ」と言われる。
「十五銭です」
「十五銭か、それは相場だな。
しかし君、同じ値段なら、東京のものを買う。
大阪からわざわざ買うならもっと安くなければいけない。
だから十四銭にしろ、十三銭にしろ」
というように問屋さんがおっしゃる。
一応無理からぬことです。
しかし私は、相場であれば相場で買ってもらうことが正しい、と思って、
「まあそうおっしゃらずに、高ければ考えますけれども、
だいたい相場であれば買ってください」、
こういうように言いました。ところが、
「やはり初めて来て相場で売るというのは虫がよすぎる、
だから一銭でも安くしろ」
ということを強く言われる。
それで、私はもっともだなという感じがして、十四銭にしようかと思ったのです。
ところが、しようかなと思ったとたんに、ふと感じたことがあったのです。
その時分は二十人近い従業員がおりました。
小僧さんばかりですが、
初めて東京へ売りに行くということで私を送り出してくれたわけです。
その人たちの顔がポッと映った。
それで、十五銭で売るという品物は、
自分の感情だけで値段を決めてはいけない、
みんなが汗水たらしてつくってくれたものだから、
その人たちの努力というものを、自分の一存で左右するということは許されない、
というような感じがしたのです。
それで強く私はまた頼んだのです。
「まあご主人、そうおっしゃいますけれども、
これはわれわれ一所懸命夜なべをしてつくったのです。
素人も中にあって一所懸命つくったのだから、ひとつお願いしたい」、
こういうことを頼んだのです。
それで結局買ってくださったわけです。七、八軒の問屋を回って、
少ない数ですけれども、全部売れたわけです。
『商売心得帖』
自問自答
自分の背後にいる、
社員の“汗水”のありがたさを身にしみて感じているか。
その“汗水”を、みずからの強さにできているか。


残念なことに、
LPガス業界は業界をあげて安売り競争をしています。
しかも超大手が、
アパートへの供給は『工事、給湯器、エアコン』ただは当たり前、
最近ではもっと他の家電もつけるところもあるそうです。
・・・当然ガス料金は他よりも高い。
持ち家のお客様には安い料金で勧誘し、
知らない間に元も料金に戻すという悪質なことがあるそうだ。
 

2020/08/15 2020年8月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月15日
株主

株主は、みずから会社の主人公であるということを正しく自覚、
認識していなければならない。
そして経営者に対して言うべきは言い、要望すべきは要望するという、
主人公としての態度を毅然として保つことが大事ではないかと思う。
たとえ少数株しかもっていない株主であっても、
単に株をもって配当を受け取るというだけでなく、
会社の主人公たる株主としての権威、
見識をもって会社の番頭である経営者を叱陀激励する、
ということも大いに望ましいと思うのである。
そのようにすれば、
経営者としても経営によりいっそう真剣に取り組み、業績をあげ、利益をあげて、
それを株主に十分還元しようという気持ちが強くなってくるのではないだろうか。
『PHP』昭和42年11月号
自問自答
株主は会社の主人公。
見識をもって叱咤激励してもらう。
経営者は、株主への十分な還元を強く考える。
そういう望ましい関係を築くことができないか。


今の時代では違うのではないかと考えます。
「もの言う株主」が問題になることもりますし、
また、敵対M&Aなども日常的です。
プロの株式投資家が成り立つ時代です、
日本式の株式投資の考え方はずいぶん変わってきたと思うのです。
 

2020/08/14 2020年8月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月14日
銀行

私が住友銀行と取引を始めたのは、昭和二年からである。
最初取引をすると、取引の始まったその日から銀行は経営ぶりを見る。
これはどこの銀行でもそうだ。
ところが私の経営ぶりは、銀行が是とする方法にかなっておった。
最初に一万円から始まって、二万円、三万円とだんだん貸金が多くなったけれども、
一方、収益状態もそれに並行している。
十万円貸しても、一万円貸したときと同じように、
危険性はないということになって、ずっとそれが膨脹していったわけだ。
そういうことは、何でもない、非常に平凡なことなのである。
ところが、特に何か下心があった場合は間違いが起こる。
銀行も調査を十分にしないで、何か下心があって、引きずりこまれる場合がある。
これは概して結果が悪い。
われわれの経験でいうと、
銀行がたやすく金を貸してくれる場合は、たいていの人が危険に臨む。
銀行がしぶってしぶって貸しているとうまくいく。
だから銀行が金を使えというときには、よほど注意しなければならない。
平生間違わないでやっている人間でも、
銀行が今金があいているから使ったらいいという場合には失敗することが多い。
正直に要るだけの金を借りに行って、80%貸してくれるという状態が続いたら、
その人はいちばん安全である。
それを、いや、そんな金はわけないよ、
といって、十億といったのに二十億貸してやるといったら、
その男は心が大きくなるから、気をつけねばならない。
問題は、たやすく金が入ることは、非常に危険である。
潤滑油も多すぎてはいけない。
流れてしまう危険が多い。
『仕事の夢暮しの夢』
自問自答
銀行とうまくつきあう経営者は、
銀行の性質をよく知っているようだ。


よく聞く話ですね。
銀行から、
「借りてくれ」「借りてほしい」
と言われるときには『銀行の業績』優先の場合が多いですね。
企業が、
「貸してほしい」という場合は銀行の都合は関係ありません。
企業がこのタイミングで投資、運転資金などで資金が必要なのです。
もちろん銀行は信頼のおけない事業、
信頼のおけない経営者に融資することはありません。
これは当たり前のことですね。

2020/08/12 2020年8月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月13日
資金

企業がこの人間の共同生活の限りない生成発展に貢献していくためには、
企業自体が絶えず生成発展していかなくてはならない。
つまり、常に新たな研究開発なり、設備投資というものをして、
増大していく人々の求めに
応じられる体制にしていかなくてはならないわけである。
ところが、そうした開発なり投資にはそれだけの資金が要る。
その資金をどのようにしてつくるかということだが、
これが政府がやっている事業ならば、
必要なだけ税金をとるということもできよう。
しかし民間の企業はそういうことはできないから、
やはり、それをみずからつくるしかない。
そのためには利益を得て、それを蓄積していくということになる。
『実践経営哲学』
自問自答
企業が利益を得て蓄積していく。
それは何のためなのか。


企業は社員とその家族の暮らしを守るため、
お客様の満足を創造し続けるために『永続』。
と、P・ドラッガー氏も言ってます。
企業の繁栄とは『永続』なのですね。
そのためには、
『顧客の創造』(増客)しかないとドラッガー氏は言い切っています。
利益を何に使うのか?
まずは増客のために投資です。
利益ありて永続あり。

2020/08/12 2020年8月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月12日
借りた金

通俗的にいうと、銀行というのは金を預かるのも大きな商売だけれども、
貸すのも大きな商売だ。
だから商売人が絶えず物を売るお得意を探しているように、
銀行でも絶えず金を貸すお得意を探している。
そのお得意は貸した金をうまく利用して、
儲けて、利子をつけて返してくれる、こういうお客が大事なわけだ。
それをだれかが保証する・・・政府が保証するなり、
神様が保証してくれれば、銀行は喜んで貸す。
ところが政府も神様も保証しない。
そこで、銀行は人間的な目で、それを探している。
つまり私が金を借りられるのは、それを裏書きするものがあったわけだ。
借りた金を大事に使う。
だから商売を一所懸命に、まじめにやる。
利潤が出る。借りた金に対して利子をつけて返す。
そういうことをくり返していると、
銀行はいやでも応でも貸さなければならなくなる。
戦後の混沌とした状態のときでも、
松下がこれからどうなるか予想もつかなかったけれども、
戦前の仕事ぶりが一つの信用になった。
あの男は戦前にこういう仕事ぶりでやっておった、
戦後といえどもそう無茶なことはしないだろうということだった。
その信用の範囲は、銀行である程度測定ができるわけ
だから、その範囲は貸そうということになる。
『仕事の夢蕪しの夢』
自問自答
経営における“信用の範囲”を確保できているか。
維持拡大ができているか。


松下電器(パナソニック)の『無借金経営』と言われます。
・・・が、本日の成功の金言365に書いてあるように、
銀行からの借入はしていたのです。
正確に言うと『実質無借金(いつでも返せる)』ということなのですね。
幸之助翁は『松下ダム式経営』と言われていました。
自動車を持っている100%に近い人が自動車保険に入っていますね。
もしもの時のために掛け捨ての自動車保険に入ります。
企業も、もしもの時のために『経営保険』である銀行借り入れが大切なのです。
基本は使わずに持っておくこと。
そして、その金利は倒産しないための『掛け捨て自動車保険料』と同じです。
 

2020/08/11 2020年8月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月11日
安易感

商いが二カ月間に前年同期と比べて十七億円も増えている。
それなのに利益が逆に少なくなっているということは、
ちょっと不思議だと考えられる。
私も実は不思議に思ったんです。
この決算の数字を見るまでは、
私自身もこんなに減っていると思わなかったんです。
人件費が、人が二千人増えて一億四千万円ほどよけい要っている。
それだけであればまだ事がしれているのでありますが、
そのほかに販売その他の管理費が六億二千万円もよけい要っている。
結局これを合わせますと七億六千万円というものがよけい要っている。
これは考えなければならないことであります。
一応の利益はあげたが、結局経費をよけい使った。
まあ経費をよけい使ったうちには、競争が激しいために割引率を落としたとか、
あるいはまたその他いろんな競争から生まれるところの経費がよけい要ったとか、
いろいろ調べてみるとわかるのでありますが、しかしにっちんがっちん、
こういうような数字が出たために結論としてこうなった。
これはもう非常に商売として恐ろしいことでありまして、
儲けても経費をムダ使いし、またムダ使いでなく必要な経費と思いましても、
それをさらに吟味して合理化するということを怠っていたならば、
商いをよけいして売上げは上がったが、
純益というものは逆に減っていくというような結末が出てくるわけであります。
こういうことはかつてありませんでした。何十年という長いあいだ、
だいたいにおいて私の目の子勘定で暗算的に
今月はどのくらい利益があがるぞ〃
と考えたことと、ほとんど変わりなくやっておったのであります。
今回だけが初めてこういうふうになった。
これはむろん、その大きな一半の責任が私自身にあることは自覚しておりますが、
しかし、もう一半の責任は、皆さんが昨年度からの一年間に、
松下電器の経営状態というものがだんだんとよくなってくる、
ということに対する安易感を自然にもち始めてきたことにあるのではないか。
『松下幸之助発言集第25巻』(昭和33年の発言より)
自問自答
売上げが増えているのに、純益が減っている。
こんな不思議なことはない。
こんな恐ろしいことはない。
自社に“安易感”が蔓延しているのではないか・・・。


『戦略的経費』は経営の責任で管理しなくてはならない部分。
人数増加分の売り上げは各部門が『人材育成』で対応する部分。
部門長は部門全体の売上ではなく、
『一人当たり売上』『一人当たり利益』を重視しなくてはならないのですね。
 

2020/08/10 2020年8月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月10日
委託金

目的は物資をただにすることにある。
そこで利益をあげることに対するわれわれの考え方はこうである。
われわれのやる仕事は資金が要る。
その資金はわれわれが政府をつくっておったら税金で徴収できるけれども、
そういうわけにはいかないから、
これは得心ずくで金を出してもらわなければいけない。
得心ずくというのは収益というかたちで集めて、
その集めた金は物資をただにしていくところの資金に注入していく。
この儲けというものは私することはできない。
一部は私することができる。
その時分は個人経営であるから、法律上からいえば、
儲けたものは全部自分のものであった。
しかし、私はそういう考え方から会計を別にした。
前から会計は個人と別にしていたけれども、さらにそれをはっきりさせて、
一部は私が使うことは許されるけれども、
その大部分の金は世間からの委託金だ。法律上はおれのものであろうとも、
おまえの仕事をもっと増やせという委託金である。
そういうふうな考え方をもって、そうして、その主旨をみんなに述べた。
だからみんな感激した。
給料も安いわけではない。
会社は発展しているから昇給している。
しかも、私はそれを手段にしてやっているのではない。
私自身そう思い切ってやってきたのである。
『仕事の夢蕪しの夢』
自問自答
儲けの大部分は、世間からの委託金、期待なのだ。
利益に対して、
そう言えるだけの考え方をみずから確立することが、できているだろうか。


法人ではない昔ながらの商店、食堂、職人など個人経営ではありがちです。
どこまでがお店のお金か?どこからが個人のお金か?
『利益はすべて利益として扱うのではなく、
将来さらにお客様に喜んでいただくための投資資金として、
お客様から預かったものである』
・・・ここでいう利益とは、給与、賞与、ガソリン、車、設備・・・、
それらを払ったうえで残った利益ということですね。
経営計画書にも『お客様増やすことに投資』と書いてあります。

2020/08/08 2020年8月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月9日
集金と支払い

金をルーズにすれば、何もかもがルーズになるものです。
ですから健全にやっている会社なり商店は、
日ごろから金というものには比較的敏感で、
集金についても支払いについても実によく気をくばっておられるように思います。
商売の大小を問わず、いい経営をやろうと思えば、
やはり取引というものを厳格にやらねばいけないと思います。
そういうところに、商売の大事なカナメというものがあるのです。
これはある問屋さんのことです。
そのお店は、それほど大きな商売をしておられるわけではないのですが、
どこも容易でない今日の情勢下で相当利益をあげて、
しかも着実に蓄積されているのです。
それでいて、小売店さんからは非常に愛され、
また仕入先からも深く信頼されているのですが、それというのも、
日ごろから集金をキッチリし、また支払いもキッチリし、
ひいては取引のすべてにわたってキッチリしていたということなのです。
つまり経営の姿勢というものが、誠実でそして正確であったわけです。
相互の信頼というものは、結局こうした姿から生まれるのだと思いますし、
商売の繁盛の原理というものも、
案外こうした平凡なところにあるのではないでしょうか。
むずかしく考えることはないと思います。
『商売心得帖』
自問自答
金に敏感である。
取引に厳格である。
愛され、信頼される秘訣は、平凡である。


「『広ガスたかた』を利用してくれる人はお客様」
という社員がいました。
・・・とても危険です。
商品を購入し、ガスを利用し・・・お金を支払ってくれない。
これでよいのであればすべてのお客様からお金をいただいてはいけませんね。
物を買ったらお金を支払う。
物を売ったらお金をもらう。
当たり前のことです。
頂く方も手を抜いてはいけません。
誰でもできることを誰も真似できないくらい徹底する。
『凡事徹底』はここでも大切なことです。

2020/08/08 2020年8月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月8日
明文化

規則も何もない、
決められた事柄もないという姿で事がスムーズに運ぶならば、
それは理想的ともいえよう。
しかし、実際にはなかなかそうはいかない。
だから、そういう理想に近づく過程においては、
やはり、お互いに期するものをもち、みずからを律しつつ、
そして努力して目標を追求していくといった姿が望ましいであろう。
そういうところにこそ、充実感も得られ、また力強い活動も生まれて、
好ましい成果を得るという姿もあらわれてくるのではないだろうか。
そういう意味からいって、一つの集団、一つの会社が、
好ましい姿で力強い活動を続けていくためには、やはり何らかの規則、
決まり、心得といったものをはっきりと明文化して、
それをお互い一人ひとりがくり返しかみしめていくことも、
非常に大切なことの一つだと思うのである。
『人を活かす経営』
自問自答
目標を、理想を、追求していくために“明文化”が必要になる。
さらにはその明文化を、一人ひとりがかみしめることが必要になる。


『人が二人以上集まるとルールが必要になる』
と言われますね。
そのために経営計画書というルールブックがあります。
・・・が、
環境ははじっとしていません。
常に変化しているので、新たなルールが必要になってしまうのです。
・・・環境に対応し成長しているということでしょう。

2020/08/07 2020年8月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月7日
意志決定を任せていく

経営において、意志決定ということは、きわめて大事な問題である。
一つの事をなすのでも意志決定があって、はじめてそれが進められていく。
まして、何人かの人が仕事をしていく場合には、
責任者の意志決定がなされることによって全員が動くことができるのだから、
意志決定というものは、人を使っていく上においても、重要な点だといえよう。
そういう意味からすれば、
意志決定はできるだけすみやかになされることが大切だと思う。
大勢の人間を擁して、一つの岐路に立って、右せんか左せんかという場合に、
いたずらに蠕踏逵巡(ちゅうちょしゅんじゆん)、
ぐずぐずしていたのでは、大きなロスも生まれるし、
皆の意気も阻喪してしまうだろう。
右にせよ、左にせよ、進むべき方向が決まれば、
皆それなりの勇気と意欲をもって進んでいくことになる。
特に、今日のように変化が激しい時代に、
厳しい競争の中で仕事をしていくには、意志の即決、
即断ということが非常に大事だと思う。
ところが、そうなってくると、
一人の人間が何もかも決定するというのでは、間に合わなくなってくる。
ごく小さなところならともかく、何千人、何万人というような会社で、
いちいち社長が意志決定していたのでは、
いかに一つひとつの問題について即決してみても、全体としては決定が遅れて、
事がスムーズに運ばないようになってしまうだろう。
だから、
意志決定そのものをどんどん部下に任せていくことが大切になってくる。
「大事な問題だけはぼくに相談してくれ。あとは基本の方針にもとづいて、
君が判断して決定してくれ」というようにするわけである。
そうすれば、それだけ意志決定が早くなる。
さらに、その任された部長なら部長が、課長に任せていく、
課長は主任に任せていく、主任は社員に任せていく、
というようになっていけば、
会社全体としての意志決定は非常にスムーズに進み、
いろいろな情勢の変化にも迅速、的確に対処しやすくもなってくると思う。
『人事万華鏡』
自問自答
より早く、よりスムーズに。
そのための、意志決定の権限委譲は十分か。


『意志決定の権限委譲』はとても大切なことです。
・・・が、前提なくしてこのレベルに入ることは大混乱を招く元になります。
前提とは、
『理念の共有』どこに向かうのか。
そして『価値観の共有』どういう考え方で意思決定するのか。
この二つがが前提なので一朝一夕にはいきません。
一歩を積み上げつづけた歴史といえるほどの『信念』と『継続』が必要です。
 

2020/08/06 2020年8月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月6日
使命の達成

一つの部には、その部として果たすべき大切な使命があります。
そして、その使命遂行の最高責任者はだれかといえば、
やはりほかならぬ部長自身です。
とすれば、もし部下の中に使命遂行に不適当な人がいて、
そのために成績があがらないということであるならば、そのことについても、
部長が何らかの対策を講じなければなりません。
つまり、
その部下を他の人にかえてでも使命の達成をはからなければならないというのが、
部長の責任というものでしょう。
そのためにはどうするかといえば、やはり社長なり会社の首脳者に、
その実情を訴えなければなりません。
「あの部下は他の部署に行けば、
さらに適職を得て十二分にその能力を発揮できるようになるかもしれませんが、 
自分の部にいるかぎりは、適性を欠いていると思います。
ですから、部のためにも会社のためにも、また本人のためにも、
他の部署にかえていただきたいのです」
という提言をしなければならないと思うのです。
ところが、そのような場合、性々にして
〃そんなことを言うのは、自分が部下を使いこなせないのを示すようで、
部長としての体面にかかわる〃
とかいった人情が働き、そこまで踏み切れないということがあります。
しかし、そうした人情にとらわれて、言うべきことを言わないということでは、
部長としての使命感が薄い。
いいかえれば、
世間からあずかっている大きな仕事の使命というものをなおざりにしている、
ということになってしまいます。
『社員心得帖』
自問自答
部下の適当、不適当を把握し、対策を立てるのが
組織のリーダーの仕事である。
リーダーの責務を果たすこと。
自分の体面など気にしている場合ではない。


「会社は黒字でも赤字でもいい」
「賞与は出せても出せなくてもいい」
なんてことを考えている人は絶対に経営者になってはいけません。
「お客様満足を追い続けるのが仕事」
という経営者もいるでしょう。
しかしそれは車の両輪。
片輪走行は無理なのです。
部門の経営者も同じで、
部門を黒字経営し、部下の賞与をつくることが大きな片輪です。
 

2020/08/05 2020年8月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月5日
60点の実力

私の場合、
この人だったらだいたい60%ぐらいいけそうだと思ったら、
もう適任者として決めてしまう。
そうすると、結構うまくいく場合が多い。
もちろん、なんとか80%の可能性のある人を探そうということで、
いろいろな角度から選んでそれに足る人を探せば、
そういう人を探しあてることもできると思う。
そして、そういう人がみつかれば、それはそれに越したことはない。
しかし、そのためには非常な時間と手間がかかる。
それはある意味では大きなマイナスになる。
だから、もうだいたい話してみて60点の実力があるなと思ったら、
「君、この仕事をやってくれ、君なら十分いけるよ」
というようにしてしまうのである。
そうするとたいていうまくいく。
なかには100点満点というような仕事をする人もある。
もちろん、
全部が全部そううまくいくというわけではなく、なかには失敗する人もある。
もし六人の人がいたとすれば、三人はうまくいって、
二人はまあそこそこである、あとの一人がときに失敗する、
というような状態が私の場合は多かったように思う。
そこで失敗した人には「君は失敗したから私が手伝おう」ということで、
私なりに気づいた点を注意しつつ応援する。
それでうまくいくようになる場合もあるし、
それでもなおうまくいかない場合もある。
うまくいかなければ、さらに深く検討して、その原因がどこにあるかを探す。
私はそういうようにやってきた。
そうすると、最善とはいえないけれども、
だいたい70%の成果というものが継続的にあがってくる。
それが今日の松下電器をつくり出した一つの要因といえるのではないかと思う。
『人を活かす経営』
自問自答
松下幸之助は、60点なら十分、と信じて起用してみた。
自分ならどうする。
松下幸之助は、60点なら十分、
何点でよしとするか。


役職が上がり、
その途端その役職を全うできる人を私は見たことがありません。
・・・私がその代表ですね。
経営トップになった時、
『貸借対照表』『損益計算書』の読み方がさっぱりわかりませんでした。
利益の出し方から勉強していきましたが、
その利益をどう使うかは当分わからずにいました。
・・・その頃の利益が後に首を絞めるともしらず。
60点から経験を積みながら、学びながら成長をしていくのですね。

2020/08/04 2020年8月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月4日
人の組み合わせ

よく適材適所ということがいわれる。
それぞれの人をそれぞれに適した場所に用いることによって、
人も生き成果もあがるということで、これはきわめて大事なことであるが、
その際に適所というものを仕事それ自体とともに、
人の組み合わせといった面もあわせて考える必要があると思う。
人にはそれぞれに長所短所がある。
だからその長短補いあうような組み合わせをすれば、
それによってどちらもより生きてくるだろう。
また、そのようにはっきりしたものでなく、
なんとなくウマが合わないといった微妙な問題もある。
もちろん、
そういうものはそれぞれが努力てある程度は解消していくことが望ましいが、
やはり人の組み合わせよるしきを得て、
それをなくしていくということが大切であろう。
実際、世間にはそういう実例を見ることが多い。
三人の人に仕事をさせていたが、
それぞれに優秀な人なのにどうもうまくいかない。
それで思い切って、その中の一人を他のところに移して二人でやらせてみたら、
わずかのあいだでこれまでの倍以上の成果があがるようになり、
その一人の人も、新しいところで非常な活躍をしている。そういったことが、
お互いの経験の中に必ずあると思う。
立派な人、
賢い人ばかりを集めたからといって必ずしも物事がうまくいくとは限らない。
反対に平凡な人たちでも組み合わせよるしきを得れば、非常な成果があがる。
そうした人の組み合わせの妙というものを指導者は知らなくてはならないと思う。
『指導者の条件』
自問自答
人間の本質に立脚する。
その本質を知れば、“組み合わせ”が重要であることは疑いようもない。


『人の組み合わせ』をうまく機能させているのは、
小山さんだと思っています。
そのためのデータ蓄積や仕組みもすごい。
しかし、
それも組織の規模や人財の要素も大きく、
広ガスたかたで同じやりかたを進めることには限界がありすぎます。
・・・が、一歩一歩前進はしています。
・・・・・・カメのような歩みですが・・・前進し続けます。

2020/08/03 2020年8月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月3日
製品と人

〃事業は人なり〃といわれるが、これはまったくそのとおりである。
どんな経営でも適切な人を得てはじめて発展していくものである。
いかに立派な歴史、伝統をもつ企業でも、
その伝統を正しく受け継いでいく人を得なければ、
だんだんに衰微していってしまう。
経営の組織とか手法とかももちろん大切であるが、
それを生かすのはやはり人である。どんなに完備した組織をつくり、
新しい手法を導入してみても、それを生かす人を得なければ、
成果もあがらず、したがって企業の使命も果たしていくことができない。
企業が社会に貢献しつつ、みずからも隆々と発展していけるかどうかは、
いつにかかって人にあるともいえる。
だから、事業経営においては、まず何よりも、人を求め、
人を育てていかなくてはならないのである。
私はまだ会社が小さいころ、従業員の人に、
「お得意先に行って、『君のところは何をつくっているのか』と尋ねられたら、
『松下電器は人をつくっています。電気製品もつくっていますが、
その前にまず人をつくっているのです』と答えなさい」
ということをよく言ったものである。
いい製品をつくることが会社の使命ではあるけれども、
そのためにはそれにふさわしい人をつくらなければならない。
そういう人ができてくれば、
おのずといいものもできるようになってくると考えていたことが、
若さの気負いもあって、そのような言葉となってあらわれたのであろう。
しかし、そういうことを口に出して言う言わないは別として、
この考え方は私の経営に一貫しているものである。
『実践経営哲学』
自問自答
いい人がつくるから、いい製品ができる。
「私の会社は人をつくる会社です」と
自信をもって言えるだろうか……。


ここでいう製品は広ガスたかたでは『サービス』です。
どんなサービスをつくってもお届けするのは『人』です。
幸之助翁が言われる
「私の会社は人をつくる会社です」はすべての根源ですね。

2020/08/02 2020年8月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月2日
組織と人

きょう私が申しあげたいことは、いつも申していることでございますけれども、
会社の経営というものは、
やはり何と申しましても人が中心となって運営されていく。
組織とかいろいろ重要な問題もございますけれども、しかし、
組織はどうしても第二義的に考えられるのであって、やはり人が第一である。
人を中心として組織が組み立てられていくと、
こういうように目下の松下電器では考えねばならんかと思うのです。
国の政治機構でありますとか、そういうようなことになりますと、
政治組織、機構そういうものがやはり先にあって、
それにあてはまる人が就任されて国政をとるというようになるのでありますが、
向上の途上にある今の松下電器の実情におきましては、
やはり人を中心として考えないといけないと思うのであります。
組織は、人を生かすために、適当につくっていくと、
こういうように今のところは考えてよくはないか。
松下電器がさらに大きな経営体になって、組織というものを中心として、
それに適材をあてはめていく、というような時代も私は来るかと思います。
しかし、今のところはまだそう考えてはいけない。
やはり人を中心として考えていかなければならない。
そういうような点で、各自の力と申しますか能力というものは、
非常に重大な問題だと思うのです。
『松下幸之助発言集第25巻」(昭和34年の発言より)
自問自答
まずはやはり人である。人を中心に考える。
人を生かすために組織があると考える。
人材を最大限生かすために組織を組み立てると考える。


行きつくところは、
『人が組織をつくっる』ということですね。
右も左もわからない新人時代、私は組織に育ててもらいました。
それは人(リーダー)が組織をつくっていたからこそ成長させてもらえました。
人が組織をつくり、そして、組織が人をつくるのですね。
 

2020/08/01 2020年8月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
8月1日
経営力

昭和50年の12月に松下電器がアメリカで一億ドルの転換社償を発行した際に、
二大格付機関であるS&P社とムーディーズ社から、
それぞれ「AA」「Aa」という非常に高い評価を受けたのです。
で、そのときに、
そうした高い評価を受けた理由について、社内の会合で話題になったのです。
それは、松下電器の財務内容がいいこと、業界に占める地位が高いこと、
そして経営力がすぐれていること、この三つだということでした。
それを聞いたときに、私はこういうことを言ったのです。
「それはたいへんうれしいことだ。
しかし私はその三つの順序が違っていはしないかと思う。
経営力を一番にもってこなくてはいけない。
というのは、経営力というものがすべてを生むのだ。
財務内容とか業界での地位とかは、経営力さえ高ければ、
自然によくなっていくものだ」と。
もちろん、それを話題にした人は意識的に順序をつけたわけではなく、
私も冗談半分の、いわば座興としてそういうことを言ったのですが、
しかし考え方としては、私はそれが真実だと思っています。
財務内容のよさとか業界における地位の高さとかは、あくまで結果にすぎず、
それらを生み出す根源は経常力にあると思うのです。
『日米・経営者の発想』
自問自答
経営力とは。マネジメントとは。
わが社の経営において、
結果を生み出す根源の力を自分はどれほどわかっているのか。


逆に言うと、
結果を見ると『プロセス』の正しさ、
『根源』の健全さが全て現れるということです。
幸之助翁はこれを『松下理念経営』と言われているのですね。
 

2020/07/31 2020年7月31日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月31日
仕事は一人ではできない

なるほど経営者とか指導者は率先垂範して仕事をする責任があるが、
それは基本的な心がまえの上での話である。
仕事は一人ではできない。一度に四方八方へ目をくばることもできない。
それゆえに部下の人たちに、
それぞれの責任でそれぞれの立場で仕事をしてもらう必要があるのである。
それには部下をいたわり、鞭撻し、彼らが仕事ができるように、
力を与えるという態度が経営者の立場にある人たちには望ましい。
こういう経営者は、ときに仕事の上で行きづまるようなことがあったとしても、
必ずや部下から適切な助言を得ることができると思う。
私は先だってある社長に会ったが、その社長は、学識もあり、
体力も十分であり、時代感覚ももっているのであるが、
それにもかかわらず、会社は比較的うまくいっていないのである。
その社長は自分の力のみで判断し、仕事をするという人であったのである。
これに反して、
一見田舎者のように、どこかポーッとしている社長のいる会社があるが、
このほうは経営がうまくいっているそうである。
まことに面白いものだ。
これは部下を頼り、部下を力としてともに仕事していくという態度に、
衆知が生きて仕事がうまくゆくのであろうと思う。
しかし、こうはいっても、ここに絶対に忘れてはならないことが一つある。
それはどんなやり方をしても、責任だけは自分にあるのだということを、
はっきり認識するということである。
『物の見方考え方』
自問自答
仕事は一人ではできない。
どれほど優秀でも、経営上、行きづまることがある。
そのときに、 部下から知恵を、助言をもらえるリーダーになれているだろうか。


実行計画プログラムを導入しとても顕著です。
各チーム、各部門それぞれが、
計画、実行、レビュー、修正計画。
その間に報告、連絡、相談にきてくれるので、
とても一人では進まないほどの仕事が並行して進んでいます。
チームによってのレベル差はありますがどのチームも確実に成長していますね。

2020/07/30 2020年7月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月30日
魅力

指導者に「この人のためには・・・」と感じさせるような魅力があれば、
期せずして人が集まり、またそのもとで懸命に働くということにもなろう。
そういうものをもたずして、よき指導者となることはなかなかむずかしいと思う。
もっともそうはいっても、人柄といったものはある程度先天的な而もあって、
だれもが身につけることはむずかしいかもしれない。
しかし、人情の機微に通じるとか、人を大事にするとかといったことも、
努力次第で一つの魅力ともなろう。
また、自分自身でなく、自分の会社、
自分の団体というものに何らかの魅力をもたすことでもいいと思う。
いずれにしても指導者は、そうした〃引きつける魅力〃の大切さを知り、
そういうものを養い高めていくことが望ましいと思う。
『指導者の条件』
自問自答
先天的な魅力だけが人を引きつけるのではない。


『生まれながらの魅力』を持っている人はいますよね。
うらやましいとも思います。
『魅力』のもう一つ。
『信念と継続』の努力で魅力的に成長した人。
ほっと通信の「元気もんでがんす」で紹介させて頂く方の多くはこちらです。
私も『信念と継続』を念頭に進み続けます。
・・・60歳に手をかけていますが、一生青春。
 

2020/07/29 2020年7月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月29日
心のすき

健康であるために必要なことは、
栄養であるとか、休養、さらには適度の運動とかいろいろありましょうが、
特に大切なのは心の持ち方です。
昔から「病は気から」といわれますが、そういう面が実際多分にあると思います。
心がおどっていると、人間は少々のことでは疲れたり、病気したりしないものです。
趣味やスポーツなどでよく経験することですが、それに熱中し、
楽しんでいるときは、他人から見ればずいぶん疲れるだろうと思われる場合でも、
本人はむしろ爽快さをおぼえていることがあります。
心がおどっているから疲れない。あるいは疲れても、それを疲れと感じないわけです。
仕事の場合もそれと同じことで、
仕事に命をかけるというほどに熱意をもって打ちこんでいる人は、
少々忙しくても、ときに徹夜などをしても、そう疲れもせず、病気もしません。
反対に、なんとなく面白くないというような気分で仕事をしていると、
その心のすきに病気が入りこんでくる。
そんなことをよく見聞きします。
もちろん人間の体力には、やはり限度があります。
いくら心がおどって疲れを知らないという人でも、あまり度を過ごせば、
過労に陥ることにもなりかねませんから、そのへんの注意は当然必要でしょう。
いずれにしても、自分の健康管理も仕事のうちということを考え、
心をおどらせて仕事に取り組むことを基本にしつつ、
人それぞれのやり方で健康を大切にしていってほしいと思います。
『社員心得帖』
自問自答
健康管理も仕事のうちである。
当たり前のことが、できているか。


コロナウイルス感染拡大が続いっている今日では特にそうですね。
感染する多くの人が『心のすき』をつくってしまったのです。
『心のすき』がそのまま行動に表れた結果です。
少しずつコロナウイルスは近寄っています。
一人一人の意識の高さが感染を防ぎます。
「心にすきは作らないでください」
「お盆の県外移動はつつしんでください」
・・・家族や親せきの県をまたぐ移動もつつしんで頂くようお願いします。
 

2020/07/28 2020年7月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月28日
悩みを認める

私は、悩みが一つくらいあってもいいではないかと思っている。
むしろ悩みが一つあるということは、
人間にとって大事なことではないかと考えている。
これは、別に無理にそう考えているのではない。
無理にそう考えても、自分が苦しむだけである。
私はほんとうにそう考えている。
なぜかというと、常に何か気にかかる一つのことがあれば、
それがあるために大きな過ちがなくなる。注意深くなるからである。
心がいつも活動しているから、油断しない心になるのである。
反対に、何も悩みがなく、
喜びのままにやっていくという姿では、そこにおのずとゆるみが出る。
そのゆるみが、過ちにつながり、結局マイナスをもたらしかねない。
そういう実例は世に多いのではなかろうか。
だから、一つの悩みをもつことは、むしろプラスにつながる場合が多い。
したがって、その一つの悩みからも逃げようとは考えない。
それはそれとして認めて、どうそれと取り組んでいくかを考える。
私は、そういう姿にこそ、
人生の生きがいというものがあるのではないかと思っている。
『人を活かす経営』
自問自答
懸念すべき事項、悩みが尽きない案件がある。
その悩みから逃げてしまうか、その悩みをプラスにするか。


成長するための悩みや問題は常に幾つか抱えている方が良いのです。
そのために活躍させるのが『潜在意識』ですね。
成長のための悩みや問題を意識し考え続けると他のことが手に付きません。
『潜在意識』に記憶させておき表面では他の対応をします。
考えていないようで潜在意識は悩みや問題に対応するのです。
「ヒントやチャンスをつかむと」言いますが、
『潜在意識』が常に準備しており、
後ろ髪のないチャンスの女神をしっかりつかむのです。
・・・この話はわかりにくそうですね。
是非本を読んでみてください。
幸之助翁は「寝ていても仕事をする」と表現されていたそうです。
 

2020/07/27 2020年7月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月27日
小事と大事

普通であれば、大きな失敗を厳しく叱り、
小さな失敗は軽く注意するということになろう。
しかし、考えてみると、
大きな失敗というものはたいがい本人も十分に考え、
一所懸命やった上でするものである。
だから、そういう場合には、
むしろ「君、そんなことで心配したらいかん」と一面に励ましつつ、
失敗の原因がどこにあったのかをともどもに研究して、
それを今後に生かしていくことが大事ではないかと思う。
それに対して、小さな失敗や過ちは、おおむね本人の不注意なり、
気のゆるみから起こってくるし、本人もそれに気がつかない場合が多い。
そして、千丈の堤も蟻の一穴から崩れるのたとえどおり、
そうした小さな失敗や過ちの中に、
将来に対する大きな禍根がひそんでいることもないとはいえない。
だから、
小事にとらわれて大事を忘れてはならないが、小さな失敗は厳しく叱り、
大きな失敗に対してはむしろこれを発展の資として研究していくということも、
一面には必要ではないかと思う。
『指導者の条件』
自問自答
部下の大きな失敗を、
叱責していなかっただろうか。
この前の叱責は、適切だったろうか……。


失敗は大小に関係なく一度目は『連絡書』です。
大きな失敗も一度目は二度目を防止するための経験。
これまでの人生をミスなしで来た人はいないでしょう。
人の成長は失敗し反省し次のやり方を考え行動しなおすことの繰り返しです。
たくさん繰り返した人は大きく成長します。
新たなチャレンジでの失敗はすべて成長の栄養です。
・・・同じ失敗を繰り返すことは毒になるのかな。

2020/07/26 2020年7月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月26日
授業料

先ごろ、うちの会社によそから新しい社員が入ってきた。
「君、松下に入って何か感ずるところがあるだろう。
その感ずるところを話してくれ」
「これこれです」
「それだけか」
「そうです。これこれであきまへんか」
「私は君にひとつ忌憚(きたん)なく話をしよう。
君のいまの答弁は五十点や。
私は少なくとも七十点感じてほしかった」
そう言っていろいろと叱陀もし、意見も述べて、そのあとで手を差し出した。
向こうさんはさんざん叱られたあとで、何ごとだと思って、私の手を見ている。
「のせてんか」
「何でんね」
「五千円の授業料をのせてんか。
わしが最前から貴重な時間を二十分もさいて、君と話してるのや。
五千円払うても価値のあることや。まあきょうは負けとくわ」
そこでピンと来るものがある。これは効果があった。
『仕事の夢暮しの夢』
自問自答
「時は金なり」を、
自分なりの言葉で部下に伝えているだろうか。


このように解釈できる人はそうそういませんね。
武蔵野の矢島さんは武蔵野入社前、
プライベートの時間でも、
小山さんの話を聞くために授業料を払っていたそうです。
優秀な人はそもそもの感覚が違いますね。
 

2020/07/25 2020年7月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月25日
やれば必ずできる

物事というものは、責任者ができないと思ったならば、
できるものでもなかなかできません。
しかし、責任者が〃これはやれば必ずできるぞ〃という考えに立ち、
十人なら十人いる部下を集めて、
「これは、こういうことでやりたいと思う。諸君、やってくれるか。
私はやれると思うから、諸君もぜひ力を尽くしてほしい。
諸君が協力してくれるなら、自分が先頭に立ってやるから」
と力強く訴える。
そうなれば部下も「大いにやりましょう」ということになってきて、
ついにはそれが実現できるものです。
もちろん、その場合、めざす目標がいわゆる理にかなったもの、
道にかなったものでなければなりませんが、そうであるかぎりは、
すべてが予期したとおりにいくということはなかなかむずかしいにしても、
ややそれに近い情勢は、必ず生み出していけるものだと思います。
私自身も、これまでおおむね、そういうやり方をしてきましたが、
責任者のそうした呼びかけ、
訴えがあれば、そこに社員全員の衆知というものが集まって、
全員の知恵で新しいものが発見され、製造なり技術においても、
販売法についても、あるいは経営の仕方そのものについても、
より新しくよりよいものが生み出されてくるものです。
そのような意味で、
責任者というものは、決して消極的、悲観的であってはならないと思います。
〃失敗するかもしれない〃とか〃おそらくできないだろう〃ということでなく、
〃やれば必ずできる〃 
〃もし転んでも、そこに砿がっているものをつかんでやり直そう〃
という積極性、根性をもつ。
それが蛍任者たるものの絶対的な要件の一つといえるのではないかと思います。
『社員心得帖』
自問自答
転んだら、そこにあるものをつかみ、拾い上げる。
つかんだら、起き上がる。
起きたら、歩きだす。
いついかなるときも、うろたえず、
くよくよせず、前を見て、歩みを進めていく。
道はきっと見えてくる、見えてくるのだ。


山下さんは現在2課の『次長』です。
先輩社員を差し置いての昇進はなぜだったのでしょう。
主任?代理?くらいまでは「無理です」とズバズバ言ってきました。
しかし甲田さんは山下さんの『無理です』を解決します。
今までのやり方、今までの考え方、今までの道具では無理かもしれませんが、
手段の数は無限大。『どうやればできるか』の思考が大切なのです。
現在山下さんは「やってみます」「考えてみます」の言葉が多くなっています。
もちろんその後の結果も出しています。
理論的には完全に成り立つが物理的に無理の場合もあるでしょう。
それは『将来の目標』になるものかもしれませんね。

2020/07/24 2020年7月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月24日
喜んで使われる

もともと私どもの会社は小さな個人経営の町工場から出発したから、
最初のあいだは販売でも仕入れでも、私が自分でやることが多かった。
それが規模が大きくなるにつれて、
だんだん時間的にも私自身でやることが許されなくなってきて、
ほかの人にかわりにやってもらうようになった。
そういうときに私は「私を大いに使え」ということを言ったし、
またその人たちもどんどん私を使ったのである。
たとえば、
仕入れの人が「大将一つお願いがあるんですが・・・」とやってくる。
その時分は町工場だから『社長』とは言わずに、
みんな私のことを『大将、大将』と呼んでいた。
それで「なんや」と聞くと、
「実は今あそこの工場とこういうように交渉しているんです。
だいたい話が90%までいってるんですが、大将一ぺん顔出してください。
話のほうは私がここまで進めてますから大将は礼さえ言ってもろうたら、
あとはうまくまとまります」と言う。
それで私も「そうか、それは結構やな。よっしゃ」と、
その人と一緒に先方に行って、
「いや、この人から話聞いて、
あなたが非常に勉強してくださっているということで、
まことに感謝しております。
松下電器が将来大きゅうなれば、
あなたのほうへの注文もそれだけ大きゅうなりますし、
どうかひとつよろしゅう頼んます」
と、あいさつする。
先方も「それじゃあ、そうしましょう」ということで、話がまとまる。
そういうことが、仕入れの面だけでなく、
営業の面でも、その他の面でもたくさんあった。
そのようにみんなが私をどんどん使って積極的にやってくれた。
それで会社も急速に発展してきたわけである。
結局そのように下の人が上の人をどんどん使い、
上の人もまた喜んで使われるというような雰囲気があれば、
その会社はおのずと発展していくということであろう。
『人事万華鏡』
自問自答
部下に使われることを喜びとしているか。
そのときに十分な役割を果たせているか。


ずいぶん社長を使う組織が醸成されてきました。
以前は中村さんや甲田さんでしたが、
今では幹部や実行計画リーダーも社長を使ってくれます。
昔は決定までのプロセスも社長中心に進めていましたので、
プロジェクトの同時進行はあまり考えられませんでしたが、
現在では社長一人で抱えきれないプロジェクトが同時進行しています。
本当にありがとうございます。

2020/07/23 2020年7月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月23日
心配引き受け係

見方によっては、上司というのは″心配引き受け係″のようなものではないかと思う。
下の人がいわゆる後顧(こうこ)の憂いなく仕事ができるように、
「なんだ君、そんなことで悩んでいるのか。
そういうことはぼくが心配するから、君は思い切ってやりたまえ」
と言って、その心配を一手に引き受けてやる。
そうすれば仕事のほうは下の人がどんどんやって、おのずと成果もあがるだろう。
ある意味では、上司というのはそのためにあるのであり、
その意味では社長というのは心配引き受け、
悩み解消の総本山のようなものだともいえる。
だから下の人は遠慮なしに自分の悩みや心配事を相談したらいい。
そして、
それによって心おきなく仕事に専心するということが実際においては大切だと思う。
『人事万華鏡』
自問自塞
心おきなく仕事に専心してもらうべく、心配、悩みを引き受ける。
そこに上司としての存在価値がある。
自分はできているか。


広島ガス西部販売入社後、
当時の豊後専務から歓迎の一言が頭に残っています。
「好きにチャレンジしてみろ、
新人に会社をつぶすほどのことはできないから心配ない。
責任は取ってやる」
中野社長からも一言。
「おー、豊後専務が責任取れなかったらわしが取る」
・・・前向き度は強かった私はいろいろチャレンジさせてもらいました。
・・・・・・時々叱られましたが。

2020/07/22 2020年7月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月22日
悪い情報

指導者が物事を進めていくにあたっては、
皆からいろいろな意見や情報を聞きながらやっていくのは当然の姿である。
そしてその場合大事なのは、
いいことよりも、むしろ悪いことを多く聞くということである。
賞賛の言葉、うまくいっていることについての情報であれば、
それはただ聞いておくだけでいい。
けれども、こんな問題がある、ここはこうしなくてはいけない、
といったことがあれば、それについてはいろいろな手を打たなければいけない。
ところが、それが指導者の耳に入ってこないというのでは、
必要な手も打てなくなってしまう。
けれども、実際には、そういう悪いことはなかなか伝わってこないものである。
だれでも悪いことよりいいことを聞くほうがいいのが人情である。
いいことを聞けば喜ぶが、悪いことを聞けば不愉快になり、機嫌も悪くなる。
だから、いきおい皆もいい話しかもってこなくなり、
真実がわからなくなってしまいがちなのが世の常である。
徳川家康は、
主君に対する諌言(かんげん)は一番槍よりも値うちがあるといっている。
一番槍は昔の武士にとって最高の名誉とされたが、
それ以上の価値があるというわけである。
いいかえれば、
諌言というものは、それほど貴重でかつむずかしいものだということになる。
だから、指導者はできるだけそうした諌言なり悪い情報を求め、
皆がそれを出しやすいような雰囲気をつくらなくてはいけない。
「指導者の条件」
自問目合
悪い情報が
伝わってこなくなっているのではないか。


随分以前こんな組織がありました。
お客様からの苦情がったのですが、
幹部は社長への報告を怠っていました。
・・・というか、
この幹部はよい報告は社長に上げますが、
悪い報告は自分で止めていたのです。
部下はみんな知っている悪い情報を知らなかったのは・・・
トップの社長だけでした。
・・・ある日監督官庁から大目玉。
始末書を提出し、
短期間に改善終了報告と今後の改善提案を追加提出していました。
近年でも私たちの身近な会社でも同じようなことがありました。
会社は残りましたが社長が辞任したそうです。
 

2020/07/21 2020年7月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月21日
欠点

「自分にこんな欠点があることを知ったら、部下は自分を軽んじはしないだろうか」
などと考えてしまう。
そういうことも、また人間の一面かもしれないが、
しかし、私はそんな心配は無用だと思う。
現に私自身が、自分の欠点を皆に知ってもらい、カバーしてもらうことによって、
今日までやってきたわけである。
たとえば、私は学問をあまりしていないから、知らないことがたくさんある。
それで、入ったばかりの新入社員にでも、
「君、○○○という言葉があるが、あれはどういう意味や」
といったように聞くわけである。
そうすると、向こうはたいていみな私よりは学問をしているから、
「それはこういうことです」と教えてくれる。
「なんや、大将はこんなことも知りまへんのか」とはだれも言わない。
もし私が、「こんなことを聞いたら体裁が悪い」
などと考えて、わからないことでも聞かずにそのままにしておいたら、
だれも教えてくれなかったろう。それではみんなの知恵も生かされないし、
会社も発展しなかっただろうと思う。
私が、自分は知らないことがたくさんあるということを
ありのままにみんなに知ってもらったから、
そうした欠点をカバーするために衿がもてる知識
や知恵を提供してくれ、そこから成果が生まれてきたのだと思う。
『人事万華鏡』
自問自答
自分に欠点がある。
だから、部下にカカバーしてもらう。。知知識識やや知恵を提供してもらう。
そういうことができているか。


私自身、理解力が弱いと思っています。
・・・そもそも集中力が弱い。
それをカバーする手段は『繰り返す』こと。
「一回話して」となんども『繰り返す』のは度々です。
集中力に関しては尺八が良い例です。
集中力無く練習するので上達が遅いのです。
・・・が、
人が1日でできることを、
一週間かけて『繰り返す』あきらめの悪さでカバーしています。

2020/07/20 2020年7月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月20日
信賞必罰

古来、何ごとによらず信賞必罰ということがきわめて大切とされている。
功績あればこれを賞し、過ちあればこれを罰する。
その信賞必罰が適切に行われてはじめて、集団の規律も保たれ、人々も励むようになる。
いいことをしてもほめられず、よくないことをしても罰せられないとなったら、
人間は勝手気ままにしたい放題をして、
規律も秩序もめちゃめちゃになってしまうだろう。
だから、信賞必罰ということはぜひとも行われなくてはならないし、
またそれは適切、公平になされなくてはならない。
賞するにせよ罰するにせよ、軽すぎては効果が薄く、
重すぎてもかえって逆効果ということになり、まことにむずかしいものである。
信賞必罰が適切にできれば、それだけで指導者たりうるといってもいいくらいである。
したがって指導者は、常日ごろから十分心して、
適切な信賞必罰というものを求めなくてはいけない。
そして、その際大事なのはやはり私情をさしはさまないということだろう。
私情が入っては、どうしても万人を納得させる賞罰はできない。
『指導者の条件』
自問自答
万人を納得させる信賞必罰が、できているか。
私情を慎むべし。絶対に慎むべし。


コロナウイルスの影響で病院経営が行き詰まり、
『賞与が出ない』という事態になっています。
賞与は利益の配分ということがよくわかる出来事です。
医療機関は国に守られていたことがよく分かった出来事でもあります。
多くの病気に対応する多くの治療には、
国から多くのお金が投入されていたということですね。
コロナ治療だけでは病院が破綻してしまうのですね。
・・・こんな時こそ国はお金を投入し医療崩壊を防がなければ。
Go Toキャンペーンって今なのかな?
感染の危険を伴う『移動補助』ではなく、
観光業への『直接補助』の方が良いと思う。
 

2020/07/18 2020年7月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月19日
失敗の原因

明暦(めいれき)の大火で江戸城や江戸市中が大きな損害を受けたときのこと、
役人の中には、非常な働きをした者もあるが、
いたずらに右往左往してなすすべを知らずといった姿の者が多かった。
そこで、
今後のためにいちいち詮議(せんぎ)して処置すべきだという首脳者もあった。
そのときに、大老保科正之は、
「今後のためというのはまことにもっともだが、
考えてみるとそれでは教えずして罪をつくるということになってしまう。
今度の火災は家威公のご入国以来70年間にかつてなかった大きなものであり、
こういう大火のときはどうせよということが決まっていなかったので、
みな混乱したのだ。
だから、ほんとうに今後のためを考えれば、この経験を生かして、
大火のときにはそれぞれどうすべきかを定めておくことが肝心だ」
と言って、詮議はとりやめになったという。
何か失敗したり、問題が起こったりすると、
だれでもその原閃をとかく外に求めがちである。
だれが悪い、彼が悪い、あるいは社会が悪い、巡が悪いといった具合である。
しかし、実際は、ほとんどの場合失敗の原脚は自分にあると思う。
事前に十分な計画を立て、行う過礎でも慎垂な配慮を怠らなければ、
たいていのことはうまくいくものである。
まして指導者ともなれば、
ほとんど100%その責任を自分に帰さなくてはいけないと思う。
かりに部下に失敗があったとしても、
その部下がはたしてその任にふさわしかったかどうか、
またそれをさせるについて、十分な指導なり教育をしたかどうか、
そういうことを指導者としてまず反省してみることが大事だと思う。
『指導者の条件』
自問自答
すべての責任が自分にあると、まず反省する。
原因を外に求める自分を、戒める。


経営は外部環境に大きく左右されます。
今回のコロナが良い例です。
「何かが起こって対策を考える」当たり前ですが、
コロナ休業しているにもかかわらず、
当社が申請している「雇用調整助成金」をグループ会社は使っていません。
・・・というより、存在も知らなかったようです。
多くのセミナーに参加し仲間づくりをし、
『経営の無知』を反省し、
『知識と実践』を続けてきたことが役立ったと思います。
 

2020/07/18 2020年7月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月18日
即断即行

昔から「兵は神速(しんそく)を貴ぶ」という言葉もある。
また「先んずれば人を制す」ともいわれる。
一瞬の勝機を的確につかむかどうかに勝敗の帰趨(きすう)がかかっている場合もある。
そういうときにいたずらに嬬踏逢巡(ちゅうちょしゅんじゆん)していたのでは
機会は永遠に去ってしまう。
だから、大将たるものは、即断即行ということがきわめて大事である。
これはなにも戦に限らず、一国の運営、会社の経営でも同じことである。
情勢は刻々に移り変わっていく。
だから、一日の遅れが一年の遅れを生むというような場合も少なくない。
決断もせず、実行もせずといった姿で日を過ごすことは許されない。
もちろん、熟慮に熟慮を重ね、他人の意見も聞いた上で決断し、
しかもきわめて慎重に時間をかけて事を運ぶことが必要だという場合もあるだろう。
だからそういうことは一面に十分に考慮に入れておくことは大切であるが、
しかし、
大事にあたって即断即行できる見識と機敏な実行力は指導者に不可欠の要件だといえよう。
『指導者の条件』
自問自答
勝機は見えているか。
自分の決断は、時宜を得た決断になっているか。


危機管理ですね。
随分以前ですがTV番組での、
大戦に兵士として海外へ出兵された方のお話です。
「最大のテーマは『絶対に生きて帰る』。
何度も命の危機に直面したが、
そのたび上官からの命令を待っていたのでは命が足らない。
命に係わる非常事態時には『即断即行の危機管理』がなければ生きて帰れなかった」
と言われていました。
私たちは現代社会のなかで戦争をしています。
コロナで死んでしまった会社がたくさんあります。
『絶対に生き残る』は兵隊さんと同じく最大テーマです。
 

2020/07/18 2020年7月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月17日
昇進

お互いに、相手の身になって考え、いたわりあって、持ち場持ち場の仕事をしていく。
このことは、
勤め人だけの心がけではなく、すべての人の基本の心がまえではないでしょうか。
そして、仕事をうまく導き成功させる道はそこにあり、
したがって、あなたが成功する大道もまた、そこにあると思います。
相手の身になって考える。商人でしたら、買う身になって品物を扱うことですが、
ここでついでにもう一つ、あなたに言っておきたいことがあります。
それは、人間としてありがちなことであり、われわれ日本人にも感じられることですが、
お互いに、いかにも肚が小さいのではないか、ということです。
たとえば、同じ職場の同期生のうちのだれかが昇進すると、それを嫉妬する、
そしてひがむということが少なくない。
また反対に、失敗があると、かげで喜ぶという心の貧困な風景もあるようです。
そういうねたみ、ひがみ、心の貧困さでは、
それこそ昇進させるに不足な人間なのです。人間が
できていない、練れていないことを公表しているようなものだと思います。
人の昇進や成功に拍手を送る素直な心をもち、日々の仕事に命がけで打ちこむなら、
そういう人に適当な処遇をしない職場は、まずないであろうというのが、
私の考えです。
『若さに贈る』
自問自答
人の成功に拍手を送る人間でありたい。


多くの経営者セミナーに参加しています。
自身、学びを実践し前向きに取り組んでいます。
それなりに評価もいただいています。
・・・が、
凄い経営者はたくさんいます。
セントラルフーズの秋山社長もその一人。
20年近くの付き合いがありますが大きく差を開けられました。
心から拍手を送ります。
そして彼の成長からその秘訣をさらに学びたいと思います。
眺める存在ではなく、学べる存在であることに感謝します。
 

2020/07/16 2020年7月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月16日
報告

ぼくの体験から言うと、その人のこぼす愚痴の内容一つをとってみても、
その人間の器量がわかりますな。
愚痴で始まり愚痴で終わる人は、どうも具合が悪い。それはもう責任者たる資格がない。
自分の意見をもってその意見がええか悪いか、それを聞きに来る人でなければいかんですね。
なかには、聞きに来ん人がいる。それがいちばんいかん。
やっぱり偉いなと思う人は、ちゃんとやっていてもキチッと報告しますわ。
そうすると、こっちも「それは結構やつたな」と非常に愉快になる。
いい結果の場合も報告する。悪い場合にも報告する。その報告を怠る人間はあきまへんな。
打てば響くというか、以心伝心というか、
肝胆相照(かんたんあいしょう)らす仲であれば必ず報告するものですよ。
使いに行ったら帰って、「あれはこうでした」とか、ぼくの代理で行った場合でも必ず報告する。
それが普通ですよ。それをしない連中は、やっぱりいかんですな。
「君、それは報告してくれよ」と言えば、
最初のうちは報告に来ても、じき忘れてしまう人がいる。
やはり、本人の癖でしょうな。外国の人は必ず報告しますわ。
出張員でも毎日本社へ報告している。
日本人は概して報告せんですね。
だから、そういうことはよほど仕込まんといかんでしょうな。
癖をつけんといかん。
今は各事業部長とも、ぼくに報告する時間がない。第一、こっちも聞く時間がない。
だから、今は然るべくやってもらっているわけですが、
昭和十年ごろは時々刻々報告しあうことができた。
こっちも聞く時間があったし、指示する余裕もあった。
そういう時代がぼくにとっていちばん楽しい時代でしたな。
『新版松下幸之助経営回想録』
自問自合
報告で、人間関係のよしあしがわかる。
報告で、その人の器量がわかる。


仕事のできる人は『報連相』がしっかりしていますね。
私の経験でもそうです。
私の経験では、私を含め『愚痴』のない人はいないでしょう。
違いはその後で
『愚痴はあるけど行動し結果をつくる』
『愚痴ばかりで行動しない』
行動し結果をつくる人は徐々に『報連相』が板についてくるという印象です。

2020/07/15 2020年7月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月15日
相談的

上司が部下に何かを命ずる場合でも単に命令的にするのでなく、
なるべく相談的にやることが大事だと思う。
つまり、ただ「こうしてくれ」と言うのでなく、「こういうことをしようと思うが、
君どう思うか」あるいは「君やってくれるか」という具合にするわけである。
そうすれば部下のほうも、
「私も賛成です。ぜひやりましょう」と言う場合もあるだろうし、
「たいへん結構なことだと思いますが、このところはこうしたらどうでしょう」
というように意見を言う場合もあると思う。
そのように部下の意見が加わることによって、さらによりよいものができるかもしれない。
また、ただ「よろしゅうございます」と言う場合でも、相談的に言われたのであれば、
そこに部下としての判断が加わるから自主的にそれに取り組むということになると思う。
それをただ命令的に言ったのでは、
いわゆる〃命これに従う〃ということになってしまう。
そういう姿で仕事をやるというのもそれはそれで一つの行き方かもしれないが、
やはりそれだけでは部下の十分な成長は期待できないと思う。
もちろん、それぞれの職場の事情とかいろいろあって、
形の上では命令的になるという場合もあるだろう。
しかし、
そういう場合でも心の中では相談的にやるという気持ちをもつことが大切だと思う。
そうすれば、同じように「これをやってくれ」と言っても、
その言葉の響き一つにしても違ってくるといえよう。
そして、それがなんとなく部下にも感じられるということになると思う。
『人事万華鏡』
自問自答
よりよいものをつくり上げたい。
だから、相談的に頼んでみる。
心の中で、そういう気持ちをもってみる。


「より良いものをつくりたい」
「共に成長したい」
「私よりもさらに成長してほしい」
・・・そして私が引退した後に、
今よりもさらに強い会社に成長してほしいのです。

2020/07/14 2020年7月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月14日
耳を傾ける

二人の上司がいる。能力的にはどちらも同じくらいである。
ところが、一人のほうの下では、部下がよく育ち、いきいきと仕事をしている。
けれども、もう一人のところでは、なんとなく人が育たない。
なにかしら活気がない。
そういう姿は、しばしば見かけることではないかと思う。
同じような力をもち、同じように熱心に仕事をしていながら、
その下で人が育つ人と育ちにくい人とある。
一方はいわば人を使える人であり、
もう一方は人を使えない人ということになる。
そういう違いがどこから出てくるかは、いろいろあるが、
その大きな一つとして、
部下の言葉に耳を傾けるかどうかということがあるように思う。
日ごろ部下の言うことをよく聞く人のところでは比較的人が育っている。
それに対して、あまり耳を傾けない人の下では人が育ちにくい。
そういう傾向があるように思われる。
なぜそうなるかというと、やはり部下の言葉に耳を傾けることによって、
部下が自主的にものを考えるようになり、
そのことがその人を成長させるのだと思う。
自分の言うことを上司に聞いてもらえば、部下としてもうれしいし、
そこにまた自信も湧いてくるだろう。
そしてさらに次々と新しいことを考え、提案するということになるだろう。
それによって、視野も広くなり、
考え方も深くなるなどしだいに成長してくると思う。
けれども、自分の言うことに上司が耳を傾けてくれない、
あまり聞いてもらえないというのでは
なんとなく面白くないし、自信ももてない。
そういうことが度重なれば、
言ってもしかたがないということで意見を出さなくなるし、
あまり考えたり工夫したりせずに
ただ惰性で仕事をするということになって成長も止まってしまうと思う。
『人事万華鏡』
自問自答
なぜあの部署は活気があるのか。
なぜ人が育つのか-。
「耳を傾ける」
「意見を言わせる」
「自主的に考えてもらう」
「自信をもたせる」
リーダーとして、なすべきことは限りない。


ここに書かれていることはほんの一部です。
松下幸之助翁は、
最後の愛弟子と言われる木野親之先生に、
「一緒に『人間の研究』をしよう」
と言われたそうです。
目的の一つが本日の金言につながっているのでしょう。
『部下を育てる』
というテーマをもって、
あーでもない、こうでもない。
あれをしてみよう、こんどはこれ。
とPDCAを回し続けてるのですね。

2020/07/13 2020年7月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月13日
自然に、素直に叱る

ぼくのことをいえば、だいたい叱るときは無我夢中でしたよ。
心して叱るとか意識して叱るということはめったになかったですな。
また、心して叱っていたのでは、
相手は少しもこたえんですわ、(笑)ほんとうは……。だからストレートに叱る。
しかし、これはぼくなりの叱り方であって、
それが必ずしも最善だとはいえないでしょうな。
人によってそれぞれ持ち味が違うのですからね。
すると、
結局はその人その人の持ち味で叱るということが非常に大切になってくる。
ただ、この際、注意しなくてはならないのは、作為をもって叱る、
さらにいえば私心というか邪心をもって叱る、
これだけは厳に慎まんといかんでしょうな。
やはり自然というか素直でなくてはならない。
まあ、よほどの叱り上手であれば、こういう場合はこうして叱るとか、
あの場合にはこうだとか、初めから想定して叱れるかもしれませんが、
その場合でも、何らかの作為があってはいけないと思うのです。
いずれにしても、
素直に叱るということがやはりいちばん大切なのではないでしょうかね。
『PHP』昭和53年5月号
自問自答
自然に叱る。素直に叱る。
自分の持ち味を生かした叱り方をする。
自分にできるのか。
どんな叱り方ができるのか。


難しいことですね。
私が一番気を付けているのは『感情で叱らない』。
感情的になると、
『正義の道』での判断ができないのであらぬ方向へ向かってしまうことも。
『理念、目的を振り返りながら叱る』をテーマにしています。

2020/07/12 2020年7月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月12日
チームワーク

会社というものは、個々の社員の実力が高まることが肝要です。
皆さんが個々に成長していけば、皆さんの会社の実力が高まることになります。
しかし、個々の実力が高まったからその会社はうまくいくかというと、
必ずしもそうではありません。
個々バラバラではうまくいかないのです。
それをうまくまとめていく力がその会社になければいけません。
また、その力があるからもう安心かというと、そうでもないのです。
というのは、会社に力があっても、それをはね返すというか、
弱める力があっては何もなりません。
だから皆さんは、個々の力を養成すると同時に、
養成して高まった個々の力を
いい意味に調和させるチームワークをとることが大切です。
野球でいえば一塁手が絶えず二塁手の立場も見守っているといった、
そういうチームワークをとることに、お互いが努力しなければいけません。
そうすれば、個々の力もいいし、
チームワークもいいということで、そこに生まれるところの活動力は、
社会に大きなプラスをもたらします。
よき仕事もでき、よりよき会社の姿につながるのです。
『道は無限にある』
自問自答
社員一人ひとりがバラバラではうまくいかないことが
わかっているはずなのに、できないのはなぜか。
チームワークを乱す力はいったいどこにあるのか…。


意欲ある人は常に成長しています。
各個人では日々1%かもしれませんし・・・0.1%かもしれません。
が、例えば野球の守備組織で考えると、
各1%の場合、1%×9人=9%の守備力アップになります。
総和は909%
その中の一人が体調を崩し-50%だとすると、
1%×8人+(-50%)=-42%になります。
総和は852%
そう考えると組織力って大きいですね。
昨年の、田中選手の抜けたカープの守備力がそうでした。
 

2020/07/11 2020年7月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月11日
任せて任せず

「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、
人に仕事を任せるという場合、
原則としては、こういう仕事をやりたいと思っている人に
その仕事を任せるということがいいのではないかと思います。
そういうようにもっていったほうが、やはり結果がいい場合が多いような気がします。
といっても、その人が、その立場を利用して何か自分のダメにするといったように、
自分の都合中心で考えているのであれば、
どんなに強く「やりたい」ということを言ってきても、
「ああそうか」と言うわけにはいきません。
しかし、そうではなくて、
この仕事が自分はいちばん好きだからやってみたいというのであれば、
そうさせたほうがうまくいくことが多いと思うのです。
もちろん、任せてみたところ、その人の欠点が出るということもあります。
その欠点については、やはり経営者が直してやるようにしなければならないと思います。
直しても直らないようであれば、
その人をかえるというところまでやらなければなりません。
これはいいかえますと、〃任せて任せず〃ということになると思います。
任せて任せずというのは、文字どおり〃任せた〃のであって、
ほうり出したのではないということです。
経営者というものは、どんな場合でも、
最後の責任は自分のところにある
という自覚をもっていなければならないと思いますが、
そのように腹をくくっていますと、仕事を任せた場合、
どういうようにやっているか
いつも気になっているというのが本当のところでしょう。
任せてはいるけれども、絶えず頭の中で気になっている。
そこでときに報告を求め、
問題がある場合には、適切な助言や、指示をしていく。
それが経営者のあるべき姿だと思います。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
任せたからといって、ほうり出してしまっていないか。
最後の責任は自分にあると腹をくくった上で任せているか。


『手を放して目を離さず』
安心しててう手を離せる人物は、
情報が手に取るように伝わってくる人。
報連相のない人は目の届かないところへ隠れてしまっている状態です。
・・・それではそもそも手を離せない。
 

2020/07/10 2020年7月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月10日
人を育てるということ

大事なのは、思い切って仕事を任せ、
自分の責任と権限において自主性をもった仕事ができるようにしていくことである。
人を育てるというのは、結局、経営のわかる人、
どんな小さな仕事でも経営的な感覚をもってできる人を育てることである。
そのためには、何でもあれこれ命令してやらせるのではいけない。
それでは言われたことしかしない人ばかりになってしまう。
やはり仕事は思い切って任せることである。
そうすることによって、その人は自分でいろいろ考え工夫するようになり、
そのもてる力が十分発揮されて、それだけ成長もしてくる。
『実践経営哲学』
自問自答
経営のわかる人、
経営的な感覚をもって仕事ができる人を育てることが、
はたしてできているか……。


経営者が思い切って(我慢して)幹部にまかせられるか?
前提は組織のレベルですね。
『部門経営』という意識の高い幹部の存在が不可欠です。
社長になりたての頃の組織では目を離すことが危険で、
幹部育成のために我慢をするというレベルではありませんでした。
逆に、仕組みを持っての組織活動きはできておらず、
こちらは時間をかけて全体の意識改革からゆっくり取り組みました。
日創研の大友さんから、
「住吉さん頑張ってくださいね、会社は必ず変わります。
10年かかりますよ。
やり続けてください。」
と言われました。・・・当時3年目でした。
それから20年。
皆さんのおかげでレベルの高い組織になりました。
ありがとうございます。

2020/07/09 2020年7月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月9日
心は最前線

部下に任せるということはきわめて大事だけれども、その一方で、
いつでも自分が率先垂範するというか、
身を挺して事にあたるという気迫をもっていなくてはならないと思う。
そういう気迫、心がまえをもちつつ、部下に仕事を任せるということである。
いわば、形の上では仕事を任せているが、
精神的には自分が直接やっているような気迫を一面にもっていることが大切なのである。
体は後方にあっても、心は最前線にいるというようなものである。
そうすれば、部下の人もそうした社長の気迫を感じ取って、
自分は社長にかわってこの仕事をやっているのだ、
というような気持ちでそれに取り組んでいくと思う。
それによって、仕事の成果もあがり、人もほんとうに育ってくるだろう。
まあ昔の武将でいえば、織田信長などはそうしたいい例ではないかと思う。
信長は、
秀吉とか光秀とか柴田勝家といった部下に軍をあずけて、各地を攻略させている。
けれども、彼自身はいざというときには、
あの桶狭間の合戦で単身先頭に立って城から討って出たように、
いつでも率先して戦いに臨もうという気迫をもっていたのだと思う。
それが部下たちにも強く感じられたから、みな信長の心をわが心として戦った。
そこに、
あのようにわずかのあいだに天下統一への歩みを急速に進めえた原因があると思う。
「人事万華鏡」
自問自答
部下に気迫が伝わっているか。
ともに戦っているのだという気持ちにさせているか。


私の心が最前線にいるために大切しているのは、
『情報』です。
無理やりスタートの『宅配スーパー』では、
私が体調を崩し出社できないときも、
導入プロジェクトメンバーの対応と、
皆さんの強力でスタートを切れました。
その間も情報は伝わってくるので、
甲田さんへ戦略変更の伝達もよい流れを作ることができました。
皆さん、本当にありがとうございます。

2020/07/08 2020年7月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月8日
説得力

政治家や経営者にとって、最も大事なものの一つは説得力だとよくいわれる。
よい考えをもっていても、それを他の人に理解、納得させるには、
それ相応の説得力が必要だというわけである。
確かにそのとおりだと思う。
ただ、説得力というものは、
自然に生まれてくるものでもなければ、口先だけの技術でもない。
やはり、これが正しいのだ、こうしなくてはいけないのだ、
という強い信念なり熱意が根底にあってはじめて生まれてくるものであろう。
『思うまま』
自問自告
説得力を生む強い信念と熱意が今の自分に十分あるか 。


安芸高田市政は市長不在、市議会議長・副議長不在。
そのような中ですが、
竹本副市長と田んぼアートの施設について面会していただく機会がありました。
お話には他の人にない説得力があり、
私たちの話もしっかりと聞いていただき、
これからもしっかり議論しながら進めていくと言ってもらいました。
言葉だけでなく、態度、
そして何よりも真剣なまなざしから『説得力』を感じました。

2020/07/07 2020年7月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月7日
決断

問題が複雑な場合には、一つの決断を行えば、さらにまたつぎの決断を迫られ、
そのあとも続いて決断すべきことが出てくるといったように、
決断が決断を生むというような姿も出てくる。
だから決断をすればそれで万事が終わり、といった簡単なものではないわけである。
けれども、そうはいっても、初めに決断がなければ、
何をしていいかわからないということにもなりかねない。
決断があってはじめて、何をなすべきか、どういう方向へ歩んでいけばよいか、
といったことが明らかとなるのである。
だから、そういう点からいえば、決断というものは非常に大事であり、
いかに正しい決断を行うかが、やはりきわめて大切な問題といえるわけである。
『決断の経営』
自問自答
決断が、つぎの決断を生む。その連鎖に向きあって、
その上で正しい決断ができるかどうか-。


一生は『決断』の連続ですね。
「私は何もしていない」
というひとも「私は何もしない」という決断をしています。
どうせ決断の連続なら、
『行動を伴う決断』の方を選択する。
『いやだな』と思う方を選択する。
・・・成功の法則です。

 

2020/07/06 2020年7月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月6日
見本を見せる

今まではリーダーとして当を得たらそれでよかったけれども、
今はリーダーとして当を得るだけやなくして、
みずから一兵卒となって働くということも可能でなければならん。
そういうことをしなければ、
とうていこの乱世に会社を全うすることができないと、かように思うんです。
これを皆さんにひとつお願いをしておきたい。
だから、今までは事業部長に聞いてやっていた、
事業部長がそれを命令したらそれでよかった。
けれども、今は命令を待つということなく部下が働かないといかんし、
事業部長も命令するんやなくして、
自分みずから命令する前にやっていくというようなことが一面に必要である。
乱世のときは必ずそうである。
それに勝ちぬいたならば、それで勝利を得るわけである。
会社の経営も、こういうときは事業部長が最先端に立ってやらないといかん。
会社であれば、社長、会長が最先端に立ってやらないといかん。
だから、実務的知識、実務的才能がこの際要求されると、こう私は思うんですね。
その実務的才能は、大きな会社になるほど薄くなっている。
そして、大きな観点でものを見る。
そういうようにやってきているわけである。
けれども今は違う。
今はそういう最高位にある事業部の部長、会社であれば社長、
会長という人がいちばん率先してあたる、それで見本を見せる。
“こういうように販売するんや、こういうように売りこむんだ”
ということをやれるだけの人でなくてはいかん。
事あるたびに発展する会社と、事あるたびに左前になっていく会社とがあるのは、
やはり首脳者の心がまえ次第だと思うんです。
首脳者の心がまえによって、無から有が生まれてくるということがいえる。
そういう点を十分心得て、今後の経営に取り組んでいただくことをお願いいたします。
『松下幸之助発言集第28巻」(昭和53年の発言より)
自問自答
事あるたびに成長発展する会社、事あるたびに沈んでいく会社。
いざというときに、リーダーの実務的知識・才能は試される。


『乱世のときは必ずそうである』
と幸之助翁は言われています。
ピンチの時にチンタラしていると殺されてしまいます。
ピンチの時こそ早い結果なのですね。
コロナウイルスでの緊急事態宣言時、
パルパとの提携『宅配スーパー』のサービス開発では、
自ら、パルパへの提案と仕組みの開発、商品撮影など率先し、
スピードを最も重要として進みました。
もちろん、決して私一人で進は進みません。
プロジェクトチームあればこそです。

2020/07/05 2020年7月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月5日
具体的な指示

「これはいかん」と思うたらね、自分が乗り出さないかん。
自分がすぐ飛んでいかないかん。今までのあいだにね、だいたい皆に任しとる。
「君はやれる、君はきっとやれるぞ、やってくれ」と言うて任す。
任したけれども、必ずそのとおりいかん場合がある。
叱るだけではいかん。
やっぱり手に取って教える。
技術は手に取って教えることは、こっちは知らんからできないから、
「君は向こうへ行って聞いてみたまえ。
必ずあの人は技術もってはるよって聞いてきたまえ。
わしが知つとったら、君に言うけども、君の今の技術はどうもいかんように思う。
きれいにできてへんやないか。
だから頭を低くして訪ねていって教えてもろてこい。
このことはどこへ行って教えてもろてこい」
といちいち指示したわけや。
その指示もしない、
その指示もしないとただ 
「ええもんせえ、ええもんせえ、君はけしからん」
と、そんなことではだれも働かない。
だから、私は人の長所を見てその長所を使ってきた。
しかし、その長所が出ないという場合には自分がかわってやる。
しかしかわってやるというても実際にできないから、
かわってやるがごとき具体的な指示をした。
具体的な指示ができないときには、具体的な指示に等しい方法を提案した。
「君はどこへ行って会社を見てこい、だれに会うてだれにこういうことを聞いてこい。
それじゃ、君よくわかるで。
それでもわからんなんだら、君はほかへかわれ、ほかの人に譲れ。
そしてほかで仕事せえ」
と、そこまでやったわけである。
それをいちいちやってきたわけである。
それをやらずしてこの会社できないです、
ほんとうは。私はそう思うんですよ。
やっぱりね、社に長たる人は、部に長たる人はその分に応じてその仕事をせないかん。
実際に指示せないかん。ただ「しつかりやってくれ」だけではいかん。
『松下幸之助経営百話(下巻)』(昭和51年の発言より)
自問自筥
部下に任せた仕事を見て、「これはいかん」と思ったときに、
かわってやる、具体的に指示をする、そういうことまでできているか。


『どうやるか』の戦略や戦術の具体的指示のことではありません。
『どこに行けば』『誰に聞けば』
解決につながるヒントやアドバイスを受けることができるか?
という具体的指示ですね。
幹部、管理者への私の指示の多くはこれを意識しています。
『この指示で成果を出す人』をたくさん育てたいと考えています。
 

2020/07/04 2020年7月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月4日
正しい意志決定

すべての問題をその場で即決するのは、実際問題としてむずかしいと思う。
ある程度検討したり、他の人の意見も聞いてみるといったことが必要な場合もあろう。
ただ、そういうときでも、なんとなくあいまいのままにほうっておくのはいけない。
部下も意欲をなくしてしまうだろう。
「これは、今は即決できない。少し考えてみたいから一日待ってくれ。
あすまでに決めよう」とか、
「こういう大事な問題は、多少研究する必要があると思うから、
一週間ほど待ってほしい」というように言えば、部下も安心すると思う。
そのように、意志決定はできるだけすみやかに行うことが大事だが、
ただ早く決めればいいというものではない。
その決定が正しいものでなくてはならない。
即断して、誤った意志決定をしてしまったのではなんにもならない。
それでは、どうしたら正しい意志決定ができるのか。
これは実際は非常にむずかしい問題だと思う。
神様でもないかぎり、
常に正しい意志決定をするということは不可能だといってもよいだろう。
けれども、やはり、できるだけすみやかに、
できるだけ誤りのない意志決定を行なっていかなくては、
人を使う立場としての職責は果たせない。
そこで、自分の体験なり見識にもとづきつつ、
その時々の情勢を勘案して総合的に決定していくわけである。
ただ、その場合一つ大事なことは、
根底に、一つの人生観、事業観、社会観というものをもつことではないかと思う。
つまり正しい人生観、正しい社会観といったものを常にみずから養い高めつつ、
それにもとづいて意志決定をしていくということである。
そういうものでないと、ともすれば場当たり的なものになってしまうし、
また部下を十分納得させることができないおそれもある。
『人事万華鏡』
自問自答
場当たり的な、部下を十分納得させることができない
意志決定になっていないか・・・・・。


一言でいえば『勘』もう一言加えると、
『経験』と『勘』。
何度か書いていますが、くじ引きのような第六感ではありません。
経験に裏打ちされた『紐解けば根拠がある』・・・変な書き方ですが、
「自信ないけどこっち」ではない『勘』です。
もちろん、
本、研修、講演、ベンチマーク・・・・などもその一つですね。

2020/07/03 2020年7月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 

松下幸之助 成功の金言365

 

松下幸之助[著]

 

PHP研究所[編]

 

73

 

進歩

 

 

人の上に立つ重要な地位にある人は常に反省する必要があるということは、

 

人間は知っていても、その反面では違ったことを考えている。

 

すなわち自分の地位の高さ、

 

自分の年齢によって人が動くということのみを認識して、

 

すべてを命令によって行おうとするのである。これは上手な方法ではない。

 

いや憂うべき策といったほうがよい。

 

このようなことがくり返されれば、

 

部下は自然とそ自発的、自主的な創意を出す機会が少なくなり、

 

命令に従ってさえいればよいという習性ができてしまう。

 

そして多くの場合、その一団の能率は下がるという結果になるのである。

 

率先垂範ということは必要ではあるが、ただそれだけでは足りない。

 

これはまどろこしい点もあるであろうが、部下に任せるということが必要である。

 

そのうちには、部下も必ずや一人前になり、十分自分のかわりになり、

 

ときには自分以上にうまくやるようになるであろう。

 

そういう人を多く擁している会社や集団は進歩するものである。

 

だが、このことは心に余裕をもっていないとできにくい。

 

会社における経営者、責任者というものは、

 

多くの人を擁してともに仕事をするのであるから、

 

わがままで感情的な芸術家的潔癖さをもっていたのでは務まらない。

 

このことは経営者の立場にある人や、人の上に立つ人たちは考えねばならぬ点である。

 

「物の見方考え方」

 

自問自答

 

自分のかわりになり、

 

自分以上にうまくやる人が出てこなければ、会社に進歩はない。

 

そのためにも部下に任せることをしなければならない。

 

 

 

そうですね、リーダーは、

 

1.まずは率先垂範。

 

2.次は指導

 

3.そして我慢。

 

『我慢』とは、「手を放しても目を離さない」。

 

ほったらかしとはもちろん大きな違いです。

 

幸之助翁が言われるようにすべてを自分でやるのは、

 

『芸術家』

 

一点当たりの単価は高額です。

 

・・・が一般向けではありません。

 

私たちは一般の暮らしを支える組織です。

 

人材を育成し均一なサービスを多くのお客様にお届けしたいですね。

 

2020/07/02 2020年7月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月2日
私の責任 


会社では、物事を決めるのに、たとえば会議などを開いて慎重に検討し、
皆の意見をとりまとめて決定するといったかたちがよくとられます。
それがいわゆる民主主義的なやり方というわけですが、
私は、そのようにたとえみんなで一緒に決めたというかたちになるにしても、
その決定を実際に採用するか否かは、
その部門の責任者、いわゆる“長”の判断によるものだと思います。
つまり長たるものは、その判断をするにあたって、
最終的には自分一人の責任においてこれをしなければなりません。
いくら大勢で決めたことだからといって、
一度それを採用したからには、すべての責任をみずからが負うのが本当です。
「それは私の責任です」ということが言い切れてこそ、責任者たりうるわけです。
ところが実際においては、そういうことをわきまえている人は、
それほど多くないように思われます。
したがって往々にして、「みんなの意見で決まったことですので…」と言って、
責任者が負うべき責任をも回避するというようなことが起こってきます。
しかし、たとえ多数決で決まったことであっても、
その責任者が「これは絶対によくない。自分の責任においてできることではない」
と判断した場合は、そのことをはっきりと明言してそれをやめさせるか、
それができなければ、
みずから責任者としての地位をいさぎよく退くということも考えられると思います。
とにかく責任者としての出処進退を明らかにするということです。
それをせずして、「自分としては賛成しかねるのだけれど、
全体で決まったことなので…」などと言うのは、
責任者として、
とるべき責任の自覚が欠けているということになるのではないでしようか。
『社員心得帖』
自問自合
「私の責任です」と言うリーダー。
「全体で決まったことなので・・・…」と言うリーダー。
どちらになるべきか。どちらになりたいか。


「私の責任です」
この自覚が強い人が、
組織を束ね組織のリーダーになっていくのですね。
自覚の強い人は『行動の速さ』と『成果、結果』に違いが出ます。
 

2020/07/01 2020年7月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
7月1日
だれよりも熱心である

私はよく、各部署の責任者の立場にある人に対して、こういうことを言ってきた。
すなわち、その人がかりに部長だとすれば、
「君の部にはずいぶんいろいろな仕事がある。
そのたくさんある仕事を、いかに君が部長だからといって、
神様ではないのだから、何もかもできるわけではない。
ある仕事については部下の人のほうが才能があるということもあるだろう。
こういう面では、彼のほうがわしより偉いなという場合もあるにちがいない。
そういうことがたくさんあると思う。
だから、
君が責任者であり、指導者ではあるが、個々の面、専門的なことについては、
指導できないことが多い。
けれども、指導者の立場にあるのだから、指導もしなくてはならない。
管理もしなくてはならない。
そういう場合、何がいちばん大事かということだ。
それは、君の部の経営というものについて、だれよりも熱心であるということだ。
部を経営する熱意においては、だれにも負けてはならない。
知識、才能というものについては負けてもいい。
それはすぐれた人がたくさんいるだろうし、負けてもいい。
だが、この仕事をやっていこうという熱意だけは君が最高でなくてはならない。
そうであれば、皆が働いてくれるだろう。
『うちの部長は、ぼんやりした点もたくさんあるけれど、
あの熱心さだけはかなわない。あれには頭が下がる。
これは、われわれも大いにやらなくてはならなどというようなことになって、
皆、もてる才能というものを存分に発揮してくれるだろう。
そういうものをもたずしては、部長としては失格だ」
というようなことを話すわけである。
『人事万華鏡』
自問自答
才能のある部下に
「あの人の熱心さにだけはかなわない。頭が下がる」
と思わせるだけの熱心さがあるか。


当社では甲田さんがNo1に熱心ですね。
これまでにいろいろな部門を渡り歩いていますが、
すべての部門で業績をつくっています。
皆さんもどんどん続いて下さい。
部門長以外の人はまず自らの業績に集中し、
部門長を目指してください。

2020/06/30 2020年6月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月30日
経営意識を働かせる

昭和九年の輝かしい元旦を迎え、元気に満ちた多数諸君の賀詞を受け、
これに過ぐる喜びはない。
ことに国民の久しく待望し奉った皇儲(皇太子)殿下の御生誕により、
さらにおめでたい新春である。
昨年中は諸君の一致精励により、
順調なる業績を収めることができて厚く御礼申しあげる。
諸君の真塾なる努力により年一年、
伸展を見つつあることはまことに喜ばしい次第であるが、
さてひるがえって考えるとき、自分の責務はこれに伴うて加重するのである。
すなわち諸君の努力を生かすも殺すも、
自分の指導よるしきを得るか否かによって決せられるのであるから、
深甚の考慮をはらわなければならないことを痛感する。
しかしながら諸君憂うるなかれ。
自分には確固たる経営方策があり、断じて誤らざることを明言しうるのである。
安心して追随してきてもらいたい。
ただし諸君は、各自受けもった仕事を忠実にやるというだけでは十分ではない。
必ずその仕事の上に経営意識を働かせなければダメである。
いかなる仕事も一つの経営と観念するところに、
適切な工夫もできれば新発見も生まれるものであり、それが本所業務上、
効果大なるのみならず、もって諸君各自の向上に大いに役立つことを考えられたい。
されば諸君に、きょうのお年玉としてつぎの標語を呈しよう。
「経営のコツここなりと、気づいた価値は百万両」
これは決して誇大な妄語ではなく、真に経営の真髄を悟りえた上は、
十万百万の富を獲得することもさしたる難事ではないと信ずるのである。
『松下幸之助発言集第29巻』(昭和9年の発言より)
※この講話がなされた昭和9年当時の社名は松下電器製作所だった。
自問自答
経営意識を働かせて日々の仕事に取り組む。
そこに何にもかえがたい"経営のコツ”をつかむ道があるのではないか。


意識成長、それに伴う思考や行動の向上がなければ、
それはすでに惰性です。
仕事を通して成長し続けることが仕事の意義と考えます。
定年年齢までの多くの時間。
睡眠時間よりも趣味の時間より多くの時間をかけているはず、
仕事で成長しなければ人生もったいない。

2020/06/29 2020年6月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月29日
勝ち方

いかに強い力士でも、
その勝ち方が正々堂々としていなかったら、ファンは失望するし、人気も去る。
つまり、勝負であるからには勝たなければならないが、
どんな汚いやり方でも勝ちさえすればいいんだということでは、
ほんとうの勝負とはいえないし、立派な力士ともいえない。
勝負というものには、勝ち負けのほかに、
勝ち方、負け方というその内容が大きな問題となるのである。
事業の経営においても、これとまったく同じこと。
その事業が、どんなに大きくとも、また小さくとも、
それが事業であるかぎり何らかの成果をあげなければならず、
そのためにみんなが懸命な努力を続けるわけであるけれども、
ただ成果をあげさえすればいいんだというわけで、
他の迷惑も顧みず、しゃにむに進むということであれば、
その事業は社会的に何らの存在意義ももたないことになる。
だから、事業の場合も、やっぱりその成果の内容—つまり、
いかに正しい方法で成果をあげるかということが、
大きな問題になるわけである。
むずかしいことかもしれないが、
世の中の人々が、みんなともどもに繁栄してゆくためには、
このむずかしいことに、やはり成功しなければならないと思うのである。
『道をひらく』
自問自答
勝てばいいというスポーツ選手に、
人は感動するか。希望をもつか。
企業経営も同じではないか。


一番正しくないのは法を犯すこと。
・・・論外ですね。
・・・・・・もう一つ一番に近いこと。
昨年大きな話題になった『あおり運転』は法を犯す犯罪ではありませんでしたが、
現在では法整備されました。
「法を犯さなければなんでもあり」
ではありません。
私も7年前あおり運転に遭遇しそのまま吉田警察へ逃げ込み事なきを得ました。
・・・・が、
「なぜ、後ろの車のドライバーはあんなに切れているのか?
あなた何かやったの?」
と言われてしまいました。
・・・・・・警察官も今ならそんな対応ではないと思います。

2020/06/28 2020年6月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月28日
察知と実現

未来学者といわゆる経世家(けいせいか)とは立場が違います。
未来学者は過去なり現在なりを分析して、
それによって将来はこうなるだろうという予測をします。
しかし経世家というものは、
人間の幸福のために将来はこういう世の中をつくろうということを考えます。
そこに経世家の未来学と学者の未来学の違いがあります。
そして、今日の経営者は経世家でなければならないと思うのです。
つまり、経営者が日々熱心に仕事をしていれば、
みずからの商売なり経営について
〃こうやってみたい、こうありたい〃
といった希望なり理想があるはずです。
それを社員に訴え、
その実現にともに努めていくということを大いにやるべきだと思います。
もちろん、一年先あるいは三年先には、
世の中はこうなるだろうということを察知するいわゆる先見性というものは、
経営者にとって欠くことのできないものです。
しかし最近のように変化の激しい社会では、
こうなるだろうと思ったことが必ずしもそうなるとは限りません。
そこで、そのような先見性をもつことに加えて、
みずからこうしようというものをもって、
その実現をはかっていくことが必要だと思うのです。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
将来を予測する、察知するだけでは、学者になる。
察知して、希望や理想を生み出して、社員に訴えて、実現をはかる。
どこまでも“経世家”をめざしていきたい-.


広ガスたかたの地域密着は、
高齢者をメインターゲットにしたものでした。
これからは、
『高齢者+子育て世代』を、
Wメインターゲットにして進んでいきます。
『成長企業』を目指しての不安定経営の実践です。
地域との関りも『集会所清掃』だけではなく、
子育て世代との関りを深めていきます。
 

2020/06/27 2020年6月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月27日
供給

私は需要の見込みを立てるのに、こういうことを標準にしてやっている。
要するに人間の嗜好(しこう)性、また経験性が加わることによって、
消費の面は進歩するわけであるから、貧乏、金持ちということを超越して、
消費の面はぜいたく化するというか、進歩する。
第一に、そういうことがどの程度伸びるかということを考える。
もう一つは、国民所得はどうなるかということを考える。
それと、習慣とか景気によらず、文化水準の向上、そういうものを勘案して、
今年は何ぼの売りという見込みを出す。
それ以上はやってみなければわからないものだ。
そういうことによって、今年は全体で何ぼあるから、
自分のほうは何ぼ供給する義務があるか、
またそれだけの力があるかということによって、自分の商品を供給している。
私は今まで三十年間そういうやり方でやってきて、ほとんど誤ったことがない。
今年は何ぼ生産する、来年は何ぼ売れるということによって、
会社経営の基準を立てて、黄金計画をやる。銀行から借りるものは借りる。
戦前もそうであったし、戦後もそうである。
その数字はほとんど、ピチンと合って狂いがない。
「なんで君、そんなに合うのか」とよく聞かれるが、
その根拠は科学的に説明できない。
それは長年の経験によってわかるのだが、
それがわからんようなことでは商売はできないものだ。
「仕事の夢暮しの夢」
自問自答
マーケティングは大切だが、最後はやってみないとわからない。
けれどもそれがわからないようではいけない….。


一言で言ってしまえば「勘」。
しかしその奥には経験と体験に裏打ちされた前提があるのです。
仮説と検証を繰り返し、
自分の中に科学的に説明できない不思議な根拠が身に付くのですね。
 

2020/06/26 2020年6月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月26日
後ろ姿に手を合わす

うどんの値段は同じであっても、
客を大事にしてくれる店、真心こもった親切な店には、人は自然に寄りついてゆく。
その反対に、客をぞんざいにし、礼儀もなければ作法もない、
そんな店には、人の足は自然と遠ざかる。
客が食べ終わって出ていく後ろ姿に、
心底、ありがたく手を合わせて拝むような心持ち、そんな心持ちのうどん屋さんは、
必ず成功するのである。
こんな心がけに徹したならば、もちろん、うどんの味もよくなってくる。
一人ひとりに親切で、一ぱい一ぱいに慎重で、湯かげん、ダシかげんにも、
親身の工夫がはらわれる。
その上、客を待たせない。たとえ親切で、うまくても、
しびれが切れるほど待たされたら、今日の時代では、客の好意も続かない。
客の後ろ姿に手を合わす心がけには、
早く早くという客の気持ちが伝わってくるはずである。
親切で、うまくて、早くて、
そして客の後ろ姿に手を合わす—この心がけの大切さは、
なにもうどん屋さんだけに限らないであろう。
お互いによく考えたい。
『道をひらく』
自問自答
顧客の後ろ姿に手を合わすほどの心持ち。
そういう心がけが成功への道をひらくのではないか。


とても大切なことですね。
私のところにお客様が来られたら部屋の外まで送り、
経理室の前で見送ります。
最近ではお客様の多くが階段を降りる前にこちらを振り返り、
再度「ありがとうございました」と頭を下げられます。
もちろん私も再度深く礼をして、
階段を降りお客様が見えなくなるまで見送ります。

2020/06/25 2020年6月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月25日
発意と実行と反省

これまで、私が松下電器の経営にあたってきた中で、
商売の心得として、その時々に話し、また書いてきたものがいろいろあります。
それらをまとめたものがほしいというお声を最近ずいぶんいただくようになりました。
そこでそのいくつかを選んでみました。
このようにまとめて見直してみますと、
結局、商売には、つぎのような基本姿勢が大切だと思いました。
つまり、仏教徒の方々の生活態度は、朝に礼拝、夕べに感謝といいますが、
われわれ日々仕事に携わる者も、朝に発意、昼は実行、そして夕べに反省、
こういう日々をくり返したいということです。
同様に、毎月、毎年の初めに発意、終わりは反省。
そして五年たったら、その五年分を反省する。
そうすると五年間に実行してきたことのうち、
よかったこと、よくなかったことがある程度わかってくると思います。
私自身の経験では、おおむね過ちないと思っていても、
五年後改めて考えてみれば、半分は成功だったが、半分はしなくてもいいこと、
失敗だった、ともいえるように思うのです。そのように反省しつつ歩むならば、
つぎの歩みを過ち少なく進めることもできるわけです。
要するに商売というものは、この発意、実行、反省が大事なことであり、
私自身も、こういう基本姿勢をさらに重要視していかねばと、
改めて痛感している次第です。
『商売心得帖』
自問自答
発意する→実行する→反省する
この基本中の基本が、結局は成功のもとなのではないか〃


『日々PDCAを回しつづける』
ということですね。
『PDCA』という言葉はなかった時代、
『朝に発意、昼は実行、そして夕べに反省』
日本人にはわかりやすいですね。・・・旧い日本人かな?
今では『PDCA』、『PDCLA』と言っていますが、
37年前本で読んだときは、『PDCを回す』と書いてあったことを思い出しました。
・・・本のタイトルは思い出しません。

2020/06/24 2020年6月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月24日
競争のための競争

今日、資本は公のものである。
天下のものである。決して私的なものではない。
それならば資本はあくまで公的な立場に立って使用すべきもので、
私心をもって損を覚悟の上で自社製品の市場占有率を高めようなどと考えることは許されない。
これでは結局は資本の横暴ということだけが残って、資本主義の得がたい長所を、
みずから失ってしまうことになるのではなかろうか。
資本主義は競争の経済であるという。
私もその根本原理を疑うのではない。
しかしその競争は、資本の力ではなく、事業そのものによる競争であるべきだ。
同じ種類の商品の競争は、その質と値段においてなされるのだが、
コスト安が下心のある赤字、出血サービスでなく、
工夫発明によってもたらされたものだとすれば、
これは広く社会にとって一つの進歩だともいえる。カゴが汽車になり、
汽車が飛行機になったのと同じことで、社会に益するところ大といわざるをえない。
しかし、単に資本のもつ力のみに頼って事を行い、
損をしてまで競争に打ち勝とうとするのは明らかに暴力的行為である。
それは競争のための競争であり、何ものも社会にプラスすることのない有害な競争である。
不当な勢力分野の拡張はいたずらに過当競争をひき起こすだけで、
これはまさに反社会的行動である。
今日、いわゆる暴力が法律で禁止されているごとく、責本の横暴も一つの罪悪と見て、
厳しく自戒すべきものである、と私は思っている。
私のいう「適正利潤の確保」は、こんな安易な考えからは生まれてこないものだ。
それはまさに汗とあぶらの産物であって、刻苦勉励、紙一枚をも節約しつつ、
すみずみまで工夫を凝らしてゆくところにはじめて可能となるものである。
そうしてこそ、社会の進歩に大いなる貢献ができるのだ。
『なぜ』
自問自答
汗とあぶらの産物による「適正利潤」の確保をするための競争もあれば、
競争のための競争、有害な競争もある。
社会の進歩に貢献できるのは、はたしてどちらか。


『価格競争』は競争のための競争の最たるものだと考えます。
ある意味『入札』はそれをあおっていますね。
最初に仕様を決めて、
全く同じ商品、製品、建築物、技術などにそろえるのですから、
価格競争が起こるに決まっています。
価格も仕様も競い合うと競争のための競争にはならないと思うのだか・・・。
・・・つぎなる別の問題が浮き上がってくることは想像できるが、
それも前進なのかもしれません。

2020/06/23 2020年6月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月23日
言うべきを言う

人を使って仕事をしていれば、
ときには叱ったり、注意したりしなくてはならないこともある。
そういうことは、人情としては、されるほうもいやだけれども、
するほうだって、あまりいい気持ちのものではない。
だからついつい面倒だとか、
いやなことはしないでおこうということになりかねない。
しかし、企業は社会の公器であり、
人を使うことも公事(おおやけごと)であるとなれば、
そうした私的な人情でなすべきことを怠るのは許されないということになるだろう。
だから、
信念をもって言うべきことを言い、叱るべきときには叱るというようになると思う。
そこに非常な力強さが生まれてくる。
そのことは同時に、単に私的な感情や利害で人を叱ったり、
処遇したりしてはならないということにもなる。
もちろん、人間である以上そういうものを絶無にすることは不可能かもしれない。
しかしそれだけに、
いっそう常にそうした私の感傭にとらわれることのないよう心することが大切だと思う。
あくまで、社会の公器としての企業の使命というものに照らして、
何が正しいかということを考えつつ、人を使うように心がけなくてはならないと思う。
『人事万華鏡』
自問自答
私的な人情でなすべきことを怠る。
それをなくすことは不可能なのかもしれない。
けれども“許されないことだ”と、常に考えるようにしておきたい。


人間です。
ミスを起こさないわけがありません。
“許されないことだ”
という意識がなければ何度も繰り返します。
良い行動、正しい行動を繰り返し習慣化するしかないですね。

2020/06/22 2020年6月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月22日
商品は金

人間というものは妙なもので、ここにかりに千円札があるとしますと、
これは決して粗雑に扱いません。
金はやっぱり財布にキチンとしまうか、ダンスに入れるか、金庫に入れるか、
ともかくほったらかしにはしません。
命のつぎに大事なもののように扱います。
ところがこれが商品となると、なんとなく粗雑になってくる。
千円の値うちのある商品は、
これは千円札と同じなんだというほどの思いがない。
だからついほったらかしにする。
湊もかぶったままで、キチンと整理もせずに、
店のすみで軽くあしらわれてしまうというようになりがちです。
実はここのところが非常に大事なのです。
私の経験からいうと、
こういう扱い方をする傾向の強いお店ほど発展していません。
もちろん例外もあるでしょうし、いちがいにはいえませんけれど、
まずだいたいはこうしたものです。
反対に、商品は金と同じだ、金を生むもとになるのだという思いで、
大事に管理し、陳列し、
いつもきれいにしておくというような細かい心くばりをしているお店は、
概して発展しているようです。
私の知っているある代理店さんのご主人が、
なんとか小売店さんの繁栄策を考えたいというので、
店をしまってから毎夜、お得意先の小売店さんを、二、三軒ずつ回られた。
そこで何をされたかというと、まずお店の乱雑を整理しましょうと強く説いて、
あたかもそのお店の番頭さんみたいに、商品の整理から陳列、
掃除にいたるまで、細かく世話して回られたということです。
これを半年ほど続けられると、その熱心さにほだされたというのでしょうか、
小売店さんの奥さんまでが、これはもっと自分の手で率先して大事に、
きれいにしなければいけないという思いになってこられた。
そして、だんだんと陳列も変わってきた。
自然、小売店さんの商売も上向いてくる。
それがまた自分の商売のプラスになってきたというのです。
何でもないことのようですが、まあこれが商売の一つのコツというものです。
『商売心得帳』
自問自答
商品は金と同じ。金を生み出すもと。
金を扱うように大事にしていたか。細かい心くばりができていたか。


この本は昭和48年1月に出版されていますので、
執筆はそれ以前、この考えに至ったのはさらに以前のことでしょう。
幸之助翁は松下の工場視察や支社訪問をされるとき、
トイレや普段社員が使わない階段室などを、
案内する社員から勝手に離れて見に行かれたそうです。
「お客様が見るようなところは誰でもきれいにする。
お客様が見ないところに『心がけ』がみえる」
と言われていたそうです。
・・・と、木野先生から伺いました。
『いつもきれいにしておくというような細かい心くばりをしているお店は、
概して発展しているようです』

2020/06/21 2020年6月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月21日
商売というもの

一般に国家社会を論ずれば、なんとなく格調高いものに思うけれども、
商売を論じ儲けを論ずるというと、これは一段下の問題みたいに思ってしまう。
これはたいへんな間違いです。
商売や儲けを論ずるということは、実は国家社会を論ずるのと同じことなのです。
つまり商売というものは、ほんとうは非常に格調の高いもので、
だからお互いにここに自信と誇りをもって、
もっと格調高い商売をしなければならないと思います。
こういう思いで商売を大事にし、商売に身を入れていると、
自然とお得意先と仕入先のことが気にかかってくる。
お得意先と仕入先を抜きにして商売というものは成り立ちませんから、
お得意先と仕入先のことが気になって、
じっとしていられないような思いになるものです。
そして、あのお宅のあの製品にはもう油をさしてあげなければいけないとか、
このお家にはこの新しい製品をお勧めしてみようかとか、
あれこれと頭に浮かんでくる。
自然、仕入先にも、いろいろと積極的な意見が出てくるようになります。
もしも、
お得意先と仕入先のことが、絶えず気になるということがないとすれば、
商売はやらないほうがよろしい。きついことを言うようですが、
ほんとうは寝てもさめてもというところに、
身を入れた商売というものがあると思うのです。
『商売心得帖』
自問自答
商売とは非常に格調高いものである。
そう言い切れるほどの、自信と誇りが自分にあるか。


幸之助翁は、
「自分のやっている仕事は、
天皇陛下に次いで尊い」
と、木野先生にお話しされていたそうです。
自身で自らの仕事が日本の暮らしを豊かにする尊い仕事であると、
信念を持つことでさらに高いレベルを目指せるのですね。
広ガスたかたは『日本の暮らし』とは言いませんが、
安芸高田市を中心としたガス供給エリアの暮らしをサポートする、
尊い仕事であると強い信念を持ち歩み続けます。

2020/06/20 2020年6月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月20日
潤滑油

私の経営の仕方は世間でもいろいろいわれているようだが、
私は私なりに一つの考え方をもっている。
その第一は、なぜわれわれは仕事をしなければならないかという問題である。
これはお互いが働かなかったら、食っていけないからにはちがいないが、
ただそれだけではないように思う。
ただ食うだけでなくて、生活のいっさいがきょうよりあすはなおよくなる、
そのために働かねばならないものだと思う。
人間にはそういう一つの大きな役割がある。
お互いに、物を製造する人も、それらを助成するのに関連した仕事をする人も、
みんなそういうことを目的にしている。
精神的にも物質的にも、きょうよりもあすはよりよき生活をしよう、
そのためには何を考えるかということである。
そういうふうに考えてみると、金儲けをするということだけのために、
ものを考えたらいけないわけだ。
資本主義国家においては、目的はちっとも変わらないけれども、
それを各自の自由裁量において、しかも最も経済的に愉快にするために、
資本主義経済というものができている。
だから資本なり金は、いわばその潤滑油みたいなものである。
といってわれわれは潤滑油のみのために仕事をしてはいけない。
目的のために仕事をして、その目的のためにする仕事を、
さらに能率的にするために潤滑油を必要とするのである。
金はどこまでも道具であって、目的は人間生活の向上にある。
私はそういう考えである。
『仕事の夢慕しの夢』
自問自答
目的のために仕事をする。
その仕事を能率的に行うために、
必要とされるのが資本(金)である。
資金獲得だけが、目的と化していないか……。


車のエンジンオイルと同じ働きなのですね。
エンジンオイルがなくなるとエンジンは100%壊れます。
『資本』『金』がなくなれば100%倒産。
利益に限らず借入でもとにかく『金』は潤滑油です。

2020/06/19 2020年6月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月19日
会議

社長が実際の仕事についてはあまり知らず、
「どうだ君、やれると思うのだがどうだ」というようなことを言っていますと、
甲論乙駁(こうろんおつばく)、議論百出となって、
三日ぐらいもかかることになりかねません。
それはいささか極端ですが、日本での会議というものには、
概してそのような傾向が強いのではないでしょうか。
それでは何かにつけてテンポの速い今日の世の中では、
結論が出たときにはもう状況が変わっているということにもなりかねません。
ですから、
会議だからといって、会議室に集まり椅子に座ってするというのではなく、
立ち話で会議をして即決する。
しかもそれでも事態は刻々に変わりつつあるから、
その立ち話の会議を状況の変化に応じて何回かくり返す。
それぐらいの心がまえが必要だと思います。
もちろん、事が決まっていても、
会議に付して衆議をまとめねばならない場合もありますし、
実際に衆知を集めるために一ぺんみんなに意見を聞いてみようということもあります。
そのように会議にもときによって千差万別、
いろいろありますから、いちがいにはいえませんが、
私は会議というものについては一面そういう認識をもつことも大切なことだと思うのです。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
会議は立っていてもできる。
会議のあいだにも、世の中は変転している。
会議は集まって、座ってするものと決めつけていなかったか。


トリンプの元社長吉越浩一郎の著書のなかで、
『トイレで決済する』
『廊下を移動中に決済する』
『会議では2分で一つの議題を決済する』
これを知り、これこそ『スピード経営』と驚いたのです。
・・・が、
同じことを松下さんは実践されていたのですね。
・・・・・・改めて『経営の神様』に拝。

2020/06/18 2020年6月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月18日
どろぼうと同じ

社会のために、よりよき道義を保つ上には、いかなる人といえども、
自分を養うだけの金儲けをしなければいけない。
また力ある人は、それ以上の金儲けをしなければならない。
金儲けせんほうがええとか、安い賃金で働けとか、
あるいは、安いものを売れとかいうようなことを言って、
お互いに金儲けのしにくいようなことを奨励するのは、
貧困街道を走らすようなものである。
商売にしても、会社に損をかけるような社長は、悪意でないというだけの話で、
結果はどろぼうと同じことである。
そういうことに対して、もっと社会的な制裁—と言うとおかしいが、
厳しいものがなければならないと思う。
ところが破産したところは同情される。
ある場合には、あれはアホーだなと言うけれど、ある場合には気の毒だなと言う。
そういう常識の範囲では、ほんとうの意味の繁栄国家をっくることはできない。
『仕事の夢募しの夢』
自問自答
会社に損失をもたらす―
悪意がなくても、結果はどろぼうと同じこと。


日本の医療保障は世界の中でもレベルが高い。
ゆえに、
寝たきりで生きている感覚のない患者も多く、
医療にとても多くの税金をつぎ込んでいます。
海外では寝たきりにならないよう、
運動をしたりすることでいつまでも元気で入れるようにお金をかけています。
『ピンピンコロリ』というそうです。
医療費にお金をかけることをどろぼうとは言いませんが、
お金を使うところは正しいのかな?
と感じています。

2020/06/17 2020年6月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月17日
強い関心

一般にわが社では、苦心してつくった商品を大切にしないように見受けられるが、
自分たちの手がけたものが世上でどのように扱われているか、
強い関心をもたねばならないと思う。
私が昔直接生産に従事していたとき、新しい品物を代理店へ持参して見せると、
「松下さん、これは苦心され品ですね」と言われたことがある。
こう言われたとき、自分は無料で進呈したいと思ったほどうれしかった。
これは高く売れて儲かるという欲望的意識でなくて、
よくも数カ月の労苦を認めてくれたという純粋な感激だったのである。
この感激は、常に己の魂の至誠を製品にこめる者のみが味わいうるものであり、
この喜びに全社員がひたるときにこそ、わが松下電器が真に生産報国の実をあげ、
確固たる社会信用を独得することができるのである。
この精神から、製品検査所を通過しないものは市場に出さないのである。
「松下幸之助発言集第22巻」(昭和21年の発言より)
自問自答
「よくぞこの苦心、苦労を認めてくれた」
そういう純粋なる感激を何度も味わいたい。
まわりの人にも味わってもらいたい。


『お客様に喜ばれるサービスを全社で作り上げていく』
『誰か』がつくっるのではありません。
もちろんはじめの一歩は『誰か』一人の思いつきです。
そこから何人かのプロジェクトで形にしますが、
完成ではありません。・・・・提供のスタートです。
そこからPDCAを回し続け、
お客さ何本当に喜ばれるサービスに成長するのです。
この段階ではもはや『誰か』ではなく『全社』です。

2020/06/16 2020年6月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月16日
引き際

事業経営をしていると、引くに引けないという状況に直面する。
いわば死に直面するようなものだが、そういう状況下で、
捨て身になって仕事をしていくうちに、引き際というものがはじめてわかってくる。
熱心に事業に取り組んでいれば、おのずとわかってくるが、熱心さが足りないと、
いつまでたってもわからない。
また、この引き際の見極めは会社が大きくなってくると、
全体が見えないようになってくるから、さらにむずかしくなる。
どうしても一部分だけ見て判断しがちになるから失敗しやすいし、
失敗しても自分の失敗が全体に及ぼす影響がわかりにくいから、よけいたちが悪い。
これは、国家経営にもあてはまることだと思うが、
伝統のある大きな会社があっというまに倒産したり、
国でさえもつぶれてしまう危機に陥るのは、そういうことがあるからである。
だから、やりたいものがたくさんあっても、みずからの力なり、自分の立場、
会社の立場というものを考えて、やってはならないものはやらないし、
やめるものは断固としてやめる。
そういうことが適時適切にできてはじめて、
一人前の経営者といえるのではなかろうか。
『松下幸之助経営語録』
自問自答
やりたい、やってはならない、やらない、やめる。
引き際を見極めるときの、適時適切な判断思考能力は十分か。


近年、新米経営者だったころからいろいろアドバイスを受け、
家族ぐるみでお付き合いをさせていていた先輩経営者から、
引退の挨拶状が届きます。
何を止めるかの判断をしながらここまで経営して来ましたが、
最後は自分が辞めるタイミングの判断が大切だと考えています。
そのためには社長しか知らない、
『ブラックボックスの仕事』の引継ぎが重要ですね。

2020/06/15 2020年6月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月15日
感受

今年は、わが社のいわゆる五カ年計画の第一歩の年で、その成果については、
皆さんも常日ごろから深い関心を寄せていただいていることと思います。
したがって、その後の推移については、皆さんにも逐一これを報告し、
お互いにさらに希望を新たにし、決意を強固にいたしたいと考えているのですが、
まあ今までのところは、世間一般の好況にも恵まれて、おおむね順調に進み、
見方によっては予想以上の業績をあげてきたともいえましょう。
これはまことにうれしくありがたいことで、この調子ならば、
十月切の売上げはさらにいっそうの躍進を見せることと、
内心大いに期待しておりました。
ところが、この十日現在の予測では、案外にこれがふるわず、
むしろ九月切を下まわるような気配さえ見えてきたのです。
もっとも昨年も、九月に比べて十月の売上げは若干下まわったので、
別に深く気にすることもないようですが、しかし景気に恵まれた本年の十月が、
このような状態を示していることについて、私はいささか気になっているのです。
せんじようつつみあり
千丈(せんじょう)の堤(つつみ)も、小さな蟻の一穴から崩壊するといいます。
その意味において、私どもの仕事に少しでも調子の乱れが見えたならば、
敏感にこれを感受して、
直ちに検討を加え、迅速な対策を講じなければなりません。
ことに好調なときには、こうした小さな乱れはとかく見逃されがちで、
あとになって思わぬ不覚をとりやすいものです。
今月のこの推移については、
もちろんいろいろと検討してみるつもりではおりますが、
皆さんもまた、ここらあたりで、一度それぞれに反省を加えていただきたく、
いささか堅苦しくなりましたが、ちょっとここに商売の話をしてみた次第です。
「月日とともに」
自問自答
調子の乱れを感受する→直ちに検討する→迅速に対策を講じる
常に“小さな蟻の一穴”を感受できるだけの敏感さがあるかどうか。


感度の良いアンテナを張り巡らし、その情報から、
次に予測される変化を予測しなくてはならないのです。
『危機感』が薄いと感度が悪くなります。
まずは『危機感』を潜在意識に植え込むことが、
高性能な感度アンテナをつくるのですね。

2020/06/14 2020年6月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月14日
遅速

一つの品物が、きょう人気を博してよく売れるからといって、
あすもそのとおりにいくかというと、そうはいきません。
あすはどういうものがどこから生まれてくるかわからないのです。
すぐにそれが全国に宣伝されて、
それによって需要が変わるということがありえます。
これは昔と今日とではたいへんな違いだろうと思います。
そのことをお互いに覚悟する必要があるわけです。
会社経営の責任者の地位にある人は、絶えずそういうことを考えて、
そして自分の仕事を吟味し、
その遂行ぶりの遅速ということを勘案しなければならないと思います。
そこで、会社の総合した実力というものが伸びなければならないわけですが、
総合実力を上げるにはやはり個々の実力を上げなければなりません。
個々の実力を上げるには、それなりの訓練が必要です。
横綱が強いというのは、これは一つは素質にもよりますが、
横綱といえども稽古を怠ったら、もうすぐに弱くなるということです。
ですから、土俵で一分間なら一分間の勝負を決するその相撲のために、
稽古場では二時間も三時間も毎日ほとんど完膚なきまでに猛練習して、
そして体を鍛えていくわけです。
その奮励の姿、努力の姿というものは、土俵の何百倍かの努力を要するわけです。
それを毎日たゆまずやってはじめて、
一分間の土俵で勝負を決する際に効果があらわれるのです。
そういうことを考えても、会社で設計なら設計をするについても、
その設計が十日もかかったのではもう遅れるのです。
だから、
こういうものをつくるという着想をしたなら、それは瞬時にして設計され、
すぐに一つの見本品となってあらわれるという訓練が、
絶えず行われるようでなければならないと思うのです。
『道は無限にある』
自笥自答
みずからの仕事を吟味する。
経営プラン遂行の遅速を勘案する。
実力を上げて夢いてくいにくはに、は、その訓練を絶えず行うしかない。


広ガスたかたがシステム開発部門を持っているのはそのためです。
多くの企業はぱっけいじソフトに頼ることが多く、
ソフトを開発しても基本そのまま使っています。
・・・企業の成長スピードが遅いわけです。
環境は日々変化しているのに・・・。
・・・ソフトの開発では日々進化をしていますが、
運用は日々というわけにはいきません。
『止まらず前進』を続けます。

2020/06/13 2020年6月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月13日
適格

部下のことにしろ自分自身のことにしろ、適格であるか否かの判断は、
私情にとらわれることのない適正なものでなければなりませんが、
そうであるかぎりは、
不適格な人をかえるのに躊躇(ちゅうちょ)してはいけないと思います。
そして実際、他の部署にかわることによって、
そこで立派に花を咲かす人もたくさんあるわけです。
これは結局、部の運営がうまくいくもいかぬも、
部長一人のあり方いかんにかかっている、
つまりは部長一人の責任であるということですが、
会社が着実に発展していくためには、
そういうことが日に月に適切に行われなければなりません。
それだけの責任を常に負うているのだという自覚こそ、
幹部社員として欠かせない一つの大切な要件ではないかと思います。
『社員心得帖』
自問自答
評価し考課をするときに、私情にとらわれていなかったか。
交代させることに、跨跨していなかったか。


これは評価制度がスタートした時からのテーマです。
現在の評価は誰かの私情が優先されない仕組みを取っています。
制度導入時は部門間調整に私情が入ったり、
良い人評価のみが優先されたり、
実績評価のみが優先されたり・・・・。
絶妙なバランスという意味では、
どこまでも正解はない永遠のテーマと言えるでしょう。

2020/06/12 2020年6月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月12日
会社へ投資する

これは誤解なく聞いてほしいのですが、太閤秀吉という人は偉い人だと思います。
天下をとったというのも、私はゆえあることと思うのです。
彼は自分の月給を会社へ投資しているのです。
それはどういう投資かというと、彼は馬の世話をする係になったとき、
主人である織田信長の乗る馬を立派にするために、
自分のわずかな給料をさいて、にんじんを買って食べさせてやったのです。
主人の出す飼い葉だけではなかなかうまくいかないというわけです。
嘘か本当か私は見ておりませんけれども、書物によるとそう書いてあります。
どちらにしてもこれは、普通ではなかなかできないことです。
今でもその時分でも、
給料が安ければもっと上げてもらいたいということは人情の上からすれば同じことです。
それを自分のもらった給料から、
自分の馬でなく主人の馬ににんじんを食べさせて、その馬を養った。
だんだん栄養がついてきて、
信長の乗っている馬はえらくあばれる馬だ、元気だということになったのです。
これは一つの投資みたいなものです。
誠意のある投資です。作為の投資ではいけないと私は思うのです。
作為の投資をすることは、効果があっても誠意の投資には負けるわけです。
私は、彼のは誠意の投資であると解釈してみたのです。
私はなにも、
こんな例をひいて皆さんの月給を安くしてくれというのではありません。
そうとってもらったら困ります。
しかし、投資しなくて成功するものではないのです。
そのように、いったんもらった給料を会社へまた献金する必要はありませんが、
しかし、何らかのかたちで、
自分の頭で投資するか、知恵で投資するか、あるいは時間で投資するか、
何らかのかたちで投資するという面が必要だと私は思うのです。
そのくらいのことを考えてこそ、一人前の社員といえるのではないでしょうか。
『わが経営を語る』
自問自答
頭で、知恵で、時間で、体で一会社に投資する。
自分は何の投資ができているのか、
これから何で投資できるのか-。


まずは自分自身への投資から。
何十万も出して『ナポレオンヒルプログラム』購入とは言いません。
本を読んでください。
考え方、行動の根拠がわかってくるので、
生き方に自信がわいてくるはずです。

2020/06/11 2020年6月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月11日
ダム経営

私は以前から〃ダム経営″ということを提唱し、
自分でも心がけるとともに、また人にも勧めてきた。
ダム経営とは、一言でいえば、経営の中にダムをもとうということである。
河川にダムをつくって、そこに水をたくわえ、
それによって水の流れを調節し、ムダなく活剛する。
それと同じように、資金の面、設備の面、在庫の面、その他経営全般にわたって、
ダムをつくり、余裕をもって経営を進めていこうというものである。
新しい仕事をするのに、一億円の資金が要るとしたら、
一億二千万円の資金を用意する。
もし、一億円しか手当てできないとすれば、仕事のほうを八千万円に縮小する。
そのようにして二千万円の余裕をもって、
不時の出来事に備える。そういったものが資金のダムである。
一つの設備をする場合、
九○パーセントの稼働率で採算がとれるようにしておく。
ふだんは九○パーセントだけ働かせる。
そして、たとえば石油危機の折のように、
何かのことで需要が急に増えたようなときに、
初めて一○○パーセント働かせて、供給に不足ないようにする。
それが設備のダムである。
同じように、
常に一定量の在庫をもって需要の急増に応じられるようにしておくのが、
在庫のダムである。
もちろん、これはあくまで、そういう意図にもとづいてやるものであって、
売れないからしかたなく在庫しているというものはダムでも何でもない。
『経済談義』
自問自答
資金、設備、在庫
わが社に“ダム”がない面ははどとこか。
十分に水をたくわえていないのはどこか。


このダム式経営は長らく利益のダムだと思っていたのですが、
最近になりこのダムは利益+借入ということを知りました。
いずれにしても『現金の手持ち不足にはならない経営』
は基本ですね。

2020/06/10 2020年6月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月10日
社会の公器

まず基本として考えなくてはならないのは、
企業は社会の公器であるということです。
つまり個人のものではない、社会のものだと思うのです。
企業には大小さまざまあり、そこにはいわゆる個人企業もあれば、
多くの株主の出資からなる株式会社もあります。
そういった企業を形の上、あるいは法律の上から見れば、
これは個人のものであるとか、株主のものであるとかいえましょう。
しかし、形の上、法律の上ではそうであっても、
本質的には企業は特定の個人や株主だけのものではない、
その人たちをも含めた社会全体のものだと思います。
というのは、いかなる企業であっても、
その仕事を社会が必要とするから成り立っているわけです。
企業が、その時々の社会の必要を満たすとともに、
将来を考え、文化の進歩を促進するものを開発、供給していく。
いいかえれば、その活動が人々の役に立ち、
それが社会生活を維持し潤いをもたせ、文化を発展させるものであって、
はじめて企業は存在できるのです。こういう仕事をしたいと、
いくら自分だけで考えても、それが現在もまた将来においても、
人々の求めるものでなく、社会が何ら必要としないものであれば、
これは決して企業として成り立たないと思います。
今日存在する企業のすべては、
そうした社会なり人々の求めから生まれてきたものだと思いますし、
また世の進歩とともに、これまであった仕事が不要になったり、
次々と新たな事業が生まれてきたりもするでしょう。
ですから、個人企業でも株式会社でも、
一面自分の意志で始めた自分のものであるという見方もできますが、
より高い見地に立って考えれば、
社会生活を維持し、文化を向上させるために存在している、
いわゆる社会の公器だということになります。
『「復刻版」企業の社会的責任とは何か?』
自問自答
企業のすべては社会や人々の要求から生まれてきた。
自分の意志でやっているようでも、
それは自分のものであり自分のものではないのだ。


現代社会では、
『企業は社会の公器』という意識は高まりつつあると思います。
有名人の不倫問題などが大きく取り上げられたり、
多くの不正が問題になっています。
・・・ここは見えない力でねじ伏せられているのか???
それはともかくとして、
松下幸之助翁は当時からこれを実践していたのだか、
いまさらながら『神ってる』。
・・・経営神様と言われているのは当然ですね。

2020/06/09 2020年6月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月9日
私のためでなく、公のた人めをに使う

かりに八百屋さんが店員さんを一人雇ったとする。
それは、そこの主人が楽をしようというような自分の都合であってはならない。
お客さんが多くて、お店がたてこんでくる。
一人では手がまわらなくて、お客さんを待たせることになる。
それでそういうことのないように店員さんに手伝ってもらう。
たくさん買って持ちきれないような場合には配達することもできる。
つまり、店員さんを使うことによって、
お客さんにも必要なサービスができ満足してもらえる。
それが結果としてはお店の繁栄にも結びつく。
そういうことで、人を使うわけである。
そのことは、多くの人を使っている大企業でも同じことである。
何万人もの人が働いているような大企業の中にはいろいろさまざまな職種がある。
けれども、そのどれをとっても、一つとして私の仕事はない。
みな、その企業が事業を通じて社会に貢献していくために必要なものである。
その必要な仕事をやってもらうために人を雇い人を使っているわけである。
だから形の上では、経営者が人を雇い、上司が部下を使っているようであっても、
実際は、企業としての公の使命を達成していくために、
それぞれに必要な仕事を分担しているということになる。
ただ、それを全体としてよりスムーズに運営していくために、
形の上で、使う立場、使われる立場ということになるにすぎない。
あくまで私のためでなく、公のために人を使うのである。
そのように、人を使うのは私のためではない、いわば公事であると考えれば、
そこに一つの信念が生まれてくると思う。
『人事万華鏡』
自問自答
世の中のどれをとっても、一つとして“私”の仕事はない。
そのことに気づいていたか。
強く意識をしていたか。


まさかこの令和の時代にそんな人はいないと思います。
・・・が、
世界の歴史では「奴隷」などという制度もあったことも事実です。
私たちは3KMに取り組み、
一人一人が人生の成功者をめざし共に歩みたいものですね。
 

2020/06/09 2020年6月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月8日
経費

会社、商店の経営にあたって心得るべきいろいろのことがあるが、
そのうち最も心しなければならぬことは経費の使途についてである。
経費が最も有効適切に使われている会社、商店は繁栄するが、
反対の場合は必ず失敗に終わる。
一枚の伝票、一通の郵便物、一本の電話のかけ方などにムダがあるようでは、
自然それが製品原価の上に響いて、売価が高くなり、ついに販路を狭められ、
商売が成り立たなくなる。よしんばそうした製品を買ってくれるにしても、
そのような放漫な経営による原価高の負担を需要者に課するようなやり方は、
社会を毒するもので、その存在が必要でないことになる。
どこまでも真蟄に怠らず、検討努力し、
よりよき品をより安き値段で社会に提供することができてこそ、
産業の本旨に沿うものであり、われわれはぜひかくあらねばならない。
諸君もこのことは十分にわかっているであろうが、
さてだれしも知っていながら、つい忘れやすもので、
ことに経営が大きくなればなるほど、目も心も届きかね、
知らず識らずのうちに経費が膨脹する。
およそいかなる事業にしても、実収益というものはきわめて少ないもので、
十円の実収益をあげるには少なくとも百何十円の品を製造し、販売し、
そしてその代金を全部回収し初めて得られるものであることを考えるとき、
簡単に経費は使えない。
諸君各自これを心に入れて、
すべての経費は最も有効適切に使うよう心がけていただきたい。
「松下幸之助発言集29巻」(昭和12年の発言より)
自問自答
実収益を得るまでの流れが身にしみてわかっているか。
経費増を消費者に負担させていないか。


経営で一番難しいのが『お金の使い方』ですね。
『お金』は使うよりも儲ける方がある意味ハードルが低い。
・・・決して簡単とは言いません。
「お金を貯めるのが何よりも大切」
と考える経営者もいるでしょうが、
過去に起こったことのある考えられないほどのインフレが起これば、
『お金』は紙切れになってしまいます。
経営にとって一番は『企業の永続』です。
『お金』をどう使えば10年先も、20年先も、
・・・100年先もお客様に指示され続けるのか?
お金を使いすぎての倒産ももちろん大きなリスク。
長期的にも短期的にもお金の使い方は実に難しい。

 

2020/06/07 2020年6月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月7日
働きの成果を黒字にする

皆さんが、朝から晩まで会社の仕事に従事してくださって、
そうしてその働いた成果というものがゼロではいかんということである。
その働いた成果には、必ず利が出なければならない。
これをなしえないような経営では絶対に意義がない。
いやしくも数億の金を使い、数千台の機械、数百棟の建物を使用し、
七千の人が朝から晩まで一所懸命に働いて、何ら利潤も出ないということは、
国家をしてだんだん貧困ならしめ、会社をしていよいよ衰微せしめ、
全従業員がだんだんと貧困になることでしかない。
かくのごとき能のない働きに終始してはならないのである。
われわれが産業人であることを考えるならば、
これだけの人の働きの成果を黒字にもっていって、国家の繁栄と、
会社の繁栄と、従業員の生活向上になるような成果ある仕事を断じてやる、
ということを、はっきりとわれわれは認識しなくてはならない。
そうでなければ、あってかいない存在であると私は考える。
あってかいない存在ならば、
松下電器は解散をしてよろしいものであると思うのである。
『松下幸之助発言集第22巻』(昭和24年の発言より)
自問自答
働いた成果をゼロにするような経営が、行われていないか。
働きの成果を黒字にする経営が、行われているか。


まだまだこの考え方の経営者はいるのでしょうね。
私の尊敬する岡山の先輩経営者も、
創業当時はいかに『税金を納めないか』をテーマに経営していたそうです。
その後ここには書けないいろいろもあり、
人との出会いもあり、
現在では超繁盛店をいくつも経営する偉大な社長です。
「税金を納めていないと住宅ローンを組めないと言われた」
という後輩経営者もいました。
・・・数年後新築の店舗付き住宅を建築していました。

2020/06/07 2020年6月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月6日
社内規則

もし経営者が必要以上に社内規則をつくって社員の活動を律しようとしたならば、
たとえそれが社員が間違いをしないようにとの心づかいからであっても、
やはり社員の多くはそういう規則にしばられて、のびのびとは活動しにくいであろう。
それでは各人のせっかくもっている知恵才覚というものも生かされにくくなる。
いきおい、仕事の成果もあがらないということにもなりかねない。
だから、会社の経営者というものは、
やはり、会社としての経営の基本的な方針は全員に徹底させるが、
あとはできるだけ各人の責任において自由にやってもらう、
というやり方をとったほうがよいのではないだろうか。
そうすれば、社員はのびのびと自分の持ち味を発揮できるし、
仕事に対しても喜びを感じつつ、またそれぞれ創意工夫を生み出しつつ、
高い能率を上げて働くということにもなろう。
それは本人のためにもなり、ひいては会社の繁栄にも結びつくであろう。
「PHP」昭和41年12月号
自問自答
経営方針を徹底すること、
自由に仕事をしてもらうこと、
その仕切りを間違えていなかったか。


いつか必ず。
そのレベルの社風文化に。
 

2020/06/05 2020年6月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月5日
自問自答

日々の商売を進めていく上で大事なことはいろいろありますが、
その一つとしてつぎのようなことがあげられると思います。
それは、
今営んでいる自分の店ははたしてどれぐらいお得意先のお役に立っているか、
どれほど喜ばれ感謝されているかというとを、
いろいろの角度から絶えず検討し、自問自答してみるということです。
たとえば、もしかりに自分が店をたたんでしまった場合、
お得意さんが〃惜しい店がやめたな〃と残念がってくださるかどうか、
それだけの商売を自分が今しているかどうかといったことを反省、
検討してみてはどうでしょう。
そのような検討を絶えずくり返しつつ商売を営んでいくならば、
そこから、
〃自分のやり方にはまだまだ配慮が足りなかった。
お得意先に対してはこういうこともしておかなければならなかった〃
ということが随所に次々と出てくるのではないでしょうか。
陳列の仕方を変えるということ一つを考えてみましても、
お客さんの目を引きつけて、
商品を少しでも多く売るためにやるのだというのも一つの考え方でありましょう。
しかし、せっかく来てくださったお客さんに好感をもっていただこう、
楽しんでいただこうというところから出発していろいろ工夫してみるほうが、
よりすぐれた、よりお得意さんに喜んでいただける陳列の仕方が生まれてきて、
結局は成果もあがることになると思います。
お互いそれぞれに、そういうお得意大事の心に徹して、
自己反省、検討を絶えず加えていくならば、
そこから自分の店が存在する意義というものについての
確信が生まれてくると思います。
そうなれば、商売にもおのずと力強いものが湧き出てくるし、
尽きざる創意工夫も生まれてきて、
求めずしてお店の繁栄が達せられるということにもなるのではないでしょうか。
『商売心得帖』
自問自答
顧客満足度の調査は、自分の頭の中でもできる。
自問自答して、その根っこに、
お客様大事の心に徹するものがあれば、繁栄の道が見えてくる。


この作業はしょっちゅう行っています。
布団の中でこれを始めてしまうと、
ヒントをひらめいたり、考えに整理がついたりすると、
机とベッドを行ったり来たり・・・・。
昔は山道ドライブでカセットテープレコーダーをもってやってましたが、
今は危なくてできません。
小山さんや田舞さんの講義を聴いているときに、
ひらめくことが多いですね。
講義の中に答えを見つけるヒント満載なので、
潜在意識の活用をしています。
 

2020/06/04 2020年6月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月4日 
自主経営力

何でも上から命令されたから、
上の人の希望であるからと安易にものを考えるようになると、
それはいわゆる事なかれ主義に陥って、硬直化した経営になってしまいます。
たとえば、経費節減ということで、
広告宣伝費はムダに使ってはならないという方針が出された場合、
それを直訳して、必要な広告までやめてしまうということでは、
売れる商品も売れなくなり、会社の発展も止まってしまいます。
そこにやはり、下の人としての自主性にもとづく経営的な判断が必要なわけで、
ムダな広告はいっさいなくすが、
必要なものは積極的にやっていくということでなくてはならないと思います。
ですから、かりに部長の人が一つの方針を打ち出した場合に、
課長なり主任の人がそれに対して自分の所信を訴える、
もしそれが妥当でない場合には、
「部長、それは間違っていますよ」と言えるだけの自主性と実力、
いわば自主経営力というものをもっていることが必要だと思います。
そういうものがないと、万一、上の人が誤った場合、
全部が誤った方向へ進むということにもなってしまうと思うのです。
そういうことの大切さは、だれでもよく知っていると思いますが、
組織が大きくなり、人数が増えてくると、
ついつい命これに従うだけに終わって、事なかれ主義になってしまいがちです。
ですから、上に立つ人は、
下の人にそういう自主経営力を養い高めていくよう要望するとともに、
自分自身日ごろから下の人の意見に耳を傾け、
下の人の提案が出やすいような雰囲気をつくっていくよう心がけることが
大切だと思うのです。
「経営心得帖」
自問自答
事なかれ主義だけは避けねばならない。
「それは間違っています」と言わねばならない。
それだけの自主性と実力が今の自分にあるか-。


「○○問題があります、どうしましょう」
と、相談に来てくれます。
新人社員であればそれでよいでしょう。
「○○問題があります、○○の対応をしたいと考えますがいかがでしょう」
さらに良いですね。
役職が上がれば上がるほど、
『仮説をたてて相談をする』ことは重要です。
ただし、
『仮説が立たなくて相談に行けなかった』
なんていうことは本末転倒です。
 

2020/06/04 2020年6月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月3日 
責任の自覚

皆さんの担当している仕事はいろいろあると思いますが、
どんな仕事においても大切なことは、
結局、自分の責任を自覚するかどうかということです。
そして、その責任を自分は遂行するのだ、
という考えをはっきりともつかもたないかということです。
それによって
皆さんの仕事の成果があがるかあがらないかが決まってくると思うのです。
古今東西を通じて、自分の責任を自覚することも、果たすこともなしに、
みずからも幸せになり、世の中も向上せしめたという人はないと思います。
私は宗教のことはよく知りませんが、
キリストという人は皆のために十字架にかかって死んだといわれています。
われわれなら、自分の責任と思わないことでも、
キリストは全部自分の責任であると感じたわけです。
人々が人間的な尊さを失い、欲にぼけ、ものを取りあい、ケンカをする。
あるいは、あちらでもこちらでも戦争をして、世の中が修羅場のようになった。
そういう姿を見て、
これはたいへんなことだ、なんとかして救わなければならない、
と、それを自分の責任だと考えたのだろうと思います。
一国の総理大臣とか、一国の王様であれば、
国民全体がうまくいかないのは自分の責任である、と考えて当然かもしれません。
しかし、イエス・キリストは一国の王様でも何でもない、一市民です。
にもかかわらず、自分の責任であると考えたのです。
あるいは一人の人間として、とにかく隣人をよくしなければならないというので、
あれだけの働きをしたのだと思います。
それが容れられず死んでしまったのですが、
それでも不平を言わず喜びをもって終始した、
これがキリストの非常に偉いところだと思います。
われわれはキリストまでになることはとてもできません。
けれども、少なくとも自分のしている仕事に対しては、
はっきりとその責任を自覚しなければならないと思うのです。
『わが経営を語る』
自問自答
責任を全うするのだ。強く深く認識するのだ。
その強い自覚によって、成功の道はひらけてくるのだから。


社長業のスタート時は、能力超える問題が次から次。
そのプレッシャーからか自律神経が弱りまくりで体調を崩していました。
・・・が、
社長業をまっとうして『強い会社』をつくるの信念のもと、
フラフラになりながら出社することも多かったですね。
先輩経営者に相談すると、
「『新米社長』はそれでも出社しろ、
朝の一仕事を終えた後、
どうしても無理ならそれから帰れ」
とアドバイスを受けました。
 

2020/06/02 2020年6月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月2日
自己認識と対比認識

日本の軍部でも、
自分の強さ、実力というものを認識しないところに過ちがあったわけですな。
それで私は今、松下電器が、技術の点において一番や二番やないとするならば、
そのことをはっきり認識しないといかんと思うんです。
〃いや、おれのところはうまくいっているんだ〃と考えると、
日本の軍部みたいになってしまって、なすべきことを知らないということになる。
私は、会社の経営者として、
今、会社の総合実力というものはどんなものであるか、あまり低く評価したら、
力が伸びなくなるし、高く評価したら、要らん戦争をして負けるようになるから、
絶えず松下電器の実力というものがどんなものであるか、
競争力はどの程度あるかということを総合して、判定を誤ってはならない。
これは社長の仕事である。皆さんは総合的な判定をすることは、
仕事が多少違うとしても、その担当の部門の実績、
実力というものがどんなものであるかということを絶えず認識して、
それを一歩高めるにはどうしたらいいかということについて考える。
具体的に実力をもっているのかどうかということですね。
ぼくはこのあいだ、
ある一つの器具を見たところ、なんとこれはまずいなと思うたわけです。
ぼくの目から見たら非常にまずいんですね。
汚いし、なんだか素人がつくったようなものなんです。
一流会社の松下電器の堂々とした製品といえない。
こんなものは信用を落とすと思うようなものなんです。
ところがそこの技術担当者は、これを平気で出している。
それは認識していないわけですね。
つまり、自分の技術そのものを認識できているかどうか。
あるいは自分の技術とよその技術とを対比した場合に、
どれだけ劣っていてどれだけ進んでいるかという、対比認識もできていない。
自己認識も対比認識もできていない、
ということは競争相手に対する認識もない。
こういう状態においてやっておれば、
これはもう会社のためにならないことは決まっている。
『松下幸之助発言集第25巻』(昭和34年の発言より)
目間自答
自己認識、そして対比認識。
それは、コアコンピタンスの認識、
そしてベンチマーキングではないか。
自分はできているか。自社はできているか。


木野先生に聞いた話だったかな?
松下幸之助翁は、
開発担当社員の
「高性能な製品を開発しました」に、
どのような高性能製品化も聞きもせず、
「美しくないな」
と言ったそうです。
その時のことも踏まえた文章なのかもしれません。
 

2020/06/01 2020年6月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
6月1日
社員稼業

今日、独立した経営者は数多くあって、その経営ぶりはさまざまです。
それぞれの人の持ち味において、自主独立のかたちで経営が行われています。
うどん屋さんの主人公もそうです。そば屋さんの主人公もそうです。
夜なきうどんの主人公も独立しています。
その人たちは、いわばその仕事を自分一人でやっているのです。
自分一人で、独立経営体として、そこに精魂を打ちこみ、
おのが事業としてものを見、ものを判別し、そうして是非を判断しているのです。
しかし、会社勤めのいわゆるサラリーマン、社員という人たちは、
そこまでは徹していないでしょう。徹している人があってもごく少数で、
大部分は会社の社員という立場において、単なるサラリーマン根性というか、
要するに与えられた仕事を遂行しているといった心が
まえに終わっているのではないかという感じがします。
それをもう一歩進めて、自分は、会社という一つの社会の中で、
社員稼業をしている独立経営体であると考える。
すなわち、衿さん一人ひとりが、自己の独立経営として、
自分はこの会社の社風稼業をやっているんだと、
こういうような心意気になってものを見、
ものを判断することがはたしてできないものかどうか、
また、そうすることは間違ったことなのかどうか、
ということを考えていただきたいのです。
もし、社員稼業に徹するならば、
たとえば命じられただけの範囲で仕事をすませるということは、
私はできないと思います。
みずからの稼業が夜なきうどん屋の主人であったとしたならば、
みずからすすんでうどんを売るというような心がけで
仕事をしなければならないでしょうし、川べりに屋台店を出して、
お客さんに呼びかける必要があるでしょう。
また、きょうのおつゆの味わいはどうであるかと、みずから食べてみて、
少し辛いとか、辛くないとか、自分で味わい、考えるということもやるでしょう。
『社員稼業』
自問自答
社員稼業をしている“独立経営体”である。
自分も部下もその意識をさらに高めていかなければ一一。


ここを理解している人は多くないかもしれません。
『経営トップは自分の思い通りに意思決定できる』
と思っている人も多いでしょう。
日本の法律の中で「商法」「民法」「労働基準法」……、
親会社や関連会社‥‥‥多くの規制の中で経営しています。
『社員稼業』ではさらに所属する会社や組織の規制も出ていますね。
いづれにしても規制の枠内での『独立経営体』という意識は大切です。
私は30代前半で意識し始めたと思います。
 

2020/05/31 2020年5月31日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月31日
いい訳はいっさい聞かない

私は常に会社におりましても、
〃会社の経営の良否というものは社長一人の責任である〃、
こういうことを社内で言っておるのであります。
それと同じように、部の責任は部長一人の責任である、
また、課の責任は課長一人の責任である、
こういうふうに私は常に言っておるのであります。
たとえば、課の成績があがらない、という場合があります。
それに対しては、まあ、いろいろな理由がありましょう。
どうも自分の課員はもうひとつうまくいかない、
というようなことを課の成績に関連して言ったりいたします。
そういう場合、私は、
「君、それはけしからんことを言うじゃないか。
課の責任は君一人の力だよ。
かりに部下に悪い者があるから成績があがらないというのであれば、
その部下を返す。
どうもあれは適性がないから他に使ってもらいたい、
ということはいくらでも会社に言うことができるんだ。
それを言わずして、ベんべんと使っているということは、
やはり君の責任じゃないか。
だから部下が悪いとか、何々に原因があるとかいう言い訳はいっさい聞かない。
これはぼく自身がそう思ってるんだ。
ぼくが会社の社長としてうまくいかないという場合に、
どうもうちの社員が具合が悪いからとか、何々に原因があったから、
というようなことで、ぼくは言い訳する意思は全然ないんだ。
それを同じように君に対しても要求したいんだよ」
こういうような話をしてきております。
『経営の価値人生の妙味』
自問自答
言い訳はありえない。
自分のミッション達成、責任遂行のために、
なすべきことは、すべてなしえているか-。


ここを長期で本気で自覚する人は、
『寝ても覚めても・・・』という経験をするのでしょう。
それが頭から離れず・・・、
寝れなくなってしまうのはよいことではありません。
・・・私の場合能力以上の責任を請け負っている自覚もあり・・・、
自律神経が参ってしまうことも。
しかし、この自覚が成功の法則である、
『潜在意識を活用』の域へ至るのも事実でしょうね。
 

2020/05/30 2020年5月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月30日
止めを刺す

昔は、いわゆる止めを刺すのに、一つの厳しい心得と作法があったらしい。
だから武士たちは、もう一息というところをいいかげんにし、心をゆるめ、
止めを刺すのを怠って、その作法にのっとらないことをたいへんな恥とした。
物事をしっかりと確かめ、
最後の最後まで見極めて、キチンと徹底した処理をすること、
それが昔の武士たちのいちばん大事な心がけとされたのである。
その心がけは、小さいころから、日常茶飯事、箸の上げ下げ、
あいさつ一つにいたるまで、厳しくしつけられ、養われていたのであった。
こんな心がけから、今日のお互いの働きをふり返ってみたら、
止めを刺さないあいまいな仕事のしぶりのなんと多いことか。
せっかくの九九パーセントの貴重な成果も、
残りの1パーセントの止めがしっかりと刺されていなかったら、
それは初めからなきに等しい.もうちょっと念を入れておいたら、
もう少しの心くばりがあったなら後悔することばかりである。
お互いに、昔の武士が深く恥じたように、止めを刺さない仕事ぶりを、
大いに恥とする厳しい心がけをもちたいものである。
『道をひらく』
自問自答
後悔のない仕事。後悔のない人生。
最後の最後まで、念を入れる。心をくばる。


明智光秀が天下をとれなかったのは、
本能寺で織田信長を暗殺しながらも、
信長の死体は行方が分からず、
明智光秀は残念ながら、
その首が取れなかったためと言われています。
・・・99%天下を取っていたのに。
先日TV番組で、
「信長の死体を交流のあった僧侶が本能寺の僧侶のふりをして運び出した」
と言っていました。
 

2020/05/29 2020年5月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月29日
正しい雑音

工場の作業場へ入って、
なんとなしに響いてくる音、雑音が、それが正しい雑音であるかどうか、
キチッと仕事ができている雑音であるかどうか、
不良品ができている雑音であるかどうか、
というようなことがわかるかわからないかということです。
それがわからないようなことでは、私はあまり偉そうに言えないと思うんです。
『松下幸之助発言集第28巻』(昭和48年の発言より)
自問自答
"正しい雑音”か‘‘正しくない雑音”か。
職場の“違和感”を嗅ぎ取る感覚が
研ぎ澄まされているか。


社内でもそうですね。
内容が『仕事の話があふれて』であれば正しい雑音。
そうでなければ不必要な雑音。
・・・昔は車のエンジン音で好不調を探っていましたね。
今も車はめったにないがいきなり止まる。
 

2020/05/28 2020年5月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月28日
不良の発見

その仕事の重大性を常に自覚し、それにもとづいて注意を怠らずやっていけば、
たいていの不良は事前に発見できる。
また不良を出してしまったら、なおすぐ発見できる。
それが商品を出して先方へ行ってはじめて不良であるということがわかる、
返されてきてもまだ安閑として、いやこうでもないああでもない、
それは使い方が悪いんだろうというようなことで論議しているようなことは、
もってのほかだと私は思うんです、実際のところは。
もし、たまに見落としがあったり、手抜かりがあったりして、
需要者から「どうもあそこのところ、こういう音がしまっせ」と言われたら、
もうすぐにピンと来て、
「いやよくわかりました。それじゃすぐお取り替えいたしましょう」と言うて、
〃ああ、あそこが悪いんやな。あれはうっかりしておったな〃
というようなことがすぐわかるくらいでないといかんと思います。
それが返ってきて、
「一ぺん試験してみいな」「いや、あんまりどうもないやないか」
というようなことを言うて時を費やすということは、
もう実に言語道断だと思うんです。
『松下幸之助発言集第30巻』(昭和33年の発言より)
自陪自答
ピンと来る。
不良が不良だとわかる。
ほんとうに、できているか。


まだまだ『結果に対しての対応』が現実です。
・・・が、
同業他社との比較ではかなり高いレベルにあります。
広ガスたかたは県庁の立ち入り回数が多いのです。
詳しくは書きませんが、
LPガス販売店としてのレベルが高いから回数が多くなるのだそうです。
『クレーム対応企業』から、
『クレーム未然防止企業』へ着実に歩んでいきたいと思います。

2020/05/28 2020年5月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月27日
くり返し訓練する

たとえば、アイロンをつくる会社があるとすれば、
三つなら三つの条件のもとに新しいアイロンをつくるから設計してくれといって、
三つの班に分かれた設計陣でコンクールを行うわけです。
それを三日間でやるのです。
そうすると三日間でそれぞれの班が設計を完成します。
それを集めてどの班がいちばん適切にできているか検討する。
そういうことをくり返しくり返し訓練するところから、
いざという場合に三日あれば立派に設計ができるようにもなるわけです。
そのようにして、早くいい物ができるという訓練を常にしておけば、
いざ競争という場合に、瞬間にいい物ができるでしょうし、
また一つの注文を受けても、他が一週間かかるところを、
こちらは三日でできるということにもなるでしょう。
そうすると二日間早くできるから、注文主も非常に満足するわけです。
いくらいい物ができるにしても、それが一カ月も先だというのであれば、
注文はよそへ行ってしまいます。
だからそういう訓練を常にしていることが、非常に大事なことだと思うのです。
『道は無限にある」
自問自答
わが社のスピードを生み出すための、
組織体制、教育訓練体制は万全か-。


体調崩して休んでおります。
申し訳ありません。
そのような中、
『宅配スーパー』はとてもスムーズに・・・・とは言いませんが、
日々出てくる問題に対応しながら成長しています。
ありがとうございます。

2020/05/26 2020年5月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月26日
商品が語りかけてくる

会社で新しく発売する商品を開発するというような場合でも、
試作品ができるとぼくは、
できるかぎり自分でも実際に手に取り使ってみることにしていました。
電気コタッでもラジオでもテレビでも、
しばらくのあいだじっと眺めたり手でなでまわしたりしながら、
それぞれの機能を試してみる。
そうするともの言わぬはずのコタッやテレビがぼくに語りかけてくる。
〃この角をもう少し削って丸味をつけてくれないか〃とか
〃スイッチをもう少し太くしてほしい〃
とかいう声が実際に聞こえてくるような気になるのです。
あるときなど、こんなこともありました。
それは乾電池の工場に行ったときのことです。
たまたまつくった製品がもうひとつ調子がよくないということで、
責任者をはじめ担当の人たちがあれこれその原因を調べていました。
そこでぼくも、その乾電池をいくつか家に持って帰って、
夕食をすませてから机の上にズラッと並べ、
あれこれと思いをめぐらせつつ乾電池につけた豆球の明るさを調べたり、
じっと眺めたりをくり返したのです。
そうするうちにふと、
乾電池が「一ぺん温めてみてくれないか」と言っているような気がしました。
さっそく、鍋にお湯を沸かし、その中に入れて温めてから試してみると、
明るさが正常の状態になっています。
そこから原因がわかって、翌日さっそく、対策を講じることができたのです。
そこでその責任者に、半ば冗談まじりに、
「乾電池としばらくにらめっこしていると、乾電池がもの言いよるで。
君も乾電池製造のプロであるならば、
そんな乾電池の声を聞き取れるようにならなあかんな」
といった話をしたこともありました。
もの言わぬはずの商品が
何ごとかを語りかけてくるというのはいったいどういうことなのか。
ぼく自身もよくわからないのですが、
結局、そのような声が聞こえるかどうかは、
自分の側にどれだけの真剣さがあるかによるのではないかと思います。
「PHP」昭和59年4月号
自問自答
気づく力の違いは、どこにあるのか。
"カン”が冴える人との違いは、どこにあるのか。


新技術の神様、本田宗一郎氏も同じようなことを言っていたと思います。
「寝ても覚めてもそのことばかり考えていたらひらめく」
のだそうですよ。
サービスも同じですね。
入り口はひらめき。
そこからはどれだけPDCAを回すか。

2020/05/25 2020年5月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月25日
新製品についてまわる

とにかく新製品を出せばそれについてまわることが大事です。
「きょう出した品物は初めての品物である。どこへ売ったか」
「大阪の何々商店へ売りました」
「じゃあ、その商店へ一ぺん行ってこい」と。
・「あなたのほうはそれを買ってくれましたか」
「買いました。しかしまだ売ってないんです。店においてあるだけです」
・「ああそうですか。店においた範囲においてあなたはどう思いますか」
「店においている範囲ではまあいいと思う」
・「それは結構です。まあできるだけ売ってください」と。
三日おいて、
・「売った結果はどうですか」と。
「きのう売りました。まだ様子を聞いていません」
・「どこへ売られましたか」
「ここへ売りました」
・「じゃあ、私そこへちょっと行ってまいります」と言うてそこへ行く。
・「きのうあなたが何々商店でお買いになった電熱器は、
お使いくださっていかがですか」ということを尋ねてみる。
「あれは使ったけれどちょっと熱が高い。なかなか使いにくい」
ということであれば、
・「いや、それはこういうようにされたらいいんです」
と教えてさしあげる。また、
「いや、あれは非常に結構だ」
と言われればこれは安心である。
まあ小売屋さんの店舗に行ってみたら、
小売屋さんは非常に結構だと言うておられると。
これは、小売屋さんは、見た目では賛成しておられるんやなとだいたいわかる。
また小売屋さんが売った相手は、
「一日しか使っていないけれども、まあ-日使った印象というものは悪くないな」
と言うておられる。
そうなればまず一応よかろうと。
そういうようにズーッとやれば、かりに不良があればすぐにわかるし、
先方も満足するし、失敗を重ねるということは絶対にありえない。
しかしほとんどそれをやっておらない。電話でも聞いておらない。
これは、自分が魂をこめてつくった品物を人に提供して、
その人がどういうふうに使ってどういうふうに感じるか、
ということに対して興味のない証拠だと思うんです。
『松下幸之助発言集第25巻』(昭和33年の発言より)
自問自答
顧客の動向にもっと興味をもたなければ一。
POSデータだけに依存していないか。
直接聞くことをおろそかにしていないか。


宅配スーパーもそうですね。
甲田さん山下さん山田さんを中心に、
日々お客様の評価をうかがいながら、
小さなPDCAを回し続けています。
生まれたばかりのサービスは成長の過程です。

2020/05/24 2020年5月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月24日
眺めてみる

私が今から五十年前に商売を始めて以来、初めて広告宣伝をやろうとしたときです。
ナショナルランプを考案しまして、これを世間に出す。
それには第一に宣伝ですが、当時は資金は乏しいし、力もありませんから、
新聞に広告を出すということは並みたいていではなかったのです。
しかし、やりたいので、三行広告を出すことにした。
今でも三行広告はありますけれども、
昔の三行というと今の倍の大きさがあったんです。
そこに、「買って安心、使って徳用、ナショナルランプ」、
これだけの文句を書いて、三行広告をしたのです。
その三行広告をするにあたりまして、当時三行広告といえども、
私らにとっては大金を出すことになるわけですから、
長い時間をかけて十分検討しました。
「買って安心、使って徳用、ナショナルランプ」、
これだけの文句ですが、それで三日かかったのです。
なぜ三日もかかったかといいますと、
その字の太さ、字と字の間隔、また周囲から見て、
字はどういうような感覚になるかということを考えぬいたからです。
寝間に入っても、
その杏いたものを新聞の上において眺めてみることもしましたが、
見るたびに、この間隔はもうちょっと空けたほうがいいな、
この字の太さは、もうちょっと太くしたほうがいいなと、そのつど変わってくる。
際限がありませんから、このくらいでやめようということで、
結局三日費やしたわけであります。
「松下幸之助発言集第24巻」(昭和47年の発言より)
自問自答
寝てもさめてもの執念を、忘れていないか。
コピー一つでもそう。
ほんとうにそれでいいのか、まだ何かできるのではないか-。


この思考は現在でもとても大切です。
・・・ただし環境変化のスピードが速い現代では、
「徹底的に時間をかけ完成度を高める」
ではなく、
「早く出して何度もブラッシュアップし完成度を高める」
が正しいのですね。

2020/05/23 2020年5月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月23日
わが娘、わが親戚

私どもが日々扱っている商品は、
いうなれば長く手塩にかけたわが娘のようなものと考えられます。
だから、商品をお客様にお買いいただくということは、
自分の娘を嫁にやるのと同じことで、そのお得意先と自分の店とは、
新しく親戚になったことになる。かわいい娘の嫁ぎ先がお得意様で
あるということになると思うのです。
そう考えますと、そのお得意先のこと、またお納めした商品の具合などが、
おのずと気にかかってくるのではないでしょうか。
〃ご家族の方が気に入って使ってくださっているだろうか〃とか、
〃故障していないだろうか〃とか、
さらには〃近くまで来たついでに、ちょっとお寄りして様子を伺ってみよう〃
というように、自分の娘の嫁ぎ先に対すると同じような感情が、
自然に湧き出てくるといえましょう。
そういう思いで日々商売に取り組んでいくならば、お客様とのつながりにも、
単なる商売を超えた、より深い信頼関係というものが生まれてきます。
そうなればお客様にも喜ばれ、
ひいてはそれがお店の繁栄にもつながってくると思うのです。
お互い、商品を自分の娘と考え、そこからお得意先をわが親戚、
身内と感ずるまでの思いに立って、毎日の商売を営んでいるかどうか、
改めて考え直してみたいものです。
『商売心得帖』
自問自答
どれほどの愛情、愛着を、
商品にもっているか。


すべての商品やサービス、システムなどが、
手塩に掛けて育てた『我が娘』。
・・・残念ながらというわけでもありません。
生まれていない子もたくさんあります。
企画で終わったり、作りかけで止まったりもあります。
しかし、すべての物に愛着があります。
しっかりと生まれて育った子には愛情が大きくなっていきますね。
 

2020/05/22 2020年5月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月22日
お得意先の仕入係

商売をするには、自分の扱う商品を十分吟味し、
自信をもって販売することが大事であることはいうまでもないでしょう。
ただその際の心がけとして、単に商品を吟味するというのではなく、
買う人の身になってというか、
いわばお得意先の仕入係になったつもりでこれを吟味することが大事だと思います。
仕入係というものは、必要に応じて品物を購入するのが仕事です。
それも品質はどうか、値段はどうか、量はどれぐらいか、いつ仕入れたらよいか、
というようなことを一つひとつ検討しながら、
なるべくその会社や商店の益になるようにもっていくところに、
仕入係の役目があるわけです。
だから、
自分はお得意先の仕入係だと考えれば、お得意先は今何を必要とされているか、
どういう程度のものをどれほど欲しておられるかということを察知しつつ、
そういう目で商品を吟味して、
お得意様の意にかなうようにお勧めしなければなりません。
ちょうど奥さんが、
晩のオカズを買いに来て魚屋さんの店先であれこれ物色しているうちに、
魚屋の主人が、その奥さんの要望を察しつつ、
「奥さん、これはどうです。この魚は今が食べごろ、
値段も手ごろ、ご主人にもきっと喜ばれますよ」
という具合に相手の好みにピタッと相応ずる品を選んで勧めれば、
いっぺんに決まってしまう。
奥さんも気持ちよく買い物ができるし、店も繁盛するというわけです。
魚屋さんに限らず、ほかのお店も、これは同じことではないでしょうか。
『商売心得帖』
自問自答
顧客や取引先のニーズやウォンツを察知して、
適切な仕入れをして、提供する。
どの商売でも繁盛の秘訣はそう変わらない。


この人の見つけてきた商品は必ずヒットする。
という感性を持った人がいるものです。
生まれ持った感性でしょうか?
多くは成長の過程で身につけるのです。
『感性を磨く』の言葉通りです。
まずはヒット商品紹介雑誌などもよいでしょう。
多くの商品を見続けているうちに・・・・、
ただ見ていてはいけません。
ヒットするかどうか?仮説と検証を繰り返すうちに感性は磨かれます。
もちろんターゲットを明確にしつつです。
そのうえで『自分が使いたい』と思う商品であるか?

2020/05/21 2020年5月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月21日
新入社員

新しい人を迎えることにより、
会社にも個々の職場にも新鮮な雰囲気が生まれてくる。
先輩の人々も、自分の初心といったものを改めて思い起こし、
そこにみずから心機一転の思いをもつというように、
この時期は一つの飛躍のための得がたい機会であるともいえよう。
しかし、そうしたプラスの面とともに、
新入社員が加わることによるマイナスの面を見忘れてはならないと思う。
というのは、いかに優秀な素質をもった人でも、学校を卒業して入ってきたばかりで、
仕事についてはまったく経験がないのだから、
最初は先輩の人がいろいろと教え導かなくてらない。
いわば手取り、足取りといった姿で教えられることにより、
だんだん仕事を覚えていくわけである。
ということは、その間、先輩の人はそれだけ手間をとられることになる。
つまり自分の仕事の能率がそれだけ落ちるようになる。
そうしてみると、まったく仕事の経験がない新入社員が加わる上に、
これを教え導くために先輩の人の能率も落ちてくるのだから、
職場なり会社全体というものをとってみると、一人あたりの力は低下するわけである。
もちろん、やがては新入社員の人も成長し、
自主的に仕事を進めていけるようになり、
それが大きな力となってプラスしてくることは当然である。
しかし、それまでの時期というものは、
平均的な実力は低下していることをはっきり認識しておくことが大切だと思う。
『経済談義』
自問自答
会社にはマイナスになる時期があることを、
十分認識していたか……。


P・ドラッガーは、
企業にとって最も大切なことは『永続』。
そのための企業の目標は唯一『顧客の創造』と言っています。
・・・人間は寿命があります。
私たちは両親に育てられ、
両親はそれぞれの両親に育てられ・・・・繰り返し現在に至っています。
私たちは子育てをし、
そして子供たちは子育てをし・・・・繰り返し未来を創っていきます。
人は代々命を受け継ぐことで人類の『永続』を守るのですね。
 

2020/05/20 2020年5月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月20日
販売

落語家の噺は、聞いていると面白いのですが、
その台本を読んでみると、聞くときの面白味は少しも味わえません。
販売にあたるのも同様であろうと思います。
いかに立派な筋書きを与えられていても、それを味よく先方にお肘けできるかどうかは、
販売にあたる人がそれだけの訓練をみずから培うかどうかにかかっているのです。
筋書きのちょっとした生かし方にも興味をもって研究すれば、それに成功するでしょう。
そしてその根底となるものが、誠心誠意だと思います。
それが根底にあってこそ深い味わいも出るのです。
誠心誠意がなければ、どんなに立派な筋書きでも、
それは実を結ばないアダ花となてくるのです。
「商売心得帖」
自問自答
商品がよくても販売がそれを生かさないかぎり、
成果は結実しない。


なるほど分かりやすいたとえですね。
真剣な取り組みと、
現場を踏む回数ですね。
取り組み姿勢に問題ありの場合でも、
現場を踏む回数を2倍3倍に増やし時間をかけることで楽しくなってきます。
・・・継続は力なり。
私の尺八はこちらの例です。

2020/05/19 2020年5月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月19日
サービス

私ども子どもの時分によく親方から教えられたのは、
商売人というものは、〃損して得取れ〃ということです。
これは少し旧式な話でありますけれども、損して得取れ、
損を惜しんでは商売人として成功しないということを言われたのであります。
これは商売だけではなくて、人間全般に通ずると思うのです。
個人、人間の社会生活に通ずることだと思います。
今日の言葉でいうならば、まずサービスからかかれ、
サービスをしてはじめて成果が認められるんだということと同じことだと思います。
昔はサービスという言葉はございませんでしたから。
そのサービスを適切にやっていくかいかんかによって、
非常に満足されるかどうかが決まる。
満足されることによって、松下を非常に支持してくださるということに結びつき、
繁栄するか繁栄しないかということに結びつくと思うのであります。
松下電器のすべての人は、サービス輔神に事欠いてはならない。
それは、友人に対するサービスであるし、会社に対するサービスであるし、
顧客に対するサービスであるし、社会に対するサービスである。
いっさいがサービスから始まると考えていいと思う。
『松下幸之助発言集第30巻」(昭和40年の発言より)
自問自答
サービスをした上での成果。
サービスをしない上での成果。
どちらが未来の繁栄に結びつくのか―。


『お客様に喜んでいただく』
ことで『徳』を積んでいくのですね。
『徳』を積むことで結果として『得』受け取れるのです。
お客様に何かを提供することで得しようとすることではありません。
 

2020/05/18 2020年5月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月18日
仕事と人格

「君は、今の上司は仕事はできるが、
人格的に欠点が多いので立派な人にかえてくれと言う。
君の言うこともわかるけど、どんなに人格が立派でまじめな人間だからといって、
仕事がよくできるとは限らない。仕事と人格はあくまで別や。
人間だれしも欠点はある。
だから、あの男にはこういうええとこもあると見なくてはいけない。
君は、その欠点にだけ気をとられているから、ええとこが見えんのや」
「松下幸之助経営語録」
自問自答
“仕事ができる”と“人格ががすぐれている”は、別物である。
だれしも欠点がある。
自分にも大いにあるじゃないか。
だからこそ、欠点よりも長所に目を向けるべきではないか。


すべてのことを『プラス思考』で見る。
・・・ってなかなかできませんよね。
・・・・・・人間ですもの。
だからこそ、
『あえて』『無理やり』で、良いところ探す。
まずはそこからスタートなのでしょう。

2020/05/17 2020年5月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月17日
臨床の仕事

お互いの経営なり、商売というものは、
これを医学にたとえれば、基礎医学ではなく臨床医学にあたると思うのです。
その意味では、これにあたる者はみな、
実地の体験を破んだ臨床家でなくてはならないと思います。
ですから、かりに販売の計画を立てる人が、自分自身、販売の体験ももたずして、
知識、才能だけに頼っていわゆる机上のプランをつくっても、
それは生きたものとはならず、失敗する場合が多いのではないでしょうか。
あるいは、実際に物を製造することを経験していない技術者の人が、
開発の仕事にあたり設計に従事したとして、
それではたしていい製品ができるでしょうか。
私はできないと思います。
やはり、臨床の仕事をしていく以上、
実地の体験から入らなくては一人前の仕事はできにくいと思うのです。
かりに、もし二年なり三年なり、販売店さんや問屋さんのお手伝いに行き、
その店の店員になりきって、ぞうきんがけから始めて
みっちり勉強、修業をしたというような人が営業の仕事をしたらどうでしょう。
これは、その人は販売第一線の実情に十分通じているわけですから、
かりに机上で立てた計画でも、
それはほぼ実態に即した間違いのないものができると思うのです。
もちろん、どのようなかたちでそうしたものを会得させ、
体験させていくかということについてはいろいろのやり方がありましょうが、
臨床の仕事をしているという心根だけはいつも忘れないようにしたいものです。
「経営心得帖」
自問自答
実地の経験が、
机上のプランを、生きたプランにする。


経営、営業、物作り、サービス開発、技術開発・・・・、
すべての仕事には、
経験や体験がベースになくては本当に生かせるものはできないのですね。
19日から全社スタートをする『宅配スーパー』もそうですね。
現在臨床試真っ最中。
初期トラブルの発見と対策を進めています。
2チーム体制出勤中の急遽での新サービス開発ということもあり、
開発開始から約一週間での臨床試験となりました。
しかもメインで動くのは1チームだけ。
しかしこのスピード感こそが大切なのです。
開発から臨床試験を担当していただいたプロジェクトメンバーのみなさん、
本当にありがとうございました。
そして、全社の皆さん、
19日からのスタートよろしくお願いします。
・・・・さらにPDCAは回し続けます。

2020/05/16 2020年5月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月16日
念入りに、しかも早く

米倉さんのお店で、こんなこともありました。
あるとき、店員さんが、
「商売というものは、やはりサービスが大切ですから、特に念入りにやりましょう」と、
丁寧にやってくれたのです。
それで、終わってから時計を見ると、
いつもは一時間なのに、一時間十分かかっていました。
そこでぼくは、こう言いました。
「あなたがサービスに努めてくれたのはたいへんにありがたい。
けれども、念入りにやるからといって十分間よけいに時間がかかるのでは、
ほんとうのサービスにはならんのではないですか。
もしあなたが、念入りに、しかも時間は五十分でやるということであれば、
これは立派なサービスだと思いますがね」
ぼくは、スピードの尊ばれる現代においては、いかに念入りにとはいっても、
時間がよけいにかかるのではなく、念入りに、しかも早くというところにこそ、
真のサービスがあるのではないか、そう思いましたので、
そんなことをお話ししたのですが、それからしばらくして、
再びその店員さんにお世話になったときには、
ハサミさばきも鮮やかに、五十分で立派に仕上げてくれました。
「縁この不思識通るもの」
自問自答
より早く!より丁寧に!
真のサービスを提供できているか―。


「♪早い、♪旨い、♪安いの三拍子」
・・・って古くて若い人は知らないかな?
「♪ここは吉野家、♪味の吉野家♪牛丼一筋80年」
・・・って今は創業120年?
後々ですが、
あのフレーズってわかりやすくて素晴らしいと感心しました。
「お値段以上ニトリ」
も良いですよね。
 

2020/05/15 2020年5月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月15日
信仰三昧

米倉さんは、ぼくが東京のお店へ行ったときには、
しばしば自分でハサミをとってくれました。
そして手ぎわょく散髪を進めながらいろいろ話をかわしたものですが、
その中には教えられることが少なからずありました。
その一つとして、あるときこんな話を聞かせてくれました。
「実は、先般あることがあって、理容組合の人たちに風呂敷を配ったのですが、
それに私は〃業即信仰″という言葉を染めたのです。
なぜそうしたかといいますと、
私は、お互いにとって自分の仕事なり職業に信仰をもつということが、
非常に大事だと思うんです。
そうならないかぎり、絶対に幸せは来ない、
そういう私自身の気持ちをこの言葉にこめて皆さんに伝えたかったのです。
私は、もう七十歳にもなりますが、毎日、こうして仕事場に出て、
皆さんの頭を刈らせていただけるということは、ほんとうにありがたいことで、
もう、心の中で手を合わせて拝んでいるのです。
そうすると、お客さんも喜んでくれます。
こう言ってはなんですが、
松下さんでも、東京へ来られたときにはうちの店に寄ってくださる。
ほんとうに自分の商売に信仰をもつほどありがたいことはございません。
そういうことで〃業即信仰″という言葉を風呂敷に書いて配ったのです」
大略そんな話を聞かせてくれたのですが、
このときもぼくは、非常な感銘を受け、教えられました。
なるほど言われてみれば、まったくそのとおりです。
いわゆる信仰三昧というほどに仕事に打ちこむ。
来るお客さんは、みな神様であり仏様で、だから自然に、
手を合わせて拝むというほどの心境になってお客さんを大事にする。
そうすればそこには非常に大きな喜びが感じられるでしょうし、
また、そのように大事にされて腹をたてるお客さんはありません。
したがって、結果として商売が繁盛するということにもなるでしょう。
″なるほど、ほんとうに道は近きにありだな″という感じを、
ぼくは改めて抱いたのです。
『縁、この不思議なるもの』
※東京・銀座で理髪店を営んでいた米倉近氏。
自問自答
自然に拝みたくなるほどの心境を味わいたい。
そのとき感じる喜びは、いずれ実利に結びつくのだ。


「自分の仕事は地域社会を豊かにする、
『尊い仕事』
ということを強く感じましょう」
ということですね。
感じるほどだと思わなければ、
「無理やり思い込みましょう」
無理やりから入って心に至る。
小山さん流だと、
「仕方なく」「形から入って心に至る」
心に至った時私たちの仕事は本物の尊さをもち、
信仰の域に達するのでしょう。
 

2020/05/14 2020年5月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月14日
コツを体得する

一つの拭き掃除にしても、
拭き掃除はどうしてやるべきものであるかということがわかってくる。
ただぞうきんを絞って、そして拭いたらそれでいいというのではありません。
ぞうきんの絞り方というもの、
ぞうきんの水の絞り方ということがまず第一に問題になります。
ぼとぼとにしぼって拭いたほうがいいのか、
からからにして拭いたほうがいいのかということが自然に研究されると思います。
やはり私はそこにはそこに適正な湿度というもの、
絞り方というもの、そういうものがあろうと思うのです。
それによって拭くと、拭き掃除でも能率的であり、
拭くものもいためない、そして適当に挨を取るということになるわけです。
そのコツを私は自然に会得させられたのです。
これは拭き掃除ですから、事は簡単だとも考えられますが、
拭き掃除一つにしても、真をうがっというようなところにきますと、
ぞうきんの絞り方いかんというものが非常に問題であり、
それによっていい掃除ができるかどうかが決まってくるのです。
それがもっと複雑な仕事になれば、
ぞうきんの水の絞り方いかんということ以上に、
むずかしいコツというものがあろうかと思います。
科学的な学理というか、
基本というか、そういうものをほんとうに生かすためには、
それを基盤とした一つのコツというものを会得しなくてはならないのではないかと
思うのです。
そのコツを体得するということは、決して楽なわざではないと思います。
相当精魂をこめなければならないと思うのです。
それはやはり一つの苦労だと考えられます。
しかし苦労であっても、それをやらなければ一人前になれないのだということを、
青少年のあいだから、常に先輩に聞かされていますと、
それは苦痛でなくなってくるのです。
それは希望に変わるのです。
ですから、
そのコツを体得することに対して精魂を傾けるということができてくると思います。
『社員稼業』
自問自答
"いい掃除”ができているだろうか。
コツを体得できているだろうか。


常に『問題意識』を持ってPDCAをまわすこと。
独身時代、
毎朝ワイシャツにアイロンをかけていました。
最初は順番など気にせずかけていましたが、
効率が悪いことに気づき効率の良い順番を模索するようになり、
自分なりのワイシャツ、アイロンがけ順を完成させました。
結婚した後典子さんに確認したところ、
それは正しい順番でした。
・・・コツを会得していたのですね。
・・・・・・今は順番覚えてませんけど。

2020/05/13 2020年5月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月13日
生きた教科書

学窓から実社会に出て、新しい職場に入った人たちは、
きのうまではそれぞれの学校において、
その人の天性に適したように教え導かれていたわけである。
しかし実社会の職場では、いちいち学校のようには手を取っては教えない。
教え方は違っていても、実際はそれと同じことをやっているのである。
というのは、
会社では、先輩社員が仕事をしている、それに従って仕事をすればいいのである。
つまり先輩の言動が生きた教科書となるものである。
その教科書をいかに読み、いかに活用するかは、
それぞれの人の心がけで決まることである。
私が独立して商売を始めた当時は、従業員も非常に少なかった。
小さな工場だから私が電話をかけると、店員はそばで聞いている。
若い店員には、それが常に頭にあるから自分で電話をするときには、
なんとなく同じようなかけ方をする。
するとしだいに、
私のところの店員の電話のかけ方が統一され-つの型が生まれてくる。
あの店の電話のかけ方はうまいとか、行き届いているとか世間の人が評価してくれる。
それは私が教えたわけではない。教えずしても習ったわけである。
これは学校で教えるのと同じ道理である。
職場の先輩たちが働いている、その助手なり手伝いをしているうちに、
その人たちのやり方を見聞し、知らず識らずのうちに仕事を覚えることになるのである。
「物の見方考え方」
自問自答
“生きた教科書”になれているか。
みずからの言動が、お互いの言動が、
会社の文化を形成することを意識しているか。
後輩社員は自分をどこからか見ているのだ……。


『見て倣え(習え)』と言いました。
・・・と昔話になってきたのかも。
真似するということですね。
もっと突っ込むと『見て盗め』。
そして繰り返すことで習得するのですね。
職人の世界では当たり前でしたが今は昔。
奈良県(だったと記憶?)の宮大工に弟子入りした若者たちは、
夜遅くまで何種類もあるノミなどの刃物を、
来る日も来る日も砥ぎ続ける修行をしているそうです。
先輩の砥ぎを見て盗み、
そして国宝級の建築物にかかわる技を磨いていくんのですね。
何かのTV番組でやってました。

2020/05/12 2020年5月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月12日
引き寄せる

お互いの仕事でも何でも、
それに臨む心がまえとして大事なことはいろいろありましょうが、
いちばん肝心なのは、やはり誠意あふれる熱意だと思います。
知識も大事、才能も大事であるにはちがいありませんが、
それらは、なければどうしても仕事ができないというものではありません。
たとえ知識が乏しく才能が十分でなくても、なんとかしてこの仕事をやり遂げよう、
なんとしてでもこの仕事をやり遂げたい、そういう誠実な熱意にあふれていたならば、
そこから必ずいい仕事が生まれてきます。
その人自身の手によって直接できなくても、
その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、自然に周囲の人を引きつけます。
目には見えない磁石の力が、自然に鉄を引きつけるように、
誠実な熱意は、思わぬ加勢を引き寄せ、事が成就するということが多いと思うのです。
『縁、この不思議なるもの』
自問自答
熱意は、人を引き寄せる。
思わぬ“何か”を引き寄せる。


成功の法則の一つですね。
『熱意は周りを引き寄せ強力な体制つくる』のです。
このとき大切なのは『誠実』という言葉。
特殊詐欺集団は半端ない熱意を感じますが・・・は正義、誠実ではありません。
うんこの周りにはハエが舞い、
花の周りには蝶が舞うのですね。

2020/05/11 2020年5月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月11日
些細と平凡

人から何かを命ぜられる。その命ぜられたことをそのとおりにキチンとやる。
そこまではよいけれど、そのやった結果を、命じた人にキチンと報告するかどうか。
命ぜられたとおりにやって、
そのとおりうまくいったのだから、もうそれでよいと考える人。
いやたとえ命のままにやったとしても、
その結果は一応キチンと報告しなければならない、
そうしたら命じた人は安心するだろうと考える人。
その何でもない心がけ、ちょっとした心のくばり方の違いから、両者のあいだに、
信頼感に対する大きなひらきができてくる。
仕事には知恵も大事、才能も大事。
しかし、もっと大事なことは、些細と思われること、平凡と思われることも、
おろそかにしない心がけである。
むずかしいことはできても、平凡なことはできないというのは、
ほんとうの仕鞭をする姿ではない。
些細なこと、平凡なこと、それを秋み重ね職み亜ねきて、
その上に自分の知恵と体験とを加えてゆく。
それではじめて、危なげのない信頼感が得られるというものであろう。
賽(さい)の河原の小石は崩れても、仕事の小石は崩れない。
『道をひらく』
自問自答
信頼感を生み出すものは何か。
些細で平凡なことをおろそかにしている自分がいないか。


『凡事徹底』
誰でもできることを誰もできないほど徹底する。
掃除の神様、鍵山秀三郎さんですね。
報告もそうですね。
誰でもできるが誰も真似できないほど徹底しているか?
指示、命令の完了は『報告』で終了します。
『報告』が終わるまで仕事は完了していないのです。

2020/05/10 2020年5月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月10日
愚痴と不平

とにかく、きょうからこの会社に入った以上、もうしようがないのです。
だから、これは悪縁か良縁かわからないけれども、とにかく縁あって結ばれたのですから、
よそへ行って愚痴を言わずに、うちで愚痴を言ってください。
よそへ行ったとき、「松下電器はいいところだ」と言ってもらいたい。
気に入らないときはうちで言ってもらいたい。それだけを考えていたら間違いないのです。
この一事さえ知っていたら、皆さんは立派な社員であり、社会人です。
不平はよそで言わずに社内で言う。社長に言う。
よそへ行ったら、
「私の会社は非常に努力させてもらいます。悪いところもあるかもしれないけれども、
みながんばってお役に立つような仕事をしようと言っております。
一所懸命やらせてもらうよう申し合わせております」というように言ってください。
「社員稼業」
自問自答
愚痴や不平は社内で言う!
社長に言う!


大阪の美容室の社長の話を思い出しました。
出張のたび、
スマホもない時代、
「大阪に○○というえらく評判の美容室があるらしい」
といろいろなところで吹きまわったそうです。
もちろん自分の美容室です。
「お客様は、
店からの評判は興味がわかないし広まらないが、
外からの評判は興味がわくし広まる。
それが大阪以外から耳に入るとなおさら」
という持論からです。
・・・評判になって多くのお客様が来店していました。

2020/05/09 2020年5月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月9日
言い方

人はさまざまです。短気な人もいれば気の長い人もいる、
綴密な人もいればおおざっぱな人もいる、理論派もいれば人情家もいる、
というように、それぞれの持ち味がみな異なます。
しかも、それだけではありません。
同じ人でもその心というものは刻々に動いていて、いわば千変万化の様相を呈しています。
ですから、同じことを言っても、ある人は反発し、
ある人は喜んで聞いてくれるといったことがあるでしょうし、
同じ人でもそのときの心の状態のいかんによって、
受け取り方はさまざまに変わってくると思うのです。
ですから、自分の考えを伝えようとすれば棚手の人がどのような人で、
今どのような心の状態にあるのかをよく知った上で、
あるときには簡蝋明瞭に、あるときは言葉を笠やして丁寧に、
その人にいちばん受け入れてもらいやすいような言い方を工夫する必要があると思います。
こう言うと、そんな面倒なことができるか、
という声が聞こえてきそうです。確かにこれはむずかしいことだと思います。
しかし、だれかに自分の考えを伝えたいとき、
常にこのことを考える癖をつけていくことが必要で、
そこに一プラス一が三にも四にもなるという人間関係の妙味も生まれてくると思うのです。
「人を見て法を説け」と言ったのはお釈迦様ですが、
人間というものが変わらないかぎり、やはりこれは真理をついた言葉ではないでしょうか。
〃あの人は自分のことをわかってくれない〃とか〃せっかく、
いい提案をしているのに、うちの上司は無理解だ″と思うようなことがあれば、
一度とらわれず、人を見て法を説いているかどうか、
静かに考えてみることも大切だと思います。
『人生談義』
自問自答
この考えをあす、あの人に、どう提案するか。
“お釈迦様”になれるだろうか。


D・カーネギー著
『人を動かす』
世界的に有名なコミニュケーションのための本です。
社長になりたての時、先輩経営者からプレゼントされました。
本は2度読みました。
当時、カセットテープの聴く本を購入車の中で聞いていました。
現在はCD版を購入車で聞いています。
何かのおりに「人を動かす」をプレゼントさせていただきましたが・・・、
多くの人はそのまま本棚かな?
もう一度引っ張り出してみてください。
『道は開ける』もおすすめです。

2020/05/08 2020年5月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月8日
大事な報告

もし皆さんが、緊急な重要事項を直接の上司、
たとえば課長に報告しようと思っているときに、課長が電話をかけている、
あるいは席に見当たらない、そこへたまたま部長が入ってきた、
また事業部長が入ってきた、
そういう場合はもうためらわずに部長なり事業部長にその件を報告してほしい。
そのほうが、ずっと能率もいいし、事をスムーズに運ぶことができる。
もっとも、その際、課長への事後報告は必ず行わなければならない。
課長の電話が終わってから、あるいは席に帰ってから、
「緊急を要すると思いましたので、部長なり事業部長に報告しておきました」
と言うことを確実に実行しなければならない。
そして、そういう報告を受けた課長は、
「それはよかった。ありがとう」
というような態度を示すことが大事だと思うのである。
その場合、もし課長に聞いて、何らかの訂正が必要だとわかれば、
すぐにまた行って訂正すればよいわけだ。
今日、各業界、各企業のあいだにおける競争というものは、
非常に激烈なものがある。
そうした時代にあって、瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に、
何としてもまず直接の上司に言わねばならないんだとか、
やはり組織を通じて処理しなければ叱られるんだとか言っていたのでは、
競争に負けてしまうというようなことにもなろう。
だから、ここで、皆さんに強く望みたいことは、
〃是(ぜ)なることは一刻も早く上の人に知らせる〃ということである。
『その心意気やよし』
自問自答
目的を最優先せよ!
手段は事後でも取り戻せる。


病院内での、
コロナウイルスの感染情報だと考えるとわかりやすいかもしれませんね。
「院内感染が発生した」
という情報を『情報伝達網』通りで伝達しようとし、
時間がかかりすぎて『緊急感染防止』に時間がかかった。
ということになりえません。
「目的を最優先せよ!
手段は事後でも取り戻せる。」
ですね。

2020/05/07 2020年5月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月7日
聞き上手

聞き上手ということは、
皆さんが今後お始めになるお仕事の上に非常に大事なことであると思います。
話し上手も非常に大事である。
しかし話し上手よりも聞き上手のほうがさらにたいしたもんだということを、
昔の人々が言うております。
静かに考えてみますと、私もほんとうにそうだという感じがいたします。
人さんがいろいろな話をされる、
それを心をこめて、なるほどそうですかというようによく聞いてあげる。
すると、話し相手は話しがいがあって面白い。ますます熱を入れて話をする。
そのうちには非常にいい話がとび出すもんであります。
そのいい話をキャッチしていくところに、
聞き上手の非常にプラスがあると思うんです。
話し上手も非常に大事である。
けれども、話し上手は自分のもっておるものを相手に与えるだけである。
相手から吸収するものがないことを考えてみますと、
話し上手もなるほど結構でありますが、
しかし聞き上手はさらに処世の上に大事なもんであるという昔の人々の教えは、
非常に味わってみる必要があろうかと思うんであります。
『松下幸之助発言集第11巻』(昭和37年の発言より)
自問自答
話すだけではしぼんでしまう。
話す、聞く、そこからチャンスをつかむ。
しぼませないで、ふくらませていく。


優秀な営業社員の共通点は『聞き上手』なのですね。
優秀な営業社員とは『話が旨い』と思っている人が多いですが、
昔から業界ごとで超優秀営業マンの著書が多く出ています。
かたっぱしからとは言いませんが多くの本を読みました。
結論は『聞き上手になりなさい』『質問上手になりなさい』
という共通点でした。

2020/05/06 2020年5月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月6日  
達人

ごく卑近な例ですが、筆で文字を書くという場合、習い始めたばかりの初心者は、
長い時間かけていろいろ苦心しても、なかなかいい字が書けません。
しかし、
書道の達人ともなれば、白紙の上に瞬時にして、人が称賛するような字が書けます。
そこには、きわめて大きな力の相違があるわけです。
私たちが仕事の上で、いろいろとものを考案し、生産し、販売するにあたっても、
同じことがいえると思います。
瞬間に立派なものを考案し、瞬間に製造ができるということは、
その道の達人になってはじめてできることです。
できることはできるけれども、そのために十日も二十日もかかるというようなことは、
ものによってはそういう場合もあるでしょうが、決してほめられることではない。
それは、結局、未熟であることを示すものだと思います。
『社員心得帖』
自問自答
瞬間、瞬時にアイデアが浮かんでくる。
そしてそれをモノにできるー“達人”の域を、めざしたい。


『達人』。
野球に例えると少し前ならイチロー。
かなり前だと長嶋、王でしょうか。
イチローのストイックさは有名ですね。
長嶋は天才と言われていましたが、
実はその裏に並々ならぬ努力がありました。
仲間と食事中、
箸をもって手元でバットコントロールの練習をし始め、
勝手に帰って練習を始めたりすることは度々だったようです。
当時ジャイアンツが宿舎に使っていた旅館の女将さんから直接聞いた話ですが、
「長嶋選手と王選手の部屋の畳はすぐにダメになる。
他の選手が流川で飲んでいるときも、
二人はは部屋で素振りをしていましたから」
と言われていました。・・・25年くらい前に聞いたのかな?

2020/05/05 2020年5月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月5日
道場 

自得していくには、そのための場所というか、道場とでもいうものが、必要である。
たとえば、水泳やスキーを自得しようと思えば、水泳ならば海や川やプールが、
スキーならばスキー場というものがなかったら、
いくら自得せよといっても無理である。
仕事でも同じことで、
これを自得しようと思えば、まず道場を求めなくてはならないのである。
ところが幸いなことにその道場はすでに与えられているのである。
すなわち、自分の職場、自分の会社がそれである。
つまり求めずして先に道場が与えられているのだから、こんなありがたいことはない。
あとはその道場ですすんで修業しよう、
仕事を自得していこうという気になるかどうかということである。
しかも、普通であれば道場に通うとなると、
こちらから月謝を払わなくてはならないはずである。
ところが会社という道場では、逆に給料までくれるというのだから、
こんな具合のよい話はないではないか。
場合によれば、
自分はこの道場で修業をさせてもらっているのだから給料などとはとんでもない、
こちらから月謝を払います、というようなことがあってもいいぐらいである。
まあ実際にはそこまでする必要はないけれども、
気持ちの上だけでもそういうものをもてば、
おのずから心がまえも違ってこようというものである。
月謝を払ってもいいところを、逆に給料までもらっているのだという認識に立てば、
仕事に取り組む上でも、しぜん謙虚に、しかも力強いものが生まれて、
やがては、いわば道場の師範代としての給料をもらうに値するようにもなろう、
というものである。
『その心意気やよし』
自問自答
会社は道場。
もう月謝は払わないでもいい存在になっているだろうか。


『職場は人生道場』
ほぼ100%の人がそうだと思います。
山梨の、感染が判明した後にゴルフや整骨院へ行き、
さらに帰京した女性のような人は、
職場で人生を学べていない人のうちかも・・・。
既にその感染者もでているとのこと。
・・・『感謝』の気持ちの薄い人は学べていないのかもしれません。

2020/05/04 2020年5月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月4日
一人前としての給料

もう戦争前のことになるのだが、ある日たまたま寄席を見に行ったことがあった。
その出し物の中に中国人の曲芸があった。
見ていると、若いきれいな女の人を壁の前に立たせる。
そして、その人に向かってピュッと短剣を投げるのである。
なにしろ私はそういうものを見るのは初めてのことだし、
びっくりしたというか、心臓がキュッと縮むとでもいうような思いであった。
ところが投げられた短剣は女の人の体スレスレのところにブスリと突き刺さる。
と、また二本目が飛び、これもみごとにわずかのところで体には刺さらない。
ほっとするまもなく、次から次へと二十本余りの短剣が、ピュッピュッと宙に閃いて、
こちらはもう手に汗握るどころか、心臓が縮みっぱなしであった。
やっと全部の短剣が投げ終えられたのを見ると、
ちょうど二十数本の短剣が壁に鮮やかに体の線を描いて刺さっている。
そこで初めてわれに返ってヤンャと拍手喝采したという次第であった。
そのときには私は、今の言葉でいえば〃これがプロだな〃と感じたのである。
見ているほうもこわいが、
やるほうはわずかでも手もとが狂えば、人の命にかかわるのである。
それを一本だけでなく、しかも毎日毎日、
おそらく一生やり続けて一つの失敗もないというのは、実にたいへんなことである。
これがワラ人形相手ならし損じも許されようが、それではお客は見に来ない。
つまり、いうなればアマチュアである。
人間相手、
わずかでも誤れば命がないというスリルがあればこそ客も金を払って見に来てくれる。
それをやり遂げるのがプロである。
ということは、〃われわれの仕事もこれと一緒だな。
われわれが本職として、それでメシを食うとなれば、
こうでなくてはならないな〃ということを感じたのである。
結局サラリーマンの仕事でも、こういう厳しい境地に立って、
これだけのことがなし遂げられて、
はじめて一人前として給料がもらえるということであろう。
そうでなくては、いわばアマチュアである。
『その心意気やよし』
自問自答
自分が社長だったら、
今の自分という社員にどれぐらいの給料を払うだろうか。


つい先日TV番組で、
2004アテネオリンピックで28年ぶりの団体優勝した、
体操男子主将、米田功選手のインタビューをしていました。
残っている種目は日本の鉄棒だけ、
鉄棒の成績次第でアメリカを押さえ金メダル。
無茶苦茶プレッシャーのかかる場面です。・・・が、
「言われるほどのプレッシャーはありませんでした。
この大会では『試合直前の練習時間も与えられない』と分かっていたので、
それを想定し、体育館からしばらくはなれて、
帰った直後に本番と同じ演技をする練習など繰り返し、
朝目が覚めた直後でも100%の演技ができる状態を作っていましたので、
自信はありました」
と答えていました。
・・・これこそが『プロ』ですね。

2020/05/03 2020年5月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月3日 
第一声

会社に入って、将来必ず重役になれるというと少し言いすぎかもしれませんが、
少なくとも部長には間違いなくなれるという秘訣があります。
それは入社第一日目に、会社から家に帰ってきたときに、
家族の人にどのように報告するか、というところから始まります。
初めて会社に出勤したその日には、
式典があったり、社長や幹部の訓辞があったりするでしょう。
また会社の内容や勤務についての説明もあると思います。
それを聞いて家に帰ると、
ご両親や家族がたいてい「会社の感じはどうだった」と尋ねるでしょう。
そのときに、どう報告するかがきわめて大切だと思うのです。
「あんまり感心しない会社だ」などと言えば、ご両親は非常に心配します。
「まだよくわからない」と言っても、やはり心配が残るでしょう。
「詳しいことはわからないけれども、
きょう、社長や幹部の人からいろいろ話を聞いてみると、
自分はなんとなくいい会社のように思う。満足して働くことができそうだ。
だからここで、大いに仕事をしてみたい」と力強い言葉で報告したら、
ご両親も「それは結構だ。大いにやりなさい」と喜びもし、安心もすると思います。
そういう報告ができるかどうか、それが成功へのまず第一の関門です。
何でもないことのようですが、
そういうことが言えない人は、私は成功しにくいと思います。
“そんなことは言わなくても、両親はわかっている”などと決して考えてはいけません。
自分で本心から、つまらない会社に入ったと思っているのであればともかく、
大きく予想に反したことがなければ、
“これは安心だ。しっかりやろう”
という心意気をまず言葉に出して、第一声として両親に言うことです。
私はそういう心がまえから、すべてが生まれてくると思うのです。
『社員心得帖』
自問自答
初めが肝心。
初日、初出勤、第一声、
あすの取引先との新企画プレゼン。


20新入社員の皆さん、
初任給で必ず両親にこれまでの感謝を込めてプレゼントをしてください。
高額なものでなくてもかまいません。
できれば手渡しをして、
これまで育ててもらったお礼を伝えてほしいのですが・・・、
コロナウイルスの猛威がありますので、
今は広ガス高田エリアから出ないでください。
宅配便と電話を使ってください。
・・・ラインではなく自分の言葉で伝えて下さい。
 

2020/05/02 2020年5月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]

5月2日
充実感

二十二歳のときに独立し、ごくささやかながら、電気器具製造の事業を興しました。
事業を始めた当初は無我夢中で、その日その日を誠実にせいいっぱい働きました。
そうした中で、夏の日に夜遅く仕事を終えてタライにお湯を入れ行水をつかいながら、
“われながら、ほんとうにきょうはよく働いたな”
と自分で自分をほめたいような充実感を味わったことを今でも覚えています。
また、会社が大きくなってからは、会社の仕事を通じて人々の文化生活を高め、
社会の発展に寄与、貢献していくことを使命とし、
それを社員の人とともに達成していくところに自分の生きがいを感じつつやってきました。
このように私の生きがいというものは、
決して終始一貫して同じだったというわけではなく、その時々でいろいろ変わってきました。
しかし、私はそれはそれでよかったのではないかと考えています。
世の中には、
一生を通じて一つのことに打ちこみ、そこに生きがいを求め続ける人もいます。
宗教家や芸術家といった人たちの多くはそうだといえるでしょう。
それは非常に立派な姿だと思います。
しかし、すべての人がそうでなければいけないというわけではない。
ある時期にある一つのことに生きがいを見出し、
それがすむと、また新たにつぎの生きがいを求めるということも、
それはそれで意義のあることだと思うのです。
『人生心得帖』
自司自答
自分で自分をほめているか。
ついほめたくなる、そんな仕事をしているか。
きょうは、そんな1日だったか。
あすはそんな1日になるだろうか。


『夢』や『目標』は年齢や経験、体験によって変わるのですね。
変わるという表現より「成長する」が正しいのかな。
森信三先生の言葉を借りると、
40歳前後までは自分の持って生まれた『使命の書かれた封筒』を開封する人生。
それ以降は書かれていた『使命』を実現する人生ということになるのでしょう。
いくつになっても夢を追い続ける一生青春人生を送りたいものです。
・・・久々の サムエル・ウルマンの“青春”フルバージョン。

真の 青春とは
若き 肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある
薔薇色の頬 真赤な唇 しなやかな身体
そういうものは たいした問題ではない
問題にすべきは つよい意思 ゆたかな想像力 もえあがる情熱
そういうものが あるか ないか
こんこんと湧きでる 泉のように
あなたの精神は 今日も新鮮だろうか 
いきいきしてるだろうか
臆病な精神のなかに 青春は ない
大いなる愛のために発揮される
勇気と冒険心のなかにこそ 青春は ある
臆病な二十歳がいる 既にして 老人
勇気ある六十歳がいる
青春のまっただなか 年を重ねただけで 人は老いない
夢を失ったとき はじめて老いる
歳月は 皮膚にしわを刻むが 情熱を失ったとき 精神は
しわだらけになる
苦悩 恐怖 自己嫌悪 それらは 精神をしぼませ
ごみくずに変えてしまう

誰にとっても大切なもの それは 感動する心
次は何が起こるのだろうと 眼を輝かせる 子供のような好奇心
胸をときめかせ 未知の人生に 挑戦する 喜び
さあ 限をとじて 想いうかべてみよう
あなたの心の中にある 無線基地
青空高くそびえ立っ たくさん 光輝くアンテナ
アンテナは 受信するだろう 偉大な人々からのメッセージ
崇高な大自然からのメッセージ 世界がどんなに美しく 驚きに満ちているか
生きることが どんなに素晴らしいか
勇気と希望 ははえみを忘れず いのちのメッセージを
受信しつづけるかぎり あなたはいつまでも 青春
だが もしあなたの 心のアンテナが 倒れ
雪のように冷たい皮肉と 氷のように頑固な失望に おおわれるならば
たとえ二十歳であったとしても あなたは立派な 老人
あなたの心のアンテナが 今日も青空高くそびえ立ち
いのちのメッセージを 受信しつづけるかぎり
たとえ八十歳であったとしても あなたはつねに 青春
真の 青春とは 若き 肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある
 

2020/05/01 2020年5月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
5月1日
夢に見るほどに愛する

やはり、お互い会社で仕事をする者にとっていちばん幸せなことは、
自分の仕事に興味をもって働けるということではないかと思います。
余暇を楽しむとか、趣味をもつということも、
それはそれで大切なことにはちがいありませんが、そういう楽しみも、
結局は、日々の仕事が楽しくやりがいがあるということなしには、
ほんとうは成り立たないのではないかという気がするのです。
そのためには、
やはりそれぞれの人が、仕事に興味をもって取り組めるという姿をみずから求め、
心がけていかなければなりません。
たとえば、
皆さんの中には、会社から与えられた仕事をかえてほしいと思っているのに、
上司から、
「これは君にとって将来必ず生きてくるのだから、少なくとも一年間はやってみたまえ」
というように言い聞かされることもあると思います。
そのときには、会社も何らかの配慮をもって仕事を与えているのだからと、
そのことをよく考えて素直に理解し、なるほどそういうものかと自分なりに納得して、
一年間それにあたっていくというようなことが大切だと思うのです。
そうしてその上で、いろいろ工夫して興味が湧くように考えていけば、
それでもどうしても性に合わないということもあるかもしれませんが、
ほとんどの場合は、そうした工夫、努力の中から、
仕事に対する興味というものは生まれてくるものだと思います。
おそらく多くの方が、
日ごろからそういう心がまえで仕事をしておられることと思いますが、
そのときには、自分はどの程度力強くそういう努力をしているか、
改めて自問自答してみること要でしょう。
そしてついには自分の仕事を夢に見るほどに愛する、
というような心境にまでなりたいものだと思います。
『社員心得帖』
自問自答
自分は、自分の仕事をとことん愛しているのか。
仕事に自分は愛されているのか。
きょうの夢に、仕事はあらわれるだろうか。


スポーツも読書も勉強、
なんでも同じだと思いますが、
一生懸命取り組んで何時と楽しくなるのです。
私の場合、体育での球技は一生懸命取り組んでいて楽しかったですね。
読書や勉強はちんたら取り組み・・・もちろん楽しくありませんでした。
読書は大学生の時TVドラマの原作が読みたくて楽しくなりました。
勉強は・・・資格試験で仕方なく一生懸命取り組み、
その時は、苦しみつつ楽しんでいました。
趣味の尺八も親戚のおじさんたちに引きづりこめられ・・・ちんたらと。
ある日師匠に「私の尺八を使いなさい」と手渡され・・・、
仕方なく集団レッスンから個人レッスンに移行。
・・・さらに仕方なく自宅練習。
・・・仕方なく一生懸命やってるうちに趣味と言えるようになりました。

2020/04/30 2020年4月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]

4月30日
風の音に悟る

まったく同じ話を聞いても、
〃いい話だったと〃感動する人と
〃つまらない話だった〃と思う人がいますね。
ということは、
話のよしあしは、その内容より、むしろ、聞く側の態度によって決まってくる。
聞く側に大部分の責任があるともいえるわけです。
ピューという風の音にでも悟る人がいるのですから・・・。
『人生談義』
自問自答
仕事に徹して、聞く力を磨き上げよ!
“悟る”という体験を得るために。


アンテナ感度ですね。
アンテナの感度が悪いと何もキャッチできません。
感度が良いと必要な情報を逃さず、
さらに情報からの分析や予測が進みます。
『アンテナの感度』=『潜在意識活用』
なのですね。
 

2020/04/29 2020年4月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月29日
武士道精神と産業人精神

昔の武士は、武士なるをもって尊しとしていました。
したがって強いだけが武士ではなく、武士は人間として最高でなくてはならない。
学問もやらなくてはならないし、人情も豊かでなければならない。
また、義を見ては大いに勇をふるって行うということでなくてはならない。
しかも戦って強くなければならない、ということでしょう。
そういうものを兼ね備えているところに、武士道精神というものがあったと思いますし、
そこにまた武士道精神の尊ばれるゆえんがあったと思うのです。
武士が武力に強いからといって、
人をしいたげ、人を困らすようなことでは、それは武士道でも何でもないわけです。
われわれの祖先というか、昔の人々は、町人といえども、
ある意味において、そういう武士道精神を理解し、それに敬意を表していたと思います。
それで、ときどき武士がよくないことをすると、
武士の風上にもおけないやつだといって非難されたわけでしょう。
やはりそういう立派なものをもたなければ、武士といえなかったわけです。
私は昔の武士道精神というものは、そういうものだったのではないかと思います。
そこでその武士道精神にかわる、
今日の産業人精神というものはどういうものかというと、内容は多少違いましょうが、
やはりそれと同じようなものをもたずしては産業人とはいえないと思うのです。
ただ自分の立場のみを考えて働くというようなことでは、
私はやはり産業人とはいえないのではないかと思います。
産業の使命というものをはっきりと認識し、その尊さを認識し、
そしてその産業の興隆によって社会が潤い、人々の幸擶も約束されていく、
社会生活も国家も発展していく、
さらに進んでは世界の繁栄、平和にも結びついていくのだ、
自分はその一員である、というような意識をもたずしては、
私は真の産業人は養成されないという感じがするのです。
『道は無限にある』
自問自答
自分の仕事を、まわりの人々、業界、社会、国家、
さらには世界に関連づけて考える意識をもつことで、
成功者への道がひらかれてくるのではないか。


日本人の多くは武士道の精神を引き継いでいると思うのです。
コロナウイルスでの「外出自粛要請」に対しても、
とても真摯に向き合っています。
・・・一部のパチンコ店などに代表される要請に応じないお店、
さらにはそれらを利用する人たちもいることも現実ですが。
広ガスたかたは理念の『健善』でこの局面を乗り切ります。
 

2020/04/28 2020年4月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]

4月28日
心の豊かさ

何か事あるたびごとに、私の胸に浮かんでくる一つの話がある。
それは五十年以上も昔に聞いた話なのだが、
その話を聞いて非常に感動したことを、私は今でもはっきりと覚えている。
五十年前というと、まだ自動車はなく、
大阪駅の前には、ずらりと人力車が並んでいたころのことであった。
ある日、そこへ一人の客が来て、
「船場の××まで行ってくれ」と言って車に乗りこんできた。
車夫は二十四、五歳の若い人であったということだが、
さっそく梶棒(かじぼう)を取り上げて走りだした。
目的地まで走って、客が降りる段になると、
その客は十五銭の代金のところを二十銭渡して、さっさと行きかける。
車夫は、「ちょっと待ってください。いまおつりをさしあげますから」と言って、
客の着物の挟(たもと)をつかんだ。
すると客は、「いや、祝儀のつもりや、とっておいてくれ」と言って受け取らない。
そこで押し問答となった。
しばらく問答が続いたが、ややあって、急にその車夫は、
襟を正すとでもいうか、粛然とした姿となって、
「いや、要りません。このおつりは持って帰ってください」ときっぱりと言い切った。
その態度に押されてか、そのお客さんは五銭のおつりを
受け取って帰っていったそうである。
そして後日、その車夫はたいへん成功したということであった。
私はこの話を耳にしたとき、いたく心を打たれたのである。その車夫は偉いと思った。
たくさんの車夫のうちには、
その五銭、いわゆる祝儀といわれるものをもらって、喜んでいる人も多いことだろう。
しかし、その車夫は、十五銭の車代のところを、
二十銭もらうということは、許されないことだと感じたのであろう。
私はそこに、
その車夫の心の豊かさというか、心意気というものを感じ取ったのであった。
『なぜ』
自問自答
自分の仕事の正当な対価を知っている、
そしてそれに誇りをもつことこそが、成功の秘訣なのではないか。
だから、高すぎても、安すぎてもいけない。


『正当な対価』なのですね。
ETCができるずーと以前のおはなしです。
料金所で小銭がなく一万円札を出したところ、
千円札のお釣りを一枚多くくれたのです。
すぐに車を左に止めお釣りを返しに行きました。
料金所のコンクリートとアスファルトに3㎝くらいの段差があり、
つまづいて転んでしまったのです。
・・・額をすりむき、ブレザーの肩のところを破り、
腕時計のレンズを割ってしまいました。
ブレザーは新調し、時計の修理は一万円近かったのかな?
ガス代金の集金をする仕事をしていた時、
五百円札(当時)受け取り、
千円札と勘違いしお釣りを多く出した経験があったので、
「千円余分のお釣りを受けとるよりもそちらの方がいいや」
と自分をなぐさめました。

2020/04/27 2020年4月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月27日
にじみ出る気持ち

皆さんはワイシャツ一枚を買うのにも、だいたいにおいて、
買いつけの店が心にあると思うのです。
とりたてて理屈はないのですが、そのことには立派な裏づけがあります。
つまり、客である自分に満足を与えてくれているという感じが、
好みの店を決めているのです。
そういうことを考えてみますと、販売というものを成功させるためには、
いかにすればお得意様に喜んでいただけ、どういう接し方をすればご満足願えるか、
ということを考えることが何よりも大切だと思います。
ですから、妙案奇策のあまりない販売の世界の中で特色を発揮するために、
何が基本になるかというと、結局はお互いの誠心誠意です。
そして話す言葉ににじみ出る気持ちが、何よりも大切だと思うのです。
『商売心得帖』
自問自答
販売・セールスに妙案奇策はない。
最後は結局、誠心誠意しかない。
それは自分が顧客の立場にいるときに、わかるはずだ。


稲島さんの営業スタイル。
営業の入り口はもちろん独自ポイントや独自サービス。
・・・しかし、
この違いだけで簡単にお客様はガスの供給契約には至りません。
「もう来ないでください」
というお客様に時間をかけ話のできる関係をつくり、
当社で対応可能な修理や補修を請け負いながらファンを拡大しています。
「包丁砥ぎも請け負った」と聞きます。
山田さんもこのスタイルでの営業で成長を見せています。
口先ではなくにじみ出る気持がお客様の心を動かすのですね。
 

2020/04/26 2020年4月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]

4月26日
心は常に働かせる

指導者といえども、四六時中仕事をしていなくてはならないということではない。
それではとても体がもたない。
だからときに休息したり、あるいはレジャーを楽しむということもあっていいと思う。
ゴルフをするなり、温泉に行くのもそれなりに結構である。
しかし、そのように体は休息させたり、遊ばせたりしていてもいいが、
心まで休ませ、遊んでいるということであってはならないと思う。
心は常に働いていなくてはいけない。
たとえ温泉につかっていても、心のほうは、政治家であるなら政治のことを、
経営者であるなら経営のことを、どこかしらで考えているということが大切だと思う。
『指導者の条件』
自問自答
体は休息を必要とする。
だから、体は遊ばせる。
でも心は決して遊ばせない。


『潜在意識の活用』
と成功哲学のナポレオン・ヒル氏は言われており、
潜在意識を活用することは他の成功プログラムにも必ず出てきます。
潜在意識の活用とは、
意識していないときでも、
潜在意識は意識してアンテナを張っている状態を作ることです。
まずは意識しまくって潜在意識に意識させることからですね。
 

2020/04/25 2020年4月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月25日
心くばり

私は以前、ある会社に用事があって電話をかけました。
すると、電話に出てきた人が、
「社長は今遠方に出張中で、二、三日は帰りません」という返事です。
それではしかたがないなと思って電話を切りかけると、その人が「ちょっと待ってください。
何か緊急のご用でしたら、連絡をいたしましょうか」と言います。
「簡単に連絡できますか」
「ええ、大丈夫です」
「それなら、今晩にでも電話をいただけるよう伝言してください」。
その結果、ちゃんとその夜に長距離電話がかかってきて、
思ったよりも早くその用件をすませることができました。
もし私が電話をしたとき、先方の人が「連絡しましょうか」とひと言言ってくれなかったら、
そううまく事の処理はできなかったと思います。
さ全ごい
これは、一見、ごく些細な、何でもないようなことです。
しかし私は、こういうことが、さっとできるということは、非常に大事な点だと思います。
というのは、おそらくその会社では、社長さんが日ごろ、
人との応対、電話の扱いについて、やかましく言っておられるのでしょう。
だからこそ、留守をあずかる人も、それにふさわしい心くばりというか、
臨機応変の処置がとれたのではないかと思います。
日進月歩の今、の世の中では、
わずか、一日の違いがあとで取り返しのつかないことになる場合もあります。
したがって、このような心くばりの行き届いた仕掘ぶりというものは、
些細なようでいて実に貴重です。
こうしたことは、たとえ頭の中では知っていても、実際に実行する段になると、
なかなかむずかしものです。いつ、いかなる場合でも、
それが自然に行動としてあらわれるためには、やはり日ごの訓練や躾が、
大きくものをいいます。
そういう族や訓練を、お互いに職場で、どの程度重ねているでしょうか。


『社員心得帖』
自問自答
1分、1時間、1日。
その瞬間に勝敗が決まる。
臨機応変の処置ができる人材が、わが社には育っているか。
自分の仕事は心くばりの行き届いたものになっているか。


スピード勝負の時代です。
コロナウイルスで多く事や物などが止まった状態に見えます。
・・・が、大きな間違いです。
意欲の高い企業は周りが止まっているる間に、
自分たちも動けない間に、
商品開発やサービス開発をスタートさせています。
シャープのマスクなどもその例と言えるのでしょう。
広ガスたかたでもこの時期を商機に変えうと、
新サービスや新商品の計画を進めています。
 

2020/04/24 2020年4月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]

4月24日
愉快

最後にお願いすることは、時勢に対してしっかりした考え方をもっていただきたい、
そして各自生産人としての責務を自覚し、これが遂行に邁進願いたいということである。
しかもこれが遂行にあたって、苦しみつつなすのでは決して面白くない。
同じ人生の過程なら愉快に楽しく喜び勇んで、活躍していただきたいのである。
仕事はジャズとスポーツ的な気分においてなされていくのが理想であると、
私は信じているのである。
仕事を遂行するのに蟻牲があってはならない、側くことを楽しみつつ、
希望に満ち満ちて欣喜雀躍(きんきじゃくやく)の中に成果をあげていくべきものと考える。
諸君もどうか私と同様に考えていただきたい。
もちろん、生活の周辺を見ると悩みのタネばかりであろうが、
楽しく見、楽しく考えるように努めていただきたい。
さすれば、楽しく人生が過ごせであろうが、楽しく過ごせることと思う。
きょうの話は要するに、まず根本において仕事を愉快に楽しくする、
そして成果をあげ増産を期する、かくすれば、すべての今日の日本の悩みは解決する、
失業の問題もない、物は安価となる、生活は楽しく享受できる、ということである。
どうか私の考え方をさらによく腹に入れ、なるほどと思われたならば、
さらに職域に奮励されることを願うのである。
「松下幸之助発言集22巻」(昭和21年の発言より)

自悶自合
自分のチームの構成員は、ジャズやスポーツと似た気分で
仕事に取り組むことができているだろうか。
よもや犠牲を強いられているなどと思っていないか。


全く同じだと思いますね。
余暇で健康管理のためのスポーツなどは別として、
『頂点を目指す』『自己目標の達成』などは同じです。
途中は苦しいことや困難なことに出くわしますが、
目標達成のためにその苦しさの中にいることも楽しめるのですね。
・・・目標なくしてスタートは切れません。
 

2020/04/24 2020年4月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月23日
疲れが休まる

スポーッの選手は、非常に激しい練習や試合をしても、
疲れよりもかえって爽快さを感じるという。
仕事でもそれと同じことで、ほんとうにそれに打ちこんでいたら、
疲労をおぼえるということも少ないと思う。
見方によっては、仕事をして疲れるというのでは、まだ十分ではないといえる。
むずかしいことではあろうが、
仕事をするとかえって疲れが休まるというような境地を多少とも味わえるようになれば、
これは本物であろう。
「思うまま」
自問自答
仕事をして爽快さを感じる日が
どれほどあっただろうか。


『やり切った感』ですね。
確かに爽快です。
悲しいことに・・・10代のころはなかったですね。
『やらされ感』ばかり残っており、
挑戦意欲すらわきませんでした。
・・・『自らが源』という意識がなかったのです。
この『自らが源』を意識しなければ、
『達成感』『爽快感』は味合うことができません。
・・・私の体験です。

 

2020/04/22 2020年4月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月22日
自己の修養

諸君は、わが松下電器に勤務せられる以上、一面、本所の諸種の仕事に従事するとともに、
反面その間に自己の修養を心がけるをもって本旨としなければならぬ。
諸君は、本所の都合上いつどこへ転勤を命ぜられるかもしれぬが、
本所においては、本支店、工場、どこでもその指導精神は同一であり、
いかなる仕事も本所のためであり、
同時に諸君自身の修養でもあることをよく考えねばならない。
しかるに、このごろ転勤した人の中に、どうしてもあそこでは仕事がきつすぎる、
あの仕事は自分の性分に合わない、またあの主任の下ではどうも働きがいがないように思うと、
不足をもらす人があると聞いた。
これはただ自己を中心として物事を考える弊で、どこで何の仕事をするも松下の仕事であり、
かつまた自己の修養であることを考えない気ままのあらわれである。
適材適所はもとより理想であるが、
真に自己の適所を見出すことはなかなか困難なことであり、
それまでにはいろいろな経験を積まねばならぬ。
いかなる指導者の下にあっても、自己の心のもちようで修養はできるものであり、
性格、意見の異なった指導者の下にあってこそ、
かえってよりよく修養が得られるものであることを深く考えなければならない。
『松下幸之助発言集第”巻』(昭和8年の発言より)
※この講話がなされた昭和8年当時の社名は松下電器製作所だった。
自問自答
部署異動や転勤を自己修養のチャンスだと、
とらえていただろうか。


移動はまさに「自己修養の」場です。
私の場合は完全にそうでした。
自分自身で自分を追い込むような人間ではなく、
追い込まれ仕方なく行動するタイプです。
・・・だから研修に多く参加しています。
現在はzoom研修に参加し追い込む努力をしています。
・・・が、
目の前はパソコンだけで周りに他人の目はなく、
現場ほどの緊張感が保てないのも事実です。
先日、特別な勉強はしないで東大に入ったというTV番組の中で、
「ノートへ書き写すのは時間の無駄。
プリント配ってくれれば見ただけで憶えられる」
と言っていました。
・・・私にとっては奇跡の人。

2020/04/21 2020年4月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月21日
けしからん

皆さんは生きがいというものをどのようにおもちになっておられるか、
それぞれおもちになっておられるということを前提として、
私はお話をするのですが・・・。
そういうものすらもおもちになっておられないということであれば、
これはもうお話にならないと思います。
「自分は今、こういう会社で、こういう仕事をしているのだ」
「なぜ、そういう仕事をしているのですか」
「なんとなしに、他の仕事ができないからこれをしているのだ」、
こんなことを言う人がかりにあるとすれば、けしからんな、という感じがするのです。
それは、「あなた自身のためにけしからんではないか。
また社会のためにもけしからんではないか。
あなた一人というものは、社会にとって尊いものだ。
その尊いあなた自身を、もっと生かさないようでは困る」ということが言えると思います。
お互いにそういうことが言いあえると思うのです。
私に若い友だちでも、また老人の友だちでも会って、「君の生きがいは何だ」と、
このように尋ねられれば、
「ぼくの生きがいは、今こういうことだ」ということが私は言えると思います。
そういうものをもっていますと、
「君はもう年をとったのだから、何も考えないで静かにやっていればそれでいいではないか」
と言う人があったとしても、
「ちょっと待ってくれ、君はなんということを言うのか。ぼくはまだまだ若いのだ」
「しかし喜寿じゃないか」
「喜寿というのは世間の通り相場であって、ぼくはまだ若い。
まだこういう仕事をやりたい。そこに、ぼくは生きがいを感じているのだし、
ぼくの若さもあるのだ」と、こういうことが私は言えると思うのです。
で、そういうものをもたなければ、なんにもならないと思います。
だから、どんな仕事をしている人でも、
その人なりに、そういうものをもっているのが原則ではないかと思います。
そういうものをもたない、
「なにがなしにおれは働いているのだ」と言う人があれば、
それはけしからんと思うのです。
『社員稼業』
自問自、
「けしからん」という気持ちを忘れてはいないか。
他人にも、自分にも・・・。


『生きがい』とは、
とてもとても大切だと思うのです。
世界から「日本は平和ボケしている」と言われる中では、
『生きがい』を探すことも大変です。
3KMはその『生きがい』を探すためにも、
そして見つけた『生きがい』を育てていくにもとても役に立ちます。
山田さんは『生きがい』が誕生したと以前話してくれました。

2020/04/20 2020年4月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月20日
厳しい鍛錬

国でも、企業でも、また家庭でも、
物が豊かになればなるほど一面に厳しいものが大事である。
もし生活が豊かでなかったら、生活そのものに厳しさがある。
おなかがすいても腹いっぱい食べられない場合もあろうし、
疲れていても体にムチ打って働かなければならない。
冬の朝、氷を踏んででも物を売りに行ったりしなければならないのである。
けれども暮らしが豊かになってくれば、そういう必要はなくなる。
ほしいものは買うことができるし、無理に働かなくても食べていける。
そうなれば、自然に心身が鍛えられるというわけにはいかない。
いきおい心身がなまってきて、厳しさに耐えられなくなってくる。
したがって、暮らしが豊かになればなるほど、一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。
つまり、貧しい家庭なら、生活そのものによって鍛えられるから、
親に厳しさがなくても、いたわりだけで十分子どもは育つ。
けれども豊かになった段階においては、精神的に非常に厳しいものを与えなければいけない。
そのどちらかでなければいけないと思うのである。
「若い君たちに伝えたい」
自問自答
経営状況がよくなればよくなるほど、
精神面での厳しさをみずからに課さなくてはいけない。


現在世界中を巻き込んでいる『コロナウイルス』は、
私たちへ警鐘なのかもしれません。
世界には貧困に苦しむ人もいる中、
多くは暮らしが豊かになっています。
日本では「平和ボケ」という言葉まで出てきました。
一方では人口が減り続ける国があり
全体では地球上に人があふれ増え続けている。
幸之助翁の言われる、
「暮らしが豊かになればなるほど、一方で厳しい鍛錬」
・・・なのか。
 

2020/04/19 2020年4月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月19日
大丈夫の精神

松下電器はわりかたいい会社やから働いているというような、
そんなことではダメだと思うんですね。
良い悪いを超越して、自分は松下電器に籍をおいた以上は徹底的にやるんだ、
もし世間から見て松下電器に悪い点があるならば、
また社内的に見て改善せねばならん点があれば、われわれは誠心誠意努力して、
そして世間のためになるような立派な会社にしょうじやないかという心意気、
気概が皆さんになくてはいかんと思うんですね。
それがなければ、せっかくこうして集まっても、烏合の衆みたいなもんですね、
早くいえば。なんにも力にならない。
そうやなくして、入った以上は松下電器と運命を共にするんだ、
会社と運命を共にするんだ、会社は自分たちのものだ、こういうような心意気になれば、
皆さんも落ち着いて仕事ができるし、
少々の困難に遭っても悲鳴をあげるということもないと思うんです。
けれども、ちょっとつらいと悲鳴をあげて、これはかなわんなというて、
不平を訴える。
不平を訴えることもある場合には必要である。
けれども、なにげなしに不平を言うのであったらいけない。
それは心弱き者の姿である。
大丈夫の精神、信念をもっている人間は少々困難やからというて悲鳴をあげたりはしない。
しからばどうしたらよくなるかということに、
終始、誠心誠意をもってぶつかっていくようにすれば、世の中というのは、
まあ少々の困難はあっても打開されていく。
『松下幸之助発言集第32巻』(昭和34年の発言より)
自問自答
つらさに悲鳴をあげて、
なにげなしに不平を言っていなかったか。


「インフラ系の企業は安定しているから」
と電力会社やガス会社に就職したいと考える人がいます。
その考えで広ガスたかたを選ぶのは間違いです。
インフラ系で最終的に残るのは・・・、
残念ながら地方の電力会社やガス会社ではないでしょう。
「広島ガス」は「東京ガス新宿営業所」よりも小さいと聞きます。
直接ライバル関係になった時・・・・。
広ガスたかたは地域の暮らしを支え、
そして地域の人たちに支えられる会社に成長したとき、
その地域には『なくてはならない』と言われるのですね。

2020/04/18 2020年4月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月18日
独立心

何ごとをなすにあたっても自主独立の心をもたず、他をあてにし、
他に依存していたのでは真の成功はおぼつかないだろう。
個人はもちろん、一個の会社でも、他の金をあてにし、
他の技術をあてにしてみずから頼むところが少ないようでは堅実な発展はありえない。
一国にしても同様で、他国の金、他国の資源、
他国の善意といったものに依存して国家の存立をはかろうとすれば、
その基盤はきわめて脆弱なものになってしまうだろう。
いわゆる石油危機のときに、日本の国が政府も企業も一般国民も国をあげて慌てうろたえ、
非常な混乱を招いたのも、お互いのあいだにいつのまにか自主独立の気風が薄れ、
依存心が高まってきたからにほかならない。
それは、隣邦中国が自主独立、自力更生の国是を掲げ、
いまだ貧しいとはいえ力強い着実な歩みをしているのといささか対照的である。
だから、指導者はまずみずから自主独立の精神を養い、しっかりともたねばならない。
それと同時に、人々にもその独立心を植えつけていかなくてはならない。
いかに指導者一人が自主性をもっても、
人々がいたずらにその指導者に依存していたのではいけない。
せんかくしやかつぱ明治の先覚者福沢諭吉は、
「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」と喝破(かっぱ)している。
独立心なき者が何千人、何万人集まったとて、
それはしょせんいわゆる烏合の衆にほかならない。
国だけではない。会社でも社員に独立心がなければ、同じことである。
独立心の涵養(かんよう)こそ、その会社、その団体、
その国家の盛衰を左右する重大なカギであることを指導者は知らなくてはならない。
『指導者の条件』
自問自答
依存心を恐れよ!
独立心を涵養せよ!


子供のころから周りと同じことは嫌だったのです。
独立心とは言いません。
ただただ目立ちたかったのか?
それもあったと思いますが、
真相はいまだにわかりません。
持って生まれたそのような病気なのかもしれません。
しかし、
ピータードラッガーの言うように、
企業の目的である「永続」を目指し、
独自サービスを提供し続けます。

2020/04/17 2020年4月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月17日
意欲と執念

その方は平櫛田中(ひらぐしでんちゆう)さんという方で、
皆さんの中にはご存じの方もたくさんおられることと思います。
明治五年生まれで、
明治、大正、昭和の三代にわたってわが国木彫界の第一人者として活躍されました。
ぼくは平櫛さんと特に親しくおつきあいさせていただいたというわけではありませんが、
今からもう十数年も前になるでしょうか、あるご縁でお目にかかる機会に恵まれ、
わずかな時間ではありましたが、お話を伺ったことがありました。
平櫛さんはもうすでに百歳近く、ぼくも七十半ばになっていたと思うのですが、
そのときこんなことを言われたのです。
「松下さん、六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは百からですよ。
だからわしもこれからですよ」
平櫛さんもぼくも、常識的に見れば、隠居をしてもおかしくない年齢だったわけですが、
こう言われる平櫛さんにぼくは、
まあずいぶん気持ちの若い方だなあと、驚きもし感心もしたのです。
聞くところによるとこれは平櫛さんのいわば口癖で、
この他にも「今やらねばいつできる、おれがやらねばだれがやる」
というような言葉を好んでおられたそうです。
ところがそれから数年後、平櫛さんが満百歳になられたときに、ふとしたことから、
平櫛さんはむこう五十年分の木彫用の木材を庭に戯んでおられるということを知りました。
お目にかかったときに、ずいぶん気持ちの若い人だということは感じていたものの、
百歳を超えてなお五十年分の木彫用木材を積んで
作品制作への意欲をもち続けておられるということからすると、
「男ざかりは百歳から」と言われたのも、口先だけのことではない、
やはりほんとうに自分の芸術を完成させるには、
あと五十年間は木を彫り続けなければならないのだという執念ともいえる、
強い思い、熱意をもっておられるのだなということを改めて感じさせられたのでした。
「PHP」昭和59年3月号
自問自答
「今やらねばいつできる、おれがやらねばだれがやる」
そういう気概はどこに行ってしまったのか。


今年で59歳。・・・来年は還暦。
鼻たれ小僧に達したばかり・・・。
頭の回転はスムーズではないが、
『意欲と執念』が怨念に達するくらいやり切る覚悟を持ちます。
 

2020/04/16 2020年4月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月16日
謙虚な確信

どんなことをしていくにあたっても、
一つの信念というか確信をもってやっていくことが大切だと思いますが、
特に商売とか経営の場合にはそれが必要ではないでしょうか。
信念のない経営、確信を欠いた商売では、
まことに力弱く、成果をあげることもできにくいと思います。
ですから、仕事をしていくにあたっては、それぞれに、確信の度合を高めつつ、
そこに一つの信念を培っていくことが大事だと思うのです。
しかし、いくら大切だからといって、
ただなにがなしに確信をもつというのでは、これは困ります。
必要なのは、謙虚な心持ちの上に生まれてくる確信なのです。
謙虚さを失った確信は、これはもう確信とはいえず、慢心になってしまいます。
現に、失敗した人々を見ると、性々にして謙虚さを欠き、
自分の意見に固執するという傾向が見られるようです。
それに対して、謙虚な心持ちの上に、だんだんと確信が出てくれば、
それは立派な信念となってだいたいのことは成功に導けるといっていいでしょう。
こういうことは、特に上に立つ人ほど心しなくてはならないと思います。
下の人はかりに謙虚さを欠いても、上の人が「君は考え方が間違っているぞ。
そんなことではダメじゃないか」と注意してくれるでしょう。
それによって自分でも気がつき、改めることもできます。
けれども、上の人になると、だれもなかなかそういうことを言ってくれません。
ですから、自分で自分に言い聞かすといいますか、
常に自分が謙虚であるかを自問自答していかなくてはならないわけです。
謙虚な心持ちでいれば、他人の偉さがわかります。そうすると、
自分の部下はたいてい自分より偉いなという気持ちになります。
部下があかんと思っているあいだは、謙虚であるとはいえません。
もちろん、全部が全部というのではなく、自分より劣っている人もありましょう。
が、謙虚であれば、そういう部下でもその長所がわかり、
その用い方もわかってくると思うのです。
『経営心得帖』
自問自答
謙虚さを失った確信は、慢心である。
謙虚さの上にある確信は、信念である。
謙虚さを失ってはいないか。


『確信』の裏側には常に不安があるのだと思うのです。
その不安を払しょくするために、
多くの情報収集や検証を行うのだと考えます。
『慢心』とはその不安さえ感じず突き進む、
“ノー天気”のことではないでしょうか?
ある意味幸せな人ですね。

2020/04/15 2020年4月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月15日
柔軟な心

お互い人間は、とかく現状に安んずるというか、
現状をもって事足れりとするような傾向に陥りがちではないかと思われますが、
時は刻々と流れ、日は移り変わっています。
だから、人間も日に新たな時の流れに相応じた新しいものの考え方なり行き方といったものを
次々に創造していくことが大切ではないかと思います。
そうしてこそ、きのうよりきょう、きょうよりもあすといった
望ましい進歩向上の姿を生み出していくこともできるようになると思うのです。
けれども、そういう新しいものを創造していくということは、
そう簡単なことではないでしょう。
やはり、現状を固定したものと考えるのでなく、
日に新たに変化していくものととらえるというような柔軟な心から、
新たな創造が生まれてくるのではないかと思います。
そしてそういう柔軟な心はどこから出てくるのかというと、
それはやはり素直な心になるところから養われてくるのではないかと思うのです。
素直な心になれば、現状にとらわれるということがなくなって、
常に何が正しいか、何が望ましいかということがおのずと考えられ、
それがスムーズに見極められていくようにもなるでしょう。
『素直な心になるために』
自問自答
現状を固定したものと考えたい自分。
時の流れに相応じて、次々に創造し、進歩していく自分。
どちらの自分が望ましいのか。


今がまさにそれ。
日々変化の大きい時代ですが、
それでも大きくは現状を固定したものと考えていた人類に対して、
『コロナウイルス』という思いもしない時の流が迫ってきました。
現状を固定することは人類にとってあり得ないことです。
私たちは、
時の流れに相応じて、次々に創造し、進歩しなくてはならないのです。
世界中のあちこちで『都市封鎖』という経験のない対応もその一つですね。

2020/04/15 2020年4月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 

松下幸之助 成功の金言365

 

松下幸之助[著]

 

PHP研究所[編]

 

414

 

奮起

 

 

人間というものは何も注意されず、叱られもしないとなると、

 

どうしてもものの見方なり考え方が甘くなってきて、

 

厳しい努力を怠りがちになってしまうのではないだろうか。

 

またそれでなくても人間は生まれつき何でも知っており、

 

何でもやれるというようなものではない。

 

早い話が、どこの会社でも入社早々のサラリーマンであれば、

 

電話一つ満足にかけられない、手紙一本十分に書けない、というのが実情だと思う。

 

それでも上司なり先輩なりがその不十分な点を指摘し、注意を与えてくれるから、

 

ときには「うるさいな」と思いながらも、

 

早くそうしたことを言われずにすむようになろうという気持ちになって、

 

自分でも努力し、しだいに要領を覚えて、一人前の社員になっていくのである。

 

それを黙ってほうっておかれたら、慣れによる多少の上達はあっても、

 

まあこんなことでいいだろうと自分を甘やかしてしまい、

 

いつまでたってもそのままで終わってしまう。

 

結局、注意もされない、叱られもしないというのでは進歩発展は生まれず、

 

その人のためにも、ひいては会社なり社会のためにもならない、ということになる。

 

やはり人間は、叱られるべきときには厳しく叱られ、それを素直に受け入れ、

 

謙虚に反省するとともに、そこで大いに奮起し、

 

みずから勉励していってこそ成長し、実力をつけていくのである。

 

「その心意気やよし」

 

自問自答

 

電話、手紙、メールのやりとり・・・。

 

たくさんのことを上司や先輩に教えてもらい、叱ってもらった。

 

叱り、叱られることを大切にしたい。

 

 

 

私はそのタイプです。

 

プレッシャーをかける人がいてくれると、

 

仕方なく頑張るタイプです。…家でも。

 

だから多くの研修に参加し、

 

経営の師に『見張られる』状況をあえてつくり続けています。

 

経営品質賞へのチャレンジも、

 

アセスメント基準書に『見張られる』を意識しています。

 

私の場合、

 

褒められすぎると『平和ボケ』してしまいますね。

 

2020/04/13 2020年4月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月13日
すべてのおかげ、すべてに感謝

今日の社会では、私にしてもあなたにしても、どんなに一人で力んでみたところで、
ただ一人の力で生きることは、まったく不可能です。
親、兄弟、先輩、同僚、後輩に助けられて毎日を送っていることはもちろん、
見も知らない世界各地の人々とも、何らかのつながりをもって生きています。
人ばかりではありません。
環境や物、そのほか身のまわりのすべてのおかげで生きています。
自然の恵み、神仏の加護ということもあります。
私やあなたをここにあらしめてくれた祖先がありす。
ここに、それらに対する感謝の心が、人間として、
当然のように生まれてこなければならないといえましょう。
自分はだれの力も借りず、自分の力で生きている。
だれの世話にもならず、したがって頭を下げることもない。
こういう考え方をもつとしたら、その瞬間から、
その人は、荒涼殺伐(こうりょうさつばつ)とした争いの中に身を投じることになりましょう。
すべてに感謝する心があってこそ、思いやりの心も生まれ、人の立場を尊亜する行動もできる。
ともに栄え、ともに幸せに生きようという道にも通じるのです。
「若さに贈る」
自問自答
どの道に自分を投じるか。
荒涼殺伐とした世界か、ととももにに栄える世界か。


先日から社長勉強会で話をしている、
『ありがとうございます、いただきます』
目の前の食事にいったい何人の人の手がかかっているか?
材料や物流、加工、販売・・・・調理。
包丁、鍋、皿、茶わん・・・・・。
とても一人では生きていけないし、
人間以外の動物や植物を食しているのです。
『ありがとうとう』と感謝せざるを得ないと思うのです。

2020/04/12 2020年4月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]

4月12日
感謝の念

だいぶ以前のことになりますが、私が体を少し悪くしたことがありました。
体の調子が悪かったせいかもしれませんが、精神的にも多少心労をおぼえ、
なんとなく心寂しいような感じをしたことがあったのです。
そこで、友人にその話をしたのです。
「どうも自分は最近、神経が疲れているのか、
なんとなく寂しくて物事を悲観しがちになるのだが、これはどういうわけだろうか」と。
ところが、その人の曰くには、
「それは女性であればヒステリーだよ。
君は少し憂鯵(ゆううつ)病にかかっているのとちがうか」と、こういう話です。
私は、自分では憂諺病にかかっているとは思いませんでしたけれども、
さらに「それはなぜだろう。どうしたらよいのか」と聞いてみました。
するとその人は、
「その原因は、きわめて簡単や。君は喜びを知らんのや。
ありがたさを知らんのや。
いいかえると感謝の念がないから、そういうような寂しさに陥るんや」と言われるのです。
そして続けて、
「もしそういう点をよく考えたら、この世の中というのは、非常に楽しいものだよ。
どういう問題が起こっても決して心配は要らない。
問題が起これば起こるほど、感謝の気持ちとともに、勇気が凛々として湧いてくるんだ」と、
こういう答えが返ってきたのです。
私も静かに考えてみますと、確かにそういう点がありました。
〃これは自分の見方が誤っていた。
喜ぶべきことに対して憤慨してみたり、
いろいろ煩悶(はんもん)して心身の働きを弱めていた〃と反省したわけです。
そして自分の見方をもっと大きく広げなければいけない、
自分の心を正しく立て直さなければいけないと考えたのでした。
『人間としての成功』
自問自答
うつ状態の部下に何を言えているだろうか。
自分がそうなったとしたら、何を自分に言えるだろうか。
ありがたさ、感謝の念を知りなさいと言えるだろうか。1 z


幸せの心理学(TA)の中にありました。
生まれて今日までの体験で身につけてしまった『禁止事項』の一部。
幸之助翁は、
・喜んではいけない。
・自分をほめてはいけない。
・満足してはいけない。
等だったのかもしれません。
『禁止事項』を開放しなければ幸せな人生を送れないのです。
当然精神的な病気になってしまいます。
・・・私もそうだったと振り返ります。
 

2020/04/11 2020年4月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月11日
心を売り、心をいただく

物が動いて、お金が動いて、それで一応の商売が成り立つというものですが、
もう一つ根本的に大事なことは、物や金とともに、人の心もまたこれにのって、
移り動いていかなければならないということです。
単に物をつくり、物を売り、そしてお金を得ているというだけなら、
商売とはまことにさくばくとしたものになってしまいます。
そうではないのです。
物とあわせて心をつくり、物とともに心を売り、そしてお金とともに心をいただく、
つまり物や金がかよいあうだけでなく、
お互いの心というものがそのあいだにかよいあうことが、きわめて大切なのです。
そこに、商売の真の味わいというものがあると思います。
お互いに厳しい商戦の日々を過ごしています。
しかし、その厳しさに打ち負かされはしない。
むしろその中に大きな生きがいと深い喜びを感じているのです。
なぜなら、それは単なる売り買いでなく、懸命な奉仕の毎日であり、
そこによき心がかよいあっているからではないでしょうか。
大いに心をかよいあわせましょう。
「販売のこころ」
自問自答
物や金に、人の心をのせていく。物と金を通して、お互いの心がかよいあう。
そんな最高の体験をどれほど味わったことがあっただろうか。


広ガスたかたの一番の商品は、
『社員さん』
もちろん、
他社にない独自のサービスという武器で戦っているという強みはありますが、
それを使っているのは『人』です。
地域密着の接点は人以外にありません。
どんな武器よりも他社が絶対まねできないのは『社員さん』。
 

2020/04/10 2020年4月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月10日
けじめ

朝起きて顔を洗ったら、まず仏前に座って手を合わす。
一家そろって手を合わす。
たとえ線香の一本でもよい。
これで朝のけじめがつく。
夜寝るときも同じこと。
夜は夜で、キチンとけじめをつけねばなるまい。
別にかたちにとらわれる必要はないけれど、一日のけじめはこんな態度から生まれてくる。
何ごとをするにも、けじめがいちばん大切で、けじめのない暮らしはだらしがない。
暮らしがだらしなければ働けない。
よい知恵も生まれないし、ものも失う。
商売も同じこと。経営も同じこと。
けじめをつけない経営は、いつかはどこかで破綻する。
景気ありのよいときはまだよいが、不景気になればたちまち崩れる。
立派な土手も蟻(あり)の穴から崩れるように、大きな商売も、
ちょっとしたけじめのゆるみから崩れる。
だから常日ごろから、小さいことにもけじめをつけて、
キチンとした心がけをもちたいもの。
そのためには何といっても躾(しつけ)が大事。
平生から、しっかりした族を身につけておかねばならない。
自分の身のためにも、世の中に迷惑をかけないためにも。
お互いに、族を身につけて、けじめのある暮らしを営みたい。
『道をひらく』
自問自答
自分で自分の“躾”をする!
人生でも仕事でもけじめをつける!


3KM手帳に、
「毎日仏壇に線香をあげる」と書いています。
・・・3日坊主を繰り返し継続中。
手帳に「つぶやきメール」は書いていませんが20年続いています。
森信三先生(・・・だったと思う)の言われる、
「靴をそろえる」
朝起きたら「おはよう」
感謝の「ありがとう」
これが人間の3つの基本。
家族円満は幸せ人生のベースです。
 

2020/04/09 2020年4月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月9日
プロの自覚 

プロとは、その道をわが職業としている専門家のことである。
職業専門家とは、つまりその道において、一人前にメシが食えるということである。
いいかえれば、いかなる職業であれ、その道において他人様からお金をいただくということは、
すでにプロになったということである。
アマチュアではない。
芸能やスポーツにおいては、プロとアマとの区別は厳しい。
真にプロに値するものでなければ、お客はたやすくお金を払ってはくれない。
お客は慈善の心で払いはしないのである。
だから、プロを志すことは容易でないし、プロを保持するための努力も並みたいていではない。
甘えてはいられない。学校を出て会社や官庁に入る。
入れば月給がもらえる。月給をもらうということは、
いいかえればその道において自立したということであり、
つまりはプロの仲間入りをしたということである。
もはやアマチュアではない。
そうとすれば、芸能界やスポーツ界の人々と同じく、
またプロとしての厳しい自覚と自己練磨が必要となってくるはずである。
お互いにプロとしての自覚があるかどうか。
『道をひらく』
自問自答
自分はプロフェッショナルか。
アマチュアの域を脱しているか。


『月給をもらうということは、
プロの仲間入りをしたということである』


私たちは『プロ』なのです。
“プロ広ガスたかた社員”なのです。
プロとしての厳しい自覚と自己練磨が必要なのです。

2020/04/08 2020年4月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月8日
潤いと情緒 

昔の商売人は「お客様の家のほうには足を向けて寝ない」
というほどの感謝の気持ちでお客に接したといわれる。
そういうものがおのずとお客にも伝わり、
そこにその店に対する“ひいき“の気持ちが生まれる。
どこで買っても品物は一緒だけれど、
なんとなくあそこで買わないと気がすまない、というようなことになって、
両者の心がかよいあい、ひいては社会全体が潤いあるものになってくる。
そういったものが世の中が便利になり、
あるいは会社の機構が大きくなっていくにつれ、
いつとはなしに薄れてくるという面があるのではないだろうか。
そして物を売りさえすれば、それで事足れりといったことになる。
しかしそういうことでは、だんだん人間と人間の心のつながりがなくなり、
国民全体の情緒も薄れていってしまうだろう。
『経済談義』
自問自答
自分のビジネスに心をかよわせること。
一人ひとりが、「一隅を照らす」人になること。
それが国民全体の情緒の形成につながっているのだ。


広ガスたかたの販売する『LPガス』は他社よりカロリーが強いのです。
・・・そんなはずありませんね。
人口減少の激しい安芸高田市においても、
当社ガス利用のお客様数はわずかではありますが増加傾向です。
他社にない独自サービスと営業努力。
そして何より他社がまねできないのは、
社員さんのお客様目線での意識と行動ですね。
 

2020/04/07 2020年4月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月7日
塩の辛さ 

大成功や大失敗だけが人生における体験ではない。
平穏な日々の中でも、心の持ち方いかんでは、大いに体験を積むことができる。
よく「百聞は一見にしかず」といいます。
あることやあるものについて、人から百回話を聞くよりも、
一回そのものを実際に見たほうがよくわかるというほどの意味でしょう。
確かにそのとおりだと思いますが、世の中にはいくらそのものを見たからといっても、
その本質を簡単にはつかめないといった場合もあります。
たとえば、塩を見れば、
〃ああ、塩というのは白いもので、こんな感じのものなんだ〃ということはわかります。
しかし、塩の辛さといったものは、
いくら頭で考えたり、目で見たりしてもわかるものではないでしょう。
まず、自分でひと口なめてみる。頭で考えるのではなく、
みずから味わってみてはじめて塩というものがわかる。
そのように体験を通してはじめてものの本質をつかみ、
理解することができるという場合が、世の中には少なくありません。
いわば〃百聞百見は一験にしかず〃ということも、ある場合にはいえると思うのです。
『人生心得帖』
自問自答
心で体験するばかりではいけない。
本質をつかむためには、やはりまずは自分でやる。
現場の現実を知ってみる。


私は研修や講演に度々参加します。
『ライブ』であることが大切で、
ネットライブでも駄目でなのです。
その場だからの臨場感。
真剣に学ぼうとする姿勢の人たちの中でこそです。
さらに言うとその姿勢の人たちは会場の前の方の席に座っていますね。
 

2020/04/06 2020年4月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月6日
心の体験 

お互いが日々仕事をしている。
その結果非常に成果をあげたとか、
反対に失敗して事業が行きづまったというようなこともときにはあるだろう。
それはもちろん大きな体験である。
しかし、そうでなく、毎日の一つひとつの仕事の中に
〃これはうまくいった〃とか〃これは行きすぎて失敗だった〃
〃あれは失敗ではないが、もっといい方法があった〃というものがいろいろあると思う。
そういうものを日々みずから反省し、味わってみることも体験になる。
そうしてみれば、一つの成功の過程にも失敗があることもあろうし、
反対に失敗の過程の中にも成功がある場合もあるだろう。
そういうものを一つひとつ味わっていくならば、一見無事安定の姿にあっても、
日々これ体験であり、それがすべて生きてくるといえるだろう。
いわばそれは心の体験とでもいうべきものである。
形にあらわれた成功なり失敗の体験はもちろん貴重である。
しかし〃これは行きすぎだったな〃
〃あれはちょっとまずかったな〃
というような目に見えない失敗や成功を心の中で反省し、
体験として積み重ねていくことがより大事だと思う。
それをせずに、不用意に日を過ごしているのでは、体験をもたざるに等しい。
幸いにして、というと語弊があるかもしれないが、
今日は非常な困難で、平常時では味わえないいろいろな体験が得られるときである。
それだけに、日々こうした心の体験を重ねていくことが、
それをよりよく生かしていくためにも大事ではないかと思うのである。
『経済談義』
自問自答
結果に表れない、目に見えない成功や失敗がある。
それを素直の反省し、よりよい仕事にするようイメージし、
「心の体験」にしていくのだ。


人間は『使命のかかれた封筒』を持って生まれてくる。
と森信三先生は言われています。
一つのことを10年20年と続けることでその封筒は開封できるそうです。
その理由こそが本日の『成功の金言』だと思うのです。
もう一つこの封筒は40歳前後までに開封しなければ、
その後の開封は困難になるそうですよ。

2020/04/05 2020年4月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月5日
心を入れ替える 

今日、世界が発展し、それぞれの国が発展していくということを考えてみると、
その国民が、その国家がより多くの命をかけて仕事をする、
それぞれの分野に、それぞれの仕事に命をかけて取り組み、
そこからみずからの喜びを味わっているというような勤務体制、
仕事体制をより多くもっている国が、私はいちばん発展していくと思うのです。
そして、そのことがお互いの幸せに結びつくものだと思うのです。
それで私自身も、自分はこの仕事に命をかけてやっているかどうかと、
これまで困難な問題に出くわすたびに自問自答してきました。
そうすると、非常に煩悶(はんもん)の多いときに感じることは、
命をかけるようなところがどうもなかったように思われるのです。
だから煩悶が起こってきているように思われるのです。
つまり、「自分は困難に直面して、命をかけて仕事をしていなかった。
楽をしていこうと考えていた。そこにこの煩悶があるのだ」、こう感じたわけです。
それで、心を入れ替えてその困難に向かっていきました。
そうすると、そこに勇気が湧き、困難も困難とならず、
新しい創意工夫も次々と起こってきたのです。
そういう体験をたくさんもっています。
「道は無限にある」
自問自答
“煩悶”を多く感じるときは要注意。
命をかけて仕事をしていない、
楽をしていこうとする自分がそこにいる 。


※煩悶(はんもん)=悩み苦しむこと。
何度も書いていますが、
『努力』という言葉は眼中にありませんでした。
それこそ『楽しい人生』を目指そうとしていたのですが、
・・・学生時代の超体育会系運動部では、
日々楽しくは認められず・・・ボコボコに。
・・・・・・先輩の言うことは聞くことに。
ここから人生変わり始めたのか?
結婚して他人の人生を背負い、
子供ができて責任が大きく。
会社の経営を引き継ぎさらに多くの人の人生を背負い。
「絶対に倒産してはいけない」のプレッシャーはマックス。
ストレスで胃を壊し、
眠れないので酒を飲み・・・肝臓を壊し。
それでも前進し続け成果が見え始めたことで、
『煩悶』を楽しむマゾのような生活を、
楽しむことができるようになってきました。

2020/04/04 2020年4月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月4日
察知する

宮本武蔵のような修行をしないとあかん。
彼は修行してるわな。
鐘の音を聞いて、風が吹いてきたと知り、
その鐘の音によって、何かを会得してるわけや。
「ああ、風が吹いて寒いな」というようなことを考えていない。
偉い人はそういうことがわかるわな。
一流の大将なり軍師は戦争をしても、
大空を行く烏の大群がば-つと散って逃げていくのを見て、
何かそこに隠れている、そこに伏兵がいるんやなと察知できる。
それで行ったらやられるから、そこをよけて通る。
そういうことが、教えられずしてわかるくらいに頭が敏感に働かんとあかんわけや。
それを、なんにも考えずに行ったら、伏兵がおって、ば-つとやられてしまう。
そんな大将やつたらあかんわけや。
戦に負けるわけや。
鳥が飛んできたところが、乱れて飛び去った。
なんで乱れたんやろ、何か下にいるんや。
もしかしたら刀や槍や鎧を着た人間がうようよしとったから、びっくりしたのかもしれない。
そやけど、ここからは見えないと。
烏のように上から飛んで見たら、そこに伏兵があるということがわかる。
そういうことが、戦争やなくして、われわれの日常の生活、活動の上にもあるわけや。
それを察知することができなければ失敗する。
そういうことを心にとめておくことや。
「リーダーになる人に知っておいてほしいこと」
自問自答
たいていの人が気づかないことを
察知できるリーダーが組織には必要である。
今の自分は察知できる人になっているかー。


私たちは、
『次の時代を読む』ことが大切なのですね。
わかってからでは遅いのです。
私は自動車業界と住宅業界を注目していました。
・・・が、
これからはIT業界。
特に『AI』と『5G』ですね。
自動車業界はIT業界の一次下請けになってしまうくらいの大変革です。
自動車業界はこの大変革をどう進んでいくのか?
・・・実はデジタル機器を使いこなしていない私は、
勉強しつつ注目しています。
 

2020/04/03 2020年4月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月3日 
学ぶことは無限にある

今年も多くの方々が学校を卒業して社会に出られたことでしょうな。
会社に入れば、同僚や先輩と机を並べて仕事をする。
その場合、
ただ単に自分に与えられた仕事のみやっていればよいと考えて毎日を過ごしていたら、
あまり楽しさを感じることもできないでしょうし、
物事を見る視野も限られてしまうと思いますね。
ぼくは、会社というもの、あるいは社会というものは、
人間なり人生について教わる学校だと考えてみたらどうかと思うのです。
この学校にはいろいろな人間がいて、さまざまな人生模様がくり広げられている。
学ばなければならないことは無限にある。
そう考えれば、人生を学び人生を探求するために、
何にでもすすんで取り組もう、吸収していこう、そういう意欲も湧いて、
日々楽しさも生まれてくるのではないでしょうか。
『人生談義』
目問自答
社長にも、部長にも、課長にも、それぞれの人生模様がある。
それらから学ぶも学ばないも、自分次第……。


経営者には誰でもなれます。
法務局に行って会社を設立して社長になればよいのです。
・・・とりあえずですが。
経営がわかっている経営者になるの大変は難しい。
私は経営者になってから20年以上ですが、
社長になってから経営の勉強しまくりです。
今年59歳になりますがこの勉強は引退するまで続きます。
・・・というか年々ハードに学んで行きます。

2020/04/03 2020年4月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月2日
愛される 

ビジネスマンとしてのいちばん大事な責任はどういうことかというご質問ですね。
まあ、簡単に言うと、みんなに愛されることですね。
ビジネスマンはみんなに愛されないといかんですよ。
あの人がやってはるのやったらいいな、物を買うてあげよう、
と、こうならないといかんですよ。
そうやるには、奉仕の精神がいちばん大事です。
奉仕の精神がなかったら、あそこで買うてあげようという気が起こらない。
そうですから、ビジネスマンのいちばん大事な務めは愛されることである。
愛されるような仕事をすることである。
それができない人は、ビジネスマンに適さないです。
必ず失敗する、と、こういうことです。
「松下幸之助発言集第5巻』(昭和58年の発言より)
自問自答
顧客サービス、取引先への即応、チーム・組織・会社への貢献一。
愛されるには、やるべきことがたくさんある。


『信頼』されることからスタートして、
お客様から関心を持たれるように成長していくことですね。
具体的に言うと、
お客様から指名で仕事を依頼されるようになることです。
 

2020/04/01 2020年4月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
4月1日
ハシゴを考える
・ 
私、今までたくさんの人に働いてもらっておりますが、
なるほど偉い人、というとおかしいが、ほんとに間に合うという人は熱心です。
熱意のある人です。
早くいえば、この二階に上がりたい、
なんとかして上がりたいという熱意のある人は、ハシゴを考えましょう。
非常に熱意のある人は、どうしたら上がれるのか、ということでハシゴを考える。
この二階に上がってみたいなあ、というくらいの人ではハシゴは考えられません。
おれの唯一の目的は二階に上がることだ、
というくらいの熱意のある人であればハシゴを考えると思います。
その人の才能が非常にすぐれているからハシゴを考える、
という場合もありましょうけれども、そうでなく、あまり二階に上がりたくない、
上がってもいいけれど、というのではハシゴを考えるところまでいきません。
だから、やってみたい、という熱意が問題です。
仕事の上の熱意がなかったらお豆腐みたいなものです。
人間は何といっても熱意です。
皆さんが習った技術、知識というものも熱意があればぐんぐん生きてきます。
『社員稼業』
自問自答
熱意がハシゴを考え出した。
ハシゴを生み出すだけの熱意が自分にはあるか一。


目標を階段にたとえることがあります。
大きな目標と、
ステップ目標や段階目標なと言われたりします。
幸之助翁は階段ではなく建物にたとえているようですね。
私はこの文章を読んで目標は階段ではなく、
各階、
次の階へ上る階段がどこにあるか一目ではわからないくらい、
広大なフロアーを持つ大きなビルだと思ったのです。
マンネリとは次の階へ上がるための階段を見つけきれずにいるか、
見つける気のない人が陥るものかもしれません。

2020/03/31 2020年3月31日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月31日
日に百転

今日は非常にテンポの速い時代で、
きのうやっていたことが、きょうはもう許されないとさえいえるような面も出てきました。
三年一日のごとくということはもう許されない。
まして十年一日のごとくは許されないといえます。
これはお互いの仕事の上においてもそうでしょうし、国の姿においてもそういえると思います。
「君子は日に三転す」という言葉もあります。
「君子というものは、朝考えたことも昼になればもう変わってしまう。
昼は朝考えたことと違ったことを考え、違ったことを言わなくてはならない。
昼考えたものは、晩にまたさらに変わっている」。
こういうことを二千数百年も昔に中国の賢人は教えているわけです。
それだけ君子は進歩が速いということも意味しているのだろうと思います。
それで、二千数百年前の君子は日に三転ですが、
今日の君子は日に三転ではもう間に合わなくて、今Ⅱは川に百転する、
刻々に変化していくことをつかんでいかねばならないと思うのです。
「道は無限にある」
自問自答
日に三転では間に合わない。
しかし日に百転するほどのスピードに
今の自分の頭と体は耐えうるだろうか-。


『朝令暮改』という言葉があります。
朝決めたことを夕方には撤回するということですね。
死語に近い言葉なのかもしれません。
情報が入るほどに決定が変わってくる。
AIというのは、
まさに情報が入るほどに決定の精度を上げていくシステムです。
それによって人間の行動も変わることになるのでしょう。
情報スピードが時代のスピードも変えていきました。

2020/03/30 2020年3月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月30日
人生の姿

雷が鳴ったり、雨が降ったりというのは自然の現象であり、
これはこれで毎日の生活に変化があって面白いと思うのだが、
もしこれらの変化が規則的で、
予期できればどうであろうかというようなことを、ふと考えてみた。
もしこれらの自然現象が規則的に起こって予期できるものだとすると、
ある場合は非常に都合がよいが、またある場合には困ることも起こってくるのではないか、
そして、いわゆる生活の味わいというか、
面白さというようなものが減少するのではないか、と思うのである。
ところで、われわれの人生の姿というものも、これと非常によく似たものではないだろうか。
そこには予期できない多くの障害があり、しかもそれらの障害の中にありながら、
われわれは常に、分の道を求め、自分の仕事を進めてゆかねばならない、
というのが人生の姿ではないかという気がするのである。
人生における成功の姿というものは、常にこのような予期できない障害にぶつかりながらも、
それらを乗り越えて、一定の自己コースを歩んでゆくことではないかと思う。
「なぜ」
自問自答
仕事も人生も、
予期できないから面白いのだ。
味わいがあるのだ。


今まさに『コロナウイルス』。
誰にも予期はできなかった。
・・・先ほど知りましたが、
志村けんさんがコロナウイルスの肺炎で亡くなったそうです。
2週間も体の中に生き続け、
症状のない患者でも感染元になってしまう・・・。
・・・広島でも感染者が増えてきています。
世界規模での予期できぬ災害に私たち人類は、
これまでにない新たな解決策を創り出さなくてはならないのです。
一人一人の自覚ある行動が必要なときですね。

 

2020/03/29 2020年3月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月29日
ものの言い方

人間の心というものは非常に変化性がある。
今は非常に愉快に笑っているかと思うと、
またつぎの瞬間に非常に悲観するようなことが起こってくればそうなる。
それほど変化性がありますからね。
これがつけ目といいますか、お互いが考えなければならんことやと思います。
そういう変化性があるから、努力すれば努力するだけのかいがあるわけです。
職場を愉快にし、そしてみんなが喜んで働くというようにもっていくには、
やはりそういう工夫をすれば、人間は必ずそうなるようにできている。
だからそういうふうに努力するかいがある、ということになるのです。
そういう人間の心の動きの自在性というものを、経営者といいますか、
皆さんのように指導的な立場に立つ人は、よほどつかまねばいかんと思うのです。
ものの言い方一つでも、受けるほうによっていろいろ感じ方が違う。
どんな言い方をしても同じように感ずるのであれば、心配はないわけです。
そのかわり大きな感動もないから、淡々としておるということになる。
けれども、ものの言い方一つによって、受けるほうに非常に変化がある。
刺激があったり、またそうでない場合があったりします。
そういうことを考えてみると、人を使う人とか、指導者として立つ人は、
やはりそういうことを十分に念頭において、
職場の雰囲気を明るくするために施設の充実をはかる必要もありましょう。
しかし施設だけではとてもダメなんです。
施設はその一部を補うということでありましょう。
大部分はやはり施設以外の人間関係である。
言葉のもっていき方であるとか、そういうことが大きいのです。
『松下幸之助発言集第妬巻』(昭和36年の発言より)
自問自答
所変われば、とよく言うが、
移転や設備投資だけでは、
オフィスの空気は変わらない。
やはり人間関係を愉快なものにしなければ一。


超スパーおすすめ本。
一生のうちの前半で、
一度は読まなければならない・・・と、
私が推薦する本の一冊。
『人を動かす』
どうはなせば自分の思いが伝わるか?
私がこれまでプレゼントした本の数、
圧倒的No1です。
・・・完読した人は???
 

2020/03/28 2020年3月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月28日
中庸

人間が健康を保つためには、まず栄養をとることが大切で、
これが欠けたらいわゆる栄養失調に陥りますね。
といって、これが過ぎると、これまたいわゆる栄養過多になって、健康を損ねます。
暑いときには服を脱ぎ、寒いときには重ねます。
といって厚着に過ぎれば、汗もかくし苦しくもなります。
要はほどほど、当たり前のことを当たり前に行えばよいわけで、
これが自然の理にかなった、最も健全にして健康な姿といえましょう。
自然の理といい、ほどほどといい、一見あいまいなようにも思えますが、
このあいまいと思われる筋道を、身をもって極めていくところにほんとうの学問、
人間の生きた学問があるのだと思います。
科学が進んで、かえって人間の不幸が増え、知識が進んで、かえって悪事が増えるというのも、
こうした生きた学問への謙虚さが足りないからだというべきでしょうか。
わが社の発展にしても、自社の発展だけを考えて、周囲のおもむくところを忘れたら、
お互いの足もとが崩れます。そこにはおのずから自然の理というか、中庸というか、
ほどほどというか、謙虚にそして楽々と歩む道があるわけです。
意欲さかんな姿は結構。
しかし意欲のおもむくままに行きすぎることは、お互いに厳に戒めたいものです。
「月日とともに」
自問自合
ほどほどに、謙虚に、、楽々と歩む道があるのに、
みずからの成功発展ばかりを考えていなかったか。
‘中庸,という言葉をかみしめたい。


「意欲のおもむくままに行きすぎることは、お互いに厳に戒めたいものです」
と幸之助翁は言われています。
意欲の前に理念あり。
我利我利亡者ではいけないのです。
他利多利豊者には理念があるのです。
『豊かで健善』が大切なのですね。
・・・広ガスたかたの経営理念は目指すべき理念だと。
・・・・・・あらためて。
 

2020/03/27 2020年3月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]

3月27日
発明のヒント

発明のヒントはむしろ素人であるかもしれんですな。
私も、よく研究部員に、
「同僚とばかり話しおうててはいかん。街頭へ出ていってヒントを得てこい」と、
こう言うとるんです。
『松下幸之助発言集第喝巻』(昭和43年の発言より)
自問自答
現場にヒントは転がっている。
その当然のことを忘れていたのではないか。


ヒントは現場にありますね。
最初に手を付けるのは、
現場に直接携わっていたころの問題・課題からです。
この後、
現場がわからず凝り固まっていくことがとても怖いこと。
解決下問題・課題はすでに過去のことです。
常に現場主義で進まなくては『今・将来』の問題を解決できません。
実際に現場に入る。
現場の情報が入る仕組みを構築。
などの手を打たなくては「良いもの」はできても、
売れるものはできません。
業界では評価が高くても全く売れない自動車が良い例です。
 

2020/03/26 2020年3月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月26日
真の自省

ご承知のように、自省とはみずからを省みることであろうが、
考えてみればこれは人間だけがなしうることのように思われる。
もちろん、馬や牛などの動物でも、
ときには自省に似たようなことをしているかもしれないが、
しかし人間のような精神構造をもって自省しているとは考えられないのである。
これはやはり人間だけの特権であろうし、
同時にこれを逆にいえば、人間であるかぎり自省がなければならない、
つまり自省は人間の一つの義務なのだともいえるのではなかろうか。
こうした自省については、言葉や形はいろいろ異なったとしても、
その心がまえは、戦前のわが国ではことにやかましくいわれていたように思う。
ぼくの子どものころには、家庭はもちろん学校でも商店でも会社でも、
非常に厳しくしつけられたし、世間一般の雰囲気の中に、
自省をもって尊しとする風潮が強くあったと思うのである。
ところが、戦後は一般にどうもこの傾向が薄れたように思えてならない。
いわゆる民主主義のはき違いとでもいうのだろうか、
あまり自省ということを尊しとしないような風潮が広がっているように思えるのである。
そしてそこから、いろいろな混乱がひき起こされている面があるように思うのである。
しかし、真の自省とは、
主義とか思想以前の、いわば人間としてのいちばん大事で基本的な心が一つなのであり、
この基本に立ってこそ、
はじめて“われ何をなすべきか”ということがわかってくるのではなかろうか。
『松風』昭39年2月号
自問自答
自省は人間の義務であり、特権である。
“われ何をなすべきか”という自問に自答できる人間でありたい。


木野親之先生からのお話です。
「『地球上のすべての生き物の中で、
人間は特権を与えられている。
地球を掘り返し化石燃料を発掘したり、
木を伐り、山を崩し、海を埋め立て、
ビルを建て、牛や豚、鳥などなどの動物を食べる。
《人間に与えられた特権》です。
だからこそ人間は、人間としての基本を大事にしなくてはならない。
・・・と思うよ』
と、松下幸之助は言っていました」
ここでいわれる、
『真の自省』を大切にしなくてはならないということだと私は思うのです。

2020/03/25 2020年3月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月25日
受け入れられる

商売においては、商品がたとえ五個でも売れれば、
売り方によっては、さらに千個は売れると見てよい。
千個売れれば十万個も決して不可能ではない。
まったく売れないのなら別であるが、五人でも買う人がいるということは、
その商品が人々に受け入れられるということを示していると思う。
人の考えることにそう大差はないからである。
あとは腕次第、やり方次第、熱意次第、
そう考えればそれだけ商売が面白くなり、励みも出るのではないか。
「思うまま」
自問自答
「厳しい状況でですす」」とといいうう報報告告に対して、
励まし、士気を鼓舞する考え方を提示することができているだろうか-。

松下幸之助日々の言葉の中にある勇気づけられる一説です。
「人生は演出も演技も自分でする生きた芝居。
腕次第やり方次第でいくらでもいい芝居になる」
いつも持ち歩くシステム手帳に筆で書いた紙をいつもはさんでいます。
・・・20年以上まえから・・・いつだったのでしょう。

2020/03/24 2020年3月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月24日
汝かしているのではないか

坂田三吉の場合は、
将棋の駒の持ち味を生かし切って、勝負に勝つことにいわば命をかけていた。
ぼくの場合も、自分で言うのもなんですが、
少なくともよりよい製品をつくり出したいという思いにかけては、
坂田三吉に負けないほどの真剣さをもっていた。
その製品を使われるお客様のためにはもちろん、
それを汗水たらしてつくる従業員の努力に対しても、よりよい製品をつくり、
それが立派に役立って生きるようにするのが責任者たるぼくの務めだ、
という意識をもっていた。そういうことではないかと思うのです。
将棋の駒や製品に限らず、
一つのものをほんとうに生かし切るということはなかなかむずかしいことです。
しかし、この世の中にあるさまざまなものを、
生かし活用することができるのは、私たち人間だけですし、
そうしてこそお互いの生活の向上をはかることもできるわけです。
今日、私たちが享受している豊かで便利な生活も、
先人の方々のものを生かそうとする熱心な努力によって、
築かれてきたものにほかならないでしょう。
そんなことを考えながらお互いの身のまわりを眺めてみるとき、
私たちは今日の豊かな生活に慣しまって、ものをほんとうに生かす努力を怠り、
多くのものを泣かしているのではないか、そんな気もするのです。
※坂田三吉:1870〜1946。明治から昭和初期の将棋棋士。
『PHP』昭和59年4月号
自問自答
生かし切る!
真剣に持ち味を生かし切る!


私は、
『人に光を当てることで、
それぞれの限界まで成長を続ける』
そのような文化を持つ会社にしたいと考えています。
元々努力嫌いの私は『成長意欲』は薄く、
なるように進んでいっても食っていけるだろうと考えていたのですが、
結婚して他人の人生を背負うという自覚に芽生えたころから、
自分を生かし切っていない自分に気づき、
生かし切るための人生を歩み始めました。
一歩目は、
PHPから出ている「the21」という雑誌で知った、
「ナポレオンヒル」からでした。

2020/03/23 2020年3月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月23日
すきまをおいておく

皆さんは、一つの仕事に凝り固まる。
とかく技術者という立場の人は、多くそういうようなかたちになっていく。
またそうならざるをえない、一つのものに集中するのですから。
それはそれでいいんです。
目に見えない細菌を研究するという学者がある。
そういう人はそれに一生かかって研究している。
それがその人が死んだあと、
百年なり二百年たって非常に効果があるという場合もありましょう。
現世に効果がある場合もありましょう。
学者とか技術者という人は、それが仕事だからどうしても一つのものに集中する。
それはそれでいいんです。
しかし、あわせて広くものを吸収するという柔軟な頭も必要なんです。
あるものに集中するが、それにとらわれてしまってはいけない。
集中するけれども、同時に頭を海綿のごとくしてやっていく。
人から非常にいい話を聞いた、非常に感銘した、
その感銘したことで頭がいつぱいにつまってしまうと、
ほかにもっといいことを聞いても入らない。
これではいけない。
われわれはどんなことが入っても、それをつまらせたらいけない、
まだすきまをおいておく。なんぼでも次々と、
海綿のごとく吸収していくというような頭にならなければ、
頑固オヤジになってしまう。
頑固オヤジにならなくても
〃頑固な人だな、あれは技術者だから頑固者だな〃
と、こうなる。
これはいけない。技術者ほど、ものを吸収しなければいけない。
技術者ほど、
すべてのものを取り入れるということにやぶさかでない者はないんだと、
こういうような一面も私はあっていいと思うんですね。
「松下幸之助発言集第羽巻』(昭和48年の発言より)
自問自答
頑固オヤジになっていないか・・・。


「思考回路の中に『ボトルネック』を作ってはいけない」
ということですね。
ビール瓶は注ぎ口が絞ってありますので、
逆さまにしてもコポコポと、一気には出ません。
絞らずに長いグラスのような形であれば、
逆さまにするとザーと、一気にビールが出てしまいます。
広い部分があっても、
絞ってあるところを流れる量以上には流れないのですね。
これが『ボトルネック』です。
再度、
「思考回路の中に『ボトルネック』を作ってはいけない」
 

2020/03/22 2020年3月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月22日
新しい目

人間というものは、ともすれば一つの考えにとらわれがちである。
特に過去の常識とか通念というものからなかなか離れられないものである。
しかし、時代は刻々と移り変わっていく。
きのう是とされたことが、きょうもそのまま通用するとは限らない。
だから、指導者は、過去の常識、固定観念、そのほか何ものにもとらわれることなく、
常に新しい目で物事を見ていくように心がけなければならない。
そして、そのとらわれない心で次々と新たな発想をしていくところに、
進歩も発展もあるのだと思う。
『指導者の条件』
自問自答
つぎなる手を打っているか。
つぎなる発想はできているか。
過去の常識にとらわれていないか。


気になって気になって仕方ないことについては、
完成したと思っても・・・まだ気になる。
「まだ改良できる」
「まだ完ぺきではない」
寝ようと思っても頭の中を駆け巡り寝れなくなることもあります。
現役の間は仕方ないとあきらめも・・・。
明日も通用するあの手この手を探り続けます。
 

2020/03/21 2020年3月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月21日
先例を破る

とにかく考えてみること、工夫してみること、そしてやってみること。
失敗すればやり直せばいい。
やり直してダメなら、もう一度工夫し、もう一度やり直せばいい。
同じことを同じままにいくらくり返しても、そこには何の進歩もない。
先例におとなしく従うのもいいが、
先例を破る新しい方法を工夫することのほうが大切である。
やってみれば、そこに新しい工夫の道もつく。
失敗することを恐れるよりも、生活に工夫のないことを恐れたほうがいい。
われわれの祖先が、一つひとつ工夫を重ねてくれたおかげで、
われわれの今日の生活が生まれた。
なにげなしに見逃している暮らしの断片にも、尊い工夫の跡がある。
茶わん一つ、ペン一本も、これをつくづくと眺めてみれば、
なんというすばらしい工夫であろう。
まさに無から有を生み出すほどの創造である。
お互いにもう一度考え直そう。きのうと同じことをきょうはくり返すまい。
どんな小さなことでもいい。どんなわずかなことでもいい。
きのうと同じことをきょうはくり返すまい。
多くの人々の、このわずかな工夫の累積が、大きな繁栄を生み出すのである。
「道をひらく」
自問自合
失敗を恐れるな!
工夫のない自分を恐れよ!


「周りと同じでいいじゃないか」
多くの人がこちらでしょう。
昔から目立ちたがりの私は、
「周りとは違うことがやりたい」
という考えがあり・・・
小学校では一人クラス『茶色の縦笛』
中学では学年一人だけ『紺色の学生カバン』
・・・無理やり周りとは違う発想を・・・あえて・・・、
時には時間をかけ・・・、時には悩みまくり・・・たたかれ・・・。
今はそうすることが、
社員さんやお客様の喜びにつながるという信念です。
 

2020/03/20 2020年3月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月20日
誤解と反省

誤解ということはよくあることだが、だれしも誤解されることを好むものではない。
だから、それを解こうとするのは当然といえば当然だろう。
しかし、
より大切なのは、誤解されたということについて自分自身反省してみることだと思う。
というのは、
ほんとうに正しいことであれば、
一部の人は誤解しても、より多くの人はそれを認めてくれる。
それが世の中というものであろう。
そう考えれば、誤解されたからといって、必要以上に心をわずらわすよりも、
これをみずからの反省の機会としたほうがよいといえよう。
「思うまま」
自問自答
他人の誤解をも成長の糧にする人間に、
・・・いつごろ、なれるだろうか-。


「・・・いつごろ、なれるだろうか」
どこまでも修行は続きます。
 

2020/03/18 2020年3月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月19日
お金の値うち

ぼくは、お金というものは、面白いものだと思います。
たとえ同じ金額のお金でも、それをどう自分が手に入れたかによって、使い方が大きく変わり、
したがってそのお金が発揮する値うちが違ってくるからです。
たとえば、予期せぬ収入というか、人からボンともらったようなお金だと、
ついつい気軽に使ってしまって、気がついてみるといつのまにか雲散霧消。
はて、何に使ってしまったのだろう、といったことになりがちです。
これではそのお金の値うちも十分に生きません。
ところが反対に、同じお金でも、自分が努力し苦労し、汗水たらして得たお金だと、
湯水を使うようにたやすくは使えるものではありません。
こういうことは皆さんもよく経験されることだと思いますが、
それは結局、人情のしからしむるところであって、
昔も今も変わらない人間性の一面というものではないでしょうか。
そういうことからぼくは、やはりお金というものは、
自分で汗水たらして、自分の働きで得ることが大切だと思います。
お互いにとっては、自分の額の汗がにじみ出ていないようなお金をもらってはならないし、
借りてはならない、そういう考え方に立つことがやはり必要で、そうしてこそ、
その人の生き方が堅実なものとなり、お金の値うちもそのままに生きてくる。
いわゆる“濡れ手で粟(あわ)“というような虫のいいことを考えたのでは、お金も生きないし、
その人の人生そのものもきわめて危ういものになってしまうと思うのです。
『PHP』昭和59年10月号
自問自答
自分の財布の中の“お金”は生きているか。


株や為替相場で大きな利益を上げている人がいるそうです。
コロナ騒ぎでどれだけの損が出たのでしょう?
バブル崩壊で倒産した多くの企業は、
本業の業績悪化で倒産したわけではなく、
株や土地でのあぶく銭をもくろみ・・・
・・・バブルの崩壊で大暴落。
こちらの損で倒産したのだそうです。
 

2020/03/18 2020年3月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月18日
正しい価値判断

お互いの会社、商店が発展し、
社会の公器としてさらに光彩を放つようになるためには、やはり社員の訓育といいますか、
人間的な成長に、会社としてよりいっそうの努力をすべきだと思います。
そういう考えをもって努力している会社に入ってこそ、
青年社員の将来というものが、非常に明るく輝くのではないでしょうか。
そして、会社はそういう人間的なものの考え方を基本として、
社員に正しい商売人としての常識を培養する努力をしていくことが大切です。
ところが、そのためには、まず、商売人として、また社会人として、
ものの正しい価値判断ができないようなことでは困ります。
ですから会社においては、
あらゆる点において正しい価値判断のできる人を養成しなければならないと思うのです。
価値判断が適正ならば、自己判断もできます。
自己判断のできない人は、価値判断もできません。
ですから、
そういうような人が集まっても、それは単なる烏合の衆ということになります。
しかし、あらゆる面に、あらゆる場所に、そしてあらゆる時に、
価値判断がある程度できるというそういった人々の集まりなら、
何ごともきわめてスムーズに運び、繁栄も平和も、
これを得るのはそうむずかしいことではないと思うのです。
「商売心得帖」
自問自答
この商品の“価値'はどれほどか。
値段としてはいくらか。
自社の株価は妥当か。
自社ブランドはどれほど認知されているか。
まずは身近なことから考えぬくことで価値判断力を高めていきたい。


今朝のTV番組で『写真修正アプリ』を紹介していました。
「写真の中で顔の整形を自動でやってくれる」
「みんな使ってるよ、すっごく楽しい」
などとインタビューに答えていました。
・・・私は使えない。・・・そもそも知らない。
高齢のお客様へのサービスは発想できるのですが、
若い世代へのサービスは思い浮かびません。
年代層ごとのサービス開発には年代別の人財が必要ですね。

2020/03/17 2020年3月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月17日
平等

新入社員は最初のあいだ、先輩から教えられ、
指導を受けつつ、だんだんに仕事を覚えていくわけです。
ですから、その先輩のいろいろの教えを素直に聞き、
また、わからないところはそのままに質問するなどして、一日も早く仕事を覚え、上達する。
そのようにして一人前の社員に成長していかなければなりません。
しかし、新入社員だからといって、
ただ一方的に教わるだけでいいかというと、私はそれではいけないと思うのです。
新入社員は新入社員なりに先輩に教える、というと語弊があるかもしれませんが、
日々の仕事の中で自分が気づいたことを、いろいろ提言していくようにしなくてはいけないと思います。
“自分は新入社員でいちばん後輩だし、仕事についての知識も経験も少ない。
だから、提言するなどおこがましい。
先輩に言われたとおりのことをやっていればいいのだ“というのも一つの考え方です。
しかし私は、こと仕事に関するかぎり、そういう遠慮は無用だと思います。
会社をよりよくしていこうという思いに立つかぎり、
本質的には、社長も一新入社員も平等だ、そう考えるべきだと思うのです。
先輩社員は、経験も長く、その仕事についても熟知しているでしょう。
けれども、そのためにかえって先入観にとらわれて、現状を当然と考え、
改善すべき点に気がつかないという面があります。
その点、新入社員はすべてを新鮮な目で見られますから、
〃ここはこうしたらいいのではないか〃と感じることも少なくないと思います。
それをどんどん提言してほしいと思うのです。
『社員心得帖』
自問自答
本質的に考えよ!考えることをあきらめるな!
社長も部長も新人もない!遠慮は要らない!


最近では『新たな知識を応用せよ』というのも入るかもしれませんね。
10年ひと昔はそれこそ昔のはなし。
3年の立てば技術はがらりと変わっています。
ターゲットの年代層によっては、
経験を積み上げたおじさんたちは、
新しい技術や知識で若者についていけない事実もあります。
『物事を360度から見る』の一つでしょう。

2020/03/16 2020年3月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月16日
人の心

考えてみれば、人の心というものはまことに不思議なものです。
“人情の機微”という言葉がありますが、
ほんの些細なことで、うれしくなったり、悲しくなったり、あるいは怒りを感じたり、
また、大きくふくらんだり、しぼんでしまったり、微妙に動くのが人の心です。
ですから、共同生活の中で気持ちよく生活していくためには、お互いこのことをよく知って、
他人の気持ちを考えながらふるまうということがきわめて大切なのではないでしょうか。
『人生心得帖』
自問自答
人の心は確かに微妙に動く。
無意識のうちに部下を失望させていなかったか。


そうですね。
『人の心は確かに微妙に動く』
動かない人はかなりの能天気人。
ある意味では心も鍛える必要があるのです。
「形から入って心に至る」
形から入ることが『心の鍛え方』なのですね。

2020/03/15 2020年3月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月15日
発想の転換

最近よく〃発想の転換″ということがいわれるが、これは非常に大事なことだと思う。
発想の転換とは、ひらたくいえば、見方を変えるということだろう。
今まで表の側から見ていたものを、百八十度変えて裏のほうから見てみるというわけである。
そのように百八十度見方を転換してみると、
今まで表から見ていたのではわからなかったいろいろな事象があることに気がつくだろう。
反対にこれまで、裏のほうばかり見ていたのであれば、
今度は表を見ることによって、そこに気づくものがあると思う。
そういうものをもとにして、
そこから新たな考えが生まれて、向上発展に結びついてくるということになる。
もっとも、そういってしまえば簡単のようだが、
実際に発想の転換をするのは、そうたやすいことではない。
その大切さはだれもが知っており、だからこそ声を大にして叫ばれてもいるのだろうが、
さてとなるとお互いにともすればこれまでのものの見方にとらわれて、
旧態依然ということになりがちなのが実情ではないだろうか。
それは一つには、われわれの心が狭くなっているからだと思う。
それもみずから自分の心を狭めて、
あたかも馬車馬のように自分の目の前しか見えなくなってしまっているようなところがある。
そういうことでは、ものの見方を百八十度変えることはむずかしい。
もっと心を広くしてそれによって自由な発想の転換を行うようにしなければならない。
『経済談義』
自問自答
“馬車馬”に、なっていなかったか。
“馬車馬”に、させていなかったか。


まさに昨日のラジオのお話ですね。
『今まさに』、という意味では自動車業界ですね。
クルマの心臓と言えば『エンジン』ですが、
エンジンから電気モーターにとって代わるのです。
エンジンの生産も一社でやっているわけではなく、
多くの企業がそれぞれ部品を作りくみ上げています。
業界の構成自体が大きく変化するのですね。
ガソリンスタンドはどう変化するのだろう?

2020/03/14 2020年3月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月14日
常識からの解放

常識というものはいわば先人の知恵の積み重ねですから、もちろん大事です。
けれども、新しいものを生み出すためには一度常識から自分を解放しなければならない。
そのためには熱意が強く要請されるのです。
多くの知識を身につけた人ほどそれを超える強い熱意が必要だともいえますな。
『人生談義』
自問自答
みずからの知識を超えるほどの、
強い熱意をもって、常識かからら自自分分をを解解放せよ!


昔のテレビやラジオは真空管式。
松下幸之助翁は当時、
ちいさいラジオを作るよう命じたのです。
試作を繰り返しどんどん小さくなっていきますが、
「まだ大きいな、もっと小さくならんか」を繰り返したそうです。
開発担当者は『これまでの常識』、
真空管方式で小さいラ時を開発をしていましたが、
行き詰ったことで『これまでの常識』をすて、
全く新しいチャレンジを始めたのです。
そして出来上がったのが「トランジスタラジオ」。
持ち運べるほどの小さいラジオでした。
さらに『これまでの常識』を超えていたのは、
全世界にトランジスタラジオの特許を公開し、
世界標準にしてしまったのです。
『これまでの常識』をすてることで『新しい常識』が生まれるのですね。
 

2020/03/13 2020年3月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月13日
いくらでも考えることがある

皆さんはこの会社に入った以上は、もちろん上長なり先輩に対する礼儀、
これはどこまでも必要ですが、社員としての責任感に立って、
いいと思うことに対しては、どんどん提案してもらいたいと思います。
考えていけば、一つの事柄について、いくらでも考えることがあると思います。
考えなかったなら、三十年たっても、四十年たってもわからない、ということです。
『社員稼業』
自問自答
きょう考えなければ、
5年後、10年後、20年後もわからないままで過ごしてしまうのかもしれない。
だから、
今、考える。
今、提案する。


EG黄色の私は子供のころから妄想好きで、
高校で三角関数に出会うまでは数学は大好きでした。
この問題をどう解けばよいのだろう???
ああでもない?、こうでもない?、これかもしれない?。
・・・溶けた時の快感。
数学は明確な答えがありますが、
明確な答えのない経営でも、
あの手で行くか?この手で行くか?
妄想の日々です。
・・・・・・計算問題は楽しくない。

2020/03/12 2020年3月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月12日
三百六十度の視野

世の中というものには、絶対の善や悪はない。
つまり、
こういうものは絶対必要である、こういうものは絶対いかん、というものはないんですね。
今、われわれはコレラ菌というものを恐れていますね。
ところが、もう百年ほどしたら、コレラ菌を活用する道がわかってくるかわからん。
コレラ菌の使い方がわかってきたら、
そこにどんな大きな成果があがるかわからないというように、
われわれの知識が進むと、必要でないといってたものが必要になるかもしれません。
だから、視野を狭くしてはいかん。あらゆるもの、あらゆる善悪を取り入れて、
それをそれぞれの立場に生かしていくということが大事なことやないかと思うんです。
それを、視野を狭くして、この視野に入るものだけが正しいんだ、
この視野以外のものは正しくないんだという断定は、
容認してはならないのやないかという感じがするんです。
ところが今の世相には、視野を狭めて、この視野だけが正しいんだ、
この十度の視野だけが正しいんだ、これ以外の視野にあるもの、
存在するものはいっさい悪だというような見方でものを判断しようとする傾向があるわけです。
これは非常に恐ろしいことだと思います。
自分の視野以外にあるものを生かすということに結びつかんわけです。
十度の視野のものは賛成するけれども、その十度の外のものはみな排撃してしまう。
そういうようなものの見方、
そういうような考え方があってはたいへんだという感じがします。
よく寛容の精神をもって視野を広げるということをいいますが、
寛容の精神で視野を広げるということではいかん。本質的に広げないといかんですね。
三百六十度の視野をもって、
その中にあるいっさいのものがどうしたら生きるかというような考えをもつことが、
本質的に広げることやと思います。
『松下幸之助発言集第5巻』(昭和42年の発言より)
自問自答
今の自分の“視野”は、どれほどあるだろうか-.


物を販売する会社として最低考えなけばならないのは?
一つは売る人の立場。
二つ目は購入する人の立場。
って当たり前ですが・・・、
せめてもう一つ、
三つめは仕入れ先の立場。
『相手の立場に立つ』
これは商売ではなくてもコミニュケーションの当たり前。
『三方良し』
は商売の当たり前。
まずはこの基本を押さえ成長と共に、
360度視野に拡大していきましょうね。

2020/03/11 2020年3月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月11日
創意と工夫

人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、
今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。
そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。
それは創意がなくてはできない。工夫がなくてはできない。
働くことは尊いが、その働きに工夫がほしいのである。
創意がほしいのである。
額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。
怠けろというのではない。楽をする工夫をしろというのである。
楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、
お互いにもっと工夫したいというのである。
そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。
『道をひらく』
自問自答
残業して成果を出す部下がいる。
残業せずして成果を出す部下もいる。
どちらをより高く評価すべきだろうか-


『働き改革』の本来の目的は、
「労働時間短縮・収益下降」ではないはずです。
幸之助翁の言われるように、
収益は上昇。
・・・悪くても維持しなければ何のことやら。
多くの社員にとっても労働時間短縮し、
給与が大幅に下がってしまうようでは本末転倒。
私たちが取り組むチーム活動がしっかり機能すれば、
本来の働き方改革を実現できますね。
 

2020/03/10 2020年3月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月10日
絶えず先を見る

幕末のころ、土佐の槍垣清治(ひがきせいじ)という人が、
そのころ土佐で流行していた大刀を新調し、江戸から帰ってきた坂本龍馬に見せたところ、
龍馬は、「きさまはまだそんなものを差しているのか。おれのを見ろ」と言って、
やさしいつくりの刀を見せました。
そして、「大砲や鉄砲の世の中に、そんな大刀は無用の長物だよ」と言いました。
清治は「なるほど」と気がつきました。
そこで、龍馬のと同様の刀をこしらえて、そのつぎに帰ってきたとき見せました。
すると龍馬は、
「このあいだは、あの刀でたくさんだと言ったが、もう刀などは要らんよ」と言いながら、
ピストルを取り出して見せたというのです。
またそのつぎに帰ったときには、「今の時勢では、人間は武術だけではいけない。
学問をしなければならない。古今の歴史を読みたまえ」と勧めたということです。
さらにそのつぎに会ったときには、「面白いものがあるぞ。万国公法といって、
文明国共通の法律だ。おれは今それを研究しているのだ」と語ったそうです。
清治は、「そのように龍馬にはいつも先を越されて実に残念だった」と人に語ったといいますが、
坂本龍馬という人はいつも先々を見ていたから、そういう姿も出てきたのではないかと思われます。
そしてそういう、現状にとらわれない、絶えず先を見るというような姿は、
やはり素直な心が働いているところから生まれてくるものではないでしょうか。
『素直な心にまるために』
自問自答
とらわれず、絶えず先を見る龍馬のように、
自由自在、融通無碍に生きる人になれるだろうか-。


龍馬はEGでいうと黄色タイプなのかな?
それぞれのタイプで着眼点は違うでしょうが、
意識はいつも、
『現状にとらわれず先を見る』
ここは大切ですね。
そのためにも、
「まずは10年目の前のことに集中して取り組む」
森信三先生の言葉です。
 

2020/03/09 2020年3月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月9日
自己観照

昔から“山に入る者は山を見ず”とかいいますが、
山のほんとうの姿は、あまり山の中に入りすぎるとわからなくなってしまいます。
山の中にはいろいろな草木もあれば、石ころもある。
それらも山の一部ですが、しかしそれだけが山の姿ではありません。
山の全貌を正しく知るには、やはりいったん山から離れて、
外から山を見るということもしなければならないと思うのです。
お互い人間の心についても、これと同じことがいえると思います。
また実際、お互いだれしもそういうことを、ある程度はやっているのではないでしょうか。
たとえば何かを夢中になってやっているときに、ハツとわれに返るというか、
自分は何をやっていたのだろうと、冷静に思い返してみるというようなこともあると思うのです。
それをいつも冷静にできるように心がけ、また実際にやっていくわけです。
もちろん自分の心を内から外へ出し、
そして外から内を眺めるというように心を去来させることは、
ほんとうはなかなかむずかしいと思います。
しかしそれを心がけ、みずから訓練していくことによって、
しだいにできるようになると思うのです。
要は、そういう自己観照によって、みずからのとらわれに気がつき、
これを正していくということです。
つまり正しく己をつかむことによって、
自分本位に陥らず、物事を判断することができるようになると思うのです。
したがって、この自己観照は、とらわれのない素直な心を生むことに通じますし、
その素直な心をしだいに高めて、
常にものの実相を正しくつかむことができるようにもなると思います。
したがって、自己観照とは、素直な心を養うための一つの実践であり、
お互いに事にあたり時に応じてこの自己観照を心がけていきたいものだと思うのです。
「素直な心にをるために」

自問自答
外部のコンサルティングファームに経営分析を依頼するように、
自家製の心のコンサルティングファームを設立してみよう。
自分のほんとうの姿を眺めてみよう。


この年になって思います。
自己観照とは・・・、
ギリギリまで追い詰められて・・・、
崖から落ちる寸前に・・・・・・、
「天からお告げのように降りてくる」
・・・、
自己観照とは?ではなく、
自己観照を続けていると・・・、
極限に追い込まれて・・・
・・・お告げのように降りてくる。
が正しいのかも。
・・・わかんないけど、
逃げずに『何とかするしかない』前向きの姿勢でいると、
神様か?仏様か?・・・それもわからないが助けてくれる。
・・・・この年になるまで何度も助けられています。

 

2020/03/07 2020年3月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月8日
口に出して唱える

お互いが素直な心の大切さをよく認識し、
素直な心になりたいと強く願いつつ日々の生活を営んでいくところから、
しだいに素直な心が養われていくのではないかと思いますが、
実際には往々にして日々の忙しさにとりまぎれ、
素直な心になることをつい忘れてしまうということもあると思われます。
そこで、お互いが素直な心になるということを忘れてしまうことのないように、
折にふれ、時に応じて、
お互いに「素直な心になりましょう」とか「素直な心になって」ということを、
いわば一つの合言葉のように口に出して唱えあうということが必要ではないかと思います。
たとえば、朝起きてお互いが顔を合わせたならば、「おはようございます。
きょうも素直な心で過ごしましょう」とあいさつをかわす。
仕事の打ち合わせをする前には、
「それでは素直な心で検討しあいましょう」とみんなで唱えてから話を始める。
また、どういう話をする場合でも、
「素直に考えたならば、こういうことになるのではないでしょうか」とか、
「素直に見て、このように言えるでしょう」とかいうように、
絶えず互いに素直ということを口に出しつつ話を進める。
こういうように、いってみれば寝てもさめても、いても立っても、
日常のすべての会話、行動の中において、
絶えず素直になるということを念頭におき、それを口に出して唱えるわけです。
仏教においては、“念仏三昧”というようなこともいうそうですが、
この場合はいわば“素直三昧”というようなことにもなるでしょう。
しかもそれは、自分一人でも素直三昧をすると同時に、
互いにそういう姿を生み出していくわけです。
「素直な心になるために」
自問自答
何ごとも口に出すことから始まる。
思いを念頭において口に出す。唱える。行動する。


3KM手帳を折に触れて黙読する時間を作りました。
本当は音読することがより効果は高いのですが、
勉強会の時間を使っているので、
周りには大勢の人がおりそうしています。
口に出すことはとても大切です。
「思っていても口に出さなければ思っていないも同じ」
・・・と典子さんからよく言われています。
 

2020/03/07 2020年3月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月7日
自然の営みにふれる

お互いが素直な心を養っていくために大切なことの一つに、
自然と親しむというか、大自然のさまざまな営み、
姿というものにふれるということもあるのではないでしょうか。
自然の営みというものには、私心もなければ、とらわれもないと思います。
いってみれば、文字どおり素直に物事が運び、
素直なかたちでいっさいが推移していると思うのです。
したがって、そういう大自然の営みの中に身をおいて、
静かに自然の形を見、その動きを観察していくならば、
しだいしだいに素直な心というものを肌で理解し、
それをみずからの内に護っていくということもできるようになると思うのです。
「素直な心になるために」
自問自答
かの「老子」ににもも“上善如水”とある。
水のごとく、自然の営みを感得した生き方、
素直さを内面に養っていくことを心がけたい。


ナポレオン・ヒルのいう『成功哲学』の中でも、
自然の法則のついて書いてあったと思います。
私の解釈ですが、
「水は高いところから低いところへ流れる」
経営戦略もその他の戦略や手段も、
水が流れるような筋道を作ると、
時間の経過とともに流れていく。
無理やりの戦略や手段は、
水を高いところに流そうとしているのと同じ。
時間の経過とともに氾濫を起こします。
松下さんは『宇宙根源の法則』と言われていますね。
 

2020/03/06 2020年3月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月6日
素直な心

それでは素直な心とはどういう心であるのかといいますと、
それは単に人に逆らわず、従順であるというようなことだけではありません。
むしろほんとうの意味の素直さというものは、力強く、積極的な内容をもつものだと思います。
つまり、素直な心とは、私心なくくもりのない心というか、
一つのことにとらわれずに、物事をあるがままに見ようとする心といえるでしょう。
そういう心からは、物事の実相をつかむ力も生まれてくるのではないかと思うのです。
だから、素直な心というものは、真理をつかむ働きのある心だと思います。
物事の真実を見極めて、それに適応していく心だと思うのです。
したがって、お互いが素直な心になれば、
していいこと、してならないことの区別も明らかとなり、
また正邪の判別も誤ることなく、何をなすべきかもおのずとわかってくるというように、
あらゆる物事に関して適時適切な判断のもとに力強い歩みができるようになってくるのではないかと思います。
つまりお互いが素直な心になったならば、〃強く正しく聡明になる〃と思います。
聡明になるということは賢くなるということです。
素直な心が高まっていったならば、賢さがしだいに高まってきて、
ついには神のごとく聡明に賢くなるというか、
神のような叡智をもつことができるようになるといえましょう。
そこからは、常に判断を過たず、強く正しく行動できるようにもなってくると思うのです。
『素直恋心になるために』
自問自答
尊敬するあの人は
どうして“正しく強く聡明”なのか。
どうして“見識が高い”のか。


そのとおりですね。
小山さんはとても力強く、積極的です。
しかし、価値観の基本には『一倉定』氏からの学びがあります。
その内容を知れば、
小山さんがいかに素直に学ばれていたかということがよくわかります。
『ほんとうの意味の素直さというものは、力強く、積極的』なのですね。
一倉定氏の本は沢山出ていますので読んでみてください。
私は最近とても高い本を一式購入しました。

2020/03/05 2020年3月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月5日
一日一回

「松下君、君は素直な心になったらいいという。
わかったようなわからないような、わかるような感じもするのだけれども、
それではどうすれば素直な心になれるのか」と、こういう質問を受けました。
それで私はそのとき、
「ぼくは素直な心にならなければいけないと自分でも思っているし、
君にも話したのだが、素直な心というのは非常に尊いものだ。
その尊いものは、一朝一夕には得られないとぼくは思う。
もし君が素直な心になってものを見ていこうと欲するならば、
毎日、朝起きたときに、きょうも素直な心で物事を見ていこう、
対処していこうということを、神様に向かってでもいいし、
仏様に向かってでもいいから、
あるいは、そういうものなしに自分の心にそれを言って聞かせても、
それはどうでもいいけれども、とにかく一日一回はそういう気分になることだ」
「それは君、なれるか」
「それはなれる。しかし、素直な心が常に働くということは、素直な心の初段になるということだ」
「君、素直な心に段があるのか」
「いや、段があるわけではないけれども、段階をいうと、素直な心の初段者といえば、
相当にいつの場合でも素直に心が働くから、まず失敗はないだろう」
「じゃあ君、初段にはどうしたらなれるのか」というような会話をかわしたのです。
「社員稼業」
自問自答
松下幸之助は晩年に“自分は素直の初段”と言っていたという。
ならば、自分は“素直な心”の何段だろうか、何級だろうか。


私は3KM手帳に、
『毎日仏壇に線香』と書いています。
手を合わせ先祖に感謝し、
その時だけでも『素直』に・・・。
まだまだ素直ではない私は、
それが習慣化されていません。
3日坊主を繰り返し数年・・・。
素直の初段ははるかかなたで・・・まだ視界にもありません。
・・・修行。

2020/03/04 2020年3月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月4日
素質

私は、お互い人間はあたかもダイヤモンドの原石のごときものだと考えている。
つまり、ダイヤモンドの原石は磨くことによって光を放つ。
しかもそれは、磨き方いかん、カットの仕方いかんさんぜんで、
さまざまに異なる燦然とした輝きを放つのである。
それと同じように、
人間はだれもが、磨けばそれぞれに光る、さまざまなすばらしい素質をもっている。
だから、人を育て、生かすにあたっても、
まずそういう人間の本質というものをよく認識して、
それぞれの人がもっているすぐれた素質が生きるような配慮をしていく。
それがやはり、基本ではないか。
もしそういう認識がなければ、いくらよき人材がそこにあっても、
その人を人材として生かすことはむずかしいと思う。
『人を活かす経営』
自問自答
人材がいないと嘆いていなかったか。
人間の本質をよく認識して、
その人ならではの素質を生かす、
そういう努力に欠けていなかったか・・・・・・。


「すべての人が努力すれば東京大学に入れる。
入れないのは自分磨きが足りていないから光っていないだけ」
・・・・とは言いません。
ダイヤの原石にも細分化されたグレードはありますが、
すべて『本物』。
磨けば本来のグレード通りの輝きを放ちます。
人間ですから個人差はもちろんありますが、
すべての人がみんな『輝く』のです。
 

2020/03/03 2020年3月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月3日
新しい解釈

実際問題としては、私も常に深刻な悩みにぶつかる。
これは人間だからしかたがない。しかし、ぶつかってからどうするかということである。
ぶつかりっぱなしではどうしようもない。ぶつかっても、すぐに思い直すのである。
自問自答というか、自分自身に言い聞かせる。これは悩んではいけないのだ、
悩まないようにしよう、というように考える。
そして、そう考えるだけでなく、
同時に、その悩みを生じている問題を乗り越えるような見方というか解釈をするのである。
すなわち、悩みに負けないというか、
自分の心がしぼまないように、むしろ心がひらけるような解釈をするのである。
卑近な例をあげれば、かりに長雨が続いていやだということで悩んでいたとするならば、
いやこの長雨によって豊かな水が供給され、人間生活に役立つのだ、というように考える。いってみれ
ば、そういう見方の転換をするわけである。新しい解釈をする。
もちろん、実際に起こってくる問題は、そういう雨の場合のような簡単な問題ではない。
もっと複雑な問題が多い。
だから、そういう新しい解釈はすぐには出てこない。
それで、そういう解釈にたどりつく前には、やはり何時間か、また長いときには何日間も悩む。
これはやむをえない。これはしかたがない。
そのように、私も常に悩みをもっているのである。ただ、その悩みに負けてしまわない。
最後の結論においては、
自分なりに新しい見方、解釈を見出して、その悩みを乗り越えていくわけである。
『人を活かす経営』
自問自答
悩みやストレスに負けてしまう自分がいる。
悩みやストレスを乗り越える自分もいる。
いつも“乗り越える自分”でありたい。


『新しい解釈』=『新しい発想』
だと思っています。
『屁理屈』かもしれません。
・・・しかし、そこからガスター度だと考えてもいます。
解釈は一つではありません。
だから裁判所があります。
法的な解釈は弁護士に相談し、
最終は裁判所でおこないましょう。

2020/03/02 2020年3月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月2日
世の中はずかしくない

朝起きて晩まで緊張しづめですと疲れますからね、
一所懸命やるという心持ちと同時に、息抜きというようなことも必要でありましょう。
緊張につぐ緊張をもって続けることはたいへんむずかしい。
しかし、心の底にはその精神をぐっと握ってやらなくてはならんかと思うんです。
それにはやっぱり、その仕事に興味をもたなくてはいかんと思うんです。
その仕事に興味をもつかもたないかは、
生来その仕事に向かない人もなかにはありますが、大部分はその仕事の使命感がわかってくると、
尊さもわかってくるから、興味も湧いてくることになると思うんです。
だから、その仕事に対して非常に理解がなければいけない。
そこから興味が湧き、熱意が湧いてくる。
勝っても負けても泣くというように自然になってくるんであります。
いやでしかたがないけれども一所懸命やることは、これは疲れますわ。
すぐに肩が凝ります。またスカタンをするし、能率が上がらない。叱られる。不平が起こる。
けしからんやつちやと、こうなる。
簡単ですね、成功の道と不成功の道はきわめて簡単だと思うんです。
私は、世の中というのは決してむずかしくないと思うんです。
むずかしくないものをむずかしくするのはだれかというと、本人自身ですわ。
自分自身がむずかしくしている。ほんとうは坦々たる大道がひらけているんです。
『松下幸之助発言集第11巻』(昭和37年の発言より)
自問自答
目の前にひらけているわが大道は、
いったいどんな道だろうか。


『使命の道』
というと重荷に感じてしまう人もいるのかな?
『尊さの道』
のほうが肩の力を抜くことができるのでしょうか?
私が手帳に毎年書いている
『正義の道を守ること』
空手道場修武館の道場訓ですね。
「使命の道」「尊さの道」「正義の道」
まさに大道ですね。

 

2020/03/01 2020年3月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
3月1日
“なぜ”と問う

子どもの心は素直である。
だからわからぬことがあればすぐに問う。“なぜ、なぜ”と。
子どもは一所懸命である。熱心である。
だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える。
考えて納得がゆかなければ、どこまでも問い返す。“なぜ、なぜ”と。
子どもの心には私心がない。とらわれがない。
いいものはいいし、悪いものは悪い。だから思わぬ物事の本質をつくことがしばしばある。
子どもはこうして成長する。“なぜ”と間うて、それを教えられて、
その教えを素直に自分で考えて、さらに〃なぜ〃と問い返して、
そして日一日と成長してゆくのである。
おとなもまた同じである。
日に新たであるためには、いつも“なぜ”と問わねばならぬ。
そしてその答えを、自分でも考え、また他にも教えを求める。
素直で私心なく、熱心で一所懸命ならば、“なぜ”と問うタネは随処にある。
それを見失って、きょうはきのうのごとく、あすもきょうのごとく、
十年一日のごとき形式に堕したとき、その人の進歩は止まる。
社会の進歩も止まる。
繁栄は“なぜ”と問うところから生まれてくるのである。
『道をひらく』
自問自答
“なぜ”と問うことをやめたとき、進歩は止まる。
進歩を止めてはならない。決して止めてはならない。


先日『自己観照』というテーマがありました。
それを手助けする「なぜ、なぜ」ですね。
木野先生から聞いたのかな?
「松下幸之助から、
『君、あれどうなった』
『ほう、それで・・・』
『なんでや』・・・・
と会うたび聞かれ自己観照を深めている」
のようなお話でした。

2020/02/29 2020年2月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月29日
道程

「ローマは一日にしてならず」という言葉があるけれども、
どんなものにも、それが今日ここにあるということの裏には、
それぞれにそれぞれの生い立ちなり、経過なり、事情というものがあるわけで、
その背景というか道程というものを無視したり、無視しないまでも深い考慮を加えずに、
軽率に言動することは、お互いに十分に慎みたいと思うのである。
道端の無心な石一つ、草一本にも、
それがそこにあることにはいろいろの事情があり、流転があったにちがいない。
そして、草に心があり石に口があったならば、われわれにその流転を語り、
今日ここにあることの事情を切々と話しかけるにちがいない。
われわれは事をなすにあたって、
その事の成果を大事にすることはもちろんであるけれども、
同時にその成果を生むまでの過程をも、もっと重視したい。
そうすることによって、自然な謙虚さが生まれ、
軽率な判断も、これを避けることができるようになるであろう。
松下電器が、今日ここにあるまでには、
やはりいろいろの道程をたどってきたのである。苦しみもあったし喜びもあった。
狭く暗いトンネルを、半ば這うようにしてくぐり抜けてきたこともあった。
しかし、そんなときも、お互いが伝統の精神に生きて身を寄せあい、
心をしっかと結びあい、隠忍自重(いんにんじちょう)、
絶えまない努力を続けてきたのである。
これらの生い立ちなり道程については、お互いにある程度は知っておきたい。
ことに、管理監督の立場にある人は、仕事の知識もさることながら、
会社の歴史についても、深い理解をもってほしいと思うのである。
『松風』昭和52年5月号(昭和34年の文章より)
自問自答
軽率にきょうのみを論じていなかったか一。
きょうを大事にするだけでなく、
その裏にある背景、道程、歴史も重視したい。大切にしたい。


人もローマも一日にしてなりませんね。
人は一人ひとり、
顔も違えば、得意不得意もそれぞれ。
成長のための基本マニュアルはもちろん必要ですが、
それぞれの個性に合わせた指導なくして成長はありません。
指導者はある意味我慢との戦いです。
 

2020/02/28 2020年2月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月28日
生きがい

人間としてこの世に生を享けた以上、
やはり生きがいの感じられる人生を送りたい、というのがお互いだれしもの願いでしょう。
これといった生きがいももたず、ただなんとなく毎日を過ごすということでは、
決して幸せな人生とはいえないと思います。
それでは、その生きがいをどういうところに求めるかということになりますが、
これは現実にはいろいろな姿があるでしょう。
ある人は趣味とかスポーツが生きがいだというかもしれません。
あるいは、自分の生きがいは家庭であるとか、子どもの成長だという人もあるでしょう。
また、お金をためることだとか、
おいしいものを食べることを最大の生きがいにする、という人もあると思います。
生きがいというものは、そのように人それぞれにいろいろあると思いますし、
またいろいろあっていいと思います。
『人生心得帖』
自問自答
人それぞれの生きがいがあっていい。
その“それぞれ”を認める人でありたい。


『仕事が趣味』という、
小山さんや田舞さんのような人もいます。
とは言え、
小山さんは家族、個人のための時間を“あえて”とっていますね。
田舞さんは・・・仕事中心の人生なのかな?
・・・個人はほぼ仕事に使っているように見える。
「仕事は家族や趣味のために我慢しながらやり続けるもの」
こんな人もいるでしょう。
・・・幸せそうな人生ではありませんが。
土屋会長の言う個人、家庭、会社のバランスの中で、
すばらしい『生きがい』を創っていきたいものです。
小山さんはそのバランスをとりながら仕事を趣味にしているって、
・・・やっぱりすごい。

2020/02/27 2020年2月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月27日
われ何をなすべきか

自省の強い人は、自分というものをよく知っている。
すなわち、自分で自分をよくみつめていのである。
ぼくはこれを〃自己観照〃と呼んでいるけれども、
自分の心を一ぺん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。
これができる人には、自分というものが、素直に私心なく理解できるわけである。
こういう人には、過ちが非常に少ない。
自分にどれほどの力があるか、自分はどれほどのことができるか、
自分の適性は何か、自分の欠点はどうしたところにあるのか、というようなことが、
ごく自然に、何ものにもとらわれることなく見出されてくると思うのである。
そうした上に立って、〃われ何をなすべきか〃を考えるのだから、
その人の行動に過ちの少ないのは、いわば当然のことなのであろう。
人間の心の働きというものは、今も昔も、そうたいして変わっていないようである。
戦国時代の武将たちの興亡の歴史をふり返ってみても、
この自己観照ができている武将と、そうでない人たちとの違いが、
そのまま浮沈につながっていることが多く、まことに興味深いものがある。
また、たとえばヒットラーにしても、彼はドイツ一国の再興をはかり、
その経営を行う上においては、まことにすぐれた一面をもった人物であったと思うのだが、
この彼がドイツ一国から、すすんで欧州全体の経営にまで乗り出そうとしたとき、
彼の心にはすでに自己観照の態度が失われていたのではないかと思う。
そこに彼自身の破滅があったし、ドイツ国民の悲劇もあったといえるのではなかろうか。
『松風』昭和39年2月号
自問自答
"自己観照”を習慣にする!


ここで書かれているレベルにははるかに及びませんが、
時々『自己観照』をしています。
何が正しいのかがわからなくなった時などに行うのです。
とことん論理的に深堀し、
自分で納得する答えが見えてくるまで続けます。
とことん『論理的』で、より正しい『健全』を探します。
 

2020/02/26 2020年2月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月26日
自己認識

私は皆さんが皆さん自身の力を過たず認識することが大切だと思います。
皆さんが、自分の総合の力は今どの程度であるか、それはどう培養されているのか、
ということを認識することが非常に大切だと思うのです。
これは、自己認識とでもいうのでしょうか。
そういうことを皆さんが考えつつ仕事をしていけば、
個々に多少の失敗はあっても、大きな失敗は絶対ないと思います。
ところが、この自己認識というのは、相当むずかしいことだと思うのです。
しかし皆さん個人が自己認識する以上にむずかしいのは、会社全体の力の判定ということです。
自分が自分を判定するのもむずかしいが、
自分の会社の総合した力を認識するのはそれ以上にむずかしいのです。
しかしそのむずかしい認識をある程度しなければ、
ほんとうに誤りのない仕事はできないと思うのです。
会社の経営者は、いろいろと計画を立てることも必要です。
けれどもその計画を立てる根底は、そういう自己の力の認識でなくてはならないと思います。
その力に見誤りがあったならば、大きな失敗があるだろうと思うのです。
私の会社でも、過去に幾多の失敗を重ねました。
その失敗の原因を尋ねてみると、やはり全部会社の力の認定を誤っているわけです。
社長はもちろん、重役、部長でも、
その人が担当している仕事を進めるにあたって失敗がある場合は、必ず自己認識を誤っています。
それは小にしては自分自身を見誤っている。
またその部門ならその部門の総合の力の認識を誤っている。
そういう誤りの上に仕事の計画を立て、遂行している。
こういう場合には必ず失敗するという幾多の実例があるのです。
『道は無限にある』
自問自答
失敗の原因を尋ねてみる。元をたどっていくと、
結局は“自己認識“がどれほどできていたかということになってしまう。


日本政府のコロナウイルス対応がそれではないでしょうか?
昨日TV 報道番組で、
コロナウイルスの検査を受けさせてもらえない、
乳幼児や妊婦さんそのほか大勢の人がることを知り唖然としました。
「中国では正しい報道はされないため、
実際はその数倍の感染者がいる」
と以前TVで言っていましたが、
昨日のTV番組で日本の対応は中国と変わらないではないかと・・・。
日本のトップの自己認識はどうなっているのか心配になります。

2020/02/25 2020年2月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月25日
大道と畦道

人間にはすべて、それぞれ名前がある。
まず、その名前をはっきり認識することである。
たとえば山本三郎であれば「自分は山本三郎だ」とはっきり自分に感じなければならない。
その上にもう一つ重要なものがある。
「自分は日本人の山本三郎だ」ということである。
さらにその人が会社に入ると、
もう一つ「日本の○○会社の社員何某(なにがし)である」という認識を新たにしなければならない。
そして会社と運命を共にするという気持ちを、自分の心に植えつけ信念化することが望ましい。
そうすれば、その人の存在価値というものは非常に強くなり、
またその人の周囲をも感化することができるわけである。
しかしこういうような人物は、どこの会社でも非常に少ないが、
成功者の多くは、この人たちの中から生まれていると思う。
私は成功というものは、いともたやすいことだと思う。
しかし必ずしも多くの人が成功しないということは、
大道があるのに無理に畦道を歩いていくからである。
目の前に大道があるのに、こちらのほうがよさそうだなどといって畦道を通れば、
溝に落ちたり、落ちないまでも道が悪いから、なかなか進まないということになるのである。
『物の見方考え方』
自問自答
強い気持ちを信念化するほどに自分の心に植えつける。
そんなことをどれほど経験しただろうか。


28歳の時『成功哲学』という大道を知りました。
ナポレオン・ヒルの何かの本に同じようなことが書いてあったと思います。
たとえば山本三郎であれば「自分は山本三郎だ」とはっきり自分に感じなければならない。
その上にもう一つ重要なものがある。
「自分は日本人の山本三郎だ」ということである。
さらにその人が会社に入ると、
もう一つ「日本の○○会社の社員何某(なにがし)である」という認識を新たにしなければならない。
そして会社と運命を共にするという気持ちを、自分の心に植えつけ信念化することが望ましい。
そうすれば、その人の存在価値というものは非常に強くなり、
またその人の周囲をも感化することができるわけである。
しかしこういうような人物は、どこの会社でも非常に少ないが、
成功者の多くは、この人たちの中から生まれていると思う。
2週間くらい前のつぶやきメールで、
『自分を見失った人間が何人集まっても烏合の衆』
というのがありました。
まさに上記の意識の薄い人のことを指していると私は思っているのです。

2020/02/24 2020年2月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月24日
話を聞く

皆さんでも会社に入って、三、四年したら、こんなことしていたらダメじゃないか、
という点をたくさん発見すると思います。
それがしばらくすると、もうわからなくなってしまいます。
けれども入ってまもなくだったら、純真ですからよくわかるのです。
だからなにも人を陥れるとか、そういう意味でなく、気のつくことがたくさんあります。
こういうことをやってみたらどうですかというようなことを、
責任者にいくらでも言えると思うのです。
また責任者も、
非常に喜んでそれを聞くようにしようではないかということを、私は話してあります。
「われわれは上長として最善を尽くしているけれども、そう心がけてはいても、
何が正しいかわからなくなる場合もある。
第三者的な人、新入社員にもいろいろ意見を聞くことによって、なるほど、
それは考えないといけないな、ということがたくさんあるのだから、
なるべく皆に話を聞くようにしないといけない」ということを始終話しているのです。
『社員稼業』
自問自答
新人だから、若手だからと、意見をないがしろにしていなかったか。
彼らの“発見”を素直に取り入れる空気を組織内につくり出していたか。


「基本がわかっていない人からも意見をもらう」
聴く側があえてゆとりを持たないとできませんね。
その人の学びのため?
・・・とんでもないアイデアが飛び出るかもしれません。
子供が小さかった頃の言動のなかで、
「なるほど大人は固定概念を持ちすぎる」
と感じることは何度もありました。

2020/02/23 2020年2月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月23日
消化

プロとしての自覚に立ってもらいたい。
こと技術に関しては、
だいたい間違いないものを自分が握る、というところまでもっていってもらいたい。
広範な技術でありますから、
専門外の分野までそこまで行ってくれとは、これは申しあげません。
それは無理であります。
けれども、
自分が担当している技術、自分が専門にしている技術については、
十年たてば一人前であるかどうか、
技術部長に任命されても完全にやってのけるという腕をもっておるのかどうか、
それを自問自答してもらいたい。
そして、もっていないと思うならば、
もつように勉強するにはどうしたらいいかをお考え願いたい。
自分一人でできるのか。自分一人でできなければどうしたらできるのか。
それは先輩に教えを請うということも一つの方法でしょう。
同僚に相談してお互いに勉強しあうということも方法でしょう。
社内にそういう人がなければ社外にそれを求めるということも必要でしょう。
あるいは部下にそれを求めるということもできましょう。
部下は自分より技術が下だ、
だから部下に求めても成長しないだろうと思ったらたいへんな間違いである。
半分は先輩から教えてもらう、半分は部下から教えてもらう。
その二つの教えを自分が消化をして、みずからそこにものを求めていく、
ものをつくりあげていく、わが腕にする、
わが技術にするということがなくてはいけないと思うのであります。
『松下幸之助発言集第羽巻』(昭和48年の発言より)
自問自答
先輩・同僚・部下からの教えをどれほど消化できていたか。
わが“技術”にできているか。


子供のころを思い出してください。
野球やサッカーを始めたころ、
・・・最初はもの真似。
徹底的に真似をしているうちに自分の技術になっていくのです。
・・・が、自分では消化できないレベルまで行くと、
ちゃんと消化できる人の指導を仰ぐ。
プロ野球選手になっても、
さらにコーチと共にレベルアップを目指しているのですね。
 

2020/02/22 2020年2月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月22日 真似と参考

山岡荘八という人が、徳川家康の伝記を書きました。
あれが相当、実業界ではやったのです。
経営する者は、家康の伝記を読めというのです。
家康がどういうときにどういう人を使っているか、
どういうようにやっているかということが、ちゃんと研究して書いてあるのです。
これは非常にためになるというので、実業界の幹部たらんとする人はみなそれを読んだわけです。
それを私はある人に勧められたのです。
「君も読んだらどうか」と。
「どういうわけで読むのか」と聞くと、
「それはつまりなかなかためになるぞ」と言う。
「いやそれは、ぼくはあかん」と、私言ったのです。
「なぜあかんのか」
「それは君、家康しかできないことが書いてあるのだろう。
家康でない者が家康のするとおりしたら失敗するではないか。
自分は読む必要がないと思う。
けれどそれは面白いから読めとか、慰安になるから読めとか、
軽い参考になるから読めというのだったら、それは読むけれども、
ためになるからそのとおりやれとなると、これはえらい失敗をする。
松下と家康とは違うのだ。
家康もぼくのしたとおりやったら失敗するだろうし、
ぼくも家康のしたとおりやったら失敗する」。
これは皆さんもそうです。
ここが非常に大事なことです。
あいつはうまくやった、おれもあのとおりやろうと思ったら、なかなかうまくいきません。
たとえば今、Aという歌手が非常に人気があるとします。
けれど、あいつはうまくやる。おれもあのとおりやろうと思っても、やれません。
それはAだけに与えられた一つの性格です。まあ性質というか素質です。
「あいつは歌でやるけれども、おれは歌でない他のことはあいつよりうまいぞ」と言って、
他のことをやれば、これは成功します。
だから、当時の家康が、武将として、また経営者としていかにすぐれていても、
われわれは家康と違うのです。
「それを家康がやったとおりをためになるからといって真似をするために読んだのではいけない。
だからそれを軽い参考に読むのならいい」。
このように私は、まあ屍理屈を言ったのです。
『社員稼業』
自問自答
「松下幸之助」の“真似”をしてはいけない。
“参考” にしなければいけない。


同じ業界の真似は、
・・・二番煎じを超えることはできません。
他の業界の真似は・・・、
自分の業界ではオリジナル。
これを松下幸之助翁は『参考』と言ったのですね。
 

2020/02/21 2020年2月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月21日
自由自在

考えてみると、人間の心というものは、まことに不思議なものです。
ぼくは、人間の心をよく孫悟空の如意棒(によいぼう)にたとえて考えるのですよ。
ご存じのように、孫悟空の持っている如意棒は、孫悟空の思うように伸びたり縮んだりします。
ときには六尺に伸びて悪人をこらしめたり、小さく縮んで耳の穴に入ってしまったり。
まことに自由自在ですわ。
人間の心も、ちょうど、この如意棒のようなものではないでしょうか。
いわゆる悲嘆のどん底に沈んだ心は、この如意棒が小さく縮まった姿ですね。
そんなときは伸ばしてやらなければならない。
反対に天下でもとろうというぐらいの勇気凛々とした心は、如意棒が大きく伸びたときの姿です。
これも伸びすぎると、少し縮めてやらねばならない。
そのように、ある場合にはぐんと伸ばしてみたり、ある場合には多少縮めてみたり、
人間が自由にあやつれる人間の心というものは、まことに面白いものだと思います。
『人生談義』
自問自答
きようの自分の心を客観的に眺めてみたらどうなっているか。
縮みすぎていないか、伸びすぎていないか・・・。


視野なんかそうですね。
広く全体を見たり、スポットを当てたり、虫眼鏡で見たり、
・・・顕微鏡なっていうのもありますね。
表から見たり、裏から見たり。
とても大切です。
業績も伸びればよいということではありません。
踊り場が必要ということもお知りおきください。
 

2020/02/20 2020年2月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月20日
悩み

たとえば、腕に一つの小さいできものができると、そのできものが非常に気になる。
けれども、今度は腹の一部に大きなできものができたとなると、
小さいできものはもう忘れて、大きいほうだけが気になる。
そういうものである。
悩みもそれと同じではなかろうか。
常に一つに集結する。
百の悩みをもっていても、結局、悩むのは一つ。
いちばん大きなものに悩みをもつ。
そういうものである。
私の今までの経験の中でも、同時に五つも六つも問題が起こったこともある。
それぞれが、いわば悩みのタネである。
どれも頭が痛い問題である。
しかし、そういう姿をくり返しているうちに、
やがて、一つの悩みも十の悩みも結論は一緒だなということに気づいた。
結局、そのときのいちばん大きな悩みが頭を占めることになる。
それで頭がいつぱいになれば、他のものはみな第二、第三になってしまう。
そうなるから、またなんとかやってこられたわけである。
十も二十も悩みがあって、それを全部同時に悩んでいたのでは、とても身がもたない。
ところが、うまい具合にそうはならない。
いってみれば心の自然な働きとして、人間はいちばん大きな悩みだけしか悩まない。
そうなっている。
もちろん、それであとの悩みが解消してしまうわけではない。
しかしそれほど心を悩ませない。
そこで、人間はなんとかやっていける。
生きていく道が生まれてくるのである。
『人を活かす経営』
自問自答
きのうまで悩みに悩んだ、頭痛のタネが、
新しい悩みの登場によって、少し薄れている。
人間の心は案外うまくできているものだ一


瞬間、瞬間でいうと考えていることは一つだけ。
と開き直ってストレスをためない努力をしましょう。
・・・ですが、
『潜在意識の活用』は人生の成功にとって重要な役割を果たします。
潜在意識に問題や課題をとどめ、
健在的には意識せず潜在的に意識することで、
ストレスをためず解決のヒントを見つけるのです。
是非お試しください。
 

2020/02/19 2020年2月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月19日
治療

人が病気にかかるように、会社も、また国も、
ときには病気におかされるというような場合があると思う。
そういったときには、個々人であれば薬を飲んだりして治す。
しかし、会社や国となると世間体を気にして、飲むべき薬も飲まないでおくという場合も出てくる。
つまり、病気にかかっていることを知られたくない、という気持ちが働くのである。
けれども、薬を飲まずにおいたら、
一日で治る病気が五日も十日も治らない、というようなことになってしまうかもわからない。
だから、会社とか国が、どうも好ましくないというような状態に陥ったと気づいた場合には、
やはり体面を気にせず、蹄踏することなく、すぐに治療することが大切だと思う。
なすべきときには何でもなさねばならないと思うのである。
「思うまま」
自問自答
みずからの組織・会社が“病気”におかされている。
この病には、どんな“薬”が必要なのか-。


日本のコロナウイルス対応は、
「対応が遅かった」と言われています。
これだけ交通網が行き届いていれば、
日本中のどこで感染患者が出るかわかりません。
・・・とは言え、
中国武漢では昨年12月には医師が警告していたにもかかわらず、
1月下旬になってやっと発信。
日本での患者拡大の大きな原因だた思われます。

2020/02/19 2020年2月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月19日
治療

人が病気にかかるように、会社も、また国も、
ときには病気におかされるというような場合があると思う。
そういったときには、個々人であれば薬を飲んだりして治す。
しかし、会社や国となると世間体を気にして、飲むべき薬も飲まないでおくという場合も出てくる。
つまり、病気にかかっていることを知られたくない、という気持ちが働くのである。
けれども、薬を飲まずにおいたら、
一日で治る病気が五日も十日も治らない、というようなことになってしまうかもわからない。
だから、会社とか国が、どうも好ましくないというような状態に陥ったと気づいた場合には、
やはり体面を気にせず、蹄踏することなく、すぐに治療することが大切だと思う。
なすべきときには何でもなさねばならないと思うのである。
「思うまま」
自問自答
みずからの組織・会社が“病気”におかされている。
この病には、どんな“薬”が必要なのか-。


日本のコロナウイルス対応は、
「対応が遅かった」と言われています。
これだけ交通網が行き届いていれば、
日本中のどこで感染患者が出るかわかりません。
・・・とは言え、
中国武漢では昨年12月には医師が警告していたにもかかわらず、
1月下旬になってやっと発信。
日本での患者拡大の大きな原因だた思われます。

2020/02/18 2020年2月18日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月18日
他人の庭の花

人間お互いに落ち着きを失ってくると、他人の庭の花がなんとなく赤く見えてきて、
コッコッまじめにやっているのは自分だけ、
人はみな濡れ手で粟、楽をしながら何かぼろいことをやっているように思えてならなくなる。
だから自分も何か一つと思いがちだが、そうは世間は許さない。
人情として、ときにこんな迷いをもつのも無理はないけれど、
この世の中に、決してぼろいことはないのである。
楽なことはないのである。
あるように見えるのは、それはこちらの心の迷いで、ほんとうは、どなたさまも、
やはり一歩一歩地道に積み重ねてきた着実な成果を表しておられるのである。
「道をひらく」
自問自答
他人の成果はいかにも楽そうに見える。
その裏側にある“努力”に、いま一度目を向けてみたい。


オリンピックで金メダルが期待される、
バドミントンの桃田選手は、
前回のオリンピックを賭博事件で出場できず、
「謹慎期間中に筋力アップなど基礎づくりしたことが大きかった」
と言っていました。
世界ランキング一位になったのも復帰後です。
天才と言われる選手も人目に触れないところで努力をしているのです。
イチロー選手も同じようなことを言っていました。

2020/02/17 2020年2月17日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月17日
誇示と失敗

そのときは、今は国のために命でさえ捧げねばならないときだから、
軍の命令とあらば当然飛行機の仕事もしなければならないという気持ちが半分は占めていたけれども、
あとの半分は、おれがやらなければダメだという、
世間に対して多少てらう気分があったことも、本当である。
それは大きな戦争のためにやった仕事だから、個人的に失敗したとは思わないけれども、
それをやったがために、あとの苦しみがひどかったから、
人生の失敗というのは、ああいうところにあるのだということを深く味わったわけだ。
今日ふり返ってみると、私が断ろうと思えばできないこともなかったわけだ。
私はやりたいと思うけれども、お国のための仕事はこんなにある。
それすらも十分にできないのだ。
その上さらに飛行機をと言われても、それでは両方とも満足にご奉公できなくなるから、
国のためを思うてお断りします。そう言えば立派な答弁だ。それを言わずにそれもひとつやりましょう、
と引き受けたところに、自分の気負ったところがあったのだ。
だれでも人間である以上そういう気はある。
それは、体裁よくいえば理想ともいえるし、夢ともいえるけれども、一つはそこにてらう気がある。
社会に対して自分を誇示したいという気が、人間いくつになってもあるものだ。
それは個人の仕事の範囲であろうが、会社の仕事であろうが、あるいは国の仕事であろうが、
人生の失敗は全部、そういうところから芽生えるように思う。
今度の大戦も、やはり軍が、よし、世界にひとつ覇をとなえてやろうといって、
ちょっと生意気なところがあったのだと思う。
私は気楽な人間だから、細かい失敗といっても、ほとんど記憶に残っていない。
しかし、詳細に見れば毎日毎日失敗しているようにも考えられる。
そういう考え方は別としても、大きく事業的に考えて失敗だったと思い、
なるほどああいうときに注意しなければならない、と自覚したのは、このときであった。
「仕事の夢暮しの夢」
※太平洋戦争(一九四一〜四五年)のこと。
自問自答
今回の仕事の失敗に、
自分を“誇示したい”という気持ちがなかったか・・・。


『拝啓松下幸之助様』
という絶版本をお借りして読んだことがあります。
戦争末期頃、
松下電器は軍の命令で船や飛行機を製造したそうです。
・・・とは言え、物資不足で木造船と木造飛行機?と記されていたと思います。
そのこともあり松下電器は財閥指定されたらしいのですが、
唯一、マッカーサーから財閥指定を外されたのは松下電機だけだったのです。
その時の幸之助翁の体験からの文章ではないかと勝手に想像します。

 

2020/02/16 2020年2月16日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月16日
実力と限界の認識

よく聞く話であるが、
あの人は平社員であったときには仕事もよくできて非常に有能だったけれども、
主任になったら部下にも十分に働いてもらっていないし、
自分もあまり仕事ができていないとか、
彼は課長としてはまことに立派な課長だったが、
部長にしたらどうも成績があがらないなどということがある。
これは結局その人にその地位にふさわしい能力がなかったということであろう。
わが国ではいわゆる年功序列制というものがあって、
能力以外の配慮から昇進昇格させるということがまだまだ一面にはあると思う。
そして、課長なり部長なりになった本人も喜び、周囲も祝福するが、
あにはからんや本人にはその力がなく、結局は会社にもマイナスになり、
本人も不幸であるということも起こってくる。
これが、もしその人がほんとうに自分の実力なり限界なりを認識しており、
たとえ会社から「君、部長になってくれ」と言われても、
「いや、私には課長は務まりますが、部長になるには力不足ですので、固く辞退させていただきます」
と言ったとすれば、この人はまず失敗しないだろうし、課長として成功できる人だと思う。
もちろん、これと逆のこともいえるのであろう。
「その心意気やよし」
自問自答
今の自分の限界ラインと昇進昇格のラインを、
重ね合わせてみたらどうなるだろうか。


私も実力の限界はあると考えます。
・・・が、
限界を伸ばす死ぬほどの努力を続けると・・・、
その人の限界・・・+αの限界越えの領域に突入することはできると信じています。
努力すればだれでも『東大に入れる』とは口が裂けても言いません。
・・・が、自分の限界の限界まで成長することは尊いことですね。
 

2020/02/15 2020年2月15日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月15日
平常心

時間に追われて慌ててしまい、信号も見ずに車道へとび出し、
ちょうどそこへ来た車にはねられてケガをしたり、
ときには命までも失うというような例も実際には少なくありません。
また、車の運転者のほうでも、急ぐあまりに無理な追い越しをして事故をひき起こし、
多数の死傷者を出してしまった、といった姿を頻繁に起こしています。
たとえ命のやりとりをする戦いの場はなくなったとしても、
このような命のやりとりとでもいうべき好ましからざる姿が続出していることを思うにつけ、
平常心、平静心というものが、今日においても必要不可欠であると痛感されます。
さらにまた、人との交渉の際などにおいても、
また試験を受けたりスポーツ競技に参加した場合などにおいても、
同じように平常心、平静心というものが大事になってくるのではないでしょうか。
お互いが素直な心になれば、おのずとそういう平常心、平静心が得られると思います。
すなわち、お互いが素直な心で物事を見、考えていったならば、
物事を冷静に、平常心を保って見、考えていくということもできるようになると思うのです。
冷静さを失って慌てたり、あせったり、また平常心を失って興奮したりするということは、
とりもなおさず、心が何かにとらわれていることを示していると思われます。
たとえば先ほどの交通事故の場合は、
〃急がなければいけない〃という考えにとらわれていたともいえるでしょう。
だからそういうとらわれがなくなったならば、おのずと冷静さを取り戻し、
また平常心、平静心を保つこともできるのではないでしょうか。
そして、素直な心というものは、まさにそういうとらわれのない、すっきりと落ち着いた心なのです。
『素直な心になるために』
自問自答
心は“すっきり”しているか。
"落ち着いた”心になっているか。


『感情的になった方の負け』
・・・っていうか、
いい言葉に買い言葉ついカチンと・・・。
『早く落ち着いた方の勝ち』
ということですね。
・・・・・・・・・まだまだ若い。・・・修行。
 

2020/02/14 2020年2月14日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月14日
世の常

同じ一つの物事であっても、それに対して、いろいろな見方があり、
さまざまな面から考えることができるわけです。
だから、一見してマイナスと思われるようなことでも、
実際にはそれなりのプラスがあるというのが世の常ではないかと思います。
いってみれば、雨が降れば着物が濡れて困ると見る見方もある半面、
畑の作物を潤してくれると喜んで見る見方もあるわけです。
ところが、そのうちの一面のみを見てそれにとらわれてしまうと、いたずらに心を悩ませたり、
極端な場合は絶望してみずからの命を絶つといったような不幸な姿にも陥りかねないわけです。
それではどうして、そういった一面のみにとらわれるような姿に陥るのかというと、
それはやはり素直な心がないからではないかと思います。
つまり、素直な心がない場合には、性々にして一つのことにとらわれてしまったり、
自分の考えとか感情にとらわれてしまいます。
だから、ついつい物事の一面だけしか目に入らず、他の面まで見る心の余裕もなければ、
また視野というもの自体がひらけなくなる場合が多いと思われます。
『素直な心になるために』
自問自答
雨が降って困る人がいれば、喜ぶ人もいる。
他の側面まで見る習性を身につける必要がありそうだ。


幸之助翁が言われる、
『運のいい人』のことですね。
ポジティブでプラス思考。
・・・ノー天気と大きく違います。
ノー天気の人をポジティブでプラス思考とは言いません。
周りから見ると運の悪い人。
空気が読めることは大切です。

2020/02/13 2020年2月13日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月13日
こわさを感じる

お互いに日に新たな、いきいきした暮らしを送る上で非常に大切だと思うのは、
〃こわさ〃というものを感じながら日々を送るということです。
といいますと、「こわさを感じるということは臆病だからで、こわがっていては何もできないではないか」
というように考えられる方があるかもしれません。
しかしここでいわんとするこわさとは、そういった臆病であるがゆえに感ずるこわさではなく、
もっと積極的な意味での、謙虚な態度というものに通ずるこわさなのです。
たとえば、身近な例をあげますと、子どもは親や教師にこわさを感ずるでしょう。
店員は主人がこわいし、社員は社長がこわい。
また会社で最高の地位にいる社長にしても世間がこわいというように、
人はそれぞれにこわいものをもっているわけです。
また、他人がこわいというだけでなく、自分自身がこわいという場合もあります。
ともすれば自分はつい怠けがちになるが、この怠け心がこわい。
あるいは他人に対して傲慢になりがちな自分の性格がこわいということもあると思います。
何か事をなすにあたって、自分の勇気のなさ、信念のなさがこわいということもあるでしょう。
また神がこわいとか、自分の運命がこわいということもあるかもしれません。
そういうただ単に犬にかまれるのがこわいといったこわさとは違った、
もっと精神的な意味でのこわさというものを常に感ずることが必要ではないかと思うのです。
なぜなら、お互い人間にとっては、何ものかにこわさを感じて、それを恐れつつ、
身を慎んでゆくことが大切なのであって、
もし、そういうこわさというものが何もないならば、自分の思うようにふるまうことはできても、
結局は、自分をダメにしてしまうことが少なくないからです。
こわいもの知らず、ということほど危険なことはないといえるように思うからです。
『人間としての成功』
自問自答
“こわさ”を失って、自分をダメにしてしまうことがある。
自分にとって、こわいものとは何か。


『倒産』と『交通事故』
この二つが私の二大恐怖です。
一つ目は経営者としてもつ当たり前の恐怖。
創業経営者と二世〜経営者とでは恐怖の中身は異るようですが、
この恐怖を感じていない経営者が倒産してしまっている。
そのような例は少なくないようです。
もう一つの『交通事故』。
これは28年前、
高速道路での単独事故で車は一瞬で廃車。
事故処理の警察官が車を見て、
「何人死んだ」といったほどでした。
私は自分の運転で家族を殺しかけたのです。
トラウマにならないはずはありません。

2020/02/12 2020年2月12日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月12日
体当たり

修業時代の若い人たちは、職場の選び方にも、
むしろ困難な部署を選ぶぐらいの心意気が必要である。
会社でも、人のいやがる仕事でも、つらい部署で修業するのもまた面白い、
ひとつがんばろうと喜び勇んでぶつかってゆく意気がほしいと思う。
人間は物事を悪くとり、悲しんでいたんでは際限がなく、
ついには自殺する人も出てくるものである。
これは心の持ち方次第である。
成功した人たちの伝記を読んでみると、
普通の人なら、その困難に打ち負かされて自殺するようなところを、
むしろ反対に喜び勇んでその困難に体当たりしている。
『物の見方考え方」
自問自答
困難を選鋲困難を喜ぶ勇気を
どこかに置き去りにしていなかったか。


過去に何度も書きましたが、
私は、
能力以上の役職、仕事をまっとうするため、
これまでにない学習と実践を続けました。
困難が立ちはだかるたび、
「こんなに頑張っている自分って素敵だ」
と自分を励ましながら今日までやってきました。
胃を壊し、肝臓を壊し、心療内科に通い・・・、
いろいろありましたが・・・・これからも続きますが、
このプレッシャーを心地よくも感じています。

 

2020/02/11 2020年2月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月11日
土俵

実力に相当した仕事をわれわれは社会に対して約束しているんだ。
皆さんは会社に約束しているんだ。
それを考えると、
自分の実力というものがこれだけ伸びたということを、皆さんが言えるかどうか。
自問自答してみて、私は五パーセント伸びました、私は15%伸びました、
あるいは私は150%伸びましたということが、自分に対して言えるかどうか。
この際ひとつ皆さんにお聞きしてみたい。
考えてみますと、実は会社自身にも土俵があって、相撲を取っているんです。
けれども、行司がいないために勝負はすぐにはわからない。
しかし大きな意味での行司はやはりあるんです。
それはどういうことかというと、会社は業界において、
日々相撲を取っていて、二年、三年のあいだには、自然と業界の人が、
あるいは一般の需要者が、さらには広く社会の人たちが軍配をどっちかに上げて判定してくれる。
そういうようにして勝負は決まるんです。
けれどもこれは瞬間に勝負が決まる相撲のようには簡単にいかない。
非常に長い時間がかかる。
しかし二年なり三年たってからこっちが負けた、こっちが勝ったということがわかったのではもう遅い。
ですからきょうの勝負の結果はきょう知りたいと私は思うのです。
そのためには、皆さんが毎日、自分の力がどれだけ伸びたかということを反省してみる。
皆さんの力が伸びず会社の力が伸びるということは、あるはずがないと私は思います。
『松下幸之助発言集第あ巻』(昭和33年の発言より)
自問自答
会議をしているときも、パソコンに向かっているときも、
いま眠りにつこうとしているときも、会社のブランドや商品は、
日々“土俵”に上がっているのだ一。


日々『土俵』。
日々勝ち負けにこだわる。
日々真剣勝負。
・・・私は会社が倒産しない他の一番重要な、
すべての『預金残高・入金、出金額』を、
経理から毎日夕方「エクセル資料」をメールで送ってもらい確認しています。

2020/02/10 2020年2月10日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月10日
自分の誇り

人間と犬とは違う。これは見ただけでわかる。
だからお互いに犬の真似はしない。
人間としての誇りを知らず識らずもっているからである。
だが、見ただけでわからないのが人間同士である。
なるほど顔も違えば気性も違う。
これはだれでも知っている。
だから人を見違えるようなことをだれもしない。
それなのに、どうしてみんなあんなに、他人と同じようなことをやりたがるのだろう。
自分は自分である。
百億の人間がおっても、自分は自分である。
そこに自分の誇りがあり、自信がある。
そしてこんな人こそが、社会の繁栄のためにほんとうに必要なのである。
自分を失った人間が百億おっても、それこそ烏合の衆にすぎない。
自己を認識しないで、ただいたずらに他人の真似をしたがるのは、
あたかも人間が犬の真似をするのと同じである。
そこには何の誇りもない。
お互いに、自分が他人と違う点を、もっとよく考えてみよう。
そして、人真似をしないで、自分の道を自分の力で歩んでいこう。
そこにお互いの幸福と繁栄の道がある。
『続・道をひらく』
自問自答
"犬”や“猫”と変わらない“人”になっていなかったか・・・。
真似することに慣れきっていなかったか・・・。


「多数決経営は失敗する」と言われるゆえんは、
自分を失った人が多いということでしょう。
・・・もちろん多数決政治もしかり。
自分自身とは身勝手な自分ではなく、
『組織の中、社会の中、日本の中、地球の中での自分。
世界の多くの人に支えられている自分。
それらに感謝の気持ちを持ち続けている自分』
その自分を見失っていないかということなのですね。

2020/02/09 2020年2月9日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月9日
尋ねてみる

いつも正しい自己判断、自己評価ができるとは限らないことはいうまでもない。
自分で考えても、なかなか判断がつかないこと、
自分には適性があるのかどうか、自分の会社には、その適性があるのかどうか、
という正しい評価を下せないことも、たびたびあると思う。
そのようなときに、私はどう対処してきたかというと、私はそれを周囲の人々に尋ねたのである。
いわゆる先輩といわれる人に、
「今、自分は非常に迷っています。この仕事がやりたいのですが、
はたして自分に、また会社に、その実力があるかどうか。自分や会社に適した仕事であるかどうか。
私にはわからないのです。あなたとしてはどうお考えになりますか」
というように尋ねてみる。その人は利害関係のない第三者であるから、
「それは松下君、やめておいたほうがよい。君は今、幸いうまくやっているが、そこまで手を伸ば
したら危ない。やめておいたほうが賢い」
というように教えてもらえる。
それで納得がいくときは、そこでやめておく。
けれども、そう言われても、なおやりたいと思うときがある。
そんなときには、第二の人に、もう一度尋ねてみるのである。
そして、その人から同じことを言われると、
相談をもちかけた二人までがいけないと言われた、自分にもはっきりした自信がなかったのだから、
自分も危ないと思っている、それならばやめておこう、というように考えるのである。
『なぜ』
自問自答
尋ねることで“わずらわしさ”が生まれるかもしれない。
けれども尋ねてこそ、“納得”が生まれ、
正しい自己評価ができるのだ。


尋ねることのできる師匠を持つことは大切です。
そして本に尋ねてみることや、
研修、講演などでヒントを得ることも重要だと私は考えています。

 

2020/02/09 2020年2月8日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月8日
自分の仕事の人気

いわゆる芸能人が、自分の人気を気にすることはまったく痛々しいほどで、
その日の舞台が観客にどんな受け取られ方をしたかを毎日真剣に反省し、
よければよいでさらにこれを伸ばし、悪ければ悪いでなんとかこれを改善しようと、
寸時の休みもなしに工夫を凝らす。
人気が自分の生命を左右することを、
これほど深刻に、身にしみて感じている人々は、他にちょっと類がないであろう。
もっともこれが度を過ぎると、そこから何かと弊害も生まれてくるが、
しかしこうした心がまえがあるからこそ、
激しい実力の世界を切り抜けて、芸の進歩が生み出されてくる。
これはお互いに、十分見習わねばならぬことである。
現在の自分の仕事が、人々にどんな影響を与え、また社会にどのように受け入れられているか、
また会社にどのように受け入れられているのか、
これを知らずしては、だれもつぎの仕事に進めない。
それがどんな些細な仕事であっても、こうした日々の反省が、つぎの工夫を生み出し、進歩を促す。
もちろん不必要にこれにとらわれ、つまらぬ頭の痛め方をすることはないけれど、
いわゆる自分の仕事の人気ということについては、お互いに無関心であってよいはずがないのである。
『続・道をひらく』
自問自答
自分の仕事の“人気”を、気にしたことがあっただろうか。


新規の営業の際に、
お客様からの紹介はとてもありがたいものです。
近所のお客様からも評価をいただいていることで、
他社のお客様から連絡をいただくこともあります。
今、お付き合いのあるお客様の満足をさらに高める努力と、
お車のお客様へもと伝えする努力を進めていきます。
 

2020/02/07 2020年2月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月7日
主座(しゅざ)

今かりにお互いが社長であるとしても、
社長としての責任を自覚しなければ、その地位は保てないということですね。
都合のいいときだけ自分は社長であるというのであってはならない。
都合がよくても悪くても、終始一貫、社長としての意識に立っていなければいけない。
部長であれば部長、課長であれば課長の意識に立っていないといけないと思います。
そういう意味からすれば、お互いが一人の人間として生きるときには、
それぞれの立場において個人としての主座というものがあるはずです。
その主座というものをお互いにはっきりと握っていなければいけない。
同時に個人としての責任というものを正しく自覚しなければいけない。
こういうことになると思うのです。
そういうものをもたない個人というものは、非常に頼りない存在である。
“烏合(うごう)の衆″という言葉がありますが、そういう人々は、主座をもたない、
自己意識というものをもたない人々であるという感じがするのです。
ですから、個人としても、それぞれの立場において、主座を保つことが必要である。
すなわち、それなりの責任自覚をもたなければならない。
そうしてはじめて、個人の存在というものがはっきりしてくると思うのです。
「危機日本への私の訴え」
自問自答
求められる役割を果たすとき、“烏合の衆”にならないでいられたか。
自分の“主座”を保つことができていたか。


『自分は何をなすべき人なのか』
人生の主座は森信三先生の言われる持って生まれた封筒。
その封筒を開くためにも、
『今自分がやるべきこと』を明確にする。
そして、
昨日も書いた『目の前の今ここ』集中。
ここがポイントですね。
 

2020/02/06 2020年2月6日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月6日
適性にかなう仕事

今日の社会では、人々は密接につながりあっている。
だれでも、自分一人ということは考えられないのである。
このような社会にあって、自分の適性にかなった仕事に成功するということは、
これは単に自分一人の幸せだけではなく、
それは同時に、社会全体に対する貢献でもあると思うのでである。
一方、適性をもたないのに、
個人的な感情や、欲望にとらわれて、仕事をする場合は、失敗することが多いと思う。
しかも、その失敗は単に自分だけの失敗ではないのであって、
一個人の失敗は周囲の人々はもとより、
社会全体に迷惑を及ぼし、損害を与えることになるといえよう。
私は、このことを、すべての人々がはっきりと自覚しなければならないと思う。
この自覚をしっかりともって、責任ある行動をとるところに、その社会の発展があると考えるのある。
『なぜ』
自問自答
適性にかなった仕事をしているだろうか・・・。


ここでいう適正とは、
背伸びをしたレベルの仕事を選択しようとしてはいないか?
ということですね。
『私がNASAで宇宙船の技師として働く』って・・・背伸びしすぎ。
まずは与えられた目の前の仕事に本気で取り組む。
すると自分の本当の適性にかなうものも見えてきますね。
「目の前の今ここ」に集中です。

2020/02/05 2020年2月5日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月5日
評定

いかなる聖人君子といえども、完全無欠な人間になるなどということは不可能だと思う。
なぜなら神は、人間を人間としてつくったのであって、
神のごとき完壁なものとしてつくっているとは思えないからである。
だから、お互い人間として、一つのことに成功することもあろうし、
ときには過ちもあるだろう。
それは人間としてやむをえないというか、いわば当たり前の姿だと思う。
しかし、過ちと正しいことを通算して、
正しいことのほうがプラスになるような働きなり生涌をもたなければ、
これは人間として決して望ましい姿とはいえないと思うのである。
たとえば、ある人はあることには非常にすぐれたものをもっている。
しかもそれには生命を打ちこんで成果をあげている。
それを今かりに点数で表し、
一方またその人が他の面で失敗したことも点数に表してみると、はたしてどうなるか。
ぼくは、前者のほうが後者よりも点数が高いというか、
プラスになっているということが少なくとも必要だと思う。
それをみずから評定して、自分はだいたい何点くらいあるかということを、
素直に考えてみることが大事である。
「松風」昭和42年11月号
自問自答
今までの自分の働き方・生き方の“正しさ”はプラスになっているか、
もしやマイナスではないか・・・。


『過ちと正しいことを通算して、
正しいことのほうがプラスになるような働き方。
これは人間として望ましい姿と思うのである』
ストローク貯蓄の法則と同じですね。
『過ち』は生きてるだけで増えていきます、
正しいことだけしっかり意識して生きていきます。
 

2020/02/04 2020年2月4日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月4日
自己検討

たとえば、二つの会社がどちらも社会に対する責任ということを考えて仕事をしている。
けれども、その徹し方に紙一枚の差がある。
そうすると、同じようにやっていても、一方は「これで十分だ」と考えるが、
もう一方は「まだ足りないかもしれないぞ」と考える。
もう十分だと考えると、お得意先から苦情があっても、
「ああは言うけれど、うちも十分やっているのだから」
というようなことになって、つい反論したりする。
けれども、まだ足りないと思えば、
そうした苦情に対しても敏感にそれを受け入れ、対処していくということになる。
そういうことが、商品の上に、技術の上に、販売の上に、
さらに経営全般に行われ、それが立派な業績をあげることに結びついてくるわけである。
そのようにして、最初は紙一枚の差にすぎなかったのが、
年月を重ねるにつれて大きな差を生むようになってくる。
だから、経営に携わる者は、その点をよほど心しなくてはならないと思う。
うまくいっていないところは、
どこにその差があるのかをよく反省しなくてはならないのはいうまでもないが、
うまくいっているところでも、それで心許してはならない。
外の人は業績を見て、「君のところはなかなかうまくやっているなあ」というように言ってくれる。
それで自分も、「多少うまくやっているのだな」という気になると、そこについ油断が生まれる。
そうなれば、もう今まであった紙一枚の差は失われてしまう。そのときはわからなくても、
ジリジリと衰退の道を歩むことにもなりかねない。
決して“これでいい〃ということはないのである。
どんな立派な経営をしていても、やはりどこかに足りない点があるのが当然である。
そのことを常に頭において、自己検討というものを絶えずしていくことが大切だと思う。
『経済談義』
自問自答
「これで十分」と考えるか、「まだ足りない」と考えるか一一。
その“紙一枚の差”が未来の盛衰を決定づける。
今の自分の仕事に、足りないものは!?


『完成』
私はすべてのものに完成はあると思っていましたが、
それは瞬間的なものであって、
常に変化し続ける現実の世界にはないのだと知りました。
一瞬の完成を目指し努力し続け、
完成した瞬間から次のステップを目指す。
この繰り返しが人生だと知ったのです。
それでも20年くらい前のことだったでしょうか?
 

2020/02/03 2020年2月3日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月3日
人間として成り立たない

あなたがどういう適性に立ち、どの社会で仕事をしていこうとも、
一歩一歩、誠実な歩みを続けられるならば、しだいに地位も向上し、事業の発展も見られるでしょう。
しかし、その基本となるものは責任の自覚ということです。
これなくしては、あなたは人間として成り立たないといっても過言ではないでしょう。
『若さに贈る』
自問自答
責任の所在は承知している。
しかし真に責任を自覚していただろうか。
求められる役割を果たしていただろうか。


『責任』と『自覚』
人間として成り立つためにこの二つが必要なのですね。
私は経営を意識し始めたころから、
『信念』と『継続』
が大切と意識し始めました。
当時毛筆書き常に見ていました。
今も大切にシステム手帳に綴っています。
 

2020/02/02 2020年2月2日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月2日
自分の働き

あるとき、若い社員の人たちに、大要つぎのような話をしたことがあります。
「ぼくは、皆さんご承知のように、この会社の最高責任者として、
いちばんたくさんの月給をもらっている。
それがいくらかということはここでは言わないが、かりに百万円なら百万円とする。
その場合、ぼくが百万円の仕事をしていたのでは、会社に何らプラスしない。
ぼくの考えでは少なくとも一千万円の仕事をしなくては、
この会社は立っていかないだろうと思う。
あるいは一億円、二億円の仕事をしなくてはならないだろう。
そういう働きができているかどうかということを自問自答しつつ、
ぼくは自分なりに一所懸命努力しているわけだ。
皆さんについても、それはいえることで、
皆さんの月給がかりに十万円であれば、十万円の仕事しかしなかったら、会社には何も残らない。
そうなれば会社は株主に配当もできないし、国に税金も納められない。
だから、自分の今月の働きが、はたしてどのぐらいであったかということを、
常に自分に間うていく必要がある。
もちろんどの程度の働きが妥当であり、望ましいかということはいちがいにはいえないが、
まあ常識的には、十万円の人であれば少なくとも三十万円の働きをしなくてはならないだろうし、
願わくぱ百万円やってほしい。
そういうふうに自分の働きを評価し、自問自答して自分の働きを高め、
さらに新しい境地をひらいていってもらいたい。
そういう姿が全部の社員に及んでいけば、そこに非常に力強いものが生まれてくると思うのだ」
『社員心得帖』
自問自答
今の自分の働きは「いくら」か。
半年後、1年後には、どれほどの「働き」ができるのか。


『常に給与以上の働きをする』
表現は違っているかもしれませんが、
ナポレオンヒルのプログラムのなかにありました。
「これだけやってこの評価か」
そもそも私の性格ではそうひねくれて考えていました。
・・・が、
『給与以上の働きを続けることが成功への道』
であることを脳裏に焼き付けることでよい意味で、
我慢ができるようになりました。
・・・当時、30歳くらいだったでしょうか。
 

2020/02/01 2020年2月1日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
2月1日
やりたいこと

ここに一つの問題がある。すなわち、“どうして自分の適性をみつけるか”ということである。
これはなかなかむずかしい問題であって、
自分に対する正しい評価を下すということは至難の業であるともいえよう。
私は今日まで、一つの仕事を始める場合に、この仕事が自分に適しているか、
自分の会社に適しているか、また、それをするだけの実力があるかどうかということを、
常に、自問自答して判断するように努めてきたつもりである。
ときには自分の気持ちとして、この仕事はぜひやりたい、と考えたことは幾度もあった。
けれども、やりたいということと、やっていいかどうかということとは、やはり別の問題ではないかと思う。
したがって、自分でやってみたいと思うときは、まずその仕事が自分に適しているかどうか、
自分にはその実力があるかどうかを、静かに自問自答する。
その結果、やりたいけれども自分にはまだその実力がない、と思えばやめる、
また、自分はこの仕事に対する適性をもっている、と判断したときにはやる、という、
いわば融通無碍(ゆうずうむげ)の態度が大切だと思うのである。
「なぜ」
自問自答
新しい企画を立案した。
しかしそれは「今できること」なのか。
いや、「まだできないこと」なのではないか。


私の場合もそうですね。
新しいサービスを見つけたりひらめいたら、
すぐに実行しているわけではありません。
ノートに書きとめ、自問自答を繰り返し、
きちんとしたストーリーが描けたら実行に移しています。
このストーリーが大切だと思っています。
 

2020/01/31 2020年1月31日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月31日
一人がめざめる

私は一人がまずめざめることが必要であると思います。
一人がめざめることによって、全体が感化され、その団体は立派なものに変わっていき、
その成果も非常に偉大なものになると思います。
国の乱れんとするときに、一人の傑物が出て国を救うということがよく昔の物語にありますが、
それと同じような意味をなすものだと思います。
私はそのことを皆さんに十分お考えいただき、なすべきことに情熱を傾けて、
そこに生きがいをもっていただきたいと思います。
そして、
一人がめざめれば皆が幸せになるという境地を考えつつ活動してくださることをお願いしたいと思います。
『松風』昭和53年10月号(昭和40年の発言より)
自問自答
現状を打破したい。みずからの組織に変革を起こしたい。
だからこそまずは、自分がめざめなければ—。


変化、革新、改革、新しいことはすべてスタートは一人から。
最初は『一人ぼっち』からスタートなのです。
フォードモータースの創業者ヘンリーフォード氏は、
創業前に車をばらしては組み立てることを何度も繰り返したそうです。
周りの人たちからは「気が狂った」と言われたそうですが、
その後創業し、
自動車生産ラインを初めて作ったことではあまりにも有名ですね。

2020/01/30 2020年1月30日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

 松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月30日
きのうときょうは同じではない

青い空に、ゆったりと白い雲が流れていく。
常日ごろ、あわただしさのままに、意識もしなかった雲の流れである。
めずらしくもあり、なんとなくなつかしくもある。
仕事一筋とよく言われる私だが、それでも雲の流れにふとした感懐はおぼえる。
あるいは人一倍この感情は強いかもしれない。ただ雲を見るまがない、意識するまがない。
そんなあわただしい日々を過ごしているだけである。これは私だけではないであろう。
みんなそれぞれにあわただしく、みんなそれぞれに忙しい。
だから雲の流れなど見るひまもなかろうし、雲に感懐を寄せるいとまもなかろうと思うのである。
しかし、ときには静かに流れゆく雲の姿を仰ぎ見たまえ。
早く遅く、大きく小さく、白く淡く、高く低く、ひとときも同じ姿を保ってはいない。
崩れるがごとく崩れざるがごとく、一瞬一瞬その形を変えて、青い空の中ほどを、さまざまに流れゆく。
これはまさに、人の心、人のさだめに似ている。人の心は日に日に変わっていく。
そして、人の境遇もまた、きのうときょうは同じではないのである。
きょう、安泰であったとしても、それがそのままあすの安泰にはつながらない。
あすは思わぬ災難に、思わぬ悲運を嘆かなければならぬかもしれない。
朝、悲運の心で家を出た人が、夜に思わぬ喜びを抱いて帰らぬとはだれが断言できるであろう。
刻々に移りゆく人の世のさだめに人は喜びもし、嘆きもするのである。
喜びもよし、悲しみもまたよし、人の世は雲の流れのごとし。
そう思い定めれば、あるいは人の心の乱れも幾分かはおさまるかもしれない。
そして、喜べども有頂天にならず、悲しめどもいたずらに絶望せず、
こんな心境のもとに、人それぞれに、それぞれの務めを、謙虚に真剣に果たすならば、
そこにまた、人生の妙味も味わえるのではなかろうか。
『松風」昭和35年6月号
自問自答
あすは、流れゆく雲を仰ぎ見てみよう。
今の自分の心、自分の運命に似た雲はあるだろうか。


「喜びもよし、悲しみもまたよし、人の世は雲の流れのごとし」
『一喜一憂せず』
ということなのでしょう。
「人それぞれに、それぞれの務めを、謙虚に真剣に果たすならば、
そこにまた、人生の妙味も味わえる」
森信三先生の言われる生まれ持った封筒の開封の仕方ですね。
まだまだ妙味を味わいと思います。

2020/01/29 2020年1月29日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月29日
死ぬ瞬間までは、永遠に生きる

いつか、禅宗のある坊さんに尋ねたことがあります。
「和尚さんね、禅宗は将来どうなりまんねん」
「そら自然消滅ですな」
それで、ぼくが言ったのです。
「和尚さん、あんた禅宗の坊さんでね、
禅宗は自然消滅ちゅうようなことを言ったら、力入りまへんやないか」
「しかし、松下さん、これが本当です。すべてのものに寿命があります。
だから、禅宗といえども、時が来れば消滅するんです」
「そんなら和尚さん、あんた、せっかく一所懸命布教したり説教したりしても、
何のせいもおまへんな」
「いや、そんなことありません。
それはね、いつ寿命が尽きるかわからんけども、
寿命が尽きる瞬間まで私は禅宗で生きるんです。それが私の務めですからね。
しかし、あなたのように『禅宗は将来どうなる?』と言われたら、
『将来は必ず消滅します』こう答えざるをえませんわ」
「そうすると和尚さん、松下電器もやがてつぶれまんな」
「そのとおりです」
ぼくにも、大いに得るところがありました。その坊さんを偉いと思うのですよ。
結局、
「原則はそうや。けれども、その瞬間まで伝道に努める」
そういう答えが返ってきたわけですよ。
お互い、人間としていずれは必ず死ぬ。
だけど、死ぬ瞬間までは、永遠に生きるようなつもりでベストを尽くす.
ということは意義がありますね。
『道は明日に』
自問自答
すべてのものには寿命があり、消滅する。
それでも、その瞬間ままででベストを尽くすのだ。


いつも車で例えていますが、
モデル末期がそのモデルの完成品。
人間も死の直前が「完成品」ということになります。
完成品であるはずの死ぬ瞬間まで、
しっかりとバージョンアップを繰り返したいですね。
 

2020/01/29 2020年1月28日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月28日
諦観と覚悟

いつの時代に生まれあわせても、その時代その時代によって、
それぞれに機会を得て自分なりに活動し、自分を生かしてゆくということはできると思う。
しかし、ある特定の仕事をなすということは、これはその時代に生まれあわせなければできないわけである。
だから、人間は一面では自分の意志によって道を求めることもできるけれど、
反面、自分の意志以外の大きな力の作用によって動かされているということを考えることも大切なのではないだろうか。もし、そのようなことが考えられるならば、私はそこから非常に力強いものが生まれてくると思う。
人間、自分の意志だけで動いているのだと思うと、何か事があった場合にどうしても動揺しやすい。
けれども、もっと大きな力によって自分は動かされているのだと考えれば、
それに素直に従ってゆこうということで、ある種のあきらめというと語弊はあるが、
そこに一つの安心感が生まれてくるのではないだろうか。
自分の小さな裁量によっていちいち是非を決し、事をはかってゆくということも、
それはそれで大事だと思う。けれども人間というものは一面において、
時により日によって心が移り、ものの見方、考え方が変わってくる。
だから、自分の意志だけで一生を動かしてゆくということだけでは、
どこか安定感を欠くものがあるという気がするのである。
それだけではやはりときに迷い、不安動揺することにもなるだろう。
だから、自分の意志で歩んでゆくことはそれはそれで必要だけれども、
同時にそれと同じように、あるいはそれ以上に、一つの諦観(ていかん)というか、
いい意味でのあきらめをもって与えられた環境に没入してゆくことが大切だと思う。
そのような覚悟が一面必要だということである。
「その心意気やよし」
自問自答
いい意味であきらめているか。ある種の、あきらめは必要である。
自分の意志“だけ”で何でもできると思うのは
そろそろやめにしないか。


「自分の意志以外の大きな力の作用によって動かされている」
「自分の意志“だけ”で何でもできると思うのはそろそろやめにしないか」
「私はそこから非常に力強いものが生まれてくると思う」
・・・上記文章からの引用です。
幸せな人生を送るためにこの開き直りはとても大切なのですが、
人生経験を積み重ねるほどにそのことがわかってきますので、
多くを積み重ねていない年代は『勢い』で意思決定をしてしまうのですね。

 

2020/01/27 2020年1月27日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月27日
僥倖な人

ぽくはもうあと八十年生きて天寿を全うし、もっと儲けようと思って今一所懸命やってますねん。
若い人はぼく以上にそういう意欲を強くもって、
希望をふくらまして、成功を信じて仕事に取り組んでいくことですな。
小利口に儲けることを考えたらあきません。
世の中にぼろいことはないから、結局流した汗水の量に比例して成功するわけですわ。
汗もかかずして、成功するということもたまにはありますけど、
それはきわめて僥倖(ぎようこう)な人で、普通はない。
だからいちばん熱心にやる。
そうすると部下が熱心にやっている社長の姿を見て、
なんとかわれわれもやってあげないといかんというて、期せずして皆がよく働くようになる。
若い経営者はそれで成功すると思います。
だから成功を信じて、自分が先頭に立って率先垂範してやる。
考え方ややり方はいろいろありましょうけれど、
原則としては、働かざる者は成功しないでしょう。
知恵を働かすか、体を働かすか、何か働かさないといかん。
その働く量に応じて成功するということやと思います。きわめて簡単やと思いますな。
「社長になる人に知っておいてほしいこと」
自問自答
ついつい僥倖を待ち願っていなかっただろうか・・・。
小利口な仕事になっていなかっただろうか・・・。


『世の中にぼろいことはないから、
結局流した汗水の量に比例して成功する』
ですよね。
『棚ぼた』は・・・正直あります。
が、
「棚ぼたが一生続いた人生」というのは聞いたことがありません。
汗水たらして幸せになるしかありませんね。
 

2020/01/26 2020年1月26日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所
2020/01/25 2020年1月25日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月25日
天寿

われわれの仕事というものも、それがいつのことかわからないにしても、
やはりそこに一つの寿命というものがあるのである。
しかし、だからといって、努力してもつまらない、と、放棄してしまうようでは、
天寿を全うせしめることはできない。
これは、いわば人間はやがては死ぬのだからと、不摂生、不養生の限りを尽くすのと同じであろう。
それよりもむしろ、寿命に達するその瞬間までは、そこに自分を生かすというか、
全精神を打ちこんでゆくことこそ、大切ではないかと思うのである。
いっさいのものには寿命がある。
ということを知った上で、お互いがそこにすべてを打ちこんでゆくという姿から、
ぼくは大きな安心感というか、おおらかな人生がひらけるのではないか、
と思ったりしているのである。
『松風』昭和39年1月号
自問自答
人間と同じく、仕事にも寿命がある。
“仕事の天寿”を全うさせたい。


『寿命に達するその瞬間までは、そこに自分を生かす』
まずはその意識、気力、迫力。
そのためには、先日も書きましたが心身の『健康』。
特に『心』。
心の病だけでなく体調から気力や迫力を失う場合もあります。
私の場合2年ぶりの気力充実を感じています。
ホルモンバランスを崩すと気力低下から『心』にも影響が出ます。
「うつ」と症状が似ている場合も多く受診する病院を誤ることも多いそうですよ。
 

2020/01/24 2020年1月24日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月24日
千載一過の好機

今日の状態は、いってみれば生きた芝居です。
歌舞伎だとか、そういう芝居を見て、
「ああ面白い。役者はうまく演ずるな」といって楽しむことがあります。
しかし今のこの世界、この世の中は、ほんとうに生きた芝居です。
そしてわれわれはほんとうの俳優である。
主人公そのものである。
そういう立役者にお互いがなっているのです。
そういう芝居が始まっているというようにも考えられるわけです。
そのように今の自分というものを考えてみますと、自分は千載一遇の好機に生まれた。
かつてない人生に出会った。
そういう時世に出会ったということは、過去何千億の人々のうち、
だれよりも恵まれた時代に生を得たのだ。
この喜びを素直に喜んで、名優としての芝居をうたないといけない。
そういうような感じをお互いがもつことが大切ではないかと思うのです。
しかも自分が芝居をすると同時に人が見ている。また自分自身も見ている。
全部それは無料である。見料は要らない。
こういうようなことを考えてみますと、血わき肉おどる、
と申してもいいような面白い時代に生まれたとも考えられるのです。
『危機日本への私の訴え』
自問自答
自分は“俳優”として合格点に達しているだろうか。
きよう一日の‘‘芝居”は何点だったろうか。
今月は総じて何点だったろうか・・・・・・。


人間は精子と卵子が私たちが今、
『自分』として存在している確率はどれくらいなのでしょう。

確立思考の転換と言うホームページによると
父親が生涯かけて作る精子の数はおよそ3兆5000億個です。
1日に換算しますと、1億5000万個の精子を作ります。
子供を作れるチャンスを18歳から50歳と考えたとして、
生涯作れる精子の期間の半分が子供を作れる期間と考えます。
そうなりますと、半分になり、1億7500万個が子供を作れる期間の精子の数になります。
そして、母親が生涯かけて作る卵子の数は400個前後と言われています。
母親が子供を作れる期間もありますから、
生涯のすべての卵子が子供を作れるチャンスを16歳から40歳と考えても24年間しかありません。
女性も約半分と考えても200個の卵子が子供を作れる期間の数と言うことになります。
この時点の生涯における父親と母親の確率は、
・父親が1/1億7500万
・母親が1/200
では、あなたが生まれてきた奇跡の確率を求めますと、
1/1億7500万×1/200=1/1400兆
になります。
1400兆分の1です。

「1400兆分の1」
今自分が存在していることはある意味奇跡ですね。
自分の精子や卵子の兄弟から自分以外の人間が生まれていたかもしれないのです。
人間は奇跡の存在です。
『千載一過の好機』をつかんだ人たちばかりなのです。
この奇跡の『命』無駄に使ってはもったいなすぎますね。
 

2020/01/23 2020年1月23日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月23日
一瞬一刻、一木一草

何といっても体験が重要ですが、短い一生のうちに何もかも体験することはできません。
ただ考え方次第で、少ない経験でも、多く生かすことはできます。
一ぺんでもやってみると、何かの場合にそれが生きてくるものです。
だから、一瞬一刻といえども、全部修業になるわけです。
そう考えないといけない。
諸君が今の知恵才覚で、たいした効果がないと思うことでも、今わからないだけって、
やがてこれから先に仕事をするとき、きっと生きてくるでしょう。
だから、体験するほど賢くなります。
ただ、何回体験しても、心が入っていなくては何にもなりません。
松下政経塾で政治や経済について勉強している自分が、
どうしてこんなことをしなければならないのかと思うこともあるかもしれない。
しかしそれが政治、経済の要諦(ようてい)の一端をつかむことになるし、
全部先になって、将来生きてくるわけです。
私はそう思って、やってもらっているのです。
だから工場や販売店に行って、つまらんと思ったら、非常に浅薄ということになります。
そんな浅薄なものではありません。
たとえ、わずかに一里なら一里、十分なら十分かかる道を歩いている場合でも、
何かの体験をするはずです。
そこから何ものかをつかんでくる。
ほんの一木一草たりとも、すべて自己の向上に役立つのです。
そのような見方をしなければいけません。
「君に志はあるか — 松下政経塾塾長問答集』
自問自答
心を入れて体験験すするる。。そしてそれを生かす。
きょうの自分は一瞬一刻をムダにしていなかったか。


20年くらい前になるでしょうか?
箕面にある日創研の「明徳庵」で研修合宿で夕食後、
田舞さんから、
「これから箕面の滝まで散歩しましょう」
多くの参加者はメンバー同士話をしながら歩いていましたが、
私はあえて一人離れて『いりいろ見ながら、思考しながら、創造しながら』歩いていました。
川の横には岩や石がゴロゴロしています。
その中でふと目につき、
岩についた苔(こけ)何ということはない風景ですが、
ぐっと近づくと小さな虫が苔の中にいるのを発見。
・・・気づいたのです。
「この苔の中には目に見えないくらいの小さな生物がたくさん生きている。
私たちが普段見過ごしているこの生き物もすべて含めて地球の生き物。
人間だけが地球に存在しているわけではない。
人間だけが偉いのではない。
植物や鉱物もふくめすべてが地球。大自然」
・・・何ということはない話ですが、
私にとっては大きなきづきでした。 
 

2020/01/22 2020年1月22日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月22日
青春

私には、十数年前から、いわゆる座右の銘としている一つの言葉があります。
それは、
青春
青春とは心の若さである
信念と希望にあふれ
勇気にみちて日に新たな
活動をつづけるかぎり
青春は永遠にその人のものである
というものですが、これは、私がある成人式で講演をしたとき、
若さというものについて一つの感慨をもったことから、あるヒントをもとにつくってみたものです。
これには、常に若くありたいという希望と、
常に若くあらなければならないという戒めがこめられています。
肉体的な年齢が年々増えていくのは、だれもが避けて通れない事実ですが、
心の若さは気のもちようであり、それは必ず表にあらわれます。
つまり、常に前へ進む気力さえ失わなければ、
若さはいつも向こうからついてくる、というのが私の信念です。
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
自問自答
外見や容姿と同様に、
"心の若さ”をを常常にに気気ににしてていたい。


年齢と共に体力も落ち肩や腰、ひざなどが痛くなり、
体調も良くない。
痛みは仕方ないとして風邪ではないのに常にそれに近い症状。
・・・どうにも意欲が出ない。
・・・・・・2年くらい病院に通いそれはかなり改善してきた。
肉体の中にあるのではない『青春』ではあるが、
不健全な肉体では『青春』も育ちませんね。
体調を管理することは、
青春を保ち続ける前提と・・・あらためて。

久々に「サムエルウルマンの青春」フルバージョンです。
青春とは
真の 青春とは
若き 肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある
薔薇色の頬 真赤な唇 しなやかな身体
そういうものは たいした問題ではない
問題にすべきは つよい意思 ゆたかな想像力 もえあがる情熱
そういうものが あるか ないか
こんこんと湧きでる 泉のように
あなたの精神は 今日も新鮮だろうか 
いきいきしてるだろうか
臆病な精神のなかに 青春は ない
大いなる愛のために発揮される
勇気と冒険心のなかにこそ 青春は ある
臆病な二十歳がいる 既にして 老人
勇気ある六十歳がいる
青春のまっただなか 年を重ねただけで 人は老いない
夢を失ったとき はじめて老いる
歳月は 皮膚にしわを刻むが 情熱を失ったとき 精神は
しわだらけになる
苦悩 恐怖 自己嫌悪 それらは 精神をしぼませ
ごみくずに変えてしまう

誰にとっても大切なもの それは 感動する心
次は何が起こるのだろうと 眼を輝かせる 子供のような好奇心
胸をときめかせ 未知の人生に 挑戦する 喜び
さあ 限をとじて 想いうかべてみよう
あなたの心の中にある 無線基地
青空高くそびえ立っ たくさん 光輝くアンテナ
アンテナは 受信するだろう 偉大な人々からのメッセージ
崇高な大自然からのメッセージ 世界がどんなに美しく 驚きに満ちているか
生きることが どんなに素晴らしいか
勇気と希望 ははえみを忘れず いのちのメッセージを
受信しつづけるかぎり あなたはいつまでも 青春
だが もしあなたの 心のアンテナが 倒れ
雪のように冷たい皮肉と 氷のように頑固な失望に おおわれるならば
たとえ二十歳であったとしても あなたは立派な 老人
あなたの心のアンテナが 今日も青空高くそびえ立ち
いのちのメッセージを 受信しつづけるかぎり
たとえ八十歳であったとしても あなたはつねに 青春
真の 青春とは 若き 肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある
 

2020/01/21 2020年1月21日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月21日
自分の力

いわば五十の力しかない人が七十の仕事をしようとしたら失敗する、ということである。
しかし反対に、もし百の力のある人が七十の仕事をしていたのでは、
これは失敗はしないだろうが、いってみればムダというか、もったいない話である。
やはり、百の力をもった人はそれを適正に認識し、
少なくとも九十五の仕事をやるということでなくては本人のためにも社会のためにも損失である。
そのように常に自分の能力というものを検討し、
その適性に合った仕事をしていくということになれば、そこにおのずから不平不満はなくなり、
むしろ喜びと楽しみをもって仕事ができるようになってくると思う。
大きな仕事をすることが尊いのではない。仕事に成功することが尊いのである。
ただその場合もう一つ大事なことは、
そのような能力なり、適性というものは固定的な不変のものではない。
というより、多くの場合は進歩向上するものであり、
むしろみずからの努力で進歩向上させなくてはならないものなのである。
だから一面に、そのときそのときの自分の力を検討し、
それを超えた仕事をしないということを心がけつつも、つぎにはさらに大きな仕事、
高度な仕事に適応できるように自分を高めていくということが必要であると思う。
そういうことが自分自身にとってその働きが有効に生かされ大きな喜びとなるし、
ひいては会社や世の中にも貢献する結果になると思うのである。
『その心意気やよし』
自問自答
自分の力の100%のうち、
少なくとも95%の仕事ができているか。


「自分の実力以上の仕事をやる」という心掛けが大切。
野球、サッカー等、
『プロと言われる人たちは人並外れているからプロの選手になったのです。
人並外れていてプロになったのだからそこからは楽をすればよい』
・・・そんなわけないですね。
プロだからこそより上を目指して誰よりも仕事(練習+試合)をするのですね。
私たちもガス屋のプロとしてゆとりを持った、
確実な仕事だけやっていてはダメなのです。
 

2020/01/20 2020年1月20日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月20日
やりがい

今日のサラリーマンが会社の中にあってそれぞれの仕事につく場合、
確かに一面では、自分の適性というものに立ち、
求めてある職務を担当するとか、
自分はこういう仕事が好きだからやらせてほしい、
といってやるような場合もあるであろう。
しかし、おそらくそういうケースは非常に少ないのではないだろうか。
だいたいは、会社のほうから君この仕事をやりたまえということで、
与えられるというのが現状であろう。
その場合、ときには適性というものが勘案されているかもしれないし、
あるいは別の配慮によって、仕事が与えられるのであろう。
いずれにしても、そのように与えられた自分の仕事というものを、
どのように受け取り、どのような考えをもってこれにあたっていくか、
そこが私には非常に大事なところだと思われるのである。
ただ与えられた仕事だからしかたがないということで、
格別の興味もやりがいというものもないままに、
なんとなくやっていくという人もあるであろうし、
なかにはこんな仕事は自分には向かないから、
ということでかえてもらいたいという人もあるかもしれない。
しかし、私は基本的にはそういうことは、
その人自身のためにならないのではないかと思うのである。
与えられた仕事を自分なりにどう消化し、どのようにして自分のものとしていくか、
そういうことに興味をもって取り組んでいく。
そしてその中から自分の仕事の意義を見出し、やりがいを感じていく。
そういう姿において与えられた仕事を行なっていくということが、
やはり望ましいのではないだろうか。
「その心意気やよし」
自問自答
運命だから、与えられた仕事だから、といって
真正面から向きあうことを避けていたのではないか・・・・・・。


『与えられた仕事』と思っているうちは『やりがい』も感じません。
やりがいを感じるためには、
一所懸命に、そして必死に取り組むことです。
『何』をやるかではなく、
『どんな姿勢』で取り組むかが大切なのです。
嫌なことも一所懸命に必死で取り組むと楽しくなります。
『ふり』をしている人には一生味合うことはできませんよ。
配送担当者3名は一日の数過去最高件数を配送し、
配送遅れも0状態を維持してくれ、
充実をしてイキイキと仕事ををしてくれています。
 

2020/01/19 2020年1月19日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月19日
素直に承認する

私は今でも三時間ないし三時間半、具合のいいときは四時間ぐらい眠れますが、
それでもう目があいてしまいます。 
それから床を離れるまでのあいだ、時間がありますから雑念がパーツと湧いてくるのです。
非常に面白くないなという感じもするのですが、それをどうすることもできません。
そういう人間になっているのです。
まあよく考えてみますと、やはり生まれつきなのです、これは。
どうにもしかたがないと思っているのです。
皆さんはそれぞれに特色をおもちです。
いま睡眠の話をしましたが、非常によく眠られる方もあるでしょうし、
私と同じようにあまり眠られない方もあるでしょう。
それを取り替えるというわけにはいきませんね。
甲君は夜、寝られないたちである。乙君はよく寝られるたちである。
それでお互いに話をして、
「君の睡眠を少しこちらへ分けてくれないか」「それはいくらでも分けてあげる」
ということで、「君こうして寝たまえ」と教えられても、そのとおりにはいきません。
生まれつきそうなっているのですから。
だから、そのことを悔やんでもしかたがないということです。
まあ、あきらめとでも申しますか、そういうものを私は感じるわけです。
これまで多少はそうしたことを苦にやんだこともあるのですが、
結局は、先ほども申しましたように、素直にこれを承認しよう、
これは自分がもともとそういう生まれつきなのだ。
生まれつき非常に肥満した人もあれば細い人もあるように、人にはいろいろな体質がある。
それをいちいち苦にやんでいてはならない、
素直にこれを承認しよう、ということがだんだんわかってまいりました。
そういうことで、お互いそうした体質と申しますか、
あるいはもっと違った言葉でいえば運命と申しますか、
そういうものをみんな違ったかたちにおいて与えられている。
これは、皆さんの意志ではないわけです。
皆さんの意志以外のものだと思います。
「社員稼業」
自問自答
"自分の意志以外のもの”で、
考えてもしかたがないことにとりつかれていないか・・・。


私も子供のころから基本寝付きは悪いのです。
何かが気になり始めると全開で頭の中を駆け巡りますます寝れません。
・・・これが『雑念?』。
今では素直に承認し?、
・・・開き直って本を読んだりもしています。
・・・寝不足覚悟で。
・・・・・・が、
翌日のスケジュールによっては睡眠導入剤を使うこともあります。
 

2020/01/18 2020年1月18日 ・松下幸之助成功の金言 365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
1月18日
積極的に受けとめる  

何ごとでも、いい指導者、先生につけば、その技が上達するし、
だから先生を選ぶことが肝心だと一般にいわれますが、
私もそのとおりだろうと思います。
非常にうまく指導してくれる師匠、 
世間で「非常にいい先生だ」といわ れるような理解のある人について習っていくことは、
きわめて好ましいことだと思うのです。
けれども、
その反面に、そういうところからは、いわゆる“名人”は出にくいとも考えられます。
というのは、
先生がよければ、どうしても先生のとおりにやるということになってしまいますから、
ある程度のところまでは 一様に上達するけれども、
それ以上に画期的なものは生まれてきにくいという一面があると思うのです。
その点、むしろ非常に無理解というか、
非常識ともいえるような先生のもとで修業した人の中からは、
名人といわれる人が出る場合が多いようです。
当然ほめられていいことに対してでも、めちゃくちゃに言われる。
「ばかばかしい。もうやめてしまおう」と思う場合が何度もある。
しかし、それでも耐えしのびつつ辛抱してやっていく。
そして何ものかをみずから会得した人に、
先生を超えるような名人が 出てくるということでしょう。
これは非常に面白い点だと思いますが、
そういうこともまた人間の妙味といえるのではないでしょうか。
ですから、理解ある立派な先輩についた人は、それはそれで感激し、
そのことを喜んでいいと思いますが、
一見無理解と思われる先輩にぶつかった人も
『これは、自分が名人になれるなれるチャンスだ』というように、
積極的に受けとめてはどうでしょうか。
そこに自分を大きく伸ばしていく道があるのではないか、そんな気がするのです。
『社員 心得 帖』
自問自答
無理解な上司を喜ぶだけの積極性が今の自分にあるか!


長い文章ですが重要なところを抜き取ると、
一見無理解と思われる先輩にぶつかった人も、
『これは、自分が名人になれるなれるチャンスだ』というように、
積極的に受けとめる。
というところだと思います。
『偶然はない。すべては必然。
人間は必要なとき必要な人と出会うようになっている』
すべては成長のチャンス。
・・・これは本当だと信じています。
 

2020/01/17 2020年1月17日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー...

 ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月17日
第二の人生に備えるたった一つの条件

第二の人生をもつには、一つだけ条件がある。
本格的に踏み切るかなり前から助走しなければならない。
「明日を支配するもの」


何度か書きましたね。
・・・「準備」という表現だったと思います。
助走という表現は非常に分かりやすい。
しっかりと助走をとって高く飛び上がってください。

2020/01/15 2020年1月16日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー...

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月16日
成功の機会をもち続ける

第二の人生、パラレル・キャリア、社会的起業家としての仕事、
そして仕事以外の関心事をもつということは、
社会においてリーダー的な役割を果たし、
敬意を払われ、成功の機会をもてるということである。
「明日を支醍するもの」


仕事以外、社会においてリーダー的な役割を果たすことが、
第二の人生での成功機会ということですね。
先日も書きましたが、
NPO法人を立ち上げ、
介護施設などを訪問しコンサートをしている先輩を見ていると、
本当に生き生きと第二の人生を送られています。
私も仲間に入れてほしいという思いがあるのですが、
・・・第二の人生も扉を開いてからお願いしてみます。
 

2020/01/15 2020年1月15日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー...

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月15日
ひとかどの存在となる意味

知識社会では、成功が当然とされる。
だが、
全員が成功することはありえない。
失敗しないことがせいぜいである。
成功する人がいれば、失敗する人がいる。
そこで、
一人ひとりの人間およびその家族にとっては、
何かに献し、意味あることを行ない、
ひとかどとなることが決定的に重要な意貢献し、意味をもつ。
「明日を支配するもの」


『ひとかどの存在となる』為には、
転職を繰り返さないこと。
というよりも、
・・・成功しないを超えて、
失敗の道を歩んだ人の方が多いように感じます。
『ひとかどの存在となる』ためのヒント、
何度もつぶやきメールに登場している、
森信三先生の、
人間の一生(人生二度なし)です。
職業に上下もなければ貴賤もない。
世のため人のために役立つことなら、
何をしようと自由である。
しかし、
どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。
すると、
二十からでも三十までには一仕事できるものである。
それから十年本気でやる。
すると、
四十までに頭をあげるものだが、
それでいい気にならずにまた十年頑張る。
すると、
五十までには群を抜く。
しかし、
五十の声をきいた時には、
大抵のものが息を抜くが、それがいけない。
「これからが仕上げだ」と、
新しい気持ちでまた十年頑張る。
すると、
六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。
だが、
月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、
それから十年頑張る。
すると、
七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。
しかし、
それからまた、十年頑張る。
すると、
この十年が人生で最も面白い
 

2020/01/14 2020年1月14日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー...

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月14日
できることが仕事だけならば

できることが仕事だけならば、問題が生じる。
知識労働者たる者は、
若いうちに非競争的な生活とコミュニティをつくりあげておかなければならない。
コミュニティでのボランティア活動、地元のオーケストラへの参加、
小さな町の公職など、仕事以外の関心事を育てておく必要がある。
「ネクスト・ソサエティ」


『幸せな人生』のための第二の人生をどう充実させるか?
昔は尺八や琴、三味線などの邦楽器を含め、
いろいろな習い事が成り立っていたようです。
ピアノ教室は田舎の町にもあちこちにありましたが、
今ではほとんど見かけなくなりました。
ゆとりをなくしている時代ともいえるのでしょう。
とは言えゆとり教育は・・・日本の大きな失敗ですね。
第二の人生を早いうちから考え始めることは大切です。
 

2020/01/13 2020年1月13日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー...

 ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月13日
組織だけが人生である弊害

仕事オンリーでは、
組織だけが人生であるために、組織にしがみつく。
空虚な世界へ移るという恐ろしい退職の日を延ばすために、
若い人たちの成長の妨げになってでも、
自らを不可欠な存在にしようとする。
「現代の経営」


そのために私たちが取り組んでいるのが『3KM』です。
仕事だけが人生ではない。
個人、家庭、会社の3Kのバランスさせることで幸せな人生を探っていくのですね。
もう一つここで言われている、
『若い人たちの成長の妨げになってでも、
自らを不可欠な存在にしようとする』
最も避けなければならないことです。
これからの年金受給高齢化社会を考えると、
若い人の成長を妨げず活躍をし続ける、
『一匹狼』的な仕事、
『作業』的な仕事。
なのかもしれませんね。

2020/01/12 2020年1月12日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー...

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月12日
トピラを開く三つの方法

問題の解決には三つの方法が助けとなる。
第一の方法は、
文字どおり第二の人生をもつことである。
たんに組織を変わることでもよい。
第二の方法は、
パラレル・キャリア(第二の仕事)、
すなわち本業にありながらもう一つ別の世界をもつことである。
第三の方法は、
ソーシャル・アントレプレナー(社会的起業家)になることである。
仕事は好きだが、もはや心躍るほどのものではない。
そこで、仕事は続けるが、時間は減らしていく。 
そして新しい仕事、とくに非営利の仕事を始める。
「明日を支配するもの」


「第二の人生」のトビラの開き方のことですね。
NPO法人を立ち上げる人もいます。
私の知人は、
定年後音楽活動のNPO法人を立ち上げ、
毎月広島駅前の地下広場でコンサートをしています。
うらやましい人生です。
 

2020/01/12 2020年1月11日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー...

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月11日
老いてをお最高の仕事をする

人は皆同じように老いるのではない。
エネルギッシュに働くことはできなくとも、
判断力に狂いがなく、
20年前よりも優れた意思決定を行なう人がいる。
助言者としても、年とともに欲を離れ、
かつ知恵と親身さを併せもつならば、最高の仕事をする。
「断絶の時代」


『年とともに欲を離れ』
ここは大切ですね。
言い方を変えると、
「若いときは欲にあふれいてよい」ということです。
若いときはこの欲こそが最高の仕事をする源泉。
そして、年とともに欲を離れるのです。
老いて最高の仕事をするためには欲から離れる、
「足るを知る」ということですね。
 

2020/01/10 2020年1月10日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー(...

 ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月10日
第二の人生で再び成長する

仕事に挑戦を感じなくなった者は、成長が止まったと思う。
たしかに現在の仕事では、成長が止まったかもしれない。
だが、
有能であり、病気でないならば、仕事さえ変えれば再び成長する。
第二の人生は、
仕事への不満や倦怠から逃れるための酒や、
火遊びや、精神分析医よりも、はるかに面白いはずである。
「断絶の時代」


清水さんのような第二の人生は私たちの参考になるのかもしれません。
・・・ただし、
「第二の人生」は、定年年齢、年金支給年齢の引き上げにより、
大きく変わりつつありますので、
定義そのものも大きく変わってくるのかもしれません。
・・・そこは予測がつきません。

2020/01/09 2020年1月9日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー(...

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月9日
第一の人生の限界

順調にやってきた四五歳あるいは五○歳といえば、
心身ともに働き盛りである。
その彼らが仕事に疲れ飽きたということは、
他への貢献、自らの成長のいずれにおいても、
第一の人生では行き着くところまで行ったということであり、
そのことを知ったということである。
『断絶の時代』


確かに感じますね。
50歳を超えたころから、
記憶力は低下、体力はもがた落ち、
持病加速度的に進行していきました。
・・・先輩の話では、
「60歳で50歳で感じたよりもさらに身に染みるよ」
とのことです。・・・怖い。
何より怖いのは体調を崩し気力が落ちること。
私の場合は56〜57歳で体調を崩し原因探しで毎月検査。
原因らしきものがわかり、現在は毎月治療通い。
気力も戻ってきたところです。
・・・簡単に言うとホルモンバランスを崩した更年期障害。
健康第一ですね。
 

2020/01/08 2020年1月8日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー(...

 ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社 
1月8日
働く者は組織よりも長命

これまでの社会は、二つのことを当然とする社会だった。
第一に、組織はそこに働く者よりも長命であって、
第二に、そこに働く者は組織に固定された存在だった。
これに対し、自らをマネジメントするということは、
逆の現実に立つ。
働く者は組織よりも長命であって、自由に移動する存在であるとする。
「明日を支配するもの」


まさに現代社会を予言していたかのような文章ですね。
世界の優秀人材を中国が集めAI技術の世界最先端を進もうとしています。
先日TV番組で、
「中国国内で子供のころ誘拐された人の捜索をAIが行い
どんどん解決している」と言っていました。
トヨタなど日本の企業でも人材流出が問題になっているそうです。

2020/01/07 2020年1月7日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー(...

 ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月7日
第14章
第二の人生

歴史上初めて、人間のほうが組織よりも長命になった。
そこでまったく新しい問題が生れれた。
第二の人生をどうするかである。
「明日を支配するもの」


平均寿命が延び続け、
定年後の人生がずいぶんと長くなりました。
年金支給を75歳に引き上げるという案まで出ています。
「仕事をやり続ける第二の人生」もありでしょう。
「ボランティアや趣味を生かす第二の人生」もありでしょう。
注意しなくてはならないことは、
同じ仕事をやり続けること以外の選択には、
準備期間が必要になるということです。
走り幅跳びは助走があるから飛べるのですね。

2020/01/06 2020年1月6日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー(...

 ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月6日
汝の時間を知れ

汝自身を知れという昔からの知恵ある処方は、
悲しい性の人間にとっては、不可能なほどに困難である。
だが、
その気があるかぎり、汝の時間を知れという命題には、
誰でも従うことができる。
その結果、
誰でも貢献と成果への道を歩むことができる。
「経営者の条件」


年末に出てきた
「成功へのスケジュール管理」ですね。
実はこのスケジュール管理こそが成功の秘訣であり、
ターニングポイントであるということなのですね。
「言うは易く行うは難し」
でここが『成功』の分かれ道ということなのです。

2020/01/05 2020年1月5日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー(...

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月5日
まとまった時間をつくる方法

ある人たち、
なかでも年配の人たちは、
週に一日は家で仕事をしている。
編集者や研究者がよく使う方法である。
ある人たちは、
会議や打ち合わせなど日常の仕事を週に二日、
たとえば月曜日と金曜日に集め、
他の日とくに午前中は、
重要な問題についての集中的かつ継続的な検討にあてている。
「経営者の条件」 


タイトルと解説が一致していないような・・・。
私の場合は手帳にタイトルを入れスケジュール化すること。
空いた時間で仕事をこなそうとすると、
目先の仕事だけで一日が終わり、
数年後を支える創造的な仕事ができないのです。
もう一つは、セミナーや講演です。
講師のお話にはヒント満載で、
ノートを取りながら、
その周りにはヒントから創造したメモがいっぱいになります。
 

2020/01/04 2020年1月4日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー(...

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月4日
こま切れの時間では意味がない

仕事のほとんどは、
わずかの成果をあげるためでも、
かなりのまとまった時間を必要とする。 
こま切れでは意味がない。 
「経営者の条件」


尺八の練習をしていて強く感じます。
尺八奏者のプロは、
「やるときは集中して1日5時間とか10時間やらないと・・・」
「まあ、プロを目指しているわけじゃないから必要はないだろうが・・・」と言われます。
私は日々こま切れ時間で練習をしていますが、
練習開始からいきなり尺八がなるわけではなく、
いい感じになるためのウオームアップが必要です。
というわけで、ウオームアップを繰り返す毎日です。
・・・やらないよりはずいぶん成長します。
 

2020/01/03 2020年1月3日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー(...

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月3日
ともに働く人が多いほど

仕事の関係に人間関係がからむと、
時間はさらに必要になる。
急げば摩擦を生じる。
あらゆる組織が、
仕事の関係と人間関係の複合の上に成り立つ。 
ともに働く人が多いほど、
その相互作用だけで多くの時間が費やされる。
仕事や成果や業績に割ける時間がそれだけ減る。 
「経営者の条件」


『強い組織は少人数』と言われますね。
ことわざの『船頭多くして船山に登る』は逆の意味です。
共同経営は失敗することが多いというのもうなずけます。
小山さんは、
「ワンマン経営が正しい」と言い切っています。
『聞く耳を持ってのワンマン決定』の意味ですね。
「もちろん聞く耳は持つがあくまでも意見として聞く。
その通り決定するという意味ではない」
と言われています。
 

2020/01/02 2020年1月2日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー(...

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社
1月2日
ゆとりある話し合いが近道

組織内の話し合いはくつろいで行なわなければならないだけに、
膨大な時間を必要とする。
ゆとりがあると感じられなければならない。 
それが結局は近道である。
『経営者の条件』


経営品質勉強会での『企画住宅』プロジェクトがそれですね。
いつからするのか。
どこでするのか
誰がするのか。
何をするのか。
なんとためにするのか。
いくらお金をかけるのか。
今回は日創研の社長研修に合わせたセミナーで、
じっくり共有しながら、
1月より並行して販売に向け具体的活動に入ります。
 

2020/01/01 2020年1月1日 ドラッカーの名言 仕事の哲学 P・F・ドラッカー(上...

明けまして
おめでとうございます

本年もよろしくお願いします。

ドラッカーの名言 仕事の哲学
P・F・ドラッカー(訳:上田惇生)
ダイヤモンド社 
1月1日
じっくり耳を傾ける

成果をあげる組織では、
トップマネジメントが意識して時間を割き、 
ときには新入社員に対してまで、
あなたの仕事について私は何を知らなければならないか、 
この組織について何か気になることはないか、
我々が手をつけていない機会はどこにあるか、
気づいていない危険はどこにあるか、
私に聞きたいことは何かとじっくり聞いている。
「経営者の条件」


まさに新春にふさわしいドラッガー氏からのお年玉です。
令和2年のテーマとして、
経営計画書、3KM手帳に毛筆にて清書します。
 

2020年12月11日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
12月11日
腹をすえる

お互いの日々の仕事においては、心配も何もなくしてうまくいくということは、
ないのが本来の姿で、したがって、あれこれ思い悩み、心配するということが、
むしろなければならないと思うのです。
それは、つらいといえばつらいし、苦しいといえば苦しいことです。
しかし、そうはいうものの、どんな心配、悩みの中にも、
お互いの生きる境地というものはあるものだと思います。
つまり、“幹部社員には悩みや不安が多いのが当然で、
それがいやなら職を辞せばいい”といったように、まず腹をすえる。
その上でそういう心配、悩みがあるからこそ、自分たちは勉強するんだ、
それがお互いの刺激、薬ともなって、
新しい工夫やすぐれた品物を生み出すことができるんだ、というように考え、
その心配、悩みを克服していく。
そういうところに幹部社員としての仕事の喜び、
さらには生きがいを見出していくという姿勢が大切ではないかと思うのです。
『社員心得帖』
自問自答
まずは“腹をすえる”。
“悩み” や“心配”を、
自分の“刺激”や“薬”にするるたために-.


私の場合『はこれは私にしかできない仕事』と腹をすえました。
逃げ出したい障害やクレーム、人間関係・・・・。
私は「こんなに苦しい中で逃げ出さず頑張っている自分って素敵だ」
と自分を励ましながらほめながら今日まで来ました。
中村さんには多くのクレーム対応をしていただきました。
どれだけ逃げ出したかったかは察するに余りあります。
本当に助けられました。
ありがとうございます。
 

2020年11月7日 ・松下幸之助成功の金言365 PHP研究所

松下幸之助 成功の金言365
松下幸之助[著]
PHP研究所[編]
11月7日
くり返して言う

どんなにいいことを言っても、口に出した言葉はすぐに消えてしまう。
聞いたほうもすぐに忘れてしまう。
よほど印象深く聞いた言葉なら、そうすぐには忘れもしないだろうが、
普通は二、三日もすればほとんど忘れてしまうことが多いのではなかろうか。
ところが、
いいことを言ったほうの人は、相手は覚えているのが当然だと考えがちである。
したがって、覚えていないことがわかった場合、
けしからん、ということにもなりかねない。
けしからんといえば、確かにけしからんことではあるけれども、
しかし、人間の記憶力などは一面頼りないものである。
しっかり覚えていなければならないとは考えても、すぐに忘れてしまいかねない。
そこで、どうすればよいか、ということである。
一つは、くり返し話すことである。
大切なこと、相手に覚えてもらいたいことは、何度も何度もくり返して言う。
二度でも三度でも、五へんでも十ぺんでも言う。
そうすれば、いやでも頭に入る。覚えることになる。
それとあわせて、文字をつづって文章にしておくということも大切だと思う。
文章にしておけば、それを読みなさいと言えば事が足りる。
読んでもらえばくり返し訴えるのと同じことになる。
『人を活かす経営』
自問自答
大切なことは何度でもくり返し言う、文章にして読んでもらう。
何度も何度もあきらめずくり返していく。


伝えたことは案外覚えている。
そもそも自分の中に合ったものしか伝えられないから。
聞いた方は一回で記憶に残るか?
相当聞く気になっていても・・・
・・・こんなことで記憶に残るのであれば学生時代の試験は100点ばかりです。
伝える方と聞く方『あきらめの悪い方が勝利します』
「100回言い続ければ伝わる・・・かも」
諦めが悪いことは成功の法則。